【翠雨】


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  翠雨 -スイウ-      ラノで読む


 数珠つなぎになった貨物車がレールの上を滑る。隙間から漏れていた光が消え、耳をつんざく轟音が鳴りはじめた。部屋に敷き詰められたなか積荷のなか、木枠で閉じられた頑丈そうな箱に腰をおろす。ときおり体が浮くような縦揺れを体に感じながら、彼はただじっと暗闇を見つめている。窓のないここは、部屋の真ん中にぶら下がっている照明灯が点灯しなければ、自らの姿さえ視認することができない。
 彼は暗闇が好きだった。自分が何者かさえわからなくなるほどの闇。いま、彼は眼前に広げた手を見下ろしている。しかしそれが見えるはずもなく、ただ何かが存在しているという曖昧な気配しか感じられない。
 それが肌のきめ細かな少年の指か、血に濡れた残忍な獣の前脚か、まがまがしい触手か、誰にもわからない。
 生き物の鳴き声にも似たブレーキの摩擦音。続いて車輪の弾む振動がだんだんとゆるやかなものになっていく。
(一発殴らせろこのバケモンが!)
 ラルヴァでありながら人間の顔を装っている自分。人でありたいのか、化け物でありたいのか。
 彼――サイテは顔をあげ、首を振りながら、声もなく笑った。闇が包むこの暗室で、誰も彼の表情をうかがうことはできない。


「あんた、唐橋か?」
 唐橋悠斗《からはし ゆうと》は声をかけられたほうへ目をやる。このクソ暑い時期にそぐわない、無地の赤マフラーを巻いた少年がいぶかしそうにこちらを見ている。
「……そうだけど」
 何の気なしに答える。途端に少年は堅かった表情を崩し、ニカっと笑った。
「おー! やっぱそうか! さすが、俺の慧眼に狂いはないな」
 悠斗は今、双葉学園島に来ていた。事前に待ち合わせ場所に指定された海浜公園は、うだるような暑さにみんな逃げ出してしまったのか、ぽつぽつと遊具だけが点在していた。潮風に錆びついた様子はなく、形ばかりのすべり台やブランコが鈍い光を放っている。
 昨日のことのように鮮明な、ついこのあいだ遭遇した『氷鐘』事件以後、抜け殻のように過ごしていた彼の住むアパートに封筒が送られてきたのだ。中には『双葉学園』と書かれたパンフレットがあり、表紙には描かれたレンガ造りの新めな校舎が青空をバックに立ち並び、その隣におそらくCG加工したとみられる、デフォルメされた巨大なホワイトタイガーが座っていた。フルカラーのそれは数ページに満たない内容だったが、『ラルヴァ』と呼ばれる異生物や『異能力者』、それらを扱う双葉学園の存在意義について細かな説明がなされたいた。まだ封筒を漁ると『仮』と大きな判子の押された学生証と、その裏に学生双葉学園への移動アクセスについて書かれたメモが挟まれていた。有無を言わせない一方的な通知に悠斗は一瞬怒りを覚えたが、同時に興味も持った。
「俺は早瀬速人《はやせ はやと》。言わずと知れた双葉学園醒徒会庶務の早瀬速人だ」
 まるで選挙カーで名前を売る公人のように連呼する。早瀬は名刺代わりに懐からちゃんとした生徒手帳を取りだして、悠斗に見せつけた。
「中等部? 自治会は学年ひっくるめた形なのか」
「そういうことになるな。下は小等部から上は大学部まで、そこから選ばれた指折りの力を持った生徒が要職におさまってるって感じだ。現に大学生も醒徒会にいるしな」
 全裸だが、とボソっと呟きが聞こえたのは何かの間違いだろう。
「立ち話もなんだ、いろいろと観光がてら行こうぜ」
 言って、踵をかえすと早瀬は悠斗の先を歩いていく。その向こうには高いアーチ型の屋根で覆われた、長い長いアーケード街がどこまでも続いている。

 人通りのまばらなアーケードを歩きながら、悠斗は気づいたことがある。研究者風の姿をした人間がよく視界に入ってくるのだ。早瀬に訊ねてみると、異能の種類に幅がありすぎて、その道に精通する専門家や研究者の数もまた、普通の研究機関以上に多くいるからだという。
「ラルヴァと異能力っていう特殊な研究対象のせいで、偏屈な学者もその比じゃないくらいいるんだけどな。夏でも長袖やらロングコートやらの格好で平然と歩いてるし、あれでなかなか根性あるぜ」
「マッドサイエンティストってやつか」
「まぁ大半は良くも悪くも変人ばっかりだなー。むしろまともなほうが少ない」
 二人の言葉に反応してか、すれ違った白衣姿の研究者たちが振りかえる。早瀬はそれに気づかず、悠斗は痛い視線を背中に感じならそそくさと早瀬に追いつく。
「なあ、学園の校舎ってまだまだ先なんだろ?」
 話題を変えようと、肩を並べながら、悠斗はさしあたりない会話を敢行する。
「なんだぁ、もう疲れたのか」悠斗の心配を知ってか知らずか、呆れ顔で早瀬が言う。「仕方ないな、もう少し歩けば喫茶店があるからそこに入ろう」
 履き物屋とスポーツ用品店を通りすぎ、陽射しを防いでいたアーチの屋根を抜け出る。角を曲がり、どことなく寂れた通りに入ったところにそれはあった。
 外観は前時代的なさっぱりした木造屋根で、壁は落ち着いた淡いクリーム色で塗られ、店の前の看板には『喫茶dimanche《ディマンシュ》』とある。店を囲む植え込みの上に立てかけられた小さい黒板には、今日のランチやオススメの珈琲が達筆な字で書かれている。
「馴染みの店なのか?」
 悠斗の問いに、早瀬は首を振った。
「うんにゃ、今日が初めてだ。学生のあいだでよく名前を訊いてたからちょっと気になってたんでな」
 扉を押して中に入る。
 カウンターの中では実直そうな初老のマスターが、黙々と珈琲を淹れていた。天井で回る3枚羽のシーリングファンから、ひんやりとした風が店の中に満ちている。外から見たときは判らなかったが、フローリング張りの店内は意外に奥行きがあって広い。
 早瀬は窓際に近いボックスシートに腰掛けた。悠斗もそれにならって反対側の席に座った。客は数えるほどしか見えない。スカート丈の長い黒いシックな制服の上に、白のエプロンをかけたウェイトレスが一人、奥のテーブルにアイスコーヒーを運んでいた。どうやらそこにも客が座ってるようだ。こっちに後頭部を向けている背の高い男から支配だの征服だのと不穏当な言葉が聞こえ、顔の見えるもう一人は童顔の少年で、真剣な顔でそれに頷いている。
「いらっしゃいませ」と静かな声でさっきのウェイトレスが水を運んできた。陶器のように白い肌、本来は長いであろう白金の髪を後ろにまとめて上に折り返している。伏し目がちなその姿は、店の雰囲気と相まって、じっとしていればアンティーク・ドールに見間違えてしまう。
「おい唐橋!」
「えっ、なんだ?」
「ぼさっと見てないで、注文決まったら早く言えよ」
 メニューを悠斗に渡しながら、首でしゃくってウェイトレスを指す。ウェイトレスは伝票で口元を隠し、細い目でくすりと笑った。悠斗は耳の裏が熱くなるのを感じた。

「ホットコーヒーとメロンクリームソーダですね。少々お待ちください」
 ウェイトレスが小さく頭を下げ、カウンターの中にいるマスターに声を掛けるのを見て、早瀬が悠斗に訊いた。
「この暑い日にホットなんてお前変わってるなぁ」
「暑いときに温かい飲み物を飲むほうが、意外と体にいいんだぞ。第一、このクソ暑い日に赤マフラー巻いてるやつに言われたくはない」
「んな、赤は正義に燃える情熱、パッション&ジャスティス! それにこれは俺のアイデンティティーなの!」 
「わかった、わかったごめん謝るから。だから顔近づけてツバ散らさないでくれ……」
 香り高いコーヒーと、清涼な泡をたてるメロンクリームソーダが運ばれてくる。熱いので少し冷ましてからのほうがいいですよ、とカップをこちらに置きながらウェイトレスが控えめに言う。彼女の胸元にあるネームプレートには、森村マキナと書かれている。留学生か何かだろうか、ふと悠斗は思った。
 いくつも枝分かれした異能力系統。異能者を束ねる学園の醒徒会や、その下に連なる種々さまざまな用途を持った委員会のこと。この学園特有のラルヴァとの遭遇率、危険性。有益性が多く列挙されていたパンフレットと違い、一学園の生徒としての早瀬の話を聞いていると、だんだんとこの学園の容貌が掴めてきた。
「醒徒会、ね。小中高大の全部の学年から選挙で決めたり、生徒たちでラルヴァを討伐させるとか、やっぱ珍しい組織構成をしてるよな」
「ふぉうか? 俺、小等部からいるからあんまり実感がねーんだよなあ」
 柄の長いスプーンでクリーム部分をすくって、頬張りながら早瀬が言う。
「それに普通、教育者側が自分の身は自分で守れ、なんて滅多に言う言葉じゃないだろ」
「危ないラルヴァほど探索の網に引っかかりやすいし、網をすり抜けたやつも戦闘特化の能力持った生徒がすぐ掃除してくれるから、多少の低級は野犬みたいなもんだ。それに、実地訓練も兼ねられてお得だろ」
「最先端を謳ってる学校の割にはなかなかワイルドな校風だな」
 そんなことを話していると、店の扉が内側に開いた。小学生くらいの女の子が、ぱたぱた床を鳴らしながらカウンターに走り寄る。よいしょと丸椅子に登り、「いつものおねがい」と昔から通いつめている馴染みの客のような言い方とは対照的に、まだあどけないその外見と声の調子とがちぐはぐでおかしかった。
 電話が鳴った。
 早瀬は片手で悠斗に謝る仕草をみせ、ポケットから取り出して折たたみ式の携帯を開いた。
「はいはい何か御用で?」
 気だるそうに受け答えする。
「いま? 転入生と一緒に喫茶店で一服中だけど」
「勝手に決めるなよ。まだ転入するなんて一言も――」
 悠斗が意見して噛み付こうとしたとき、急に早瀬が座席から立ち上がった。
「ちょっと待った。暇だったらって俺は予防線張ってたよね? なにそれがいつのまにか俺が了承してることになってんだ!」
 どうやら電話の相手と口論しているらしい。
「嘘つきって、ガキかてめーは! それにあの猫野郎、飯の時だけ無駄に巨大化しやがって。ていうかアレ虎じゃん! 銀座の猫缶なんか食わなくてもそこらの肉食えばいいじゃん! え? 風呂? そりゃもちろん毎日清潔爽快の早瀬速人さんですよ……も、もしもーし会長? 藤神門サン? どうして黙ったままな、あれ……今なんか猫科の可愛らしい鳴き声とともに窓ガラス突き破る音が聞こえたんですけど。ああ、紫穏。会長は?」
 電話の相手が代わったようだ。落ち着きを取り戻した早瀬が何度も頷いている。だが、それがいつのまにかガクガクと震え始めているのに悠斗は気づいた。何事か、顔もひくついている。電話を終えた早瀬はテーブルにガクッとうなだれた。
「大げさなヤツだな。大丈夫か?」
「……唐橋。悪いけど、これから先は学園には一人で行ってくれ」影の落ちた早瀬の顔は見えない。「急用ができた」
 まだ熱いコーヒーをちびちび飲みながら悠斗は言った。「よく分からないが深刻そうなのは伝わった」
 はは、と早瀬はこれから死地に向かう老兵のような渋い顔で呟く。
「この学園にはラルヴァより恐ろしいヤツがいる」早瀬はゆらりと立ち上がる。「唐橋、俺は……俺は……っ」
 メロンソーダをひったくるようにして、早瀬はグラスを一気にあおった。勢いよく傾けたせいで口周りに少し零れてしまっている。それを拳で荒々しく拭う。
「俺はパシリじゃねえぞちくしょおおおぉぉ!!」
 オオォォォ、とドップラー効果を残しながら早瀬は走り去って行った。扉が開いた時には、すでにその姿はどこにもない。
「――ん」
 注文に待ちくたびれてカウンターに伏せっていた女の子が顔をあげると、何かに気づいて目をぱちぱちさせている。
「マキナ、お店の外のボード、下げたほうがいいよ。雨、ふるから」
 視線は窓の外を見つめたまま、レジに立っていたウェイトレスに言う。ウェイトレスは戸惑って初老のマスターを伺うと、マスターは黙って頷いた。ウェイトレスが黒板を小脇に抱えて店内に戻ってくるのと、雨が降り出したのは同時だった。溢れていたバケツが引っくりかえったかのように、みるみるうちにアスファルトの色が染まっていくのが見えた。アスファルトを打つ雨音が店内に響くくらい激しくなり、煙るような雨が間断なく降りそそいでいる。
 不意に、悠斗はさっきまで向かいに座っていた不憫な少年の声を聞いた。雨の間を縫うように駆け抜けたそれが雨に降られた悲鳴なのか、ラルヴァより恐ろしいヤツへの断末魔だったのか。
 悠斗は後者に彼のメロンソーダの代金を賭けた。


―了―



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