【女教師の、ちょっと長い一日】





  女教師の、ちょっと長い一日






 そのぜろ、寝起き



 七月七日、午前九時。先日梅雨明けした空はピーカン照りである。
 双葉学園からやや離れた教員寮……民間のマンションを借り上げているそこで、彼女はまだ熟睡している。普段は三つ編みにしている髪を解き、年に似合わぬピンク柄の可愛いパジャマを着て。
 様々な機能が詰まった、現代科学の結晶である教員証が、アラームを鳴らす。今日は日曜日であり、用事がない限りは出勤しなくても良い……が、彼女には用事があり、別件もある。
 ベッドからもそもそと手を出して、アラームを止める。少し身じろぎしてからむくりと起き上がるが、その顔にはまだ眠気が張り付いている。
「……なにか、たべるものあったっけ……」
 寝ぼけた頭をフル回転させるも、特に何も無かった気がする。まずい。
 ……双葉学園教員、春奈《はるな》・C《クラウディア》・クラウディウスの七夕は、こうして始まった。



 そのいち、ごぜんちゅう



 結局、何も食べるものが無いまま家を出て、学園行きのバスへ向かう。時間はギリギリセーフ、他の乗客が電子マネーを当てるセンサーに教員証をかざし、バスの中へ駆け込む。
 双葉区一定区間内の公共交通機関使い放題、教員の特権の一つだ。
 周りを見回しても、人はあまり居ない。朝と昼の中間という半端な時間のためか、その二つの込み合う時間の、ちょうど真ん中に収まったのだろう。
 椅子に座ったとき、右足にチクリとした痛みが走る。先日発生した『泉の騎士』事件時の負傷がまだ痛む。
(生徒を護っての負傷、だったらカッコつくんだけどねぇ……)
 実際のところ、生徒に怪我をさせてしまった上、自分の能力の反動でついた傷だ。笑いたくても笑えない。なお、怪我をした生徒はもう治っている。これは単に体力の違いだ。
 窓の外では、太陽が激しく自己主張している。昨夜の天気予報では曇りだったと思うが、織姫と彦星を逢わせるために、誰かが頑張ったのだろう。
 ほどなく、バスは島の中心部、双葉学園へ向かう幹線道路に乗る。あと10分ほどで、学園前バス停だ。


 学園内は、やることが無いのか、七夕の短冊を仕掛けるためだけに来ているのか、部活や補習の生徒以外にもけっこうな数の生徒が学園に来ているようだ。
「醒徒会、頑張ってるね~」
 職員室に行く道すがら、あちこちの校庭だとか演習場を覗く。学園のあちこちに笹が立っており、気の早い物にはいくつも短冊が飾り付けられている。
「これは……未見くんかな、彼らしいっちゃ彼らしいね」
 全ての短冊に名前が書いてある訳ではないが、誰が書いたか一目で分かるようなものもいくつかある。
「さーさーのーはーさーらさらー、のーきーばーにーゆーれーるー」
 短冊をあちこち覗いている背後で、鼻歌らしき声が聞こえる。
「やーねーまーでーとーんーでー、こーわーれーてーきーえーたー」
「いや、途中から別の歌だから! 節がちょっと似てるだけだからね!?……あ、スピンドルくん」
「突っ込みはまあまあってとこやな。春奈ちゃん、おひさしゅー」
 背後を振り向くと、妙な格好の男子(?)が立っている。
 目が隠れるほど下ろしてニット帽を被り、ファッションなのか、妙な円盤を沢山ぶら下げたジャケットを着ている。この季節には凄く暑そうだと思う。今は自転車に乗らず、手で押している。あだ名はスピンドルくんと言うらしいが、本名は聞きそびれたせいで、聞いていない。
「この前も言おうと思ったけど、高等部の私服登校は原則アウトだからね」
「何や、この前も今日も休日やさかい、堪忍してや。春奈ちゃんも七夕イベントに来たん?」
「あたしはお仕事その他。スピンドルくんはもう短冊に何か書いたの?」
「それやけど。いざ書けーいうと、なかなか浮かばないもんやな」
「まーね。それじゃ、あたしは行くねー」
「ほな、またな~」
 適当に雑談だけして、春奈は職員室へ向かう。

「……あれが、監視対象『金剛《ダイアモンド》の皇女《プリンセス》』とは思えんな、何考えとんのやろ……魂源力《アツィルト》がアホみたいに多いぐらいしか分からへん」
 一人になったスピンドルがぼやく。一部の強力な異能者の動きを監視し、必要があれば排除する。『死の巫女』のような特例を除くと、対能力者はこういう事例が多い。
 彼の目は、短冊の一つを凝視し……それが高速回転した末、ねじりすぎた糸がぷっつりと切れる。
「さーて、お仕事お仕事。俺等には祝日も何もあったもんやない」
 ゆらゆらと落ちてきた短冊を握り、聖痕《スティグマ》の工作員、コードネーム『回転《スピニング》する黄金軸《スピンドル》』は、誰も知らない自分の任務に移る。


 一方の彼女が残していた仕事とは、『泉の騎士』事件の報告書である。
 今月頭に発生した事件なのに、実務的な作業や期末試験の問題作成に追われており、今まで着手できなかったのだ。それを考慮してか提出期限は少し延長されている。つまり、それから遅れたら酷いことになる。
 別に隠蔽したい所は無いので、粛々と書き進める。大まかな事件概要は記し終わったが、一点だけ空白の箇所がある。
 出現したラルヴァの種別。既存の種ならばその登録名、確認できていない種なら、その特徴。彼女の記憶では見たことが無いラルヴァだが、世界的にはどうか不明だ。
「……そうだ、もう解析終わってるかな」
 ラルヴァ自体は姿を消してしまったが、生徒の一人が弾き飛ばし、ひしゃげた兜がその場に残っていた。現在、研究棟にいる研究者達が解析を行っているはずだ。
「ネタも無いし、行ってみるかな」
 日曜にまで研究室に居るかなと疑問に思う。まあ、その時はその時で『目下遺留品を、研究班による解析中』とでも書いておけばいいかと考えながら席を立った。
「……その前に、おなかすいた……」
 予定変更、研究棟に顔を出すのは午後にして、腹ごしらえをしてこよう。学食もやってるだろうが、今日はちょっと気分ではない。朝を抜いたせいでとにかくお腹がすいた。


「やっほー、勤労ご苦労さま」
「いらっしゃーい」
 学園の周りを流している屋台に顔を出す、本来は中華料理屋だったのだが、ラルヴァのせいで(厳密には違うけど)入っているビルごと破壊され、現在は屋台営業中だ。
「せんせーさんじゃないっすか、休日に来るとはめずらしいっすね。こら、ちゃんと肉たっぷり入れるっすよー、せんせーさん成長期なんすから」
「んじゃ、ハネ盛りで」
「ハネ満盛り入りまーす。その年で成長期はないと思うぞ!」
 厨房でフル回転してる青年は拍手敬《かしわでたかし》、うちの高等部2年で、苦学生らしくバイトで寮費を払っているらしい。それに茶々を入れた少女は神楽二礼《かぐらにれい》、彼女が担任である1-Bの生徒であり、教え子にあたる。
「けどせんせーさんは肉がなさ過ぎだし、もうちょっと食べたほうがいいと思うっす」
「食べれたらね……週に一度のここがボーナスゲームだよ」
 しかも今月は、週に一度が月に一度ぐらいになってしまいそうだ。仕送りでほとんどが吹っ飛ぶ。
「ハネ満盛りお待たせしましたー、いつも思うんだが、女性でコレは一苦労だと思いますよ俺は」
 敬が自分でチャーハンを持ってくる。給使がみな辞めてしまったせいで、現在バイトは彼だけだそうだ。
 この屋台は、主に体育会系学生に好んで利用される。値段が安く、味はそこそこ、そして量がとんでもない。
 例えばこのチャーハン、ハネ満盛りはプラス二段階だが、その加算法はプラス何グラムとかそんな生易しいものではない。
 満貫盛りで通常の二倍、ハネ満盛りで三倍、さらに上の倍満盛りは四倍にもなる。その上に三倍満、もしくは役満盛りがあるかどうか、彼女は注文したことが無いので知らない。
「そーいや拍手くん、休日のこんな時間にバイトしてるなんて珍しいね」
「醒徒会が何かやるってんで、かきいれ時ですからね」
 チャーハンに喰らいつきながらの質問。多分臨時で出ることになったのだろう。道理で、周りには平日以上に客がワンサカと居るわけだ。彼女も学校に来てるんだから似たようなものだけど。
「あんま平日の授業サボッちゃ駄目っすよ」
「神楽さんも、風紀委員見習いの仕事と称してサボらないように」
 この勝負は痛みわけ、敬と二礼が両方とも苦い顔をする。視聴者のみんなはちゃんと授業は出るようにね。
「……それは置いといて、二人は何か短冊に書いたの?」
「……もう笹は見たくない……」
 恐ろしく渋い顔を見せる敬をよそに、二礼がのんきに答える。
「私は書いたっすよ、『素敵なお婿さんが見つかるように』って」

 二礼の言葉に、チャーハンを食べ終わった春奈はレンゲを取り落とし、敬も全身を硬直させる。

「神楽さんが、そんなに乙女チックな事を短冊に願うなんて……」
「あの外道が、そんな普通な夢を語るなんて……」
「ちょ、二人とも私の入学目的忘れてない!? ねえ、それともワザと!?」
「いや、あたし聞いたことないから……そっか、お婿さん探しかぁ……いいよね、夢があって」
「えぇー!?」
 思いっきり動転しているのか、二礼の口調が完全に素に戻っている。むろん二人とも演技だ。敬が二礼に見えないようガッツポーズしている。してやったりといった様子だ。
「……うん、覚えておくね。ごちそーさまー、勘定おいとくね」
「ありがとーございましたー」
「ねえ、私スルー!?」
 結局いつものキャラに戻らなかった二礼を置いて店を出る。まずは研究棟に行かないと。



 そのに、ごご



「審議中?」
 研究棟の一室、語来研究室で春奈が妙な声をあげる。
「ああ、審議中というよりも判別不能、と言ったほうが適切だ」
「兜は方々に手を回したけど、中世に作られた本物の鎧であること以外は不明。それにあなたの話じゃ、はっきりしない事が多すぎるわ」
 それに答えたのは、研究室の主である語来灰児《かたらいはいじ》先生、及び彼に用があったらしい、難波那美《なんばなみ》先生。共にこの島の、ラルヴァ研究者である。
「まずはカテゴリー、人型をとっているからデミヒューマンと判断したかもしれないが、それはあくまで鎧の形だ。あの醒徒会書記が攻撃した際、兜だけ残して『消滅』したのだろう? それを考えると、鎧に憑依したエレメントの可能性も考えられる。」
「緊急避難のために転移《テレポート》したのなら、デミヒューマンでもいい……それどころか、鎧を着れるビーストって可能性もあるわ。」
 なお、中心に人間が居なかったこと、勝手に消えていったことから『グリム』でないのは確定らしい。
「強さは……鎧が本体なら重火器があれば問題ないだろうが、事件当時は通信機器を使用不能にする霧が発生していた。それを考慮すると、中から上級と位置づけるべきだろう」
「根源力を持った攻撃を三つまとめて受け止めたって言っているし、これは上級でしょうね」
 学者二名の話を、春奈は興味深そうに聞いている。
「次に知性、これは生徒の言葉に適切な反応を返したことから、AもしくばSだろう」
「言葉によるコミュニケーションはとれたことだし、Sで構わないでしょ……危険度は不明、何か目的はあるようだけど、それが分からないことにはね」
「二人とも、ありがとうございます……早く報告書書かないと」
「まだ書いていなかったの……?」
「クラス持ちの教師は、色々忙しいの」
 ノートの端に先ほどまでの情報をメモしていると、語来先生が横から声をかけてくる
「……クラウディウス先生、一つよろしいですか?」
「春奈でいいですよ、ハイジ先生」
「そうですか、ではクララ先生」
 横で那美が噴出す。アルプスの少女か。
「その騎士甲冑は、自身を『ランスロット』と名乗り、『グレイル』を取り戻す、と言っていたのですね?」
「むう、してやられた……はい、円卓の騎士を名乗り、聖杯を欲する……不思議ですよね」
「そこだけど、『グレイル』を聖杯と訳すのは、意味が違うって説があるわ」
「あくまで『グレイル』というのはアーサー王伝説及び周辺の伝記に出てくるアイテム名に過ぎず、杯《さかずき》だったという記述はない」
「……えーと、つまり?」
「奴らが狙っているものが、昔の映画に出てきたようなボロい杯と決め打ちしてると、痛い目見るって事よ」
「なるほど……ありがとうございます」

 ノートを閉じて出て行った春奈と、用事が済んで帰宅する那美を横目で見ながら、灰児は軽くため息をつく。
「センセ、出店行きましょうよー。金魚すくいだったら三分で百匹ぐらいとれるんですよー。もちろん一つのポイで」
「知っているか? あれは、人によって渡す紙の厚さが違う」

 一方の那美は、外で待機していたメイド服の少女と共に学園構内を歩いている。駐車場までは微妙に距離があるのだ。
「一つ、よろしいですか?」
「なに。ミナ」
 メイド服の少女は、あちこちに吊るされている短冊を見ている
「なんであんなものに、願い事を書いているのでしょう」
「……それは、語来先生に聞いたほうが早いわね」


 研究棟から出ると、空の端っこが赤みを帯びている。
「もうこんな時間かぁ……長居しすぎたな、早いところ書き終わらないと」
 早足で職員室に戻る最中、ちらちらと耳にした噂がある。
『今年の織姫と彦星は、会長と醒徒会メンバーが引き合わせたらしい』
 あまりに突拍子が無く噴出してしまいそうな内容だが、少しだけ見えたステージ上で会長が楽しそうに笑っているのを見ると、まんざら嘘でもなさそうな気がするから不思議だ。
(短冊に願いを書く前に、自分のお仕事終わらせないとねー)


 だが、その仕事が終わる頃には、すっかり夜が更けてしまった。
「……しまった、時間かけすぎた」
 明日は普通に授業があるからか、既に学園に残っている人影はまばらだ。自分も帰らなければいけない。報告書だけ提出できる状態にして、職員室から出ようとして……ふいに、空になった席が目に付く。
 主が居なくなった、吾妻先生の机。
 上級ラルヴァと相打ちになったという公式発表だが、それはダミーだ。異能力の指導教員レベルのアクセス権があれば一次データにアクセスでき、それでなくても生徒の間では噂になっている。
 吾妻修三は、ラルヴァを討つ力を強化するために、教え子をその手にかけた。そして、異能に目覚めた一般生徒に討たれた。
(ラルヴァが憎いのは分かる……けど、教師としてそれは論外ですよ、吾妻先生)
 その机を撫でると、もわっ、とした埃が舞う。先生が居なくなってから、誰も掃除をしなかったのだろう。軽く咳き込み、目に入ろうとした埃を払うために、目元をこする。

 時坂祥吾は、職員室の前に立っていた。
(来てみたけど、こんな時間に居るか?)
 手には、提出期限をやや過ぎたプリントが一枚。ここしばらく事件に巻き込まれっぱなしだった為配慮するとは言われていたが、それにしても少し遅れすぎた。
(ええい、ままよ!)
「しつれい、しま――」
 断りを入れながら職員室の扉を開けたとき、彼は見てしまった。

 時坂祥吾は、間が悪い。

 吾妻先生の机の前で、涙を拭っている少女……いや、あれは女性、たしか1-B担任のクラウディウス先生……が、見えた。
 自分がやったのだ、他の人に何と言われようが、悲しませた人……彼女が、自分のせいと知っているか、いないかに関わらず……が居る。それだけは、なかなか割り切れない。
 気まずくなった彼は、扉をゆっくり閉める。

「こりゃ、掃除しないとダメだね……」
 目元をこすりながらそう呟く。遺品の整理こそ終わっているものの、いつ、この席に他の誰かが来るか分かったものではない。
 直後、扉が開く音が聞こえ、すぐに閉まる音にかわる。そちらに目をやると、男子生徒……記憶が正しければ、吾妻先生を討った生徒、時坂祥吾……の姿が、ちらっと見えた。
「――!! ちょーっとまったー!!」

 どちらにしても、時坂祥吾は、間が悪い



 そのさん、よる



「つ、疲れた……」
 彼になんとか説明をして、ついでに自分の意見を聞かせるのにだいぶ時間がかかってしまった。理解してくれたかは分からないが。
 思考を切り替え、とりあえず今日の夕飯を考えることにする。
(冷蔵庫の中身、何かあったっけ……そうだ、何も無かったんだ。今から出れば、ちょうど深夜の売り切りセールの時間かな?)
 などと、考えは生活的なものに移っている。

 いつもどおりバスに乗り、家路に着く。途中でスーパーに寄ろうと、いつもとは違う道を進む。
「今日は何にしようかなぁ……」
 などと呟いていた瞬間、目の端を一つの影が横切った。一瞬だったため、こちらは動きを止めることも出来ない。
「のわっ! ……ちょっと、あなた!?」
 横切ったのが小さい……だいたい小学生ぐらいの人影と認識したのか、ついつい声を掛けてしまう。不良学生だったらと思うと放っておけない。
「……なによ? 急いでるんだけど」
 呼び止められた少女が、じろりとこちらを睨む。宵闇の中、まるで猫のように光る両目、肩には一匹の猫。こちらは灰色のキジ猫で、やや足元がおぼつかない……まるで、しばらく動いていなかったため体力が無いかのよう。
 だが、猫の方には目が行かず、少女の方の目に、目がとらわれてしまった。
「……立浪、さん……?」
 もういなくなってしまった、少女の名前が口をつく。


 立浪みき。
 下の漢字は忘れてしまったが(平仮名だったかもしれない)、その名前自身は忘れるはずが無い。
 三年前、春奈が始めてクラスを受け持ったときの生徒であり……護れなかった生徒。

 彼女は、クラスの中でも引っ込み思案で、一見大人しい子だった。ただ、他の子とも壁を作らずに打ち解ける子で、学力もそこそこ、問題も起こさないという、いわゆる「手のかからない生徒」だった。
 ただ、言わなければいけない事ははっきりと口にする、意志の強い所があって……それで、まだ担任経験がなかったあたしは、けっこう悩んだ……また、学園内でもザラには居ないほどの、強力な異能力を持っていた。
 基本的には強化系能力であり、猫のような身のこなしと、鋭い爪を使った格闘戦が彼女のスタイルだった。性格とはまったく合わないが、本気の時に生えてくる耳と尻尾は似合っていた。
 それだけならまだいい。問題は、能力をフルに使用する際に出現する『獲物』である。手元に、敵を叩いたり締め上げたりできる、伸縮自在の青い鞭が出現するのだ。自身の体から伸ばしていると考えても、『異能力は一人につき一種のみ』という原則からギリギリセーフ、もし他の手段で具現化させているなら完全にアウトである。
 そんな能力に目をつけた超科学分野の研究者が、姉であるみかと共に、能力解析の研究へ参加依頼をし、二人はそれに協力していた……実態は、そうとう過酷な戦闘訓練のような物だったらしい。
 消耗し続ける彼女を見かねて意見しようとした事もあったが、当の彼女に突っぱねられてしまった。

「私たちが、もっとちゃんとこの力を使えれば、もっとたくさんの人を助けられます。そのお手伝いをしてもらっているんですから、これぐらいで根をあげちゃいけません」
 その直後、あたしに辞令が下った。英国の異能者育成施設での演習参加と、北欧某国に現れたという新種ラルヴァの殲滅作戦参加。期間は一週間、その間学園を離れる事になり……その間に、全てが終わってしまった。

 学園に戻ってきたあたしが聞いたのは、あたしが居ない間に『無差別に人を襲う、強力で危険なラルヴァ』が出現したこと、立浪みか、みきの両名が対処にあたり、みかは死亡、みきは生死不明のまま姿を消したということ、それだけだった。
 あたしは、学部長にそのラルヴァの戦闘データ提示を要求した。彼女達の戦闘能力を考えれば緊急時に出るのは当たり前であり、そっちから突っ込んでも、何もでないだろうと考えたからだ。
 『今後、類似ラルヴァが出現した際に必要』といくら強硬に依頼しても、答えはノー。機密事項の一点張りだった……今思えば、彼は超科学派、ラルヴァ殲滅派の人物だった。
 業を煮やしたあたしは、あちこちのツテを頼って超科学関係の機密データを片っ端から漁り、姉妹のこと、戦っていたラルヴァのことを調べようとした……そこで見つかったのが、与田技研からの出向職員から出てきた、機密レベルが高い報告文章だ。セキュリティがザルな情報端末に入れてあったお陰で閲覧が出来た。

『被検体両名の遺伝子から、ラルヴァの物と思わしき因子を検出。過剰な戦闘能力を鑑みて、必要な処置を行う必要あり』

 この文章を見たとき、全部を理解した。
 本当にラルヴァが出たのかどうかは分からない。学部長が絡むのなら、もっと上のセキュリティにある情報だろう。
 だが、あの二人をを殺したのは、学部長と与田技研の人間だ。それが強力すぎるラルヴァにぶつけられた為の殉死か、実験のついでの抹殺かは分からないが、些細な違いだ。
 わざわざ行方不明扱いにしているみきについては、もっと卑劣なことをされている可能性が捨てきれない。あまり考えたくはない事だが。
 知ったことはあくまで隠し『戦闘データを提示しないことに苛立っている』ふりを続けた。内心で、教え子を護れなかった悔しさを抱えて……その時居たとして、何もできなかったかもしれないが。


 その護れなかった教え子と同じ、猫の瞳を持った少女が、目の前に立っている。
「……あんた、なんで私の名前しってるの?」
 唖然としている少女……名前まで、同じ?
「……もしかして、立浪、みきさんの……」
「お姉ちゃんのこと知ってるの!? ……学園じゃ有名人だって聞いてたけど」
 ……あの子に妹がいた、しかも今、目の前に。
「……あたしは、学園の教師です。何があったか、教えてくれる?」
 はやる気持ちを抑えて、問い詰める。
「……マサ……えっと、遠藤雅《えんどうまさ》が、与田に酷いことされてて、それを使って与田が悪いこと考えてるから、助けて、ってこの子が教えてくれて……」
 今ひとつ要領を得ないが、だいたいは把握できた。遠藤雅というのは、学園の一部で話題になっている『完璧な治癒能力』を持つ学生だ。大学部に今年編入されたと聞いている。けれど、与田……?
「与田って、与田光一《よだこういち》ですか!? 大学部一年の!!」
「え、えっと、うん。多分……マサと同い年って言ってたから」
 与田光一、与田技研創設者の息子であり、同じく大学部一年。授業で二、三度顔を見ただけなので人となりは知らないが、彼の異能については聞いたことがある。
『異能者、ラルヴァのコピーを作成する』
 ……また、与田の人間か。
「学生証、出して。与田の研究室はいくつもあるけど、彼の自宅になってるのは、確か第6プラント……」
 自分の教員証から、彼女の取り出した初等部学生証に、そこまでの最短経路を算出した三次元マップを送信する。接続した端末に表示された学生名は
 ”Miku Tatsunami”
 ……本当に、彼女の妹なんだ。
「あたしも、他の人を連れて必ず行きます。だからそれまで、絶対、無理しちゃダメ。わかりましたか?」
「う、うん!!」
 データを送信し終わると、彼女……みくは、飛び跳ねるように経路を伝って走っていく。その姿は、大きさを除けば猫そのものだ。もしかしたらマップも、彼女の感覚があれば不要だったかもしれない。
 ……行かせて、よかったの?
 その疑問を頭から振り払い、次にとるべき行動を考える。教員証を操作し、学園風紀委員会へのホットラインへ接続する。
「もしもし、委員長へ……え、もう出てる? 場所は……了解、醒徒会及び関係者へは、あたしから連絡します」
 この件は、既に風紀委員長が動いているという……戦闘力という面で、彼女は申し分ないだろう。だが、打てる手は全て打っておく。次に連絡するのは、教え子の加賀杜紫穏。醒徒会の直通はいつ繋がるか分かったものじゃない。
「もしもし、加賀杜さん?……そう、イベントがあるのに悪いけど、緊急……うん、遠藤雅くんが、危ない……醒徒会で動ける?……ありがと。詳しくは学生証にデータ送るから、そっちはお願い。事態が事態だから、あたしから教職員に連絡しておく……お願い」
 次は、教職員の窓口に連絡……する前に、別の携帯端末を取り出し、一仕事。その後、正式に教員側の窓口に連絡する。

 春奈が着いたときには、既に全てが終わっていた。
 既に与田光一は連行され、遠藤雅は保護され……彼女、立浪みくは、姿を消していた。結局その夜は現場の指揮、及び各所への対応等で眠ることが出来なかった。家に戻っても、シャワーを浴び、着替えるぐらいしかできなかった。





 そのよん、あさ



 緊急教員会議の議題は、昨夜起こった事件への対応、及び生徒への通達方針である。
 事件の概要は、以下の通り。
 大学部一年、与田光一が、自身の作成したロボットを使用して同一年、遠藤雅を拉致、その異能を、自身の異能で再現しようとするが醒徒会及び学園関係者により阻止。与田光一は一時学園で身柄拘束、遠藤雅も保護され、本日は特休扱いで自宅に帰された。なお与田光一には、学園の異能者及びラルヴァのコピーロボットを作成し、大規模な利益をあげようという計画があった事、その為に自作のロボットを使用して学園関係者を襲撃、データ採取を行っていた事などが、被害者である遠藤雅への事情聴取で判明している。
 これだけなら(そう、『これだけ』なら!)、稀に発生する事件として、醒徒会及び風紀委員に一任出来たかもしれない。問題は、加害者の生まれである。
 与田光一は、老舗ロボット開発企業である与田技研……学園に対ラルヴァ戦訓練用ロボットを卸している、いわゆるお得意先……創設者の息子である。そのため、風紀委員のみでは収拾がつかず、教員が動くこととなった……というのが、概要だ。
 本来双葉学園生徒の規律は、醒徒会及び風紀委員に一任している。これは、生徒の自主性を重んじるという建前がある一方、一般の大人たちでは異能者が起こす事件に対応出来ない、という現実的な理由がある。マンモス校というレベルをも超越した双葉学園において、教員の数はあまり足りていない。異能力教育を行っているにしても、教員の中で治安維持が出来るレベルの異能者は少なく、また重要な役職に就いている者の割合が大きい。
 その代わり、彼らが判断できない問題。今回のように被害者、加害者が特別な位置に居たり、一般社会(いわゆる『表の世界』)に大きな影響を与えかねない事件に関しては、表との接点がある彼ら教師陣が全力で対処にあたる。
 子供が対処できないことを代わりに行う、保護者的立場。それが、双葉学園における一般教師の役割である。
 与田技研は、表でも高いロボット技術を持つ企業としてそこそこ名前が売れており、それなりの対応が求められる。今日の会議で出席者は、主に受け持ちの生徒への対応方法を論じた。
 会議の内容を頭に入れながら、報告を終えて着席した春奈は別のことを考えていた。

(今ごろ、もみ消しに必死かな)

 学部長は、この大事な職員会議に出席していない。彼女が教職員用ネットワークにばら撒いた情報……昔、機密を漁った際にボロボロと出てきた、学部長と与田技研の癒着についての資料をどうにかしようと必死なのだろう。研究者というのは、研究成果が盗まれないように気を配るくせに、こういうところで杜撰だ。超科学以外の分野や、超科学でも与田技研に関係していない先生方の反発は必至だろう。それなりに気合を入れてもみ消してくるはずだ。
 だが、もはやどうにも出来ない。表にも形を変えて(双葉学園ではなく、政府の某機関が相手として)流しており、与田光一の不祥事と組み合わされば、会社が傾きかねない……だがこれは、単なる私怨晴らしに過ぎない。
 続いて議題にあがった、行方不明の初等部学生の捜索については、積極的に立ち回り、捜索班を編成する際の中心人物となれるよう取り付けた……が、彼女が本気で見つからないことを望むなら、多分見つからないだろう。それでも、やってみる価値はある。
 ……彼女には、色んなことを謝らないといけない。

 眠っていないせいか、外に居ると太陽が物凄い勢いで襲い掛かってくるように感じる。
 幸い、午前中の受け持ち授業は無い。ホームルームが終わったら、宿直室を借りて仮眠をとるのもいいかもしれない。ふらふらしながら高等部棟へ向かう。
 あちこちに、短冊が掛けられた笹が立っている。もう世間では八日になっているが、まったく眠っていない頭では、まだ七日の感覚だ。
 ……何か、願いをかけようか。一日ぐらいの遅刻は、許してくれるだろうか。
「……ううん、やめとこ」
 今考えてる願いは、自分で達成しなきゃいけない。

 強くなりたい。能力的な意味だけではなく、地位的な意味でも、気持ち的な意味でも。
 せめて、自分の手が届く範囲は、護れるようになりたい。
 子供っぽい願いだと思うけど、そうでなきゃ教師になった意味が無い。
 夏になりつつあることを実感できる日差しの中、おぼつかない足取りで歩を進める。
(……まずは、ホームルームでしっかりした姿を見せなきゃ……)
 と、差し迫った危機を頭に入れながら。






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最終更新:2009年11月07日 02:59
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