【健康ランドにご用心】

 難波 那美は急いでいた。
 その瞳には炎がともり、その歩みには意志の強さがありありと浮かんでいる。
 この機会を逃せば次は一ヵ月後になるという事実が彼女をそうさせている。
 この戦に負けるわけにはいかない、人として、女として、彼女の誇りがそうさせるのだ。





 小松 ゆうなは急がされていた。
 彼女の憧れである六谷 純子に、仕事終わりにいいところにつれてってやると言われたのをこれ幸いとついて来たのだが。
 どうにも純子の様子がおかしい、目は獲物を探す虎のように飢え、歩く姿はまさに猛獣。
 何が先輩をそうまでさせるのか?それすら分からないままにたどり着いたその先。





 語来 灰児は急ぎたくなかった。
 あの時の自分の発言を今でも悔やんでいる。
 何故自分はああも簡単に仕事を手伝ったらどこか近場に連れて行ってやるなどと言ってしまったのか。
 確かに仕事自体は本当に早く終わったものの、さぁ車を出してください今すぐにさぁ行きましょうさぁさぁさぁと急かされて。





 早瀬 速人は急がざるをえなかった。
 彼の特性「加速」を生かした最高の仕事、それはパシリである。
 彼はそれを望んでいないものの、周りが彼にそう望む。
 泣き、怒り、叫びながら、紅いマフラーを翻し、風よりも早く駆け抜ける。




 彼女達は今、双葉学園都市中央区に燦然と輝きながら聳え立つ、健康ランドの前にいた。




 学園都市健康ランド「双葉の湯」にはとある特別なコースがある。
 魂源力を扱える珍しいマッサージ師が月に一度、お一人様限定で施す特殊なマッサージ。
 滋養強壮、美肌効果、デトックス、痩身効果、風の噂では若返りまで。
 とにかく体にいいことこの上なしのこのマッサージを巡り、今まで数多くの血と涙が流されてきた。
 そして今宵も戦が始まろうとしている。




 この健康ランドの券売機は4つあり、そのうちの1つが食事用、もう1つが入浴代金や散髪所用の券売機、最後の1つがシャンプーやバスタオルなどの入浴用品販売用。
 そして最後の1つ、なぜかこれだけ離れた位置に設置されたこの券売機にはたった一つのボタンだけが設置されている。
 これこそが彼女達の目的の地「特別マッサージ券」発売専用券売機である。
 学園都市の英知を結集し、核弾頭の直撃にも耐えうるとのお墨付きの特別製のそのボディからは、幾多の女性たちの血と涙を吸ったかのように鈍く輝いている。
 明らかに場違いなその券売機の前に並んだ更に場違いな4人の人々。
 全員が誰の目にも明らかな程に殺気や執念、人間が出来うる限りの闘争本能をその体から発揮させている……訳ではなく。
 まるで戦場を潜り抜けてきたかのような目をしている2人の女性に挟まれた速人はなんだか泣きたい気分になってきている。
 ゆうなは健康ランドに入ると同時に巻き込まれたくなければここにいろと休憩スペースに置いてけぼりをくらい、何が起こるのかと不安げな面持ちである。
 灰児に至っては触らぬ神に祟り無し、と完全に傍観者に回ることを決め込んだ。
 リリエラだけはいつもの調子でオーラの渦中にたたずんでいるが、彼女からも若干ながらの殺気に近いオーラは漂っている。




 それぞれ目的はただひとつ、特別マッサージ券 税込価格五千円である。
 既に戦の気配を感じ取った出来る店員は店内放送にてプランBの発動を要請している。
 ちなみにこのプランB、簡単に言えば総員退避である。
 戦はここから始まっている、券の発売は決まって午後八時から、買えるのは一人だけ、券売機に入るお金は五千円札一枚のみ。
 ピンと張った樋口一葉を携え、臨戦態勢で構えるのは三人。
 事前情報もなく、とにかく券を確保せよとだけ言われて追い出された速人の今の手持ちは二千八百十五円。
 時刻は現在午後七時五十七分三十秒。
 地獄の門が開く時はすぐそこまで迫っていた。




 蛇蝎 兇次郎は浮かれていた。
 口笛でも吹きながらスキップでもしたい心境である。
 彼とて人の子、楽しみにしているものがあればうきうきと気持ちも高まるのは仕方が無い。
 彼が月に一度の贅沢として自分に許している健康ランド通い、今日がその日であった。
 畏委員会の親睦も兼ね、三人一緒に行くことになったのは意外ではあったが、喜びを仲間で分かち合うのも悪くは無い。
 笑乃坂 導花が妙に殺気立っているのに気づかなかったのを、彼はこの後に後悔することになる。




 時坂 祥吾は間が悪かった。
 彼の家の風呂釜が壊れ、配管工を呼んでみたはいいものの、結局修理しても使えるのはは明日になる。
 大きいお風呂!とても楽しみです!とわいわい準備する妹とメフィストフェレスを見ては文句も言えず。
 仕方なくバスに乗って30分ほど、最寄のバス停から歩いて10分。




 彼らは今、双葉学園都市中央区に黒煙を上げながら鳴動する、この世の地獄の前にいた。




「ここは地獄か?」
 兇次郎の感想はその一言に尽きる。
 何が起きたらこうなるのかがまるで分からない。
 まるで局地的にハリケーンでも発生したかのような大惨事に、彼が真っ先に思ったのはラルヴァの仕業であった。
 この惨事もラルヴァが行ったものならば納得がいくというもの。
 それならば、ラルヴァを導花が退治し、その戦果を自分達の手柄に出来ればあの腹立たしい生徒会長に一泡吹かせるまたとない好機であるのもまた事実。
 持ち合わせた計算能力をフルに使い、完璧なシナリオを組上げ終えた彼が見た光景は。
 肝心の導花がその騒動の中心でさらに被害を広げているという、悪夢に近いモノだった。




 灰児はこの騒ぎを被害が及ばないであろう安全な距離で、安全な場所を確保して待機している。
 既に従業員すら退避したこの戦場の中心に自分がいるという現実はともかく、害が及ばないならば傍観してもいい気がしているのもまた事実。
 特に成人した異能力者の戦闘を間近で見るのはあまり無い機会でもある、今後彼女達と仕事をする可能性も考慮し、尚且つ助手がこれで少しは大人しくなってくれれば一石二鳥。
「いやぁ、皆さんお強いですね、困った困った」
「だから止した方がいいと言ったんだ、普通に入っていればこんな騒ぎに巻き込まれなくても済んだというのに」
「いやぁ、だって気になるじゃないですか?それにほら、センセだって隣にいる助手が可愛い方がいいに決まってますしー」
「少し黙っていてくれないか、リリエラ……」
 彼とリリエラは衝撃で倒れた自販機の裏で、嵐が過ぎるのをただただ待っていた。




 那美はこの騒動の中心地で、一歩も引かぬ好敵手たちと死闘を繰り広げている。
 彼女達もまた、美の為には何を犠牲にしても構わぬという信念の元に集った戦士なのだ、手加減は必要ない。
 持てる力、異能を存分に使い、実力を持って敵を排除する。
 何所から来るのかよく分からない自信を胸に、那美の『荒神の左手』が空間をつかみ、あらゆる物を握りつぶす。
 もしかしたら加減を間違えて流血沙汰になるかもしれないなどといった考えは微塵も無く。
 今の彼女の全ては、マッサージだけに向けられていた。




「わぁ、凄いですね、健康ランドってこんなに激しい運動を提供してくれるんですか?」
「いや、これは絶対違うって!ていうかどう考えてもおかしいだろ!」
「うわー、これは凄い、いや、ひどいかな?」
 祥吾たち3人は騒ぎの中心地から最も離れた位置から傍観している。
「お兄ちゃん、どうにかしてパパっとやっつけてきてよ」
「無茶言うな!あそこにいる人達、全員俺より明らかに強そうだぞ!」
「祥吾さんならきっと大丈夫です!」
「寧ろお前がどうにかしますって立場じゃないのか!?」
 時坂祥吾は、とにかく間が悪かった。




「『Cannonball』FIRE!」
 純子の異能力、キャノンボールはシンプルかつ強力な遠距離攻撃である。
 自身をボーリング玉大ほどの砲弾を高速で発射する砲台とし、対象物を爆破するというこの能力、並のラルヴァならば確実に一撃でしとめ切れるだけの破壊力を持ち合わせている。
 だが今の相手はラルヴァではなく、学習し、自らもまた異能力で反撃してくる人間たちである。
「ちぃっ!!」
 那美の能力である「荒神の左手」は射程距離内にある物を握りつぶす能力。
 この健康ランドの大広間の半分ほどをフォローできる射程距離はあるものの、純子のキャノンボールに対応するため、精度向上の為に射程距離の短縮を余儀なくされているのが現状である。
 また、握りつぶしても対象物がなくなるわけではなく、キャノンボールの砲弾はまっすぐこちらに向かって飛んでくるので、あくまでも避けやすくなる、といった使い道しか出来ない。
 那美のコートに砲弾がかすり、焦げ臭い匂いが立ち込める。
 目標にあたらなかった砲台はそのまま直進し、無人のフロントを爆砕した。
「まったく、これですから野蛮な人たちには困りますわ、そうまでしてマッサージを受けたいだなんて、御自分の容姿が衰えているのを認めている証拠……」
「そういうあなたこそ、随分と必死こいてるじゃない?そんなに若いのにマッサージに頼らざるをえないなんて、将来がかわいそうでお姉さん涙出てきちゃうわ」
「っく……ふふ……そうですか……そんなに血が見たいのでしたら!お望み通りに切り刻んでさしあげますっ!!」
 導花の異能によって限界以上に研ぎ澄まされた食事用のナイフやフォークが宙を舞い、那美や純子を掠めて壁や床に深々と突き刺さる。
「図星を突かれてムキになるとは、やはりまだ子供といったところか」
「同感ね、大人は一々悪口なんか相手しないものよ」
「言わせておけばよくもまぁ!!」
 女三人寄ればかしましい、とは言いえて妙なものである。




「俺、どうすりゃいいんだろうなぁ」
 速人は健康ランドの駐車場で、スポーツドリンクをちびちびと飲みながらたそがれている。
 既に全従業員や、先ほどまで休憩所にいた人々が乗ってきた車は退避しているのか、広々とした駐車場には10台に満たないほどしか車が無い。
 そのうちの一台は妙に仰々しい形状をしているし、その周りだけゴムが焦げたかのような匂いが立ち込めている。
 よくよく見ればその中にはなぜかメイドさんが微動だにせず待機している。
 何でこんなところにハリウッドからやってきたような車が?しかも何故メイドさんが?
 双葉学園の最強の7人、醒徒会の庶務である彼とはいえいまだ中学生、理解できないことはこの世の中にまだまだ多い。
 そんな世の中の不可思議さに打ちひしがれている速人の元に、同じく醒徒会所属の書記である加賀社 紫穏が歩み寄ってきた。
 ちなみに彼女が速人をパシリに使った張本人である。
「あっれー?何やってんの早瀬君、チケット買ってくれた?」
「あぁ……紫穏先輩か……無理無理、あれ見ろって」
 そういわれて見上げたその先には、窓が割れ、壁には大きな穴が空いてしまった、見るも無残な健康ランドの勇姿であった。
「うわ、これ何がどうなるとここまでボロボロになっちゃうわけ?」
「中を見てみれば分かるぜ……異能力実戦訓練の百倍くらいに命の危険があるからさ……」
「……まぁ、なんとなくは分かるけど……私と早瀬君の力を合わせれば、案外上手くいくと思うよ?」
「力を合わせる……?」
「そ、簡単な話よ」




「まぁ、種も仕掛けもございませんって所ですか」
「早瀬君のスピードはもはや人類最速の域よ、それを私が強化してやればもはや光すら超えてウラシマ効果が発動するかも!」
「人間がマッハを越えると衝撃波でズタボロになるって本当なのかなぁ……」
 加賀社 紫穏の異能力、それは触れた相手の身体能力や異能力の純粋な強化である。
 この能力を使い、速人の異能力を強化すればたとえどのような地獄が繰り広げられていても悠々とチケットを買うことが出来るに違いない。
 速人の超速度に振り落とされぬように背中におぶさりしっかりと足でホールドすると、サマーカーディガンで速人と自分をきつく縛り付ける。
「喋らずに歯を食いしばっててくださいね?舌噛んだら危ないっすから」
「りょーかい!では、いざゆかん!黄金の理想郷へ!」
 速人が異能力を発現、それに紫穏の能力が合わさり、もはや時間静止に近いレベルで速人の全てが加速していく。
 風すらも追いつかぬ速度で、速人と紫穏は死地へと駆け出した。




「はぁっ……はぁっ……はぁっ……」
「ぜーっ……ぜーっ……ぜーっ……」
「ふぅ……ふぅ……」
 未だに有効な決定打が見出せず、いたずらに体力だけを消耗していく那美達。
 互いの能力が互いの長所を食いつぶし、ただただ戦闘の痕跡だけを店内に刻み付けていく。
「くそっ……ここまで長引くなんて……ミナもつれてくるんだったわ」
「小松……はダメか、邪魔にならないだけでもありがたい……」
「やはり……先手が取れない状況下では決め手に欠けますわね……せめて克巳君がいれば……」
 じりじりと緊迫した空気が立ちこめ、互いの牽制で迂闊に動けず、ただただ時間だけが過ぎていく。
 一触即発なこの戦況を変えたのは、まさしく一陣の風であった。
 確かに紫穏の能力は速人の能力を極限以上に高め、この大広間にいる人間は一人を除いて彼らの動きについていけるものはいなかった。
 だがしかし、彼らは一つだけ失念していたことがある。
 券を買うにはどうしても『止まらなくてはいけない』し、券売機までは『加速できない』のである。
 どれだけ速人の動きが早かろうと、動かなければ認識されてしまうし、券売機が券を出すまでの約3秒ほどが致命的な隙を生み出す。
 券売機で静止したことで突如現れた形になった彼らに対し、3人はまさしく電光石火の反応速度で攻撃を繰り出した。
「荒神の左手っ!!」
「『Cannonball』!FIRE!!」
「切り刻ませていただきます!!」
「なっ!うぉあっ!」
 瞬時に繰り出された3つの破壊力満点の攻撃に対し、とっさの判断で横に飛び跳ねて回避する速人。。
 当然ながら、速人を狙って放たれた3つの攻撃は止まることなく券売機を直撃する。
 不可思議な力で無理やりに圧力をかけられた券売機が、爆裂する砲弾の直撃を喰らい、とどめとばかりにナイフやフォ-クが突き刺さる。
 今までの戦闘で痛めつけられていた券売機にはそれがトドメとなったようで、黒煙と一緒に特別マッサージ券を大量にばら撒き始めた。
「「「「っ!」」」
 もちろんその好機を逃すような彼女達ではなく、あっという間にチケットを掻っ攫って5千円札をその場に放り投げると速人顔負けの速度で女湯に消えていった。




「ちょっ、ちょっと早瀬君!早くどいて!」
「んなこといわれても、なんか服が変な風に絡まって……」
「きゃんっ!ちょっ、ちょっと!どこ触ってんのよ!」
「不可抗力だって!あだだだっ!痛いっ!痛いっ!」
 先ほどの回避で妙な位置に倒れこみ、きつく縛ったカーディガンのせいで思うがままに動けないまま、妙な体勢で密着する2人。
「ちょっと!ほら!置いてかれちゃったじゃんか!早くどうにかしてよ!」
「無茶と横暴を同時に言われても俺だって困ってるんですから!」
 毛糸玉のようにごろごろじたばたともがく2人は、廃墟と化した健康ランドの中でも更に異質なものだった。




「……何か外が騒がしいな」
「What?何か言ったか?」
「いや、なんでもない」
 健康ランド双葉の湯の女湯の広さは平均的な健康ランドの広さのおよそ2倍という大規模なもので、湯船の数は8つ、サウナだけでも4種類ある。
 その中の一つ、何種類かのハーブをブレンドしたハーブ風呂に、双葉学園風紀委員の2人、逢洲 等華と山口・デリンジャー・慧海がいた。
「……」
「……なんだよ、拳銃なら持ってきてないぞ、第一濡らしでもしたら手入れが面倒だ」
「いや、うん、そうだが……なんでもない」
「?変な奴だな」
 等華には誰にもいえない悩みがあった。
 簡単に言ってしまえば『胸』である。
 女性のステータスの一つである胸にだけ、彼女はまったくといっていいほど納得していなかった。
 せめて、せめて平常時に愛用している『特殊なパッドで胸のサイズを自然に1サイズアップ!』がキャッチコピーのかわいらしいブラが必要ない程度には!
 だがしかし、彼女のその願いと励んできた努力は決して報われること無く、悲しみを無い胸に秘めたまま今に至る。
「……はぁ……」
「……本当に大丈夫か?」
 こんな悩みをデリンジャーに告げたら、さぞや笑われるに違いない。
 せめてもの救いは彼女とデリンジャー、そこまで胸のサイズが違わないことであった。




 女湯と同じく、男湯も相当な大きさだが、女性向けのハーブ風呂や美容系の湯船が無い変わりにサウナの大きさが一回り大きくなっている。
 中でも5大型液晶テレビの入ったサウナ、通称「バックスクリーン」は大人気であり、野球中継を見るために多くの人で賑わっている。
 そのサウナの中に、均整の取れた体つきをした青髪の少年と、その少年の隣に胡坐をかいて座る目つきの悪い少年がいた。
「何か外が騒がしいな」
「あぁ?気のせいじゃねぇか?ていうかお前サウナにいるのに外の音なんか聞こえるのかよ」
「この程度の遮断性ならば問題はない」
「あーそうですか……」
「ところで、この前の会計報告書で少し気になる点があったのだが」
「こんなとこまでついてきて結局話のネタはそれ以外ねーのかよ!?」
「ぼくとしてもこのような所でこういった話をするのは気が引ける、だが会計に不信なところがあれば、それを調査するのが会計監査の仕事だとも思っている」
 2人の名前はエヌR・ルールと成宮 金太郎。
 共に双葉学園醒徒会の役員であり、役職は会計監査と会計である。
 今日は偶然一緒になっただけだが、このようなやり取りを常に学園で行っているのに、プライベートでまでお小言を聞かされるとは思っても見なかった。
「プライベートくらい会計のことは忘れさせてくれよ、報告するにしたって色々調べなおさねーといけねぇしよ」
「それもそうだな、では後日、正式な書類を纏めて送ってもらうことにしよう」
 これで少しは息苦しさから解放される、そう思って設置されたテレビに目線を戻すと、金太郎が贔屓にしている野球チームがボロ負けしている無残な光景が飛び込んできた。
 コイツと一緒にいると本当にろくな事にならないな、と改めて実感した金太郎であった。




 女湯と男湯のちょうど中間地点には、両方の浴場から入れるように壁の中をくりぬくように作られた鍵つきの個室がいくつかあり、そこでは事前予約制でのマッサージやあかすりなどを行っている。
 その個室群の最奥、美麗かつ荘厳の極みを尽くした装飾の施された扉があり、そこが那美達の目的地である。
「このっ……どきなさいよ!」
「お前こそさっさと諦めて風呂にでも浸かっていろ!」
「あら、それはあなたもでしょう?ご老人が優先されるのはシルバーシートだけですよ?」
 女湯の中央、様々な効能のの浴槽がが複合的に組み合わされたもっとも大きく深い浴槽の中間地点。
 目的のマッサージルームまではあと半分といったところ、決着をつけるならばここしかない。
 3人とも同じ考えなのか、全身から戦意をありありと漂わせている。
「いいわ、最も強い女が美しく輝く、それでいいわね?」
「単純明快だな、だが美しさとはそういうものだ」
「どの道勝つのは若い私ですから……それでかまいません」
 何一つ纏わぬ裸の状態でにらみ合う三人。
 遂に最終ラウンドが始まった。




「Holy shit!何なんだあいつら!」
「デンジャー!頭を出すと危ないぞ!」
 デリンジャーの肩をつかんで下に引っ張る等華。
 先ほどまでデリンジャーの頭があった位置を砲弾が飛んでいき、後ろにあった『ここでは能力を使わないでください』の看板が粉々に粉砕される。
「くそっ、こんなことならデリンジャーを防水仕様に改造しとくんだった!」
 激戦区となっている中央部分に向かって防壁のようにシャワーと鏡が備え付けられた一角にて、等華とデリンジャーは突如として始まった戦争を眺めていた。
 妙に一般客が少なかったのはこういう理由だったのかと妙に納得しつつ、どうにかしてこの場から離脱する方策を等華は考えていた。
 あの3人は他の客に興味は無いのか、一応戦線は限定的であるものの、周囲に対する被害が尋常では無い。
 彼女の『確定予測』を持ってしても、降り注ぐ破片を避けながら戦場を無事に離脱する考えが浮かばなかった。
「いや……そういえば」
「なんだ、どうした?」
「あぁ、この状況下をどうにかできる奴が、今ここにいるのを思い出したよ」
 そういった等華が示すその先は、スチームサウナへと続く扉だった。




「むぅ、なにやら面白そうなことをやっておるな」
「そうでしょうか?当の本人達は随分と真剣な顔をしているみたいですけど」
「そんなことは無いぞ水分!あんな風に能力を使って水遊びをしているのだから楽しいに決まっている!」
 スチームサウナの扉から戦場となった女湯を覗いているのは、醒徒会会長である藤神門 御鈴と副会長の水分 理緒である。
 理緒自身は別に来ようと思ってなかったのだが、偶然「今日は銭湯に行こうとおもうのだ、水分もついて来い!」と言われ、たまにはいいかなとついてきたのだ。
「ん?あれは……」
 ふと目線を移すと、壁を盾にしながらこちらにジェスチャーで何かを伝えようとしている人影が見える。
「む、風紀委員の2人か?どうやらあそこから身動きできぬようで困っているようじゃな」
「そのようですね……確かに、武器も何も無い状態ではどうしようもないでしょう」
「フフフ、つまりここは会長である私の出番というわけだな!?ならば私に任せておけ!」
「いえ、ちょっと様子を見た方が……」
「式神召喚っ!出でよ白虎!!」
 御鈴が印を組むと、定められた契約により何も無い空間から突如として白虎が現れる。
 見た目は小さい猫のような物でしかないが、四聖獣の名を冠するに相応しく、御鈴が本気で操った時その戦闘能力は異常なほどの強さである。
「いいか白虎、あくまでも驚かすだけじゃぞ?」
 御鈴の言いつけにかわいらしく頷くと、わずかに開かれた扉の隙間からそっと出て、浴場とはいえないほどに破壊されたそこで大きく息を吸うと。


「がおーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!!!!!!!!!!!!!!」


 吼えた。
 ただの猫や虎だったなら、それはたいした効果も得られなかったであろう。
 だが、白虎は式神であった。
 その咆哮は地を揺さぶり、大気を震わせ、あらゆる全ての魂を恫喝するような雄たけびであった。
 その場にいた全員が動きを止め、咆哮を発した白虎の方を注目する。
 そして、それがとどめの一撃になった。




 今までの戦闘で痛めつけられた柱や壁が咆哮で発生した微細な振動で揺さぶられ、大きな悲鳴をあげる。
 蓄積されたダメージがついに限界を超え―
 健康ランド「双葉の湯」は地図から消えた。




『――先日発生した学園都市中央区にある健康ランド「双葉の湯」崩落事故についてのニュースですが――』
『――負傷者は奇跡的にゼロ、付近への被害もありませんでしたが――』
『――この事故に対し学園都市当局では未確認ながらラルヴァの発生があったとの報告もあり――』
 中華料理店『大車輪』
 早い・安い・多いの三点を備え、親しみやすい店構えから体育会系の学生達に人気がある。
 今はちょうどお昼のもっとも忙しいピークを越え、どの飲食店も一息つける時間帯である。
 その店の中で、小さいテレビがよく見える特等席の小さな二人がけのテーブルに座っている少年と少女がいた。
 一人は拍手 敬、この店の厨房を任された苦学生で、もう一人は神楽 二礼、双葉学園の風起委員見習いである。
「はぁー、すごいっすね、中央区にラルヴァっすかー」
「まぁ、中央区には腕利きの異能力者が配属されてるって聞くし、戦闘の巻き添えで壊れたのかもな」
「役立たずの先輩とは大違いっすねー」
「なにがどうなるとそういう発想に行きつくんだ!?」
「ところで杏仁豆腐まだっすか?」
「今休憩中だって見てわかんねぇのかよ!」
 大車輪は今日も平和であった。




「で、結局どういう事になったんだい?」
「ニュースを見れば分かるでしょ、アレはラルヴァがやったことになった、それだけよ」
「いや、僕が気になるのはあの崩壊に巻き込まれた君達なんだが……」
 学園都市の研究所の一角にある語来研究所。
 家捜しでもされたかのような散らかりぶりのその部屋で、那美と灰児は共通の知り合いである春奈・C・クラウディスを待っていた。
「……思い出すだけでも憎たらしいあの巨乳女!次あったら絶対どっちが上かはっきりさせてやるわ!」
「相変わらず人の話を聞かないんだね……」
「あー、うん……ちょっと思い出させないで、かなり恥ずかしい目に会ったとだけ言っとく」
 あの場には醒徒会の面々がいたそうだし、恐らくは彼らの能力を使ったのだろうと推測できる。
 まぁ、比較的ガサツな彼女ですら恥ずかしいというのだから、多少なり反省はしているのだろう。
「んなこたぁどうだっていいのよ!あのエステを受けるためだけにここ最近仕事を頑張ったっていうのに!」
 彼が前言撤回するまで一分と持たなかった。
「いつもが頑張らなさすぎるんじゃないかい?」
「そんなこと無いわよ!あ、そうそう、あんたこの前の七色件の調査で何か私に言うべきことがあるんじゃないの?」
「あぁ……助かったよ、感謝する」
「感謝は形で示すものよ?あーそういえばミナが松坂牛と米沢牛の食べ比べがしたいって言ってたっけなー」
 白々しく棒読みで、しかし目つきだけは人を射殺せそうな程に鋭い眼光で静かに威圧する那美。
「無職には厳しい要求だな」
「ぐっ……」
 ちっぽけな復讐ではあるが、言われっぱなしよりはいい。
 この後に来るであろう壮絶な逆襲は考えないように努めながら、ふとパソコンのディスプレイに張られたポストイットに目が止まる。
 『私へのお礼は丹沢牛と薩摩黒豚のしゃぶしゃぶでいいっすよー』
 まったくもって敵わないな、と今の預金残高を静かに数え始める灰児であった。



 銭湯『双葉湯』昭和からそのままやってきたかのような作りをした銭湯であり、内装も風呂場も全てにおいてまさに昭和の銭湯である。
 ただ一つ昭和の銭湯違うのは、ここ学園都市双葉湯にだけ存在するといわれる極上のマッサージチェアであった。
 なぜか見た目は茶色い皮の古めかしい偽装を施されているが、その効能は人類の英知を結集したと言っても過言ではない代物である。
「おじさん、フルーツ牛乳」
「まいど!遠野君は常連さんだからね、特別に二十円引きの百円で!」
「へへ、ありがとうおじさん」
「そうだ、今度入った新しいマッサージチェア、試していかないかい?」
「いいんですか?じゃあお願いします」
「いいのいいの、遠野君にはこれからもご贔屓さんでいてもらいたいからね」
 知ってか知らずか、彼は誰よりも早く前人未到のマッサージを経験することになった。
 那美が、六谷が、導花が、紫穏が、リリエラが、その他全ての女性が恋焦がれたそのマッサージ。
 遠野彼方はこの時だけ、幸運であった。



       ~終~



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最終更新:2009年08月02日 20:14
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