【蛇の邂逅】


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 七夕の日は、お祭りである。

 年中行事の類は廃れ、一部が商業的思惑によって都合よく存続する世の中。
 そうした時代には珍しいことに、双葉学園は時節のイベントをきっちり行っていた。
 もちろん全員強制参加などさせられるわけでもなく、学園の本分を考えれば、その規模は慎ましい。
 それでも醒徒会は、生徒たちが日頃の気晴らしをできるよう、工夫を凝らしたイベントを企画していた。単に会長がお祭り好きなだけで、何かと時節にかこつけて企画をねじ込んでいるという噂もあるが、真偽は定かでない。
 梅雨も明け、今年の七夕は晴れ晴れとした天気だ。織姫と彦星も、幸せな一夜を過ごせることだろう。
 こんな日和にわざわざ校内に留まるのは、忙しい教員と、一部の例外くらいのもの。

 そうした暗がりを好む者の一人に、秋津宗一郎の実姉である、秋津 末那《まな》がいた。


  <蛇の邂逅>


 夕刻に差しかかろうとしている中、秋津 末那《まな》は誰かを探すように、あるいは土地勘を付けようとするかのように、ふらりふらりと歩いていた。
 夏服ブラウスのポケットには、水性ペンと短冊が一つずつ。先ほど、七夕飾りをしていた一団に貰ったものだが、彼女は人前で願い事を書くことを避けるように、校舎内へと足を向けていた。

「……おい」

 ふいに掛けられた声に、末那は眼鏡越しに視線を泳がせた。ふいの動きに、後れ毛がぱらりと落ちる。
 彼女の仕草は常に芝居がかっているようにゆったりと、大仰だ。
 それが本当の芝居を見破られ難くするための更なる芝居なのだということは、実の弟も知らない。彼女自身も、最早馴染みすぎて区別がついていないくらいなのだから。
 声の主は彼女の背後で紫煙をくゆらせていた。
 その出で立ちは奇怪だ。生々しい人体模型を抱えた、やつれたサラリーマンのような男。
 彼女は少し首を傾げて、尋ねた。眼鏡が少しずり落ちる。
「どちらさまでございましょう?」
「あー、そこの保健室の主だよ。
 見たところ、高等部の生徒か? ここは中等部棟なんだが、道に迷いでもしたか」
 男はそう言ってから、ふぅ、と煙を吐き出す。対して末那は得心したと頷いて、口を開いた。
「保健医の方でいらっしゃるのですね。私《わたくし》は秋津末那と申します。
 何分こちらに参りましてからまだ日が浅いもので、ご容赦頂ければ幸いでございます」
 保健医の男は、彼女が大仰な敬語で自己紹介をする間、黙っていた。やがて確信を得たらしく、確認するように尋ねる。
「秋津……二年のあいつの姉か」
「まあ、あいつなどと仰らないで下さいませ。宗ちゃんは頑ななところもありまして、御学友の方々に随分迷惑をおかけしたと聞いております。
 けれども今では、すすんで打ち解けようと、自分なりに頑張っているのですから」
 ふふふ、と彼女は笑ったが、男は白けた顔で煙を吐くだけだ。
 彼は、転校者通知から彼女の素性と、異能力を知っていた。その眼が裸眼では、殆ど何も視えないということも。
 しかしながら彼は、かしゃり、と足元から音がしたその時まで、末那が彼の鼻先まで歩み寄ってきていて、自分が廊下の壁を背負っていることに気付けなかった。
 彼が視線を向けた先には、落下した末那の眼鏡。上履きと、白い足首。
 そして呟きが聞こえた。

「…どうやら……教職員の皆様は、私が何を感じ取って生きているのか、ご存知なのですね」

 彼女をよく知らない者が末那《まな》を見るとき、まずその体躯に眼を奪われるだろう。
 しなやか、という言葉がよく似合うその身体は、女性にはやや高すぎる背丈も相まって、威圧的ですらある。
 だがその生命溢れるイメージは、彼女に備えられた一つの歪さによって、ひっくり返ってしまうだろう。
 即ち、彼女の両の腕。
 そこにあるべきものは、ない。

「感応能力、か」
 保健医は得心したように呟く。
 言葉だけではイメージの沸かない異能力も、目の当たりにすれば嫌でも理解出来るというものだ。
「……自らの魂源力を分け与えて無意識に油断させ、思考の一部をハックする。感情の動きが分かれば、相手が何を気に留め、何を見落とすかもお見通しという訳だ」
 末那はその言葉を肯定も否定もせずまた、ふふふ、と笑った。
「そう、構えないで下さいませ」
 別に取って食おうなどとは致しませんから、と冗談めかして言う。
「私はこのような成りですから、握手するなりといった、普通のご挨拶が出来ないのです。ですから――」
 するり、と頬と頬が擦り合わされて、男の表情が硬くなる。微熱でもあるかのように、その膚は妙に暖かかった。
「こちらのお方にも、よろしいでしょうか?」
 末那は男が抱えていた、生っぽい人体模型を見ながらそう尋ねる。
 男はなんと答えればいいか、少し悩んだ。
 だが、末那は彼が口を開くより早く、その皮無しの膚へと、頬を擦り寄せた。

 そうして儀式じみた行為が終わり、彼女が再び顔を上げる。
 裸眼の焦点は結ばれず、まるで遥か遠くを見ているかのようだ。
 だが彼女は、別に不自由などしていないのだろう、男はそう思った。この女はきっと、眼に頼る生き物ではないのだ。
「…これから何かとご迷惑をおかけすることになるかと存じますが、どうぞ、よしなにお願い申し上げます」
 秋津末那は丁寧な言葉で、七夕の邂逅を締めくくった。


 前触れもなくバタバタと廊下を走る音が、終焉を告げに来た。
 急速に、周囲に音が戻る。
 だいぶ日が伸びていて分からなかったが、腕時計の針が夜と呼べる時間帯に差し掛かっていることに、男は気付いた。
 だが今日は確か天体観測まで予定されていたので、まだまだ生徒は校庭なりに残っているだろう。
「おや」
「あ、先生」
 廊下の曲がり角に、二人の女生徒が姿を見せていた。足音の主は彼女たちだ。そして、それぞれが一方と顔見知りである。なんだお前か、と保健医が呟いた。
「こんにちは、誠司さん」
「…こんにちは、末那さん。ここで何を?」
「いえ……大したことでは、ありませんよ」
 何気ない会話。
 しかし菅誠司の横で様子を見守る双葉五月は何故か、地雷原を目の前にした幻視を目の当たりにしていた。
 それが策士《クオレンティン》が見せる、感情誘導の為の幻覚だったのかは、本人にすら分からない。
 だが結果として彼女は何も言わないことを選択し、地雷原に突っ込むような事態を避けられたのだった。

 どこかぎこちない両者は話題を見出しあぐねていたものの、末那が思い出したように口を開く。
「…そうでした。私、短冊の願い事を誰かに書いて頂きたかったのです」
「ああ……よかったら、私が書くけれど」
 誠司はそう、普段からすればいささかへりくだるかのように申し出る。
 五月にはそれがいささか意外に見えた。気を遣うというよりまるで、負い目を感じているようだったから。
 が、当の秋津末那は微笑みながら首を振り、

「せっかくの御好意ですけれど、遠慮致します。 
 呪う相手本人に呪詛の言葉を書かせるのは、流石に心苦しいですから」

 自ら地雷を踏みつけて、眼鏡も拾わず、歩き去っていった。


 そのふらりふらりとした、長い後姿。
 身を這い回る蛇を連想して、見送る保健医は微かに、顔をしかめていた。




                       蛇の邂逅・了


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