【雨鈴】


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  雨鈴 -ウリン-  ラノで読む


「小松! 北側通路だ、回りこめ!」
 六谷純子《ろくたに じゅんこ》が叫ぶ。癖のない茶系のストレートヘアを振り乱しながら、声を張り上げるあいだも、両手のひらに次弾《キャノンボール》を溜めるとすぐに2発3発と打ち込んでいる。
「止まりなさい! ストップ! ……止まれっつってんだろ!」
「おいおいおかしいだろ。普通もっと穏便に行くだろ。アメリカだって黙秘権とか弁護士立てるとか色々やらせてくれるじゃんか! 乳触らせろなんて言わないから一握りの優しさをくださぃぃぃいいい!!」
 背後から次々と飛んでくる電磁砲弾の雨を掻い潜りながら、六谷の先を走るサイテは顔色を真っ青にして抗議する。デミヒューマンラルヴァの彼にとって、走るという運動行為自体に疲れているわけではないが、向こうの対応の荒々しさに血の気が引いていた。
「現行犯で密入国まがいなことしてるヤツにそんな権利はない!」 
「六谷さーん。私この前映画で見ましたよー。ミランダ警告って言うんですよぉ」
 無人のコンコースに響く六谷の声を拾って、通路の角から小松《こまつ》ゆうながのんびりと返す。六谷よりスタミナに自信のある小松は、指示通りサイテを挟み込む用意を整えつつあった。
「今だ小松! そいつをふん捕まえろ!」
 小松の怪力《ジャッキ・アップ》を持ってすれば、小柄な彼女でも人だろうが象だろうが相手をお手玉にすることができる。そのときに死なない程度の出力で、六谷が本命を当てる。
 サイテの正面に躍り出た小松が全速力で迫る。愛嬌のある顔とは裏腹に、突っ込んでくる速度はかなり速い。
「わわっ」
 突然、走っていた小松のバランスが崩れた。なんとか転ぶまいと堪えながら、あたふたと手を振る。そんなオーバーランをしている小松を尻目にサイテがすれ違う。
「そこで躓くやつがあるか!」
 だあああと頭を掻き毟り、悠々と走り去ろうとしている青年の背に向けて、六谷は両手に込めていた本命《キャノンボール》を構え――
「六谷さぁぁん」
「ば、バカ! わざわざこっちに飛び込んで来るな!」
 これから訪れる至福の感触に目を細めながら、小松ゆうなはダイブする。


 喉元を過ぎればなんとやら。
 ぼってりしたカップの中身はようやく空になり、唐橋悠斗《からはし ゆうと》は満足して息をついた。少し前まで降っていた通り雨はすでにあがり、窓際のボックス席からわずかに見える雲間には光が垂れ込んでいる。いつの間にか雨を予報した少女はどこかに消え、店内はクラシックの生の音楽が流れ始めている。
 音のありかを探して、見上げると悠斗はこの店に吹き抜けの二階があるのに今になって気がついた。腰を浮かせてカウンターの裏側を注視してみると、まるで秘密の入り口のように階段がひっそりと隠れていた。もともと従業員しか使えないのだろう。その上二階には丸みを帯びた木製の格子のあいだから、光沢のある黒いグランドピアノの蓋が開いているのが見え、店の中に溢れる旋律の中心がそこにあった。
「ショパンの夜想曲《ノクターン》……だっけか」
 この素直な音を肌に感じたせいだろうか、独り言のような言葉がつい口を出た。
「クラシック、お詳しいんですか?」
 すぐ傍に、眠り人形のように落ちた瞼のままのウェイトレスが小首を傾げて訊いてきた。細い銀糸の髪が数本、さらりと垂れる。
 口の中にまだコーヒーが残っていたら間違いなく噴き出していただろう。突然、目の前に可愛いウェイトレスの顔が現れたので悠斗は慌てた。
「や、つい最近にウチの学校で音楽のイントロテストがあって、たまたま覚えてただけで!」
 手と顔をぶんぶん振って否定する。にわかに調子づいて後で恥をかくのもみっともない。なにより、このウェイトレスに嘘をつくのを躊躇われた。
「ただ、今ピアノ弾いてる人うまいなあって。教本通りじゃなくて、なんか演奏がすごく自然に聞こえる」
 ウェイトレスはテーブルから悠斗の飲み終えたカップを下げながら、自分のことのように嬉しそうな表情を見せ、
「ありがとうございます。あの子もきっと喜んでくれると思う」
 一礼して、レジを通り抜けてカウンターの中に引っこんでいった。
「あの子?」
 ウェイトレスの言葉を頭のなかで反芻していると、二階で彼女の丈長の黒いスカートの裾がひるがえるのが見えた。
 ピアノの演奏が止む。ぱたんと静かにグランドピアノの蓋が閉じる音が聞こえ、吹き抜けの手すりの向こうから、あの天気予報少女が身を乗り出してこちらを見てきた。見つめる、というよりは凝視に近い。自分よりひと回りもふた回りも小さい女の子のその鋭い視線に、悠斗は年甲斐もなく怯んだ。
 やがてウェイトレスと共に降りてきた少女は悠斗の前までやってくると、紅葉のような小さな手を差し出してきた。
「握手?」
 分からないまま悠斗も手を伸ばす。しかし、柔らかそうな手のひらに触れそうになる前に、ぺちんと少女が悠斗の手を払いのけた。
「ちがう、チップ。だから、メニュー貸して」
 少女はきっぱり言った。ほらほら早く拝聴料を寄越せと言わんばかりに、右手を上下にぶらぶら揺らして催促してくる。悠斗は今、自分の顔が引きつっているのを感じた。 
「い、いのりちゃん!」
 ウェイトレスが上擦った声で少女を止めた。とりあえず彼女が意図していたことではなかったらしい。いのりと呼ばれた少女は悠斗のほうを横目で見やりながら抗議する。
「どうして? でもマキナ、いのりの演奏はお金もらってもいいくらいうまいって、言ってた。だから唐橋のおごりで、お店のメニューを注文するの」
「あれはそういう意味で言ったわけじゃなくて。えーと、どう言えばいいのかしら……」
 さも当然のように言ってのけるいのりに対し、ウェイトレス――マキナはほんの少しだけ、形の良い眉をひそめて困った顔を浮かべている。
「おごるよ」悠斗は笑って言った。「一人も二人も大して変わらないしさ」
 悠斗はいずこへ消えた庶務を思い出した。テーブルの端に立てかけれていたメニューを掴むと、いのりに手渡した。
「ほら、唐橋も言ってる」
 小さな胸を誇らしげに張り、メニューを受け取る。
「ホントにいいんですか?」
 申し訳なさそうにマキナが訊く。
「ちょうど話し相手が欲しかったしね」
 いのりの演奏が上手だったのは本当のことだし、それに少し尋ねたいこともあった。

「なんで俺の名前知ってたんだ?」
 マキナはいのりから注文を受けて、黙然と豆を挽いているマスターのいるカウンターへ行ってしまっている。
「聞いたから」
 悠斗と向かい合うようにいのりが席に座る。
「誰に?」
 いのりは悠斗の後ろを指差した。背後に誰かいるのかと思い、悠斗は身をひねってその「誰か」を探した。悠斗の後ろは同じボックス席で、今は他に客が座っていない。あるといえば窪み部分にかかる壁時計と、ぼんやりとしたウォールランプの照らす下に置かれている観葉植物くらいだ。
「誰もいないじゃないか」
 そこまで言って悠斗は、この場所が学園島の喫茶店ということを思い出した。「異能力者か」
「そこだよ」
 いのりは淡々をした調子で、悠斗を貫くようにまっすぐ指を差したまま、他に何も言おうとしない。
 頭上をツバメの影がかすめるように、ふっと、悠斗は目の前の少女が不気味に見えた。今までの、『ラルヴァ』と『異能力』について何も知らなかった悠斗なら、この少女が夢見がちな子だと切り捨てることもできるだろう。暗がりで揺れるカーテンを幽霊を見紛うような、自分の脳を介して生み出された幻想の類ではない。いのりという少女から紡ぎ、実像を結ばれた存在が、悠斗の目には見えずとも確かにそこにいるのだ。人智を超えた力を持つ者たちが集うこの島で、悠斗がそれまで積み重ね学んできたモラルや常識といったものは、指をくわえてうろうろすることしかできない。
「アイス・カプチーノお待たせしました」
 悠斗たちのあいだに漂いつつあった空気を見計らってか、お盆にグラスを載せたマキナが戻ってきた。いのりは短く切られた黒髪の襟足をぴょこぴょこ跳ねさせながら、テーブルに置かれた、ミルクとアイスコーヒーの見事な二層に分かれたそれを嬉しそうに引き寄せた。
「いのりちゃん、何か失礼なこと言ったりしませんでしたか?」
 悠斗にしか聞こえないような小声で、マキナは訊いた。いのりは汗のかいたカプチーノのグラスを、夢中になってストローでかき混ぜている。
「俺の後ろに誰かいるらしい」
 悠斗は親指を立てて肩越しを指し、できるだけ余裕のある苦い笑いで返す。
「えっ、そんなことまで話しちゃったんですか」
「……やっぱり本当にいるんだな」
「いのりちゃんの持ってる異能の力なんです。召喚系なんですけど、普段はいのりちゃん以外は見えないですし、こちらへは干渉してこないですから。実感が湧かないって気持ちは分かります」
 はぁ、と間抜けな返事が悠斗の口から漏れた。マキナはまるで「ブラックコーヒーは砂糖を入れないと苦いですよね」と言いたげに、当たり前のことを補足するように言う。召喚系、ね。
「それにしても――ええっと」
 閉じてるのか開いてるのか分からないくらい薄い目をおろおろさせながら、マキナは悠斗から何かを読み取ろうとしている。
「唐橋」
 横からこちらの顔も見ずにいのりが言った。ちぎっては投げるような言い方である。それを聞いたマキナは落ち着きを取り戻しながら、話を続ける。
「唐橋さん、いのりちゃんに気に入られたみたいですね」
「どうして?」
「だって、いのりちゃんが自分から異能力《ちから》のことを話すなんて、めったにしないんですよ。学園島に来るまではそれで変な子に見られて、いろいろありましたから」
 マキナはお盆を抱えなおし、胸の前にあてた。
「異能力者なりにも苦労があるんだな」
「唐橋さんは違うんですか? さっきも、うちの学校ではって言ってましたけど。もしかして島外から?」 
「テンニュウセイだって」
 からからと氷をつつきながら、いのりが代わって答える。いつのまにかグラスの中身は半分まで減っている。
「だから、まだ決めてないんだよ。今日は見学に来ただけで」
 うんざりしたように言って、そこで言葉を切ると悠斗はあることに気づいた。ポケットから仮学生証に挟んであった小さなメモを取り出し、マキナに見せた。早瀬がどこかに行ってしまった以上、この人のよさそうなウェイトレスに尋ねるしかない。
「ここから学園にどうやって行ったらいいかな」
 メモの地図は手書きのわりに読みやすく綺麗な字面だったが、それに反して概要はかなり大雑把に書かれていた。マキナは顔の間近まで持って来ると、薄い瞼をしばたたかせながら読もうとしている。
「目、悪いのか?」
「はい。生まれた時からほとんど見えないんです」翳りを見せない喋りで、あっさりと言ってのける。「でも今はこの異能力《ちから》おかげで、こうしてオーダー取ったりするくらいには見えているんですよ?」
 マキナの話し方に変わった様子はなかったが、その声には強い芯が通っていた。
「ウソだよ。マキナはメニュー全部覚えてるだけ」
 ずずず、とグラスの底に残ったカプチーノを一生懸命ストローで吸い上げながら、いのりが指摘する。悠斗がマキナの顔を見上げると、ちょっと笑って頬をかいていた。


  -了-




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