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立浪一家の新たな一週間が幕を開けた。
次女・みきは姉妹のなかで一番早く起床する。三人分の朝食を作るため、二人よりも早く起きるのだ。
すぐに三女も起きてくる。みくは買ってもらったばかりの水色のエプロンを身につけて、次女の調理を手伝いにキッチンへ入った。
今日は、みきが得意としているベーコンエッグだ。このような卵料理はみくの好物だった。昨日のお昼に作り方を教えてもらえたので、明日は彼女が姉妹の朝食を作ることで決定している。
みかもみきも、とても張り切る三女を微笑ましく見守っていた。
緑のだぼだぼとしたシャツに黒いスパッツという、普段着と大して変わらない長女が起きてきた。寝ぼけてあちこち壁にぶつかりながら、洗面所へ消えていった。
みかがリビングに戻ってくるときには、テーブルの上でベーコンエッグとトーストが湯気を立てていた。部屋を漂う紅茶の香りのように、みきの趣味であるAORが抑揚ある流麗な旋律を奏でていた。
制服の着こなしは、みかはミニスカートにスパッツ。みきはミニスカートに白の短いソックス。みくはミニスカートにオーバーニーソ。姉妹それぞれの個性はこのようにしてはっきりと示されている。
洗い物は、最後に起きてきたみかの担当である。一方、みきとみくは洗濯物をベランダに干していた。
今日も、いい天気。
いつまでも続く、素晴らしい朝。
明日もずっと、気持ちのいい毎日が続いていくに違いない。姉妹の誰もがそう思っていた。
登校時間になった。みきは名残惜しそうにTOTOの四番目のアルバムを止める。みくは赤いランドセルをよいしょと背負った。
よっしゃ! 立浪姉妹、しゅっぱーつ!
みかが上空に人差し指を掲げた。みきが最後に玄関を出て、ドアを閉める。鍵が横に回転して、かちゃりとかかった。
立浪三姉妹が一緒に揃った、最後の朝だった――
立浪姉妹の伝説 -その栄光と末路-
第六話 2016年上級ラルヴァ・学園強襲大災害
立浪みきはいつものように、後ろから教室に入る。目立つのが苦手なので、ゆっくりと静かに入る。
「おはようござ・・・・・・?」
彼女のほのかな笑みをたたえた、物腰の柔らかそうな顔が硬くなる。
視線。
自分をつるし上げる視線。それはまるで槍を体中に突きつけられているかのようであった。
前の席の男子が首をこちらに向けている。向き合って会話をしていた友達同士の二人組みが、両者ともみきを見ている。
「な・・・・・・なに?」
恐る恐る口を開くと、全員何もものを言わずに前を向いた。そっぽを向いた。
それから教室を支配したのは、重苦しい沈黙であった。みきが入ってきたときに漂っていた気軽な朝の雰囲気は、完全に消滅していた。
それはあたかもみきが登校してきたせいで消滅してしまったかのような、唇をきゅっと噛みたくなる辛い空気であった。
昼休み、みきはうつむきながら白樫の木を目指していた。今日は昼寝でなく、みかの呼び出しがあったため校舎内を移動している。
こうして廊下を歩いているときも周囲の視線が痛かった。彼女が通るたびに、彼らは黙りこくってみきをじっと見つめていた。彼女が混雑している昼下がりの廊下で、重たい沈黙のウェーブを先導しているかのようであった。
靴を履いて表に飛び出した。駆け足でお気に入りの大木のもとへ行くと、そこにはすでに、みかが憮然とした表情で腕を組みながら立っていた。目が合うと「おーい」と手を振ってくれた。
みきはほっとした。なぜなら、これが今日初めて視線を交わした人物だから。
「お待たせしました、姉さん。用件はなんでしょうか・・・・・・」
「すごく浮かない顔してんなあ。やっぱそっちもそうか」
「・・・・・・姉さんも、そうですか」
二人は並んで腰掛けた。いつもは生徒がバレーボールを弾ませたりしていて騒がしい昼休みだが、この日はその姿がどこにも見られない。高等部の生徒がいっせいに、校舎に引きこもったようにしか思えないぐらい、外は静まり返っていた。
「友達がみんな、すっごく素っ気ない。まるであたしたちが不祥事でも起こしたかのようなしょっぱい扱いだ」
「何があったんでしょう。私、こういうのすごくダメなんです。きついです・・・・・・」
「お前は田舎の子にも、そうしていじめられてきたからなあ」
と、みかはみきの肩を抱いてそう言った。みきが辛い思いをしてぐすぐす泣いているとき、いつも長女はそうして次女の側に付き、慰めてきたものである。
「試しに一年生、二年生、三年生の廊下を堂々と歩いてみた。何だかすごく怖がられた。男の子に声かけてみたら『ひぃっ』なんて悲鳴上げられたぞ。このぶんだと、高等部のほとんどから良く思われてないみたいだね、あたしたち」
「そんなあ・・・・・・。どうして・・・・・・?」
「落ち着くんだ、みき。あたしはこの人数の多さがよくわからない。あたしたちには心当たりなど何一つないし、これは何者かの仕業なんじゃないかと勘ぐってるんだ」
「私たちを貶めようとする、誰かがいるんでしょうか・・・・・・?」
「だろうなあ。ふん、わけわかんね。めんどくせ」
そう言ったとき、みかのモバイル学生証が振動した。プリーツスカートのポケットから取り出して画面を開くと、彼女はたった今届いたメールを確認する。
「・・・・・・グラウンドに来い?」と、みかは眉をひそめる。
「誰からですか? 姉さん」と、みきが心配そうにきく。
「与田だよ」
二人は立ち上がった。
「おいこらあ、与田光一ぃ! どこいやがるんだキザメガネ! 何かすっごく肩身の狭いあたしたち、立浪姉妹が来てやったぞ! 愛の告白ならこっちから遠慮してやる!」
不機嫌なみかは校庭の真ん中まで来て、大声を喚き散らした。
「姉さん、あそこ・・・・・・?」
みきが指をさすほうを、みかは向いた。ちょうど朝礼台のあたりに、白衣を着た与田の一味が横に並んでこちらを向いている。
「ちっ。何だよ、そこにいるのなら初めに言えよクソッタレ」と、みかが悪態を付きながら一歩踏み出したそのときだった。
発砲音。
すかさず瞳を緑に輝かせ、とっさにグラディウスを出してみかは弾丸をはじき飛ばした。
「ふん。やっぱりこんなおもちゃ程度じゃ、君たち姉妹には効かないか」
と、与田はつまらなさそうにそう言った。拳銃からは白煙が出ている。
「・・・・・・あ? てめー、どういう了見だいそりゃ? いきなり何するんだい?」
駆け上がるよう頭に血が上ったみかは、目を大きく開いて眼球をわなわな震わせながら言った。みきはその横でひたすら困惑している。長女はキレているのだ。
「この拳銃はね、無力な一般人がラルヴァから身を守れるよう我々与田技研が開発した、対ラルヴァ専用の護身銃なんだ」
「冗談じゃねーやい! 散々研究に付き合ってやったあたしたちに銃口向けるとはどういうことだ! だいたい読めたぞお、このよくわからん雰囲気も、みんなてめえらが仕向けたことかあ!」
「それは当然の反応だよ」と、与田は言う。「当然の話だよ、立浪みか。君たちは僕たち異能者によって始末されるべき害悪なのだから」
一瞬、みかの顔が呆けたようになった。みきも、与田がいったい何を始めようとしているのか、まったく読むことができない。彼が何を企んでいるのかがまったくわからない。
「倒されるべきって・・・・・・寝言言ってんじゃないよ! あたしたちをラルヴァみたいに扱いやがって! 何だ、お前ら揃いも揃ってあたしたちを妬んでるのかい? 強いからって、カワイイからって、嫉妬でもしてんのかい?」
みかは額の血管を浮き上がらせながら怒鳴る。短剣の絵を、ぎりぎりと握り締めていた。
「みっともねえことしてんじゃねえや! なるほど、みんなのために力を貸したいってのは嘘だったんだな! 騙したなあ! あたしに嘘ついたなあ! あたしたちの力を根こそぎ解明しなきゃ、あんたらはあたしたちに勝てないからあんなのに付き合わせたわけか! くっだらねえ! 超科学って、そんないくじなしの卑怯者の集まりなのか!」
「もう・・・・・・いいだろう?」
と、怒り狂ったみかに対してまるで動じることなく与田は静かに言う。
「もういいだろう? 僕らを欺き続けてきたのは、君たちのほうだろう? 学園の裏切り者は君たちだろう?」
話がまったくかみ合わない。自分たちがみんなの裏切り者だって?
「いい加減、何が言いたいんだよ・・・・・・」
みかは瞳を緑にちかちか点滅させ、鋭い牙も露出させる。猛獣のような形相をして、与田を睨み上げた。いつ彼に斬りかかってもおかしくない、強い緊張が走っている。
「僕ら超科学者がね、君たちの異能力について徹底的に調べつくした結果、『非常に残念な結論』に到達したんだ。いやあ、至極残念。僕は悲しいよ」
前のめりに構えていたみかは上体を起こし、与田がしようとしている話を聞くことにする。みくも、ぎゅっと両手を前に握りながら黙って聞いていた。
そして、衝撃的な真相は姉妹に対して明らかになる。
「立浪姉妹。君たちの強さの秘密が明らかになった。君たちは『ラルヴァ』だったんだよ」
「・・・・・・はあ?」
「・・・・・・え?」
二人は目を丸くして、その宣告を耳にした。与田がとうとう自分の研究に没頭しすぎて、頭がおかしくなったとさえ、みかとみきは率直に思っていた。
「君たちの遺伝子からねえ、『ラルヴァ』の因子が発見されたんだよ。遺伝子検査だよ? 遺伝子レベルで解明されてしまえば、結果は出たも同然なんだ」
与田は両手に腰を当てて、二人にこう結論付けるよう言った。
「君たちは『ラルヴァ』なんだよ」
「ざけんじゃねえやあ!」
ドンと、みかは己の異能力を開放する。足元が陥没し、彼女を中心にして突風が渦巻く。
「よくもあたしたちの誇りにしてる猫の血筋をコケにしてくれたな・・・・・・。何が超科学だ、デタラメなことをいけしゃあしゃあと!」
みかは猫の血筋を、誰よりも誇りにしていた。彼女は姉妹の誰よりも早い段階で、素直に自分の血や宿命と向き合い、付き合ってきた。同じく猫の血を引いている次女を守り、まだ赤ん坊だった三女の成長を見守ってきた。
「猫の戦士」として、二人の妹の姉として、しっかりしていこうと厳しく言い聞かせてきた。仲間を守るために異形と戦ってきた。
それを、あろうことか『ラルヴァ』呼ばわりされて黙っていられるわけがない。みかは、与田の一味を殴って殴って殴って、血祭りにでもあげないと気が済まなかった。「姉さん、どうか落ち着いてください」と、みきが恐る恐る制止を促している。
与田は、今度はそんなみきに標的を定めてこう言う。
「そうは言ってもさあ。君ら、本当はうすうすと解ってるんだろう? 己の中にある、破壊と殺戮の衝動の存在を・・・・・・」
みきは与田の視線に背筋を奮わせた。まるで、熊の一件を知られているかのようなものの言い方に、戦慄したのだ。
と、ここで状況の変化は起こった。高等部の校舎から、ぞろぞろと異能者たちが集まってきたのだ。一年生、二年生、三年生・・・・・・。高等部の生徒が五十人、いや百人ぐらいの多さで、姉妹を取り囲むようにしてやってきたのだ。
彼らがグラウンドに集合したそのとき、各々が、各々の持ち味である武器や異能を姉妹に対してかざした。その視線が向けているものは・・・・・・「敵意」であった。
「何だよ・・・・・・こりゃいったい、どういうことだよ・・・・・・?」
みかの横顔に強い動揺が見られる。自分が命をかけて守ってきたものが、自分に対して露骨な敵意と憎悪を向けているから。
「熊の戦い・・・・・・残忍だったね」
みきから「ひいっ」と乾いた悲鳴が上がる。まさか、まさか・・・・・・!
「僕はその戦いを記録していたんだ。客観的にものを言って、あれは異能力とはいえない惨たらしいものだった。まさに『ラルヴァ』の力だった」
真下を向き、拳を握り、歯を食いしばって、みきはがたがた震える。
「君の戦闘を拝見させてもらって、僕は身の危険を感じた。だって、君たちのような『ラルヴァ』がいたらさあ、この学校は危険じゃないか。そんな異形と一緒になって学園生活なんて、送れっこないよ。だから僕は、みんなのために・安全のために、君たちが危険だと言うことをみんなに教えてあげようと思ったんだ」
「何を・・・・・・したの・・・・・・?」と、みきは下を向いたままきいた。
「君が熊を残虐に殺す映像を、修正を入れずに彼らのモバイル手帳に一斉送信したのさ! 君たち姉妹の危険性を全校生徒に周知させなければならなかった! なぜならばこれは非常事態であり、みんなの命がかかっているのだからだ。やむをえない迅速・的確な行動だった!」
みきの絶叫が、双葉学園・高等部の広い校庭に響き渡った。
熊のラルヴァを血祭りにあげた自分が・血に濡れて快感に浸っていた自分が・内臓をかき回して醜悪な笑顔をしていた自分が、全校生徒に隈なく知れ渡っていたのだ。その結果が、目の前にいる総計二百人程度の群集だった。朝から続いたクラスメートの冷たい視線が、今になって思い起こされる。
「あたしたちを・・・・・・どうしようっていうの・・・・・・」
と、みかが唇を震わせながら言う。
そんな長女の側頭部に氷塊がぶつけられた。氷を扱える異能者が、みかに攻撃を加えたのだ。
みかはグラウンドに倒れた。「え・・・・・・え?」。側頭部から出血しているのを見る。
彼女は怪我をしたことに困惑しているのではない。自分たちの仲間であるはずだった、学園の異能者から攻撃を受けたことに衝撃を受けているのだ。みかが無言でゆらりと立ち上がったとき、体が宙に浮かぶ。
対象を空中に浮かせることのできる異能者が、みかを持ち上げているのだ。高く、高く、島の全体を見渡せるぐらいにみかは上昇していった。
フリーフォールのように、急に全身に重力がかかる。しかもそれは強力なものであった。地球上ではありえないぐらいの、何倍もの重力がかかっていた。
彼女は双葉島に飲み込まれる。白いグラウンドが見えてくる。自分を待ち構える生徒たちが見えてくる。
そしてみかは、自分の愛する親友が自分に対して異能力を行使しているのを見た。
あの子は・・・・・・確か地球上の三十倍の重力を対象に付与できたんだっけな。みかはそう思った。
隕石のように、みかは校庭に激突する。大規模な砂煙が晴れたあと、穿たれたクレーターの中、みかはうつ伏せの状態でただひたすら呆然としていた。
「・・・・・・まだゴーサインも出してないのに、もう攻撃は始まってしまったようだね。でもね立浪みか。それぐらい、僕らが君たちに対して相当な恐怖を抱いたのは、真実なんだよ?」
みかの横顔から、涙が溢れ出る。
「もはや君らは学園のアイドルでも希望でもない。『脅威』だ! 学園や社会の平和を脅かす、脅威の存在なんだ!」
嗚咽が漏れ出した。自分が、自分の力を使ってずっと守りたいと思っていたもの。それらが、自分にたいしてこのように敵意を示しているのだから。
どんなに強いラルヴァでも、嫌悪感を抱くようなラルヴァでも、島や学校のみんなのために率先して前に出てきたというのに。その結果がこれでは、あまりにもやりきれない・・・・・・。
「立浪姉妹! いや、人類の敵である『ラルヴァ』どもめ! 我々双葉学園生は異能者として、これより戦力を結集して貴様らを始末する!」
「う、う、う、うわああああああああ・・・・・・」
みかは号泣した。気丈な彼女の心は深く傷つき、子供のように泣き喚いた。
「君たちのなかに、親をラルヴァによって殺された者はいるか?」
俺だ、私だ、私もだ、と声が上がる。
「君たちはそんなラルヴァを許せるか? 親をラルヴァに殺されて、ずっと辛い・寂しい・悲しい思いをしてきた君たちが?」
許せるわけがないだろう! 俺は死にそうなぐらいひもじい思いをしてきたんだ! と、誰かが言った。
私は大好きなお父さんや妹をラルヴァによって惨たらしく殺された! 絶対に許さない! だからこそ私はこうして学園に通っている! と、誰かが続いてそう言った。
「こうしてこの狂った世界に悲劇が絶えないのは、誰のせいだ? いったいどいつのせいで、この世界に破壊や殺戮が絶えないのだ?」
ラルヴァだ。
ラルヴァに決まってる!
ラルヴァが町を壊し、家庭を壊し、平和を壊している!
「君たちの言うとおりだよ! 今もこの世界のどこかで君たちのように、家族をラルヴァに殺されて泣いている子供がいるんだ。不幸な目に合う子供が増え続けているんだ。君たちの背負ってきた辛くてむごたらしい過去を、未来の子供たちにも背負わせてもいいのか?」
いいわけがないだろう、と誰かが怒鳴る。
何のために俺たちがいるんだ、と誰かが怒鳴る。
何のために俺たちはこの学園で修行してるんだ、と誰かが怒鳴る。
「何のために僕たちはこの学園に通っているんだ? ラルヴァと対抗するためじゃないか! ラルヴァを殲滅させるために、僕たちはこの学校で自分の力を伸ばしているんじゃないか。これ以上ラルヴァによって僕らの世界が壊されていかないためにも、僕ら学園生はみんなからその役割が強く期待されている!」
そうだそうだ、と口々にみんなは言った。
「では、諸君! 僕らは異能者として、この裏切り者のラルヴァをどうするべきかい?」
殺せ、と誰かが言った。
倒せ、と誰かが続いてそう言った。
始末しろ、やっつけろ、討伐しろ、撃破しろ、ぶっ殺せ!
「立浪姉妹はラルヴァだ。君たちも熊の映像を見ただろう! もはやこいつらは学園のアイドルなどではない。『ラルヴァ』だ! 殺戮と破壊を楽しむ『ラルヴァ』なんだ。状況証拠も科学的な証明も揃っている。かまわない、今こそ我々、誇りある双葉学園生が力を合わせて、憎きこいつら『ラルヴァ』を倒すときだ!」
「まさか双葉学園に『ラルヴァ』が紛れ込んでいたなんて・・・・・・!」
「どおりで強すぎると思ったんだ! 『ラルヴァ』なら納得だ!」
「よくよく考えれば姉妹の武器は反則級だよな。強すぎて、便利すぎて、異能者のそれとは思えない」
「二人が結託すれば醒徒会も危ういんじゃないの? 醒徒会は何をしてたの? 行き過ぎた存在は粛清するんじゃなかったの?」
「ガリヴァーをひっくり返すパワーはとんでもなかった。そういうことだったのか!」
「カテゴリー・ビーストね。よく考えればケモノの血が流れているなんて、どう考えても『ラルヴァ』じゃない、汚らわしい!」
「立浪姉妹を殺せ! 憎き『ラルヴァ』を血祭りにあげろぉ!」
もう、与田が余計な煽動をする必要もない。集まった高等部の生徒たちは揃って、グラウンドの真ん中にいる立浪姉妹に向けて罵声を浴びせつけた。
「ひどい・・・・・・! こんなひどい話が、あってもいいの・・・・・・!」
みきは、穴の中でうつ伏せになって動くことのできないみかを引っ張り出した。
「姉さん・・・・・・?」
「・・・・・・うう、ううう、ひっく、うえええええ」
次女はそれに直面すると息を呑んだ。みかは、まだ泣いていたのだ。
いつもしっかりしていて笑顔を絶やさない明るい姉が、顔面をぐしゃぐしゃにして泣き喚いているのだ。
自分の力を、みんなのために使ってきた立浪みか。
大好きな島の人を守るために、自分の力を使ってきた立浪みか。
それがこんな形で踏みにじられたあげく、こうしてラルヴァとして口汚く罵られ、嫌われてしまった。彼女にとって、こんなにも辛い現実はないのだろう。
「ひどいよお、こんなのひどいよお・・・・・・ううう・・・・・・」
ぎりっと、みきの歯が軋んだ。こちらに近づいてくる与田を睨む。
こんな汚い真似をするのが、人間のすることなのだろうか? 本当に醜くて害悪なのは、ラルヴァではなく『人間』のほうではないのか?
突如として湧き上がった、そんな黒々とした感情。みきははっとして正気に戻る。
今の感情はなんだったのだろうと、思いながら・・・・・・。
「姉さん、しっかりしてください。とりあえず、私たちはこれ以上この島にいることはできないようです。田舎に帰りましょう。田舎に帰って、普通の人間として暮らしましょう・・・・・・」
「やだあ、そんなのやだあ。うう・・・・・・」
そして、かちゃりと音がする。
みきが顔を上げると、与田が拳銃を向けているのを見た。
「もうおしまいだよ、立浪姉妹。個人的にはもっと仲良くなりたかったのだが、ラルヴァとわかったのなら話は別だ。ラルヴァはラルヴァらしく、異能者に始末されてもらおう」
みきはみかを抱きしめた。相手が与田とはいえ、学園生相手に鞭を振って抵抗するわけにはいかない。もはやこれまでだと、オッドアイから涙粒をひとつ零しながら目を瞑った。
ところが。
「やめてくれえ!」
子供の声がしたのだ。与田も驚いて銃を下ろし、横から走ってきたその茶色い少年を見る。
「き、君はあのときの・・・・・・?」
と、みきは言った。
「みき姉ちゃん、大丈夫? みか姉ちゃん、大丈夫?」
小熊のマイクは心配そうにして、負傷したみかの様子を伺っている。みかも泣くのをやめて、その緑の瞳で彼の丸い顔と向き合った。
「マイク! どうしてこんな場所にいるんだい・・・・・・?」
「たまたま学校に遊びに来たらこれだよ」
そう言ってからマイクは立ち上がり、異能者の集団と向き合う。何を始めるのだろう、と姉妹は小熊の行動を見守っていた。
「学園のみなさん、僕は小熊のマイクです。このみき姉ちゃんにお父ちゃんを殺された、小熊のマイクです」
彼がそう言ったのを聞いて、みきは心臓が跳ねたのを感じる。
「でも、しょうがないことだと思っています」
それを耳にして姉妹は瞠目した。
「ま、マイク・・・・・・」
「僕の父ちゃんは、工事現場の人たちを襲いました。何も悪くない人を、大怪我させました。そんな父ちゃん・・・・・・『ラルヴァ』は、異能者によって殺されて仕方がないと、僕は思っています」
みきの頬を涙が流れていった。この子は、惨たらしく父親を殺してしまった自分のことを、そうやって一生懸命庇ってくれるのだ。
彼はみきのあの行為を正当化することで、彼女を絶体絶命の危機から救おうとしているのだ。
「みき姉ちゃんは立派な異能者です。ちゃんと悪い父ちゃんを倒してくれた、島の平和を守ってくれる異能者なんです。僕らのような『ラルヴァ』なんかじゃない」
「マイク、もういいの、やめて」
「だから、僕の父ちゃんを殺してくれたみき姉ちゃんを、みんな責めないで。みき姉ちゃんは、ラルヴァの父ちゃんを殺してくれた強い異能者なんだ。だからこれ以上みき姉ちゃんを怒らないで。みき姉ちゃんは僕らのような『ラルヴァ』なんかじゃない。立派な異能者だ」
「マイク、お願いだからそんな風に言わないで」と、みきが言う。「君のお父さんは人間を襲いたくて襲ったんじゃないの。君のために、生活のために工事現場の人を」
泣きながらそう言うみきを、マイクが手のひらを差し出して止めた。彼も泣いていた。本当は父親を失って非常に辛いはずなのに、それをこらえてみきを救おうとしているのだ。
「僕、しょうがないと思ってる。僕たち『ラルヴァ』は人間たちの迷惑をかけちゃいけない。人間に危害を加えてしまったら、異能者に殺されてしまっても当然なんだ」
「ごめんね・・・・・・きみのパパはそんなつもりで暴れたんじゃなかったのに・・・・・・」
「そんなこと言わなくていいよ・・・・・・悪いのはみんな僕たちなんだ・・・・・・『ラルヴァ』が悪いんだ・・・・・・『ラルヴァは悪なんだ』」
「言わないで、そんなこと言わないで、ごめんね、ごめんね」
「なんで謝るんだよみき姉ちゃん、悪いのは僕たち『ラルヴァ』なのに」
マイクはあらためて学園の異能者たちのほうを向いた。きちんと背筋を伸ばしてから、頭を深々と下げた。
「異能者のみなさま、ごめんなさい」
なんと、彼は人間に対して謝罪を表明したのだ。
みきは涙が止まらない。どうしてこの子は人間たちに謝るのだろう? 彼ら親子がいったい、どんな悪事をはたらいたというのだろう? 彼女はこのラルヴァの子どもが出た、人間たちに対する誠実すぎる行為に、ひたすら涙を流していた。
「人間のみなさま・・・・・・ごめんなさい。異能者のみなさま・・・・・・ごめんなさい。・・・・・・島に住むみなさま・・・・・・ごめんなさい。うちの父親が、みなさまに大きな迷惑をかけてしまって・・・・・・。悪いのは僕らですから、どうかみき姉ちゃんたちを・・・・・・」
みきは大声を上げていた
「や」
マイクに向けて学園生による一斉放火が行われた。
「め」
超能力・魔法力・超科学を、その小さな身に叩き込まれる。
「て」
彼は茶色い毛皮をずたずたに引き裂かれて、血まみれになる。
後ろに倒れていく小さな体を、突然上空から降りかかってきたポニーテールの剣豪少女が双剣で八つ裂きにした。胴体や手足があの熊のように切り裂かれ、バラバラになって上空にはね飛んだ。・・・・・・彼女は過去に、弟を猛獣型のラルヴァに食べられていた。
「ぇえええ!」
役割を終えた剣豪少女が、無言で二本の剣を鞘にパチンと納めたとき。
バタバタと、マイクの死体がみきの眼前に降り注いだ。
「な、な、なんて事を・・・・・・!」と、みかですら、学園生が出た行為に衝撃を受けていた。
みきはというと、呆けたような顔をしてマイクの頭部と向き合っていた。
恐らくまったくの想定外だったのだろう、このまさかの展開に与田はヒューと口笛を吹いて驚いてみせてから、実に機嫌よさそうにしてこう言う。
「何をそんな顔をしているんだい、立浪みき? 彼は『ラルヴァ』だから始末した。『ラルヴァ』の子供だから始末した。『ラルヴァ』だから我々双葉学園生が始末した。ただそれだけの話だろう?」
「あ・・・・・・うあ」
「ラルヴァは人類の脅威であり殲滅させなければならない悪の総称だ! そのために我々異能者がこうして双葉学園に集結し、教育を受け、討伐のため世に繰り出されていくのではないのか? 君は敵を倒すことに疑問を持つのか? 人類の敵を庇い、その死を哀れむというのか?」
「いや、いや、いや、いや」
「それともお前らがラルヴァだからあの害獣を庇うのか! ならばお前らも敵だ! 我々の敵だ! 人類の敵め! ラルヴァの猫耳姉妹め!」
「いやあああああああああああああああああ」
みかははっとして、みきのほうを振り向く。これはいけない。みきを止めないといけない。そんな直感が働いたのだ。
「みき! 落ち着け!」
と、血の涙を四方に撒き散らしながら天高く絶叫するみきに、飛びかかる。抱きしめる。
「ダメだ、力に呑まれてはいけない! 落ち着くんだ! お前はラルヴァなんかじゃなくて、心優しいうちの立浪みき・・・・・・ぐっ」
みかは吹き飛ばされてしまった。背中からグラウンドに叩きつけられる。
みきを中心として、黒い色をした強い渦が巻いている。それは校庭の砂を空高く巻き上げ、凶暴な竜巻を思わせた。
ズシンと地響きが双葉学園を揺らす。双葉島が恐怖に戦く。学園生はあわてふためく。
稲妻が目の前で落ちてきたかのような爆音が、異能者たちの悲鳴をさそった。校庭に炸裂したものすごい閃光に、学園生たちはたまらず腕を覆う。
砂煙が落ち着き、どす黒い瘴気が晴れたとき。
みかは、『ラルヴァ』の血に目覚めた実妹を見た。
「ああ・・・・・・なんてことだ・・・・・・みき・・・・・・みきぃ・・・・・・」
病的なゴシックファッションを思わせる漆黒のドレス。
白をであることをやめた、カラスのごとき黒い猫耳。尻尾。
コバルトのロープは表皮がぱりぱりと剥がれ落ちてしまい、黒い鞭へと脱皮する。
あれだけ見る物を魅了してきた美麗なオッドアイは、血塗られてしまって、毒々しい赤へと変貌していた。
それは人間どもを鞭で叩いて制裁する、黒ずくめの恐ろしい『ラルヴァ』――
「・・・・・・ふ、ふふ。見たまえ。とうとう本性を現したぞ。我々超科学者の分析は正しかった。僕の仮説は正しかった! やはり立浪姉妹はラルヴァだったん――」
与田は左肩に衝撃を感じた。ゆっくり振り向くと、輪切りとなった肩から、鮮血が大量に噴出している。足元では斬りおとされた左腕が転がっていた。
「ひ、ひぃいええええええええええええ?」
彼は、白衣を赤く濡らしていくその光景に絶叫した。
みきは白衣の連中に鞭を振るう。超科学の連中を、まとめて一気になぎ払う。
真っ黒になった鞭は、先端が鈍器のように重くなっていた。超科学者たちはいっせいに腹部を斬られてしまった。校庭は瞬く間に血の海となり、阿鼻叫喚の地獄となってしまった。
「ぎゃああああ!」
「腹が、腹が」
「腸が出てきたあ、こりゃどうしたらいいんだあ!」
それを見たみきは、にたりと微笑む。左の口角だけを極端に吊り上げ、邪悪な笑顔を今度は異能者たちに示した。
「・・・・・・う、うわああああああ!」
「逃げろ、逃げろおおおおおお!」
学生たちは敵に背を向け、団子となって校舎のほうへ逃げ出した。その大群を一人残らず血祭りにあげるため、みきは鞭を握って駆け出した。
「ぐげえええ!」
姉に対して氷塊をぶつけた高等部三年生の異能者を、袈裟切りにするよう鞭で斬った。
「はぎああああ!」
姉を空高く打ち上げた高等部一年生の異能者の背中の皮を、鞭で剥いでしまった。
「きゃあああ!」
姉を裏切って彼女を地面に叩きつけた親友の、大腿を斬りおとしてしまった。
そしてみきは、マイクを惨殺したポニーテールの剣豪少女の前に降り立つ。彼女は涙と鼻水と小便をぼぼたぼた零しながら、黒ずくめの少女の大きな影に覆われる。
「やだ、私はそんなつもりじゃ、助け、助け・・・・・・いやあああ!」
そんな彼女の腹部に容赦なく、伸縮自在な鞭が貫通した。
「ぐほっ・・・・・・ぎゃ・・・・・・許し・・・・・・」
鞭を貫通させたまま、ど真ん中から真横に掻っ切ってしまう!
「あぎっ・・・・・・」
剣豪少女は血反吐と内臓を撒き散らしながら、白目をむいてその場でばたんと横に倒れた。がらんがらんと、二本の剣が地面に転がっていった。
もはや、計画を指揮していた与田光一の手に負えない事態となった。学園始まって以来の大惨事となってしまった。醒徒会や教員が血相を変えて駆けつけ、戦闘準備に入る。学園に「非常事態宣言」のサイレンが鳴動される。治癒能力を保有する貴重な保健委員が、必死になって重態の生徒の治療を開始した。
「くそったれがあああ! ここは俺が食い止めるからお前らは逃げろぉ! お前らじゃとても話にならねぇええええええ!」
高等部の男子が一人、竜に変身して対抗しようとした。みきも好戦的な彼を見て、飛びかかろうとするが。
「みき!」
彼女は姉猫に呼ばれて、その足を止めた。
姉は首だけを横に向けたまま、妹にこう話しかける。
「みき。本当は辛いんだろう? こんなことしたくないんだろう? あたしにはわかるよ、姉妹だからさ・・・・・・」
黒ずくめになってしまった妹と向き合うのが、本当は辛かった。目を背けたまま、さめざめと泣いている。
そして左手に緑色の短剣を具現させ、瞳を輝かせながら彼女にこう宣言した。
「あたしが止めてやる! あたしがお前を息の根を止めて、楽にしてやる!」
それは、みかがみきと交わした約束事。禍々しい己の血に恐怖する次女を、守ってあげるために長女が交わした大事な「姉妹の約束」。
「来い、みき!」
べっとり人間の血で赤く塗れた仔猫は、非常につまらないものを見ているかのような冷酷な表情で、そんなことを淡々と聞いていたのであった。
『2016年上級ラルヴァ・学園強襲大災害』
最終更新:2009年12月06日 11:03