慧海と百を乗せたチンパンジー・ロケットは無事発射され、発射台でその様子を見つめるNASA職人の何人かは、賭け金をスった
「よっしゃモモ、フルバーニアで全開だ!ロシアのロケット野郎共が小便漏らすくらいの、上昇速度記録作ってやろうぜ!」
「山口さ~ん、ガソリンがもったないですからゆっくり行きましょう~、わたしお小遣いあんまり持ってきてないですから」
チンパンジーよりいくらかマシな猿二匹を乗せたロケットは、空力限界高度まで48秒で達した、最高だね、この可愛コちゃんは!
「あれ?モモ、なにか落っこっていったぞ…あ!二段目の切り離しってもっと先だったよな?」
「なんか、裏コマンド入力したらそうなっちゃって…でも、装備パージして機動力アップはお約束ですから」
発射されたチンパンジーロケットは、あっちへフラフラ、こっちへヨロヨロしながら奇跡的に衛星軌道へと達し、
ヒューストンの管制センターから操作を受け継いだ国際宇宙ステーションのスタッフによってドッキングされた。
お利口なチンパンジー二匹がやったことはといえば、接続されたハッチの鍵を開けたことぐらいだが、それでも一応、共同作業者。
「ウェルカム・トゥ・スペース・ステーショ…OH!ニンジャ!…アンド…カウボーイ!」
接続されたハッチから、チンパンジーロケットの宇宙飛行士、忍者少女の飯綱百が、恐る恐る顔を出す。
「あの…ごめんなさい…お星さまが綺麗だったから、山口さんと一緒にご飯食べてたら…ぶつかっちゃって…お怪我はありませんか?」
20年くらい前から、宇宙食の乾燥アイスクリームやシチューが、ジョークグッズショップとかで時々売られるようになった。
元々は宇宙食技術の流用である民生インスタント食品から、新規技術が逆導入《スピンイン》され、最近の宇宙食は本当に美味しくなっている。
慧海と百は、地上では見られないでっかい月と星を窓から見ながら、二人差し向かいの水入らずで、学食より美味い宇宙幕の内弁当を食べていた。
宇宙飛行士側が行う、ドッキング前の確認事項を二人揃って綺麗に忘れ、お茶を飲んでたら、突然、宇宙ステーションにオカマを掘られた。
街で時々、営業車を運転しながら、弁当食べてコーラ飲んでジャンプ読んでいる剛の者が居るが、やめましょう。
慧海と百が、国際宇宙ステーションに移乗すると同時に、無事到着を知らせるべく、ヒューストンの管制センターとの通信回線が開いた。
当然、この通信は異能関係者限定の機密だったが、世界に多数あるラルヴァ機関や異能者学校には、リアルタイムで映像配信され、
日本の双葉学園でも、生徒課長の都治倉喜久子《つじくらきくこ じゅうななさい》と、醒徒会の役員達が、モニターに映る歴史的瞬間を見つめていた。
喜久子は、星条旗模様のチアガール姿だった、気持ちだけアメリカに飛んでる生徒課長と一緒に居る醒徒会役員は、実に気まずそうな様子。
「なんであたしを連れてってくれないの~~!!」
公費でアメリカ旅行する気アリアリだった喜久子、しかしNASAから送られたチケットは、ツアー流れのエコノミー三枚。
自腹でついて行こうにも、喜久子は先週の夏コミにサークルと一般とコスとカメコの四重参加をしてしまい、お小遣いは全部使っちゃった後だった。
都治倉喜久子がFly Me To The Moonを恨み節のように歌いながらかじりついているPCに、NASA会員限定配信の動画がロードされる。
異能者の宇宙進出、大気圏外における最初の対ラルヴァ活動、その最初の一言が、全世界の異能者達の間に響き渡った。
「オッパイが!オッパイが! Tit's! Tit's! 」
あれだけ無重力下ので訓練を重ねた二人は、狭いチューブ状のハッチを通って宇宙ステーションに入ろうとしたとき、
一人サイズのチューブを二人同時に通ろうとして途中でつっかえ、慧海は百の豊満な胸に顔を押し付けられた状態で、窒息寸前となった。
NASAが全世界の異能者に向け、ニコニコチャンネルを間借りして配信している映像は、ステーション外部カメラの、ドッキングされたロケットを映している。
遠い空の果てで、オッパイに溺れて死にそうな慧海の声、各国の異能者達は、NASAサイトと繋がったPCを掴みながら「ええいロケットよりこの二人を映せ!」と叫んだ。
「オッパイ!モモ、オッパイでかすぎ!オッパイどけろ!オッパイが苦しい!あれ?モモ、左のオッパイの方がちょっとデカくないか?」
その頃、双葉学園では、留守番をしていた神楽二礼が、風紀委員の腕章をした制服姿で、堂々と杏仁豆腐の買い食いをしていた。
風紀委員長二人と、対異能者戦闘では委員長に比肩する実力を持つという噂の飯綱百が不在の間、学園を護る風紀委員見習いの一人である彼女への、慧海のただ一言の助言。
「そこそこサボれ」
逢洲と慧海が不在の間、風紀委員長代行は、生徒課長の都治倉喜久子《つじくらきくこ じゅうななさい》が務めている。
ン年前の学園制服を引っぱり出して着た喜久子さん、それ自体が犯罪とも言えるブレザーとミニスカで頑張る、風紀委員長代行。
少なくとも、あれを生徒の目に触れる場に出さないのが、学園の風紀を守る第一歩だと、二礼は思った。
慧海が風紀委員の選別を行うようになって以来、双葉学園の委員会には少しづつ、頼もしき異能の番人が揃いつつあった。
オーストラリアで生まれ、ナイフ一本でクロコダイル・ラルヴァと戦っていたところを学園にスカウトされた 中等部三年の鰐伊達男《わに だてお》。
居るだけで都会では異彩を放つ、ダンディーな田舎少年である彼は、異能ナイフでの接近戦に強く、野生のビーストラルヴァへの知識も豊富。
身体強化の異能で、数十階の校舎も高層ビルも絶壁も、軽々と駆け登る超人異能者少女 高等部二年の耶麻華詞《やまかし》。
ジャケット型のスピーカープレイヤーで常に流しているユーロテクノのリズムに乗って、ラルヴァや異能者を翻弄するいかした奴。
異能工学と超科学の知識に秀でているが、実戦でも頼りになる高等部三年の長身美女 幕賀伊庭《まくが いば》。
あらゆる問題を異能のガムテープで解決してしまう応用性と、人を傷つける武器を嫌う優しさを併せ持った女性でもある。
今回、宇宙への出動に補欠として選ばれた飯綱百と同じく、彼らもまた、まだ正式な風紀委員になる前の研修段階だったが、
異能よりそれを使う人間の肉体と精神を、極限状態に追い詰めて験す、慧海の特訓を通過した彼らは、いずれも一騎当千の異能者。
見習い風紀委員の一人、神降ろしの異能と外道な木刀、何より柔軟な思考と、戦場を広い視野で見る認識能力を武器とする神楽二礼は、
風紀委員長の教えと、自分自身の判断に従い、学園の風紀、特に現在屋台が出ている場所周辺の治安を守る仕事を遂行していた。
「杏仁豆腐、おかわり~」
アメリカでは、決して賃金の高くない制服警官に無料で飲食を供するドーナツショップやハンバーガーレストランが多い。
若者による軽犯罪の場となる軽食屋に警官を常時出入りさせることによる、店の治安維持効果、利点はそれだけではない。
警官が街を守るためには、街に溶け込み、自分自身が街になる、それは表だけでなく裏の人間の安寧をも守り、結果として街は綺麗になる
もっとも、そのシステムは、警官の平均体重増加というデメリットがあるが、胸以外はスリムな二礼に関しては、その心配は不要だった。
ビール箱に板を敷いた椅子に腰掛け、杏仁豆腐をほお張る神楽二礼は、友人で中華料理店員の拍手が引く屋台の前を占拠している。
不逞の異能者による非行の場となる商店街、その入り口にある屋台に長居している二礼、赤い風紀委員腕章の犯罪抑止効果は高かった。
ガスでは望めない火力が得られる、コークスのコンロで鉄鍋を振るう、屋台店長の柏手は、ふと料理の手を止めて、空を見た。
「…何か、夜空の星から、声が聞こえてきたような気がしたんだ、愛と希望に満ちた、素晴らしい言葉が、今、この宇宙《そら》に満ちている…」
その頃、ISS国際宇宙ステーションでは、チューブの中で詰まった慧海と百が、なんとか呼吸を確保すべく互いの胸を押し合っていた。
「モモのオッパイ、メロン並み~~~」
「山口委員長のおっぱいも、小ぶりながらやわらかくてすべすべで、可愛らしいですよ」
宇宙からNASAを経て全世界へ中継される異能関係者限定配信動画は、しばらくの間、綺麗なお花畑と湖に浮かぶボートを映していた。
その頃、ホリディ・インの一室、現在、日本の異能者三人がチェックインしているツインルームで、一人の少女が黒いオーラを発散していた。
風邪薬がきき、ベッドでぐっすり眠っていた逢洲は、何か人生最大の悪夢を見ているかのような顔で、枕元の刀を握り締めていた。
星の海を越えて、それよりずっと難関でありながら、甘くて柔らくいい匂いのオッパイの海を越えた二人は、国際宇宙ステーションに到着した。
危険なラルヴァや危険な異能者を、危険を以って解決する双葉学園の風紀委員、宇宙はたった今、danger zoneと化した。
ラルヴァに脅かされる現場に到着したニンジャとカウガールは、即座に異能の風紀委員と化し、無重力のステーションを二方向に散った。
事前に頭に叩き込んだ宇宙ステーションの見取り図に従い、センターモジュールから日本の実験棟「きぼう」に突入した百は、いきなり会敵した。
狭く区切られた実験棟、投擲力が減衰しない無重力空間で、クナイや手裏剣は跳ね返って自分自身を傷つけるから危険、何より高価な機材を壊す。
百は目前の宇宙ラルヴァに対して斜に構えて体を捻り、バックハンドで背中に差した、一尺四寸の小太刀に手をかけた。
進学のため藜の里を下りる時、忍び頭の祖母から長さの違う物を何振りか分けて貰った、板発条《いたバネ》の小太刀。
多くのカスタムナイフメーカーが最高の炭素鋼と口を揃える、パッカードの板発条《リーフスプリング》から削り、鍛き出した刀。
銀色に輝く刀身、鉄板をハイスピードで切り裂く工具にも使われている炭素鋼に、分厚いハードクロムのメッキを施した小太刀は、
大概の日本刀を叩き斬れるだけの強度を有している、刃は、上にリンゴをのせたら、そのままリンゴが自身の重みでストンと切れるほど鋭い。
藜《あかざ》の獅子
それが戸隠流忍者が修行に励む信州黒姫、藜の忍び里での、百の二つ名。
同じく黒姫の忍び里で育ち、藜の虎と呼ばれた幼馴染のたかちゃんと並び、百の体術と剣術は近隣の忍び里にまで鳴り響く実力だった。
宇宙に旅立つ一週間前、風紀委員研修が一段落した百は、生徒課長より休日を貰い、特急で二時間の長野、黒姫まで里帰りをした。
醒徒会の考えは、慧海の過酷な研修で疲れた時期、昇格に向けた最後の課題を前に、百に骨休めをさせてあげる積もりだったが、
百にとって、三日間の里帰りは、風紀委員となる前に藜に戻り、忍び頭の祖母の下で、忍びの業をもう一度鍛えなおすため。
研修で幾度も重ねた模擬戦、異能者やラルヴァに鋼を打ち込み、異能を停める異能を持った百、第二撃で異能者やラルヴァに止めを刺す二段攻撃は、
その性質上不可避な、攻撃の間隙が生まれ、憧れの山口委員長や学園最強の剣術者、逢洲委員長との模擬戦では幾度も敗北を重ねた。
藜の忍びの間で獅子と呼ばれた、祖母直伝の忍術を以って、双葉学園で多くの強敵と対した百は、まだ幼き獅子だった。
異能を停める第一撃、異能者を止める第二撃、自らの速さを磨き、少しでも間隙を埋めるため。百は骨肉も砕けんばかりの稽古を重ねた。
百は忍びの要諦は精神にある、という祖母の教えにより、稽古のひとつとして取り入れられている、一日2回、一時間づつの座禅を組んでいた。
百の実家は、黒姫の住宅地にある建売だったが、一人娘の百が進学で家を離れたことで、両親は黒姫の山中に念願の日本家屋を建てた。
以前の建売住宅にはなかった日本庭園を前にした、板張りの縁側で、百は祖母と共に禅を組んだ、静寂もまた、住宅地にはなかったもの。
……カ…カコ~ン……
鏡のような静謐の水面をイメージしながら瞑目していた百に、突然聞こえてきた音、精神の水面が波打った。
日本家屋に住んだ経験のない百には不慣れな音、思わずビクっとした、これがラルヴァや異能者との実戦だったら、精神を不用意に動揺させていれば負けてるか死んでる。
百は開目して、共に禅を組んでいた祖母を見た、ナイキのジャージを着た祖母は、百の視線に気づいて片目を開ける。
「お婆さま、これは何ですか?」
「モモ・ガール、それはシシオドシさ」
「獅子脅し?獅子のわたしをおどかす道具ですか?わたし、正直あんまりビックリはしませんでした」
百はおばあちゃんの前でちょっと強がった、戸隠忍者の指導者である忍び頭の祖母にはお見通しだったかもしれない。
「そりゃ残念だ、モモ・ガール、高かったんだから、もっどサプライズしなよ、もっと見てみな、きっとインクレディヴルだぜ」
鹿嚇《ししおどし》
その起源は、名前の通り、庭園に寄って来て庭木を食う鹿や小動物を遠ざけるための、自動的な音声発生器具。
湧き水を受けた竹筒がシーソーの原理で先端を下げ、水を吐き出した後、カポーンという音と共に元に戻る。
それは後に、風景だけでなく静寂もまた、美として取り入れた日本庭園に、音楽を加味するという役割を持つようになった。
水を満たした竹筒が、その重みに従って切り首を下げ、中に湛えた水を吐き出した後、再び重みに従って首を上げる。
流れが絶えぬ限り、竹が壊れぬ限り、延々と続く、安定した往復運動、百は何かを感じた、今の自分に足りないもの。
二泊三日の里帰り、飯綱百は、道場や里での忍び修行もそこそこに、一日中、鹿嚇《ししおどし》の往復運動を見つめ続けた。
合気道の達人、塩田剛三は、後に師となる開祖、植芝盛平の技、その腰と膝の動きを習得すべく、金魚の動きをずっと眺めていたという。
飯綱百が藜の忍び里で得た、鹿嚇の動き、その往復運動を取り入れた、百の二段階攻撃を完成させたのは、慧海との模擬戦だった。
互いに傷だらけになるまで武器と肉体を交え、直後に組み手の映像を見ながら、双方の動きについて徹底的に話し合う、慧海の模擬戦。
組み手中に二割、組み手後のディスカッションで七割の人間が疲労と負傷で倒れる訓練、百は自ら希望して、自身の動きを慧海と共に解析した。
鋼の忍具を打ち込み、あらゆる異能の根源を塞き止める、極めて稀有にして強力な異能を持った忍者少女、飯綱百。
いかなる強力な異能さえ例外なく停止させる彼女の異能は、異能に対しては無敵だったが、停めた後は、人間と人間の戦い。
神業の異能者を倒す力であると同時に、実戦慣れした低能力者にあっさり敗れる可能性をも有した、危うい能力。
異能を停める第一撃と、異能者を停める第二撃、その間隙こそが百の最大の弱点だった、少なくとも目の前の委員長はその隙を容赦しない。
百が慧海に向けてメッキの竹光を振る、一の太刀を叩き込んで異能を停め、返す二の太刀で慧海を仕留めようとした百は、その合間に蹴りを食らって倒れた。
安定しない一の太刀と二の太刀、相手に攻撃の隙を与えず、二撃を斬り込むのは無理と思い、百は小太刀と手裏剣の複合攻撃に切り替えようとした。
しかし、百の動き、その太刀筋よりも、小太刀を振る百自身の筋肉の動きを何度も画像再生させた慧海は、それとは違う意見を述べた。
刀を返す太刀筋もまた、自然に反した動きではない、振り切った太刀は返ろうとする力を持っていて、それに逆らわず太刀を舞わせればいい。
V
運動力学に即した、筋肉や物体の理想的な動きのラインは、必ず何かのアルファベットに当てはまるという、山口・デリンジャー・慧海の持論。
24種の文字はそれを示したものだということを、慧海は実戦で証明してきた、銃撃、蹴りや拳、戦いの場さえも、アルファベットに従って動く。
ついさっき、百の第一撃を斜に受けて減力し、第二撃の前に足を撃ち込んだ慧海の体は、Sを描いていた、その数日前のラルヴァとの実戦では、Gの軌道。
百は、藜の里で得たことを思い出した、水をたたえて下がる竹筒が、流れ出る水の動きと調和を描くように上向く、鹿嚇の動き。
竹筒の鹿嚇に限りなく近い動き、水の流れを意識する、百の小太刀は、Vの太刀筋を描いた、一の太刀の切っ先を回して打ち込む、Vの二の太刀。
気が付いた時には、デリンジャーを放り出した山口委員長が、腹に竹光を食らって伸びていた、慌てて駆け寄った百は、慧海の「死んだフリ」に騙されて一撃を食らう。
百は後で慧海に「半分、本当に死んだ」と言われた、このまま太刀の力と疾さを磨けば、百の小太刀は無敵になる、とも教わった。
「…宇宙のラルヴァさん、わたしは飯綱百、双葉学園風紀委員会サポート委員、そして藜の忍び…参ります!」
百の脳裏に、ロケットの発射直前、風邪を押して接近戦の訓練をしてくれた風紀委員長、逢洲等華の声が浮かんだ。
「百よ、考えるな、感じるのだ」
逢洲等華のキャラいじりに対しては色々と問題のある昨今だというのに、百の記憶の中での逢洲は、かなり事実と異なる補正がされていた。
「…一の太刀で根源の河を止め、二の太刀で異能者を停める!…藜流抜刀獅子縅《あかざりゅうばっとうししおどし》!」
飯綱百は、後に彼女の必殺技として、多くの異能者やラルヴァを震え上がらせることになる、藜忍びの小太刀抜刀術に開眼した。
侘びの静寂を、竹で打ったような音が響く、間隙皆無の一の太刀二の太刀は、ラルヴァの異能を停め、ラルヴァの活動を止めた。
一の太刀で異能を停められた宇宙ラルヴァは、Vを描く神速の二の太刀で横薙ぎに切られ、全身を極小の粒子に分解させた。
極微のラルヴァはしばらく、百の目前を漂っていたが、やがて壁の中に解けこむ、異能ではなく、マイクロ単位以下となった物体の物理的透過。
そのままステーション外に出た極微のラルヴァは、宇宙空間でさっきまでと同一の肉体を再形成させた。
人間という、恐ろしい能力を持った地球衛星居住者を目の当たりにした宇宙ラルヴァは、お仕置きされた猫のように宇宙の彼方へと飛び去っていった。
猫は獅子には勝てない。
百は日本の実験棟「きぼう」をクリアした、板バネの小太刀を背に納刀した忍者は、アメリカ実験棟「ディスティニー」へと飛び込む、またラルヴァ。
再び、小太刀を抜刀した、大太刀と違い、半ば体当たりの覚悟で斬りかかる一尺四寸の小太刀で、ラルヴァを袈裟斬りにし、異能を停めた。
そのまま逆側からもうひと衣《きぬ》の袈裟を着せてやった、Xの軌道、百は既に、アルファベットの軌道を描く獅子嚇の抜刀術を自在に使いこなしていた。
二条の太刀傷をつけられ、両膾に斬られた宇宙ラルヴァもまた、体を極微に分解させて宇宙空間に脱し、火星の方向へと逃げていく。
二体のラルヴァを倒した百は、山口委員長が相手にしているであろう、もう二体のラルヴァを斬るべく、宇宙ステーションのサーチを続けた。
山口・デリンジャー・慧海は無重力のステーションを泳ぎながら、空間を自在に移動する、照準困難な宇宙ラルヴァに苦戦していた。
「慧海よ、フォースの力を信じるのだ」
やはりいい加減な記憶の中でインチキ補正された、逢洲の声が脳裏を掠める、慧海は目を閉じ、感覚だけを頼りに撃った。
無反動のジャイロジェット弾が、火を吹きながらラルヴァとはまったく逆の方向へと飛んでいき、何か高価そうな機材を壊す。
「あ、外れた、そりゃそうだわな」
結局、二発目は普通に狙って仕留めることにして、弾丸を装填し直す、この特殊なロケット弾が、ラルヴァに有効な破壊力を持つのは、5m以上、5.5m未満。
慧海が宇宙に旅立つ前、この銃を貰った直後、動くマトとなることを快く承諾してくれた誰かに感謝しつつ、ジャイロジェットを撃った。
二体との距離が最適になった瞬間に放った二連射の無反動ジェット弾、二体のラルヴァを0.4秒の差で撃った。
いつも使っている41口径弾なら、あとコンマ1.5秒は速く仕留められたが、たぶん反動でカエルのように壁に叩きつけられていた。
慧海の母が謹製したジャイロジェット・デリンジャー、有効射程距離の誤差範囲50センチの銃は、慧海にしか使いこなせなかった。
二体のラルヴァが微少な粒へと分解し、外壁を通り抜けて実体化したラルヴァが後ろも見ずに宇宙の果てへ飛び去っていくのを見た慧海は、
反射的に窓を撃ち抜いて叩き割り、飛び去っていくラルヴァを撃墜しようと思ったが、解き放て、という逢洲の言葉を思い出し、銃口を下げた。
おかげで、国際宇宙ステーションは窓の破損によって内部の空気が吸い出され、壊滅する危機を逃れることが出来た。
遠い空の星と化したラルヴァを窓から見つめる慧海の耳に、遠くから聞きなれた声が聞こえる。
「…あかざりゅう…ばっとうししおどし!…」
百が打ち上げ直前まで磨いていた抜刀技、しかし斬る前に技の名を叫ぶのは、あまりにも恥ずかしいからやめさせたほうがいいと思った。
慧海が分担するブロックのサーチ&クリアが終わった頃、もう一度聞こえた百の声、懲りない技名の叫び、リアルな殺陣描写のカムイ伝でもやってたし、セーフなのかもしれない。
とりあえず、綱渡りの任務の結果、自分達が無事、4体のラルヴァを宇宙ステーションから追い払ったことを知った。
わたしのモモが敗れるわけがない、慧海は百を信じ、百を鍛えた逢洲を信じ、何より自分を信じていた、おまけに自分が大好きだった。
そして慧海と百は、今日も生き延びた
衛星軌道上を周回する国際宇宙ステーションの窓から、太陽が差し込んでくる、これは夜明けなんだろうか、こんなに明るいんだから夜明けに違いない。
4体の宇宙ラルヴァを追い払った慧海と百は、予定通り帰還用のチンパンジーロケット先端部に乗り、国際宇宙ステーションからの帰路についた。
帰還船は順調に、管制センターからの遠隔操作による上げ膳据え膳で、地上へと落っこちてくる、宇宙飛行士のすることはあまりなかった。
「あの…もしもし、ヒューストンさんですか?夜分遅くすみません…あわっ!外人さんだ!え~と、アイアム、モモ、ファイン、センキュー
え?ランディングポイント?え~と、辞書辞書、あ、着陸する場所ですか?、え~と、コンピューターさんは、え~と、エー、ユー、エス、ティー…
あ、読めた、この、オーストリアとニュージーランドの間って言ってます、え?くわしい場所…そんな…わたし言えません…
あう~、言わなきゃダメですか~?…その~…あの~、エ…エロマンガ島!エロマンガ・アイランド沖です、そこにザブ~ンします!
や…山口委員長~、通信変わってくださ~い、おねがいです~、起きてくださ~い!」
宇宙ステーション全域のクリアを数分で終了した慧海と百、二人の英雄は宇宙ステーションのスタッフから熱烈な歓迎を受けた。
そのまま各国のスタッフが共同で催す宇宙パーティーに誘われたが、病床から管制室にやってきた逢洲に、今日中に戻らなきゃ無断欠席扱いだと釘を刺され、早々においとますることにした。
しかし、表向きは禁酒のステーション内にこっそり持ち込まれ、黄金に等しい価値があるといわれる冷たいビールを一杯飲んだ慧海は、
無重力空間では酔いが早く回ることを知らず、そのまま潰れてしまい、ダメ上司は部下の百におんぶしてもらいながら帰還船に乗り込んだ。
往路で慧海が乗った機関士席は、宇宙ステーションのスタッフに持たされたお土産で満席となっている、一部、地上に送る洗濯物などもあったが、
行きよりもうんと狭い単座となったチンパンジーロケットの中、ひとつだけの操縦席で、百と重なり合いながら、故郷の星へと堕ちて行く慧海。
モモのオッパイ枕に埋もれて寝息をたてる慧海、きっと現在、太陽系で最も幸せな眠りを貪る慧海に起きろというのは、到底無理な話だった。
宇宙ラルヴァの脅威に晒された国際宇宙ステーションは、ロケットに乗ってやってきた双葉学園の異能者によって救われた。
ラルヴァとの戦闘を実行したのは慧海と百の二人だったが、本当の功労は、病を押して慧海と百を鍛えてくれた人間だという二人の意思によって、
その異能者の曇ることなき功績は、世界中の宇宙研究者が集まるISS国際宇宙ステーション内に、形となって残された。
このスタッフルーム・モジュールはISS国際宇宙ステーション解体後も、新たなる宇宙プラットフォームに継続利用されるという。
宇宙科学が着実な進化を遂げた2019年、ごく普通の一般人でも、ポルシェ一台分ほどの小切手を切れば、宇宙に行ける世の中。
もしも、今年の末まで一般人の見学を受け入れている、ISS国際宇宙ステーションに行く幸運に恵まれた人が居たなら、
アメリカ実験棟「ディスティニー」のハッチ手前、各国の科学者や宇宙飛行士の集うスタッフルームの壁を見て欲しい。
壁一面に広がった赤いスプレー文字、この宇宙で活躍し、地球を守った異能者が自ら残した活動の記録を目にすることだろう。
当初、懸念された宇宙ラルヴァの再襲来についても、"これ"がここに在り続ける限り決して無いと、二人は請け負った。
双葉学園醒徒会 風紀番長
逢洲等華 参上!
神の住まう高みに昇った二人の異能者を、地で支えた一人の英雄の名は、宇宙に残った。
【danger zone5~正当なる資質】 おわり
最終更新:2009年08月21日 21:52