【Mission XXX Mission-04 中編】


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「畜生!」
 絶妙のタイミングで攻撃をかわされたオクタントは悪態をついた。
 前髪をいじろうとして前髪は狙撃の邪魔にならないよう全てオールバックに固めたことを思い出しもう一度畜生、と呟く。
(だから人の狙撃は面倒なんだ)
 任務の話を聞いた際に「君はスティグマ最高の狙撃手だよ」と持ち上げられたことを思い出す。
(今思い出しても忌々しい…!)
 最小の角の数で構成される面、三角形。それを信仰する彼は何事も余計なことを嫌っている。無意味な諂いや機嫌取りはその際たるものであった。
「大体、狙撃手といえばあのシャープシューターがいるだろうに」
 スティグマに所属する異能者のデータは当然のことながら機密であり、オクタントもシャープシューターの異能の内容を知るわけではない。
 だが、シャープシューターが成した『業績』の数々を噂で聞くだけでもその凄さは容易に計り知ることはできる。狙撃の能力で言えば俺はシャープシューターには及ばないだろう、とオクタントは判断していた。
 だからといって劣等感を抱いたり対抗意識を燃やしたりということもない。三角の器に四角やまして円の物は入らない、それだけのことである。
(ともあれここからどうするか)
 要するに攻撃を継続するか撤退するか、だな。とオクタントは思考をシンプルにまとめる。先程の山歩きの中で退路は幾つか確認済みである。治安部隊が視界に入ってから撤退してもまあ間に合う自信はあった。
(ここは基本的にどこも警戒がかなり厳しいしな)
 そこも大きなポイントだった。当初は死の巫女が自室で寝入っている時に居室ごと蜂の巣にするつもりだったのだが、女子寮の周囲は不審者対策とやらで警備が特に厳しく断念せざるを得なかった。ここで撤退してこれ以上警備が厳しくなればはたして次のチャンスがあるかどうか。
 それでも一撃にかける狙撃手なら退くのだろう。だが、
(この俺には、〈グロッセス・ドライエック〉にはその先がある)
 今はまだ攻め時だ。そう結論付けたオクタントは両腕を横に広げた。
 〈グロッセス・ドライエック〉。この異能は両の掌からその掌の面に対する鉛直線を伸ばし、その二本の交差点を爆破するという異能である。
 威力はそれほど高くはないが、この異能にはある特徴があった。
 両の掌の位置によって爆破位置が左右される異能ではあるが、特に掌から何かを発するというタイプではない。ただ単純に、問答無用に交点にのみ作用するのだ。
 故に、〈グロッセス・ドライエック〉にとってオクタントと目標との間のあらゆる物理的障壁はその意味をなさない。
「煉瓦の小屋で安堵してる仔豚たちの顔を恐怖に染めあげるのは俺の得意分野の一つなのさ」
 両の掌を底辺とする三角形の頂点を喫茶店内に合わせる。
「聖なる三角よ、我が描きし三角へ加護と相似を与えたまえ」
 そして、オクタントは力を解き放った。


 年代感溢れたコーヒーミルが爆音と共に金属ゴミと成り果てる。
 伊万里が警告するまでもなく、喫茶店にいた人々は最初の攻撃と共に雪崩を打って店から逃げ出していた。
 残るは伊万里が戻るのを待っていたため逃げるタイミングを逃した直たちのみだった。
 また小さな爆音が鳴り響き、隅の丸テーブルが砕け散る。
「伊万里ちゃん、私たちも早く逃げようよ」
「ここに留まっていても向こうの思う壺だよ。ここは何とか反撃に転じないと」
 正反対の理由で店からの脱出を提案する二人だったが、伊万里としては頷くわけにはいかない。
「駄目、旗が立ってるわ。…確かにここに居続けてもジリ貧なんだけど」
「逃げてく人には目もくれずに店を攻撃し続けてた。完全に狙いは私たちね。店から出た途端狙い撃ちされるわ」
 宮子の指摘に沈黙を余儀なくされる直たち。レジが攻撃で吹き飛ばされ四人の近くに叩きつけられた。
「ひっ!」
 連続する爆音と破壊は容赦なく弥生を打ちのめしていた。体を小さくして震えている弥生を見て伊万里は思う。
(弥生にはこんなの似合わないわ。一番近くにいる人すら護れないなんて…いや、そんなことは絶対にならない、させない!)
 伊万里は店を見回しながら思索を続ける。視界の隅の何かが彼女の意識に引っかかった。
 「巣鴨さん?」
 いきなり店の一角に飛び込んだ伊万里に慌てて声をかける宮子。だが伊万里はそれに構わず爆音と破壊の中何かを探し続けていた。
「なるほど、その手があったわね」
 消火器を両脇に抱えて戻ってきた伊万里に目を輝かせる宮子。
「後でマスターには謝っておかないとね、これ一本いくらだっけ?」
「なに、ここは先輩である私が払っておくよ」
 弥生のためにあえて軽口を演じる伊万里にわりと素で返答をする直。だが、それでも結果的に効果は絶大だったようだ。
「…ふ、ふふ…」
 まだぎこちないながらもくすくすと笑う弥生。
 一方的な攻撃に晒され続けているという状況には未だ変わりはない。それでも弥生の笑みに三人は心の中の焦りや苛立ちが少しだけではあるが退いていくのを実感した。
「よし!それじゃいくわよ!」


 突如、喫茶店の前が白い煙に覆われた。
「やってくれるじゃないか」
 そう呟くオクタントの顔に浮かぶのは怒りではなくむしろ賞賛だった。
 〈グロッセス・ドライエック〉の最大の弱点、それは攻撃の有効範囲の狭隘さである。
 例えば銃であれば弾丸は(基本的に)直進するため方向が正確ならば多少の距離の誤差は許容しうる余地がある。跳弾というラッキーもありうる。
 〈グロッセス・ドライエック〉にはそういう曖昧さは存在しない。距離と方角を正確に対象に合わせないと全くといっていいほど意味を成さないのだ。
 それでも入口に適当に数発叩き込んでみるが、全く手応えは感じられない。うまく喫茶店からは逃げられたようだ。
「だがなあ、これからはどうする?」
 心底愉快そうな口調のオクタント。自分と獲物の間には距離という絶対的な障壁があり、まだ治安部隊は到着していない。あれだけ派手な煙幕ももう使えないだろう。彼のターン、狩りの時間はまだまだ続くのだ。
 煙の中から人影が飛び出し建物の向こうに消えていく。一、二、三、…四人分だ。余計な要素が増えたのは気に入らなかったが、だからといって投げ出すわけにもいかない。狩りの楽しみが四倍に増えたと好意的に解釈することにした。
 オクタントは目の疲労を抑えるために一時外していた特製ゴーグル――ライフルスコープが装着されている――をかけなおす。
 ゴーグルのデータからの距離の算出とそれに合わせた手首の角度の調整は日々の鍛錬によってもはや無意識レベルで行うことができる。
「聖なる三角よ、哀れな子羊たちに三角の救いを与えたまえ」
 建物の影で右往左往する死の巫女を三角形の頂点に捉える、そんなイメージを込めてオクタントは頂点のポイントに力を送り込んだ。


 喫茶店を抜け出したはいいものの、結局は敵の掌の上からは抜け出せていないようだった。
「…って私ら孫悟空じゃない、これじゃ」
 脳裏に浮かんだ言葉を打ち消すように毒づく伊万里。しかし、現況がさほど変わっていないのもまた事実だった。
(どうにかしないと…)
 こんな戦闘の経験が何度もありそうな先輩たちはいい。私もまだまだ大丈夫。だけど本当に一般人の弥生は…。
 ちらりと後ろを見やる。弥生は疲れを見せまいと無理しているのが丸分かりの表情で必死についてきていた。
 再び前に視線を戻す。直と宮子が走りながら会話を交わし続けていた。
「間違いない、攻撃は左から来てるわ。左側が丸見えの時とそうじゃない時で明らかに精度に差がある」
「左…ということはあの丘かな?」
「向こうもこっちを直接視認する必要があるから多分頂上付近にいるはずだわ」
「分かった。頂上までの距離は?」
「500、プラスマイナス100。ただし丘の部分はかなり木が密生しているわ、走って直進するのは無理だと思う」
「流石に砲火をかいくぐってっていうのは難しいね、その距離だと」
 最初は呆れ混じりの心境だった。命を的に狙い続けられながら平然と会議を行っていたのだから。
 だが、その中で必要な情報をより分け分析し敵の位置を推測する様を目の当たりにし、呆れる気持ちは消えうせていた。
(私にはこの冷静さが必要なんだ)
 そう伊万里は考える。異能者として周りの人間を護ろうとするのなら今後もこのような大きな事件に直面することがあってもおかしくはない。
 そしてその時に頼れる人間がいるとは限らない。もしそうなったら私が今の先輩たちのように冷静な分析で事態を切り開かないと…。
 だが今は目の前の事態の対処が先だ。そして、敵の位置が分かったのなら。
「先輩!私の力なら攻撃を旗で読み取って避けることができます!」
 伊万里の言葉に目を見合わせる直と宮子。
「ナオ、いけそう?」
「……〈アウト・フラッグス〉の助けが得られるのなら…できると思うよ」
 しばし考えた後、そう頷く直。
「うん、それなら私と藤森さんはバックアップに回るわ」
「巣鴨君、ミヤや藤森君に攻撃がいかないよう最初はかなり派手に動かないといけないよ。大丈夫?」
「もちろんです!」
 獲物の立場に甘んじていた直たちがついに牙を剥く。戦場は狩りから攻防へと再びその様相を変えた。


(何故だっ!)
 先程の余裕はどこへやら、今のオクタントの表情は困惑と怒りに支配されていた。
 死の巫女とその他一人がこちらに向けて走り出した、そこまでは想定内だった。
 だが、必殺の自信を持って放つ攻撃が当たらない。ことごとく攻撃が見えているかのように避けられる。
(予知能力か…!)
 その結論に達した時には既に頼みの距離は半分以上削られていた。今自分がいるこの丘を覆う林まで踏み込まれると少々厄介だ。
 だが、目標がこちらに姿を晒し近づいてくるのに尻尾を巻いて逃げ出すつもりもなかった。
(予知能力とはいえ、そこまでのものではないはずだ)
 強力な予知能力者はその体重と同じ重さの高グレードダイヤの山よりも価値がある、とも言われている。
 自然、そうした連中の存在や動向はどうやっても隠しようがない。そして、死の巫女や付属の女も強力な予知能力者のリストには載っていない。
 どういう類の予知能力にせよ何がしかの限界があるはず、というのがオクタントの読みだった。
 それにこちらもまだ手札を晒しきったわけではない。なにより、
(そこまで三角の中に加わることをを拒むか!)
 この感情に突き動かされ、オクタントは攻撃の続行を決意した。
 オクタントはす、と腰を下ろし呼吸を整える。体が一本の柱であるかのようなイメージを体中に浸透させ、腕だけを細かくゆらゆらと揺らした。
「聖なる三角よ、我が未熟さゆえに三角の数多蛭子を送り出すことを許したまえ」
 その懺悔の言葉とともにオクタントは死の巫女に向けて力を送り込む。
 これまでと異なるのは二点。途切れなく続けざまに攻撃を繰り出したこと。そして直接相手を狙うのでなく細かく腕を揺らしながら一帯を覆いつくすように攻撃を繰り広げたこと。
 それはまさしく〈グロッセス・ドライエック〉という名の機関銃による制圧射撃だった。


 伊万里と直の突撃は順調に推移しつつあった。
 死の旗を確認したら、そこに攻撃がくるので急いでその場を離れる。ただこれだけで悠々と敵に迫っていけた。
 覚悟を決めて飛び出したはずなのに、と拍子抜けする思いの伊万里であったが。
 落とし穴はすぐそこまで迫ってきていた。
「え?何?これ何なの?」
 右に左に動き回りながら動転した声を上げる伊万里。
「一体どうしたの!」
 進むにしても退くにしても中途半端な位置だった。直の声にも緊張が宿っている。
「…いきなりどこに動いても旗が消えなくなりました。逃げないといけないのに…」
「!」
 咄嗟に直は伊万里を引き寄せ宙に舞った。同時に辺り一帯に連続する爆音が劈き響く。
 それはまるで花火を敷き詰めた中に火種を放り込んだかのような情景だった。
 さっきの現象はこういう意味だったのかとほっとする伊万里だったが、そんな彼女をあざ笑うかのように煙の中から爆発の連続体が凄まじい勢いで天空に飛び出し一直線に追いかけてくる。
「ここでは丸裸で撃たれるがままか…巣鴨君、悪いけど降りるよ」
 へ?と伊万里がその意味を理解する間もあらばこそ、降りるというよりは落ちると表現するべき速度で林に向け降下していく二人。
 ジェットコースターもかくやの機動だったが文句を付ける気にもならない。なにしろ敵の攻撃、立て続けの爆発で長く延びる爆発の蛇にも見えるそれは更に速い速度でこちらに迫ってきているのだ。
 蛇が鎌首をもたげこちらを飲み込もうとするその刹那、視界が緑と茶の二色に飲み込まれる。枝を突きぬけ地面が見えた瞬間風が二人の体を包み、伊万里は足に強い衝撃を受けただけで無事に降り立つことができた。
「ひやひやしたけどどうにかここまで詰め寄れたね」
「ええ。先輩、さっきはありがとうございました」
「礼を言わなければいけないのはむしろ私の方だよ。それより…」
 ズン…と重い音が連続して響いてきた。すぐに携帯も鳴りはじめる。
『ナオ、そっちは大丈夫?』
「どうにかね。それより今度は何をやらかしているのだい?」
『辺りの木に片っ端から攻撃をかけてなぎ倒してるみたいよ』
「…相手の正体は未だ分からないけど、少なくとも地球環境の敵であることは間違いないみたいだね」
『違いないわね。じゃあ何かあったらまた連絡して』
 一体何があったのですか?と通話を終えた直に伊万里が怪訝そうな顔で問いかけてきた。
「向こうはどうやらこの丘を禿山に変えてでもこちらを見つけ出すつもりらしいよ。どうやら私は相当恨みを買っているみたいだね」
 そこで、と一旦言葉を切った直は周囲を見回し、不思議そうに首をひねった後再び言葉を続けた。
「ここからは分かれて行動しよう。私が先行するよ」
「駄目です!」
 伊万里の目には再び直の頭上に浮かんだ死の旗がはっきりと見えていた。
「…そう、か。正直に言うよ。これ以上距離をつめた状態でもう一度あの制圧砲撃をやられたら、流石に君を守りきる自信はない」
 薄々は分かっていた。だけど、改めて突きつけられた事実が伊万里に重くのしかかる。
「……やっぱり、足手まといですか」
 唇をかみ締める伊万里。
「本当にそう思っているなら最初から君と一緒には行かなかったよ。私が囮になるから君には回り込んで奇襲をかけてほしいんだ」
 その言葉もただの気遣いなのじゃないか、と心のどこかで思ってしまう。伊万里はそんな弱い考えを振り払おうと小さく首を振った。
「攻撃の精度がさほど高くもないのに全く近づく気がない辺り懐まで入り込めば脆いはずだよ」
 まあこれはミヤの受け売りなのだけどね、と肩をすくめる直。
「それにね、私は予知能力者でもなんでもないけれど、こんな所で遠間から撃たれっぱなしで死ぬとは全く思えないんだ」
 彼女自身が言うとおり、全く根拠のない言葉である。それでも信じてみたい、そう心の隅で思いながらも制止しようとする伊万里。
 だが、近づく攻撃がその行動を阻止する。二人の周りの木々が爆音と共に次々と倒れていく。
「もう隠れているのも限界だね、それじゃあ先に行くから後は頼むよ」
 そう言うや否や吹きぬける風を残して山頂へ向け突っ込んでいく直。「先輩!」と手を伸ばす伊万里だったがその言葉すら届かせまいと邪魔するように木々が二人の間で大きな音を上げて倒れていき、その中に直の姿は消えていった。


「さて、と」
 直との通話を終えた宮子は大きく伸びをしながら立ち上がった。
「どうしたの、結城さん?」
 へたりこんでいた弥生が宮子を不思議そうに見上げて問いかける。
「ん。もうここまできたら敵さんもナオたちで手一杯だろうし、今更敵の援軍もいなさそうだしね。思ってたより待つ羽目になったけど、今なら安全に丘の方まで行けるわ」
「えええっ!?」
 弥生にとっては全く想定外の言葉だった。
「うん、ごめんね藤森さん。悪いんだけど私の代わりにあっち見といてくれるかな?多分何もないとは思うんだけど、もし何かあったら誰かに連絡してくれるだけでいいから」
「あ、うん。…ってそういうことじゃなくて、危ないよ、きっと危険だよ」
「そりゃあ、ねえ。でも私の異能が必要になるかもしれないし、やっぱりある程度近くにいないとアドバイスもしにくいしね」
 そう言い残すと宮子は一応建物の陰に隠れるような動きをとりつつ丘の方へ去っていった。
「…どうして私って…こんなに弱いんだろ」
 一人残された弥生の口からそんな言葉がこぼれ出た。
 弥生は気付いてしまったのだ。宮子が自分と一緒に残るといった時、『皆槻先輩といつも一緒にいる結城さんが行かないのなら私が伊万里ちゃんについて行けなくても仕方ないんだ』と安堵してしまったことに。
『ううん、それは結城さんが異能の力を持ってるからだよ。何も取り柄の無い私なんかじゃ…』
 自分が言い出した理由さえ、自分自身で否定してしまった。
(私が…私なんかが伊万里ちゃんのそばにいても意味があるのかな…)


 直は倒木を飛び越えて頂までひたすらに進む。もう〈アウト・フラッグス〉の加護はないため小刻みに進路を変えて敵を撹乱しながらの行軍だった。
「っ!」
 着地した直の表情が歪み、足がよろける。林に飛び込むあの瞬間、僅かに敵の爆発が足を掠めていたのだ。
(ああ、もう!)
 よろける足が慣れないロングスカートに絡まってしまいそうで苛々する。苛立ちをぶつけるようにスカートを千切りとった。外気にさらされた直の足、その片方は真っ赤に染まっている。
(まあこのスカートのおかげでさっきはなんとか巣鴨君には気付かれずに済んだけど…)
 後でまた説教されるな、と苦笑が浮かぶ。
 この学園に来る前は自分の進む道に興味を示す人など誰もいなかった。自分が望む生き方は孤独とワンセットなのだと自然に納得していた。
 それがここに来てからは他所より変わり者が多いのか、例え一時であっても共に道を歩いてくれる人が偶にいる。学園に通って数年経つが、直にとって人と共に歩むということはいまだにどこか慣れない感覚だった。
 何故か少し前から砲火は下火になっている。誘いをかけられているか?とも思うが現在の情報では判断のしようがなかった。どのみち伊万里のためにも躊躇は許されない。直は林を抜け丘の頂の開けた場所に飛び出した。
「?」
 そこには既に何の気配も存在していなかった。
 …結果論的に言えば、敵の第一目標が自分だという前提で考えていた直の判断ミスだといえる。もっとも直が伊万里が狙われる理由など知りようはずもないので仕方のないことではあるのだが。
 いずれにせよ、結果的に孤立してしまった形になる伊万里のことを危惧した直は携帯を取り出しつつその場を後にした。


 こちらに突っ込んでくる人影が連れの長身女のみだと一瞬垣間見えた姿から察知した瞬間、オクタントはその場から逃げ出していた。
 決定的な探知の術がない以上、肝心の死の巫女に隠れられては困る。いくらなんでもこっちに来る女を始末した後林の中から死の巫女を狩りたてるのはリスクが大きすぎるだろう。
(やむを得ないな)
 自らの失態を聖なる三角に詫びながら脱出ルートをひた走るオクタント。
「…ん?」
 ふとオクタントは木々の先に何かの気配を感じ、そちらに顔を向ける。
 死の巫女だった。同時に向こうもこちらに気付き、唇を引き結んで長柄の武器を構えた。
「聖なる三角よ、この幸運に感謝します!」


 宮子は倒木で塞がれた獣道を苦労しながら進みつつ直と話をしていた。
「うん、不利と判断して撤退を始めたんだわ」
 既に待っている最中にそのケースも考察済みである。
「だったらそのまま海の方に向かって。うまくいけば見つけられるかも」
 そう言いつつも正直、まあ無理だろうなと宮子は考えていた。私たちは専門家じゃない、やるだけやったら後は風紀委員に任せればいいのだ。
 そう心で呟きながら倒木を乗り越えた宮子の隅を何かがよぎり、木々の中に消えていった。
「あれ、ナオ…?」
 一瞬だったがそれは確かにそう見えた。なんだ、これなら直接話せばよかったじゃないと呟き、宮子は追いかけるように獣道を走りだす。
(…それにしても、今更こんなとこにいるなんて微妙に道に迷ってない?)


 一発、二発。コンパクトの鏡を利用して自分の死の旗を観察することで伊万里は敵の起こす爆発を回避する。
(…しまった!)
 伊万里はまんまと敵の誘いに乗せられたことに気付く。回避の動きでゴーグルの男から距離を離すように誘導されていたのだ。
 男が腰を落とし伊万里の方に伸ばした腕を小さく揺らす。あの一帯を覆い尽くす攻撃だ、と伊万里には直感できた。
 伊万里は全力で走る。逃げ切れるか?いや、やるしかない。
「させないよ!」
 大声と共にオクタントの顔の側を小さな金属――ブラスナックルが掠める。
(何とかこっちに注意を向けないと…!)
 そんな焦りにも似た感情と共に、ゴーグルの男の後ろから直が風を後に引き小枝を吹き飛ばしながら突っ込んできた。
「だったらお前からだ!」
 オクタントは踵を支点にくるりと振り返り両腕を砲身のように持ち上げる。
 こんなに早く追いつかれるとは予想外だったが、既に攻撃準備は完了している。待ち構えている状況でこの距離なら外しようはない。
 制圧射撃モードはかなり消耗が激しいが、獲物二つを消し去るくらいならまだ十分もつ。
 勝てる。
 直の周囲が連続する爆発で覆い尽くされる様を見てオクタントは勝利を確信した。
「先輩!」
 伊万里の悲痛な叫びを受け、オクタントは満足げな表情で伊万里の方に向き直る。
(また…護れなかったの…?)
 それは伊万里にとって今まさに自分の命が刈り取られようとしているということ以上に辛く苦しいことだった。
 力なく崩れ落ちる伊万里に向けゆっくりと腕を広げるオクタント。だが、その動きがぴたりと止まる。
 瞬時に振り返ったオクタントの前、爆発が作り出した土煙の中から人影が現れた。
「馬鹿な…あれだけの数の三角から逃れただと…?」
 体中を爆風に晒し幾多の傷を作りながらも直は呼吸を必死に整えオクタントのほうへ歩を進める。
 制圧射撃の瞬間、直は高圧空気の噴射で急減速をかけ、更に両腕に持ったスカートを近くの太い枝に引っ掛けて踏みとどまることでぎりぎり爆発の中に飛び込むことを逃れたのだ。
 だがその代償は大きかった。減殺したスピードの勢いを一手に受けた両腕は今も悲鳴を上げ続けている。そもそも致命傷を負わずに済んだというだけで全身に大きなダメージを受けているのだ。
(良かった…巣鴨君は無事か)
 それでも、まず脳裏をよぎったのはその言葉だった。身を苛む負傷の重さと反比例して心は高揚している。
 例えどうなろうと負ける気だけはしない。
 血みどろになりながらも近づいてくる直を前にしてオクタントは混乱していた。異能の力を手にしてから、自分から挑んだ戦いで敵にここまで接近を許すことなどなかったのだ。
 皮肉にも、オクタントの混乱を収束させたのは恐るべき敵が近づいてくるというその事実そのものだった。
(奴を殺らなきゃこちらが殺られる)
 そのシンプルな思考を軸とし、オクタントは再度直に向け腕を構えた。
「しぶとい女だ。だが今度こそ三角の頂点に填め込んでやる」
 この状況で〈ワールウィンド〉の踏み込みと〈グロッセス・ドライエック〉の発動とどちらが早いか。
 それは誰にも――お互いの命をベットする当人たちですら知りようのないことであった。
 一瞬の何分の一かの静止。そして終局に向け全てが動き出す。その流れの中で一人取り残されたかのように見えた伊万里だったが、
(動いて、動いてよ!)
 心の奥底で指令を出し続けていた。
 しかし今、伊万里の精神は死んだと思った直が生きていたという事実を認識し再起動するタイムラグの最中にある。
 故に動けない、動きようがない。そのはずだった。
 だが、動かぬ精神より先にその肉体が、毎日毎日時間をかけて意思と努力を浸透させてきたその体が、心が命じたのならばそうするであろう望みのままに動き始める。
 試合用の薙刀が振り上げられ、後はようやく動き出した精神の仕事だった。ただ無我夢中に槍投げの要領で薙刀を投擲する。
 ギリギリにして完璧なタイミングだった。オクタントは照準を合わせつつ最小限の動きで薙刀をよけようとするが、こういう複雑な動きは常に敵を近づけることなく戦ってきた彼の能力の限界を超えていた。目測を誤りオクタントのごく至近に突き刺さった薙刀に反射的に体が反応し、ほんの少しだけ腕の位置が動いてしまう。それにより〈グロッセス・ドライエック〉の三角形は彼が望む形ではなく少しだけ、だが致命的に歪んだ形で発現してしまった。
 直の斜め後ろで三角形の頂点が空しく弾ける。
 …負ける。
 絶望的な結論と同時に、オクタントの腹に直の回し蹴りが深くめり込んだ。


(畜生!畜生!)
 まともな思考を紡ぐ余裕もなくオクタントはひたすら逃げ続ける。
 後ろからはしぶとい長身女が追いかけてきているはずだ。自身の資質を遠距離戦に特化させたオクタントは近接戦の心得は全くない。追いつかれた時点で即ゲームオーバーだ。
(まだだ、まだ終わるものか!)
 ようやく眼前で視界が開き、海と空の青がオクタントを優しく迎え入れた。
 〈グロッセス・ドライエック〉でフェンスを吹き飛ばし、オクタントは迷いなく(というより迷う余裕もなく)眼下の海面に飛び込む。
(…聖なる三角よ!)
 一瞬遅くその場に到着した直は落ちるオクタントを見送るしかない。このダメージで海まで追撃するのは論外だった。
(少なくとも、しばらくは戻ってこれそうにもないね)
 警戒しつつ下を覗き込んだ直はすぐにその結論に辿りついた。
 ここから海面まではかなりの距離がある。そもそも飛び込んで無事でいられるかどうかすら怪しいものだ。
 何がなんだか分からないことだらけだがとりあえず撃退には成功した、それで満足しよう。そう思い直は緊張を解き、大きく伸びをした。
 やがて林の中から伊万里が飛び込んできた。直の目の前で足を止めた伊万里は俯き息も絶え絶えの状態でそれでも口を開く。
「先…輩、一体…あいつは…どうなり…ましたか」
「海に飛び込んだよ。とりあえずもう戻ってこれないと思うからまずは落ち着いて」
「また…無茶…しました…よね」
 その言葉に構わず話を続ける伊万里。結局彼女に助けられた形になった直としては気まずいところではある。
「…うん、ごめんね。でも結果良ければ全て良し、無事解決したからということで…駄目かな」
 幾分呼吸が戻った伊万里が顔を上げる。直に見せたその表情は硬くこわばっていた。
「まだ…解決していません」
「だから、ごめん」
「違います!」
 伊万里は強くかぶりを振った。
「先輩の…先輩の死の旗…まだ消えてません」





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