【白き魔女と傷だらけの道化師 第一話:後編】


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 藤森飛鳥は羽里由宇を好きだった。
 彼は初めてカウンセリングを受けた時から彼女に魅かれていた。それはまだ中学生であった彼にとって憧れの対象でしかなかったかもしれない。それでも何度か彼女と話していくうちに、彼女の人間としての魅力、女性としての魅力に触れていき、男として羽里と付き合うようになっていった。
 唯一自分を理解してくれる人。
 肉親ですら、妹ですら彼の心を理解することはできないであろう。ましてや彼の両親は完全に飛鳥を見捨てている。
 それに道化師の話を真面目に聞いてくれるのは羽里だけであった。
 決してバカにせず、仕事関係なく彼の悩みを聞いてくれる女性のことを、立場を超えて好きになっていまうのは仕方のないことである。
 彼は羽里の臭いのする保健室のベッドの上に寝転がり、そのまま深い眠りに落ちるところであった。しかし、
「おい“僕”。こんなところで寝ている場合ではないぞ」
 と、自分と同じ声をしたものが頭に響いてきた。
(うるさいな誰だよ――)
 飛鳥がそう思い瞼を上げながら天井を見上げると、まるで重力など関係ないかのよに天井にはりついている道化師の姿があった。
「うわあ! ま、またお前か!!」
「あんまり驚かないでくれよ。キミが寝ているから僕もこうした格好で現れるしかないんだから」
 道化師は呆れるように笑い、僕が起き上がると、道化師も天井から降りてきて地面に足をつける。
「日に二度も現れることなんてなかったのに……とうとう僕の頭はおかしくなってしまったのか……」
 飛鳥は頭を振りながら、目の前の道化師の存在を否定しようとしている。
 しかし、道化師は彼のそんな対応に少し戸惑いながら飛鳥の顔に自分の顔を近づける。同じ顔が重なっているため、まるで合わせ鏡にようにも見える。
「な、なんだよ」
「いい加減現実を受け入れたまえ。僕がまた現れたのは、キミに警告をするためだ」
「警告?」
「そうだ、キミの愛するものが危機に陥っている。実体を持たない僕にはこの世界に干渉する術はない。僕に身体を譲るか、それとも自分の力で戦うか、選ぶんだ」
「僕の愛する人……先生!」
「そうだ、彼女に危機が迫っている。僕は彼女がどうなろうと知ったことではない。だが、彼女の命を狙っている者は、僕にとっても敵だ。すぐに彼女のもとへ駆けつけろ」
「何を根拠に、なんでお前がそんなことを知っている?」
「僕は何でも知っているし、何も知らない。急げ、後悔したくはないだろう」
 道化師は深く黒いその瞳で、飛鳥の目を覗き込む。
「く……」
 飛鳥は自分の妄想の産物かもしれないものの言葉に圧倒されていた。
 道化師の言葉の真偽はわからないが、それでも羽里のことが心配になった飛鳥はベッドから立ち上がり、急いで部屋から出て行く。その様子を道化師は背後から見送った。

             ※

「なんなのよ、なんなのよこれは!」
 雨宮真美は四谷に抑えられながらも、そう叫ばずにはいられなかった。
 パソコンに映し出された古い映像、その中では百人近い異能者たちによる小熊のラルヴァ虐殺が行われていた。それは戦いですらない。
 一方的な蹂躙。
 虐殺。
 陵辱。
 恐慌。
 殺戮。
 そしてラルヴァ因子をもつ猫耳の少女達もまた、その標的に晒されていた。
「この女の子たち……立浪姉妹の……」
 その二人の少女は、学園のアイドルであった立浪みかとみきであった。雨宮も彼女達の活躍をいつも聞いては、その愛らしさと強靭さに憧れを抱いていた。
 その彼女達が突然死に、あるいは行方不明になり、当時の彼女も毎日のように泣いていた。しかし、この映像は一体何なのだろうか。
「そうだ、キミたちは彼女達が殉死と行方不明だと聞かされていたね。だけど、これが真実さ」
 映像の中の異能者たちは彼女達を忌むべき存在だと、罵り、今にも飛びかかろうとしていた。自分たちと同じ学園にいる彼らたちが、まるで雨宮には悪魔のように見えた。
 しかし、そこで突然映像が途切れ、ノイズが大量に混じり何が映っているのかわからなくなっていた。
「な、何。この立浪さんたちはどうなったの!?」
「慌てるな、もうすぐ映像が戻る」
 やがて映像が戻り、立浪みかが射殺される映像が映し出されていた。無残にも傷だらけの身体に留めを指すかのように何度もその可愛らしかった少女を無残にも撃ち殺していった。
「やめて、やめてよ! もう見せないで!!」
 雨宮は目を伏せ、凄まじい虐殺の映像を見せられ、胃液がこみ上げてくる。こんなものを見るのは絶えられない。人間のすることじゃない。
「吐くのは我慢してくれよ。後片付けが面倒だ。だけど、これが一連の事件の真実だ。彼女達は学園の異能者に嵌められ、玩具のように殺された」
「うう、酷い。こんなの酷すぎる……。立浪さんたちが一体何したって言うの……」
「彼女達は何もしてはいない。学園の異能者たちは彼女にラルヴァの因子があるというだけで彼女達を始末した。捏造された真実まで用意してね」
「……」
「雨宮君。キミはどう思う? キミの中の正義は何を訴えている?」
「……わからないわ」
 雨宮は呆然とするしかなかった。今まで自分が見てきた世界が崩壊するような、そんな感覚が彼女の心をかき乱していた。
「わからない、か。それじゃあこれはどうだろう。キミに見てもらいたいものがもう一つある」
 そう言って脱力している雨宮を、四谷は資料室の置くに引っ張っていく。
 数々の資料が置かれている棚に四谷は手を伸ばす。
「ああ、あったあった。これだよ」
 四谷は一つのファイルを取り出した。
 そのファイルにはこう書かれていた
『メメント・モリ計画・被験体一覧表』
「これは……?」
「ファイルをめくって見てみるといい」
 そう言われ、雨宮はファイルに目をむける。
(何かの計画表? でもこんなの聞いたことないわ……)
 そこには数名の生徒の名前が書かれていた。
 見たことある名前もあり、彼女は眼が釘付けになる。
(巣鴨伊万里――これって藤森君の妹さんの友達の名前よね。桜川夏子――桜川さんの名前がなんでこんなところに)
 そこには何人もの女生徒の名前が羅列されており、そしてその中の一つに有り得ないものを見た。
 雨宮真美。
 自分の名前もそこには書かれていた。
「よ、四谷先生。これは一体なんの名簿なんですか……」
 雨宮は恐る恐る四谷にそう尋ねた。
 四谷は彼女の耳元で、囁くようにこういった。
「双葉学園が秘密裏に進めていた計画だ。キミはその時の記憶は残ってはいないだろうが、双葉学園の兵器開発局はこの名簿の少女達全員の頭をいじっていたのさ。そしてキミたち“死の巫女”が誕生することになった」

            ※

 女生徒は全部で五人。
 全員青白い顔でナイフを握り、羽里を睨んでいる。
「あ、あんたたちそんな物騒なものもってどうする気?」
「やだなー先生。これで果物でも切ると思いますか?」
 中心の女生徒、新田薫は邪悪な笑みでナイフを手馴れた様子でちゃかちゃかと回している。物騒なことこの上ない。
「見えない、わね」
 どう見てもまともな雰囲気ではないと羽里は感じ、咄嗟に警報ベルに手を伸ばす。
「無駄よ」
 新田がそう言うのも構わず、羽里はベルのボタンを押すが、何も起こらない。普通ならばけたたましい警戒音が鳴り響き、すぐに警護班が飛び出てくるはずである。
「な、なんで?」
「無駄って言ったでしょ先生。エレ・キーパーの奴が電子操作してるから今の双葉学園の警護システムは全部停止しているわ」
「な、何言ってるのよあなたたち。何が目的なのよ……」
「あなたの、抹殺」
 そう新田が死刑判決を述べるかのような口調で呟いた。
 その瞬間羽里は後ろを向き、全力で駆けた。何が起こっているのか理解できないが、生命の危機に直面しているのだけは理解できた。
(何よ、私があの子たちに命を狙われる理由なんてないはずよ――!)
 そう思いながらもとにかくこの場は逃げることだけを考え、走る。しかし、羽里は突然目の前に現れた壁に激突してしまった。壁と言っても硬くはなく、ぶかっても痛みはなかった。
 いや、それは壁ではない。
 正確には目の前には何もなかった。何も無い空間に羽里はぶつかったのだ。
「しまった、これは――」
「だから無駄なんですって。私たちから逃げるのは」
「空間――隔離か」
「そうですよ、この子が空間隔離の異能を持っているの。逃げることはできないわ」
 そう言って新田は少女の一人を指差す。ソバージュのかかった不良少女が意識を集中して異能を発動しているようだ。
 空間隔離とはポピュラーな異能の一つで、見えない壁、あるいは空間そのものを作り出し、外からは認識できないようにしてしまう能力である。その壁は異能者ならば簡単に破壊することは出来る、が、逆に言えば異能者でなければ壁を破壊することはできない。
 そして不幸にも羽里は非異能者であった。
「そんな……」
「声を出そうが意味ないわ。生徒たちはみんな始業式に出てるから」
 羽里は絶体絶命の状況にどうしたらいいのかと思考を廻らせていた。
 どうしたらここから逃げ出せるのか。
「ああ、そういえば先生のお気に入りが保健室で寝てたわね。万が一あいつがこっちに気が付かないとも限らないから、ついでに始末しておこうかしら」
 新田は薄ら笑いをしながらそう信じられないようなことを言った。
「ふ、藤森君……。あなたたち彼に手を出したら許さないわよ!」
「まったく、教師が生徒となんて不潔だわ。いやねほんと。二人とも死んじゃえばいいんだわ」
 鋭い眼で新田たちはどんどん近づいてくる。
「なんで私を殺すのよ、私に一体どんな恨みが……」
「知らないとは言わせないわ。九年前の“メメント・モリ計画”。それに先生も関わってたんでしょ」
「なんであなた達がそれを――」
「その償い。いえ、清算をすべきなのよ!」
 新田がそう叫んだ瞬間、脇にいた女生徒がナイフを構え飛び掛ってきた。


              4


 飛鳥は廊下を飛び出し、辺りを駆け回り、羽里を探していく。
 しかし、どこを見ても羽里は見当たらない。巨大な学園でどうやって探せばいいのか彼にはわからなかった。こうしている間に手遅れになってしまったら、と飛鳥は不安で胸潰れてしまいそうである。
 走っても走ってもどうしようもなく、それでも立ち止まるわけにはいかず、飛鳥は混乱の最中にいた。
「おい道化師。教えろよ! 先生はどこにいるんだ!!」
 飛鳥はもう彼に頼るしかなかった。
 否定し続けた彼の妄想の産物であろう存在に。
 道化師は飛鳥の影からすーっと現れ、飛鳥の背後に立つ。
「珍しいじゃないか。キミから僕を呼ぶなんて」
「うるさい。教えろ。教えてくれ、頼むから……先生を……」
 飛鳥は膝をつき、道化師に懇願した。道化師はそれを見下ろし、哀れむように見つめる。
「キミが僕に体を委ねてくれれば、すぐにでも彼女の下へ向かうことができる。どうする」
 飛鳥はその言葉を聞き、少しの間沈黙する。
 どうすべきなのか。
 その答えは一つしかない。
「見つけたぞ藤森飛鳥」
 飛鳥が戸惑っていると、すぐ背後から声が聞こえた。
 振り向けばそこには物騒にも手にナイフを握った二人の少女が立ち塞がっていた。
「き、キミたちは……?」
 飛鳥は彼女たちの手にあるものを見て、足が竦んでしまう。
(なんなんだ、何が起こってるんだ――)
「五月蝿い。死ね」
 その言葉が放たれた瞬間、飛鳥の眼のまえに火花が飛び散る。そして顎あたりに激痛と衝撃が疾走し、脳が揺らされたようで、自分が床に倒れているのだと理解するのに数秒かかった。
(蹴られた――!?)
 飛鳥は倒れながらも視線を前に向け、目の前の女生徒のそのつま先によって全力で蹴られたのだと理解した。体の感覚が麻痺し、立ち上がろうにもどうしようもない。口を切ってしまったのか、口の中に鉄の味が充満して気持ちが悪い。
「あははは。見た今の? かーんって飛んでったぜおもしれー」
 そう言いながら二人人の女生徒は笑いながら倒れている彼を見下した。
 飛鳥は意識が失いかけ、一体どんな脅威が自分を襲っているのか理解できなかった。
 ただ一つわかってることは、今自分が遭っている脅威に、羽里もまた遭遇しているのだということ。
(先生――)
「とっととこんなクズ始末して先生のところに行こうよ。お祭りが終わっちゃう」
「そうだな、血祭りって楽しいお祭りが終わっちまう」
 女生徒たちは不気味に笑いながら飛鳥の胸倉をつかみ上げ、無理矢理その身体を起す。そして、手に持ったナイフを彼に突き立てようとしている。
(死ぬ――のか僕は。僕が死んだらどうなる。先生はどうなる――)
 消えかける意識の中、ただそれだけを考えていた。
「くたばれ糞色ボケ野郎」
 彼を掴んでいる女生徒は、一切の躊躇もなく飛鳥の心臓目掛けてナイフを振り下ろした。
(そんなのは、ごめんだ! 僕は生き残るんだ、何を引き換えにしようと、悪魔に魂を売ってでも先生を護るんだ――!)
 絶望の中、少年は生を叫んだ。
 理解不能の狂気の中、それでも彼は死を受け入れることを拒絶した。
「了承した」
 静かな空間の中、そんな雪のように冷たい声が響いた。
「え? え? え?」
 飛鳥の心臓に突き立てられたはずのナイフは彼の身体のどこにも刺さってはいなかった。
 その代わりに、女生徒のブレザーの胸元あたりに綺麗にナイフは突き立てられていた。
 あまりに自然にナイフは突き刺さり、まるでサーカスの一芸のように現実感を覚えることはできなかった。
 有り得ないものを見るかのように女生徒は眼がガラス玉のようにひん剥かれている。
 やがて糸の切れたマリオネットのようにぐらりと体勢を崩し、倒れていく。
 その女生徒が最後にみたものは、歪んだ笑みを浮かべる藤森飛鳥と同じ顔をした“何か”であった。

              ※


「“死の巫女”って何なの四谷先生。なんで私や桜川さんの名前が載ってるの?」
 「いい質問だ雨宮。さすがは優等生」
 雨宮は自分の名前が記載されている名簿を見て、動揺していた。
「茶化さないで下さい。この“メメント・モリ計画”ってなんなんですか!?」
「僕も詳しい計画の内容は知らない。だけど、これは双葉学園が全力で隠そうとしていた暗黒史の中心だ」
「暗黒の歴史……」
「そうだ。外宇宙からこの星へアクセスしている存在、それと交信しようというのが“メメント・モリ計画”。三年前に取り潰された兵器開発局はその大いなる存在と繋がっている数名の少女たちを異能者として見つけだした。それがキミたち死の巫女だ」
「ま、まってください。私は異能者なんかじゃありませんよ」
「それはまだ未覚醒というだけだろう。キミが双葉学園に入学できたのも資質があると見込まれたからだ。しかし未だ発現に至っていないのはきっかけがないからさ。きっかけさえあればキミも他の死の巫女同様“|死を司る《タナトス》”の力を得ることができる」
「そ、そんなものいりません……!」
 雨宮はファイルを放り投げ、その場から駆け出そうとする。しかし、四谷は彼女を逃がしたりはしない。彼女の腕を掴み、自分の下へ引き寄せる。
 お互いの顔が、息がかかるほどに縮まる。
「やめてください……」
「キミはあの立浪姉妹虐殺を見て何も思わないのか。自分が知らず知らずのうちに奇妙な実験の被験体になっていたことを何も思わないのかね」
「私にはそんな記憶はありません……」
「記憶を消されてるのさ。頭をいじられてね」
「そんなバカなこと――」
「あるんだよ、キミに最後に見せたい物がまだある」
 そう言って四谷は新たな映像ディスクを取り出してパソコンに挿入する。
 やがて映像が再生され、そこには大量の用途不明の機械が置かれた白い部屋が映し出された。そこの中心には何人もの小さな女の子たちが頭に奇妙なヘルメットのような機械をつけて椅子に座っていた。座っている椅子には手と足を拘束するベルトが細い少女たちを繋いでいる。
「こ、これは――」
「ああ、見たまえ。あれがキミだ」
 やがてその部屋には新しい少女が連れてこられた。紛れも無くそれは幼い頃の雨宮自身であった。虚ろな表情のまま、白衣の男たちに無理矢理椅子に縛り付けられ、ヘルメットを被らされていた。
「そんな、こんな記憶無いわ」
「だから言ったろう。キミの記憶は消されている。奴らによってね」
「嘘よ、嘘よ! そんなの、いや――」
「真実を見るんだ雨宮。さあ実験が始まるぞ」
 白衣の男たちは何かのスイッチを押し、少女たちは全員凄まじい絶叫を上げながら震えていく。
 画面から伝わる魂が焼け焦げる臭い。
 まるでそこは地獄の底のような光景であった。


              ※

「くたばれ羽里由宇!」
 ナイフを構え羽里に飛び掛ってきた少女は途中でその勢いをぴたりと止め、その顔は驚愕に歪んでいた。
「どうしたの玲子?」
 新田はその女生徒、玲子が見ている視線の先に眼を向ける。羽里の真後ろ、そこにそれは存在した。
「なぜ、お前がここにいる――藤森飛鳥!!」
 新田はそれを睨みつける。
「ふ、藤森くん? 来ちゃ駄目!」
 新田が突然彼の名を叫び、羽里もまたそう叫びながら後ろを振り向く。
 そこには確かに藤森飛鳥と同じ顔をした人物が立っていた。
 そいつはその両手で先ほどの女生徒二人を引きずりながらゆっくりとこちらに向かってきた。その引きずられている少女二人の胸にはナイフが深々と刺さっている。
 その光景を見て戦慄を覚えたのは羽里であった。優しく人を傷つけることなど決してできなかった飛鳥にそんなことができるはずはない、と。しかし目の前の人物は確かに飛鳥と同じ顔をしていた。
「なぜだ、なぜ非異能者のお前が空間隔離を突破できた! いや、そもそもそいつらは身体強化系の異能者なんだ、お前如き貧弱な奴に負けるわけが――」
「僕に異能なんて無意味だ」
 そう言って両手の女生徒をぶん投げて新田たちのほうに放り投げた。
 手の荷物を捨てたその人物は鬱陶しい前髪をかきあげ、その顔を見せ付けるようにしていた。間違いなく藤森飛鳥の顔である。
「藤森……くん?いえ、」
 その人物は切れて血が出ている口元を拭い、その血のついた指を両目の真下に這わせ、ちょっとしたペイントをしていく。それは涙と星のマーク。まさしくピエロのようなペイント。
「キミはまさか――“彼”なの?」
 その人物はゆっくりと不気味に唇を歪ませ、奇妙に笑う。
 まるで道化のように。
 まるで死神のように。
 まるで悪魔のように。
「その通りだよ。さすがに彼が惚れこんでいるだけはあるね、実に聡明だ」
 羽里は唖然とした。飛鳥がいつも怯えていた存在、道化師が今彼の身体を手に入れ目の前に存在する。
 羽里は直感でこれが本物だと理解する。
 本物の、飛鳥が言っていた道化師そのものだと。
「なんなんだお前、なんなんだお前は!?」
 新田は苛立ちそうに頭をぼりぼりと掻き、歯を剥き出しにしている。
「殺せ、二人とも殺せ! 早く!!」
 新田は仲間たちにそう呼びかけ、女生徒たちは全員飛鳥、いや、道化師に飛び掛ってくる。
「危ない、逃げて!」
 羽里は彼の身を案じ、そう叫ぶ。しかし、それは無意味であった。
 ナイフが彼の身体に当たる瞬間、紙一重でそれを避け、その少女の腹に強烈なつま先蹴りを入れる。苦痛で顔が歪み女生徒をそのまま吹き飛ばし、そのまま次々と襲ってくる少女たちも同じように足だけで一掃していく。
 まるで踊っているかのように少女達の呼吸と動きに合わせ、彼女達の攻撃を避け、最小限の動作で蹴りを入れていく。
 道化師は一人の少女の腕を蹴り上げ、ナイフを空中に浮かせそれを手に取る。
「冥界に帰りたまえ、哀れな少女たちよ」
 そう呟き、凄まじい素早さで全員にそのナイフで切りかかった。
 その直後、少女たちは不思議なことに血を一滴も流すことも無くその場に倒れこんでいく。
 羽里は驚きを隠せなかった。
 何の躊躇もなくナイフで彼女達を切り込んでいく彼が、飛鳥とはまったく別の存在なのだと骨まで理解できた。
「殺したの……?」
「いいや、殺してはいない。いや、最初から彼女たちは生きてはいない。そうだろ?」
 そう道化師は新田に目を向ける。
「あんた何者なのよ、どこまで知ってるのよ……」
「僕は何者でもないし、何者でもある。何も知らないし、何もかもを知っている」
「ふざけるな、この糞野郎!」
 新田は怒りをぶちまけながらその身体を変質させていく。皮膚がどす黒く変貌し、どうやら身体を鉄でコーティングしていっているようだ。
 彼女は肉体変化系の異能者らしい。
「あんたの攻撃は私には効かないわ。この鋼鉄の身体を破ることはできない!」
「ほう、やはりキミたち人形も異能が使えるようだな」
「そうよ、だからもう諦めて死になさい!」
 新田はその激増した体重で地面を蹴り、床がぼごん、とへこむ。その衝撃で新田は凄まじい爆発のようなスピードで道化師のもとへ駆け出した。
 その鋼鉄の腕で、華奢な飛鳥の身体をへし折ろうというのだ。
 どんな相手でも身体が人間ならば彼女の一撃で死にいたる。一撃必殺の攻撃が今道化師を捉えようとする。
「さあぐちゃぐちゃにな――」
 その刹那、新田の動きは止まる。
「嘘、でしょ。なんで? なんで鋼鉄の私の身体に――」
 新田の胸にいつのまにかナイフが根元まで食い込んでいた。鋼鉄の身体をまるで無視するかのようにずぶりと刺さっている。
 新田は道化師を見つめる。
 どうやら彼は手に持ったナイフを投擲しただけらしい。
 なのになぜ自分の身体をこんなちゃちなナイフが刺さっているのか理解できなかった。
「だから言ったろう。僕に異能は無意味だ」
 ぐらり、と新田は倒れこむ。
 彼女は倒れこむ直前にこう呟いた。
「まさか本当に存在するとはね。“異能殺し”――」
 新田は前のめりに倒れ、
「そんなの――反則じゃない」
 その言葉を最後にもう二度と起き上がることはなかった。
「反則か、褒め言葉と受け取っておくよ、僕は世界をかき乱す“道化師《ジョーカー》”であり貴様たちを打ち滅ぼす“鬼札《ジョーカー》”でもあるのだからね」
 少女たちを全員打ち倒し、飛鳥の顔をした道化師は羽里のほうを振り向く。
「あなた何をしたの? それにこの子達がもう死んでるって――」
 羽里は一瞬にして破られた新田の鋼鉄の身体を不思議そうに眺めていた。
「僕の異能は異能にして異能にあらず、“異能殺し”と呼ばれるものだ。普通の魂源力とは真逆のエネルギー、そうだね“対魂源力《アンチアツィルト》”とでも呼ぼうか。そのエネルギーは異能者の魂源力を相殺し、無効化することができる」
「対魂源力《アンチアツィルト》……? だから藤森君は異能者でありながら異能検査に引っかからなかったのね……」
「そうだ。だがこの力は彼の身体にあるものであるが僕にしか扱えない。だから僕が彼の身体を借りる必要があったんだ」
「あなたは、藤森君の何なのよ。二重人格? いえ、そんな結果はカウンセリングでは出なかったわ」
「うん。僕と彼との精神と魂はまったく別のものだ。僕はただ彼の身体を借りているだけさ」
「彼は、戻ってくるの?」
「大丈夫だよ。脅威が去れば僕は引っ込むだけさ」
「そう、よかった……」
 羽里は倒れている女生徒たちの下に駆け寄り、その身体を診る。
 その身体はとてつもなく硬く冷たく、今死んだ死体とは思えない。
「本当にこれは――」
 羽里が少女の身体に触れていると、突然身体が一気に腐り出し、一瞬にして骨になってしまい、その骨もすぐに灰になって消滅してしまった。そこに残ったのは学園の制服だけである。
「きゃあ!」
「だから言っただろう。彼女達は既に死んでいた。何者かが彼女達を操っていたのさ。僕が対根源力を込めたナイフで切りつけることによって、その延長された生命を終わらせた。これは異能の力で無理矢理生き返されたんだ」
 どうやら道化師の異能殺しによって、彼女達の停められた時間が洪水のように押し寄せてきて一瞬で塵と化してしまったようだ。一体彼女達はいつから死んでいたのだろうか。いつから学園に潜んでいたのか。
「そんなバカなことって、いくら異能でも生命を操る力があるわけないじゃない!」
「それがあるのさ。この世でもっとも最悪で罪悪な異能。それはずっと昔から存在する。宿主を変え、人間の歴史の裏で生きてきた、その存在を僕らは“白き魔女”と呼んでいる」
「魔女……」
「ああ、死を弄ぶ存在。僕が戦うべき相手」
 道化師はどこか遠くを見つめ、何かを決意した様子であった。
「今日は色々ありすぎてもう頭がパンクしそうだわ」
 反対に羽里はその場にへたりこみ、深い溜息をついた。


           5

 羽里が深いため息をついた瞬間、突然時は止まった。
 何もかもが静止し、空気すらもその動きを止める。
 道化師はそんな中、静止する飛鳥の身体とは逆に道化師の意識だけがその時の止まった世界を認識していた。
「これは――そうか、そこにいるんだろう」
 道化師は動かない目を真っ直ぐ見据え、目の前からゆっくりと歩いてくる人影にそう話しかけた。
 静止した世界で唯一動いているその人影は、顔を見てもその顔を認識することができず、まるで顔が無いような印象を受ける。
 そんな奇妙な男を道化師は睨み、
「やあ、僕の“本体”。何千年ぶりだろうね」
 そう語りかけ、男は、
「やあ私の“影”。何千年ぶりだろうな」
 そう淡白な調子で答えた。
「白き魔女も死の巫女たちもお前が裏で手を引いているのか」
「ふん、さあな。それを貴様に教える必要は無い」
「僕はわかっているよ。お前は僕のようにちゃんとした肉体を得ることはできなかった。お前は誰かの力を扱うことでしかこの世界に干渉できはなしない。しかしまさか白き魔女を手に入れているとは思わなかった」
「だからどうした。だとしたら私をどうするつもりだ」
「僕はお前を必ず滅ぼす」
「貴様に私を滅ぼせるものか、貴様はただの影だ。私が元の身体を失ったときの残滓にすぎない」
「僕がなんだろうと関係ない。お前なんかにこの星を滅ぼさせはしない。僕は人間の素晴らしさを知っている」
「人間か、愚かで不完全な生き物だよ。滅びた方がこの星のためだ。人間たちにラルヴァと呼ばれる我々の同胞たちのほうがよっぽどまともな生命だ」
「確かに人間は愚かかもしれない。それでも、それでも僕は――」
 混沌の王と黒衣の道化師。
 人知を超えた二人の戦いはどちらかが滅びるまで終わることは無い。


             ※

 薄暗いどこかわからない場所に、桜川夏子は座っていた。
 彼女が持つ携帯電話に何者かからの連絡が入り、彼女はそれに応答する。
「首尾はどうかしらエレ・キーパー」
『上々です白き魔女。雨宮真美は我々の手に落ちました』
「そう、よくやったわね。褒めてあげるわ」
『はっ、ありがたき幸せ。雨宮のタナトスの力があれば計画は第二段階に進みます』
「ええ、そうね。また貴方に指揮をまかせるわ」
『わかりました。引き続き任務を続行します』
 そう言って電話の相手は電話を切り、桜川も携帯を雑に放り投げた。
「もう少し、あと少しでみんな一緒になるわ。みんな一つになるわ……待っててね、みかちゃん、みきちゃん――」
 桜川は華奢な自分の身体を抱くように丸まり、そう呟いた。
 悲痛さを感じさせるそのか細い声は、誰に届くでもなく消えていった。

          ※


 突然道化師の身体がぐらりと倒れこんできて、羽里は吃驚してしまった。
 咄嗟に抱きかかえ、なんとか押さえ込む。
「ど、どうしたの。大丈夫?」
「せ、先生……僕は……」
「ふ、藤森君、戻ってきたの……?」
 羽里の胸に抱かれる彼は、もう道化師の空気を纏ってはいなかった。意識が藤森飛鳥のものに戻っていた。彼は焦点の合わない虚ろな瞳で羽里を見つめる。
「先生、僕は、僕は怖いよ……」
「藤森君、あなた覚えてるの?」
「うん、わずかだけど、自分じゃない何かが僕の身体で暴れているのを覚えてる。あれが、僕の心に潜んでいた道化師だったんだね」
「ええ、そうね」
「怖い、先生。僕はどうしたいいんですか……」
 涙を流し、俯く飛鳥を羽里は強く抱きしめる。
「大丈夫よ藤森君。今は眠りなさい。あなたは私が護るわ。あなたに怖い思いなんてさせたくない……」
 ゆっくりと瞼を閉じ、意識を失うように眠りについた飛鳥の額に軽くキスをし、愛しい人の頬を羽里は撫でていた。
 それはこれから起きる激しい戦いの前の、刹那の平穏であった。



  ――――――To be continued 



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