【虚海】

 *できるだけラノにあるバージョンを読んでいただくとうれしいです
 いちおう海コンペのエントリー作です



 小波の音と楽しげな笑い声を耳にしながら目を閉じると、まったく違う世界がぼくの周りに
広がる。
 論理空間に揺蕩うデータの海だ。
 ぼくの異能は空中波のうちから魂源力(アツィルト)を使用している波形を読み取ること。
魂源力通信方式は、もちろん通信規格の主流ではありえない。それでも結構な規模で広がって
いる。
 一般的な通信回線から魂源力通信網にアクセスはできないが、逆ならできる。つまりやる気
になれば、ぼくは、ほとんどの通信を傍受可能だというわけだ。
 とはいえ、それは疲れるので滅多にやらない。一般通信網の情報が欲しくなれば、魂源力通
信端末でそれらにアクセスしているところにタダ乗りすればいい。料金を払う必要はない。な
ぜかといえば、魂源力通信は、どうせ使用者から少しずつ動力源である魂源力を吸い上げてい
るからだ。横からのぞくだけでもちょっとは取られる。
 魂源力は変換性の極めて高いエネルギーだ。物質再現までできるのだから、相当のものなの
だろう。魂源子と目される素粒子は、敷島藤次(しきしま・とうじ)とかいう科学者によって
発見されている。もちろん彼は学会での席を失い、ここ、双葉区へ居を移さざるを得なくなっ
ていた。魂源力に関するもろもろ――異能力者、超常パワー、そしてラルヴァ――は、一般世
間に対して秘匿されているからだ。
 基本的に魂源力通信は、アンティ・ラルヴァ・インターセプティング・エンジン――略して
ALICEシステムのために整備されたものだ。一部の知的ラルヴァは、ALICEの撹乱を
するために日夜サイバー攻撃をしかけてきている。いまのところALICEの機能が滞ったこ
とはない。
 しかしネットワーク上での音なき戦闘は常時続いている。異能者を抱えた人間の組織にもい
ろいろあるからだ。違法異能科学結社オメガサークルとか、ラルヴァ信仰集団聖痕(スティグ
マ)とか。踊る神の子(ハリストス・コネクタ)やら。泡沫組織まで数えれば枚挙に暇はない。
 もちろん、体制側の異能者管理組織である双葉学園も手をこまねいてはいない。いや、魂源
力通信に関しては、拱手して見ているだけかもしれなかった。現状では体制側の優位は動いて
いない。ラルヴァの多発的発生が確認されるようになって20年を経てなお、世間一般はラル
ヴァの脅威にさらされることなく平和に過ごし、あるいは人間どうしでの争いにうつつを抜か
していられるのだから。
 ぼくのほかにトラフィックを監視している眼がある。
「クラゲの骨」を名乗る諜報員だ。もっとも彼女の現実世界での顔と名前は知らない。しかし、
彼女の異能は少なくとも魂源力トラフィックに直接働きかけるためのものでないことはたしか
だった。
 彼女は端末を介してアクセスしていたし、論理空間にいきなり穴を穿って莫大な情報を吸い
寄せて、まったく新しい情報を精製するような真似をすることもなかった。彼女の貪欲な仕事
ぶりを見ていれば、やって可能なことを我慢できない性格であろうことはわかる。
 ぼくの予測では、彼女は身体強化系の異能者だ。ぼくよりもずっと長い時間、連続してアク
セスを続けていることが多く、しかも寝オチしているところを見たことがない。手持ちの情報
量はぼくよりずっと豊富だろう。だが、彼女は自分の経験と勘で、入ってくる情報の価値を選
別しなければならない。その点ぼくはずっと有利だ。見ただけで、ほぼ本能的に要不要を見分
けることができる。
「クラゲの骨」はどうやらここ数日間続けている定点観測の最中らしい。ぼくは意識をほかへ
と向ける。こちらから能動的なアクションは起こせない。あくまで視るだけだ。
 ――と。
 夏騒(サマーノイズ)を見つけた。あいつは本物のタダ乗り犯だ。〈分散処理ネットワーク
と魂源力場の相互干渉によってメタ計算空間に自然発生した散逸構造〉――ようするに魂源力
通信網上に発生した疑似生命体。定義の上ではエレメンタラルヴァになる。ハードウェアに依
存していないから捕まえられない。殲滅する方法といえば、すべての魂源力方式通信端末を破
壊することくらいだろう。しかし再度ネットワークを構築すればまた湧いてくるに違いない。
シーモンキーみたいなやつなのだ。
 まあ、基本は無害だから放っておくに限る。というかぼくにはどうしようもない。ただ、夏
騒がいるならインストールも近所にいるかもしれなかった。インストールは夏騒を目の敵にし
ている。
 インストールを発見した場合、逆探して出元を急襲するよう要請しなければならない。イン
ストールは人類にとって敵性ラルヴァと看做されているからだ。
 非力だが量子的存在で身軽な夏騒に対し、インストールは実体をともなったパワーを持って
いる。逆をいえばハードウェアに依存しているので「殺す」ことができるというわけだ。
 彼らが選択したハードウェアは人間の脳。バックアップを製作しにくく、互換性もあまり高
くないが、堅牢さではコンピュータ以上だろう。というか、インストールはコンピュータ出現
より以前から存在しているラルヴァなので、ハードウェア選択なしでは生存できなかったのだ
と思われる。昔の人間の情報ネットワークは遅々たるもので微々たるものだ。非実体ラルヴァ
とはいえ内部に棲息できるほどの論理空間は構築されていなかったに違いない。
 インストールが魂源力トラフィック上に出現するためには、ぼくのように直接ネットワーク
にアクセスできる異能者か、脳内侵襲式の端末を使っているマン=マシンハイブリッド、その
どちらかに取りつかなければならない。とくに後者は危険だ。ネットワークに接続している、
すべての脳内侵襲式端末の使用者が、しかも魂源力通信の枠を超え、全世界的に汚染されてし
まいかねない。
 ぼくの場合は、インストールに寄生されている人間が、物理的に至近距離まで近寄ってこな
い限りは大丈夫だ。直接脳まで配線が達していない限り、モニター越しに汚染を拡大させるこ
とができるほど、インストールは現行のネットワーク環境に適応してはいない。ぼくの異能は、
トラフィックを直接意識に投影してはいるが、視ているだけなので機能的にはモニターと大し
て変わらないのだ。裏を返せば、インストールがそうした適応を果たす前に滅ぼさなければな
らないのだが。
 夏騒はぼくの認識範囲内に5秒と長居しなかった。こちらに気づいている可能性は低くない
のだが、あいさつしてきたためしがない。学園生証兼モバイル端末に、イタ電をかけてきたり
チェーンメールもどきを送りつけてくることがあるらしいのだが、ぼくのところには一度もき
ていなかった。わりと無礼なやつだと思う。
 インストールが出てくる気配もなかった。とはいえかなりのレアものだ。いままで見たのは
二度しかないし、そのどちらもきちんと発信源を突き止めている。その個体は風紀委員の実動
部隊によって討たれていた。
 しかし二体いたのだから、ほかにもネットワーク上に進出したインストールがいてもおかし
くはないところなのだが。
 唐突に、無音の論理空間に、アラームが響き渡った。シフトイン早々に仕事か。
 これは現実世界の音だ。周囲の喧噪がよみがえる。口を動かさず、ぼそぼそと隠しマイクへ
応じる。
「こちらラビット。どうぞ」
『被疑者がそっちいった、確認して』
「どうして魂源力を使ってるかどうかまで調べなきゃならないんだ。もうブツを持ってるのは
確定なんだろ?」
『異能も使ってれば罪状倍プッシュってこと。委員長のお達しだよ、代わりに撃たれたくない
ならちゃんと仕事する』
「……あいよ」
 ぼくはまず薄目を開けた。案の定、かなりまぶしい。パラソルの下とはいえ、足元の白い砂
浜からの照り返しは強烈だ。ぼくの恰好は、海パンにビーサン、上にアロハを羽織っていると
かいう、とっつぁん坊や丸出しのださいものだった。アロハくらいは着ておかないと隠しマイ
クをつける場所がなかったのだから仕方がない。
 目が馴れるのを待って周囲を見まわす。標的はすぐにわかった。
 海水浴場だというのに、ジーパンをはいて、小脇にバッグを抱えた男。どこから見ても盗撮
犯だ。ここは島の中で一番外洋に近い人工渚であって、学園の誇る綺麗どころも幾人か水着姿
で友人たちと楽しみに興じている。
 なるほど、こいつを無傷で帰しては、風紀委員会の面目丸つぶれだろう。ぼくは男の持つバ
ッグへと意識を集中する。
 視えた。ひとつのデバイスにふたつの反応。もちろん、異能本来の使い方をしていないぼく
にわかるのは、魂源力を使用した技術の気配がするということだけだが。おそらくは、透視異
能者の能力を模倣している画像素子と、外部通信機能といったところだろう。しかし妨害フィ
ールドは既に張られている。受信装置側には砂嵐しか映っていまい。あとは、こいつが下劣な
性根を満たすために録画した映像を再生する前に破壊するのみだ。
「役満、国士無双」
 ぼくの報告と同時に、けたたましい警笛が鳴り響いた。周囲に詰めていた風紀委員がいっせ
いに動きはじめたのだ。
 犯人の反応は素早かった。真っ先に飛びかかった平風紀をひとり躱し、バッグを肩から外す
や、すさまじいライフルアームでぶん投げた。どうやら超人系異能者だったらしい。海水浴場
の外に仲間がいるということか。
 ――だが。
「セット〈DDS《デジタルデストロイサージ》〉――バースト!!」
 かけ声とともに、飛んで行くバッグを蒼い電閃が貫いた。デジタル機器を完全破壊する超科
学デバイスの効果だ。外形に異状はないが、内部のパーツとデータは絶対に復旧不能な状態に
まで破壊される。
 ぼくの同僚、風紀委員会第十六課、通称電子戦課のカシーシュ=ニヴィンだ。インドからの
留学生。彼女のかたわらに、ラジコンの宇宙戦艦のようなものが浮いているが、DDSを発射
したのはこいつだ。船首と一体化している主砲門を開いている。電子駆逐艦MDH。マハズィ
アン・ディリ・ハッチとかいう名前だったような気がするが正確なところは思い出せない。
 DDSで盗撮データがお釈迦になったことを察したかどうか、犯人は海へ向かって駆け出し
ていたが、耳を聾する発砲音とともに、前方へ突き飛ばされるように倒れた。盗撮犯の周囲に
散らばる六発のゴム弾。銃声はつながって聞こえていたが、神速の超連射だった。風紀委員長
どのだ。
 山や谷のほとんどないボディを真紅のビキニで飾り、右手にデリンジャーを掲げた委員長は
実にいろんな意味で突き抜けていてカッコいい。テンガロンハットをここでも脱がないのは、
カウボーイ(ガールな気もするが、まあいいや)のたしなみかなにかだろうか。
 静まり返っていた海水浴場に、風紀委員長の声が響く。
「盗撮犯の取り締まりは完了した。あんたらのスケスケ映像が流出する可能性はゼロだから安
心するように。以上、それぞれお楽しみに戻ってよし!」
 デリンジャー風紀委員長の安全宣言とともに、海水浴場ににぎやかな喧噪が戻ってきた。
 さて、仕事も終えたし、帰るとしよう。
 そう思って立ち上がったぼくだったが、なぜかカシーシュが目の前にいることに気づいた。
「なんだよニヴィン」
「カザミ、せっかくだから泳いでいく?」
「遊びにきたわけじゃない。ていうか、お前のラジコン、水に浸けたら壊れるだろ」
「ラジコンじゃない! MDHは水深八〇〇メートルまで潜行できるから!」
「……そりゃすごい。でもぼくは帰る」
 万能駆逐艦の性能には本当に驚いたのだが、それでもぼくは寮へ帰ることしか考えていなか
った。
 カシーシュが急ににんまりと笑った。
「あー、カザミ、泳げないもんねー」
「ほっとけ! いいんだよ、ぼくは帰るんだ」
「MDHに乗せてあげるから、一緒に泳ごうよカザミー」
「水深八〇〇メートルまでいけるような化け物に乗れるかよ。ぼくは帰るから、いいな」
 はっきりと宣告して背を向けたぼくだったが、カシーシュの朗々たる声が追ってきた。いや
な予感がして振り返る。
「セット〈CTN《キャプタートレイラーネット》〉――ショット!!」
 案の定、MDHからネットガンが発射され、ぼくはがんじがらめに引き倒された。
「ちょっ……委員長、ちょっと委員長、異能をみだりに使う不届き者が!」
 ぼくの訴えに、10メートルほど先で数人の女子風紀委員とビーチボールで遊んでいたデリ
ンジャー委員長が振り返った。が、なぜかその視線はぼくの上を素通りし、カシーシュのほう
へ向けられた。
「いいぞニヴィン、捕まえたくなった男は首に縄かけてでも引きずっていけ」
「りょーかいです!」
 カシーシュは元気よく敬礼で答える。ぼくは言葉もない。
 21世紀は女尊男卑の時代――ぼくはそのことを骨身にしみて感じていた。
 万能駆逐艦MDHに対して抱いた、ぼくの懸念は全面的に正しかったということも付記して
おこう。むしろ生きていたのは奇跡だったと思う……。
 もう、本物の海はいやだ。


        おしまい


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最終更新:2009年08月31日 00:27
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