【ひとりぼっちの異能者《ウミネコ》】


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                  Ⅰ

 どっとなだれ込むように海岸へ迫った緑も、生々しい岩肌を露出させている鋸山も、しばらく見納めとなると感慨深いものがある。
 幼いうちから見慣れた山のかたちと向きあって、俺はじっと耳を澄ます。燃え上がるような蝉の鳴き声の渦に、身を投げ出してみる。両目に浮かぶのは、幼い頃に走り回った雑木林の山道や、花火のもたらす硝煙の匂い。学校帰りの内房線。生まれ育ったこの町で積み重ねてきたものは、自分の思っていた以上にたくさんあった。そういった故郷の大切さを知ったのも、大学に進学して東京に暮らすようになってからである。
「えーた、何してるの? 早くおいでよ!」
 連れの美那子が俺を呼んでいる。振り返ると、背景の浦賀水道が午後の日に照らされ、ぎらぎら輝いていた。まるでその輝きがそのまま透過しているかのように、瞳がきらめいている。美那子はキャリーバッグの取手を引っ張り上げると、こう言って俺をせかした。
「早くしないと、フェリー出ちゃうよ? この暑い中、何十分も待つの嫌だからね!」
 はいはい、今行きますよーっと。
 そう大声で言ってから帰省の荷物を肩にかけ、俺は美那子のもとへ歩き始めた。
 日差しがとにかく眩しくて、両腕の皮膚をちりちりと焼く。鼻の奥が焦げ付いてしまいそう。右手に握っているミネラルウォーターのペットボトルも、もう空っぽだ。
 でも、そんな暑い夏ももうすぐ終わろうとしていた。


 自動券売機で片道ぶんの切符を買う。ビワだか牛乳だかサザエだか、フェリーの発着場はお土産を売る店員の声で賑やかだ。そんな夏休みの喧騒を掻き分け、俺たちは「かなや丸」の乗船口へ向かう。帰省のさい、いつもはJRの直通電車で東京まで帰ってしまうのだが、今回は美那子の提案で東京湾フェリーに乗船し、横須賀を回ることにした。
 フェリーに乗り込んでようやく落ち着いた美那子は、さっそく船内の売店で菓子パンなぞを買っている。美那子は実家の近くに住んでいた幼なじみで、今は都内の大学に通っている。たまたま俺と帰省の日程が合ったので、一緒に東京へ戻ることになった。
 背が高くなっても、短めの髪やぱっちりとした大きな目元、日焼けした黒い肌は昔とちっとも変わらない。今日はワンピースみたいな黄色のロングTシャツに、ホットパンツを履いている。この帰省で久しぶりに美那子と対面したが、自分の中で思い描いていた美那子のままでいてくれて、本当によかった。
 生まれも育ちも学校もずっと一緒だったが、お互い大学に通うことになってから、はじめて別々になってしまった。その大きな変化を、美那子はどう受け止めているのかは知らないが・・・・・・。
「ねね、えーた。デッキ上ってみない?」
「ああ、いいよ。行こうか」
 不意に呼ばれて俺は少し戸惑った。いつの間にか、美那子の接近を許していたことに戸惑った。美那子は俺と会話をするとき、いつも顔を近くに寄せてくる。そんなささいな癖も、昔のままだった。「ほい、これあげるよ」などと言われ、海軍カレーパンなるものを受け取った。
「フン」
 美那子のかぶりついた跡を見てから、照れ隠しのためカレーパンを口いっぱいに詰め込んだ。
 階段を上がって甲板に出たとき、船がゆっくり旋回をして向きを変える。三浦半島の久里浜に向けて進行を始めた。
 故郷が離れていく。散々見慣れた南房総の山々も、こうして船の上から離れていくのを眺めていると、とても切なくなってくる。
 ため息を吐いた。こんな風にして一人、大海原へと投げ出されていった自分は、これからどこへ向かっていくのだろう。
 そんなことを思いたくなるのも、俺が「異能者」であるからなのかもしれなかった。

                  Ⅱ

「うわー、見て見て! すごーい!」
 美那子は大喜びで一羽の鳥に指をさした。海を進む俺たちと並ぶようにして、かもめがすぐ目の前を滑空している。翼を広げたまま静止しているこの海鳥に、年配の乗客がカメラを構えていた。
 俺は高校生時代に遭遇したある事故をきっかけとして、「異能者」であることが判明した。
 事故といっても水の事故で、美那子が溺れたのを助けに出たときに能力が発露した。まさか、この俺に特別な力があったなんて夢にも思わない。
 それから俺は、とにかく「強くなること」を目指してきた。俺の通う学校――双葉学園は、異能者を育てる学校だ。この学校を選んだおかげで俺は自分の異能に相当詳しくなれたし、異能者としても大幅な成長を遂げられたと自負している。だから、俺にとってベストな選択肢であったはずだった。
 それなのに、時折「疑問」を感じるときがある。自分の選択に自信を持てなくなり、臆病な気分になるときがある。どうしてそんなナーバスな気持ちになってしまうのか、俺にはよくわからない。美那子とこうして一緒に行動している、今がまさにそんなときであった。
 田舎の友人も美那子もみんな、普通の大学に通っていたり普通の生活を送っていたりしていた。それに比べて、俺はいったいどういう方向へ突き進んでいるのだろう。みんなとは違った生き方をしている自分に、どことなく孤独に似たようなものを感じていた。
 新学期が始まれば、また異能者としての生活が待っている。異能について深く学び、訓練に明け暮れる多忙な日々が待っている。双葉島という箱庭で繰り広げられる、一味変わった日常。でも、学園生活やラルヴァとの戦いを終えたその先に、いったい何が俺を待ちうけているのだろう? 俺は将来どうなっているのだろう。
 重たいため息を一つ吐いてから、俺は周りを見渡した。東京湾を出てきたコンテナ船が、たくさんこちらに向かってきている。フェリーがなぞる航跡に、太平洋に出て行くタンカーが真っ直ぐ直角に交わった。雑然としてせわしい浦賀水道は、こうしていくつもの航路が縦横無尽に交錯し続けている。
 真正面から吹きつける潮風が気持ちよかった。地上で熱せられた体が冷やされて、疲れが抜けていくのを感じる。ふと上を見ると、まだかもめがフェリーと並んで飛んでいた。このかもめはウミネコだろうか、群れから離れ、風の強い浦賀水道を悠々と横断している。
 俺みたいだな、と唐突に思った。実家や友達、故郷から離れ、よくわからない都市伝説の世界に首を突っ込んでしまっている俺。このどこまでも広がる海原をあてもなく飛び回っている、はぐれもののウミネコのようなものだ。それはとても心細いことだと思う。
「えーた、こっち来なよ! 眺めがとってもキレイだよ!」
 呼ばれて振り返ると、いつのまにか美那子は反対側の手すりに移動していた。相変わらず、あいつは年甲斐もなくはしゃいでいるようだ。俺は美那子のところへ行く。
 海が傾いた日差しに照らされて、ゆらゆらと白銀に輝いていた。
 もう少し経てば日没だ。遠くを見やると、物見やぐらを連想させる火力発電所の煙突が三本、黒い影となって屹立している。
 終点の久里浜が近づいていた。

                  Ⅲ

 久里浜に着いてから、俺たちはフェリー発着場の隣にある小さな浜辺に寄った。美那子が寄りたいと言い出したのだ。
 浜辺ではボールを蹴り上げて遊んでいる円陣組や、バーベキューをして鉄板を囲んでいる若者たちがいた。午後であるためか、もしくは港の脇にある小規模な浜辺なためか、海水浴を楽しんでいる人間は一人も見られない。俺たちの乗ってきたかなや丸が、久里浜港を出ていった。
 波打ち際を美那子は裸足で歩いている。一人で波を蹴り上げたりして遊んでいる。
 本当に海が好きな奴だなと俺は思った。そういうところが昔と何も変わっていない。そんな美那子を見ていると、将来について深く悩みこんでいた自分が、余りにも馬鹿馬鹿しく思えてきて苦笑が漏れてしまいそう。
 いや、もしかすると美那子にとって「海」としばしのお別れだから、ああして波と戯れているのかもしれない。
 彼女は今、内陸部の大学に通っている。下宿先も学校の近くだから、これから海とは無縁の生活を送ることになるのだ。もちろん美那子は美那子なりに楽しくやっていることだろうということは、俺がいちいち考えるまでもないことなのだろうが・・・・・・。
「えーたもこっち来て遊ぼうよお!」
 と、美那子は俺に両手を振って言った。そのとき、夏の日差しよりも美那子の笑顔が眩しく映った。なんとなく照れくさかった俺は、その場で片手を振って応えてあげる。
 西から照りつける日があまりにも暑くて、背中を汗が流れていった。喉が渇いていた。
 飲み物が欲しい。美那子のぶんも適当に買ってこようと思い、俺は浜辺を上がる。


 コンビニの看板が県道沿いの先にうかがえたが、美那子を残して遠くまで行くのもはばかれるので、近場の自動販売機で済ますことにする。アクエリアスを自販機から取り出したあと、ミネラルウォーターのボタンを押した。
 自動車の往来が落ち着いてから、俺は県道を小走りに渡ってもとの浜辺に戻ろうとする。バーベキューをしている若者たちは、いよいよ紙製の白い皿を取り出していた。サッカーをしている円陣から、ボールがあさっての方向へと飛び出してしまい、全員が爆笑を交えながらボールを追いかけていた。
 そういった光景を横目にしてから、俺は美那子のほうを見る。美那子は、何か見つけたのだろうか、足を膝まで波に浸して何かを見つめている。
 そして次の瞬間、美那子が細長い触手のようなもので腕をつかまれて、一気に引きずり込まれたのを見た。
「美那子!」
 背筋がぞっとした。とっさに走って近づいたとき、美那子の細い腕が暗い色をした海中へと沈んでいった。
 触手はクラゲのものにしてはかなり太くて、毒々しいピンク色をしていた。俺はその触手に見覚えがあった。その異形を忘れられるわけがなかい。
 終わり行く夏を遊び呆けている若者たちは、誰も一人の少女が海中へ呑み込まれていったことに気づかない。・・・・・・むしろそのほうが、俺にとって都合が良かった。
「上等じゃねえか」
 俺は怒りに震えた。帰郷をしていて、しばらく惰眠を貪っていた魂源力が奮い立つ。ボストンバッグとキャリーバッグが固めて置いてあるところに飲み物を放ったあと、正面から海に突っ込んでいった。

                  Ⅳ

 汚い海だな、というのが正直な感想だった。夕方になろうとしている時刻のためか、海はますます暗く濁っており、沈みゆく美那子を追うのにやや苦労した。
 美那子だって海辺で育った奴だ。パニックに陥ることなく、海底に引きずり込もうとしている化物の触手を殴打したりして必死に抵抗していた。しかし、俺にはわかる。そいつを倒すのは一筋縄ではいかない、まったく別次元の異形であることを。
 俺が追いついて美那子の体をつかんだとき、美那子はこらえきれずにごぼっと泡を口から吹き出した。苦しみもがいているうちに、俺は右手に魂源力を込めて触手を握りつぶす。
 異形から分離した美那子を肩にかつぎ、すぐに浮上を始めた。「もう、大丈夫だ。俺がついている」。そう、水中で「ささやきながら」
 もう敵は追ってこなかった。真っ赤な尻尾を漂わせながら、ほの暗い沖のほうに消えていったのを確認する。
「げほっ! ごほっ!」
 水中から顔を出した美那子は、強く咳き込んで海水を吐き出す。俺は美那子をおぶって、浜辺に向かって泳いだ。
 砂浜でへたりこんだ美那子は、開口一番にこう言う。
「ぜー、ぜー、・・・・・・なんなの、なんなのあれ!」
「まあ、落ち着こうな。世の中にはお前の知らないところで、おっかない化物がいるもんなんだぜ」
「おっかないってモンじゃなかったって! すっごく長い触手みたいなものが伸びてきて、腕つかまれて、ぐおおおおっと」
 動転している美那子をほっといて、俺は海を見つめる。眼球のなかに炎を感じていた。おもむろにシャツを脱ぎ捨て、砂浜に放る。
「ねえ、えーた、何始めるの?」
「ちょっとひと泳ぎしてくるわ」と、俺は言った。「とりあえず物陰で着替えてこいよ。あと、カバンのあたりに飲み物あるから、好きなもの飲んで待ってな」
「危ないからよしなって! えーた!」という言葉を無視して、俺は暗い海中へ滑り込む。


「久しぶりじゃねえか・・・・・・」
 と、港の沖まで潜ってやってきた俺は心の中でそう呟いた。
 なかなか光の差し込んでこない濁った視界の向こうを、ゆらりゆらりと一枚の巨体が身を翻している。
 それは、成人男性ぐらいの体長はあるエイだった。トビを思わせる大きな胸ひれで水を掻き分け、鞭のような長い尻尾は先端が尖っている。先ほど俺が潰した尻尾を、すでに再生させていた。
 不気味な赤い色を帯びたエイが、こちらを振り向く。目と目が合ったとき、俺はニヤリと笑った。
「高校のとき以来だな。あんときも浜辺で遊んでた美那子を引きずり込んでくれたよな」
 はっきりと聞こえたことだろう、ニンゲンの言葉にエイのラルヴァは大きく目を開いた。俺はエイにむかって指をさし、こう大声で「怒鳴った」
「俺はお前と決着を着けるために今日まで修行してきたんだ! 昔の俺だと思うなよ!」
 俺の異能は水中戦闘特化だった。肺呼吸を行う人間であるにも関わらず、魂源力の恩恵を受けている俺はこうして海中でも会話ができる。たとえ人生を狂わせるような激流の中だろうが、一筋の光の届かない孤独の深海だろうが、地上にて躍動・疾走・跳躍するがごとく俺は海の中で暴れまわることができる。
 こんな力に目覚めたのも、過去にこのラルヴァによって美那子を沖に引きずりこまれたのがきっかけであった。「美那子を離しやがれえ!」。思わず怒鳴ってしまったその言葉は水中にもかかわらず克明に響き渡り、自分でも驚かされたものだった。
「覚悟しやがれ!」
 素早くエイとの距離をつめると、俺は巨大な胸ひれを殴って穴を開けてしまう。
 水中のほうが地上よりも体が軽く感じる。この自由な三次元空間が、俺のバトルフィールドだと言ってよいだろう。双葉学園において、水を得た魚という表現はまさに俺のためだけにあるのだ。
 俺の通っている大学には、龍河弾という超人がいる。竜の血を全身にめぐらせた彼は、恐らく地上で最強に近い生物に違いない。
 なら、俺は海中での最強を目指してやる! 血潮がたぎる。筋肉が激しく伸縮する。俺は大きな穴の開いた胸ひれを両手でつかみ、ばきばきと大胆に破り捨ててしまった。
 ところが、俺の心臓をめがけて尖った尻尾が飛んできた。
「ぐおっ!」
 直撃してしまう。胸板に空いた穴から、煙のように血液が舞い上がった。エイはふらふらと俺から距離をとって逃げようとするが。
「・・・・・・残念。全然効いてない。伊達に鍛えてないんだぜ」
 そう、俺は堂々と言ってやった。エイは憤怒に満ちた眼球を俺に向ける。
「前回は尻尾の毒にまんまとやられてしまったからな。でも、言っただろ?」
 もう一度エイに急接近し、尻尾をつかみ上げる。ばたばたと暴れて抵抗するエイに、俺は直に魂源力を叩き込んだ。
 エイはばっと燃焼し、黒焦げになってしまった。尻尾が根元からちぎれ、本体は燃えカスを上げながらぶくぶく沈んでいく。俺は手元に残った尻尾を海底に投げ捨てると、こう言い放った。
「昔の俺とは違うってな・・・・・・」

                  Ⅴ

 美那子を守りたかったというのが、双葉学園で頑張ろうと思った真の理由だった。
 あのエイは美那子を海底に引きずりこんで、食おうとしていたに違いない。高校生のときは美那子を助け出すのがやっとで、反撃するのもままならなかった。一発ぶん殴らないと気がすまなかったが、結局毒針をもらってしまい戦闘不能に陥ってしまった。
(また、その子を狙いに来るからナ)
 激痛にもがき苦しみながら浮かんでいく俺に、あのラルヴァは確かにそう言った。無力なニンゲであった俺に、轟然とそう言い放った。だから、俺は強くなる必要があったのだ。
 俺と美那子を乗せた三両編成の電車は、右に大きくカーブを描くと終点に到着する。列車が停止すると同時に、美那子が立ち上がって俺の顔をうかがった。
「ほら、着いたよ。もしかして眠い?」
「いいや、そんなことないぞ」
 表はすっかり真っ暗になっていたが、美那子の希望で寄り道をすることにしたのだ。鶴見駅を出たローカル線は、ネオンの目に付く都会を離れるにつれ、物静かな暗闇の世界へ足を踏み入れていった。
 扉が開いた瞬間、冷たい潮風がばっと車内に入りこんできて一気に眠気がすっ飛ぶ。電車を降り、俺は美那子に手招きされてホームの手すりまで寄った。
 すると、青くライトアップされた鶴見つばさ橋が目に飛び込んできた。
「・・・・・・こりゃ、すげえや」
 と、俺は漏らした。この駅は運河に面しており、京浜工業地帯や往来する船を一望できる。なかでも一番目を引くのが、首都高速湾岸線の通っている大規模な逆V字のつり橋だった。
「えーたにこの夜景見せたかったんだあ。キレイでしょ」
「ああ。港もけっこう美しいもんだなあ・・・・・・」
「ここは夜景を楽しむためにある駅なの。帰りの電車まで一時間近くあるから、一緒にのんびりしてよっ」
 一時間、ねえ。
 絶えず吹き付ける横風のとどろきに加え、小刻みな波がホームの真下をぴちゃぴちゃ舐める。手すりに両腕を乗せてどっと寄りかかると、俺は火照った頬を夜風にさらした。
「私ね、子どものころに横浜のベイブリッジを見たことがあるの」
 俺は美那子のほうを向いた。横浜ベイブリッジは鶴見つばさ橋の隣にあるつり橋で、ここからでも青くライトアップされているのが見える。
「みなとみらいじゃなくて、少し離れた小高い立地にある公園からね。夜に見たんだけど・・・・・・すごく怖かった」
「怖かった?」
「うん。だって、あんなにも遠くから眺めていたはずなのに、ほの暗い色をしてぬぼっと浮かび上がってて、なんか街をすべて飲み込んでしまいそうなぐらい巨大に見えたの」
「まあ、見ようによっちゃ不気味な色をしてるよな」
「『存在してる』ってそういうことなんだと思うんだ」と、美那子は言った。「上手に表現できないけど、ベイブリッジは確かにそこにあるんだってこと。そこに強く存在しているんだってこと。ほら、あの煙突の、点滅している白い光だって。あの港をぎらぎら照らすオレンジのライトだって。『存在』を示すためにああして強く強く光ってるんでしょ?」
 美那子の言いたいことが、おぼろげながらもわかってきた。ナトリウムランプが横一直線に連なった首都高も、ちかちかライトを点滅させながら低空飛行をしている旅客機も、この暗闇のなかで『存在』を強く示すために輝いている。すなわち、色とりどりの明かりは人々の営みのしるし。
 宝石のように仕組まれてちりばめられたわけではない。人や物といった『存在』のしるしが街の成長とともに配置されていった結果、俺と美那子が目の当たりにしているこの風景は実現している。人間の生み出した偶然の産物だ。
「だから、夜景は美しい」
「わかってんじゃん、えーた」
 フン、と俺は照れ隠しにそっぽを向いた。向こうの埋立地に伸びた煙突から、紫色の炎がゆらめいたのを見る。
 それにしても俺は、何のために存在しているのだろう。
 因縁の敵と決着をつけて、とりあえずは一区切りついた。今後は異能者として人とは違う教育を施され、普通の人とは違う人生を歩むことになるだろう。美那子を守ってやりたくて双葉学園に入学したはいいが、俺はこれからどうなっていくのだろう。どんな生き方をしていくのだろう。
「えーたさあ」
 と、美那子がつり橋をぼんやり見ながら話しかけてくる。
「どこの学校でどんな生活をしてるのか知らないけどさ、たまには私に顔を見せてよ。こうして帰省のついでで会うだけじゃあさ、気になってしょうがないよ」
 美那子は俺が双葉学園に通っていることを知らない。異能者であることも知らない。俺が何を学んでいるのかも知らないし、俺がどんな毎日を送っているのかも知らない。
「会えないの? 暇なときに」
「あいにく俺は忙しいんだ。下宿先からなかなか離れられない」
「そう・・・・・・」
 本当だったら、俺の暮らしている島にでも招待したいぐらいだった。双葉学園で勉強していることや何より自分の力について、何から何まで教えてあげたいぐらいだった。お前のために俺は強くなったんだということを、告白してやりたい。しかし、それは許されない。なぜなら俺は「異能者」だから。
 美那子のためを思って選んだ選択が、美那子と俺を隔てる高い壁を構築してしまった。何てことだろう、とんでもない皮肉じゃないか。
 俺はようやく理解する。俺は独りぼっちが寂しかったのだ。「美那子と離れたくない」「ずっと一緒にいたい」。その欲求が、俺を悩ませているものの正体だった。美那子の見ている目の前で、大海原に向かって叫んでやりたい胸の中の本音。フェリーに乗る前からずっと、美那子とまた離れ離れになるのが辛かった・・・・・・。
 進学して、離れてようやく知った『存在』の大きさ――。
 俺はわざとらしく大きな息を吐いて、高ぶった気持ちを落ち着けようとした。すっと夜空を見上げてみると、一点の明かりが目に入る。
「この海芝浦駅はね、夜景がとっても綺麗だからデートスポットとしても有名なんだ。んまあ、いつか彼氏でもできたらまた来ようかなあ・・・・・・」
「・・・・・・確かに俺は全寮制の、ちょっと厳しい環境の下で暮らしてるから、ふだん会うことは難しい。それでも連休なら都合がつくと思うから、また船乗ったり海見たり、二人で一緒にここに来たりしような」
「ほんと?」
「ああ、約束するよ。それまで俺も、孤独な学校生活頑張るわ。あのキレーな明かりのことをお前のことだと思って、頑張っていくから」
 ぎこちない動作で俺が指した方向を、美那子は見上げる。
 くっきりと夜空に映える、シャープな三日月。
 ずっとその『存在』に気づけなかった美那子は、ふっと吹き出してから、頬を赤らめてもじもじとはにかんだ。
「そ、その、はっきりと言えねーけど、お前は俺にとってそういう『存在』なんだ! いくら世間と隔てられたわけのわからない環境のなかにいても、輝かしいお月さまだけは見ることができる! お月さまだってたとえ地球から気が遠くなりそうなぐらい離れていても、ずっと俺たちのことをじっと見つめてくれているだろう? あんなつり橋や港の明かりなんかよりもずっとずっと明るい色をしていて眩しくて大きくて、ずっと側にいてくれるような身近な『存在』じゃねえか。つまりお前は俺にとってそういう『存在』であって、どんなことがあっても俺の心の中で離れることはなくってああもう、何が何だかわけがわからねえ・・・・・・」
「じゃあ、私もあの月のことをえーただと思うことにするよ」
 間抜け面をして絶句した。
 理解が後から後から追いついていき、どんどん顔が紅潮していったのを感じる。美那子は顔を近くに寄せてきて、俺の目を覗き込んでいる。ぱっちりとした二重まぶたの上目遣い。俺はそれ以上、美那子を見ることができずに体ごとそっぽを向いてしまった。
「聞こえていたよ」と、そんな俺に美那子がささやく。俺の背中に手のひらをぴったりつけて、こう言う。「『俺がついているから大丈夫』って。海の底で言ってくれたよね。聞こえたよ、えーたの声。・・・・・・昔もそうやって私のこと、助けてくれたよね。覚えてるよ」
 鶴見線の車掌はあえて笛を鳴らさず、静かに帰りの列車は俺たちを残して発車した。赤いテールサインが闇に紛れて消えていった。
 これから自分がどんな生き方をしていくのかなんて、いくら悩んでもわかりっこない。でも、今は深いことを考えずに、時間のあるときに好きな人と一緒に波打ち際を歩いていければいいのではないか。
 対岸の煙突から、フレア・スタックがひときわ強く輝いた。
 それは情熱を思わせるとても真っ赤な炎だった。




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