【異能力研究者の、ある夏の数日】


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異能力研究者の、ある夏の数日


 その夜、私は仕事に一区切りつけ散歩に出かけた。
 長時間のデスクワークに疲れたというのと、窓から吹き込む涼しい空気に誘われたという、二つの理由からだ。
 ここ双葉区は、その創設理由から様々な結界が張り巡らせてあり、島内の環境を最適な状態に保つ役割をも担っている。
 その効果からか、夏真っ盛りという今の時期でも、夜になると比較的すごしやすい気温になることが、研究棟周辺では多いようだ。
 私のようなおじさんにはそれがとても有り難く、ほとんど日課になっているこの散歩を、今日もいつも通りのコースでゆっくりと行っていた。
 研究棟東の小道を抜け、島の外縁に沿った通りにでる。しばらく歩くと、双葉島にいくつか設けられた人工の海岸へと続く階段がある。私はそこを下り、砂浜ではなく磯の方へと向かった。
 岩礁では小さく、無害な水棲ラルヴァがまれに見られることがあり、なかば占いに興じる女学生のように「見れたらいいことがある」という願掛けにも似た行為を、私は散歩するごとに繰り返していた。

(さて、今日は何か見ることができるかな?)

 少しの期待を抱きつつ、私は磯へと歩を進める。
 と、その時、私の目に透き通る女の姿が飛び込んできた。

(まさか、夏だからって怪談の主役たる幽霊を見るというのか?)

 一瞬、そんな馬鹿なことを考えた私だったが、それが間違いであることはわかりきっていた。
 近年、ラルヴァと異能を知る者の間では、一般に心霊現象と呼ばれる事の多くはラルヴァ、もしくは異能力の残滓が引き起こすものだと考えられるようになっている。
 強烈な魂源力を持つ個体の引き起こした事件、事故現場には、しばしば高濃度の魂源力が残留することがあり、それに異能を持たないものが影響されることで様々な理解しがたい超常現象を引き起こす、というものだ。
 自然が起こした不思議な事象はまた別だが。

(となると彼女はラルヴァか異能者か、それともそれらの残した分身か)

 私は足を止め、彼女を観察する。
 足はあるし、死装束も着ていない。もちろん額に三角のアレもない。

(あの服装は学園のものだな)

 彼女の着ている衣服は双葉学園指定の制服だった。夏服だからブレザーは着ておらず袖も短い。

(問題は彼女が生きているかどうかということだが……)

 その問題はすぐに解決した。
 確認のために何歩か歩み寄った時、彼女は私に気づいて振り返り、そこに私の見覚えのある顔があったからだ。

「東くん……東明《あずまあきら》くんかな?」
「稲生《いのう》先生……」

 彼女『東明《あずまあきら》』は私の講義を選択している者の一人だ。地味で目立たないが、一学期の小論文ではなかなかに面白い解釈を見せてくれた。
 彼女は確かに、夏休みに入る前まできちんと受講していたし、何らかの事件、事故に巻き込まれて亡くなったという話も聞いていない。今日死んだというのならありえなくもないが、それはさすがに悪い意味でタイミングが良すぎるだろう。
 つまり彼女は生きていて、彼女自身の意志、もしくは異能の暴走で、こういう姿で今ここにいると考えるのが自然だ。

「東くん、なぜ今時分にこんな所にいるのかね?
 まさか私と同じで夜の散歩でもしていたのかな」


 翌日、私は一人の女子生徒に電話で連絡を取った。
 本当はその女子生徒のパートナーに連絡を取りたかったのだが、その娘は座学を受講するタイプではなかったため、連絡先が手元の名簿からはわからなかったのだ。

「それで一体、ナオに何の用があるんですか?」

 事情を説明しもせず、彼女のパートナーの連絡先を教えて欲しいといった私に、結城宮子《ゆうきみやこ》は疑念を含んだ声音でそう答えた。
 実に当たり前の反応だ。友達でもなんでもない男、しかも講師が女子生徒の連絡先を知りたいなんて言えば誰でも怪しく思うだろう。

「失礼した、パートナーの君に事情を説明しないのはあまりにぶしつけだったな。
 実は異能者がらみの事で彼女の力を借りたい……いや、借りずにすめばそれが一番いいのだが、最悪の事態を考えるとそれに備えておかないわけにはいかないというべきか……」

「……今ひとつ先生の仰りたいことがよくわからないんですが、危険なことなんですね?」

「そう、だな……力を借りることになれば、危険は確実にあるだろう。
 ただ、事は急を要するし、私の知る限りでは彼女以外には対処できないと思う。
 もちろん君からの伝聞に基づいた判断だから、実際に会って話してみないことには本当に力を借りられるかどうかはわからないのだが……」

 私は彼女に謝罪し、事情をかいつまんで話したが、やはり詳しく話さなければ納得してもらえそうにない。

(できれば巻き込みたくないんだが……そうも言っていられないか)

「……わかりました。皆槻さんに連絡とってみます。
 でも彼女どこにいるかわからないし、つかまらないこともありますから、あまり期待はしないでくださいね」

 考え込み、押し黙っていた私に気を使ったのか、彼女は了解の意を告げた。
 事の重大さを察してくれたということだろうか。
 そう簡単に納得してはもらえないだろうと思っていた私は、あわてて彼女に礼を言った。

「すまない、恩に着るよ。」
「……一つだけ聞きますけど、先生って若い子が好きなんですか?」
「……私は基本的には成人女性が好きだ。
 それではよろしく頼む」

 最後の彼女の一言には、さすがにそこまで警戒しなくてもいいのではないかと思いながら、私は通話を終えた。

(もしかして私は女子生徒に警戒されるようなタイプなのだろうか……)


「つまり君の異能はゲートを開いて『肉体だけ』を亜空間に隔離することで、こちらの世界に『魂』とでも言うべきものを残す。それによって物質を通過したり物理法則にとらわれず宙を漂ったりすることを可能にする、ということだな。
 うまく応用できれば他者にも同様の効果をもたらせるかもしれない。
 どこかに潜入するにはとても便利だろうね。
君が男子でなくて良かったよ」

 夜になり、私は東明と話すため再び海岸に来ていた。昨日、彼女に聞いた事情から、おそらくここから動くことはないだろうと考えたからだ。
 事実、彼女は今夜もここにいた。
 そして今は、彼女と私だけの異能力研究室特別開講中だ。

 彼女がここにこうして『魂』のみの姿で漂っているのは、簡単に言うと失恋が原因らしい。付き合っていた男子に体を求められて拒んだらふられた、という若いころならよくある話だ。当事者にしてみればよくあるなんて言葉で済ませられるはずもないが。
 彼女の場合、その心情をより面倒にしたのが彼氏のいわゆる『二股』だった。彼女がふられた後、その男子は別の女子と仲良く腕を組んで歩いていたそうだ。これもまたよくある話ではある。
 ともあれそういった事情が重なって、彼女は『もうこの世から消えてしまいたい』と願った。そして実に間の悪いことに、彼女は『この世から消える』のに最適な異能を持っていたのだ。

 彼女の異能について冗談を交えながら考察する私を、東明は微笑みながら見つめる。その表情は私が教室で見るものと変わりなく感じられた。場所は違うが、いつも講義を受けているのと同じ雰囲気が良かったのだろうか。

(しかし、ここから先の話はかなり厳しいものになる。上手く混乱させずに説明できればいいが……。
 結局、彼女とも連絡がつかなかったし、東くんに自力で何とかしてもらうしかないのがなんとも心もとないな……。
 ともあれ、まずは彼女に戻ってくる気を起こしてもらうことが先決だが、一体どんな説得をするべきか……)

「少し休憩にしよう。
 どうだい?君もお茶でも」

 私はそう言いつつ、持ってきていたコンビニ袋からペットボトルを取り出す。

「いえ、結構です。
 わたし、異能使ってる時はお腹すいたりのど渇いたりしなくなるんで」

 彼女は両手をぱたぱたと左右に振りつつ、私の申し出を辞する。そしてその言葉は私の予想通りのものだった。
 『異能使用中は飢えも乾きもない』ということは肉体とは感覚が共有されない状態にあるということであり、『肉体は何のエネルギーも消費しない』状態であるか、逆に『エネルギーを消費していても術者が気づかない』状態であるか、この二つに一つだ。
 さらに言うと、時間が止まっているのでもない限り前者はありえない。彼女の異能が『肉体を亜空間に隔離する』という以上のものでないなら、ほぼ確実に後者だろう。
 つまり彼女は気づかぬうちに『体力と魂源力を消費し続けている』ということになる。これはすなわち、気付かぬまま『緩やかな自殺を行っている』状態であるということだ。

「そうか、じゃあ一人で寂しく飲むとするよ。
 ……ところで東くん。どのくらいの間、異能を使い続けているんだい?」

 私は努めて平静を装いつつ、彼女にそう質問した。

「ええと……もう4日目ですかね。
 あは、今までで一番長い間使ってます。新記録ですね」

 彼女は明るく私の質問に答える。
 が、その答えは正直、笑って聞けるものではなかった。
 『4日』ただ単純に断食するだけなら死ぬほどの期間ではない。しかし彼女は同時に『異能を使い続けている』わけで、どんなに強力な異能者でも4日間、休まず異能を使い続けるのは相当難しい。
 いや、ほとんどの場合『不可能』だといって差し支えないだろう。

(つまり、彼女の魂源力はもう、いつ底を突いてもおかしくない状態だということだ。)

 肉体が亜空間に隔離されたまま魂源力が尽きれば、魂源力を回復させることは二度とかなわない。魂源力はあくまで肉体をベースに存在するからだ。
 これは、魂源力を他者に分け与えることのできる異能者も『魂』自体に魂源力を分け与えることはできない事を意味する。

(そうなれば亜空間に取り残された肉体を回収する手段はなくなり……肉体が死ぬまで魂のみで存在するか、魂に残された魂源力が消費された瞬間、魂が消滅することになる。どちらにしても……)

 ――死だ。――

「ふふ……。先生、そんなに心配そうな顔しないで。
 先生と話しててもう『消えたい』なんて気持ち、ほとんどなくなりましたから。」

 知らぬ間に私はよほど渋い顔をしていたのか、彼女が気を使うように、そう声をかける。

「あ、ああ……失礼した。
 少し考え込んでしまったようだね。
 ……それにしてもいつもの君に戻ってくれたようで良かったよ」

「えー?先生、わたしのこと、そんなに知らないでしょう?」

「これは心外だな。私は教室に来る生徒のことは一人ひとり、ちゃあんと見ているんだよ。」

 私は彼女の言葉に答え、いかにも安心したという顔をして見せた。そして続けて言った一言に彼女が軽く噛み付き、私は講義中に見せる態度そのままに、大げさにリアクションをとってみせる。

(あとは何事もなく彼女が戻って来られるかどうか……だが)

 異能には、常時発動型を除くと『解除に魂源力を必要とする』ものと『ただ意識するだけで解除される』ものがある。細かく分類するともっと多くの条件を含むものもあるが、ほとんどの場合は後者だ。
 超人系だと肉体を強化することを意識している間だけ異能が発揮されるし、超能力系も大体がそうだ。もちろん超科学系もしかり。

(例外としては、テレポートで召喚した対象を送り返す場合くらいだが、まずいことに彼女の異能はこれと同じタイプだ。
 ゲートを開き、肉体を隔離しゲートを閉じる。そして解除するときはまったく逆の手順を踏む……となれば当然、解除にも魂源力が消費されることになる)

 解除するために消費される魂源力がどの程度か、また異能を発揮していた期間にどれほどの魂源力が消費されていたか。それらが、彼女の肉体がこちら側に戻ってこれるかどうかの鍵を握っているのは明白だった。

「さてと……それじゃあそろそろ戻ることにしますね。
 先生ちょっと離れててください」

 彼女に促され、私は軽く頷いてからコンビニ袋を持って立ち上がり、数歩後退してから彼女の方に向き直った。
 東明は瞑目し、魂源力を高めようと集中しているようだ。

(うまく行くのを祈ることしかできないのがもどかしい限りだな)

 しばらく静観するが、彼女の肉体が戻ってくる様子はない。彼女自身、今までにない経験に戸惑い、その表情に段々と焦燥の色が濃くなっていく。

「もど……れない……。
 ……どうしよう……先生……戻れないよ!」

 彼女は夜の闇に薄く透き通る顔をさらに青くし、私にすがり付こうとする。
 だが、その手は無常にも私の手をすり抜け、触れることさえかなわなかった。

「いや……嫌ぁ……いやぁあああああ!!」

 最悪の事実を突きつけられた彼女は半狂乱となり、両手で頭を強く抱えその場にうずくまった。目は限界まで見開かれ、生身であれば出血しそうなほどに激しく頭をかきむしる。
 触れられないのはわかりきっているが、私は彼女をかばおうと腕を広げ、覆いかぶさる。

(やはりこうなるのか……!しかし、もう残された手段はない。せめて彼女と連絡がついていれば……)

 「先生!どうしたんですか!?」

 苦悩する私の耳に東明とは別の少女の声が飛び込んでくる。
 声の方へ振り向くと、教え子の一人である結城宮子と、彼女のパートナーである皆槻直《みなつきなお》の姿があった。
 女性の叫び声を聞いて異常事態だと感じたのだろう。彼女の声は緊迫感に満ちていた。

(連絡を受けてここまで来てくれたのか)

 私は昼間に連絡した際、念のため結城宮子に教員証のパーソナルアドレスを伝えていた。生徒たちが持つ学生証のGPSで、私個人の現在地を知らせるためだ。

(しかし、素晴らしいタイミングで来てくれたものだ。幾多の戦闘を経た彼女たちの勘が、事態の危険さを報せたとでもいうのだろうか)

「二人ともよく来てくれた。簡単に状況を説明するからよく聞いてくれ。
 これから皆槻くんには彼女、東明くんの異能発現をサポートしてもらう」
「え?東さん!?一体……なにがあったの?」
「結城さん……」

 私が東明の名を口にすると結城宮子がすぐに反応を見せた。彼女たちは私の講義を通して面識があったのだ。
 結城宮子は東明のそばまで駆け寄ると、彼女の肩に触れようとする。が、やはりその手は空をかく。

「これは……!?
 稲生先生、もしかして彼女の異能が……?」
「暴走ではない、が危険な状態であるのは同じだ。
 簡単に言うとガス欠だな。魂源力不足で彼女の肉体がこちら側に戻って来れない。
 そこで皆槻くんには彼女が亜空間ゲートを開くのをサポートしてもらいたい。二人のゲート開閉は同じ仕組みだ。だから上手く同調すればゲートをこじ開けることができる」

 私は結城宮子の問いかけに答え、一息に皆槻直に頼みたいことの概要を伝えた。
 はっきりと可能であるという口調でだ。

(本当の所うまく行く可能性は低い。……だが少しでも成功の確率を高めるためには私が弱気な態度を見せるわけにはいかない。異能を上手く使うには何よりその可能性を『信じる』ことが重要なのだから……)

「ちょ、ちょっと待って先生!私の異能じゃ自分の体にしかゲートは開けないし、まして人の体を出し入れするなんて……」

 私の発言を受けて皆槻直があわてて無理だと口にする。確かに彼女の異能では物質の出し入れはできないかもしれない、だが。

「だからこそ『サポート』なんだ。
 一人では不可能なことも同種の能力を同調させてやれば可能になる。
 皆槻くんは東くんの異能が、本来発揮するはずの効果の一部分を『肩代わり』するんだ。今回の場合は『ゲートを開くことに魂源力を使う』。この部分だ。」
「だけど……」

 説明を聞いてもにわかには納得できないのだろう。皆槻直は眉根をひそめ、戸惑いの言葉を漏らす。
 しかし今は悩んでいる時間すら惜しい。だから私は少しいやらしい手段を使うことにした。

「なんだ。怖いもの知らずの『ワールウィンド』ともあろう者が情けない顔をする。
 君は相手が肉体を持つ人間か下級ラルヴァでなければ戦えないのか?実態を持たない他者の異能とは戦えないと?」

 相手の自尊心を傷つけ、あおる。
 まるで喧嘩を売る不良のごとき振る舞いだが、この際、方法の善し悪しは二の次。何よりも皆槻直の敵愾心をあおり、行動させなければならない。

「言ってくれるじゃないですか先生。
 面白い……やってやりますよ!」
「ナオ!」

 私の挑発に乗って前に出ようとする皆槻直を結城宮子が押しとどめ、私に強い視線を向ける。

「先生、まだ一つ言っていないことがありますよね?
 昼間のお話では『危険』がある、と先生は仰いました。その危険って、上手くゲートが開けたとしても東さんの体が戻ってこられるとは限らない、悪くすれば『ナオも亜空間に飲み込まれかねない』って事なんじゃないですか?」

 素晴らしいの一語だった。
 彼女の指摘は完全に的中していて、だからこそ私は返す言葉を失う。
 もし彼女の言葉で皆槻直の気が変われば、この状況を脱する手段は完全に失われる。そしてそれは東明への死刑宣告に等しい。

「ミヤ、いいんだ。私だってそこまで馬鹿じゃないし、危ないのはわかるよ。
 でもここはあえて先生の挑発に乗ることにする。私自身、まだ知らない戦いができそうだしね。
 だからミヤは、私が負けて亜空間に飲み込まれないように捕まえていて」
「ナオ……。
 わかったわ……しっかり捕まえておく」

 何とか翻意させまいと考えをめぐらせていた私だったが、幸いなことに皆槻直の決意は変わらなかった。しっかりと前を見据えるその瞳には一点の曇りもなく、必ず勝つという強い意志が漲っていた。

「じゃあ始めましょうか先生!」
「ありがとう皆槻くん、結城くん。
 ……東くん、彼女たちが力を貸してくれる。もう一度、しっかりとこちら側に戻れると信じるんだ。いや、絶対に戻ると決意するんだ。
 そうすることで成功の可能性は大きく高まる。
 あとは君を助けるために来てくれた二人を信じるだけだ」

 皆槻直が左手のひらに右拳を打ちつけ、戦いの開始を促す。
 私はそれに頷くと、東明に強く、決意を促し、もう一言つけ加える。

「ああ、ついでに私のことも信じてくれて構わないよ。
 講義で私が間違ったことを言ったことはないだろう?」
「……先生、わりとよく『前回のあれは間違っていた』って訂正している気がしますけど」

 いつもの調子で言った私に、彼女は弱々しくも的確に反論する。
 さっきまでのパニックはだいぶ落ち着いたようで、その顔にはほんのわずかながら笑みが浮かんでいる。
 知った顔が増えたということと、学園でも有名な異能者がサポートに当たってくれるという事実がプラスに働いたのだろう。

「そうだったかな?これは失礼。
 まあ、それはそれとして、早いところやってしまいますか。
 東くん、立てるかい?」
「はい」

 私は大げさに肩をすくめて見せながら右手を差し出し、彼女に立ち上がるように促す。東明はそれに応え、触れられないと解っていながらも私の手のひらに左手を重ねる。
 そうして私と彼女は互いの手を重ね合わせたまま、ゆっくりと立ち上がった。

「よし、それでは皆槻くんと結城くんは東くんの背中側に回ってくれ。
 私はこのままの位置で指示を出す」

 私の指示を受けて二人は東明の背後に立ち、結城宮子は皆槻直の腰に両腕を回し、しっかりと抱きしめる。
 これで我々4人の立ち位置は、東明を中心に一直線に並ぶ形となった。

「いくぞ!東くん、ゲートを開け!皆槻くんは両手の前方にゲートを開くイメージで東くんに同調!」

 私は一息に号令を出し、皆槻直は両手のひらを東明の背にかざす。
 そして東明は目を閉じ、私の右手に重ねた左手に力を込める。その左手の周辺がぼんやりとした青い光を帯び、そこをめがけ空気が少しずつ流れてゆく。
 徐々に亜空間ゲートが開き始めたのだろう。

「いいぞ……東くん、しっかりと、まずは左手をこちらに戻すんだ。
 少しずつ、ゆっくりでいい。指先から肩に向けてゲートを移動させることをイメージして」
「はい……!」
 東明は私の指示に従い、さらに指先に力をこめる。
 青い光が垂直に立つ小さな光の輪へと変化し、彼女の指先から胴体方向へと移動を始め、亜空間へと消える空気の流れも急激に速まる。
 それと同時に背後に立つ皆槻直の体が大きく傾いた。
 おそらくゲートが開いたことで一気に魂源力をもっていかれたのだろう。

(頑張ってくれ皆槻くん……君が倒れれば全てが終わってしまう)

 声を上げることで東明の集中を乱すわけにはゆかず、祈るような気持ちで視線を送る私に気づいた彼女は、結城宮子に支えられながらもグッと口の端を吊り上げてみせる。
 大丈夫だという意思表示だろうそれに、私は小さく頷く。

(これで東くんの手さえ戻ってくれば……)

 そう願う私の気持ちが届いたのか、それまで青く透けていた彼女の左手にゆらゆらと白い手の影が見え始める。
 東明の『肉体』が戻りつつあるのだ。

(今だ!)

 その機を逃さず、私は両手でその白い手を全力でつかむ。そこにはしっかりと、やわらかな肌の感触と温かさがあった。
 彼女もその感覚に目を見開く。その表情には戸惑いとともに喜びの色が浮かんだ。

「やったぞ東くん、もう一頑張りだ!
 絶対に手を離すんじゃない!いいね?」
「はい!」

 私の言葉に答えた彼女の顔にはすでに絶望はなく、若々しい生気があふれていた。
 そして彼女の腕へと移動しつつあった亜空間ゲートは今までにないスピードで大きく広がってゆく。ここまでは全てが順調だ。
 しかしゲートが広がるということは『亜空間に飲み込まれかねない』という危険を大きくするということでもあった。

「うっ!」

 ゲートが直径1メートル近くまで広がった頃には空気の流れも激しく強まり、岩場に残る海水に足をとられた私は大きく体勢を崩してしまった。
 そのままゲートに向かって引き寄せられる。
 が、何とか踏みとどまる。

(しまった……!)

 これからという時に『危険』を再認識させてしまったら生徒たちは萎縮してしまうかもしれない。
 顔を上げた私の目に映ったのは案の定、不安と恐怖が入り混じった彼女たちの顔だった。
 が、東明の後ろで支えあう二人の表情は、見る間に怒りに変わっていく。

(……ばれたか)

 私をにらみつける皆槻直と結城宮子の目は
『あれだけ皆槻直に危険があると言っておいて、一番危険な位置にいるのはお前じゃないか』
 と言っているようだった。

(……これはこれで良かったのかもしれない。
 後はしっかり彼女たちに頼るとしよう)

 そう思い直した私は、私をにらみつけている二人に笑顔でウィンクしてみせ、大きく宣言する。

「失礼、ちょっと油断したよ!
 あと一息だから君たちは気を抜かず頑張って欲しい!
 もちろん私も気をつけます!」

 私の言葉を聞いた東明はクスリと噴出し、その背後の二人は怒りつつ苦笑いといった難しい表情を浮かべる。
 なんとか上手く空気を変えることができた様だ。

 そこからはまさに一進一退だった。
 少し引いては少し戻される、を何度も繰り返し、その結果、東明の体は徐々に亜空間から出、今現在は右腕を除いて上半身がほとんどこちらに戻ってきていた。
 しかし、同時に全員の表情に疲労がはっきりと見て取れるようになってもいて、このままでは間に合わないのではないかという焦りが沸いてくる。

(やはり何もかも都合よくは行かないか……)

「皆槻くん!これから東くんの体を一気に引き戻す!
 私が合図したら1秒だけいい、全力でゲートを広げてくれ!」
「え!?1秒ってそれでどうにかなるんですか!?」
「ああ、大丈夫だ。すぐに彼女の体はこちらに戻る!」

 少し考えてから私は皆槻直にそう指示を飛ばす。
 その指示に疑問の声を上げたのは結城宮子だった。彼女の疑問は当然だが、私はきっぱり『戻る』と断言し会話を打ち切る。

「東くん、これから一気にこちらに戻ることになる。転んで怪我をしたりしないように注意しておきなさい」
「は、はい」

 東明にそう言い聞かせ、私は彼女の体が亜空間に戻されないよう注意しながらに少しずつゲートに近づく。

「よし、皆槻くん!やってくれ!」
「はい!」

 私の合図で一気にゲートが広げられ、その直径は2メートルにも及ぶほどになる。
 既に東明の肉体が楽に通れるサイズだ。
 それを確認した私は全力で東明を引っ張りながら反転し、一気に自分と彼女の位置を入れ替えた。
 そして彼女が再び亜空間に飲まれることのないよう、力いっぱい突き飛ばす。

 かくして東明は亜空間の牢獄からの脱出に成功した。

「先生!」
「ナオ!行って!」

 東明の代わりに亜空間に飲まれそうになる私の耳に皆槻直と結城宮子の声が飛び込んでくる。
 私が反射的に振り向いた瞬間、皆槻直が私の右腕を両手でつかんだ。
 その体からは、亜空間に流れ込む空気に匹敵するほど多量の空気が噴射され、私と彼女を空中に留める。
 それは皆槻直の異能『ワールウィンド』の効力だった。

「だめだ皆槻くん、離しなさい!
 君まで引きずり込まれるぞ!」
「うるさい!いくらあんたが先生でも私たちをここまで利用しておいてどこかに行くなんて許さない!
 それに自分を犠牲にして人を救うなんてただの自己満足だ!
 残される者の気持ちを考えろよ!
 それから言っておくけど……この勝負は私の勝ちだ!」

 私の言葉を切って捨てると、彼女は高らかに勝利を宣言し、一気に空気の噴射量を増やす。その空気の奔流は、常識的に考えれば人一人の魂源力でどうにかできる範疇を超えているように見えた。

(なんてでたらめな容量だ……さながらジェットエンジンだな。
 一体どうやってこれだけの量の空気を……まてよ。東くんの異能を基本に開いた亜空間ゲートは同時に皆槻くんの異能も用いていた……ということは)

「亜空間ゲートに流れ込む空気を、そのままワールウィンドの噴射能力に転用したのか!」

 皆槻直の素晴らしい発想に私は思わず感嘆の声を上げ、彼女はその反応に満足げな笑顔を浮かべる。

「そういうこと!それじゃあ一気に脱出しますよ!」

 そう言うと彼女は空気の噴射を両足の裏に一点集中させ、亜空間へ流れ込む空気の束縛を振り切った。
 私の足元から遠ざかる亜空間ゲートに目をやると、魂源力の供給を失い徐々に歪みながら縮んでいた。
 それに比例して空気の流れも弱まり、やがてはそよ風程度にまで収まる。
 それは亜空間ゲートが閉じたことも意味していた。

「う!?」

 その時、皆槻直が驚きの声を上げ、同時に私と彼女は糸の切れた操り人形のように地面に投げ出される。
 そして脱出の勢いそのままにごろごろと岩場を転がった。

「っつー……。
 あっさりタネ切れだあ……」

 地面に転がる私のすぐそばで皆槻直がそう一人ごちる。
 空気の供給源だった亜空間ゲートが閉じたことで、噴射に使える空気が一瞬で消費されてしまった結果、姿勢制御もままならなかったということだろう。
 しかし今はそれよりも東明のことだ。
 亜空間から開放された彼女と私、そして皆槻直は同じ方向に転がっていたので、東明の姿もすぐそばにあった。

「東くん、大丈夫かね?どこにも怪我はないか?」

 私は上半身を起こしながら彼女にそう声をかける。
 ちょうど結城宮子が彼女に駆け寄り、東明を抱き起こそうとしているところだった。
 抱き起こされた彼女は弱々しい笑顔を浮かべて私に答えた。

「大丈夫です……でも、体に全然力が入らなくて……」

 そう言う彼女の声は今にも消えてしまいそうなほどか細い。
 それも当然だ。なにせ4日間も飲まず食わずの上に異能を使いっぱなしだったのだから、精も魂も尽き果てているだろう。

「そうだろうね。こんなこともあろうかと、コンビニで買ってきておいたスポーツドリンクとゼリータイプの栄養補給食があるよ。
 とりあえず飲み物からどうぞ」

 私は上着のポケットから飲食物を取り出して見せた。
 そしてペットボトルのキャップをひねって開けると、東明の口元に差し出す。

「ありがとうございます……」

 彼女は礼を言って飲み物に口をつける。

「それにしても二人が来てくれなければどうなっていたことやら……。
 改めて礼を言わせてもらおう。皆槻くん、結城くん、本当にありがとう。」
「いえ、結果的に上手くいったんですから気にしないでください」
「ダメよナオ。私たち先生に騙されていたのよ。
 『ナオが危ないかも』なんて言っておいて自分だけ危ない目に遭う位置にいたんだから」

 礼を言う私に、皆槻直はさばさばとした態度で応える。
 が、結城宮子は納得いかないようだ。しかしそれは一人で危険を抱え込もうとした私への非難で、相手に対する思いやりから出た言葉だった。

「そうだね……。確かに私は皆槻くんに危険があるとは言ったが、誰が最も危険かは言っていなかったし、その事は申し訳なく思っている。
 本当にすまなかった。」
「ダメですよ、そう簡単には許しませんから。この埋め合わせはキッチリしてもらいます。
 まずは東さんをゆっくり休める所まで背負って行ってあげてください」

 結城宮子は私の謝罪をばっさりと切って捨てると、ニッコリと笑って指示を出す。

(将来この娘の旦那になる男は、確実に尻にしかれるな……)

 私はそんな失礼なことを考えながら東明を背負う。
 その時、パシャリと小さな水音があがり、私は磯に目を向けた。
 そこには海面のすぐ下を泳ぐ、細長い星のような姿をした小さなラルヴァがいた。

 ここのところ散歩に出るごとに『無害で小さな水棲ラルヴァを見られたらいいことがある』という願掛けにも似た行為を、私は繰り返していた。

(今日は久しぶりに見ることができたな)

 一人、満足し立ち上がると、私は東明を研究棟の医務室に運ぶべく、ゆっくりと歩き出した。



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