【魔女と空 後編】


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【魔女と空】 後編



 悠々と空を舞う巨獣。
 ドラゴンを想わせる灰色の巨体。その体表には血しぶきのような赤い斑模様が浮かぶ。クルエントゥスという名の由来だ。
 何者にも縛られない、唯一絶対の君臨者としての傲慢さで空を駆ける。
 このクルエントゥスと呼ばれる飛竜種は他の兄弟のことを知らない。それどころか自らの出自も、何故今になって解放されたのかも何も理解していない。ただあるのは翼が掴む風の感覚と開放感、全能感のみである。
 日本国内のとある機関が入手したクルエントゥスの卵。不可能とされたそれの羽化に成功した機関は、秘密裏に海外に運び出そうと偽装タンカーまで用意していた。
 ただしその情報は何者かの手によりリークされ、複数の組織に知られることとなる。
 海上で偽装タンカーへ特製ケージを積み込む手はずであったが、積荷を受け取る事ができたのは予定していた4つのうち3つのみ。残り1つは輸送してきた船とともに合流ポイントに到着することなく行方をくらませたのである。
 それでも3つのケージを積んだタンカーは洋上へと向かい、そして何者かの襲撃を受ける。
 リークされた情報を元に、海上自衛隊の特務部隊と双葉学園の特別班が偽装タンカーを臨検したところ、発見されたのは解放されたケージと食い散らかされた船員の死体であった。
 こうして自衛隊と双葉学園の防空隊との共同作戦が発動されることとなる。
 現在彼らが交戦中なのは、このタンカーから飛び立った三体のクルエントゥスである。
 一方、空太と葉月が追っているクルエントゥスは、タンカーに積み込まれる事なく奪取されたケージに納められていた個体の方だ。
 こちらも同様に何者かの襲撃を受けケージが解放され、クルエントゥスは生まれて初めての自由を手にしていた。御丁寧に用意されていた船員の死体で腹を満たし、高く吠えると翼を広げる。クルエントゥスは自分が空舞う存在であることを生まれながらに悟っていた。
 そのクルエントゥスが天空で最初に発見したのは、コルウスの群れであった。
 雲の下で哀れなまでにゆっくりと飛ぶ小さな存在。
 飢えていた訳ではない。ただ、こいつらを襲ってみたらどうなるのだろう、そんな好奇心であった。翼をひるがえし、襲いかかろうとした矢先にそれは現れた。
 魔女。赤い光をひいて突き進むそれはクルエントゥスにとっても予想外のものであった。だが翼もなく飛ぶそれがコルウスと接触して墜落しかけたのを見て脅威ではないと判断する。
 引き続き観察をしていると、他の魔女達が現れ、コルウスとの戦闘を始めた。
 それはクルエントゥスの目から見れば児戯に等ししいものであった。
 戦闘の行く末に興味をなくすと、おもむろに雲を突き抜けて降下する。
 クルエントゥスは普段はこうして急降下から海中に飛び込み、口を大きく開けて魚の群れを飲み込む狩りをする。この個体はそれを知らない筈だが、本能で理解していた。
 あいにくとその顎に魔女を捉えることは出来なかったが、衝撃波によってコルウス共々舞い散る様を見るのは爽快であった。
 海中に飛び込む寸前に頭をあげ、水平飛行に移りそのまま上昇。
 再び雲に飛び込んで旋回を始める。
 それは、コルウスを噛み砕いて飲み込んだ後、嘲笑の雄叫びをあげた。
 ──なんと遅い!
 ──なんと脆い!
 ──これが空か。この程度のものしかいないのか。ならば、我こそが空の王者なり!
 背後から追いあげる魔女に気付くのは、それよりわずか後のことであった。

 ──!!
 尾と脚の付け根に灼けるような痛み。
 初めて体験する激痛にクルエントゥスは思わず悲鳴をあげた。
 長い首を巡らせてみれば、あろうことか翼なきものが背後に迫っていた。
 怒りの雄叫びをあげる。
 ここは我の領域! 翼なきものが踏み込み、あまつさえこの身に傷をつけたことは到底許せるものではない。
 すぐさま身を翻して逆襲にかかりたいと考えたが、同時に己の力を誇示したいという意識が芽生えた。
 苦痛に悲鳴を上げた自身を恥じたこともある。
 自尊心を満たす為、クルエントゥスはまずこの翼なきものを認めることにした。
 よかろう、王の領域に挑むというのならば、その力を示してみせよ。
 更に羽ばたきを強め、大気をかき分ける。
 ──ついてこれるならば、来るがいい!



 光撃を三連射。
 しかしどれもクルエントゥスの身体を掠めるだけで命中しない。
「下手くそっ! ちゃんと狙いなさいよ!」
「ならもっと機体を安定させてくれっ!」
 葉月の罵声に負けじと叫び返す。 帚に機体というのもなんだが、飛行好きの空太なりの咄嗟の言葉だ。
「おい、引き離されているぞ!」
「うるさいっ! アンタなんか載せてるからでしょう!」
 クルエントゥスは更に加速する。
「障壁をもっと弱めてくれ! 光弾の軌道がずれる!」
「このスピードで弱めたらアンタ、ふっ飛ばされるわよ! そんなこともわかんないの!?」
 葉月の言うことはもっともだ。時速にして700キロを超える速度が出ているのだ。障壁が弱まれば自らのスピードで空気の壁に叩き付けられるだろう。
「分かった。ならせめてもっと接近してくれ。これ以上射程を伸ばすと当たっても効きそうにない」
「私一人だったらあんな奴すぐにでも落とせるのに!」
「無茶言うなよ。とにかく、もう一度接近しよう。奴の頭の向きを見逃すなよ」
「そっちこそ次は当ててよね!」
 二人を乗せた箒がクルエントゥスを追ってさらに加速する。
「なんてでたらめな奴なのよ」
 既にレシプロ機での限界速度に近づいてきている。とても生物が出せる速度ではない。あらためてラルヴァが非常識な存在なのだと実感できる。
「成体だと音速のレベルだそうだ」
 葉月の肩ごしに腕を伸ばして照準をつけていた空太がこぼす。口調に賞賛にも似た響きが混じるのは仕方がないことだろう。
「……ここからじゃダメだな」
 射撃を諦めて腕を戻す。
 今はただ直進しているだけだが、実際には気流の影響で激しい振動に見舞われている。先程の三連射で照準補正をしてみたものの、この状態では当てられそうにない。
 何よりも葉月が張る障壁のおかげで、内側からの射撃が封じられている。障壁が強くなるにつれ、それを通して発射される光撃の威力も減じてしまうのだ。
 最初の奇襲はまだ速度もそれほどではなかったおかげでほぼ減衰なしの威力で撃つ事ができたのだ。そのアサルトライフル並みの破壊力を持つ光撃を受けても平気で飛び続けるクルエントゥスはやはり、怪物なのだ。
 魔女と組むのなら誘導か自動追尾が可能な射撃能力者が一番だな、と頭の隅にメモをする。たしか魂源力によるミサイルを生み出す異能者がいたはずだ。
 しかし今はここに二人しかいない。ならば自分が出来るやり方で戦わなければならない。考えろ、最適の答えを導きだせ、戦闘機のドッグファイトにとらわれるな。空太の頭脳は目まぐるしく働く。
「奴の動きを見逃すな。引き離せないと分かったら派手に動きまわるはずだ!」
 何故そんなことが分かるのかと問いただす余裕もない。実際にただ直進していたクルエントゥスが身体をバンクさせたかと思うと一気に方向を変えたのだ。
 まるで直角に曲がったかのような急激なターン。一度引き離されてしまえば見失いかねない。
「離されるなよ!」
「分かってるわよ!」

 激しい追跡劇が繰り広げられる。
 速度はほぼ互角。
 加速性能はクルエントゥスが上だが、機動性は魔女の方が高い。
 あとはどれだけ相手を出し抜くかだ。
 クルエントゥスは巨体をバンク。ピッチ角を使ってのターン。減速した分は身体を水平にしつつ急加速で取り戻す。
 二人を乗せた帚はバイクのように身体ごと傾けて最小の旋回でターン。速度をほとんど落とさずに追撃する。
 クルエントゥスの軌道が直線的なのに対して、帚の軌道は細かいカーブの連続を描く。
 その二つのラインは交錯しながら雲海の上を駆け、雲の谷間を抜ける。
 空太は、その世界がすこしずつ赤みを増して行く事に焦りを感じ始めていた。
(視界が悪くなればこちらが不利だ)
 光撃。クルエントゥスはバレルロールでかわす。だがもとより当てるつもりのない牽制だ。
 最初の一撃がかなり効いたのか、空太の光撃にはクルエントゥスは警戒を強めて回避機動をとる。実際には障壁越しの光撃は威力を減じているのだがそれを知る由もない。空太は葉月が追えない軌道をとりそうになるクルエントゥスを抑える為に光撃を続けた。
 魔女の帚は基本的に航空機の常識を外れた原理で飛行する。だが、高速で飛ぶほどに大気という障害が立ち塞がる事は避けようがない。速度が増すにつれ、その飛行機動は航空機のそれに近づいてゆく。
 しかし有効打を与えるには至近距離、少なくとも並走する位置をとらないと光撃の効果を最大限に発揮できない。航空機同士のドッグファイトに近い機動をとりながらも、正面に撃てないもどかしさがあった。
 それでも今の牽制で距離をつめることが出来た。改めてクルエントゥスを観察する。
 巨大な翼は半ば折り畳まれており、速度だけで揚力を得ている。翼の付け根、脇腹のあたりが霞んで見えるのは襞の高速振動によって大気を押し出しているせいだ。最も推力はそれだけではないだろう。単純な運動では説明しきれない不可思議な作用が働いているのは明らかだ。
 凶暴なラルヴァでなければその飛行をずっと見ていたいとさえ思う。だがそんな場合ではない。
「よし、仕掛けるぞ!」
 クルエントゥスの斜め後方より接近し、横に並ぶ位置を目指す。翼に光撃を当てられれば飛行能力を大きく減じられる筈だ。
 その時、クルエントゥスの動きが変わった。
「ハンマーヘッド!?」
 畳まれていた翼を広げ、身を反らして長い首を上方に跳ね上げる。
「うそ!?」
 俯瞰で見る事が出来る者がいれば、クルエントゥスが空中で停止したかのように見えただろう。
 正面からの抵抗面積が増え、大気をブレーキに一気に減速して後方へさがってゆく。一歩間違えば失速するか、飛行機であれば機体が損傷しかねない無茶な機動であった。
 二人を乗せた帚とクルエントゥスの位置が入れ替わる。
 オーバーシュート。
 戦闘機でのドッグファイトにおいて、追いかけている機が相手を追い抜いてしまうことを指す。前方を攻撃するように武装している戦闘機にとって背後をとられるということは一方的に攻撃に晒されるという意味で、やってはならないミスだ。
「ラルヴァがポストストールマニューバだって!?」
 流石に空太も驚いた。
 航空機でこれが可能なのは失速を立て直すことが出来る高いエンジン出力をもつ機体か、小回りの効く軽戦闘機である。もっとも戦闘機には首を振ってのマニューバなどできようもないが。
 葉月は咄嗟に減速すべきか回避機動をとるか迷った。それは致命的なミスであった。
 振り向いた空太の目には急加速して迫るクルエントゥスの姿。
「やばい」
 後方に位置どるクルエントゥスに光撃を浴びせようとするが、その加速の意図を察知して伸ばした腕を戻して葉月の腰にしがみつく。
「くるぞ! しっかり掴まれ!」
 空太の叫びに葉月も帚の柄をきつく握り歯を食いしばる。
 次の瞬間、ドパンッと衝撃波が障壁を叩く。コルウスの時とは比べ物にならない。直接クルエントゥスの肉体が接触したのではない。超加速による気流の波が襲ってきたのだ。
「きゃああ!」
「ぐうぅっ!」
 二人を乗せた帚は、弾き飛ばされコマのように激しく水平に回転しながら宙を舞った。
「こらえろ、こらえろ!」
「言われなくても!」
 横回転を抑える。弾き飛ばされたベクトルに併せて帚の先を向ける。葉月は驚異的な速度でコントロールを取り戻すと引き続き加速した。ほんのわずかでも障壁が弱かったらバラバラにされていたに違いない。
 圧倒的な質量差。だが葉月に恐怖や絶望感はなかった。怒りによる闘志がそれらを跳ね飛ばしていた。
 後方から急加速して追い越して行ったクルエントゥスの姿が目に焼き付いていた。赤い目に縦に裂けた瞳孔。獣の目にはっきりと嘲笑の意が読み取れた。
 ──オマエ程度に何ができる
 そう言っていた。
「一人ならこっちだって同じことができるのに!」
 それは己のふがいなさからくる愚痴であった。しかし空太は冷静にそれを確認する。
「同じくらいのスピードか、それ以上いるぞ。……速度に比例して障壁も強くなる、でいいんだよな?」
「少なくても私はそうよ! 意識して強度を変えてるんじゃなくて、速さによって変わってくのよ! 奴はどこ!?」
 会話しつつも索敵は続けている。
「超音速、いけるのか?」
「アンタがいなければね! それとも降りてくれるの?」
「──! 8時の方角!」
 姿を確認もせずにさらに加速。先程と同じようなことを何度もされるわけにはいかない。なんとか位置を入れ替えなくては。しかしそこからどうやって攻撃する?
「後ろ向きなら障壁薄いんだから撃てるんじゃないの!?」
「さっきはその暇もなかったんだよ! それに奴は頭がいい、何度も使いたくない!」
「じゃあ、どうするのよ!」
「心配すんな、やりようはある。そっちはまだ魂源力大丈夫か?」
「当然! あんな奴に負けないわよ!」
「上等、なら反撃開始だな。悪いが無茶してもらうぜ」

 空太の口癖は『無茶言うな』である。しかしそう言う本人こそがしばしば無茶をする。
 友人達は何故そこまでするのかと問う。
「どうして戦うの?」
 そう妹に問われた事もある。純粋に自分の身を案じての問いであった。
 自分も幼い頃に元軍人の叔父に同じように訊ねたものだ。
「どうして戦うの?」
 20年前に負傷して退役した叔父──実はラルヴァとの交戦によるものだと知ったのは二年ほど前のことだ──は、大きな傷跡のある頬を歪めて笑みを浮かべ、ただ「仲間のためだ」と答えた。
 そしてやはり、空太も妹への答えは「仲間のため」であった。
 空太が戦う理由といえば家族や友人、または戦う術を持たない者達を守る為だ。望んで得た力ではないが、手にしたそれで誰かを守れるのならば迷わず使う。自分がそうして守られた経緯があるからだ。
 だが、実戦の場ではその理由も霞んでしまう。戦場で戦う際に頭にあるのは『仲間のため』という言葉だけだ。
 それぞれ戦う理由は違うかもしれないが、共に戦う仲間は『戦友』だ。戦友の為ならば空太は無理もすれば無茶もするのである。
 現状でとれる戦術は8通り。さらに実行可能なものは3通り。最も成功する可能性が高く、敵に有効打となる戦術となると一つに絞られる。もちろん危険度も加味したうえでの結果である。
「いいか、まだこっちには奥の手がある」
 落下注意というやっちゃんの予言を思い出し、やっぱり良く当たるなぁと苦笑しつつ、空太は作戦を語った。
「──どうだ?」
「冗談でしょう!?」
 空太の説明に葉月は思わずそう叫ぶ。だがもちろん空太は本気であった。
「いいから! 説明した通りに合図したら三回急旋回、そこから急上昇、いけっ!」
「バカじゃないの!」
 悪態をつきながらも葉月は指示通り旋回にはいる。
 クルエントゥスを振り切るための機動ではない。速度を落とし誘い込むためのものだ。流石にこれから行う戦法は400ノット超の速度域では不可能だ。
 ジグザグにターン。クルエントゥスは同じ軌道をたどり離れずついてくる。双方ともに大きく減速。再度加速体勢に入るタイミングで空太は叫んだ。
「よしっ! あがれあがれ!!」
 急上昇。飛行機というよりロケットのように垂直に空を駆け上がる。
 念動力だけで成層圏を抜けられる異能者がいるらしい。今度機会があれば話しをしてみようと赤くなった空を見上げて思う。
 振り返れば先程と同じようについてくるクルエントゥス。その矢じりのような頭部にある、怒りに燃える赤い目すらはっきりと見える。
「いいな、葉月! お前を信じる、後は任せた! 構わないからぶっとばせ!!」
 空太はそう叫んで帚から身を離した。
 魔女の力場から出た瞬間、ゴゥッと空気の波に翻弄される。手足を伸ばして姿勢制御。何度か体験したスカイダイビングと同じだ。ただし今回は装備なしの決死のダイビングである。
 ──さあ、きやがれっ!
 空太を無視して葉月を追うようならばすれ違い様にありったけの光撃を放つつもりだ。しかしクルエントゥスは予想通りに空太を噛み砕かんとパニック映画の巨大鮫を連想させる顎を開く。
(あれだけチクチクやったんだ、俺を見逃すわけないよなぁ!)
 クルエントゥスの牙がその身体を捕らえた瞬間、空太は奥の手を発動させた。
 ──ボッ!
 クルエントゥスが翼なきものから分かれたそれを怒りのままに噛み砕こうとした瞬間、目の前で太陽が弾けた。



 葉月は一度だけ音速超えに挑戦したことがある。結果だけを言えばそれは成功せず、加えて柊キリエにしこたま怒られるという結末であった。
 仲間達の制止を振り切り、 雲の上を駆け、ただただ加速、ひたすら前に前にと魔力を込める。
 自分がどれだけの事が出来、どこまで飛べるのか。それを確かめたいという衝動を止められなかった。
 超音速の領域。
 いけるという確信があった。
 先輩魔女達による歓迎会。デモンストレーション飛行で二人の魔女が立て続けに音速の壁を越えてみせたその様は、鮮烈に葉月の心に刻まれていた。
 自分もその場所へ。ただ必死に、脳裏に浮かぶ二人の姿を追う。
 だが、ふと気がつけば隣に並ぶどころか後ろに追う者の姿もない。
 心身ともに早熟な葉月にはよくあることだった。自分が易々と行けるところへ誰もついてこれない。息を切らして駆け抜けて振り返ってみれば、そこには遠くで追うのを諦めた遊び仲間達の顔。
 彼らの浮かべていた表情はどんなものだっただろうか。
 その記憶が葉月をひるませた。
 高揚感に身を任せていられたのはそこまでであった。急激に萎える心そのままに、帚は加速をやめてしまう。
 先を追い求めるのならば、多くのものを振り切って飛ばなければならない。葉月は身をもってそれを理解した。覚悟ができていなかった。
『空では一人で飛んで一人で死ぬ――それが魔女の誇りよ』
 その日から、葉月は一人で飛ぶことに執拗なまでにこだわるようになったのである。
 誰よりも速く、誰よりも高く。たとえ一人になっても目指す場所があった。
 たとえ一人であっても、その域でこそ出来ることがある。
  ──しかし、状況はあの時とはまるで違う。
 ただ飛ぶだけではない。ラルヴァとの命のやりとりをしているのだ。
 先程クルエントゥスがやってのけた衝撃波を叩き付ける攻撃。あれを逆に浴びせてやれば叩き落とすことが出来るかもしれない。
 だが、それは容易な事ではない。
 今以上の速度と強固な障壁が必要だ。それこそ超音速が必要であろう。
 何もそれを維持しなくてもよい。一瞬でもその速さを発揮さえすればたとえクルエントゥスとはいえただでは済むまい。
 ただし、しくじれば全ては終わる。最低限の飛行に必要な魔力を残したとしても、継戦能力は失われてしまうだろう。
 自分一人だけの事であれば一か八かの賭けにでることも出来た。だが、背後の空太や他の魔女達のことを考えると無謀な行為は出来なかった。
 後ろに座るひとりの男。──久世空太。
 適格に相手の動きを読み、先手をとるように葉月に指示を出す。
 悔しいがそれがなければクルエントゥス相手にここまでの飛行は出来ていなかった。それは誤魔化しようも無い事実であった。
 さらに空太の指示に従ううちに、そこにかすかな逡巡が混じることに気がついた。空太本人が思い描く飛行機動があるのだろう。ただ、葉月に出来ないと判断し違う指示を出しているのだ。
 いまさらそのことに反発心はない。ただ、空太の期待に応えられていないという実感が痛烈に自らを責めるのだ。
 その空太が言った。
「いいか、まだこっちには奥の手がある」
 ならば、どれほど無茶な作戦であろうとやり遂げてみせる。そう葉月は強く思う。
「冗談でしょう!?」
 しかし、その口から語られた作戦はとても正気のものとは思えなかった。
 思わず振り返るが、空太の目を見て本気だと悟る。
「いいから! 説明した通りに合図したら三回急旋回、そこから急上昇、いけっ!」
 先程は空太に降りろなどと言ってみたものの、そんなことを本気で思った訳ではない。誰かを犠牲にしようなどとは考えたこともない。でなければ一人で飛ぶと決めた意味が無いではないか。
 だが、空太の言葉には抗えない強制力があった。感情だけでは抗し難い重み。葉月は意識してはいなかったが空太を信頼するようになっていた。
「バカじゃないの!」
 悪態をつきながら急激なターン。ひとつ。ふたつ。みっつ。そして合図を受けて急上昇。帚の先がまっすぐ天を向く。
 感情は激しく動揺している。しかし身に付いた技術は空太の望む飛行をしっかりと行っていた。
「いいな、葉月! お前を信じる、後は任せた! 構わないからぶっとばせ!!」
 耳元で叫ぶ空太。次の瞬間、背中からその温もりが消えた。
「──っ!」
 ぞっとする。咄嗟に振り返りたい衝動にかられるが、合図があるまで振り返るなという言葉が身を縛る。
 ボッ
 と、一瞬背後が明るくなる。まるでカメラのストロボのよう。──合図だった。
 まるで指の上で回すボールペンのようにくるりと反転。飛行機ではありえないふざけた機動。
 ひと呼吸で天地が逆さまとなる。
 葉月の視界に入ってきたものは。
 クルウェントウス。自分達を追って上昇してきていたそいつは、のけぞり悲鳴をあげていた。下顎がちぎれ飛んでいる。
 それよりも空太は……いた!
 跳ね飛ばされたのか、離れたところでボールのようにくるくると回転しながら落ちてゆく。
 一瞬でそれらの様子を見てとる。まるで全てがスローモーションのようにはっきりと目に映った。
「──こ、のっ!」
 ガツン、と頭を殴られたかのような衝撃が葉月を襲った。
 誰も危険な目に遭わせたくない。だからこそ一人で飛ぶことを選んだというのに。この男は何をしてくれるのか!
 ブツリ、と何かが弾けた。
 ──いいな、葉月!
 ──お前を信じる、後は任せた!
 ──構わないからぶっとばせ!!
(お望み通り、ぶっとばしてあげるわよ!)
 それはクルウェントウスのことか、空太のことか。
「異能というものは魂源力というエネルギーによって成るが、それを発現させるキーは感情、意思、つまり心というものだ」
 魔女研の座学でのキリエの言葉。
「純粋で単純な想いほど瞬発力は高く、瞬間的に強い異能を引き出す。誰かを想う感情が愛の奇跡とやらを引き起こしたり、怒りによってそれまでとは比べ物にならない力を発揮したりするのは、何も物語の中だけではないということだ」
「想いの強さが起爆剤となる。愛のニトロ噴射ね」
「それを言うならアフターバーナーだろう」
 部長のまぜっかえしに突っ込みを入れるキリエ。
「魔女も同じだ。想いが強ければ強いほど魔力に強く作用し、通常ではあり得ない事象を引き起こす。憶えておくといい」
 その言葉の通り、葉月は感情の爆発をアフターバーナーとしてこれまでにない勢いで一気に加速し、大気の壁を邪魔だとぶっとばした。



 ──空太の奥の手。
 フラッシュ、サン・ボム、太陽拳などその技を知る仲間達は好き勝手に呼んでいるが、空太自身はレイ・バーストと呼ぶその技は、全身から光撃を放つという単純なものである。
 プールしている魂源力をほぼ使い切るというまさに最後の手ではあるが、放つ瞬間のわずか一秒間は強固な鎧を纏うかのように周囲の全てを弾きとばして身を守ることが可能だ。
 通常では使いどころがない。仲間が近くにいては使えないし、使用した後は魂源力の大量放出のせいでまともに動くこともままならない。まさに特攻か使用後の心配のない状況でのみ使える最終兵器だ。
 ちなみに前回の討伐任務では、やっちゃんの『車に気をつけてね』の予知通り、最後の最後で突進してきた車に撥ね飛ばされた際にレイ・バーストによって咄嗟に身を守ることが出来た。
 今回、空太は自身を爆弾とみたてて使用したのである。うまくいけばクルエントゥスの頭を吹き飛ばすことが出来るだろうし、失敗したとしても目を眩ませる事は出来る。後は身軽になった葉月が衝撃波を叩き付けてクルエントゥスを撃墜すればいい。
 地上まではかなりの高度があるので、海面に叩き付けられる前に回収してくれることを期待しようという、言葉に纏めてみればかなりデタラメで行き当たりばったりの作戦である。
 しかし空太には自信があった。出会って半日も経っていないが、瀬野葉月という少女が持つ才能を信じていたからだ。キリエの言葉だけではない。久世空太という人間が優れたリーダーの資質を持つとされているのは、その物事を見抜く直感力に優れているからである。
 やるべきことはやった。
 後は最適の結果を待てばいい。
 叔父も20年前に同じようにクルエントゥスと空中戦を繰り広げ、機体を体当たりさせて撃墜したという。戦術としては下策ではあるが、怪物相手に人類同士のセオリーは通じない。ましてやラルヴァが世界各地で大量に出現した当初の混乱期である。その混乱を乗り越え、致命的な打撃を回避し組織的な反抗ができたのは彼らのような勇敢な兵士達のおかげであった。
 ベイルアウトできたのは奇跡だった。だがその際に受けた傷が元で叔父は退役することになったのだと言う。どうしてそこまで出来たのかという問いにはやはり「仲間のためさ」との答えがあった。
『英雄願望なんかじゃあない。その時がくれば分かる。仲間のめにやるべきことをやった。後は仲間がやってくれる。そう信じるからこそできることがある』
(ああ分かるよ、叔父さん。今がその時ってやつさ)
 空太は落下しながら意識が薄れていくのを感じていた。魂源力を一気に放出した際の副作用だ。
 だが恐れはまったくなかった。
 何故ならば、その耳で確かに聞いたからだ。
 ごうごうと耳元で唸る風の音に負けない大きな音。
 ――音速の壁を突き破る音を。





 意識を失っていたのはどのくらいだろうか
 気がつけば葉月の背中に抱きつくように箒に跨っていた。
 周囲は夕焼けに染まりきり、雲海は見事に燃え上がっていた。
「――双葉上空に到達しました。これより帰還します」
 葉月が通信機で報告するのをぼうっと聞きながら空太は景色に見とれていた。葉月の髪が頬をくすぐってようやく意識がはっきりしてくる。
「ああ、終わったのか」
「目ぇさめた? 残念だったわね、さっきまで駆けつけてくれた部長が隣で飛んでたのに。超音速で戻っていっちゃったわよ」
 空太は脱力感から葉月に身を寄せるにまかせた。あちこち痛むが怪我はしていなようだ。魂源力を一気に放出したツケだ。
「だいたいアンタ馬鹿じゃないの? なんだってあんな無茶すんのよ。自分を犠牲にすれば女の子が簡単に心を開くとでも思ってるの?」
 怒っていた。
 それも激しく。うかつな返事をすればそのまま振り落とされそうなくらいだ。
「別に犠牲になるつもりはないさ」
 襲いくる睡魔に抗いながら、この景色を目に焼き付けておこうと心に決める。葉月の温もりが心地よい。
「じゃあ何よ」
「信じてたからな」
「……」
「葉月がちゃんと決めるって信じてたから無茶もできるさ。そしてその通りの結果になったろ」
 葉月は無言のままだ。空太はちゃんと言っておかないとと思い直して身体を起こす。
「空ではさ、たしかに孤独かもしれない。だからこそ相棒を信じるんだろ。命を預けた翼を信じられなきゃ空は飛べない」
「相棒……」
「おお」
「相棒だから、信じて命も投げ出すの?」
「投げ出すってのも違うけど……そうだな、うん」
 ひとつうなずいて、心を確かめる。
「やっぱり好きだからだろうな」
「――!?」
 弾かれたように振り返る葉月。顔が近い。それが赤いのは夕日のせいか。
「うんやっぱり俺、空が好きだ」
 空太はとびきり上等な笑顔を浮かべる。
「俺、異能者だからってあきらめてた。だけど無理だ。だってこんなにも好きなんだからな。それで好きだからこそ俺は空では死ねない。そう思うんだ」
 言葉にするにつれ心の中で小さくなっていた夢が輝きを強くする。
「葉月は言ったよな。一人で飛んで一人で死ぬって。それはやっぱり違うと思う。魔女だからって一人で飛ぶことはないさ。そんで好きなら空で死ぬなんて言うな」
「……好き」
「ああ。見てりゃ分かるさ。そうしなきゃいけないって思いつめた顔したってやっぱりお前、空を飛ぶのが好きなんじゃねーか」
 うつむいて考え込む葉月。飛ぶのが好き。
「俺もさ、もう一度空を目指す。誰が何を言おうと俺が好きなことを夢見るのは勝手だろ? いつかきっとまたこの空に来てみせる」
「……」
 葉月は長い沈黙の後に溜息をもらして苦笑を浮かべた。
「そっか」
「ん?」
「アンタは本当に空が好きなのね。空バカ」
「空バカってなんだよ」
「いーのよ、褒めてるんだから。私もきっと、うん、好きよ」
 その口調と台詞にドキリとする空太。
「私も飛ぶのが好き。だからね、アンタの言う通り空で死ぬなんて言うのはやめるわ」
「あ、ああ。それがいい」
「それと……たまには私の後ろに乗せてあげてもいいわよ」
「いいのか?」
 他人を乗せることにあれだけ嫌悪感をあらわにしていたのだ。その言葉には耳を疑う。
「ええ。だって」
 私達、相棒でしょ。
 そう言いながら振り返る葉月の顔には、輝くような笑みが浮かんでいた。
 やばい。顔が熱い。夕日でごまかせているだろうか。急に空太は葉月に密着していることが気になってきた。しかしその腰にまわした腕を緩めるつもりはなかった。
「あ……」
 気がつけば二人を乗せた箒は雲の間を抜けて降下していた。
 眼下には東京湾に浮かぶ双葉島。学園都市が見下ろせる。
 そしての上空にいくつもの魂源力の光が舞っているのが見えた。
 他の魔女達だ。
「良かった。みんな居る」
 安堵からもれた葉月の言葉に空太は苦笑する。
「ったく、素直にそういう態度を見せればいいのに」
「な、なによ」
「仲間が心配だから自分ひとりで飛ぶとか言ったりさ、ヤバイ敵は積極的に引き受けたりとか。恥ずかしがらずにちゃんと態度に出せばいいのに」
 怒るかな、と思ったが意外にも葉月は黙り込んだ。
「どした?」
「……だって、どうしたらいいか分からないんだもん」
「は?」
「だから! ずっと一人だったんだもの、どうしたらいいかなんて分からないの!」
 思わずぽかんと口をあける。クールな一匹狼だと思っていた魔女の正体が、他人とどう接していいのか分からない臆病なチワワだったというわけだ。
「音速の壁を突破するくせにそういう壁は越えられないのかお前は」
「うるさい! 大体空太みたいにヘラヘラと誰にでも話しかけられるようなのとは違うんだから!」
「はいはい、でもさ、やっぱり同じ空を飛ぶ仲間なんだし。まあ皆もいつか分かってくれるさ。まずは遠野が言ってたカラオケに皆で行くとかどうだ?」
『わかってますよー』
 唐突にノイズ混じりの声。
 インカムから聞こえたのは魔女達の声だった。
『だいじょーぶ、ちゃんと分かってますって』
『てゆーか気づいてないと思ってたの?』
『葉月ちゃんはツンデレだから』
『……仲間だもの』
「え? なんで!?」
 二人で顔を見合わせる。今の会話を聞かれていた?
 魔女達に続いてガンナー達の声。
『それよかお二人さん、いつの間にか名前で呼び合うようになったのかしらー?』
『やっぱり好きだからだろうな、だって! 告白キター!って感じ?』
『やっぱり密着するのが……』
『久世ー! てめーどういうことだ!? 巨乳魔女とお空でイチャイチャだと! こっちはこんな貧乳魔女の後ろだってのに!』
『……落ちなさい』
 わっと賑やかな言葉が溢れ出す。
 どれも友愛に満ちた口調であった。なんだやっぱり仲良いんじゃないかと思いつつ、通信機を確認する。
「あ、俺の通信機スイッチ入ってたわ」
「な、なんで!」
「さっきの衝撃のせいか? えーと、葉月、さん?」
 肩を振るわせた葉月の顔が赤く染まる。今度は夕日のせいじゃない。うん間違いない。
「死ね!」
「うおっ! バカ、やめろ、落ちる!」
「うるさい、うるさい! 空太なんか落ちろ!」
 下を見ればぽつりぽつりと灯りがともり始めた学園都市。その光景は夜空に星がまたたき始めたかのよう。
 そして魔女達が光の軌跡をひいて舞い踊る。
 ああ、綺麗だ。
 一瞬現実逃避に陥りかける。だが現実はそれを許さない。
「いてっ、いたいって!」
 上を見れば葉月が照れ怒りながら自分に蹴りをいれている。やばい指が柄から離れそうだ。
 その羞恥に顔を赤く染めた葉月の様子になんだ可愛いいじゃないか、などと考えた空太はついに箒から蹴り落とされた。
「空が好きなんでしょ! 好きなだけ飛びなさい!」
「うわぁああああああああ!!」
 ──こっちがやっちゃんが言ってた本当の『落下注意』ってやつか?
 久世空太は、本日二回目のスカイダイブをした。




 ――学園上空に、魔女と並んで飛行するグライダーの姿が見えるようになるのは、もう少し先のお話し。

おわり


フェードアウト
画面隅でビャコにゃんががおーと叫ぶ









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