【鉄の心は揺るがない-第弐話】




 鋭い日光がコンクリートを容赦なく照りつける。

 汗を流しながらも、それに打ち水をする婦人。街道に据え付けられた街路樹に止まり、
俺は此処にいるぞと言わんばかりに騒ぎ立てる蝉の鳴き声。
 国守鉄蔵《くにもりてつぞう》が花壇にしゃがみ込み、小円匙《シャベル》を片手にせっせと土いじりをしている。
蝉の鳴き声に混じりながら上空からジェット機の排気音が響き、それに気をとられ手を休めた。
小円匙を持っている手とは逆の手で、目深に被った麦藁帽子の鍔《つば》を持ち上げ、視界を邪魔する日光を手のひらで遮り遥か上空で燦然と輝く太陽を見上げる。

 空は真っ青で、それを邪魔しない程度に、程よい青を滲ませた積雲がまばらに散っていた。

「そろそろお昼時になるかの」
 国守鉄蔵は首に巻きつけていたタオルで額《ひたい》の汗を拭き取り、よっこらせと立ち上がった。
 肩から掛けていた雑嚢《ざつのう》に手早く園芸用品を収納し、外した軍手をジャージのポケットに押し込み、
からころと下駄の音を響かせながら路傍に止めてある轟天号《じてんしゃ》に歩み寄る。
 愛機の横には相棒の柴犬《ケンゾー》が行儀良く座っていた。暑さのせいか舌を出しながら、しきりに浅い呼吸を繰り返しており、常よりも幾分か鼻先が湿っている。
サドルの首の部分に撒きつけていた手綱を解く。解いた手綱はケンゾーの首輪に繋がっており、
それを両手で巻き取る。手綱の長さに若干の余裕を持たせ、輪のようにまとめた後、自転車のハンドルと一緒に握る。
「今気付いたんじゃが、持ち物整理しとったらな、なんじゃ、弁当持ってくるの忘れとったみたいじゃ」
「くぅーん」
 若干呆れた様にケンゾーはうな垂れたが、何かに気付いたのか首を上げ何度も鼻を鳴らす。
「んむ? なんぞ美味そうな臭いでもするんかの?」
 ケンゾーがすっくと立ち上がると同時に鉄蔵も愛機の轟天号《じてんしゃ》に跨り、ペダルを踏み込む。
がたんと小気味良いスタンドの揺れる音が辺りに響き、目的の場所も解らぬまま相棒に促がされ自転車を漕ぎ始めた。
 緩やかにペダルを漕ぎ続けるうち、鼻腔を擽《くすぐ》る何かの料理の匂いが漂ってくる事に気付く。芳ばしさの中に際立つ老酒の燃え上がる、芳香。
「うむむ、こりゃ確かに美味そうな匂いじゃ。流石にお前さん鼻が利くの」
ケンゾーの歩みが速くなり、辺りに立ち込める香りも一層濃くなる。
「あ、あれじゃろ。あの屋台じゃろ?」
「ばう!!」
 自転車を漕ぎ始めて間も無く、一つの屋台が路上に店を構えていた。屋台の脇に自転車を止め、暖簾《のれん》をくぐり、長椅子を跨いで一番端の席に腰を降ろす。

「っしゃーせ!!」
 応対に出たのは威勢の良い青年だ。全体的には細身ではあるが肩幅もあり腕の筋肉も確りとしたもので、何かしらの武術を嗜んでいるように感じられる。
片手に持っている中華用の鉄鍋を軽々と振るう様は、これから出てくるであろう料理の出来を期待させるには十分過ぎた。
 屋台の中を軽く見回すが、注文札はチャーハンと杏仁豆腐の二品しかなかった。
ただ、チャーハンの注文札の横には品物の量を表していると思しき”満貫盛り・ハネ満盛り・倍満盛り”の注文札が掛かっていた。
「当店はチャーハン専門店になってまして、普通のチャーハン、量を多めにした満──」
「チャーハン倍満でお願いできるかの?」
 言葉を遮るように注文が入った。
「いやー、あのお客さん? まだ説明の途中ではあったんですが、倍満て凄い量多いんですよ? ちょっとお客さんには辛い量だとは思うんですけど」
 店員は苦笑いを浮かべながら鉄蔵を窘《たしな》める。
「いや、流石に一人じゃ食いきれんで、幾分かは相棒に分けようと思うとるんじゃが」
 自転車の横で丸くなっているケンゾーを顎で示す。
「お客さん。こちらとしても人間相手に商売やってるんですよねー。
頼んだ物はしっかりと一人で食いきるっつーのがお百姓さんに笑顔で顔向けできるんじゃないかなとゆースタンスでやってるんすよ」
 料理人として譲れない芯の部分を感じさせる一言。
青年は営業スマイルを崩す事は無かったし、確固とした信念がその言葉に重みを与えている事を感じない鉄蔵でもなかった。
「んむむ。そう言われるとぐうの音もでんわィ……。それじゃあ満貫盛りと並盛りを一人前づつならどうじゃろうか?
うちの相棒も食べ物は残さず食べるように躾けておるし、あいつもお前さんとこのチャーハンに魅かれてここにワシを連れてきたみたいなんじゃ。
なにより、相棒も腹の虫が鳴きっぱなしのようでの」
 青年は瞳を閉じ、腕を組みしばらく考えるように唸る。
「うーん。そこまで言われちゃこちらとしても断りようがないですね。よっしゃ、それじゃあチャーハン二名様分すぐに取り掛かるとしますか!!」
 言うが早いか青年はチャーハンを手際よく作り始めた。
一定の間隔でかつかつと鉄鍋とお玉がぶつかる音が反響する。さほど時間はかからず、目の前に料理が差し出された。
「チャーハン一人前、満貫盛りお待ち!! もう一人前はあちらさんに持ってけばいいんですかね?」
「ああ、そうしてくれるとありがたいの。入れ物はあいつが食うのに困らなけりゃ何でもいいわィ」
「はいよっ」

 差し出されたチャーハンを黙々と口に運ぶ。じんわりと体全体に熱が伝わり汗がこみ上げてくるが、それがまた心地よかった。
首に掛けているタオルで額を拭い、再びレンゲを手にとる。
頬の端が自然と緩んでいる事に気付き口元を引き締めるのだが、どうしても綻んでしまう。
それ程に差し出された料理は美味かったのだ。豪華すぎず、美味すぎず、慣れ親しんだ味よりも一つ二つ上の、安っぽい美味さが鉄蔵を上機嫌にさせた。
 その様子に気づいたのか青年は鉄鍋を屋台の脇に置き、誇らしげに語りかけてきた。
「ふふふ、どうですかね? こればっかりは自信があるんですよ。そんじょそこらのチャーハンなら一捻りですよ」
「んむ。大したモンじゃ。こりゃ何度も食べたくなる味じゃよ」
 手を休め、コップに入った水を呷る。
「大将はいつもここらへんに店構えとるんかの?」
「いや、今日はたまたま南区まで出張してきたんですよ。けどまぁ、やっぱここらへんだと学生が少なくてお昼時でも客入りは悪いすねー」
「そのたまたまのお陰でわしと相棒も美味いメシにありつけた事は神さんに感謝じゃのう」
 呵々大笑し、また一掬いのチャーハンを口に放り込む。
「ちなみに、本店は学園の商店街にある雑居ビルの一階にある”大車輪”て中華料理屋なんで、どぞ、ご贔屓に」
「あぁ、知っとるぞィ。なんじゃそんな身近にある店が美味い事知っておったら、足繁く通ったんじゃがな」
 そんな風に会話を弾ませていると、新たな来客が暖簾を潜り長椅子に腰を下ろした。

「たいしょー。いつものっす。あと食後に杏仁豆腐ひとつ」

 がこんと盛大な音を上げ、屋台の柱に青年は頭をぶつけた。その音に驚いたのかチャーハンを一心不乱に貪っていたケンゾーは体を浮かせ顔を上げる。

「お前、なんでここにいんだよ!!」
 青年は一転してカウンター越しに来客へ詰め寄った。
「やや、たまたま南区の巡回に来てただけっす。巡回してる最中になんか見知った屋台があったからわざわざ来てやったっす。
店の売り上げに貢献してあげようとしてるんだから崇め奉ってもいいっすよ」
「悪ぃけど悪魔崇拝はガラじゃねぇよ。っていうか巡回って今日は休みじゃねーのか?
こんな所まで見回りにこなきゃいけないってのも面倒臭ぇもんだな、風紀委員見習いってのも」
 盛大なため息をつきながらも青年は着々と料理を作り始める。しばらくやり取りを見ていた鉄蔵が会話に割って入った。
「お嬢ちゃん学園の風紀委員さんかい」
少女は突然会話に入ってきた老人を見つめた後、店主に耳打ちする。
「誰このおっさんっす」
「いや、おっさんじゃねーよ。じーさんだよってそんな事はどうでもよくて、お客さんだお客さん」
 小声でやりとりをしている意味を感じられない程に声は駄々漏れだった。鉄蔵は苦笑混じりに言葉を続ける。
「なんじゃ、ワシも長いこと学園で働いておるんじゃがあっちゃこっちゃに出回ってるせいで、学生さんにあんま顔は覚えてもらっとらんようじゃな」
「そう言われるとどっかで見たことあるような無いような感じがするっすね……」
 少女は黙考した後、目を見開いて声をあげた。
「あー、思い出したっす。用務員のお爺さんっすよね。
 醒徒会の人といるの何回か見たことあるっすよ」
「覚えていてもろうてなによりじゃ。双葉学園用務員の国守鉄蔵じゃよ。お嬢ちゃんは見回りのお仕事かィ、ご苦労さんじゃな」
 鉄蔵が名乗ると、レンゲを片手で弄びながら少女も名乗る。
「あ、失礼しました。神楽二礼っす。ちなみにそっちで、もそもそチャーハン作ってるにーちゃんも学園生っす」
「へー、お客さん双葉学園の用務員さんだったのか。俺は拍手敬って言います。お勤めですよね? こんな辺鄙な所までご苦労さんです」
軽く会釈をする。
 互いに自己紹介を済ませた後、取り留めもなく話をしながら食事を楽しんだ。
学園で最近起きた事件の事や、今の醒徒会役員の事、学園の近くで昨今噂されている都市伝説の事など、話題が弾むにつれ形式的な敬語も崩れる程には
鉄蔵と屋台大車輪の店主の敬(今は屋台を預かっているという意味での店主だが)は打ち解けてきていた。
「──まぁ、そんなワケで俺の活躍でドカッとその小憎らしいラルヴァを自慢の発頸で一撃ズドンってなワケで!!」
「よく言うっす。結界張って待ち伏せしてた所に来たのは、
散々逃げ回って挙げ句の果てにズタボロのボロ雑巾みたいな状態で満身創痍だったのはどっかの誰かさんだったじゃないっすか。言う事は大概オーバーっすよね」
「お前そんな元も子もない事言うんじゃねーよ!!」
 そんな二人の掛け合いを見ていた鉄蔵は、ぽつりと疑問を投げかけてみたのだが
「お前さんがた随分と仲が良いみたいじゃが、恋仲か何かなんかいの?」
「「それはない」っす」
──返答とは異なるが、随分と息が会っていたのは言うまでもないようではあったのだが。

 会話をまだ続けていたかったが、相棒のケンゾーが何やら喚き散らしていたので、
そろそろ仕事に戻らないと後が大変だなと思いながら立ち上がる。いそいそと財布から代金丁度の小銭を取り出し番台に乗せた。
「それじゃ、ここいらでお暇《いとま》させて頂くわィ」
「お代の方は丁度っすね、まいど。今後ともご贔屓に願います!!」
「また学園でっすー」
 暖簾を潜り屋台に背を向けひらひらと両手を振る。屋台の脇に止めてあった、
自転車に目をやると自転車の置いてあった場所にはサドルの皮とハンドルのグリップやタイヤのチューブ、その他プラスチックで出来た部分等だけが転がっていた。

無い。
愛車が無い。

「ん? ドウイウコトナノ?」

 何が一体どうなっているのか理解できず、手の甲で軽く目を擦ってはみたものの目の前に転がっているのは愛車の部品と思わしき無惨な残骸だけであった。
その横ではケンゾーが一層大きな声で吠えたてている。
「お、お前さん。わわわわひの轟天はどどどどこいぅあ」
気が動転している鉄蔵はケンゾーの頬を両手で掴みぐいぐいと引っ張る。
ケンゾーの頬は安物のエキスパンダーの様に伸び縮みするが、わふわふと唾液をこぼしながら「だから、そっちを見ろ」と言わんばかりに屋台の方に必死に首を向けた。

「うぉおお!!きしゃん!!おれの大事なジャンに何するとぉおおおお!!」
 先ほどまで楽しげに会話をしていた拍手敬のエセ九州弁での絶叫が上がった。
そちらを見やると屋台のすぐ傍に、自転車程の大きさであろう鉄の塊が蠢いている。
鉄の塊からバールの様な鉄の触手が伸び、屋台の調理具を絡めとる。塊はそれらを取り込み徐々にその暈を大きくしていく。
「俺のジャンを返せぇぇえッツ!!」
 目を血走らせながら敬は鉄の塊に大の字になって飛び乗り、半分程目減りした鉄鍋を引き剥がすと盛大に尻餅をつく。
涙目になりながら無惨な姿の鉄鍋をしっかりと抱きしめた。
「おぉぅ!! こんな姿になってしまうとは……。前のラルヴァの時といい今日といい……なんだお前等!! 俺のジャンに恨みでもあるんかコナーロー!!」
 怒髪天を突いた敬の横にからころと乾いた下駄の音を鳴らしながら鉄蔵も並んだ。
「ぬぐぐぐぐ。わしゃ怪異如きに、馳走を振る舞った覚えは無いわィ。
お前さんの魂源力の全てを轟天の供物にしてやろう……ケンじょぉォオッツ!! 弔い合戦じゃあああッツ!!」
 鉄蔵が怒号を飛ばすと同時にケンゾーは咆哮しその嘶《いなな》きは天高くまで轟く。
しなやかに伸びる両足を以て大地を蹴り上げ跳躍。空中で一振りの刀へと変化する。鉄蔵は中空に突き出した右手でその刀を掴み取り、切っ先を怪異へと向ける。
 敬は鉄蔵が手にした刀《ケンゾー》を見て一瞬あっけにとられたが、その所作から鉄蔵が武の道を歩むものである事に気付く。

 己の人生の中で、艱難辛苦を分かち戦い抜いた相棒を失った男達は、共通の仇を討つ為、視線を交わし頷きあった。

「ぶっ「倒す」!!」

 奇声というか金切り声というか、翻訳不可能な日本語を喚き散らしながら、
ラルヴァへと突撃する料理人とジャージ姿の老人を屋台から眺めていた神楽二礼は頬杖をつき口元を緩めながら呟いた。
「いやー、お二人さん随分仲良いっすねー。もしかして恋仲か何かなんすか?」
「「それはない」」
 急ブレーキをかけ、互いに首だけを二礼に向け片手で否定を示す。
 ラルヴァを前に暢気にそんな漫才をしているうちに、目の前にいたはずのラルヴァはいつの間にか無数の脚を生やし、
その脚を不気味に蠢かしながらその場からもの凄い速度で駆け出した。
「大将!! やっこさんが逃げるぞィ!!」
「くそ、逃すかっての!!」
 遠ざかるラルヴァを逃すまいと二人は屋台を後に駆けだす。後に残ったのは無惨に転がった鉄蔵の愛車の部品とと、
木造が故に難を逃れた”大車輪”の屋台。そして、事の成り行きを静観していた神楽二礼だけだった。
 遠ざかるラルヴァと敬と鉄蔵の背中を眺めながら手もとにあった杏仁豆腐をスプーンで崩し、これを口いっぱいに頬張る。
「──ほむほむ、これってもしかしなくても店主不在でタダって事でいいっすよね。儲け儲け」

 以前とは逆の立場の鬼ごっこを終えた二人は、ラルヴァを袋小路まで追いつめていた。
「へっへっへっ。前門の区画整備不全の壁、後門の老若コンビとはこの事だなぁ」
「な、なんじゃィそりゃ」
「いや、ほらそこはなんか上手いこと言ってフォローしてくれないと……」
 ラルヴァを前に未だ余裕を崩さない二人は余程肝が座っているのか、あまり頭が働かないのかの何れかであろう。
そんな二人を前にラルヴァはバールの様な触手を交差させ震えだした。
「な、何してんだ?」
 震えだしたラルヴァから甲高い金属音が鳴り響き辺りにある幾つかの建物や、電線は彼らが気づかない程、僅かに震えだす。
「くっ!! この音は!?」
 両耳を押さえ拍手敬は両膝を地面に下ろし身悶える。
「何じゃ、どうしたんじゃ大将!?」
 傍で苦しむ敬の様子に鉄蔵は狼狽するが、何が起こっているのかは鉄蔵は理解に苦しんだ。
「お……音が!!」
「音!? わしには何も聞こえなんだが……っうお!!」
轟音と共に袋小路で立ち止まるラルヴァの足下に亀裂が入り、それは凄まじい速度で枝を分かつ。
「大将!! すぐにこの場を離れぬぉおおッッツ!!」

 鼓膜が破れんばかりの甲高く強烈な金属音。音叉を打ち鳴らした時の音に近いそれは共鳴し、
地面は僅かに震え、微細にひび割れ、ついには地割れを引き起こした。
 辺り一面のコンクリートに広がった地割れという名の蜘蛛の巣は、
鉄蔵にも聞こえる程の音量の金属音を最後に打ち鳴らしたラルヴァの一押しによって地面は陥没し、大きな穴がそこに穿たれる。
突如として口を開いた漆黒に敬と鉄蔵とラルヴァは吸い込まれ落下した。

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最終更新:2009年09月19日 19:33
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