【X-link 1話 part1】




          X-link 1話【Beggining From Endless】part1


 廊下から怒号と喧噪が聞こえてきた。
 音羽繋(おとわ つなぐ)はゆっくりと声のする方向に顔を向けながら溜息をつく。
 ああ、またか。
 1週間前のあの日から、彼女の身辺は急に騒がしくなった。毎日が祭のように賑やかになった。
 それもこれもある一人の人物のせいであることは繋にとって明らかな事だった。
(あの馬鹿、今度は何をやらかしたのか)
 うんざりしているとクラスメイトの鈴木千香(すずき ちか)が慌ただしく繋に駆け寄り、まくしたてた。
「音羽ちゃん、音羽ちゃん!天地君、また凄い事になってるよ」
 案の定、繋が想定したあの男、天地奏が騒動を起こしたらしい。
「で、何やったのあの馬鹿?」なかば投げやりに繋は言葉を返す。
「それがね、天地君、今度はあのアイスちゃんに声かけちゃったんだって!」
「あの風紀委員長に!?」思わず大きな声が出してしまった。アイスといえば泣く子も黙る風紀委員のトップだ、それにちょっかいを出すとは。
「そうそう、それでね、アイスちゃんが刀を振り回して天地君を追いかけ回して、今大騒ぎなんだよ!」
 目を輝かせながら千香は言った。実に楽しそうな顔をしている。千香に限らずクラスの連中はみんな楽しそうに廊下で繰り広げられる騒動を見ていた。
(アトラクションかなにかとでも思ってるのかなあ)
 確かにこの学園の生徒達は娯楽に餓えていた。それは無理も無い事だ。戦闘要員以外にとってはこの双葉区の設備がいかに整っているといっても、何か用がない限りは双葉区から出られないということから、娯楽は限られ、常に餓えていた。そこに例の転校生は毎日、いや毎時間のように騒ぎを起こす。生徒達が飛びつくのも無理からぬ事だった。
 だが、繋はそうも言っていられない。彼女は奇妙な縁でその転校生 の世話役を醒徒会直々に命じられていた。
「ああもう、しょうがないなあ……」
 溜息を一つつき、繋は席を立ち、廊下に向かう。とにかくあの馬鹿を抑えなければならない。
「お、ついに世話役が動いたか!頑張ってね〜」後ろから千香の能天気な声が聞こえたが、繋は無視する事にした。


 教室の扉を開けるとそこは地獄絵図だった。
「そこに直れこの狼藉者!」と叫び、男を追いかけながら、風紀委員長、逢州が二振りの刀を振り回す。
 それを楽しくてたまらないといった感じのにやけ面で器用にかわしながら逃げるているのが問題の男、天地奏(あまち かなで)であった。
 2人は廊下の奥の方からこの教室に近づいてくる。
「ははははは、この天才犬を捕まえてみたまえ!仔猫ちゃん!わんわん!」言いながら奏は逃げて行く。
 なんで奴は自分を天才犬などといい、逢州を仔猫ちゃんなどと言っているのだろうか?
 疑問はさておき、あの馬鹿を止めなくてはならない。
 繋は奏の正面に仁王立ちすると、それを待ち構えた。
 そして奏が自分の脇を通りすぎようとしたその瞬間、繋は右腕を思い切り横に伸ばし、奏の首にからめ、そして前方に跳躍した。

 寸分の狂いもなく、美しいラリアットが奏を直撃した。彼は思い切り後方に吹き飛び、床に叩き付けられる。
「ぎゃふんっ」断末魔の声をだし、奏はバタリと倒れた。
 自分の足下に奏が転がるのを見て、刀を振り回していた逢州もようやく冷静さを取り戻し、刀を治め、繋に声をかけてきた。
「いや、あの………。すまなかったな。私とした事が」顔を赤くして俯く逢州。
「それはいいんだけど。一体何があったの?逢州さんがあんなに怒るなんて珍しい」
「すまない、後生だ。それは聞かないでくれ……。不覚だ、あんなところを」さらに赤くなって顔を俯ける逢州だった。
 余程嫌なことでもあったのだろうか?興味は尽きなかったが、やぶ蛇をつつきたくなかったので繋は詮索はヤメにした。
「まあ、とにかくこの馬鹿は引き取るんで。ご迷惑おかけしました」
 繋は作り笑いを浮かべつつ奏を引きずり帰ろうとした。

 その時だった。
「ふはははははは!おはよう諸君!いい目覚めだな!」と言い、伸びていた筈の天地奏が跳ね起きた。
「はあ?なんで起きれるのよあんた!今気絶したばっかでしょ!?」繋は思わず叫ぶ。
「何、この天才にいつまでも同じものが通用するとでも思っているのか?不勉強だなお嬢ちゃん!その認識は今すぐ改めた方がいいぞ!」奏はまくしたてる。
「ではここでこの天才が目覚めの一曲を披露してやろう!」言うや否や背中からフルートを取り出し、演奏をはじめた。
 さっきまでの喧噪には場違いな穏やかなメロディが奏でられはじめた。曲名は知らないが、どこかで聞いた事のあるクラシックの曲だ。
 繋も逢州もまわりにいた人間達も思わず聞き惚れる。中には口笛を吹いてはやしたてるものもいた。
 天地奏は自分を天才と称してはばからないが、この演奏に関しては本当に天才なのではないかと音楽の知識が無い繋も思う。

 2分ほどして、得意満面といった顔で奏は演奏を終えた。すると廊下や近くの教室から拍手や口笛や「ブラボー」などと言った声が聞こえてくるではないか。
 逢州も繋もすっかり毒気を抜かれてしまう。これも奏の才能だろうか。釈然としないものがありながらも二人はそれぞれの武器を収めた。
「まるでゴキブリ並みの生命力だな……」と刀を収めた逢州がこぼすと、奏はそれを聞き逃さずに「ゴキブリぃ?この天才はゴキブリじゃないぞ、犬だぞ仔猫ちゃん、間違えてはいけないワン!」などとアイスを煽るようなこと言う。
 憮然とした表情をしていた逢州は奏の発言を聞いた途端、真っ赤になってぷるぷると肩を振るわせはじめた、そして無言で二振りの愛刀を抜き出す。
「この期に及んでまだ言うか貴様!」叫ぶと再び刀を振り回し、奏を追い始めた。
「はははは、全く可愛い仔猫ちゃんだな!」全く悪びれずに奏も全速力で逃げる。
 全てもとの木阿弥だ。
 繋は深く溜息をつくと、再び意を決して駆け出した。あの馬鹿を黙らせなければならない。
「待ちなさい、奏!」と繋は大声を張り上げる。
「待てと言って待つ天才がいるものか。つ〜なぐのとっつぁ〜ん」奏は妙な声真似で返した。
「誰がとっつぁんだ誰が」繋が叫び「そこに直れ天地奏!」逢州が刀を振り回し追いかける。まわりにいる生徒は大喜びだ。こんな楽しいイベントはそうそうなかった。
「モテる美形はこれだから、辛い。女性に追いかけられる運命からは逃れられないようだ」
「「何を言っているんだこの馬鹿!」」女性二人の声が奇麗にハモった

 走りぼんやりと繋は考える。この馬鹿は結局のところ、一体何ものなのだろうか。何故、自分はこの始終お祭り騒ぎの馬鹿の相手をしているのだろうか。
すべてはあの日からはじまった。それは繋の平穏が崩された時で、繋が初めて自分のおかしな名前を褒められた日でもあった。
二人の絆はその時から始まった。

          *

 音羽繋は退屈していた。
 双葉学園の2-Aの窓から見える風景はいつもと変わりなく、授業の退屈さもいつもと変わりない。
 日々の生活にも不満があるわけではない、そこそこに友人に恵まれているという自覚はあるし、この学園には自分よりも不幸な人間なぞいくらでもいる。
 彼女は、
 そう、「彼」ではなく「彼女」はただ日々の生活が退屈なだけだった。
 繋などという名前だが、音羽繋はれっきとした女性である。見た目も普通の女性、というよりも整った顔立ちで、大きな瞳が特徴的である。本人には自覚はないが美人の部類に入る。髪もごく普通のセミロングでまとめていてどこにも男性らしさは見受けられない。そもそも「繋」であって「繁」ではない。
 この妙な名前という一点を除けば彼女はごく普通の人間だった。両親は既に亡いがそのような生徒はこの学園では珍しくもない。両親の没後に彼女を引き取った親戚の夫婦も子供がいなかったことから彼女を実の娘のように可愛がり、不自由のない生活をさせてくれた。
 彼女は小学四年の頃、相当な量の魂源力を確認され、双葉学園にスカウトされた。養父母に学費の面で負担をかけずに済むということから、彼女は二つ返事でスカウトを受けた。養父母は反対したが彼女の意思の強さをに折れ、最終的には快く彼女を送り出した。

 音羽繋にとって誤算だったのは魂源力は確認されたものの、能力が発現しなかったことだった。おかげで前線でラルヴァと闘う事も無い。発現に備えて訓練と授業を受けるだけの日々になった。初めはその事に焦りを覚えたが、2年、3年とたつ内に焦りは諦めにかわり、現状を甘んじて受け入れるようになった。
 このように彼女はそれなりに平和な生活を持て余していた。
 いつも通り、午後の心地よい微睡みを感じながら窓の外をぼんやりと眺めていると、授業の終りを告げるチャイムが鳴った。
「はい、では今日はここまで」
 能面のようだと言われる程、表情に変化がない2-A担任、春出仁はこれまたいつも通りチャイムと同時に授業を切り上げ、さっさと教室を出て行った。
 俄に教室が騒がしくなる。部活に向かおうとするもの、バイトに向かおうとするもの、放課後の遊びを計画するもの。皆それぞれに楽しそうだ。
 繋がその教室の様子をぼんやりと眺めているとクラスメイトの一人が話しかけてきた。
「ねー、音羽ちゃん。今日これからカラオケでもいかない?」
 そう話しかけたクラスメイトの名前は鈴木千香、ショートカットで活発な印象の少女だった。千香も繋と同じく魂源力を持つものの未だに能力の発現していないいわゆる未発現組で、そのせいもあってか繋とは親しく、よく繋を連れ回していた。
 そのため千香は繋がその名前を気に入っていないいない事を知っていた。あえて繋を音羽ちゃんと呼ぶのもこのためである。
「う〜ん、どうしようかなあ。ここのとこ今いちテンション上がらないんだよねえ」繋が素っ気なく答える。
「まあまあ、そんな事言わないでさ。今日はバイトが休みで美香も来るって言うし」千香の方も引く気はない。
「ふ〜ん」
 まだ乗り気ではないという顔をする繋に、千香はさらに畳み掛ける。
「ノリ悪いなあ。今日はさらに凄い人も来るんだよ?」
「何よ、凄い人って?鳶縞さんとか?」
 あくまで押してくる千香に繋が適当に答えると千香はちょっと困った顔で続けた。
「ぶー、違います。さすがに鳶縞さんじゃないよ。誰かな?」
「何?じゃあ菅さんとか?」
「う〜ん、妙なとこ突いてくるね……。でもレスキュー部ちゃんでもないよ。凄い人だってば」何かにつけて人をちゃん付けで呼ぶクセが千香にはあった。
「だから凄いってどういう事よ?勿体ぶらずに言ってよ」
 うんざりしてきた繋が回答を急かすと、千香は得意満面といった顔でビシッ!と繋の顔を指差して高らかに言い放った。
「今日はなんと!我らがクラスメイトにして醒徒会副会長・水分理緒さんが一緒に来るんだよ!」
「へえ、それはまた。確かに凄いね」
 水分理緒といえば、確かに凄い人に違いなかった。醒徒会といえばこの双葉学園最強の戦力にして権力を誇る絶対不可侵の領域である。その副会長である水分理緒といえば水を自由自在に操るという異能を持つ双葉学園最強の異能者の一人である。
「でも、なんで水分さんが?醒徒会の副会長だから相当忙しいでしょ?」
 繋は素直な疑問を口にした。
 繋の疑問は最もである。水分は醒徒会副会長として、醒徒会の運営や学園で起こる諸々の問題の対応、さらにはその能力を活かしてラルヴァとの戦闘など、放課後どころか授業も度々公欠で欠席するほど日々忙しく飛び回っていた。日々暇を持て余している繋とは大違いである。
「うん、私も最初はダメもとで、一応声だけかけてみたんだけどね。たまたま、ほんとーにたまたま、今日は時間あるんだって。ねえ、こんなことめったにないよ?行こうよ〜」
 水分理緒の名前に関心を示した繋を見て、千香は一気に畳み掛けた。
「まあ、副会長とカラオケっていうのは面白いかもねえ」
 水分理緒はその醒徒会副会長の権威をかざすこともなく、ごく普通にまわりと接しているため、繋もクラスメイトとしてそれなりに話す機会もあったが、彼女がカラオケに行ってどんな歌を歌うのかは確かに気になった。
「でしょでしょ?行くしか無いよね、行くよね?」
 トドメとばかりに千香が身を乗り出して説得にかかる。
「わかったわかった。しょーがないなあ」
 千香の説得に繋が押し切られる。
「そうこなくっちゃね。そうと決まれば早く立って、準備してよ。夕方はすぐに満室になるんだから」
 双葉学園近くの歓楽街にあるカラオケ店は夕方ともなると双葉学園の生徒でいつも賑わう。
 千香が心配するのも無理は無かった。
「急かさないでよ、すぐに準備するから」
 千香の勢いに押されて繋が立ち上がった。

 その時である。

 繋の頭に音が響いた。
 音が響いた、というより音楽が聞こえた。不思議なメロディだった。懐かしいような、切ないような、それでいて暖かくて優しい不思議なメロディ。
「ねえ、千香。この音楽は何?」思わず繋は隣の千香に聞いた。
「何よ、音楽って。いいから早く準備してよ」
 どうやら千香にはこの音楽は聞こえていないらしい。だが繋の頭には音楽が鳴り続けている。繋はいてもたってもいられなくなってきた。この音楽の正体を知りたい。知りたくてたまらない。得体のしれない衝動が繋を突き動かす。
 気がついた時には鞄に荷物をつめて駆け出していた。いきなり駆け出した繋に教室が驚きの目を向ける。
「ちょっと、どうしたのよ音羽ちゃん!カラオケは?」繋の背中に千香が声をかける
「ごめん、今度埋め合わせはするから!」言うや否や繋は扉を勢いよく開けて教室の外に飛び出した。
 教室の扉の外には先ほど話題に上がった醒徒会副会長、水分理緒がいた。
「あら、音羽さん、今日はよろしくお願いしますね。私カラオケなんて本当に久しぶりで……」
 いつもの通りおっとりと理緒が話しかけるのも繋の耳には殆ど入らない。
「悪い水分さん、また今度ね!」
 繋は声をかけると全速力で廊下を駆けて行った。
「まあ、どうしたんでしょう、あんなに急いで」
 取り残された理緒の頭には疑問符がいくつも浮かんでいた。そもそもあんなに焦っている音羽繋を見るのは初めてだった。音羽繋はどちらかというと感情の起伏をあまり見せない方ではなかっただろうか。
「余程急な用事でもあったのかしら……」理緒は考えながら教室の扉を開いた。

          *

 教室を飛び出してから30分後、音羽繋は双葉区の海岸にいた。
 なんでこんな所に来たのかは繋自身にもわからなかった。ただ、頭に奏でられる音楽に導かれるままにとしか言いようがない。
(どうしてこんな所に来てしまったんだろう……)
 我に返ってあたりを見回す。埋め立て地に作られた人工の海岸だ、いつも通り、なんの変わりもない。
 あてもなく海岸沿いを繋は歩き出した。頭に奏でられていた音楽もいつの間にか聞こえなくなっていた。
 20分程歩いた頃、繋は砂の上で何かが光っているのを見つけた。銀色の何かが光を反射してきらきらと輝いている。繋は側に駆け寄り、半ばまで砂に埋まっていたそれを掘り出した。
 それはフルートだった。銀色に輝くフルート。繋にフルートの知識などなかったが、それは一目で普通ではないと思った。何か吸い込まれるような不思議な光を放つフルートだ。
(なんだろうこれ)
 フルートに魅入られるように隅々まで見ていると、フルートが特定の方向に向けて光を反射しているようにな気がした。その方向に何か、妙なものが流れ着いてくるのが見えた。
 それは紛れもなく人だった。真っ白なジャケットとパンツを身につけている。身長は180前後といったところ、髪の長さや体格からどうやら男性のようだ。
 人が流れてきた。そう思った瞬間から繋の頭から、頭に響いていたメロディも今見つけたフルートの事も消えた。思わず駆け出し、靴や足が濡れるのも顧みずに流れてきた人を抱き上げた。
 抱き上げた男の顔を見て繋は多少驚いた。その男が目鼻立ちの整ったなかなかの美形だったからである。芸能人と比べても遜色がないレベルだなと繋は男を抱き上げながら、混乱した頭で場違いな事を考えた。
「う、う………」抱き上げられるとその男はうめき声を上げた。
(よかった、生きてる)
 どうやら息はあるようだ、そんなに海水を飲んでいるようでもない。
 今すぐ誰かに連絡しないと。
 警察?
 いやいや違うだろ
 消防?
 何を考えているんだ
 レスキュー部だっけ?
 間違ってないようだが多分違う
 とにかく無我夢中でスカートのポケットから生徒手帳を取り出すと電話帳から『鈴木千香』をコールした
 呼び出す事数秒、友人の能天気な声が耳に入ってきた。
「どーした、音羽ちゃん。やっぱ来たくなったかあ?」カラオケにいるらしい、まわりが騒々しかった。
「違う、そーじゃなくて!大変なんだよ!」繋が声を荒げた。
「大変ってアンタ、どーしたの?」繋の尋常でない様子に千香も気づいたらしい、真面目な調子になっていた。千香のまわりもその様子に気づき、ざわついているようだ。
「えーと、海岸に来たんだ私」
「海岸?なんでまた海岸なんかに?」
「いや、そんな事はいいから!」
「落ち着きなよ音羽ちゃん、何があったのよ」なだめるように千香が言った。
「だから、海岸を歩いてきたら人が流されてきたんだよ!」繋の説明はその通りだがおかしかった。
「はあ?人?何ソレ土左衛門?」
「違うって。まだ生きてるの。なんかイケメンが漂着してきて」
「イケメン?イケメン関係あるの?」
「いや、イケメン関係ないんだって!とにかく助けを呼んで!」繋は完全に気が動転していた。
「わかったわかったから。一回切るよ?」

 電話を切ると千香は溜息をついた。これで千香に事態を理解しろという方が無理がある。ただ、電話の様子から繋が何かしらアクシデントに巻き込まれているのは間違いない、とりあえず救急にでも連絡しようか、まずはGPSで繋の位置を確認して……と考えた時、千香に助け舟が出た。
「どうかなさいましたか?」おっとりとした調子だが、心配そうな顔で千香の顔を覗き込んできたのは隣に座っていた水分理緒だった。ちょうど良いところに醒徒会役員がいた幸運に感謝しつつ千香は理緒に状況を説明した。
「そうですねえ、鈴木さんは救急に連絡してください、私は音羽さんのところに向かいます。ここからそう遠くないようですし」いつも通りの口調だがそこには不思議と威厳があった。
「わかった、水分さんも気をつけてね」
「大丈夫です。海辺ならいくらでも水がありますから……」微笑みながらもきっぱりとそう良いきり、水分は部屋を出て行った。


 電話を切った繋は、今、自分に出来る事をしてみようと考えた。取りあえず男に呼びかけてみた。
「大丈夫ですか〜、起きてくださ〜い!大丈夫ですか〜!」自分の事ながらまたベタな呼びかけだと思いつつも、肩を揺さぶり、頬をぺしぺしと叩きつつ繋は呼びかけ続けた。
 そして10分後、事態が変化した。
 男が飛び起きたのである。男は飛び起きると開口一番こう言い放った。
「天才の目覚めだ!」
 こいつは一体何を言っているんだろう、繋は自分の耳を疑った。こいつはこの双葉区に漂着して、それで今まで気を失っていたんじゃなかったのか。混乱しながら、それでも繋は一応男に問いかけてみた。
「あの、あなた誰なの?」
「俺か?俺の名前は天地 奏、天と地に俺の音を奏でる男だ!」男は高らかにそう言いはなった。
「は、え?」繋は完全に勢いに飲まれていた
「で、ここはどこなんだ?俺は誰何だ?」
「え、今、自分で名前を、、、」
「名前以外さっぱり思い出せないぞ!あ、あと俺が天才ってことくらいしかわからないな!はははは!」男は海を向きながら何故か笑いながら言い放った。
 混乱したのは繋である。
 名前以外思い出せない?
 まさか記憶喪失なのか。
 いや、でも自分が天才ってなんなんだ。
 繋は頭がぐらぐらしながらもなんとか現状を把握しようと努めた。その時、記憶喪失?の男、天地奏が繋の横に置いてあったフルートに気がついた。
「なあ、お前の横にあるそれ、なんだ?」奏が問いかける。
「これ?これはフルートで、ちょうどそこに落ちてて……」
「ちょっと貸してくれ」繋の話を遮り、フルートを引ったくるように手に入れると奏はそれをしげしげと見つめた。
 1分ほども見つめると、何か納得したような顔になり、奏はフルートに口をつけ、演奏をはじめた。

 繋は驚愕した、奏の演奏はそれは素晴らしいものだった。繋はあまりフルートの演奏を聞いた事がないが、その演奏が素晴らしいものであることはわかった。何より彼女を驚かせたのは、奏が演奏するそのメロディが先ほど、彼女の中に響いていたメロディと同じものだったことである。
 しばらく奏の演奏は続いた。その間、繋は聞き入っていた、ただそのメロディに聞き入っていた。
 演奏が終わるとうっとりとした表情をしながら奏は口を開いた。
「素晴らしい。やはり、俺は、天才………」満足そうにそう言うと、奏はその場にばったりと倒れ込んだ。
 自称:記憶喪失の天才は幸せで得意そうな顔で気絶している。
 繋の耳に救急車のサイレンが聞こえてきた。さらに、視界に水分理緒らしき人影が映るのを確認しながら繋は放心状態でぼんやりと考えていた。
 自分はとんでもないものを拾ってしまったのではないだろうかと。

 繋の考えが正しい事は直ぐに明らかになる。さらに繋の人生を変えて行く事にもなって行くのだが、それを今の繋が知る由もなかった。

          *


 水分理緒と救急車が到着すると、天地奏と名乗った男はただちに双葉区内の双葉大学病院に搬送された。
 双葉区の中心部に建築されたこの病院は双葉学園の性質上、戦闘で怪我を負った生徒がその患者の大部分を占めている。さらに双葉大学医学部による異能者の研究も活発に行われていた。
 天地奏は病院に収容後、すぐに検査を受けた。その間、付き添う羽目になった繋は普段あまり話すことのないクラスメイト、水分理緒と話す事になり多少親睦を深める事になった。よくわからない事だらけだが、この事については少々ラッキーだったかもしれないと繋ぐは思う。
 医者の診断の結果、多少の打撲だけで、他に特に問題はないそうだ。記憶喪失らしいということで頭部の検査も入念に行われたが、頭部にも目立った外傷はなかった。記憶喪失の真偽はまだ明らかではないがもし本当だとしたらその原因は外部からの衝撃ではなく心因性ということになるらしい。
 検査が終わった後、天地奏は病院内の個室に移された。担当の医師の他に彼を発見した音羽繋及び水分理緒が病室内にいる。
「では、私は他の患者の回診があるのでこれで。素性がわからないのでくれぐれも気をつけてください。」と言うと軽く会釈をして病室を出て行った。
 繋と理緒は医師に深く頭を下げ、医師が出て行く事を確認すると、天地奏が眠るベットの脇の椅子に腰をかけた。
 気まずい沈黙が病室包む。状況を打破しようと繋は口を開いた。
「でも、本当に驚いたよね、なんなんだろうコイツ」
「双葉区に漂着してきた人は初めてではないですけど……確かにびっくりしました」理緒は言う。彼女が所属する双葉学園の醒徒会にもかつてここに漂着してきたものがいる。醒徒会で書記を勤める加賀社紫穏の事である。彼女もまた双葉区に漂着している所を発見され、学生証を持っていたことから双葉学園に編入することとなった。
 だが、今回は彼女の場合とは違う。天地奏と名乗った男は自らの身分を証明するものを何一つとして持っていなかった。彼が持っていたものはそのフルートのみである。
「持ち物はフルートだけ、マジで身元不明だよね」
「でも、この方はたしか、天地奏と名乗ってたんでしょう?」
「うん、そうなんだけどね。でも名前以外何も覚えてないって言うんだよ」
「記憶喪失ですか……」水分はそう言うと奏の顔を除いてみた。彫りの深い顔立ちに整った輪郭、意思が強そうに結ばれた唇、恐らく、10人いたら10人とも彼を美形と認めるだろう。美少年はいるが、こういうタイプの美形は珍しいと水分は考えた。
「でも、ちょっとかっこいいですね、この人。そこにも驚きです」多少冗談めかして水分は続けた。
「確かに顔立ちは整ってるみたいだけどね……。でも、水分さんのまわりもカッコイイの多いじゃん醒徒会の人たちとか」繋は返した。彼女のような一般生徒にとって学年の違う醒徒会メンバーは雲の上の存在である。どんな人間なのかなんてことは知らない。
「ええ、確かに皆さん見た目はよろしいんですけど、なんというか………個性的というか」
 確かに醒徒会には個性的なメンバーが多い。というよりも個性的な人間しかいない。何かにつけてすぐ服が脱げてしまう龍河弾、クールというにはクールすぎる人造人間エヌRルール、何故か異様に影が薄い早瀬速人、金勘定に秀で過ぎている成宮金太郎。皆、個性的で見た目にも文句は無いがおつきあいするのは遠慮したいという人たちだ。
「個性的か……」繋は呟く。理緒の言う醒徒会の事は置いておいて、問題は目の前のこの男だ。先ほど、海岸で見たものが繋の夢などでなければ、目の前ですやすやと眠っているこの男は相当個性的だ、いや、個性的というレベルを超えている。顔がいいとかどうこうとかそういう美点が全て消えてしまいそうなレベルではないだろうか、と繋は考えた。
「もう一つ、気になる事としては、彼の魂源力ですね」
「それがどうかしたの?」
「感じませんか?彼は相当な量の魂源力を持っていますよ」
「魂源力………」理緒は言うまでもないが、繋自身もかなりの量の魂源力を持っているらしい。だが、普段それを実感する機会は殆どないし、異能も発現していない繋には宝の持ち腐れとも言える。
「もしかしたら、彼は異能者なのかもしれませんね」と水分。だとすると、少々やっかいな事になるかもしれないが……。


 その後、繋と理緒は30分程も話し込んだ。滅多に話す機会もなかったが水分理緒は話をして楽しい人物で、繋は理緒の認識を改め、人目を惹く美貌とその肩書きで今まで多少、彼女を敬遠していた 自分を少し恥じた。
 天地奏が目を覚ましたのはそんな時だった。
「なんだここは……?」奏は目を覚ますとあたりを見回した、見覚えのないところだ。というか見覚えが有るところというものは今の彼にはないのだが。
「あら、目を覚ましたんですか?私は水分理緒といいます。ここは双葉区の双葉学園大学病院で………」と説明しようとすると奏はひしと水分の手を握った。
 事態を把握できない水分と繋がぽかんとしていると奏は口を開く。
「そうか、これは運命だったんだな!だってそうじゃないか、目を開けてみると目の前には俺の顔を覗き込む美人、これを運命と言わずになんと言う!?いやいやみなまで言うなこの天才の顔を覗き込んでいたことは恥ずかしい事などではない、むしろ当然の事だ」
 そこまで一気にまくしたてると奏は何を得心したのかしきりにうなずいている。理緒も繋も全く付いて行く事ができない。話が繋がっていない。
 それでも水分はやんわりと奏の手を振りほどくと、気を取り直して
「え〜と、アナタはどちら様ですか?海岸に漂着していたのですけど」今度は質問してみた。
「俺の名前は天地奏、天と地に俺の音を奏でる男だ。なんで漂着していたのかなんざ知らん」奏は何故か自信たっぷりに断言した。
「天地奏さんというのですか。ではお住まいは?」
(なんか迷子の子供の相手をするデパートのお姉さんみたいだな……)会話に入っていない繋は考える。
 しかし、思った通りこの天地奏というのはとんでもない男だ。目が覚めた途端に水分を口説くとは。学園に行ったら彼女のファンに袋だたきにされてもおかしくはないだろう。
 その後も水分は魂気よく天地奏という男の素性を知る為に質問を重ねたが、名前以外に関しては何を聞いても「知らん!」だけで全く要領を得ない。
 不毛な会話の応酬に疲れてきた水分は溜息をつき、「ちょっと電話をかけてきますので」といって病室を出て行った。
 二人きりになってさあどうしようと繋が考えていると「そうだ、俺のフルート、フルートはどうした?」と奏は騒いだ。
「フルートってこれでしょ。預かっておいたわよ」と繋はバッグからフルートを取り出し、奏に差し出した。
 奏はフルートを受け取ると、繋の顔を真っ正面から見て口を開いた。
「ありがとうお嬢ちゃん!この天才を海岸で助けたのも君らしいじゃないか感謝してあげようじゃないか!」
 感謝してあげようじゃないか?どこまで偉そうなんだこの男は。しかも水分理緒はいきなり口説いたのに自分はお嬢ちゃんか。
「お嬢ちゃんじゃない、私の名前は音羽………繋」だんだん尻すぼみになっていく。やはりこの名前は好きにはなれない。
「ほう、なかなか良い名前じゃないか。繋ちゃん」

 良い名前。

 この男はそう言ったのだろうか。自分はこの名前を好きだったことはない。女っぽいとは言えないし、昔はよく『シゲル』などと言われてからかわれたものだった(繋と繋では字が違うのだが)。あまり良い思い出もない。
「かわかわないでよ、良い名前だなんて」繋には奏の発言は自分のおかしな名前をからかったようにしか思えなかった。
「なんだ、自分の名前が気に喰わないってわけか。じゃあ君はやっぱりお嬢ちゃんだな、お嬢ちゃんで十分」にやにやしながら奏は返した。
「ちょっとそれ、どーいう……」と繋がムキになったところで、理緒が扉を開けて戻ってきた。

「ちょっとよろしいでしょうか?」
「ああ、はい、どうぞ」釈然としないものを残しつつも繋は引き下がった。
「えーと、関係各所に相談したのですが、天地さんはもう退院してもいいようです。そこで、この後、お二方とも一度醒徒会室まで来ていただけないでしょうか?」
(何故自分まで…)と繋は思ったが、理緒の言った事は恐らく醒徒会としての決定だろう。一般生徒の繋が異議を申し立てたところで無駄だろうし、その気も起きなかった。何よりこの変な男を拾ってしまった自分は無関係ではない。
「はい、わかりました」素直に繋は答えた。
「なんだ、デートのお誘いか?行くとも行くとも、どこへでも行こうではないか!そのセイトカイシツとやらはさぞ素敵なところなんだろうな」言っている事は無茶苦茶だが奏も了承ということらしい。
「はあ、まあ誤解はともかくとして、お二人とも了承ということでよろしいですね?では、下にタクシーを呼んでいるので付いてきてください」と言うと病室を出た。
 繋も後を追って病室を出ようとした。奏は「お出かけお出かけ」などと楽しそうに口ずさんでいる。
 奏のあまりの能天気さに頭を抱えたくなってきた。醒徒会室では一体何が起こるのか皆目見当もつかない繋だったが、奏が想像しているだろう楽しい事は無い事は確かだと思った。


Part2に続きます


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最終更新:2009年10月04日 21:58
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