【時計仕掛けのメフィストフェレス 劇場版第二部「煉獄編」2】


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 ヘンシェル・アーリアは焦っていた。
 眼前の女生徒、菅誠司に自らの異能が通じない。
 自身の免疫機能を操作し、ウィルスを感染させる能力。
 それはとうに効果を発揮していい時間のはずなのに、だ。
「……っ」
 歯噛みする。
 理由はもうわかっている。だが、判っていようとどうにもならない。
 格闘能力そのものは、ヘンシェルの方が上だ。
 事実、誠司の攻撃は一度たりともヘンシェルを掠めてすらいない。
 だが、相手の武器は長物だ。間合いがうまくとれず、そして――問題なのは、その体捌き。
 常に風上へ、風上へとその位置をキープするように動いている。
 長い鉄棍によりヘンシェルの攻撃を裁くことで、直接触れる事を防いでいる。
 傍目には常にヘンシェルたちが優勢だが、接触感染も、空気感染も起こさせないその動きには瞠目するしかなかった。
(この人、実戦経験がすごい……っ!?)
 単純な戦力差を覆す、誠司の経験。ヘンシェルとて軍隊格闘術を叩き込まれており、その戦闘能力は遥かに高い。
 だが、彼女はずっとカテゴリーFとして前線よりはずされ、研究対象として隔離されてきた。
 双葉学園に来ても戦闘を禁止され、醒徒会に戦いを挑んだ事件とそれを契機とした奉仕活動という名の戦いにより、いくばくかの戦いは経験したが……ここに至って、その戦闘経験の差は如実に現れていた。
「……っ、皆槻さんと離されたのも痛い」
 フリージアが舌打ちする。
 空気を噴出させる彼女と協力すれば、ヘンシェルのウィルスを一気に空気感染させて趨勢を決する事も可能だった。
 だが先手を打たれ、こうして戦力を分断された。
(このままじゃ……っ)
 ヘンシェルは、戦うことが実はあまり好きなほうではない。
 醒徒会との戦いも、戦わねばならないと思ったから立ち上がったまでだ。
 自ら望んで人を傷つけたいとは思わない。そういう意味では、むしろこの異能は、時と場合によっては望ましいものなのかもしれない。
 病気は、人を弱らせる。だがその病状を操作できるなら――
 そう、ただ弱り動けなくなるだけだ。
 うまく扱えば、命を奪わずに弱体化できる。

 だが、眼前の相手にはそれが通用しない。接触を避け、常に風上に陣取り、この力を使わせないようにしている。
 そしてヘンシェルはそれゆえに躊躇する。
 この病気の力が通じないのであれば――力づくで排除するしかない。
 すなわち、軍隊格闘術による全力攻撃だ。
 旧ドイツによって仕込まれたそれは、軍隊格闘術の名のとおり、殺人術だ。
 それだけは使いたくない。ゆえに常々、攻撃の見切りの技としか彼女はその格闘術を用いていない。
 だが、このままではそうも言っていられない。
 そして相手が真に強者なら、どうしても手加減など出来なくて、最悪――
「……っ」
 その想像を、頭を振って振り払う。
 そうだ、弱気になるな。
 自分だけではその想像も現実になってしまうかもしれない。
 だけど――自分ひとりではない。分散されたとはいえ、それでもまだ……傍らには親友がいる。

 そう、一人じゃない。
 昔からの親友で相棒だ。
 いつも支えあってきた。
 だから――

「捕まえたっ!」
 身を挺して割り込んだフリージアが、両手で鉄棍を抱える。
「! しまっ――」
「これで――」
 そしてフリージアは異能を発現させる。
 それは、化学変化の操作。
 その現象のベクトルを任意に進ませる能力だ。
 そして――行ったのは、鉄の酸化の促進。簡単に言うと、鉄棍を錆びさせることである。
「とった――!」
 フリージアは勝利を確信する。
 全力でその化学変化を送り込む。だがそれだけではまだ駄目だ。
 このまま、一気に――全体重をかけ、倒れこむ。
 フリージアとて、ヘンシェルほどではないにしろ軍隊格闘術を嗜んでいる。
 それを活かし、関節技の要領で――誠司の棍を地面に叩きつける。
 鉄棍をヘシ折るほどの力も技量も彼女にはなく、彼女の異能だけでは一瞬で鉄棍を朽ちらせる事も出来ない。
 だが、そのふたつをあわせれば――

 厭な音が響く。

 そして、菅誠司の鉄棍は、真っ二つに折れた。

「っ!」

 ひとえに戦いを膠着させていたのは、武装のリーチだ。
 それが崩された今、戦況は互角に持ち直される。
 そして互角というのなら、それはすなわち、触れられるという事だ。
 触れさえすれば、あとは時間を稼ぐだけで勝利が確定する。
 それが、ヘンシェルの力だ。そして二人で勝ち取った、ヘンシェルとフリージアの勝利だ。


 だがその瞬間、伏兵が動いた。
 誠司の影から飛び出るように、市原が跳ぶ。
 そして――
「ブゥ――ッ!!」
 市原の口から噴出される、真紅の霧。
「っ!?」
 それがヘンシェルの顔面にかかる。強烈な刺激が目を灼いた。
「っ、ああっ!」
「いくら軍隊格闘技の達人でも――プロレス技は知らないっスよね!」
 そう、市原が行ったのは、プロレス、特に悪役がよく使う反則攻撃、毒霧――いわゆる目潰し攻撃だ。
 食紅とタマネギの混合液。それを口に含み、勢いよく噴出する。
 そうね確かにヘンシェルの軍隊格闘合気は、相手の攻撃を見切る。その見切りで、誠司の攻撃を回避し続けてきた。
 だが――目が見えなければ攻撃を見切ることも出来ない。
「っ、ふざけ――」
 フリージアが怒りの声を上げる。
 卑怯な、と。
「五秒以内なら卑怯もクソもねぇっス!」
 口に残った毒液を吐き捨てながら、市原が言う。
「それにこれは、実戦っスよ!」
 そう、戦いに卑怯も何も無い。
 それはフリージア達も知っていた。弁えているはずだった。
 だが、相手を正道で挑んでくるものだと判断してしまった、それがミスだった。
 そもそも、誠司たちは双葉学園レスキュー部。
 人助けのために無茶や規律破りを平気で行い、醒徒会や風紀委員たちに苦虫を噛み潰した顔で睨まれている厄介者たちであった。
 故に彼らの正道は邪道でもあり。
 簡単に言うならば……「あいつらとマトモに戦っちゃ駄目」な部類である。
 現に、自らの異能を以って真正面から挑み、逆にコテンパンにノされた異能者たちも双葉学園に多い。
 むしろ一部の生徒達には、洗礼とまで言われているほどである。
「これで……」
 誠司は、残された鉄棍の一部を拳に握りこむ。
 長物の打撃棍として使えずとも、握りこめばその鉄の塊は拳の威力を増加させる。
 そしてまた、市原も身体を屈め、そして跳躍する。
「このタッグマッチは――」
「私達の勝利だ!」
 誠司の拳と、市原のラリアットが、それぞれヘンシェルとフリージアに直撃し、彼女達の意識を刈り取った。








 廃墟の上の灰色の空を、鋼と鋼が激突する。
 両者は共に、異能の知識をもって造られた人外の鋼。

 ――永劫機(アイオーン)。人の造りし、時計仕掛けの天使/悪魔。

 その二つが、激しくぶつかり合う。
 だが、その二つには決定的な違いがあった。
 片方は、かつて造られ、廃棄された十二のうちのひとつ。オリジナルといえば聞こえはいいが、有体に言ってしまえば旧型。
 型落ち品である、と桜子は思う。
 対して、もう片方は――今の技術の粋を凝らして再現した最新型。
 与えられたその機体に、彼女がさらに改良と改造を加え完成させたものだ。再現出来なかった部分は、より新しく素晴らしい技術により書き換えられている。
 眼前の相手など、所詮は十年前に廃棄された失敗作。
 マリオンの魂と、桜子のヒエロノムスマシン――この二つを得て完成した最新型の永劫機に勝てる道理はない!

『はああああっ!!』
 永劫機アリオーンが加粒子砲を撃つ。
 だがそのことごとくを、永劫機アールマティは回避する。
「早い……っ!」
 永劫機アールマティは速度重視の機体。その敏捷性は特筆するものがあるし、それに何より……
 その能力は「時間加速」である。
 瞬間的の短時間であるが、時間を加速させて行動するその軌跡は、まさに神速。
 加粒子砲の攻撃など、アールマティにとっては回避するのは実に容易いということだ。
 狙いをつけ、撃つ。このアクションのタイムラグがアールマティ相手には致命的。かといって、無駄に連射したところで当たる事はない。
 そして接近したアールマティが刃を振るう。
 それを必死に防ぐアリオーン。
 鋼の腕で受け止め、あるいは受け流し、そして加粒子砲で牽制する。
 その銃撃を回避し、そしてまた宙を旋回して刃が襲う。
 それの繰り返しだ。
 だが、ただの繰り返しではない。確実にアリオーンの方が消耗の度合いは激しい。
 せめて一撃。
 一撃を当てさえすれば、アリオーンの出力はアールマティを圧倒するだろう。
 だが、当たらなければ意味が無いのだ。
 次々と放たれる光弾が地面を穿つ。
「のわぁあああああ!?」
 それを涙目になりながら、米良綾乃は走り回り回避し続ける。
 いくら自分を狙ってるわけではない流れ弾とはいえ、これはきつい。マリオンとの戦いどころではなかった。
「ぎゃー! ぎゃーぎゃーぎゃー!」


(どうすればいいんですの。考えなさい、パラダイム・桜子)
 耳に入るその絶叫を振り払いながら、必死に頭をめぐらせる桜子。
 敵の高速回避の前に加粒子砲の砲撃は当たらない。
 狙いをつけずにランダムにとにかく撃ち放ったところで、その悉くを避けられる。
 ならばどうする?
 精密射撃も駄目、絨毯爆撃すらその隙を縫われてしまう。
 なら考え方を変えるのだ。
 隙を縫われるなら、隙の無い攻撃を放てばいい。
 だがそんなことが出来るのか?
 いいや違う、出来るかどうかではなく、やるのだ。

「マリオン!」
 通信機から作戦を送る。
 マリオンへの負担はかなり大きい事になるだろう。だがそれでもやってのけると、桜子は信じている。
 あの身体は、マリオンの為に造り上げたもの。相性は抜群だ。
 だから勝てると、信用し信頼し信奉し信仰する。
 そして――マリオンはそれに答える。 

 永劫機アリオーンが静止する。
『覚悟を決めましたか』
 アールマティも続いて静止し、地面に降りる。
『ええ』
 アリオーンは静かに答える。
 そう、覚悟は決めた。
 前の戦いだってそうだった。認めよう、眼前の相手は強い。流石はオリジナルの十二体。
 そう易々と勝ちを譲ってくれるものではない、そう、前の戦いのように、身を切る覚悟が必要だ。
 だから。
 ここで決着をつける。
『あなたは強い。でも……』
『……!』
 そして、アールマティは気づいた。
 彼女達の目論見を。

「いかん、逃げろっ!」
 そう言いながら、鶴祁がアールマテイの元に走ってくる。
「鶴祁お姉さまっ!」
 爆撃から身をかわし続けていた綾乃もまた同じだ。
 それに桜子はいくばくかの違和感を覚える。
 ただ危機を察知しただけで、何を行おうとしているのかまでは理解できていないのか?
 これからやろうとしていることを察知できたのなら、近づいてくる事はないはずだ。自殺行為だ。
 仕方ない。修正が必要だ。爆心地を地面から空中に、緯度経度を修正。計算終了、作戦続行に支障なし。
 アリオーンは再び宙に浮く。アールマティを誘うように。
 そしてその意図に気づいたアールマティは、判断を迫られる。 
 彼女の決断もまた神速だった。同じく飛ぶ。
 空中のほうが、鶴祁たちを巻き込む心配も少なく、そして動きやすい。
 だが――桜子たちは、それすらも織り込み済みだ。
『でしょうね――ですが!』
 それでも、いやそれだからこそ。
 アールマティは挑む。真正面から。
 時を加速させる。
 早く、速く、もっと速く。
 敵の目論見が何で在れ、それすらも超越するほどに速く駆け抜けろ。

 永劫機アールマティの姿が加速される。
 だが、それは想定済みだ。
 アリオーンが砲身を向ける。
 そしてそれは、地上にいるマリオンも同じ。
 意識を集中し、魂を開放する。

『あなたがいくら時間を加速させても――』

 広範囲多重同時攻撃。
 マリオン・エーテと永劫機アリオーン、二人の「マリオン」がそれぞれ、魂を力に変える加粒子砲を放つ。
 それも、直線攻撃ではなく拡散、いや、爆発をくわえた力。
 自分達を分散させ、戦場を離した事で力を削いだつもりかもしれないが――ことこの場面に至っては、それは愚策だ。
 彼女は、おかげで周囲の仲間を巻き込む心配無く、広範囲を焼き尽くす事が出来る。
 そう、時間を加速させようと決して逃げられる、破壊の檻を。
 打ち出した光を爆発させる。地面に叩き込まれた不発弾もまた同じ。360度全方位。

『ここからは――逃れられない!』

 廃墟の一区画を、爆音と閃光が包み、白く塗り潰した。



 閃光が消え、爆煙が晴れる。
「……っ、信じられませんわ」
 想定では、永劫機アールマティは完全破壊・沈黙するはずだった。
 だが――
「健在、ですか」
 その姿は痛々しく、左半身は崩壊し、左腕と左足は完全に消失している。
 だが、未だその威容は宙に佇んでいた。
「ですが」
 それでも、戦闘続行不能なのは確実に見て取れる。
「私達の、勝利ですわ。おとなしく――」
『いいえ』
 桜子の勝利宣言に、しかしアールマティは答える。
『私達の、王手(チェックメイト)です』
「何――!?」
 瞠目する。そして、周囲を見回して気づく。
 米良綾乃の姿はあった。直撃を避けたものの爆風でかなりのダメージを負っている。
 だが、では鶴祁の姿は?
 いない。
 まさか、あの閃光の中に突撃した? 在り得ない。
 では、一体……
「どこに――」

 そして気づく。
 それこそ、在り得ない。在り得ないが――
 アリオーンの上体に鶴祁は捕まっていた。
「な――」
 いつの間に。

「よくやった、アールマティ」
『はい、お嬢様』

 大規模攻撃を誘い出す。そしてそれは成功し、永劫機アリオーンは全力の破壊をもたらした。
 その目もくらむ破壊の光。
 それに乗じて、綾乃が炎を使い上昇気流を生み出し、鶴祁ごとロケット噴射のように飛ぶ。
 そして鶴祁はさらに跳躍し、永劫機アリオーンへととりついたのだ。
「この機体は、判り易いな」
 鶴祁は言う。
「魂が宿る核たる本体は――此処、だな?」
 それは、マリオンの姿を模した彫像。
 永劫機アリオーンの上半身にせり出しているそれは、チューブやコードで全身に繋がっている。
 そして鶴祁は、そこに魂源力の流れを感じた。明確な感知能力や感応能力などではなく、ただの勘だ。だが戦場では己の勘が便りである。
 勘、そして洞察力、経験――それらはいわゆる“心眼”と呼ばれるものだ。
 武人の研ぎ澄まされたその感覚は戦場において勝敗を左右する。
 そして――鶴祁があの攻撃から逃れたのもまた、それによるものだ。

「馬鹿な……永劫機、特にオリジナルは――破壊されればそのダメージは契約者に直接フィードバックされるはずですわ!
 何故、平然と!」
 それが永劫機の弱点、いや呪いである。
 深くリンクすればするほどその結びつきは精神や肉体に影響を及ぼす。
 スピンドルと戦った永劫機メフィストフェレスのダメージを受け、祥吾の腕が捻り折られたのと同じように。
 たとえ物理的にその破壊がフィードバックされないとしても、痛みは直接契約者に叩きつけられる。
 半身が吹き飛ぶほどの破壊と痛み。常人なら確実に痛みで動けず、気絶しているはずだ。
「ああそうだな、痛いよ」
 鶴祁は静かに言う。
「死ぬほど痛いし、もはや動かない。だが――それだけだ。激痛、ただそれだけのことだ」
 右腕には刀を携える鶴祁。では、どうやって永劫機アリオーンに捕まっている?
 答えは簡単。
 脇差で、自らの左手を突き刺し、永劫機アリオーンに縫い付けていた。
「自分の腕を……!」
 その腕を支店にして鶴祁はバランスをとり、永劫機アリオーンの鋼に足を下ろす。
 バランスを崩すようなら、左足も縫い付けるつもりだったが、その心配は無いようだ。
 そして、剣を天に掲げる。

「君の敗因は、ただひとつ」

 静かに鶴祁は言う。

「私の、年の功だ」

 退魔の家に生まれ、物心ついた時から剣を振っていた。
 異能の力はなくとも、破邪の剣筋を鍛えればどうとでもなる――
 その年、実に十五年。
 血の滲む実戦めいた稽古に五年、師たる吾妻についての実戦に十年。
 いかにその絆の結びつきも、能力も強いとしても――彼女達(カテゴリーF)にはその年月は覆せない。
 彼女達は実戦を知らない。いや、正確には知っているものの、少なすぎる。
 そして鶴祁は実践を知りすぎていた。
 その差こそが――勝敗の分け目だった。
 腕一本を捨てる事で勝てるなら、喜んで捨てよう。
 半身が痛みに朽ちる程度で勝てるなら、喜んで受け入れよう。
 命を捨てるわけでもない。相打ちを狙う捨て身でもない。
 ただその先の、命を賭した先の勝利を掴むために――

 そして、剣が振るわれる。

 その裂帛の太刀筋は、永劫機マリオーンから、マリオンの魂の宿る彫像を……ヒエロノムスマシンを断ち斬った。









 一言で表現すれば。
 それはある意味、リンチだった。

 敬は異能の力を持たない。
 対して直には、亜空間ゲートによる空気の吸入・排出能力――「ワールドウィンド」がある。
 それを併用させることで、直の戦闘力は跳ね上がるのだ。
 跳躍や高速移動、攻撃速度の倍加に、空気圧そのものを叩き込む。
 それらと直の格闘センスが組み合わされば、それはまさに強力無比である。
「はっ……は、くっ……!」
 コンクリートに叩きつけられ、それでも敬は立ち上がる。
 全身の骨、筋が軋む。
 笑う膝に喝を入れ、無理やりに体を起し、拳を正眼に構える。痛みを押し殺して錬気の呼吸を息吹く。
 その姿を見て、しかし直は何も言わない。
 敬もまた、泣き言もなければ挑発も無い。
 言葉は無い。ただあるのは、拳のぶつかり合いのみだ。
(……流石に、厄介すぎる)
 敬は血を拭いながら、直を見据える。
 空気噴射による加速、および空中での方向転換、これが厄介すぎる。
 ただその異能を攻撃に乗せるだけならば、気合と根性で耐えてみせる。だが、それではどうにもならないのが、この動きだ。
 そもそも人間というものは、空を飛べない。
 空中での姿勢制御は難しく、ましてや自在に宙を駆け巡るなど、非常識にもほどがあるのだ。
 もっとも、この学園ではその非常識がまかりとおってしまうのもまた、常識の範疇ではあるのだが。
 故に、相手に対して泣き言を言うつもりは敬にはない。
 彼が泣き言を言うのは、狙った乳を揉めなかった時と、外道巫女に苛められたときと、あと……
 ……結構年中泣き言だらけな気がする。
 というか、敬は今もちょっと泣けてきた。
 だがそれは逆を言えば、まだ余裕がある。まだやれる。
 まだやれるということは、血路を開けるということだ。

 そしてそれを肌で感じられるからこそ、直は決して油断はしない。
 異能者でなくとも、素材と技術だけでここまでやれる相手が居る、という事実に彼女は歓喜する。
 獣のように歯を剥き出して獰猛に笑いたくなる、その衝動を押し殺す。
 しかし、惜しい。そう直は思う。
 もし、眼前の男が、異能者であれば。
 実に血湧き肉踊る戦いになっただろうに、と。
 だが無いものをねだったところで詮が無い。
 そんな贅沢は望まない。今はただ、目の前の戦いに集中し、没頭するのみだ。
 吼える。
 言葉なき声が喉を突いて出る。
 脚より噴出された風が、身体を突き動かす。

 それを迎える。
 敬に出来る戦法は、限られている。
 すなわち、カウンターだ。
 変幻自在の動きを捉えることが出来ないなら、迎撃して撃ち返すのみ。


「埒が、明かないな」
 敬は言う。
「このまま殴りあってても、無意味だ」
「降参の類の言葉では、なさそうだな」
「ああ。こいよ、大技で」
「……」
 それは挑発だ。
 指をくいくいと、かかってこいと敬は挑発している。
 それも、今までのとは違う、最大出力でかかって来い、と。

「いいだろう」


 まるで嵐のように、風が唸る。
 凝縮される大気。
 それが爆発した瞬間、まるで弾丸、いや砲弾のように彼女は解き放たれ、そして貫いてくるだろう。
 だが……だからこそだ。
 そうでもなければ意味が無い。それは直にとっても、そして……敬にとってもだ。

 武術に使われる気だけでなく、さらなる力、自分の身に眠る魂源力を発勁によって目覚めさせ、練り上げる。
 気功と魂源力の螺旋。
 それを用いれば、ただの一発ではあるが――皆槻直の一撃すら超えられるはずだ。
 そして失敗すれば、確実に自分は倒される。
 お互いにとってまさに一撃必殺、一倒必死。

 互いの脚が大地を踏み砕く。
 力が高まる。
 外気を唸らせ猛々しく震わせる皆槻直。
 内気を練り上げ静かに沈む拍手敬。
 ここに至って、両者は鏡のように対極であった。

 そして――

 大地が砕ける。
 直が爆ぜる。
 瓦礫を高く舞い上がらせ、台風のごとき砲弾と化し、直が――その名の通りに一直線に疾る。
 まさに暴風。
 立ちはだかる全てを薙ぎ倒し砕いて突き進む、破壊の風だ。掘削重機ですらこれほどの破壊力を出せるだろうか?

 そしてその暴虐の風に立ち向かう敬は、傍目から見ればさしずめ、嵐に翻弄される小船に過ぎないだろう。
 だが――小船とて、嵐を乗り切ることは出来る。出来るのだ。
 不屈の闘志と、体力と技巧。その心技体を一つに束ねて駆使すれば叶う。
 そして武術とは――それらを鍛え上げるもの。
 ならばこそ、この一撃に懸ける。

 破壊が迫る。
 敬は腰を低く落とし、息を吐く。
 そして、左手を――
 裂帛の気合と共に、撃ち放つ!


 ところで、先ほど直の攻撃に対して、敬を嵐の前の小船に例えた。
 それは決して、過小評価では無く、純然たる事実である。

 なぜならば――

 水面に浮かぶ木の葉は、波に浚われようとも、決して波に破壊される事は無い。

 そう。

 敬は、心静かに――その直の拳を、波に浚われる木の葉のように、
 紙一重で避わし――

「……くっ」

 直が笑う。

「お前に異能の力が無いものとばかり……思っていたが」
「異能じゃねぇ。武だ」
 敬は言う。

 その拳は、直の鳩尾に深く突き立っていた。

「……なる、ほどな」
 そう満足げに言い、皆槻直は倒れる。
「……あー、スマートじゃねぇなあ、かっこわり」
 拍手敬もまた、膝を突く。
 一撃は、高くつきすぎた。全身全霊をまさに使い尽くした。
 そして、敬もまた倒れた。
「ナオっ!」
 宮子が直に駆け寄る。
 ……しかし、敬にも巨乳、もとい二礼が駆け寄って……
 ……。
 …………。
 ………………こなかった。
「……」
 なんとか首を動かす。
 神楽二礼の姿は、春奈先生たちの所にあった。
 というか、こちらを見てすらいねぇ。
 信用されてるんだよな? だからだよな?

 拍手敬は、ちょっと、泣いた。
 それは、全てを懸けて戦い死力を尽くした者のみが流す事を許される、熱き男の涙であった。






 A.D.2019.7.10 19:35 東京都 双葉学園 風紀委員特別棟・モニタールーム



 その戦いの一部始終を、モニターで監視する男が居た。
「邪魔が入ると思ってはいたが、中々やるじゃないか」
 年には不相応な深い皺の刻まれた眉間をもみながら、男は言う。
「さて、困ったな。これでは彼は奪われてしまう。どうすればいいのだろうな、私たちは」
 笑顔を浮かべながら、男は後ろを振り返る。
 そこには、風紀委員の腕章をつけた、眼鏡の少女の姿がある。
「君たちが出撃するかね?」
「でしょうね」
 動じずに少女、文乃は言う。
「ふむ。君なら、君たちなら勝てると?」
「力で抑える必要はありませんよ。野蛮ですよ、そういうのは」
「ほう」
「こちらには、切り札があります。
 彼らの戦意を刈り取る切り札が。そう、彼らが戦う理由の、その正当性を覆せばいいですから」
「そうだな」
 男は言う。
「では、任せた。」
「はい、時逆零次理事」


ツールボックス

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