【時計仕掛けのメフィストフェレス 劇場版第二部「煉獄編」4】


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「ふむ。まあこれはこれで、彼女にとっても幸せな結末かもしれぬな。
 自分自身の力が世界を滅ぼす前に、逝けたのだから。
 さて、となると――世界を滅ぼす永劫機は、誰になるのだろうか。
 コーラルが妥当な線かな、今最もお前に近しい永劫機は彼女だ」
 さしたる感慨もなく、うたうように零時は考える。
 次はどのような世界の悪意が脚本を動かすのか、と思案する。
 その零次の眼前で、祥吾はただ呆然と膝を突く。
 残されたのは、ぼろぼろに錆びた黄金懐中時計。
 錆びるはずの無い黄金が錆びる。その事象が示すことはひとつ――もはや彼女は、此処には居ない。
 死んだのだ。
 祥吾を守るために――
 衝動に任せて無様に突き動いた、この愚か者を守るために。
「あ……あ……」
 祥吾の指が懐中時計に触れる。
 その針は、もはや動いていない。

「頭は冷えたか? そう、本当に間が悪いものだ。 
 こうして次々と近しい者達が消えていく。だがこれはまだ始まったばかりだ。
 この苦痛と絶望と慟哭、せめて味あわせぬようにお前を殺すのもまた慈悲ではあるが――
 それではお前を守り消えた彼女に対してあまりにも不実だな」
 零次は少し思案し、笑う。
「時坂さんっ……!」
 我に返り、神無が飛び出そうとする。
「まだ、まだです! その人が消えたという時間を、私が消せば――」
 だが、次の瞬間――


「零次様。何かが来ます」
 ベアトリーチェが神無を押さえながら告げる。
 彼女の目は、次元を超えてここに飛来する者の存在を察知していた。
 そして、空間が裂ける。

「ほう」
 そこから現れたのは、魔獣。
 いや――正しくは、魔獣を象った人型の――騎士だった。
 空間の裂け目を飛び越え、着地する、蒼き鎧騎士。
 それは、剣を振り上げて零次へと走る。
 三人の部隊長が構えるが、零次はそれを軽く制する。
「よい。相手になる」
「はっ」
 部隊長は下がる。
 そして、騎士の――ナイトの剣が零次に振り下ろされる。零次はそれを、片手でかるく受け止めた。
「久しいな、闇黒銃士!」
「――ほう、これは懐かしい名だ」
 零次は苦笑する。
 それを名乗ったのは、何時だったか――まさかその銘を知っているものがいようとは。少しだけ驚く。
 そして驚いたのはナイトもまた同じだった。
 あの永劫図書館(いせかい)で戦った悪夢(グリム・レア)の本体が、世界を滅ぼすためにこのような変貌を遂げていたなどと。
 恐るべし、トキサカ・ショーゴ。あの時、必ず現実世界で説教すると誓ったのは正しかった。
 問題は、もはや説教では済まぬレベルになっているということだ。
「世界を滅ぼすだと、そんな事――この俺が!」
「させぬと申すか。ならばとめてみるがよかろう、蒼き騎士(ブラエ・リッター)よ」
「言われずとも! というかその呼び方は何だっ!」
「余興だ」
 言い、零次は腕を払う。その一振りでナイトは振り飛ばされるものの、空中でバランスを取り、着地する。
「っ、あの時より強くなってるな……さすがは、本物か」
 そして、足元に蹲る少年に声をかける。
「おい、誰だか知らないがここはヤバイ、速く逃げろ!」
 だが、少年はその声に応えない。忘我のままに、ただ虚ろな目で地面に落ちている時計を見ている。
「ちっ――」
 舌打ちし、ナイトは再び走る。
 そして零時は、それを迎撃する。
「ならば戯れるか。たしかこうだったか?
 術式展開(セット)。爆裂貫通術式封入(ガンスペル・リロード)」
 黒鋼の輝きへと変色した懐中時計が展開し、獣の意匠を凝らされた銃へと変わる。
 銃身に装填されるのは、輝く砂を内蔵された砂時計。
「―――疾るがよい、『刺し穿ち砕く鋼鉄の徹甲弾(ゲイボルク・バレット)』」
 そして引かれる引き金、落とされる撃鉄。
 莫大な魂源力の塊が解き放たれる。
「っ! まずい……っ!」
 直撃は不味い。そう直感したナイトは、剣を振り、空間に裂け目を作る。
 光は、その裂け目の中に吸い込まれるように消えていった。
「ほう、そう防ぐか。それは巧手だったと褒めておこう。避わすか、それとも……ふふふ、受け止め防ぐは悪手だからな。
 そうあろう、羊殺しの地獄の魔犬(エセルドレーダ)よ」
「っ、名前の引用が無茶苦茶だな……!」
「そのくらいの座興は許せ。それに彼女の銘は、私ではなく彼女を創った者たちに対して言って欲しいな?」
「ああ、そうするよっ……!」
 言い、ナイトは再び空間を斬る。そして、その中に飛び込んだ。
「零次様、敵は――」
「よい」
 ベアトリーチェの進言を制する。
 なるほど、確かに彼女ならばナイトが何処にいようと、その目で特定できるだろう。
 だが――
「ならば、次はこれか」
 零次の持つ銃が懐中時計へと戻り、そして色を変える。
 その色は、真鍮。
 そして展開され武器に変わる、その形は長杖。
「そこ、だな」
 足を半歩動かし、体の向きを変える。
 ただそれだけで、空間を切り裂いて現れたナイトの動きを易々と避ける。
「な――!?」
「天螺万象全て見通す真理の眼(レフトアイ=ヴィジョン・オブ・トゥルース)……とでも言おうか?』」
 そして無造作に杖を振るう。
 その一撃はナイトの胴を薙ぎ、壁にたたきつけた。
「がっ――!」
 衝撃に咽るナイトを見下ろし、零次は笑う。
「全てを識る魔(アルヴィース)の瞳も中々に便利なものだ。
 さて、次はどれを見せればよいかな?」
「てめ……なんつー、出鱈目を……っ」
 異能者の力は、原則として一人にひとつだ。
 だがこの男は、いつたい幾つの力を持っているというのか……
「そうでもない。私の力は、永劫機との契約を可能にするというただそれだけに過ぎない。
 だが……私自身が溜め込んだこの膨大な魂源力を持ってすれば、幾多もの永劫機の力を支配し取り込める。
 ただそれだけのシンプルにして無能な男だよ、私は。ああ、世界の一つも救えない、ただの無能者だ。
 故に壊すのだ、この狂い歪んだ世界を」
「てめえ……わけかわらないんだよ、中二全開させてウタってんじゃねえっ!!」
 立ち上がるナイト。
「ふむ……中々に不屈だな。それに頑丈だ。
 加えて、大技では先ほどの次元跳躍によって回避されてしまう……成るほど中々に強敵だ。
 仕方ない、ここは……君の出番と行こうか、神無」
「え……!?」
 その不意を疲れた言葉に、神無は目を見張る。
「協力の意思は……聞かずとも知れた事か。だがよい、協力するか否かの説得はゆっくりとする事にしよう。
 今はただ利用させてもらおうではないか、かの騎士殿を打ち滅ぼすにはそれで十分だ」
「お前、何を……」

「覚醒(めざめ)よ、堕ちたる太陽にして深淵の王(アバドンロード)」

 その零次の言葉と共に、神無の体がはじけるように弓なりに仰け反る。

「あ……あっ……! ああああああああっ!」
 声を上げる神無。

「君は私と契約を交わしては居ない。だが……私の持つ永劫機の力と共鳴させ、無理やり覚醒させ……
 そして、我が魂源力(ちから)を流し込み、無理やり動かす事は出来る。
 無粋を許せ、力づくで犯す事など流儀に合わぬが……うらむならば、無理やり押し入った闖入者を憎むが良い」


  ――この地上に二人の暴君在り。

    汝が名は、偶然と時間なり。



 零次の口から言葉が紡がれる。
 それは呪文。それは聖約。それは禁忌。
 そう、彼女自身に封印された時計仕掛けの悪魔の機構を開放するキーワード。


「あああああああああああああああああああああああっ!!」
 絶叫する。
 それらは渦を巻き、螺旋を描きて輪と重なる。
 それはまるで、二重螺旋の魔法陣。
 そこに集まる大質量の魂源力は、やがて織り上げられ――
 そして神無の全身が黒く染まり、瞬間――

 力が、爆現する。
 全長4メートルの巨体。
 チクタクチクタクと刻まれる漆黒の闇の巨躯。
 各部から露出した銀色のフレームが規則正しく鼓動を刻む。
 群れとなり作物を喰らい尽くす、死の蝗を連想させるシルエットは禍々しく。
 ギチギチ、とその牙が餓えを訴える。
 食わせろ、と。ただただ飢餓を振りまき、周囲の者に根源的恐怖を撒き散らす。
 それは捕食者。全てを喰らう暗黒の深淵。

 これこそが、その危険性により計画凍結・破棄された、
 時計仕掛(クロックワーク)か(デ)け(ィ)の(ア)悪魔(ボロス)――

「永劫機(アイオーン)……アバドンロード。曰く、堕ちたる太陽にして深淵の王だ」

 そして、零次が視線でナイトを指す。
「喰らえ、深淵の巫女。その飢餓、かの騎士殿で潤すが良い」

「ヴォァアアアアアアアアアアアア!!」

 アバドンロードが絶叫する。
 そして、口を大きく開き――その口腔から、幾つもの弾丸が飛び出した。
「っ!」
 ナイトは咄嗟にそれを剣で弾く。
 だが――
「! これは……!」
 それは弾丸ではなかった。
 蝗。
 小さな、機械仕掛けの蝗だ。
 それが、剣にかじりついている。
 いや、剣だけではない――ナイトの鎧、その全身を喰らっている。
 これは物理的な捕食ではない。
 その部位が「存在している」という時間そのものを喰らう。故に、いかに頑強な鎧といえでも防ぐ手立ては無い。
「は、ははははは、どうした蒼き騎士(ブラエ・リッター)。このままでは貴公は骨も残らず喰らい尽くされるぞ?」
「くっ……!」
 振り払おうとするナイト。だがその蟲どもに気をとられた瞬間――
「がああっ!」
 アバドンロードの巨腕がナイトを直撃し、壁に叩きつける。

「――終わりか。存外とあっけない幕切れだったな」
「き……さまあっ! トキサカショーゴぉおっ……!」
 その咆哮を涼しげに受け流し、零次は親しげに挨拶を交わす。

「去らばだ、蒼き騎士(ブラエ・リッター)よ。貴公の敵意、中々に美味で在った。
 次の時間軸でまた合い間見えようではないか――と言いたいが、生憎と私は今回ですべてを終わらせるつもりなのでな。
 次など無い。
 故に私はこう言おう。去らばだ、永遠に(アウフヴィーダーゼン・エイヴィヒカイト)」

「うあああああああああああああっ!!」

 顎門が落とされる。
 この瞬間、【ワンオフ】No.189、ナイトは――消滅した。




「さて、妙な邪魔が入ってしまったが」
 零次は何事もなかったように、祥吾に語りかける。
「私の目的は、彼女を手に入れることだ。そしてこれで最後のピースが揃う。
 先ほど伝えたように、世界を……この二十年を消去し、そして新しい時間軸を生み出す。
 そう、全ての元凶は、二十年前の事件。
 それより、この世界には異能者やラルヴァが現れるようになった。
 それがそもそもの間違いなのだ……」

 異能者や怪物がいるから、だから悲劇が起きる。
 悲劇の連鎖が、やがて世界を滅びへと導く。
 だから、その元凶をなかったことにする――
 それが、時逆零次の結論だ。

「この世界が救済されれば、正しき歴史が訪れるなら――時坂祥吾の罪も消える。お前も私が救おう。
 そう、吾妻修三の絶望と暴走も訪れず、故に一観が犠牲になる事は無く、よってお前が彼を殺すという事実すらなかった事になる。
 そう。そんな悲劇は訪れなくなるのだ、故に時坂祥吾のあらゆる罪は無くなる。
 世界さえ――覆されれば。この二十年を消去し、新しい時間軸が生み出されれば」

 ウェルギリウス無言でが手をかざす。
 淡い魂源力の光が、祥吾を包む。
「喜ぶがいい。我がD.A.N.T.E.は君を追放する。君を捕えることは永劫に無いだろう」
 空間が歪む。
 ゆっくりと、祥吾の存在がこの場から拒否され、弾き出されて行く。

「仲間の元に返そうではないか。再会に打ち震えるがいい。
 もっとも――彼らが君を受け入れればの話だが?」

 零次は笑う。
 彼らが祥吾を受け入れる事は無いと確信する。
 そして祥吾は絶望し、それを覆すために――零次に協力するだろう。 
 それは当然の帰結だ。
 時逆零次は、時坂祥吾そのものなのだから、理解できる。
 絶望を受け入れられず、現実を認められない弱者。偶然手に入れた力を振り回し、自分の望む箱庭(セカイ)を構築する幼稚性。
 それが――時坂祥吾(じぶん)の本質だ。
 それが世間的に、双葉学園の人間から見て英雄的に見えたのは、単純に、祥吾が寂しがり屋だからに過ぎない。
 仲間が欲しい。友達が欲しい。一人は寂しい。
 そして彼らのためならば怪物と戦い、命さえ賭す。
 自分ひとりの孤独に耐えられないから。
 そして、そのような英雄的行動、自己犠牲を行う自分自身が素晴らしいと思うから――
 ただそれだけの、子供に過ぎないのだ。
 都合のいい、居心地のいい、仲間との輪。彼が守りたい、世界――

 それを奪う。

 全ての希望を奪い取る。そして残された現実と絶望。
 ならば祥吾(じぶん)はどうするだろうか? 決まっている。
 それを否定するために、覆すために……正しき時代を、世界を選択する。
 すなわち、零次と同じ――世界の修正(やりなおし)だ。
 弱く罪も無い子供が、怪物に殺されぬ世界。
 強すぎる望まぬ力によって自壊する子供のいない世界。
 異能によって人と人が殺しあわぬ世界。
 そんな――誰にもやさしい世界を望むだろう。たとえそれが、祥吾の自己愛から来るものだとしても、零次は構わない。
 大事なのは結果だ。この忌まわしき今が消去され、新しい世界を人々は歩むという、その幸せな結果こそが望む全てだ。
 世界に救済を。天に星を、地に花を、人には愛を。そして我には絶望を。
 それでいい。自分だけは何をしても救われぬ罪人。
 ならばせめて世界を救おう。

「見てていてください、先生。見てていてくれ、一観。
 私は――今度こそ、世界を救う」

 この狂った世界を破壊して。
 先生、先輩、仲間達、友人達、妹、そして――我が伴侶たる相棒(メフィストフェレス)よ。
 貴方達にプレゼントしよう。貴方達が死ぬことの無い、新たなる時間を。
 幸せな世界を。
 そこに私はいないけれど。
 それでも貴方達が、そこで幸せに暮らせるならば――私に悔いなどあろうはずがない。

「世界を破壊して」

 この忌むべき闇黒の世紀を葬り去り――

「新たな世界を創造するのだ」

 全ての愛すべきものに――祝福を。






 A.D.2019.7.10 20:00 東京都 双葉学園 商店街 中華料理屋 大車輪


 打ち上げ会場の予定だった中華料理屋には、確かに人が集っていた。
 だがその雰囲気は、お世辞にも和やかだとか、明るいものだとは言えなかった。
「……食わねぇと、体に悪いぞ。ボロボロだったんだし」
 店長が料理をテーブルに運ぶものの、誰も手をつけようとはしない。
「……」
 店長はため息ひとつつき、奥に引っ込む。
 何があったかは知らないが、こういうときは下手な慰めは無用だ。

「……くそっ!」
 和孝が机を叩く。
 だがそれを咎めるものもいない。
 これで何人目、何度目の愚痴だろうか、数える気力ももはやない。
 彼らの胸を暗鬱としたものが覆う。




 その時、異変が起こる。
「!? な、なんだ……っ!?」
 店内の中心で、空間が歪む。
 そしてそこから、にじみ出るように現れたのは――

「っ、お前……っ!」

 ボロボロの、祥吾の姿だった。
「っ……がっ!」
 テーブルを薙ぎ倒し、転がり倒れる祥吾。
「っ、ここ、は……っ」
 咳き込み、目を開ける。
 ……見覚えがある、店。
 中華料理屋、大車輪だ。
 そして、見上げると……そこには見知った顔がある。
 すごく懐かしい気がする。
 だが周囲の皆は目をあわさない。
 誰も彼も、目をあわさない。あわせられない。

 ああ、そうか。
 祥吾は思い出す。約束を。みんなで揃って、打ち上げと歓迎会をしよう――
 だがそれは、もう過去の彼方。
 それは叶わない。

 それを、彼らの視線から察する。
 知っている。これは……かつて祥吾を見ていた視線と同じ。
 排除するものの視線。
 忌避するものの視線。

 そして、思い当たるものはひとつ。
 視線を合わそうとしない、つらそうな鶴祁と春奈の表情から導き出されるのは一つ――



 ああ、バレたんだな、俺の罪が。



 なら仕方ない。仕方ない事だ。 
 時坂祥吾は、人殺しだ。
 そして祥吾は弁解しない。自分の罪を誰よりも知っているから。
 許されることは無かった。償う術も無かった。
 そして、もはや罰するものも居ない以上――
 その咎は、何処へと行けばいいのだろう。
 答えは無い。
 答えるものも無い。
 そしてその罪は繰り返され、やがて世界を滅ぼす事になるだろう。


 祥吾は知らない。
 彼らが、決死の覚悟で祥吾を救おうと戦った事を。

 彼らは知らない。
 祥吾が突きつけられた過酷な真実を。

 知らぬが故に――お互いにかける言葉もなく。
 ただ咎人は一人、その場から立ち去る。

 起き上がり、ただ無言で、店を出て行く。
 扉がぴしゃり、と閉まる。
 その音は――残酷な断絶を示しているようで。


 ……畜生。

 そう、誰かが小さく呟いた。





 A.D.2019.7.10 20:30 東京都 双葉学園 貧民街



 頬に雫が当たる。
 ぽつ、ぽつと当たっていく。
 雨だ。雨が降ってきた。
 それは激しさを増し、祥吾の身体を打つ。

 貧民街(スラム)の荒れたアスファルトを、祥吾はただあてどなく歩く。
 家にはもう、帰れない。
 あの陽だまりには、もう戻れない。
 ではどこへ行けばいい?
 答えなどあるはずもないし、考えることすらおっくうだ。
 このまま消えてしまいたい。
 だが、死んでしまえば、代わりに妹が世界を滅ぼすかもしれない。
 そう決まっているのだから――回避する手段などない。
 無様な姿。
 生きる事も諦め、死ぬ勇気も無い。
 笑え。
 そう、ようやく願いが叶ったんだ。
 時間が止まってしまえばいい。今の俺はまさにそういうモノだ。
 何でもない、ただ無様に動くだけの――

 ばちゃり、と水が跳ねる。
 気がつけば、祥吾は倒れていた。
 足が動かない。苦痛と疲労で、もはや体が動かない。

 ……でも、もはやそれすらもどうでもいい。
 自分から死ぬ気はないが、このまま死んでしまうのならそれでもいい。
 どうせ、世界は滅びるんだ。
 なら、もうどうだっていい。
 諦めよう。
 何もかもを。

 どうせ。
 自分が生きている事そのものが、罪であり、間違いなのだから――――







「ん?」
 男は気づく。
 なんかでかいゴミが落ちている。
「まったく、スラムとはいえ生ゴミをこうも路上に捨てるとは、衛生管理がなっとらんな」
 男は愚痴りながら、そのゴミをゴミ捨て場に移動させようと近づき――
「蛇蝎さん、これゴミじゃないです。ゴミみたいな人間です」
「なんだ、ゴミ人間か。……と、前に見た顔だな」
 アスファルトに倒れ付す祥吾を見下ろす、長身痩躯。
「蛇蝎さん、どうしましょう、彼」
 工克巳は蛇蝎に聞く。蛇蝎は少し思案し、
「ゴミはゴミ捨て場、だ。だが生憎と周囲にゴミ捨て場はないな。
 仕方ない、アジトのゴミ箱に捨てるために回収だ」
「わかりました」
「連れて行け」
 あごでしゃくり、命令する。
「はい」
 それに従い、克巳は祥吾を抱えあげる。
 雨で完全に冷え切っている。このまま放置していたら、命に関わっていたかも知れない。
 しかし……
「風紀委員どもが騒がしいと思ったが、成るほど」
 蛇蝎兇次郎は笑う。
 敵である風紀委員と醒徒会の動向はなるべく把握するようにしている。
 情報収集にはちょうどいい。
 そして蛇蝎のその演算の異能による未来予測は、蛇蝎にとある不安を与えていた。
 漠然としたものだが、それでも――この学園に迫る危機を。
 何が起きているのかは知らんが――
「厭な予感がするからな。ふん、だが厭な予感など、覆せばよいだけだ」
 蛇蝎は常に絶対的自信を失わない。少なくとも、そうあろうとしている。
 人の上に立つ者として当然の心構えだ。
 だから、この先何が起ころうと――覆して見せよう。
 胸中に芽生えた不安を、圧倒的自信であっさりと塗り潰し、蛇蝎は克己の後を追う。
 両腕に買い物籠を抱えて。






 A.D.2019.7.10 ??:?? ????


 ここはどこだろう。
 彼はそう自問自答する。
 自分は、確か――
 そうだ、あの闇黒、トキサカショーゴと戦い――
 そして、返り討ちにあった。
 だが何故だ。
 敗北し、存在すら消滅させられたはずなのに、何故――?

『それは、ここが現実ではないからです』

 ではやはり、俺は死んだのか。

『いいえ』

 返答が返る。その声は優しい。
 貴方は死なないし消えない。
 私が貴方を覚えている。彼らが貴方を覚えている。
 貴方の時間が消されても、私たちは覚えているこの時間は消えないから。
 だから、貴方は消えはしない。

 頬に小さな、濡れた感触が生まれる。
 ああ、これは……
 グリムイーター。あの仔か。
 小さい動物が、一生懸命頬を舐めている。
 くすぐったい。だが、不快ではない。


『だから、貴方は消えない。消させない。
 ――でも、元に戻るまで、今しばしの時間が必要ですが』

 それでは、間に合わない。
 あの男は、この世界を――全てを滅ぼそうと……

『大丈夫。間に合います、間に合わせます。
 ですから、今は――今はただ、ゆっくりと休んでください』

 そして、彼の意識は静かに眠りに落ちる。
 今はただ、ゆっくりと。


 来るべき戦いに備えて――



 そして、ただの少女は語りかける。
 世界に。
 世界よ。
 どうか、結論を急がないで欲しい。
 たとえ、どれだけこの今が間違っているとしても。
 それでも――
 それだとしても――――







 A.D.2019.7.10 ??:?? ????


 ――それが、世界の真実さ。

 その影は、彼に向かって語りかける。

 その事実を突きつけられた少年は、苦悩する。
 本当にそれでいいのか、と。
 それが真実なら――何も出来ないのではないか。何もかも無駄で、あるがままであるしかない。起きた事は変わらないと、そういう話ではないのか?

 ――いいや、違うよ。それは真実の一局面に過ぎない。
 そう、彼にとってはすでに起きたしまった、変えようの無い現実だろうね。
 だから世界を滅ぼす事を選択したし、そしてあの彼もまた、世界を滅ぼす事を選択するかもしれない。
 だけど。
 僕たちにとっては、まだ起きていない未知に過ぎない。
 立ち位置の問題さ。ただそれだけのことだよ。

 それじゃあ、未来は変えられるのかな?

 ――さあね。それこそ、やってみないとわからない。
 でも、やる価値はあると思うよ?
 そう、そしてそれはいつもやっていることさ。
 だからこそ、此処に僕がいる。
 そうだろう、飛鳥?

 ……ああ、そうなのかもしれない。

 ――そう、世界の敵が此処に生まれてしまった。
 なら僕は、僕たちはそれを殺さなければならない。



 そして、藤森飛鳥は目を覚ます。


「さあ――世界の敵を殺しに行こう」



 第三部【天国篇(パライソ)】へ
 続く




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