【mono-i target 前編】


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 新緑を経て久しく、だが晩夏にはまだ遠い夏の日。
 さざめく風の葉鳴り散らす万緑の下、静かに対峙する二つの影があった。
「頼みがあるんだ」
 一つは大柄な少年。その体躯に似つかわしい、低い声を響かせる。
「俺にチョコをくれないか?」
 なにか胡乱だが、真摯さを帯びているその要望。
 それに応じるもう一つの影は、彼とは対照的に小柄で華奢な身形と、そして可憐な
声音を持っていた。
「前にも言ったろ。断るって」
「何故だ? やっぱり俺のことが嫌いなのか」
「そういう問題じゃない」
「他に好きな人でもいるのか?」
「そういう問題でもない」
「……そうか、夏だからか? チョコが融けるからか?」
「その発想はなかったわ……」
「じゃあ、なぜなんだ?」
 冷静な拒絶は想いをささくれさせ、少年の眉根が苛立たしげに寄る。
「俺はどうしてもチョコが欲しいんだ。それが貰えないと、いつまで経っても
 変わらない。俺は前に進めない。だから、頼む」
 言葉は懇願だが、その実込められた意志は強い。
 引く気はない――睨むような視線で伝えられるそれを、だが小柄な影は顎を傾げて
すげなく払いやってしまった。
 チョコの代わりに与えられるのは睥睨、そして告げられる最後の一言。
「しつっこいなー毎回毎回。ゲイかお前は」


「まーたやっとるんかいなアンタら。毎度ようもまあ飽きひんで」
 横合いからの不意打ち。
 視界の隅の呆れ顔に、オレは精一杯の嫌気を浮かべてみせる。
空窪阿酉(そらくぼ・あとり)のその言は、極めて看過し難い内容を含んでいた。
「"ら"って何だ"ら"って。一緒くたにすんなよ」
「何や。チョコをやるのやらへんのと、ちちくりあっとるん違うんか?」
「このロケーションを見て中睦まじいと思えるならお前の女子性は腐敗してる」
「男に穴増やす趣味なぞないわ、アホ。ロケーション言うならそれこそTPOを
 弁えろいう話やないの」
 めいっぱい鼻を鳴らし、彼女は胸を抱えるように肘を抱いた。
 阿酉はオレのクラスメイトだ。せっかくの大きな瞳を台無しにする三白眼、
それに更に怜悧さを加えるメタル枠の眼鏡。無造作に襟首で結んだ、針のような
艶を持つ髪。そして生国に発する独特の喋り方。
 これらの醸す辛辣さが、そのまま制服を着て歩いているような女子生徒である。
柔らかいのは体重の何割かを占めるであろう胸だけだ。
「だからよ、そりゃ向こうに言ってくれって」
 視線を戻す先、それを追った阿酉の焦点もオレが見るものへと重なる。
「凝りんやっちゃなァ、ヒロの字」
 もう一人のクラスメイト。
 すぐ側で膝をついて項垂れている、こちらも制服姿の男子だ。均整のとれた長身に
錆びたカミソリのような鈍い鋭さの目、そしてボサボサの髪をなでつけた頭。印象の
攻撃性は阿酉に負けず劣らずの威力なのだが。
 鷹見弘明(たかみ・ひろあき)。こちらはむしろ外見と内面が逆平行しているタイプの
人間で、よもやその摩擦のせいか稀に発想のネジが飛ぶ。
 弘明はすっくと立ち上がると、溜息混じりに語りだした。
「……通過儀礼みたいなものだ。男なら誰しもその登竜門を持つ」
「オレも男だ。矛先がおかしい」
「ほんに。物狂いが過ぎて性の別も捨てたか思とったわ。ひなたん貞操の危機かと」
「ひなたんとか言うなケツ胸女! そんな心配ねぇって言ってるだろ!!」
「だァれがケツ胸やハゲ! この美巨乳の価値もわからんガキがようホザくわ!」
「いや、日向(ひゅうが)の言うとおりだ阿酉。俺も同性に純潔を捧げるつもりはない」
『掘られる方で想定すんな!!』
 ステレオで叩き付けた怒声に弘明はまんじりと目を丸くした。
「アンタもアンタやヒナタ。ええ加減やめたらどうなんそのカッコ。
 今日び非生産的恋愛は筋骨逞しい発展家ばかりとは限らへん。
 そのナリで誘い受け言われたらもはや否定でけん時代やで」
 誰が好んでそんなウケ取るか馬鹿野郎。
 とはいえオレが反論の余地を持たないのも事実だ。容姿の無難さが何で決まるにせよ、
少なくとも自分のそれが二人より逸脱していることは確かだった。
 低い身長。見当たらない筋肉。なで肩。それもそれでいずれ改善を考えてはいるが、
現状最も憂うのは顔。まっこと彫りや起伏といった造作に縁遠い、いわゆるこの童顔。
 溜息が出る。
 常々主張している男性観念もなにがしか作為的な見向きには焼け石に水だ。
「……だから、ヒナタじゃねえ。オレの名前はヒュウガだ」
 鷹見広明。空窪阿酉。そして、このオレ――国友日向(くにとも・ひゅうが)。
 双葉学園高等部一年の同級生三人。オレ達はいま対ラルヴァの戦闘演習として、
浅間山での訓練に参加していた。


 双葉学園。
 世紀末を境に急増し、人類の脅威としての存在感を増した敵性生物『ラルヴァ』。
 それに対抗するための未来の人材として、"異能"と呼ばれる特殊な能力を持つ生徒
が集められている教育機関の名前である。
 東京湾に建設された人工島に居を構え、学校施設としての体を成してはいるが、
実際のところ異能者の養成所というのが正しい。各生徒は訓練生であると同時に
戦闘員として認められ、日夜ラルヴァとの戦いにその学生生活を費やしている。


 でだ。
「今日中に済むのかこれ? どうよ?」
 訓練に参加、とは言うものの。実際に演習している学生本隊は離れた山肌におり、
こちらは麓に程近い山林の中である。
 実のところオレ達はまるで無関係な用事で派遣されているのだが、ちょうど訓練時期と
重なった便宜上、学生隊に随伴という形で現地を訪れている。
「なー、先輩もまだ戻らないしよー。さっさと設営とか」
「大体そないに欲しいんやったらせめて半年後に言うたらええやんか。今八月やぞ?
 カカオも収穫期やいうのに」
「ておい、その話まだ続くのか……」
 荷を解きながら振り返った先で、阿酉はまだ弘明を詰問していた。
「その時になって言ったら本当にただの乞食だ。それは流石に沽券に関わる」
「おいひなたん。今コイツ沽券とか言うたか?」
「次ひなたんつったら尻ハタくぞお前。つーか弘明も頼むなら阿酉に頼めよ」
 あかんあかん、と間髪入れず阿酉は気だるく首を振る。
「アタシ、お菓子会社の戦略には釣られへん決めとるから。数年前から」
「あ? なんで」
「それはな……」
 不自然に傾げた首と、対照的に吊り上がる唇の端。その中で奥歯をギリギリと
噛み締め、細められた目からは剣呑な眼光が目尻を研ぐ。
「……殺意が失禁しそうになるねや。乳チョコ寄越せ言われた思い出が」
「あ……そうですか」
 刺々しさに空気だけでなく肌まで刺された気がして、オレは肩を竦めて弘明の方へと
退避した。
「ま、阿酉はともかく。弘明も……チョコなんざ、今貰ったってしょうがないだろ?」
「いや今じゃない。先の予約を取り付けたいんだ。俺は女にモテるタイプじゃないが
 せめて一度くらいはバレンタインで見栄を張りたい。だから……」
「だから?」
「突如現れた謎の少女が、チョコを渡して物も言わず去っていく……そんなイベントが
 あってもいいだろう」
 へ。
 解せない主張を、鬱憤を解いた阿酉が白眼視で捉まえる。
「……おまん、ダチに女装さす気かいな」
「ん? …………あ、オレ!? ダチってオレか!?」
「それもこれも社会が悪い」
 腰溜めに握り拳を構え、木々の隙間から覗く空を睨み上げて、弘明は嘆いた。
「男女の縁はいつ定期試験になったんだ。いかんのか女っ気がなくては。
 なんだ草食系男子って。平時を装いつつも誰もが間合いを測るあの二月の空気の中で、
 生暖かい評価を払拭するためにはもはや芝居でも打つしか方法が……」
 このアホはそんな事の為にここ数ヶ月オレにチョコを……。
 クッと呻いて再び膝をつく奴に、阿酉はそれこそ生暖かい半笑いを注ぐ。
「今時のオナゴが見とったらキモいじゃ済まへんよ。面白いからええけど」
「良くねェ」
「ええやんか、やってあげたら。問題なく似合うやろ自分」
「性の別はどおした」
「それも一つの友情と違うの? アンタがカマっぽいのも一助なんやろし」
「カマぁ!? テメー、オレがいつジェンダーフリー主張したよ!」
「だからナリ改めぇ言うとるやろが。髪は言い訳できん」
 尽く容赦のない指摘の前に、またしても口を噤むほかない。弘明に次いでがっくり
と膝を突いたオレの頬に、さらりと髪の毛が触れて流れた。
 オレは髪を伸ばしている。
 長さは肩先程度だが、そういうファッションと見られるかは微妙なところだ。
鬱陶しいクセ毛をそのリスクを孕んでまで伸ばすのには、勿論それなりの理由がある。
「お前……オレが好きでこんな髪型してると思ってんだろ」
「出会った時には既にそんな感じやったやんか」
「それ以前に試行錯誤があったんだっつーの! リーゼントにオールバックにスポーツ
 刈り、ほか色々試してみたんだよ! だけど……どれもこれも似合いやしねえ!!」
「落とし所を探る方向が誤っとるやろ……」
「メンズベリショにした時なんか『カミがカミ合ってない野球少女』呼ばわり!
 なんだよ野球少女て!? 少年ですらない! あとオレ冬季スポーツ派だから……!」
「何はしゃいでるんだお前ら?」
 激しいジレンマにのたうつオレをよそに、のんびりとした口調が脇の茂みを揺らす。
藪を潜ってのそりと現れたのは、弘明より更に背の高い男子生徒。襟章がオレ達より
一つ上の学年であることを示している。
「遠くまで騒ぎ声が聞こえ――……て、うわ」
 へたり込む後輩二人と、それを嘆息して眺める女子が一人。
 反骨心の高そうな顔に皺を寄せ、高等部二年の召屋正行(めしや・まさゆき)は
この珍妙な光景に頭を掻いた。
「ああ、お帰りなさいセンパイ――ホンマ男って面倒な生き物ですな」
「戻るなりなんだよ。一人行軍してきた目上に労いの一つも……あーあー、
 荷解きも終わってないし。何やってたんだよったく。はぁ」
「……なんか随分バテてません?」
「運動不足なんだ」
 連絡の行き帰りで疲れたか、汗で湿った髪をくしゃくしゃと梳く。上着をほどいて
風を取り込む姿で、先輩の腰に警棒のホルスターが吊ってあるのが見えた。
 弘明も阿酉も目ざとくそれに気付き、見るともなしにそれを盗み見ている。見せて
いるわけではないようだが、先輩の方も特に隠すつもりもないらしい。
 ――やっぱりそういう話か。
 陽射しは中天を過ぎてだいぶ傾いできている。間もなく空は朱を引いて、やがて
その帯を伝い宵が帳を降ろすだろう。
 仕事はそこからだった。


「本隊には断ってきた。通信機も借りてきたし、俺達は自由に動ける。で……」
 テント他、ベースの設置が終了した頃、召屋先輩が切り出した。
「……お前ら、どこまで聞いてる?」
 オレ達は顔を見合わせる。それぞれ事情は違うが、経緯としては共通していた。
 弘明がまず口を開く。
「赤点の補習に代わって、先輩に協力しろと。そう言われて来てますが」
「数学か?」
 再び互いに視線を重ね、次に喋るのはオレだ。
「数学? てかオレ、赤点ないっすよ期末考査。中間悪かったんでその平均で
 引っかかったかもしれませんけど。それも史学とか社会だし」
「そうなのか? 鷹見と空窪は?」
「俺は……恐らく、古典だと」
「アタシそもそも試験受けてはりませんよ。私事で欠席して追試するハズやったん
 ですけど、免除するからこっち行けて急に言われて」
「全員違う? ……いや、でも、そうか。根回しすれば関係ねえ……」
 苦み切った顔で、あのクソ教師、とかなんとか毒づく先輩。
 不思議そうな三人の注視を浴びながら、彼はこれ見よがしに深々と溜息をつき、
制服の内側から一通の封筒を取り出した。その中から三つ折の書類を一枚引き出す。
「簡潔に言う。俺達がここでやるのはラルヴァの調査と、可能なら駆除だ」
 オレは湧き出た長い吐息とともに、ゆっくりと理解が浸透していくのを感じた。
より深い確信と言い換えてもいいか。弘明も阿酉も目を細め、概ね似たような
納得の反応だ。
 逆に面食らったのは先輩のようで、妙な顔をしてオレ達を見渡していた。
「驚かないのか?」
「まあ、ここまで来たらある程度は予想の範疇っていうか。それにこれ――」
 足元のトランクケースを拾い上げ、先輩に向けてロックを開放する。
 現れたのはバンドで固定された一挺の銃器だ。直径五十ミリほどの筒を二本縦に
重ねた連装式、グリップは太く銃床との一体型。同封されている弾は、もちろん
拳銃弾やライフル弾とはサイズからして異なる、榴弾である。
 信号弾の代わりというアバウトな理由で携行が許された装備だが、余分すぎる
火力が想像させる用途はそう多くはない。
 得心顔で頷くと、先輩は封筒からもう一枚紙を取り出し、オレの顔と見比べた。
「その得物……国友の『異能』は……超科学系か。鷹見が身体強化、空窪が超能力。
それぞれ違うんだな」
「そのことなんだが、先輩」
「なんだ鷹見?」
「その調査というのは、異能者が四人も必要なのだろうか。というより、これは
 学外活動として許されるんですか?」
「いや……それは――」
 元締が誰か知らないが、ここまでの経緯から召屋先輩が学校側からの『下請け』で
あることは安易に想像がつく。弘明は暗にその点を問うているのだろう。
 先輩は固い物でも呑み込むような表情で、言い辛そうに言葉をひそめた。
「……これな。いつもは俺ともう一人、別の奴が一緒にやってることなんだよな。
 今そいつが不在で、その上で今回たまたまお前らが使い易い位置にいたんで、
 こういう編成になったんだろうが……」
「これって学内バイトとかやあらへんですよね?」
「違う。それどころか、やらねえとペナルティ食うんだ。これが」
「俺達もですか?」
「聞いてないなら多分対象外だろ。お前らにはそこまでしないと思う。単純に毎回
 めんどくせえのが湧いてくるから、一人じゃ荷が勝ち過ぎるってことだわな」
「強いってことですか? その調査対象」
 多分なあ、と前置きして、先輩は首を回した。
「そういうのもあるが、ホラ、なんだ。俺の異能ってな……あんまり戦闘向けじゃ
 ないんだよな。少なくとも単品では」
「ああ、聞いてはります。――なんや変態を召喚するとか」
「マジで!? 先輩かっけぇ!」
「違ェーよ! なんか混ざっちゃってる!!」
「違うのか。先輩かっこわる」
「お前の尊敬って変態が年功に優先すんのか? 国友後輩……」
 何が不満か脱力したその表情に提言するオレ。
「だって召喚する変態ったら、あれ。なんか筋肉ムキムキのボディビルダーがプロテイン
 食いながらビーム撃つような」
「ピンポイントすぎんだろその認識。かっこいいか? 尊敬してんのか?」
「戦いは力だよ。火力だよ先輩」
 オレなりに考える漢らしさからの主張は、しかし彼には沿わなかったらしい。
 何か思い当たる節でもあるのか、苦虫を噛み損ねたような微妙な顔になったきり、
先輩は口を噤んでしまった。


 夕暮れのセミの重奏はいつ止んだのだったろう。
 日は既にとっぷりと暮れ、草陰に合唱を次いだのはコオロギかクビキリギスか。
 夜空は煌々と照りながら、しかしこうも木々の狭間では月明かりの恩恵も乏しい。
ピクニックテーブルに肘を突き、ぼんやりと森の闇を見つめる。
 ランタンを挟んで対面側には弘明。少し離れて、キャンプチェアに腰掛けた召屋先輩
がバイク雑誌らしきものに目を落としている。阿酉はテントの中で仮眠だ。
「静かな夜だな。都会じゃ味わえない」
 誰に聞かせるともない弘明の呟き。確かにそうだと首肯だけを返した。
 閑散とした田舎。海辺。そしてここのような森や山の夜。別に初めて味わうわけでも
ないのに、久しく過ごす静然さというのはどこか黙する叙情と、そうさせる風情がある。
 静かな夜だ。少なくとも今はまだ。
 弘明はふと肩越しに質問を投げた。
「先輩。もし目標が今夜出現しなかった場合、どうするんですか」
 先輩は顔を上げず、視線だけで問いに応じる。
「どうもこうもない。解決するまでやれ、ってことだ」
「それまでずっとここに?」
「いや、明日からは転送部の協力が得られるんだとさ。今日は手配が間に合わなかった
そうだが」
「だったら明日からでも」
「僅かだが既に被害が出てる」
 被害――。
 一瞬の沈黙。だがオレ達は『被害』の内容をその間隙に突こうとはしなかった。
「だから早期対応、でも登山客が減るので内密に。以上。あとは察しろ」
「それ調査も含めて学園の正規案件に回してもいくないすか?」
「知らねえよ……何しろいつもこんな感じなんでな。悪いけどあんま俺に質問するな」
「先輩って将来、偏頭痛に悩みながら中間管理職とかやってそうですよね」
「う、うるせえよ!」
 何気ない軽口は何かの心当たりにカスっていたのか、先輩はうっすら傷付いた様子で
雑誌に視線を戻した。
 オレはテーブルに両肘をつき、ランタンの中で輝きを生むマントルを見つめる。
 未確認発光体。これから相手にする予定のモノの、端的な呼び方。
 先輩から聞いた話を要約する。
 浅間山山陰麓、つまり今オレ達がいる場所だが、数ヶ月前からこの一帯で謎の発光
が目撃されるようになった。日が沈むまで確認されないため当初は夜間登山者の照明
だと思われていたが、時と共に徐々に規模を増し、先日など巨大な光条が空中を回遊
する様子までもが報告されたという。
 新種のラルヴァか? 詳しいことはわからないが、前世紀までなら只のオカルトで
黙殺されていたものが、オレ達のような若者が"現実的な対処"のため働くようになった
のがいまの時代だ。
 傍らに放り出したランチャーに触る。手に馴染みこそすれほとんど愛着の無い品だが、
オレはこれに触れるとき、いつも曽祖父から聞いた話を思い出す。まだ人間の敵が人間
だけだった頃の話をだ。
 青年が武器を手にする物語は役目を終えて久しく、その世代も今や絶えるかという
この国で、現代人の自分がこんなものを握っているかと思うと、些か愛着の乏しい
この得物にも閑寂とした感慨を得ないでもない。
「日向」
 小さく、だが鋭くこちらを呼ぶ呟き。
 見ると弘明は難しい目であらぬ方を見つめていた。闇の舳先を見通すように。
「どうした? 弘明」
 答えを待たず視線を追う。焦点がわからず暫く顔を往復させるが、やがて遠い木々の
狭間に、ゆらめく小さな光を見つけた。青白く、また残像のように尾を引く光点は、
少なくとも人の営みのそれではない。
 光は不規則に弧を描いたのち、手近な木肌へと身を休めた。
「……蛍?」
「蛍違いだ。死出蛍だな」
 死出蛍――。
 はて。
 脳内辞書の紐が固い。ラルヴァはその生態によって幾つかの種類と等級が存在するが、
これは……確か、そう、下級のエレメントの名前だったか? その名の通り蛍のように
発光しながら浮遊する小さな個体群で、自身よりも強い光に晒されると消滅する。
 ……だったはずだ。たぶん。
「ああ、うん、死出蛍な。死出蛍。で……あれがどうかしたか?」
「…………」
 あれもラルヴァはラルヴァだが、脅威というには程遠い。無害というわけではなく、
接近した生物の生命力を奪うという性質が一応はある。だがそれも前述の弱点があること
から、ライトなどを用いて子どもでも容易に対処できるものだ。
 にも関わらず、弘明は注視を解こうとはしない。
 むしろ瞳に込められた力は増し、表情は徐々に鬼気を帯びていく。
「おい? 弘明……?」
「国友」
 背後、知らぬ間に忍び寄っていた先輩の"静かに"というジェスチャー。
 次にその手がランタンへ伸び、つまみを回して少しずつ光量を落としていく。
 唯一の照明が失われ、這い寄る夜闇の縁。
 いつしか虫の声が消えていたことに気付き、
 オレは
 息を
 呑んだ。


「…………!!」
 暗まされた視界は、しかし光に遮られていたモノを浮かび上がらせた。
 明かりと引き換えに闇に生まれたものは、煌きだ。
 最初、木漏れした月明かりかと錯覚したそれは、しかし個々の輝きをもつ粒だ。まるで
森を彩るイルミネーションのように、木々の葉に、枝に、幹に、根にまでも。
 無数と数えることすらなまぬるい。
 びっしりと空間を満たす小さな光体の大群。
 ランタンを避けていたか、それが存在しないのはオレ達の周囲、半径数メートルの内側
だけだ。あとは周辺視界の及ぶ限り、全ての木に人外魔境の電飾が施されている。
 驚きに言葉もなかった。
「……こっ……」
 だが把握に理解が追従すれば、次いで訪れるのは脅威と戦慄。
「これっ……全部、かよ!?」
 二人が息を呑む気配がする。
 つと、群れに微かな動きが生じた。光が一つ木を離れ、ふわりと夜気へ迷い出たのだ。
たった一匹の始まりだが、それを皮切りに五匹、十匹と徐々に連なり、次第にそれは群体
全域へと波及していく。
「死出蛍って確か、通常は群れても十匹程度……だったよな」
 でもなんか死骸食って増えるとか――富士の樹海か、ねえすよそんなもん。
 だとしたらこの数はなんだ? 数百か、数千か、それとももっとか。
「それと、もう一つ」
 先輩のあとを弘明が繋ぎ、
「この種は数を増すと集合し、大きな個体へなりかわる」
 そうなった。たゆたう光の散在は不規則な集結を経て、やがて一つあたり五十から
百センチほどの大きさの、数十個の塊を成した。
 集合体となった死出蛍の光量はかなりのものだ。森の闇はもはや闇でなくなっている。
光源らは辺りを煌々と照らしながら上下していたが、暫くのちピタリと浮遊を静止した。
まるで息を潜めてこちらを伺うように……。
 オレ達の間を緊張の糸が巡る。
「……起きろ、阿酉」
 テントからの返事は無い。
 不定形の球体群は、表面を湾曲させながら一様に微細な振動を始めた。
「阿酉っ」
 それが準備動作であることを疑う余地はもはやない。尺取虫が体を突き出す寸前、身を
竦めるような溜めの動き――。
 オレは感触を確かめる。ガンベルトにホールドした弾を、腰の後ろに下げたザックを。
ランチャーの、手に重く馴染んだ触感を。
 構える。
 そして、
「阿酉!? 聞こえねーのか、おいッ!」
「避けろ日向!!」
 巨蛍が肉迫した。
 速度を残光として迫る様はまさに光の帯だ。フラッシュのような瞬きを感じたとき、
既に目の前にはそれが居た。
 反射的に引いたトリガーが命拾いだ。衝突の一瞬前、榴弾が炸裂し、爆裂の音が夜林の
静寂を引き裂く。
 全てが開始した。
 撒き散らされた爆炎と閃光が空気をつんざき、死出蛍達は出鼻を挫かれて散開。辺りを
迷走した。その隙をぬってオレ達は、火という新たな照明の元へ走る。
「なに考えてやがる!? 山火事にでもなったらどうすんだ!」
「わかってますって! 森ン中だしオレも装備は選んできてますよ!!」
 巨大化してもこのラルヴァの性質は変わらない。即ち弱点も。飛び散った炎の熱と光は
威力はともかく防ぎの力としては十分な効果をもっていた。
 その為にいま使ったのは特殊な焼夷弾だ。発火は着弾の一瞬だけで、後は同時に撒き
散らした液体薬品の上だけで燃えるというもの。引火の危険性はほとんどない。
 三人は背中合わせに火の側に立ち、防御を敷いた。怯んだ敵群も既に態勢を立て直し、
こちらを取り囲むように旋回する。時折勇を鼓して接近してくる個体もあるが、それらは
先輩と弘明がアウトドア用の強力懐中電灯の照射で撃退していく。
 オレは近くのヤツへ向けて二発目を発射した。直撃よりも至近の地面に当て、狙うのは
光熱での煽りだ。
 爆散する火粒は敵を呑み、強力に炙る。集合体は瞬時に粒子状に拡散、消滅――
「……ん!?」
 したかに見えたのも束の間、残った分だけで再集結し、半分ほどのサイズになって
自分達の合一を再構成した。
 射光だけは効いている。だが、
 ――火や熱要素は期待薄……!
 弱点としての光とは別に、熱に影響を受けるのも死出蛍の特徴だ。だがそれは必ずしも
ダメージを意味しないらしい。
 とりあえず、
「精霊系で炎に強いって汚くね? あれか特定属性以外キャンセルか? うぜー」
「日向がこの前遊んでた宗教系FPS『幽霊離婚』もそんな感じだったろう」
「あー。『御免』『罷免』『アーメン』の三属性の弾で改閥派を仕置していくあれな。
 あれクソゲだよ? 対応弾ミスったら免罪符投げ付けられて金減るし。あと初期装備が
 拳銃なのに最強が何故か拷問器具のドリルだし。その武器ネット対戦じゃ公式チート
 上等で攻防一体の狙撃殺しハハハ――ざまあみろキルレシオ稼ぎのランク割り共め」
「二人とも真面目にやれェ――――!」
 やっている。考えるよりも早く体は手馴れた動作を成している。リロードした連装ラン
チャーは3・4発目の弾を既に吐き出し、新たな光炎の花を木の葉の天蓋の下に生んだ。
 行うのは光源の拡張だ。再装填、構え、狙い、連射。また再装填、構え、狙い、連射。
以下半ダースほどの流れ作業。
 飛び散る火で万遍なく周囲をカバー、つけ込む隙間を与えない。その為あえて自分たち
を炎で囲む。
 果たしてその効果は生じた。初手で攻めあぐねた死出蛍の塊群は、その遅れを取り戻せ
ないまま動きを鈍らせる。炎を挟んでこちらの周囲を巡る様は、檻の前をうろつく猛獣
さながらだが、それ以上はどうすることもできない状態だ。
「よくそんなバカスカ撃てるな、国友。反動痛くないのか?」
「慣れてるんで。どっちかっていうと経費報告が痛い」
「え?」
「弾切れしますた」
 ……あ、番付変更。召屋先輩の残念な子を見る目がもっと痛かった。
「いや、今使ってるのがね!? 燃える弾は使い切ったって意味すよ!」
「戦いは火力自重」
「だって打撃力になんないみたいだし……」
「他のはあるのか、日向?」
「出くわすとしても獣カテかと思ってたんで、残りは散弾とか矢弾みたいな槍衾系だな。
あと信号弾代わりの閃光弾頭」
「それを使えばいいんじゃないのか」
「火力として想定してないから携帯数少ねーよ。それに森ん中だと遮蔽物多すぎてダメ
 ……――?」
 敵側に新たな動きが生まれていた。


 火という障害をどうするか。
 それに対し奴らは、更なる集合を回答する。数十の光体は二つないし三つずつからの
混和を行い、総数ちょうど十の巨塊へと自分たちを束ね分けた。
 その直径はもはや一メートルから最大で二メートル程にまで及んでいる。
 と。その内の一体が、そろりとした緩慢さで炎の上に進み出た。火の熱と明かりは光球
の表面を波立たせ、粉を吹くように輝く粒子を散らせる。
 だがそれだけだ。増大という耐久性を得た巨体には、もはや形を損なう要素ではない。
 故に停滞の理由も。
「二人とも退がれ!!」
 叫び慌てて弾を装填、二発とも惜しみなく閃光弾を。だが全方位の殺到は遥かに早い。
 ――やべっ……!
 刹那。
「おちおち寝ても居られへんな」
 横合いから飛び込んで来た影。同時に、皮膚感覚に生じる妙な圧迫感。
 肌を摩する流れは徐々に明確な圧力となって空気を流し、落ち葉を撒き散らして吹き
荒れるつむじ風へと力を増す。
 立ち上がった爆風は森林を激しく薙ぎ、四人を守るように囲むそれは爆発的な風音を
以って死出蛍の殺到を弾き返してしまった。
 旋風の中心で仁王立ちし、長髪とスカートをはためかせた影がオレ達を睥睨する。
「男やったらしゃんとしいや、アンタら。…………くぁ」
 阿酉は眠そうに目の下のクマを擦った。
 現れるなりのこの横柄さ、御し難く痙攣するオレのこめかみ。
「バーカお前このバーカ! 悠長に寝てたクセに何スカしてんだ!?」
「『寝る子は育つ』が家訓で銘や。アタシの睡眠は何人たりとも邪魔させん」
「それ以上どこ育てんだよ。おっぱいぷるーん、おちーりむちーん」
 阿酉の額に青筋が浮かぶ。その隣で先輩もかなりキてる。
「……お前らホント真剣味ないな……!」
「先輩こそ、余所見してたらあきませんよ」
 突如、召屋先輩の頭上で空気が爆発した。風壁を避けて回り込もうとした死出蛍は、
殴りつけられたようにたわみ、大きく外へ弾き出される。
 これが空窪阿酉の『異能』の力。
 周囲の空気を撹拌・圧縮することにより空圧を生じ、それに指向性を与えて自在に扱う
ことができる能力だ。周りを循環させて防壁として展開したり、ピンポイントで加圧・
開放して攻撃に使うこともできる。
 いつでもどこでも発動可能、柔軟性も高い優秀な異能だが……。
「早速で悪いんやけど、早ようなんか考えんと……あんまり長くは保たへんわ」
 空圧の外側を睨み付けながら阿酉が言う。その額には早くも汗が浮いている。
 彼女の異能は便利だが、効果の幅を持続力に拠るタイプだ。つまり今やっているような
循環型の防御は、連続使用によって状態を維持しているため消耗が激しい。特に死出蛍の
ように実体性の薄い敵は、その接近を防ぐために強い圧力を生む必要があるだろう。
「埒があかない。先輩、ここを移動するべきだ」
「このままの状態でか?」
 弘明は首を振った。阿酉の力にはもう一つ、自身を囲む形での使用は移動力が低下する
デメリットもある。この場を離脱するなら一旦異能を解除しなければならない。
「本隊は東だったか……キャンプの位置がわかるなら、俺が誘導を」
「防御もなしで、この夜の森をかよ!? 悠長に歩いてなんて行けねえぞ!」
「俺なら走る場所を選べます。それに、開けた場所でないとこいつらは退けられない。
 ……そうだろう、日向?」
 こちらへ目配せする弘明に、オレは頷いた。
 ランチャーを立てて抱え、オレはそこに伝播させる。魂源力(アツィルト)――異能者
の力の源泉を。人により発現の様々な『異能』だが、運動にとってのエネルギー同様に、
オレ達の身が宿すこの原質は全ての異能の元になる。
 イメージするのは熱伝導。体温を馴染ませるように、体の中で高めた魂源力を得物に
浸透させていく。
「いつでもいいぜ、弘明」
「ああ。……先輩」
 眉間に皺を寄せ、目を伏せる先輩。だが逡巡は一瞬、すぐさま指示を飛ばした。
「……わあったよ。鷹見は地形先導、空窪が異能を解いたら全力で走る。しんがりは俺」
「先輩が?」
「それくらいは任せろよ。国友、カウントいいか?」
「了解」
 力を注いだランチャーをしかと支え、腰を落として構えた。
「阿酉?」
「ええよ!」
 三人に目配せし、頷きが返って来たのを確認。砲口を地面へと向ける。
「数えるぞ! 3、2、1――」
 引き金を弾く。
「――ゼロ!」
 光が迸った。



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