ラノで読む
双葉区、双葉学園、あるいは双葉島と呼ばれる人工島。
喫茶アミーガはその外れ、あまり交通の便が良いとは言えない外周の道沿いに存在する。
しかしそこは、不思議と客足が途絶える事なくいつも決まったメンバーで賑わっていた。
今店に入ってきた胴着姿の男もその一人である。二メートル近い巨体に、整ってはいるが彫りが深くて暑苦しい顔立ち、名前は二階堂《にかいどう》……誰だ?
彼ら二階堂兄妹はこの店の常連で、特に五つ子は一人を除いて見た目だけでの判別が難しい。
「エスプレッソ一つ」
ここでようやく判別したので改めて紹介しよう。彼の名前は二階堂叉武郎《さぶろう》、二階堂兄弟の三男である。
他の兄弟の例に漏れず普段から胴着姿をしているが、これは叉武郎の競技とは関係無い。
貴婦人とのロマンスに憧れ騎士道に傾倒し、将来を期待されていた剣道を捨てフェンシングに転向したのである。
今では立派にフェンシング・サーブル競技部の部長を務めている。
ちなみに胴着にしている黒帯は、柔道で取ったものである。
兄弟の中でブレンド以外を頼むのは、見た目で判別できる次男と彼しかいない。
「俺は、ドリップ式の方が得意なんだけどなんだけどなぁ」
注文を受けるこの店の主、おやっさんは面白くなさそうにエスプレッソマシンを回す。
「はいよ」
何だかんだ言いながら、熟練した動きでカウンターに座った叉武郎に差し出されたエスプレッソは、上質な香りをたたえていた。
受け取った叉武郎はさっと一口含んで、そのコクを楽しむ。おやっさんはドリップにこだわりがあるようだが、エスプレッソそれに劣らずとても味わい深い。
「うん、旨い。小猫ちゃんが運んでくれれば言う事無いんだけどな」
叉武郎は店の奥でテーブルを拭いているウェイトレスの春部《はるべ》里衣《りい》へウインクを投げかける。
一八〇センチ近い長身の里衣を小猫ちゃん呼ばわりするのは、
島内広しと言えど叉武郎しか存在しない。
「ったく、アンタ達兄弟はどうして私達にちょっかいかけて来んのよ」
私達とは、里衣と彼女いわくフィアンセである有葉《あるは》千乃《ちの》の事である。
美しい顔立ちとスラリとした長身にスタイルの良さを兼ね備えた里衣自身はもちろん、普段女装している千乃も一部男子の間でファンクラブが結成されるほど人気がある。叉武郎の弟である志郎と悟郎も、そのメンバーとして活動しているのだ。
「弟のことは俺には無関係だよ。俺はあくまで全ての女性の従僕さ」
「あっそう。アンタ等四人は見分けるのも面倒だし、私にとっては全部一緒だわ」
芝居がかった動作で訴える叉武郎に対し、里衣の反応はにべもなかった。
「連れないなぁ小猫ちゃん」
しかし叉武郎は懲りもせずに、わざとらしく肩をすくめて見せてからカップを口に運んだ。
ここまで自然な動作がいちいち空回りしているのも珍しい。
いつもならこれから叉武郎が延々と、コーヒー一杯でいつまで粘るつもりだと怒られるまで里衣を口説き続けるのだが、今日はそうならなかった。
バイクのエンジン音が近付いて来て止まる、新たな客がやってきたのだ。
「……おやっさん、俺はサスの調整しか頼んでいないはずだが」
入ってきたのは、先ほどから何度か話題になっていた叉武郎の兄弟、その中で唯一すぐに見分けられる次男の侍郎だった。
二メートル近い巨体は変わらないが、細身の体に写真家として芸術を愛する心と唯一バイクの免許を持つ、兄弟の中では比較的に無害な男である。
バイクのメンテナンスはおやっさんに任せているので、こうしてたまにおやっさんのありがた迷惑な改造に文句を言いにやって来る。
「……ハンドルに見慣れないボタンが増えていたが」
普段無口な侍郎もバイクの事となると、口数が多くなる。
侍郎の人格に大きな影響を与えている叔父から譲り受けたバイクなので、それだけこだわりがあるのだ。
「高震動発生装置だ。衝撃に強くなるぞ」
しかしそんな事を一切知らないおやっさんは、得意そうな笑顔を浮かべサムズアップで言う。
「……俺はサスの調整しか頼んでいないはずだが」
侍郎は再び要求を繰り返す。
「わかったよ。ガレージに回してくれ。コーヒー一杯飲んでる間に外してやる、コーヒーもおごりだ」
侍郎の静かな怒りを感じ取ったおやっさんが、しぶしぶといった様子でひとまずコーヒーを入れるため引っ込んでいった。
「……グアテマラを」
「あいよ。いつものな」
侍郎が好んで飲むコーヒーの銘柄も、叔父から影響を受けたものだ。
そのとき、ピピピとアラームのような音が響き渡る。
「おっと、失礼」
発信源は叉武郎の学生用モバイル端末だった。
「叉武郎です。ああ、麻里奈さん」
麻里奈さんは、叉武郎が住む寮の寮母を務める女性である。
「……ええ、もちろんですとも。……はい、それでは」
自分のことをきちんと名前で呼ぶ叉武郎を気に入っており、食事の量など優遇する代わりに、雨戸の修理などちょっとした用事で頼る事も多い。
叉武郎は女性のため、それも普段お世話になっている麻里奈さんのためならどんなことでも喜んで引き受ける。
「すまないが兄さん、寮まで送ってくれないか? 急に呼び出されてしまって」
お願いという形をとっているが、叉武郎の中ではもう決定事項である。
強引なのも、二階堂兄弟に共通した特徴であった。
「ヘルメットが無い」
しかしハヤブサが唯一の友達だと言い張る侍郎が、予備のヘルメットなど用意しているはずもない。
「そんなの変身すれば済む話だろう」
きっぱりと言い切る叉武郎であったが、実際は変身する異能者に合わせた法律など存在しないので違法である事に変わりは無い。
「それともこの俺に女性を待たせるつもりか?」
叉武郎の眼光が鋭さを増す。
反論に口を開くのも面倒という事で、結局侍郎は叉武郎を送っていく事となった。
「決まりだな」
叉武郎は机の下からアタッシュケースを取り出した。
愛犬を両親に取られた梧郎や、昆虫の世話をするつもりが無い志郎以外の兄弟は、自分と合体できる動物を連れている。
叉武郎のこのアタッシュケースも、魚類と合体する彼に合わせて水槽になっていた。照明やエア用の電源に学園の超科学の技術をふんだんに盛り込んだ特別製である。開閉時に九十度傾いてしまう事を除けば、魚にとって理想的な環境を保つことができる。
叉武郎は蓋を外し中に指を入れた。
するとお腹をすかせたピラニアがすかさずそれに噛み付く。
傷が大きくなる前に叉武郎も慌てて変身する。
「合体変身!」
辺りが光に包まれる。
「どうした、何かあったのか?」
突然の光に驚いたおやっさんが、手の中にしっかりとコーヒーを持って現れる。
「すまないな、おやっさん。バイクは今度だ。侍郎兄さんに急用ができた」
「急用って……お前が作ったんだろ、あんまり便利に何でもさせるなよ」
変身した叉武郎の姿については一切触れず、おやっさんは普通に会話を進める。
変身系の異能を持った学生が集うこの喫茶店ならではの光景だった。いろいろと怒られそうな外見やそれなのに胴着姿のままなのも、ここでは最早日常化し過ぎて誰もツッコむことさえしない。
「……バイクは、今度直してもらう」
侍郎はとりあえずおやっさんからコーヒーを受け取ると、一口で飲み干す。そしてきっちりと、一杯分の金額をテーブルに置いて出て行った。
バイクを直さないのであれば普通の客だという、何とも律儀な侍郎である。
ヘルメットについては、銃で撃たれても平気な状態であれば問題無いだろう。
二人が走り出すと、巨大な影が近づいて来た。いや影ではない。それは光を吸い込む闇であった。二本のタイヤと空気を轟かせるエンジンの爆音から、それがバイクだという事がわかる。
そのバイクは限界ギリギリまでスピードを上げてタイヤを振り回し、ほとんどスピードも落とさずにコーナーへ突っ込んでいく。
常人では決して操る事のできない正真正銘のモンスターマシン、あんなモノを造ってしまう技術を持った人間はこの島には数人いるが、一般車の改造で造ってしまうのは一人しかいない。
あれは間違いなく、おやっさんのバイクだ。
それはかなり後方にいたはずなのに気が付けば、すぐ近くまで迫ってきていた。
「……来る!」
謎のバイクが車体を傾け、二人の乗ったバイクへ体当たりを仕掛ける。元の性能に劣る上に二人乗りの侍郎のバイクでは、避ける術は無い。
侍郎と叉武郎が乗ったバイクは、謎のバイクに押しのけられ道路の外へ転がっていった。
「おやっさんに感謝しないとな」
下が砂浜だった事もあり、変身していた叉武郎はもちろん、侍郎も比較的軽傷であった。
何がどう作用したかはさておき、高震動発生装置も役に立ったらしい。
謎のバイクに乗っていた人影は、悠然と二人を見下ろしている。
「憎い……るさない、恨んでやる」
闇色に揺らめくその背中からは、様々な怨嗟の声が聞こえてくる。
人に近い形をしながらも明らかに人間ではないその異形は、ほんの少しだけ変身した二階堂兄弟を思わせる。
異能者かラルヴァか、どちらにしても友好的な相手ではないのは間違いない。
黒尽くめの何者かは右手を上げ何も無い空間から剣を作り出すと、ゆっくりと砂浜へ降りてきた。
いつの間にか近くに停めてあったバイクが消えている。
「式神!」
異形はまた何も無い空間から札のようなものを取り出し、地面にばら撒いた。
札が落ちた所から、人の形をしたモノが浮き上がってくる。
明らかにラルヴァの仕業だった。人間であるというには、一人につき一系統という絶対的なルールから明らかに逸脱し過ぎている。
「シュン」
侍郎は立ち上がって、唯一の友の名前を叫んだ。
どこからともなく一羽の隼が現れ、侍郎の腕にとまる。
「合体変身!」
光の中から翼をイメージさせる変身後の侍郎が現れる。
「貴様等も命を取り込むのか、面白い」
影が声を発する。背中に背負う怨嗟の声よりもなお、暗く禍々しい響きであった。
侍郎と叉武郎は背中合わせに身構える。
「そういえば、こうして共闘するのは初めてじゃないか?」
「……守備範囲が違う」
「確かにな」
鳥類と合体する侍郎と魚類と合体する叉武郎は、それぞれ得意とする戦場に対応できる能力者が少ないため、同じ作戦に投入される場面は少ない。
「行くぞ!」
雄叫びを上げ、叉武郎は人形《ひとがた》の群れへ突っ込んでいった。
だが十数年の時を一緒に過ごした兄弟同士、お互いのコンビネーションに不安は無い。と思っていたのは叉武郎だけだったようだ。
「……任せた」
侍郎は戦う叉武郎の背中を蹴って、人形の群れを抜け影の前へ飛び出した。
「あ、この!」
仕方なく叉武郎は人形の相手をする。
拳の一発で簡単に崩れ去る。
数は多いが、大した脅威ではない。
「……タァッ!」
隼の狩りと同じく、落下のスピードを利用して蹴りを放つ。
「無駄だ」
しかしそれは虚しく、影を突き抜け派手な砂煙を上げた。
「……エレメントか」
(だが、それならそれでやりようがある)
侍郎は砂煙に乗じて距離を取った。
「フェザーエッジ!」
振りかざした侍郎の腕から黒い影に向かって、鳥の羽の形をした魂源力《アツィルト》の刃が殺到する。
「翻れ鏡界門」
呪文らしきものを口にして、人影が手に持った剣で地面に線を引くと、抉られた地面から漆黒に光る障壁が立ち上った。
それに触れた瞬間刃の羽が反転し、侍郎に襲いかかる。
「……ちぃ」
侍郎はそれを飛び上がってかわす。
しかしそこには、既にラルヴァの黒い影が待ち構えていた。
「……な?」
その手に持った凶刃が侍郎を刺し貫く。
「……ぐぅ」
短い声をあげ、侍郎が地面へ落下していった。
「侍郎兄さん!」
砂浜に叉武郎の声が虚しく響く。