【時計仕掛けのメフィストフェレス】


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「ねぇ、各務ぃ。あの噂知ってる?」
「何?」
 双葉学園都市、高等部第八校舎からの帰路。
 相坂裕香は、友人の各務美雪に声をかける。
「人食い天使さま、って奴。小さな女の子の姿をした天使なんだけど……
 それと出会ってしまったら、食べられて死ぬって」
「何それ。そーいう噂ってさ、何をしたら死ぬとか、どうすれば助かるってあるじゃない。
 三流ね、それ。流行んないよ」
「そうかな……」
「つーかさ。天使とかさ、そんなのよりも実際にいるじゃん、バケモノ」
 確かにそうだ。
 二十年前――1999年七月に起きたとされる謎の事件。
 それ以降、この世界には怪物――神話や伝説、伝承上の魔物などが確認されるようになった。
 人は、それらをラルヴァ――ラテン語で「怪物」を意味する呼称で呼んでいる。
「ラルヴァに比べたら天使なんてアレでしょ、うそ臭すぎ」
「でもでも、ラルヴァって人間外の総称って聞いたけど。じゃあ天使もラルヴァなのかな?」
「知らないっつの。だいたいそんなの、いたとしてもあれよ。この学園内じゃラルヴァはほとんど出ないし。
 出たとしてもノーリョクシャが退治してくれるっての。あたし達は安心してりゃいいのよ」
 能力者、と各務は言った。
 それは、正しくは異能者、異能力者……と呼ばれている。
 ラルヴァと同じくして確認されるようになった、超常の能力を持つ者。
 この学園には、そういった異能者もまた数多く存在する。
「そうかな」
「そうよ、それに……?」
「? どうしたの」
「あ、あれ……」
 指差すその前には、小さな天使の姿が。
 小さなその少女は、震える唇で告げる。

「……ごめんなさい」

 そして、二人の姿は……消えた。彼女達の姿を見た者はいない。






 時計仕掛けのメフィストフェレス





 時坂祥吾は、特に時間にルーズという訳でもない。むしろ、どちらかというは時間にうるさい方である。
 だが、いかんせん彼は――間が悪い。
 バスに乗ろうとすると、運転手が時刻より早くバスを出して乗り遅れたり。
 電車に乗ろうとすると、ダイヤが乱れたり。
 限定品の最後の一個を買おうとすると、別の人に取られたり。
 もはや本人の関係ないところでそういうものが続くと、呪いか何かではないかと疑いたくなるものだ。
 そして、今日も始はその間の悪さを発揮してしまっていた。
 はっきりという。わざとじゃない。

「……」
 湯気が晴れる。
 妹の裸身が余すことなく晒される。
「や、やあ一観。えーと」
 妙に寝苦しくて汗をかいてしまったので、朝風呂でしゃっきりしようとした。
 ただ、それだけのことだったのだが……
「……」
「……」
「きゃあああああああああ!!!」
 頬に一撃が炸裂する。

 時坂祥吾は、間が悪かった。



「ごめんね、お兄ちゃん」
 朝食を用意しながら、時坂一観は祥吾に謝る。
「いや、まあ俺も悪いし」
「でも本当、お兄ちゃんって間が悪いよねー。教室に忘れ物して取りに行ったらラブシーン見かけたり」
 あの時は思わずごゆっくりと叫んで逃げ帰った。
「気をつけないといつかお兄ちゃん、取り返しのつかない失敗しそうで心配だよー」
「気をつけてどうなるものは気をつけるけどな……」
「はい、捨て鉢にならない。最初から諦めてちゃどうにかなるものもどうにもならないよ。
 もう心配だなー、お兄ちゃん気ぃ抜けてるから」
「抜けてないよ」
「嘘。今日が何の日かも忘れてるんじゃない?」
「今日……? ゴミの日?」
「はあ」
 ため息をつく。そして小さな箱を差し出す。
「何コレ」
「本気で忘れてる? ……まあ自分のことには無頓着だしね。
 ハッピーバースデイ、お兄ちゃん」
「……あ」
「思い出した?」
「ああ、今思い出した」
「……大丈夫かなあ、ボケちゃったんじゃない?」
「うるせー。ありがたくもらっとくよ。あけていいか?」
「うん」
「懐中時計……?」
 箱の中から出てきたのは、金色に輝く懐中時計だった。
「質屋で買ったの」
「質屋かよっ」
 思わずツッコミを入れる。
「ほら、こないだお兄ちゃんが見てた奴」
「あぁ、そういえば確かに……」
 買い物に行ったとき、通りがかった質屋のショーウインドに飾られていたものだ。
「よく覚えてたな」
「そりゃもう、愛しいお兄様の為ですから」
「ありがたくいただきます」
 祥吾は時計をまじまじと見る。裏にはVerweile doch! Du bist so schonと刻印されている。
「何て書いてんだこれ」
「有名だよ? 時よ止まれ、お前は美しい、って」
「何それ」
「ファウストって戯曲知らない? ファウスト博士と悪魔メフィストフェレスの話」
「ああ、それは聞いたことあるけど」
 内容まで深くは覚えていないのだが。
 むしろ漫画とかアニメに出てきた、その二世の方が有名な気がする。
「あ、時間で思い出したけど、私もうでなきゃ」
「部活の朝練?」
「うん。じゃあまた学校でね!」
「ああ、またな」
 祥吾はあわてて出て行く一観を見送る。
「俺も行くか……」
 椅子から立ち、祥吾は時計を見る。懐中時計の螺子を回そうとし、
「あれ……?」
 動かないことに気づく。
「……壊れてる? ……まあいいか。行く途中に時計屋に修理に出せば」
 しばらく悪戦苦闘した後、そう結論を下す。
 一観には黙っておこう、とつぶやき、祥吾は懐中時計をポケットにいれる。


 そして、祥吾はものの見事に遅刻した。


「また遅刻かよ、時坂」
 友人たちが言ってくる。
「うるせぇ島田。道に迷ったんだよ」
 正確には、道に迷ってたらそのタイミングで荷物を抱えたばあさんと遭遇。
 コンボかよと思いつつも、見て見ぬ不利は非常に精神衛生上よろしくないので送って行った。
 その結果の大遅刻であった。
「はあ? おいおい何それ」
「時計屋に寄ろうとしたら迷ったの」
「なんでまたそんな」
 祥吾は事情を説明する。
「はあ、プレゼントねぇ。そういや誕生日だっけ」
「そう。また一つ歳とった、と。つか高校生にもなって誕生日もねーよな」
「女はそういうの好きそうだけど確かに俺たちヤローにはなあ」
「そういや、お前の狙ってる各務の誕生日もうすぐってお前言ってたよな。
 何送るんだ?」
 祥吾が言う。だがそれに対して島田は、
「各務? 誰それ?」
 さらりと、祥吾の言葉を否定した。


(なんでだ……?)
 授業中、教師の吾妻修三の言葉も耳に入らずに祥吾は考える。
 各務美雪。友人の島田がお熱を上げていた少女。
 島田の性格からして、昨日の今日でこんなに冷めるということはないだろう。
 仮に冷めたとしても、ああいった露骨な無視はおかしすぎる。
 いや、それどころか……
(他の奴らも各務の事を忘れていた……)
 いないのだ。何処を見ても。
 おかしい。おかしすぎる。
 思案を重ねているうちに、祥吾を睡魔が襲ってくる。
 祥吾は、ただそのまま意識を手放した。


『答えを知りたいですか?』
 声が聞こえる。
「!?」
 いつのまにか、教室ではない別の場所にいた祥吾。
 そこは……一言で言えば、「発条仕掛けの森」とでも言うべきだろうか。
 樹がある。草がある。花がある。虫がいて鳥がいて獣もいる。
 その全てが、歯車と発条と螺子と……
 機械で出来ていた。
 チクタクチクタク、とリズミカルに響く音。
 ガタゴトガタゴト、と重厚に響く音。
 それは鳥や虫や獣たちの鳴き声。
 ここは――この夢は、全てが歯車で動いていた。
「ゆ……め、だよな?」
『そう。これは夢です。私の、そしてあなたの』
「だ、誰だ?」
『私ですか? 私は……』
 祥吾の声に応えるかのように、地面に落ちていた歯車が組み合わさる。
 そしてそれは……人間の少女の姿をとった。
 漆黒の長い髪に抜ける様な白磁の肌。
 丹精に整った、人形のような、あるいは芸術品のような顔。
 紫水晶の瞳は、美しく澄みながらも、諦観したかのような不思議な翳りを見せていた。
『メフィスト。メフィスト=フェレス(愛すべからず光の君)』
「メフィ……スト?」
 祥吾は思い出す。朝、確か妹がそんなことを言っていた。
 メフィストフェレス。ファウスト博士を誘惑し付き従った、悪魔の名前。
「それが何で俺の夢に?」
『あなたは私の新しい所有者なのです。
 あなたが望むなら、私は伴侶のように、召使のように、あるいは奴隷のように仕えましょう』
「何……言ってるんだ?」
『あなたには、私と契約する理由があるはずです』
「わけわかんねぇ。何言ってんだよ!?」
『……』
 それには答えず、メフィストはただ指を指す。
 その方向に祥吾が視線を向けると……
「一観っ!?」
 歯車で出来た十字架に磔にされ、時計の秒針に胸を突き刺され息絶えている妹の姿があった。
「一観っ! 一観ぃいいいっ!」
 祥吾は駆け出し、一観に触れる。
 その指が触れた瞬間――妹の体は鉄錆と歯車になって砕け落ちた。
「……っ!」
 掌に歯車が落ちる。それは錆びて崩れ溶け、まるで血の様な痕を祥吾の掌に残す。
「なんだよこれ、夢だからって……趣味悪いだろ!」
『そうですね。確かにこれは夢――』
 メフィストは静かに言う。
『ですがこれは――ただの夢ではありません。
 いずれ起きる現実。
 あなたの妹さんに――残された時間は、少ない』
「はあ!?」
 祥吾は叫ぶ。
「何を言ってるんだお前! いきなりこんな、はいそうですかって信じられるか!
 つか夢なんだろこれ、夢ならとっとと覚めろ!」
『……』
 叫ぶ祥吾に、メフィストはただ静かに目を閉じる。
『いずれ来る未来。だけどそれは箱の中の猫のように、確定されたものではありません。
 救う方法はあるんです。未来を覆す方法が。
 私と――メフィスト=フェレスと契約し、誰かの時間を奪い、与えれば……
 彼女に残された時間は増え、その命は永らえるでしょう』
「うるさいっ!」


「時坂。そんなに俺の授業が安眠妨害かね?」
「え」
 気がつけば、大声で怒鳴っていた。
 ――授業中に。
「……」
「……」
 よりによって授業中の、それも教師が祥吾の席を通りかかったときに寝言で絶叫。
 祥吾は、間が悪かった。
「吾妻先生。おはようございます」
「ああ、おはよう」
 直後、祥吾の脳天に教師の愛のこもった拳が振り下ろされた。





「いてて……」
 頭をさすりながら祥吾は校舎を出る。
「ほんっとなんつータイミン……あれ? ……え」
 なんとはなしにポケットに手をやったそこには……
 時計屋に渡したはずの、黄金の懐中時計があった。
「なんで……?」

 ――あなたは私の新しい所有者なのです。
 あなたが望むなら、私は伴侶のように、召使のように、あるいは奴隷のように仕えましょう――

「所有者って……これのことか?」
 あり得ない。確かに朝、時計屋に渡した。それがなんで此処にある?
 つまり――あれはただの夢じゃなかった? 


 ――いずれ起きる現実。
 あなたの妹さんに――残された時間は、少ない――

「――っ!!」
 祥吾は妹の教室に走る。
「一観っ!!」
 だがそこに妹の姿は無い。
 一観の部活の部室にも。校庭にも。何処にも――妹の姿は無い。
 そして、走って帰りついた家にも、その姿は無い。
 居た痕跡すら、残されては居なかった。
「何……だ、これ……?」
 家族で撮った写真、そこから妹の姿だけが消えている。

 そう。

 時坂祥吾は間が悪い。そう、今回もまた、「間に合わなかった」のだ。

「冗談、よしてくれよ……」
 壁によりかかり、崩れ落ちる祥吾。




『間に合わなかったようですね』
「――!」
 気がつけば世界は一変し、またあの森へとやってきていた。
「間に合わなかったって……どういうことだ!」
『時計仕掛けの天使――』
「!?」
『私と同じく、黄金の懐中時計によって織りあげられ組み上げられしもの。
 ラルヴァを討ち滅ぼす為に造られた玩具……人造の、天使や悪魔を模した人形』
「な……!?」
 ラルヴァ。
 それはこの世界の裏に存在する怪物の名前。
 20年前の謎の事件を経て、この世界に現れるようになった存在。
 そしてこの学園には、時期を同じくして生まれるようになった異能力者の少年少女達が集まっている。
 ラルヴァと戦うために。
 もっとも、祥吾はそのような能力はなく、親の都合によりこの学園にきただけの、無能力者であったが。
「ラルヴァと戦うため……それが、なんで!? なんで妹を!!」
『私達の計画は頓挫し、私達は廃棄されました。いえ、廃棄されたはずでした。
 なぜならば、私達の力の源は――』
 メフィストは目を細めて言う。
『人の時間です。人間の、生命としての時間。それが人道に外れたが故に――
 私達はあってはならぬものとして廃棄されました』
「おかしいだろ、だったらお前は何なんだよ?」
『人の欲望は、罪深い』
「欲望……?」
『あまりにも強い力に目を奪われた誰かが。私達を盗み出し――そして私達は、この地に散った』
 そう、計画が凍結されてなお。
 その力を無かったことにしてしまうには惜しいと思った誰かが――それらを解き放ったのだ。
『そして私は貴方の手に。
 そして、誰かの手に渡った一体の天使が――その持ち主が、人を食わせ、その時間を糧に』
「それが……一観だってのか」
『はい』
 メフィストは肯首する。
『私たちの所有者になれるのは、異能の力を秘めている人間。
 貴方もまた……いまだ目覚めていないけれど、異能の力を秘めている。
 私がここにこうして、貴方とコンタクトをとれているのがその証拠です』
「……俺、が」
 そう言われても祥吾には実感が無い。
 そしてそんなことよりも……一観が、そんなふざけた玩具の生贄にされたという事実の方が重い。
「……妹は。一観は、助かるのか?」
『……』
「答えろ!」
 口を閉ざすメフィストに、祥吾は詰め寄る。
『貴方の妹を生贄とした、時計仕掛けの天使――そこから解き放つことは出来ます。
 所有者を説得できれば。
 あるいは、その天使を破壊できれば。
 ですが彼女に残された時間はもう――』
 その言葉が終わる前に、祥吾は駆け出した。


 街を走る。
『貴方の妹は、第八校舎にいます』
 心の中に、メフィストの声が響く。
 その言葉に従っていいのかどうかは疑問だったが、それでも手がかりはそれしかなかった。
 街を走る。息が切れる。脇腹が痛くなり、足がもつれ、酸素が足りなくなる。
 その全てを意志で強引にねじ伏せ、祥吾は学校へとたどり着いた。

 生徒たちの気配は無い。
 まるで時間が止まったかのように静まり返った校舎。
 祥吾は閉ざされた校門の鉄柵をよじ登り、進入する。
(どこだ、どこにいるんだ?)
 心の中で、メフィストに問いかける。
『近くです。貴方の正面から四時の方向、上空の位置』
 その言葉に従い振り返る。
 校舎の中だ。
 祥吾は扉を開けようとして、鍵がかかっている事に気づく。
「……」
 一瞬だけ迷い、そして躊躇なく石を拾い、窓ガラスに叩き付けた。
 鍵を開け、校舎に侵入する。
「……!?」
 祥吾は、階段の方から光が漏れているのを見た。
 電灯の光ではない。
 もっと儚げで朧げな、幽玄の光だった。
「天……使……?」
 階段に浮かぶのは、翼を背負った少女の姿。

「こないで……ください……」
 消え入るようなか細い声で告げる天使。
「どういうことだ!? お前が、お前が妹を、一観を……!?」
「ごめん……なさい……」
 祥吾の詰寄りに、ただ悲しそうに首を振る。
「こないで……ください。私は……これ以上……もう……」
 そういい残し、天使は消える。
「……何、なんだ。おい、これは何なんだ?」
『彼女もまた、その持ち主に縛られしもの』
「? どういう……」
『仮に、貴方が私と契約したとしましょう。
 そして貴方が、「この学園の生徒を皆殺しにしろ」と命じたなら――
 私はそれを叶えようとします。私の意志とは関係なく』
「な……!?」
『あくまで仮定です。私たちは被造物、天使や悪魔を模しただけのただの時計仕掛けの機械装置。
 逆らうことは出来ません』
「じゃあ何か、あれは命令されて仕方なく……?」
『おそらくは』
「……」
 拳を握り締める祥吾。
 理不尽すぎる。さっきから、何なんだこれは。
 罪も何もなく、なのにただ誘拐され、生贄にされた妹達。
 そのような事などしたくないのに、命令に逆らえずに妹達を食らった女の子。
 そんな残酷さに、何の意味がある。
 何処にぶつけていいのかも判らぬ怒りがせり上がる。
 その時――

「どうしたのかね、こんな時間に」

 声がかかる。
 よりにもよって、階段の上からだ。
 祥吾は身構える。
 かつん、かつんと階段を下りる音が夜の校舎に響く。
 そして、緊張する祥吾が見守る中現れたのは……

「吾妻先生……?」

 教師の吾妻だった。

 一瞬、緊張を解く祥吾。だが内面からの声が、それを叱咤する。
『彼です。彼が……時計仕掛けの天使の所有者です』
 内面から響くメフィストの声。
「な……っ!?」
「? どうしたんだね」
「先生。あんた……」
「んむ?」
 笑顔で応える吾妻。
 簡単には信じられない。
 祥吾は彼をよく知っている。厳しく、すぐに手を出してくる。
 だが、それは生徒達への愛情だと、多くの生徒達は知っていた。
 噂にも聞く、古くから戦ってきた能力者。
 一線を退いた後、後進の育成の為に、わざわざ30過ぎてから大学に通いなおして教員免許を取ったとも言う。
 一流の能力者なら教員免許の有無を問わずに受け入れる、との申し出があるにも関わらず、だ。
 その生真面目さと人格。
 そんな先生が、犯人だと?
 簡単には、信じられない。信じる道理がない。
「いや、妹を探してるんだけど。家出しちゃったみたいでさ。
 知りませんか、先生」
「一観ちゃんが? さあ、私は観てないけど……」
「そうか……」
 心のそこから心配そうな顔をする目の前の先生。
 ……だから。だからこそ祥吾は、その男に向かって言う。

「――そうか、先生。あんたが、妹達を、あの子に食わせたのか」

 その言葉に、吾妻は柔和な笑顔を強張らせる。
「さ、さあ。何のことだか判らないが。一観ちゃんがどうしたって? 食わせた、何に?」
「しらばくっれるなよ。だったら――だったらなんで、あんたは妹の事を覚えてる!?」
「!!」
 そう。
 妹と同じく、時計仕掛けの天使に食べられてしまったという、各務。
 彼女を覚えている者はいなかった。
 妹もまた、写真から姿が消えていた――世界から、いなかった事にされていた。
 生贄にされ時間を食われるということは、これからの未来だけではなく、今も。そして過去すらも――
 その存在した時間ごと、消されてしまうということ。
 なら、何故目の前のこの男は覚えている?
 そう、それはつまり――
「この件に関わってる、ってことだろ。
 ……答えろ先生! あんたがなんで、こんなことをする!」
「……」
 お互いの間に沈黙と緊張が走る。
「ふ、ふふふふふ」
 祥吾の問いに、吾妻は笑い出した。
「ははははははははははははははははははは!!!!!!
 ああ、面白いね。こういうイレギュラーもあるのか。
 キミは確か、普通の人間だったはず……なのに気づくとは、なるほど。未覚醒か、はたまた測定ミスだったのかな」
 笑いながら、懐から一個の懐中時計を取り出す。
 薄桃色の宝石で作られた、珊瑚懐中時計。
 そして、吾妻の前に、先ほどの小柄な少女の幻影が浮かび上がった。
「然り。時計仕掛けの天使を持て、私は更なる力を得る。
 その為に、彼女らには尊き犠牲になってもらった……ただそれだけ」
「あんた……!」
「なんでこんなことをするかって? 決まってる。
“世界を守るため”だよ――この学園の異能者なら、当然だろう?」
 そう、この学園の異能者は、世界を守るために集められた、あるいは自ら集った。
 だが――
「おかしいだろ! 人を守るために、人を襲うなんて!」
 それは決して、免罪符として人を傷つけていいものではない。そのはずだ。
 少なくとも、この学園にきて今まで――時坂祥吾が出会った異能者の大人や生徒たちは、みな。
 誰かを守るために。仲間を、学園を、人を守るために戦っていた。
「よりにもよって、あんたが!」
「それが貴様らが言える言葉か!!」
 吾妻は祥吾の言葉を一喝する。
 吾妻の異能の力なのか、はたまた天使の力か、祥吾の体はその一喝で弾き飛ばされる。
「がっ……!!」
 廊下に何度も叩きつけられる。その祥吾を、吾妻は怒りのこもった目で見下ろす。
「守られてる事に甘んじ、増長するバカガキどもが。
 守られるのは当然か? 助けられるのは普通のことか?
 貴様らがのほほんとくだらん青春を謳歌する裏で、傷つき苦しむ者がどれだけいるか知ってるか?」
 そういいながら、吾妻は歩み寄り、そして祥吾の頭を踏みつける。
「う……がっ……!」
「知るどころか考えることもなかっただろ? 愚図で愚鈍なバカどもが!」
 二度、三度と踏みつける。
「バケモノを見る目で俺達を見て! いざ自分達が危なくなると安全なところから無責任に戦えと叫ぶ!
 なにひとつ! 変わってない!!
 ……だからな。こいつらは素晴らしい。破棄されるなんてもったいなさ過ぎるんだよ」
 呼吸を落ち着け、天使の少女の髪をわしづかみにする。
「こいつらは人の時間を食らって力にする。
 ああ、所有者である俺の時間もそうだが。
 なによりもその俺の時間の代わりとして、他の誰かの時間をその力にする。
 つまり、だ。無能のグズどもも、世界のために戦えるんだよ。その時間を、存在を、命を犠牲にして。
 素晴らしいだろ?」
 祥吾の体を蹴り上げる。
「そうやって世界を守る。
 ラルヴァと人類の生存競争。人類は一丸となってバケモノどもを滅ぼさなきゃならない。
 そうだ、そのためにこそ、こいつらは活用すべきだ!
 人類が、異能力者も無能力者も一丸となって戦う!! すばらしい、最高じゃないか!!」
 体をのけぞらせて笑う吾妻。
 だが……
「ふざ、け……るな」
 さんざん蹴られ、踏みつけられた祥吾が、ゆっくりと立ち上がる。
「そんなの、押し付けじゃねぇか……」
「あ? ……ふん、何を言ってる。
 俺たちに戦いを押し付けたのは、一般人気取りの無能どもだろうか!!」
「違う!!!!」
 だが、祥吾は叫んだ。
「俺が、この学校で……であった異能者の連中は、みな……
 自分で選んだ戦いに誇りを持ってた。みんな、自分で選んだ道だって言ってた。
 そりゃ、俺がしらないところで、「そういうこと」だってあったんだろうさ。
 だけど、だからといって、全てがそうだなんて誰が決めた。
 みんな、違うんだ。だけどそれでも……
 みんな、それぞれに守りたいものがあるはずだ。だから戦うんだろう、先生。
 あんただって、そうだったはずじゃないのかよ!」
「……っ、利いた風な口を! 戦わなかったお前に何がわかる!」
「ああ、わからないさ。だけどさ、だからといって。
 無関係な、ただの女の子を犠牲にしていいはずもなければ!
 戦いたくない女の子を無理やり戦わせていいはずもないだろうっ!!」
 その言葉に、吾妻に頭をつかまれている天使の少女がはっと頭を上げる。
「は。戦いたくない女の子? これはただの機械人形だよ」
「それでも、泣いていた。女の子の姿をした誰かが泣いていた!
 そんな涙の流れない世界がほしくて戦ってたんじゃないのか!?
 答えろ先生!! あんたは、何のために!!」
「……そんなこと」
 吾妻は言う。
「そんなこと、忘れたよ!! 戦って、戦って、戦ってきて!!
 お前らよりもっと小さい、子供の頃から戦ってきて、あの事件の前から、異能者として戦うしかなくて!!!
 最初のクソ甘い理想だとか、そんなもんはドブに捨ててきた!!!
 捨てなきゃ生きることも出来なかった!!
 理由? 目的? そんなものはもうない!
 あるのはただひとつ、世界を守る――ただそれだけだ!!」
 言って、吾妻は叫ぶ。
 呪文……いや、時計仕掛けの天使の機構を発現させるキーワードを。


 ――時を真似るがよい。時は一切の物を緩やかに破壊せん。
   時はおもむろに浸蝕せしもの。消耗させ、万物遍く全てを根こそぎにし、引き離すものなれば――


 響く言葉。振動する声と共に世界が歪む。
「ぅ……あああっ!」
 天使の少女の姿が軋む。
 体が解れ、崩れ、砕け――幾つもの弾機、発条、歯車、螺子へと変わっていく。
 それらは渦を巻き、螺旋を描きて輪と重なる。
 それはまるで、二重螺旋の魔法陣。
 そこに集まる大質量の魂源力は、やがて織り上げられ――

「爆覧せよ! 午後三時の天使、コーラルアーク!」

 力が、爆砕する。
 全長3メートルの巨体。
 チクタクチクタクと刻まれる薄桃色の鋼の巨躯。

 これこそが、その危険性により計画凍結・破棄された、永劫機(アイオーン)。
 時計仕掛けの天使――

「クロックワーク・アンゲルス……コーラルアーク。
 さあ、小僧。言いたいことがあるなら力で示してみろ!
 この人形を倒してな!」

 コーラルの顕現の余波で吹き飛ばされた祥吾が、顔を必死にあげる。
「ああ……」
 だが、祥吾には戦うすべがない。
 その身に異能の力の源泉が秘められているとわかった今も、彼はやはり――無能力者でしかない。
 その力を解放するすべを知らない。
 鍛え上げるすべも知らない。
 紡ぎあげる魔術も知らない。
 何も出来ない。目の前の巨大な天使に立ち向かう事も、そこに食われた妹たちを救うことも――
 祥吾ただひとりでは出来はしない。

 そう。

 一人なら、出来はしない。

 だがしかし。

 時坂祥吾は、一人ではない。今は。


 手を伸ばす。
 延ばした先には、衝撃で転がり落ちた、ひとつの時計。
 妹からもらった誕生プレゼント。
 そして、「彼女」の宿る――黄金懐中時計。

「! 貴様、それは――」

 吾妻が叫ぶ。
 だがその声も聞こえない。
 聞こえるのは、ただのひとつの音。心臓の鼓動を刻むかのような、針の音。
 それが今まさに、神像の鼓動を刻む。


『戦うのですね?』
 発条仕掛けの森の中で、メフィストは言う。
 彼女の前に立つのは、祥吾。
「ああ」
『妹さんたちを助けるために、敵の時間を捧げるために』
 だが、その言葉に祥吾はかぶりを振る。
『では妹さんを――諦めるのですか?』
「違う。
 言ったな、誰かの時間を捧げれば、一観に残された時間は増える、って」
『はい』
「それは――俺でもいいんだろ」
『!?』
 初めて、メフィストフェレスが狼狽した。
『それ、は――』
 射抜くような祥吾の視線を受け、目を少し逸らしながらメフェストは告げる。
『可能です。ですがそれだと――』
「ごちゃごちゃと御託はいい。妹は助ける、死なせない。
 他の誰かを犠牲にして助けることもしない。
 そうやって何かを理由にして、諦める事は俺の辞書にはねえ。
 代価がどうとか犠牲がどうとか、そんなくだらない現実なんて……
 俺が切り開く!」


 懐中時計を掴み、笑う膝を気合で押さえて立ち上がる。
 祥吾の口からは、呪文が漏れていた。
 そう、黄金懐中時計に封印された時計仕掛けの悪魔の機構を開放するキーワード。


   Es kann die Spur
 ――我が地上の日々の追憶は

   von meinen Erdetagen
   永劫へと滅ぶ事無し

   Im Vorgefuehl von solchem hohen Glueck
   その福音をこの身に受け

   ich jetzt den hoechsten Augenblick. Geniess
   今此処に来たれ 至高なる瞬間よ


「その式文――まさか、お前!」
 吾妻が叫ぶ。
 祥吾は、吾妻の視線を正面から受け止める。
「戦わない奴に何がわかる、と言ったな。
 ああ、確かにそうだ。そこは先生の言うとおりかもしれない。
 だから俺は――戦う。俺の、戦い方で!」

 黄金の懐中時計が解れ、崩れ、砕け――幾つもの弾機、発条、歯車、螺子へと変わっていく。
 それらは渦を巻き、螺旋を描きて輪と重なる。
 それはまるで、二重螺旋の魔法陣。
 そこに集まる大質量の魂源力は、やがて織り上げられ――

「だから、来い――俺は此処に、お前と契約する。
 大切なものを守るためなら、俺は――

 悪魔にだって、魂を売ってやる!!」



   Verweile doch! Du bist so schon
   時よ止まれ、お前は――美しい!



 力が、爆現する。
 全長3メートルの巨体。
 チクタクチクタクと刻まれる黒きクロームの巨躯。
 黒く染まる闇色の中、黄金のラインが赤く脈打つ。
 各部から露出した銀色のフレームが規則正しく鼓動を刻む。
 背中からは巨大な尻尾。
 頭部にせり出す二本の角、全体の鋭角的なシルエットからはまさしく竜を連想させる。
 それはモデルとなった悪魔――地獄の大公の姿ゆえか。

 これこそが、その危険性により計画凍結・破棄された、永劫機(アイオーン)。
 時計仕掛けの悪魔――

「クロックワーク・ディアボロス……メフィストフェレス!」

 時計仕掛けのクロームが吼える。
 祥吾の頭の中に、浮かんでくる何か。
 それは明確な言葉ではない。文字でも映像でもない。
 だがそれでも、判る。
 自分に何が出来るか。この悪魔に何が出来るか。
 そして――何をすべきか。


「……!?」
 吾妻は違和感に気づく。
 何かがおかしい。
 二体の永劫機の召喚。
 その余波は激しく、コーラルの顕現でさえ祥吾の体を吹き飛ばした。
 だが――
 空気が静か過ぎる。
 埃や、砕けたガラスの破片が宙を舞っていない。いや――
 停止、している?
「これは……まさか、結界。
 お前、時間を――!?」




 同時刻(?)――
 学園都市の管理施設にて異常が探知されていた。
「どうした、何があった? ラルヴァの進入か?」
「いいえ、違います。その……なんといったらいいのか。止まってます」
「? わかりやすく報告しろ」
「第八校舎を中心とした半径150メートルの範囲が、「止まって」るんです!」
「止まっている……? 何者かの結界か何かか? 空間凍結の類の」
「わかりません……解析結果でました! 術式不明、アンノウン。
 属性解析結果……「時空属性」!
 直径300メートルに渡り、時間が止まっています!」
「なんて……だと?」
 時間停止。それはありえない、と研究者の生徒は唇を動かす。
 時に干渉する能力は様々な研究がなされている。
 そのもっとも成果が出ている研究は、演算による未来予知・予測や、過去の再現。
 そして高速移動などだ。
 だが、時間を限定的であろうと「止めてしまう」という能力は、少なくとも自分の知る範囲では確認されていない。
「何が……起きているのだ……?」



 二体の時計仕掛けの人形が絡み合い、窓を突き破り校舎から運動場に落ちる。
 砕かれたガラスは、やはり途中で空中に停止する。
 時間を止められているからといって、止まった物体に干渉不可能、というわけではないようだった。
 然りである。完全な意味で、完璧に時を停止させる事が出来たなら――
 光さえも止まり、世界は闇に包まれる。そして空気すら停止し、呼吸すら不可能となるだろう。
 その意味では、メフィストフェレスの結界も正しく時間を停止させたというわけではない。
「くっ!」
 コーラルアークが拳をメフェストフェレスに叩き込む。
 一般人とはいえ数人もの魂を取り込んだ永劫機コーラルアークの総出力は、永劫機メフィストフェレスを凌駕している。
 加えて、操る吾妻もまた熟練の能力者である。
 永劫機との契約により、本来の異能力は消失しているが、その力の総量と経験則は何よりの力となり、祥吾を圧倒する。
 叩きつけられ、クロームのボディが軋むと同時に、祥吾の体にも衝撃が走る。
「ぐ……がっ!」
 これが永劫機との契約。自らの魂を捧げ、人ならざるものを動かす反動。
 永劫機のダメージは、その契約者に直接フィードバックされるのだ。
『……っ』
 メフィストフェレスが必死に抗う。
 だが、あまりにも力を使いすぎると、祥吾の時間を食い潰してしまう。それはできない。
 彼の残された時間は、眼前の永劫機に捧げられた彼の妹の為に「使い潰されなければならない」のだから。
「ははっ、どうした! それでよくもでかい口が叩けたものだ!」
 吾妻が笑う。
「所詮……この世界は力が全て! そう、お前は守れない。
 口だけならなんとでもいえる。だが、力なき正義は無力!」
 そう、嘲笑する。見下す。貶め、揶揄し、罵倒する。
 ――血を吐くような声で。何かを呪うかのように。
「手に入れた力があろうとも鍛えなければ価値が無い! 覚悟がなければ意味が無い!
 そしてどれだけ力があろうとも、それを制御できなければ――
 そして、結果を残さなければ是非も無いッッ!!!!」
 首を絞めあげ、持ち上げる。
「甘い理想など! 現実という重さに潰される! ガキのたわごとでは、世界は守れないっ!!!!」
 だが、絞められながらも、祥吾は声を絞り出す。
「――だけど、それでも……」
 メフィストの手が動き、コーラルアークの腕を掴む。
「どれだけ現実が重くても。
 時の流れに擦り切れて、かつての理想を忘れる日が来たとしても……」
 メフィストフェレスの手に力がみなぎる。
 首を絞めていたコーラルアークの腕を、ゆっくりと引き剥がしていく。
「それが……!」
 祥吾の脳裏に浮かぶのは。
 妹の、一観の明るい笑顔。
 友人の、島田が各務への想いを語る時の恥ずかしそうな顔。
 ごめんなさいと謝った、コーラルの悲しそうな顔。
 そして、初めて見た時から心に残る、メフィストの――何かに諦め、磨耗した空虚な表情。
 それら全てが祥吾の胸に去来する。
「何かを諦める理由には、ならない……っ!!!!」
 だから、きっと。
 総出力の差を覆し、コーラルアークの腕を引き剥がしたその力は……単純な。
 魂源力とか、時間とか。そんなのとはもっと別の力だったのだろう。
「な……!!」
 鋼がひしゃげる音が響く。
 コーラルアークの腕が引きちぎられる。
 刹那、メフィストフェレスは翼を大きく広げて跳躍し、距離をとる。
「なるほどな、だが……っ!!」
 吾妻の叫びと共に、コーラルアークの腕が復元される。砕かれた発条、螺子が組み合わさる。
 やはり単純な力の総量では勝てない。
 どれだけダメージを与えようと、その魂源力にあかして復元してしまう。
 ならばどうする。
「――メフィスト」
『はい』
 祥吾はメフィストに語りかける。
「質問だ。お前やあいつは――破壊されたら、死ぬのか?」
『……』
 その質問の意図を、メフィストは感づいた。
 そう、よりにもよってこの愚かな所有者は、捧げられた妹達だけではなく――コーラル本人も救いたいと思っている。
『はい。ですが――それは、完璧に破壊された場合のみです。
 中枢であり本体である、懐中時計さえ無事なら――』
 つまり。
 彼女達を駆動させている源。
 心臓であり頭脳である、その核を確保すればいい。
『そして、そこには――』
 そういうことか。
 ならば、やるべき事は定まった。

「……?」
 戦いの中で、吾妻は気づく。
 メフィストフェレスによって止められたはずの時間が、少しずつ動こうとしている。
 宙に止まる粉塵、ガラス、そして舞う木の葉。
 それらが少しずつ、動き出そうと震えていた。
「……結界を維持する力すらも尽きかけているか」
 吾妻は嘆息する。
「もういい。もういい! 所詮此処まで、お前には何も出来ない。
 ああ、よくわかったよ!
 コーラルアーク、とどめをさしてやれ!」
 コーラルアークが吼える。
 主の命令に答え、満身創痍のメフィストフェレスを破壊せんと、一歩を踏み出そうとして――
「!?」
 吾妻は目を見張る。
 コーラルアークの動きが緩慢になる。まるで、そう……濁流に足をとられて動けなくなっているかのように。
「何だ、何が起こっている……?」
 足だけではない。
 全身がぎこちなく軋む。
 エネルギーが尽きた? いや、そんなはずはない。魂の残量は把握している。
 では何故。コーラルアーク自身の不調ではない。となると、外部からの干渉か。
「何をした……何をした貴様!!」
 吾妻は祥吾に毛かって叫ぶ。
 祥吾はゆっくりと立ち上がり、その問いに答える。
「先生。小川を石で堰き止めたことはあるか? あれと同じだ。
 堤防で堰き止められた水の流れは止まる。だがやがて溢れた水は少しづつ漏れ、そして――
 決壊し、あふれ出す」
「!? まさか、貴様――!」
「察したか。この結界は時間を止めたんじゃない。
 結界範囲内の時間を「堰き止めた」んだ。
 そう――周囲の時間の流れから切り離され堰き止められた、この時間の流れはやがて膨大な爆流となり襲う。
 あんたは最初から履き違えていたんだよ、これは戦う場所を整えるための結界じゃない。
 この結界そのものが俺の、俺たちの武器だ」

 そう、メフィストフェレスの能力は、時間を止めることではない。
 完璧なる時間の停止ではなく、「時間の流れをせき止める」ものだ。

 時空堰止結界、クォ・ヴァディス。
 それは周囲の時間を、堤防のようにせき止める。
 止められた時間は、本来の流れに戻ろうとその勢いを増す。
 その時間の復元作用を逆手に取る。
 堤防が決壊するまでの時間、メフィストフェレスは負けないように、「時間稼ぎ」をすればいい。
 コーラルアークは、堰き止められなくなった時間の余波、その軋みによって動きを止められている状態だ。
 そしてそれは、嵐の前の静けさに過ぎず――

「――っ!?」
 時の流れが、視覚的に渦を巻くほどに流れ出す。
 その中心には、時計の図柄のように浮かぶ魔法陣に高速されたコーラルアーク。
 メフィストフェレスは、その渦の流れの中心を飛翔する!
 狙うはただひとつ。
 コーラルアーク本体ではない。ただその中心に向かって駆ける。
 永劫機の中心。
 その体内に安置された、砂時計。
 それは、捧げられた生贄の魂の時間を魂源力へと変換する、時空駆動機関。
 本体であり中枢、頭脳であり心臓である懐中時計。
 その核が展開し変じたそれは、大気中の魂源力や物質を集め、まさしく錬金術により永劫機の体を構成する。
 つまり。
 その核を永劫機の体から引き剥がしてしまえば、もはや永劫機はただの人形に過ぎない。
 そして、その核の砂時計を破壊し、時の砂を解き放てば――捧げられた者は、再び開放される。

「時空爆縮回帰呪法――」

 メフィストフェレスは飛翔し、そして左手をコーラルアークの中心に叩きつける。
 破砕音が響く。
 鋼を砕き、抉り、メフィストフェレスの爪が侵入する。
 探り当てた、その体内の核を掴み、そして力任せに引きちぎる。

「クロノス……レグレシオン!!」

 右手に集う、時間の爆流。
 その全てを、残されたコーラルアークの体へと叩きつける。
 左回りに渦を巻く時空流と、右回りに唸るメフィストフェレスの拳。
 その時間の流れがぶつかり合う!
 回帰しようとする流れ。膨れ上がる力。
 それが反応し合い、一気に爆縮し、コーラルアークのボディを分子レベルで爆砕していく。
 それにより生じるエネルギーは光の柱となり、天に突き立った。

 それはまるで、光の墓標のようだと――誰かが言った。



 その光に包まれて。

 吾妻修三は、静かに目を閉じる。

 ――忘れていた何かを、思い出したような気がして――

 その口元には、憑き物がおちたように、微笑が浮かんでいた。 





 メフィストフェレスの左手にある、永劫機コーラルアークの核。
 その中の砂時計のガラスが砕け散る。
 それで終わり。
 捧げられた生贄は元に戻る。
 そして――あとは、交わされた契約どおりに。

 本来、残された時間が少なかった時坂一観。
 神が定めた運命とでもいうべきか。
 死すべき定め。意味の無い仮定ではあるが、仮に――吾妻に狙われ、コーラルに捧げられずとも、彼女の命は何らかの形で尽きていただろう。
 交通事故か。それとも殺人事件か。あるいは、ラルヴァに襲われたか。
 それが運命。
 そのはずだった。
 それを覆すために――メフィストフェレスは契約を果たす。

 そう。時坂祥吾の残された時間を、


 一観へと――――捧げる。








「……」
 病院のベッドで、時坂祥吾は目を覚ます。
 目を覚まして最初に思ったことが、「ありえない」という事だった。
 自分の残り時間は、妹へと渡されたはず。彼女を助けるために自分はそれを選んだ。
 自己満足で偽善、ただの欺瞞だと罵倒されようとも、それがいいと思った。
 だが、こうして自分は生きている。
 何故だ?

「念のために言っておくと。ちゃんと貴方の妹は生きてますよ。無事です」
 ベッドの傍らから声がかかる。
「めふぃ……すと?」
「はい。貴方の伴侶のように、召使のように、あるいは奴隷のように仕えるメフィストフェレスでございます」
 おどけたように笑う少女。
 確かにそうだ。違うのは、今までは頭の中に響く、夢の中の存在だった彼女が実体化しているということ。
「契約を交わしましたから」
「そうか」
 そう相槌を打つ。
「……なんで俺は、ここにいる?」
「私が望みました」
「……どういうことだ?」
「私が生まれてから、十年。その間に何人も所有者が変わりました。
 誰も彼もが、自らの望みだけを願った」
 遠い目をして、窓から外を見る。
 死にたくないと、誰かの時を奪ったり。
 何かが欲しいと、誰かが欲しいと。
 時を止め、その中で欲望を満たした。あるいは満たそうとした。
 そして、みな例外なく、自滅していった。
 それを少女は、ただ見続けていた。
「……その中で。誰かのために、自分の時間を渡すなんていう人は初めてでした」
 後先考えない自己犠牲だと、ただの偽善で欺瞞だと笑う人もいるだろう。
 実際に、愚かとしか言いようが無いのは事実だ。
 それで死んでしまえば何にもならないだろう。
 賢い人は、そうやって理屈で武装する。そして正しい選択を選ぶだろう。
 だが、それは本当に正しい答えなのだろうか?
 多分、その答えは永遠に出ない。人それぞれ、なのだから。
 そして――今まで彼女が見続けてきた人間は、皆一様に賢かった。
 祥吾のような、理屈も計算もかなぐり捨てた愚直な選択をした者はいなかった。
「だから、興味を持っただけです。だから」
 一呼吸おいて、彼女は言った。

「貴方の時間が尽きる直前。その「生命としての時間」を止めました」

「な……!?」
 さすがに予想外だったのか、祥吾は目を見張る。
 時間を止めた……?
「死へと向かうその時のみをせき止める。
 肉体はそのまま、代謝も続けるのでそれ別に不死の法でもなんでもありませんけど」
 体を、存在そのものの時間を止めてしまえば、なるほど確かに死ぬことは無いが、生きてもいない。
 それでは意味が無い。
 だから、生命としての時の流れを堰き止める。
 物質としての肉体の時間はそのまま流れるので、成長・老化もすれば、破壊だってされる。
 時間を止めたからといって、人間の追い求めた「都合のいい不老不死」などは難しいということだ。
 これもまた、永劫機の廃棄決定の理由のひとつであることは、また別の話であるのだが。
「だったら、それを最初から一観にしてくれれば……」
「契約者にしか効きませんから」
「……そうか」
「そうです」
 それで会話がひとまず途切れる。祥吾はベッドに横たわったまま、天井を見る。
「……先生はどうなった?」
「亡くなりました。その時間を使い果たして」
「……!?」
 その言葉に祥吾は飛び起きようとして、痛みに顔をしかめで再び倒れる。
 圧倒的な違和感。いや、話の食い違い。
 おかしい。だって……
「あの天使の原動力として、一観たちを捕らえたはずだろ……?」
 時計仕掛けの悪魔、天使の原動力は契約者の時間。だがそれは、本人以外の他者の時間で賄える。
 その為に、人を襲わせればいいのだ。
「そうですね。それは事実です。
 それがなぜ、彼女達の時間をほとんど使わず、自分の魂を削ったのか……
 私には、理解できません。ですが……」
 伝わったのではないでしょうか、と。
 愛すべからず光の君は、口にした。
 戦い続け、何かに絶望し、世界に悲嘆し、弱者に憤怒し、磨耗した一人の能力者。
 世界を守ると叫び、何のために守ろうとしたのかさえ忘却しながらも、それでも戦うしかなく。
 機械仕掛けの天使に託しながら、押し付けながら。
 あまりにも矛盾し、狂い、理不尽で、ちぐはぐで、そして人間らしかった、ひとりの男。
 彼に、きっと――祥吾の何かが伝わったのだろう。それが何かは、きっと本人にしかわからない。
 いや、もしかしたら本人にすらわからないのかもしれない。
 そしてそれは、おそらく――逆もまた然り。
「俺の……せい、なのかな」
「わかりません」
 人間の事は、とメフィストは続ける。
「そうか」
「はい」
 しばらく静寂が訪れる。
「……俺、さ。戦うよ」
 そして、しばらくして祥吾が言った。
「先生のやったことは許せない。許しちゃいけないと思う。
 だけど、それでも……吾妻先生が、この世界を守ろうとしたことは、変わりが無い」
 どれだけ磨耗して、疲れ果て、見失い、凶事と暴走に走っても。
 それでも、彼は守ろうとした。そして戦ってきた。守ってきた。
「俺は、忘れない」
 何を守りたかったか。
 何のために、戦ったか。そして、戦おうと決意したか。
 その理由は、もう喪われてしまった。だけど、想いは、その行動は消えはしない。
 永遠が存在するとしたら、それはきっと、そういった――受け継がれる何か。
 それを、祥吾は受け取っていく。そして、受け渡していく。
 切なる想いも、猛き激しさも。その正しさも、過ちも、その全てを。
「ご随意に。私は、ついていきます」
「そうか」
「はい」
 簡潔に、しかし強く答えるメフィスト。
 不思議と、その瞳にはあの時のような諦観の翳りは見えない、と祥吾は感じた。
 それは気のせいなのだろうか。それとも。
 その紫水晶の瞳を覗き見る祥吾に、メフィストは気づく。
 しばらく見詰め合う二人。
 そして――


 どたどたと廊下から足音が聞こえてきた。その足音の主は、勢いよく、
「お兄ちゃんっ!」
 盛大にドアをあけて、一観が駆け込んできた。
「ちょ、おま、ここ病院……」
「びっくりしたよっ! そんな大怪我、もう何したのっ!?
 ていうか何っ!? なんでそんな見つめあってるの、その人誰っ!?」
「え、いやそ……」
 言いながら体当たりしてくる。
 頭がみぞおちに一撃。
 骨や肉に伝わる衝撃。
 声も出ぬほどの痛み。悶絶。
 これが、これこそが愛の一撃。
「~~~~~ッッッッ!!!!!!」


 時坂祥吾は、間が悪かった。



 了

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ツールボックス

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