【ぼくたちの戦争:中編】

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【ぼくたちの戦争:中編】



   ※※※




 マンイーターについて、ぼくもそれほど知っているわけではない。
 ぼくのような非能力者の一般生徒にはあまり詳しい情報など入ってくるわけもなく、これは基本情報的なものだがそれでも話さないよりはましだろう。
 最初に被害者が出たのはちょうど一週間前だ。
 都市部の裏路地で中等部一年の女生徒の死体が発見された。死体はゴミ捨て場に捨てられていて、カラスが漁っているのを清掃員が見つけたらしい。最初は殺人かと思われたがどうやら死体を解剖したところ未知の生物の歯型や爪痕が発見されたらしい。
 人間の肉付きがいいところが噛まれて無くなっていることから、そのラルヴァの行動理由を“捕食”とラルヴァ研究者はそう断定した。種族が不明のためそのラルヴァは便宜上“|人喰い《マンイーター》”と呼ばれるようになった。
 二人目の被害者は小等部の三年生の女子で、最初の事件の三日後に殺された。ほとんど骨だけしか残っていなかったらしく、学生証が残されていなかったら身元の判別はほぼ不可能だったらしい。用水路に骨が浮いているのを双葉島の特殊警察が発見したらしい。幼い少年少女が被害にあったため、討伐部隊も気合を入れて捜査しているらしいが、まだマンイーターの姿すら捉えられていないという。
「はーん。ここの異能者共は無能ばっかだな」
 火野はズレ落ちるメガネを直しながらそうバカにするように吐き捨てた。
 ぼくたちは今その第一被害者が発見された裏路地に来ている。ビル郡の間に挟まれていて、当然ながら人気なんてまったくない。街灯もないため夕日だけがかろうじてこの薄暗い空間を照らしている。
 そこには未だに立入禁止《キープアウト》のテープが張られていて、ああ、ここで事件があったんだな、と感じさせるには十分な雰囲気があった。
 まったく、なんでこんなことに。マンイーターの話なんかするんじゃなかったよ。ぼくは後悔しながら断れもせずこうしてこんなところまで火野についてきてしまった。
「しかしおかしいだろ。ラルヴァがこの島にいたら“神那岐システム”に引っかかるんじゃないのか?」
「いや、あのシステムはどうやら強力で強大なラルヴァにしか反応しないようだよ。学園には人間とほとんど変らないラルヴァの生徒もいるらしいし、全部のラルヴァに反応していたら混乱の元だろう。……というかやけに詳しいね火野くん。今日転入してきたばっかりなのに」
「ああ、いや。まあ、その、なんだ。前に説明を受けたんだよ。僕は異能者だからそういう事情には通じておかないと」
 火野が珍しく慌てたように見えたが、まあどうでもいいや。
 とにかく火野の好奇心が早く満たされるように祈るしかない。ぼくはもう寮に帰って安らかな自分の時間に浸りたい。部屋に閉じこもって音楽を聴いている時だけがぼくの唯一の幸せの時間だ。
「火野くん。マンイーターなんか討伐部隊や醒徒会に任せればいいだろ。ぼくらが出る幕なんかないよ」
「馬鹿が。こんな面白そうな事件に関わりたいと思うだろ普通は。このままじゃお前は脇キャラまっしぐらだぞ。ザコキャラで満足なんか出来るのかよ。僕は嫌だね、第一話で死んじゃうようなやられ役のザコにだけはなりたくない。僕の人生は僕が主役だ」
「ザコキャラって……ゲームじゃないんだから……」
 火野のゲーム脳にはもう呆れるほかない。
 ぼくは主役なんかになれないし、なりたくもない。スペクタクルなんていらない。面倒事はたくさんだ。
「しかしもうここには何も痕跡は無いようだな。現場を見ても無意味か」
 火野はしゃがんで辺りを見回しながらそう言った。当然だろう。事件から一週間も立っているのだから既に手がかりは警察などが調べきっているはずだ。ぼくらのようなただの学生が何か出来るとは思わない。火野に至っては転入してきたばかりなんだからこの学園都市を把握してないだろうし、討伐部隊を出し抜いてマンイーターを捕まえようなんて無茶もいいところだ。
「こんな調子じゃ二つ目の現場見に行ってもたかが知れてるな。それに用水路の中になんか入りたくねーし」
 火野はぼさぼさの長髪をがしがしと掻きながら溜息をついた。どうやら諦めてくれたようだ。ふう、これで帰れるな。
「よし、じゃあしらみつぶしにマンイーター探しに行こうぜ。探検だ。探検! なんて甘美な響きだ! マッピングは僕に任せろ! 糸は持ったか? さあ冒険だ!」
 頭が痛くなってきた。
「なあ……ぼくもう帰っていいか?」
 思わず本音を呟いてしまう。なんでこいつはそんなに張り切っているのだろうか。理解に苦しむ。
「何言ってんだ一之瀬。これはお前のためでもあるんだぜ」
「え?」
「マンイーター捕まえてお手柄をとればお前ももう弱者だなんて周りは思わないさ。英雄扱いされるぜ。悪い話じゃねーだろ」
「そ、そんな英雄扱いなんていらないよ。ぼくは目立ちたくなんかないんだ」
「ふん、自分を卑下して生きても息苦しいだろ。まあ、確かにあんなクズ共に英雄と持ち上げられてもなんも価値はないけどな」
「だったらもう帰ろうよ。あんまり遅くまで出歩いてると風紀委員がうるさいし……」
「駄目だ。一之瀬、お前は対決をすべきだ。弱者の生き方にうんざりしているのなら強者になれ。強者になれたければ戦え。都合よくマンイーターという“敵”が現れたんだ。これはお前の魂のレベルを上げる試練なんだよ」
「そんな、ぼくみたいな無力な人間が戦えるわけないだろ!」
 なんでぼくが戦わなきゃいけないんだ。ふざけている。ぼくは痛いことも辛いことも全部嫌なんだ。だから今までだって戦わずに逃げてきた。それこそが最善だと、間違ってないと思っている。
「いいから行くぞ。まだ日が暮れるまでにはまだ時間はある。それに、殺人鬼ってのは昼でも夜でもなくこのくらいの曖昧な時間に犯行を起す場合が多いんだよ」
「さ、殺人鬼って……。相手はラルヴァなんだからそんな理屈通じないだろ」
「まあ、な。だが、なんだかこの事件はまともな感じがしない。獣的なものよりもっとこう……同種の匂いというか……」
「え?」
「いや、なんでもねえ」
 火野はそう言いながらスタスタと歩き始めた。こんなところで一人にされても嫌なので、ぼくは仕方なくその後を追っていく。ああ、厄介なことになったな。
 ぼくたちは人通りの多い商店街へやってきた。
 学校帰りの学生たちで賑わっていて、人ゴミの苦手なぼくにとっては苦痛な空間だ。カフェテラスやファミレスで可愛い女の子と一緒にお茶をしている男子たち。ぺちゃくちゃと雑音を鳴らしてアイスを食べながら歩いている連中。道を遮るように横一列に歩く奴ら。腹立たしい感情を覚えるが、これはただの嫉妬だろう。普通の世界に溶け込めない弱者の嫉妬だ。でも、みっともない嫉妬だとわかっていても憎まずにはいられない。
 強者たちにはぼくたち弱者の気持ちなんか解らないだろう。
 彼らがこうして楽しそうに喋っている間も、ぼくたちのような弱者がお前たち強者に死んで欲しいと願っていることを。くそ、死ね、死ね、死ね!
 ぼくがそうして心の中で呪詛を吐いていることも知らずに、連中はまだ楽しそうに笑っている。ああ、うんざりする。こんなところから一歩でも早く駆け出して自室に行きたい。
「火野くん、こんなとこにマンイーターは現れないだろ。もう帰ろう」
「ああ、いや。ここ来たのは調査じゃねえよ。腹減っただろ、なんか喰おうぜ」
「は?」
 普通の学生ならば買い食いなどは日常的で当たり前なのだろうが、ぼくは買い食いなどしたことがなかった。恐るべき強者たちが集うこの商店街ではぼくの居場所などないのだから。ぼくは普段から授業が終われば真っ直ぐに寮に帰っている。葵ともデートなんてものは一度もしたことがない。どこへ行っても自分が笑われているのではないか、見下されているのではないか、という被害妄想に囚われてしまう。自意識過剰だと、思い込みだと解っていても、そう考えてしまう。
「ほれ、あそこのホットドッグでも食べようぜ。あ、僕財布忘れたからちょっと貸してくれ。明日には返すからよ、多分」
 そう言って火野は屋台車のホットドック屋に歩いていった。友達というものがいないぼくは、こんな風に男子と買い食いなんてするのは初めてで、妙に緊張してしまう。やはり意味も無く周りの視線を気にしてしまって、上手く声が出ない。
「おっさん、ホットドッグ二つ――」
 そう火野が店員に話しかけると、
「ねえホットドッグ食べようよ!」
「いいわね。あたしLサイズのにしよー」
 と、二人の制服姿の女子が火野の前に割り込んできた。その二人は茶髪と金髪の化粧の濃い女生徒だ。校章の色から察するに同学年だろう。正直クラスが多すぎて同学年でも顔の知らない生徒がほとんどだ。彼女らはぬいぐるみやキーホルダーなどがバカみたいに鞄についている。重たくないのだろうか。いかにも声の大きいバカ女と言った感じではあるが、ぼくはこういう奴らにも何も言うことはできない。
 火野もこんなバカ女達に横入りされて唖然としているようだ。だが、こういう場合何も文句を言わずにやりすごすのが一番いい。それは火野もわかっているだろう。
「ちょあああああああああああああああ!」
 だが、火野はそんな奇声を発しながらその女生徒二人に向かってあろうことかドロップキックを放ったのだった。無駄に長い火野の脚は女生徒にクリーンヒットし、股を広げながら無様に転んでいった。汚らしいパンツが丸見えだ。全然ありがたくない。火野は蹴っただけでは飽き足らず。倒れた女生徒の頭を思い切り踏みつけている。おいおいおいおいおい、何してんだよあのバカ! 何事だ、って周りの奴らも見てるじゃないか! 目立つことはぼくのいないところでやってくれないか。もう逃げてもいいだろうか。
「な、何するのよこのキモメガネ!」
「ちょっと、訴えるわよ長髪メガネ!」
「うるせえ! てめえらこそ何してやがる。この僕が先に並んでただろうがこの糞メス豚共め!」
「なんですって! あんたらが影薄いのが悪いんじゃん! どうせあんたらオタクでしょ? 気持ち悪いわね。社会のゴミなんだから大人しく部屋にこもってなさいよ!」
 ああ、本当にそうしたい。今すぐ部屋にこもりたい。なんでこんなみんなが見ている中でこんな言われも無い罵倒を火野と一緒に受けなければならないんだ。
「ちっ、糞ブサイクが。これだから三次元は嫌なんだよ」
「おい、誰の彼女がブサイクだって?」
 と、何やらそんなドスのきいた声がぼくの背後で聞こえてきた。ぼくが恐る恐る振り返ると、そこにはニット帽を被ったえらくガタイのいい男がぼくたちを睨んでいた。そうだ、こいつは有名な不良の谷崎だ。ラグビー部を醒徒会に潰されて大人しくなったと聞いていたが、やはりそう簡単に更正するわけがないか。ぼくは膝が震えるのを自覚する。恐らくこのバカ女は谷崎の女なのだろう。火野め、とんでもないことをしてくれやがって!
「はん、豚の恋人はやっぱり豚か。おい、そのニット帽全然似合ってねーぞ。あの回転バカのほうがなんぼかマシだぜ」
 火野のその言葉に、谷崎の顔がどんどん紅潮していくのがわかった。「ぶち殺してやるこのオタメガネが!」と叫んで思い切り火野の顔面へその巨大な拳を叩き込んだのであった。止めることもできずにぼくはそれを見ているしかなかった。衝撃で火野の身体は吹き飛び、ホットドッグ屋の車体にぶち当たった。
「ふざけやがって。てめえらみたいなクズが粋がるんじゃねえよ」
 周りの生徒たちはまるで面白い見世物を見ているかのような目をぼくたちに向けている。自分に関わりの無い騒動というものは娯楽でしかないのだ。誰もぼくたちを助けようとはしない。先に手を出したのが火野のせいでもあるのかもしれないが。
 火野は割れてひん曲がったメガネを押さえながら鼻血を垂らしている。こんな風になったらいくらあいつでももう大人しくなるだろう。
「おい、そっちのお前はこいつのツレか?」
 谷崎は恐ろしい目でぼくを睨んだ。ぼくは身体が硬直してしまう。口が突然渇いてきて、上手く声が出ない。心臓の音がうるさくて今にも破裂するのではないかと思えるほどだ。
「いや、ぼくは……」
 ぼくがうつむいてなんとかそう言葉を出そうとすると、谷崎はニタニタと笑っている。これだ、これが強者と弱者の差なんだ。弱い奴は何をしようとしてもこいつらに潰されるんだ。ぼくたちは所詮大人しくしているしか能の無い人間なんだ。逆らうな。殴られるぞ。力の無い奴が出れば打たれる。この火野みたいに……。
「おいお前。この場で土下座したら許してやるぞ。それともあいつみたいに俺に殴られるか?」
 ぼくはそう言われて頭が熱くなってもう何を考えたらいいのかもわからなくなってきた。谷崎はなんて言った? 土下座をすれば許してくれる。ぼくが何か悪いことをしただろうか。悪いのは全部火野じゃないか。なんでぼくがそんなことをしなくちゃならないんだ。逃げようか? いや、体力の無いぼくが元ラグビー部の谷崎から逃げられるとは思えない。じゃあどうする。謝るのか。悪くもないのに。惨めに地面に手と頭をつくのか。仕方ないだろう。痛いのは嫌だ。それで殴られないで何事も無く終わるのならそれにこしたことはないだろう。
 ぼくは唾を一気に飲み、ごくりと言う音だけがぼくの頭を支配した。目の前には不機嫌そうに睨みながらも口はニタニタと笑っている谷崎の顔。謝ろう。土下座をしよう。それで丸く収まるのならもうどうでもいい。弱者らしく地面に這いばろう。それでいいんだ。
 ぼくはゆっくりと膝を落とした。土下座をすることを決めた。だが、
「やめろ一之瀬。それは駄目だ。それだけは駄目だ。それをしたらお前の魂は完全に負け犬になる。一度ついた汚れは二度と落とせなくなる。顔を上げろ、相手を見ろ一之瀬」
 火野の小さなそんな声が聞こえた。
 じゃあ一体どうしろと言うのだ。ぼくのような弱者にどうしろと言うのだ。
「ちっ、てめえはまだ殴られ足りないらしいな。いいだろう。二度と口答えできなくなるまで殴ってやる」
 谷崎は火野の胸倉を掴みあげた。恋人だという女生徒はきゃーきゃー言いながらはやしたてている。なんでだ、なんでなんだよ火野。なぜお前はそこまで尖っていられるんだ。怖くないのか。ぼくはもう言葉すら出ないというのに。
「やってみろ糞豚。貴様がどんなに僕を殴ろうとも、僕の心を折ることは出来ない。それにな、僕を怒らせたら貴様はただじゃ済まないぜ。なんせ僕は手加減なんて出来ないんだからな」
 火野はギラギラと、そしてドロドロとした深淵のような黒い瞳で谷崎を睨み返した。歪んだメガネをかけながら、鼻血もだらだらと流しながらも火野は臆してはいなかった。
「かっこつけやがって、いい加減に――」
「ちょっとそこ退いてくれるかな」
 谷崎が火野を殴りつけようとした瞬間、そんな声が聞こえた。
「あ、おじさん。ホットドック一つ、マスタードたっぷりで」
 店の前で揉めている谷崎と火野を尻目に、とある男子生徒がひょっこりとホットドッグを注文していた。谷崎もぽかんとして彼を見つめている。なんて空気を読まない奴なんだろう、というのがぼくの正直な感想である。
 その男子生徒は一言で言えば軽そうな男。ぼくの一番嫌いなタイプ。
 しかしたれ目だが顔はとても整っていて、べったりと張り付くような長い前髪が悔しいがよく似合っている。左耳には悪趣味なドクロのピアス、はだけた制服の下の真っ赤なTシャツに「I LOVE☆ROCK」などとダサイ文字が書かれていた。
 どう見てもぼくのような弱者と相容れないであろう人種だ。校章のカラーは彼が高等部の一年生であることを示していた。年下が相手でもぼくはこの手の人種が苦手で、関わりあいたくないと思った。
「おいてめえ、随分といい度胸じゃねえか。俺の邪魔しやがって」
 谷崎は酷く適当な言いがかりをその生徒につけた。谷崎という男は暴れられる理由があればなんでもいいのかもしれない。掴んでいた火野を引き離し、今度はそのドクロピアスの男に掴みかかろうとした。しかし――
「え、あ。ん? 身体が、うごかねえ!?」
 それはとても滑稽な姿であった。谷崎はドクロピアスの男の肩を掴もうとして手を伸ばした格好のまま、まるでビデオの一時停止を押したかのようにぴくりとも動けなくなっている。動いているのはその苦悶の表情だけだ。一体何が起きているのかぼくにも谷崎もわかっていない。ぼくはドクロピアスに視線を向ける。
「まったくうるさいなあ。周りの迷惑も考えなよ」
 ドクロピアスはモクモクとホットドッグを齧りながら左手の指をくいっと引いた。すると、今度は谷崎の身体がまるで玩具のように、そう、まるで“何か”に引っ張られるように倒れこんだ。身体は動かせないままのようで、谷崎は受身もとれずにコンクリートの上に転んでしまった。
「い、いってえ……。てめえ何しやがった!」
 異能。
 おそらくドクロピアスは何らかの異能を使ったのだろう。それが何かわからないが、普通の人間が出来る芸当ではない。ああ、ぼくにも異能があったらこんな風に強くあれるのに。そうだ、ぼくは異能《ちから》がないから駄目なんだ。ぼくだって異能があれば……。
「ちょっと谷崎くんに何すんのよピアス野郎!」
 と、女生徒二人がドクロピアスに抗議をしようとした瞬間、彼女らもまた何かに引っかかったように無様にすっ転んでしまった。
「うえ、パンツ丸見えだぞおブスさんたち」
「てめえ異能者か……。ならこっちも手加減しねえぞ」
 谷崎は精神を集中していく。すると、彼の頭の上に光の球体が現れた。バチバチと音がし、それが電気の塊なのだとすぐに理解できた。あんなものを食らったら怪我ではすまない。こいつらアホか。なんで殺し合いの真似事までするんだ。
「ふうん。やる気かい。この俺、鬼沼《きぬま》烏丸《からすまる》様にあんた如きドサンピンが勝てると思ってるのかい」
 ドクロピアス、いや、鬼沼と名乗ったこの男はよせば良いのに谷崎に対してそう挑発するようなことを言った。ホットドッグを口に詰め込み、包み紙をその辺にポイ捨てし、倒れている谷崎と対峙する。その目は酷くギラついていた。火野と同じような黒い瞳。見えない何かと戦い続ける者の眼。
 ぼくには一生出来ない眼だ。
「こらー! あんた達何してるの、喧嘩はご法度よ!」
 ぼくたちは一斉にその声のほうを向く。騒ぎを聞いた風紀委員たちがようやく駆けつけてきたようだ。来るならもう少し早く来て欲しいものだ。
「やっべ! おい、先輩たち逃げますよ!!」
 鬼沼はぼくたちの方を見てそう言った。確かに風紀委員に捕まったら殺されかねない。動けない谷崎を放置して、ぼくは鬼沼と一緒に逃げようとしたが、火野は地べたに座ったまま動こうとしない。
「おい、火野くん! 立ちなよ、風紀委員に捕まったら面倒だよ」
 だが、火野は反応しない。ぼくがそっと彼の顔を覗きこむと、白目をむいていた。
「こ、こいつ気絶してやがる! あんだけ大口叩いておいて!!」
 ぼくは呆れながらも仕方なく火野を担ぎあげる。長身だがやけに痩せていてそこまで重くないのが幸いだ。ぼくは本当に逃げるべきなのかわからなかった。風紀委員に事情を話せばわかってもらえるのではないかと思った。だが、
「さあ、こっちだ。こっちに逃げますよ!」
 鬼沼にそう怒鳴られたぼくはいつもの条件反射で彼に従ってしまう。ああ、弱者というものはやはり目の前の強者に逆らうことは出来ないんだ。ぼくは彼の後を追って走っていく。風紀委員は谷崎たちの処理で手間取っていてぼくたちを追いかける余裕はないようだ。
 ぼくたちと鬼沼は走ってデパートのフードコートまで逃げてきた。適当に空いている席へ三人で座り、一息つく。
「へへ、まさか逃げた先がこんなところとは思うまい」
 鬼沼は汗一つかかず涼しい顔をしてそう言った。ぼくは火野をイスに座らせて、走って熱くなった身体を冷やすためにジュースを頼んだ。
「あ、先輩。俺にもジュース下さいよ。助けてあげたんだから奢ってくれてもいいでしょ」
「……」
 ぼくは適当にコーラを人数分買ってテーブルに戻る。
「一応礼は言っておくよ。ぼくは三年の一之瀬。こいつはクラスメイトの火野だ」
「俺は一年A組の鬼沼です。あ、コーラか。俺はメロンサイダーのがよかったなぁ」
「なんでぼくたちを助けてくれたんだ」
 遠慮なくコーラを飲み始める鬼沼にぼくはそう尋ねた。すると、彼はニヤリと嫌な笑いをぼくに向けた。
「先輩たちがマンイーター事件の犯人だから」
「なっ!」
 ぼくは声を失う。何を言っているんだこいつは。初対面の上級生に対して失礼にもほどがあるじゃないか。だからこの手の人種は嫌いなんだ。
「ぼ、ぼくたちがマンイーターのわけないじゃないか! ぼくは人間だ!」
「ああ、ごめんなさい。マンイーター事件の犯人だと思った、からですよ。だってあんな第一発見現場でうろちょろしてたら怪しいでしょ。まあ、先輩方みたいのが殺人なんて出来るわけないか」
 鬼沼はそう吐き捨ててズズーっとコーラを飲んでいる。どうやらこいつはぼくたちがあそこにいるのを見ていたらしい。
「き、キミこそあんな所で何をしてたんだ。あんな人気のない所を偶然通りかかるとは思えないが」
「恐らく先輩たちと同じ理由、そう、マンイーターをとっ捕まえてぶっ殺すため」
 鬼沼は真っ直ぐな瞳でぼくと火野を見てそう言った。
「キミは、討伐部隊なのか?」
「違いますよ。だから先輩たちと同じように個人でマンイーターを捕まえるために俺もあの現場にいたんです。まさか先客がいるとは思わなかったけど。それで“うわ、こいつら怪しい”ピコーン! と閃いたから後を尾行したんです。まあ、まさか不良に絡まれてブルってる人たちが犯人のわけないかって思いましたが」
 鬼沼はそう見下すような視線を向けてそう言った。確かに彼の言うとおりで反論のしようがないが、こうも直接的に、しかも年下にそう言われたら腹が立ってしまう。
「だからあそこに先輩たちがいたのは自分と同じようにマンイーターを探しているんだと理解できました。でも、やめておいたほうがいいですよ。遊び半分でラルヴァを捕まえようなんて、ラルヴァは不良よりももっと恐ろしい存在なんですから」
「ああ、ぼくは嫌なんだけどね。こいつが無理矢理……」
「遊び半分? 違うね、僕はいつだって遊びに本気なのさ!」
 火野は突然そう言って跳ね起きた。どうやらようやく目を覚ましたらしい。でも騒がしくなるだけだからもういっそずっと寝てて欲しい。
「おい、糞ピアスのガキんちょ。僕は助けてなんて言った覚えはないぞ。貴様に借りなんかないからな。その辺理解しておけよ」
 火野は割れたメガネと鼻血塗れなんて間抜け顔にも関わらず、指をびしっと鬼沼に指してそう言った。ややこしくなるからもう黙っていて欲しい。
「さっきも見てたけど随分とまあ威勢のいい人ですね」
 鬼沼も呆れたように肩を揺らした。
「じゃあ、キミはなんでマンイーターを探すんだい。キミだって遊びだろう」
「それは心外ですよ。俺たち鬼沼一族はラルヴァ殺しに命と人生と歴史を賭けているんですからね」
「鬼沼一族……?」
「あれ、おかしいな。俺の名前聞いてピンとこなかったですか? ああ、俺たちもまだまだ知名度低いんだなぁ。へこむなぁ。まあいいや」
 鬼沼はごほんっと一度咳払いして語りだした。
「俺たち鬼沼一族は八百年前から続いている怪物退治の家系です。ごく最近増えた即席の異能者たちと違って俺たちははるか昔から怪物、今ではラルヴァと呼ばれている奴らと戦っていた。だけどこの学園や他の異能機関にめっきり仕事とられてね。俺たちは双葉学園に吸収されるしかなかったんだ。表向きはスカウトって形だけど」
「それは、災難だね」
 確かに古来からラルヴァ退治をしている一族は多いと聞く。規模の小さい一族などはこうして学園に取り入れられることもやはり多いのだろう。時代というものには誰も勝てないのだ。
「俺たち鬼沼の継承者は俺含めて四人。みんな兄弟で学園にいるんですよ。俺は末っ子で鬼沼四兄弟では最弱ですが」
「ふーん。ラルヴァ退治専門の一族ね。なのになんで討伐部隊に入れなかったんだよ」
 火野はバカにするようにそう言う。それに対して鬼沼は少しむっとした顔をした。
「学園の連中は俺たちの価値を解っていないんだ。ラルヴァ退治のスペシャリストの俺たちを討伐部隊に入れないなんてどうかしてる。それも弾かれた理由が『人格に難あり』だぜ、ふざけやがって……」
 鬼沼はドンっと机を叩いた。周りの人たちがまた白い目でぼくたちを見ている。勘弁して欲しい。やはりこいつも火野と同じ厄介な奴のようだ。
「奴らは、俺たちがラルヴァに対して過剰な攻撃思想があるから討伐部隊に入れられないという。おかしな話と思いませんか? ラルヴァってのは過剰なまでにでも攻撃するべきだ。奴らは怪物だ。人間じゃない。動物でもない。殺すべきだ。殺戮するべきだ。見敵必殺するべきなんだ。保護の対象だとかそんなものは必要ないんだ。ラルヴァは全員殺す、それが俺たち鬼沼のやり方だ。八百年間そうしてきたんだ。だから殺人ラルヴァであるマンイーターを捕まえて俺たちの価値を認めさせるんだ!」
 熱っぽくそう語る鬼沼の目は険しく、恐ろしいものであった。
「おいおい。ラルヴァは僕たち人類よりも高度な存在だ。一種の神と言ってもいい。むしろラルヴァを敵視すること自体が間違いじゃないか」
 火野はそう言い返した。その反論に鬼沼は火野を睨みつける。何を言っているんだこいつは。じゃあなんでマンイーターを捕まえようなんて言ったんだ。理解できないので彼の言葉は無視することにしよう。たまにいる頭のおかしいラルヴァ擁護派かもしれない。別にぼくはラルヴァのことを敵視も擁護もしないからどうでもいい話だ。
「……まあいいや。でもね、俺はこの学園でラルヴァの生徒がいることにも疑問なんだよ。あいつらは怪物だぞ。怪物なんかと同じ教室にいるかと思うと俺は耐えられない。怪物を退治する機関が怪物を囲っているなんておかしなものですよ。たとえ大人しい奴でもいつ人間に反旗をひるがえすかわかったもんじゃないですからね」
 それはとんだ差別思想だ。討伐部隊から弾かれて当然だろう。
 彼のような偏った危険な考えを持つ生徒は意外に多い。ある意味それが普通なのかもしれない。決して少なくない数の生徒がラルヴァに身内を殺されていたりするのだから、ラルヴァに対して嫌悪や憎悪を持つものはいるのだろう。
「ふん、差別主義者め。貴様のようなやつがラルヴァ虐殺などを行うのだ。クズピアス野郎め。死ね!」
「何とでも言ってくださいよ。俺やあなた達の思想の違いは少し思うところがありますが、マンイーターを捕まえるという目的は同じです。だから知恵を出し合いませんか」
 鬼沼は火野の言動に多少こめかみをヒクヒクさせながらそう言った。彼も必死なのだろう。一見軽そうで余裕がありそうな人間に見えるが、案外苦労人なのかもしれない。
「お前とは意見が合わないからお断りだ! ……と言いたいところだが、僕たちはまだ結局何も掴めていない。そっちの情報は欲しいがこっちから教えられることは何もないぞ」
「構いませんよ。友好の証ってところで今の段階の俺の推理をあなた方に教えます。だからお互い何かを掴んだら教えあうというのはどうですか?」
「そうだな、悪くない。僕はまだこの島の情報に詳しくないからな。一之瀬じゃ何の役にも立たない」
 悪かったな無能で。まあ、二人が喧嘩しないというのならそれでいいだろう。もう争いごとは御免だ。昨日までぼくは一切の争いごとと無縁で、避けて生きてきた。だから早く今までの生活に戻りたいと思う。とっととこの茶番を終わらせて欲しい。
「推理って言うほどのものじゃないですけどね。あらかじめ言っておきますが推理というよりは推測でしかないので、鵜呑みにしないでくださいよ」
「わかったわかった。話半分に聞いてやるよ。いいから早く貴様の妄想を話せ」
「そういう言い方されると困っちゃうなぁ。へこむなぁ」
 鬼沼は頭をがしがしと掻いて、コーラを一気飲みして彼は“推理”を始めた。
「二人の被害者の共通点に先輩たちは気づきましたか?」
「共通点?」
 ぼくは思いだす。確か最初の被害者は中等部一年の女子。次は小等部三年の女子だ。
「女の子……?」
「イエス。その通りです一之瀬先輩。まあまだ二人しか被害者が出ていないので性別が事件の共通点と言えるかは微妙ですが、もっと細かく言えばどちらも子供であるということ」
「子供か。だが中等部が子供っていうと微妙じゃないか」
「ああ、中学生以上はババァだよ」
 オタクは黙ってろ。
「いや、その子のクラスメイトたちに聞いたところ、その中学生の女子は相当小柄だったそうで、いつも背の順で並ぶと一番前だとか」
「小柄……。それが何か関係あるのか?」
「大有りですよ。子供と大人、どっちを殺すのが簡単ですか? いや、どっちを“運ぶ”のが楽ですか?」
「運ぶ……?」
「そう、もし犯人がラルヴァなら。怪物の如き力があるのなら、獲物の体格を考える必要があるとは思えない。それに未だに死体発見場ではなく捕食現場の断定はされていない。これはどういうことなのか」
「まさか……そんなわけ」
 ぼくと火野は最悪の考えが頭に浮かぶ。そして、それは恐らく間違っていないのだろう。
「二人の被害者を拉致したのは恐らく、人間です。しかも外部ではなくここの事情に詳しいであろう島民」
「ま、待てよ鬼沼くん。学園側はラルヴァの仕業と判断したんだろう。未知の歯型と爪痕があったって。いくらなんでも学園の研究部を誤魔化せるとは思えない……」
「だから“食事”をしているのはラルヴァなんでしょう。だが、その食料を与えているのは人間だ、それが俺の推理です」
「成程な。つまり貴様は、犯人はラルヴァを囲っている人間って言いたいわけだ」
 火野は腕を組んで「ふーむ」と唸っていた。どうやら彼も事件の真相の一部を理解したようであった。
「その通り。だからマンイーターそのものを探しても見つかるわけがない。恐らく犯人はどこか屋内にマンイーターを飼っている可能性が高い。街を探しても無意味だということに討伐部隊は気づいてないのです。いや、連中も馬鹿じゃない。それに気づくのは時間の問題だ。だからこそ早く俺たちが見つける必要があるんです」
「まあ組織に属していると一度決めた方針以外を見れなくなることがあるからな。集団は個人を盲目にする。僕たちのようなアウトサイダーだからこそ見つけることは出来るかもしれないな」
 火野も鬼沼の推理に賛成のようで、少しだけ鬼沼に感心しているようであった。
「一先ず、ここまでが俺の推理です。あとのことはまだ解らない。だから協力し合いましょうよ」
 そう言いながら鬼沼は立ち上がり、携帯電話を取り出した。
「何か解ったら連絡くださいよ先輩方」
 こうしてぼくたちは鬼沼烏丸と同盟を組むことになったのであった。



 日が沈んだので、ぼくと火野はそれぞれの寮に帰った。鬼沼はもう少し調べると夜の街へと出て行ってしまった。補導されても知らないぞ、と思ったが、あいつはどうやら一筋縄ではいかない奴だから大丈夫だろう。
 ようやく自室という自分の空間に帰れたぼくは一気に今日一日の疲れに襲われることになった。我ながら荷物の少ない殺風景な部屋だが、疲労をとってくれるこの大きなベッドがあればそれだけで十分だ。
 ベッドにごろりと寝転びながらぼくは携帯電話を開いた。
 持っていてもほとんど使うことの無かった携帯電話。
 アドレス帳には今まで葵しか入っていなかったが、今日で二人も増えてしまった。
 火野萌太と鬼沼烏丸。二人とも嫌な奴だが、ぼくにこういう知り合いが出来るのは初めてのことであった。酷く気を使うが、案外悪い物では無いのではないか、そう思えてしまうぼくはやはり疲れているからなのかもしれない。明日になればまた今までどおりにぼくは事なかれ主義で生きていく。マンイーター事件なんて誰でも良いから解決してくれ。
「ん?」
 ぼくがそうやってぼんやりと携帯電話を見ていると、メールを知らせる音が響いた。誰からだろうとメールボックスを開いてみる。
 葵からだ。
 葵からメールなんて今まで一度も無かった。いや、ぼくの呼び出しに対する返信などはあったのだが、葵からメールを送ってくるなんてことはなかった。ぼくは不審に思いながらメール本文を読む。いや、読むまでもない、そこには立った一言だけしか書かれていなかったからだ。
『さよなら』
 ただそれだけ。他には何も無い。意味不明だ。
 もしかしたらこれはぼくと別れると言うメッセージなのだろうか。なのだとしたら明日直に会いに行かなければならないな。ぼくから離れるなんてことは許さない。あいつがいなくなったらまた一人で性処理をしなければならないから。セックスというものは中毒性が高い。葵のようになんでも聞いてくれる女はそうそういないから逃がすわけにはいかないな。眠気に襲われたぼくは特に深く考えず返信することもなくそのまま眠りに落ちていく。今日は本当に疲れた。








 そして翌朝。
 マンイーターの新たな被害者が出たと担任の御木本の口からみんなに伝えられた。
 被害者の名前は及川葵。
 ぼくの恋人であった。

つづく







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最終更新:2009年12月11日 22:51
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