【キャンパス・ライフ3 「学生課のオバチャン」】

   その2「学生課のオバチャン」
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「おいコラお前、この書類、提出期限が一週間前じゃねーか」
「ふぁひ・・・・・・」
 双葉学園・大学部の学生課窓口で、男子学生がネチネチ怒られていた。
 しかしこういった光景は大学生にとってすっかり日常茶飯事となっているので、誰も気に留めたりしない。
 窓口の女性は大きな丸いレンズの眼鏡をかけ、髪の毛も地味に一つにまとめている。いつも眉間にしわを寄せており、愛想のかけらもない。話しかけただけでジロリと睨みつけられるので、慣れないうちは躊躇することだろう。
 彼女は通称「事務員のオバチャン・幸子さん」。今や、大学部の有名人物だ。
「余計な仕事させんじゃねーやカスが。期限ぐらい守りやがれ」
「はひ・・・・・・」
「返事は!」
「はっ、はひぃっ!」
 学生はとぼとぼと窓口から去っていった。目がまるっきり死んでいる。背中を丸めた覇気の感じられない姿勢を、幸子は横目でずっと睨んでいた。
「ありゃあ滅多に大学に来ないヒキコモリだな。人とまともに会話ができねーで、どうするよ」
 男子生徒が提出したのは奨学金の手続きに必須な書類であった。幸子はだらしのない人間が非常に嫌いなのである。
 学生課は、奨学金の手続きや忘れ物の管理、グラウンドなど学校施設の借用手続きなどを行うところだ。
「いよーう幸子ちゃん。おっはー」
 だらしない人間の次に嫌いなのが、うるさい男だ。現れたのは、体育委員長こと討状之威だった。
「おっはーじゃねえ。冷やかしに来たのならとっとと消えろリア充」
「朝っぱらから攻撃的だねえ。テニスコートを借りたいなっと」
「はいはい、わーったよ。待っとれ」
 幸子は申請書を討状に渡す。討状は鼻歌交じりにさらさらと書き上げると、「はいよう」と言って幸子に返した。幸子は記入漏れが無いかチェックしたあと、彼にこう言った。
「土曜の日はいつも借りに来てんな。どうせおめーのことだから、女の子集めてなんかやってんだろ」
「さすが幸子ちゃん! よく知ってるぅー!」
「幸子ちゃん言うのやめい。他にもコート使いたい奴がいるんだ。ちったぁ自重しやがれ」
「んならぁ、幸子ちゃんも参加するぅ?」
「誰がするかぁ!」
 幸子はガタンと立ち上がり、唾を飛ばしながら怒鳴った。
「幸子ちゃんはさぁ、そんな眼鏡外して髪型変えればさぁ、けっこうキレイになるはずだとお兄さん思うんだよ?」
「大きなお世話だ! とっとと消えろチャラ男!」
「本当はそんなに歳行ってないんだろぉ? オバチャン?」
「燃やし尽くすぞクソガキ!」
 もしも窓口という檻がなかったら、彼女は颯爽と去り行く討状を背中から蹴っ飛ばして、見るのも鬱陶しいあのロンゲに火をつけていたことだろう。


 事務員のオバチャンは、双葉学園の卒業生である。
 ちょうど数年前に大学を卒業した。高卒で就職した姉とは違い、きちんと勉強をしたかったという。
 幸子は、国か大手企業の秘書になりたかった。
 巨大企業の幹部や国の重要な役職などでは、「異能者」のボディガードが求められているのが裏の常識である。いつラルヴァに襲われるのか、またはいつラルヴァを仕向けられるのか(今のところそういった事件は確認されていない)、わからないためだ。
 もちろん、「異能者」も「ラルヴァ」も、表面上は秘密裏の存在とされている。
 だが、1999年の事変以降、彼らによって強襲されることは「無きにしも非ず」の可能性である。成績や実績が優秀な学生はオファーがなされ、裏社会へ旅立っていくのだ。
 無論、幸子もそのようなインテリ異能者となりたかったのだが・・・・・・。
「幸子さん、交代いたします」
 後輩の事務員が幸子にそうささやいた。考え事をしていた幸子ははっとして、時計に目を移す。
「もうそんな時間かい。了解、あんがと」
 あくびを一つすると、幸子は休憩室に入る。ポケットからタバコの箱を取り出した。
 紫煙をふうっと吐きながら、彼女は回想の続きに入る。
 ・・・・・・幸子には残念ながら、就職活動に有利となる「オファー」は来なかった。その場合は、企業の「裏」求人の公募から内定を目指していくことになる。
 しかし、幸子は秘書にはなれなかった。面接で必ずといっていいほど落ちた。落とされた。
 漫画みたいな丸くて大きな眼鏡。地味にまとめた髪。そして、一瞬たりともニコリともしない仏頂面。こんな女を誰が秘書として迎えたがることだろう。
 幸子はタバコを吸いながら、後輩の働いている窓口のほうを見る。幸子が引っ込んだことを確認した学生たちが、どっと彼女のところに押し寄せていた。後輩は目元のぱっちりしている童顔なため、学生たちにアイドルとして人気だとか。
 ぐしぐし灰皿にタバコを押し付けながら、彼女は舌打ちをした。
「フン! 女なんて結局は第一印象よ」
 そして、美女のケツばかりを追いかける駄犬どもは死んでいい。全滅の一途を辿ればいい。幸子は、大企業の最終面接で「君は苦笑するぐらいかわいくないが、スタイルはいいねぇ。特にその胸が」とかほざいた社長にパイプ椅子を投げつけたことを思い出した。
 結局、幸子は母校の事務員に落ち着いたのである。


 夏休みも半分が過ぎた。幸子はいつも以上に恐ろしい形相をして窓口に座っていた。
「どいつもこいつも遊び呆けやがって・・・・・・!」
 眉間に何本もしわが寄っている。鉛筆の頭をガスガス机に叩いており、さすがに学生たちもこんな猛毒害獣のいる窓口には近寄れない。
 世間が海やら山やら楽しんでいる間に、自分はここで学生たちの世話ときた。たまったもんじゃねえ。そう幸子は思うのだ。海外渡航でもして、奇怪なウィルスでももらってくればいいと彼女は毒づいた。
 幸子がそんな風に頭に来ているのも、年頃の妹たちがいるからである。まだまだ学生である彼女らは連日遊びやバイトに明け暮れ、なかなか楽しそうな夏休みを送っていた。
 この世でいちばん嫌いな駄姉ですら、公休と年休を使って一週間鉄道旅行の旅に出るという始末である。あいつは本当に働いているのか? それでいて年収が神クラスとかどういうことだ? こんな暴挙が許される鉄道従事者って何なんだ? 長女・純子に対する不平や不満は、尽きることが無い。
 それでも、あと少しで彼女も盆休みである。もう少しの辛抱だった。クールビズを理由に事務室の温度は高く、ますます幸子の苛立ちは募っていった。
 ところが、後輩が血相を変えて事務室に飛び込んできた。
「幸子さん、大変です!」
「あんだよ。厄介ごととかだったらキレんぞ」
「ラルヴァです! 総合グラウンドでラルヴァが発生しました!」
 この瞬間、幸子の握っていた鉛筆がボキリと折れた。
 彼女はゆらりと立ち上がる。突然のことにびっくりしている後輩に、幸子はこう告げた。
「私が出る」
 後輩は開いた口が塞がらない。筋金入りの面倒くさがりである彼女が表立って戦うところが、まったく想像がつかないからだ。


 総合グラウンドでは、夏休み中である初等部の子供たちが遊んでいたところであった。
「チクショー! 離せぇー! ぜってぇ俺、あいつ許さねぇー!」
「やめろ! お前まで死ぬって!」
「うるせー! いいからあいつを殴らせろ! よくもまるまる呑み込んでくれたなぁ!」
「誰か大人が来るまで我慢しろよ! あーもう、暴れんな! おい、みんなでこいつ取り押さえようぜ!」
 グラウンドの真ん中で、爬虫類型のラルヴァがどっかりあぐらをかいている。
 上半身が蛇で、下半身が成人男性なのである。異様に縦に長いクリーチャーだ。胸部からは、機能していない小さな前足がぷらぷらと垂れ下がっていた。
 現場に到着した幸子はまず、しゃがみこんで泣いていた女子児童に話しかけた。
「どうした」
「あ・・・・・・あの変なのがね、私たちの友達を食べちゃったの・・・・・・」
 そう、真っ赤に泣きはらした顔で言った。
 蛇ラルヴァは昼食を終えて満足しているのか、まったく警戒のそぶりを見せずにグラウンドで日なたぼっこをしていた。そして友人を食われてしまったのが悔しいのか、一人の男子児童が暴れまくってみんなに取り押さえられている。
 男子児童たちは幸子の登場に気づくと、一斉にこう大声で言った。
「あ! オバチャンだ!」
「オバチャンじゃねえ!」
 幸子は吼える。すると、あのみっともない眼鏡を胸ポケットにしまい、一つにまとめていた髪もぱさっと下ろしてしまった。長い黒髪が背中のあたりでさらさらなびく。鋭い眼光で蛇ラルヴァを見据えた。
「あたしゃまだ二十五だ!」
 思わぬ美人の登場に、男子生徒は総じて絶句していた。
 ここでようやく、蛇ラルヴァは強い異能者の登場に気づいた。
 慌てて立ち上がり、その場から走って逃げようとする。が、すでに幸子は両手を上空にかざし、両方の人差し指と中指をクロスさせていた。
「『ヴォルケイニック・イラプション』! 溜まりに溜まった鬱憤と憤怒を、全部お前にブチこんでやる! FIRE!」
 高くかざした指先から、オレンジのマグマが噴出した。それは雲にも届きそうなぐらい高く打ち上げられると、やがて蛇ラルヴァの脳天に降り注がれた。
 ボトボトと溶岩はラルヴァに覆いかぶさり、呑み込んでしまう。大量のマグマの噴射が終わった頃には、消し炭となったラルヴァの死体がその場に立ち尽くしていた。
 そのあっという間の出来事に、小学生たちは愕然としていた。
「お・・・・・・おい・・・・・・。冗談だろ・・・・・・? あの腹の中には、あいつが・・・・・・あいつが・・・・・・」
「うわー、太陽しっかりしろー!」
「太陽が泡吹いて失神したぁー!」
 男子児童たちは気絶した男の子を囲み、頬を打ったり肩を揺さぶったり、わき腹を蹴っ飛ばしたりしている。だが幸子は彼らに目を向けることもなく、ラルヴァの真っ黒な焼死体に近づいた。
 細長い指先でつつくと、そよ風に煽られて炭がぱらぱらとはがれ、死体は崩れていった。
 すると、女の子が無傷の状態で出てきたのだ。それはまるで、卵からかえったひよこを見ているようだった。
 女の子のつぶらな目がぱちぱちとまばたきをする。やがて、その両目に涙が溢れかえった。
「う・・・・・・うぇーん、ごわがっだよう~~~!」
 彼女は幸子に抱きついた。その小さな頭を、幸子は優しく撫でてやる。
「に、虹子・・・・・・。大丈夫なのか・・・・・・?」
 失神していた男子が彼女の泣き声を聞いて起き上がった。とりあえず、わき腹を蹴った友達をぶん殴る。
 幸子は「フン、泣くな」と微笑むと、虹子の涙をハンカチで拭ってやった。
「私たち姉妹の炎はね、本当にキライな奴しか焼かないんだ」
 その笑顔は普段なかなか拝めることのできない、それでいて魅力的な女性のするものだった。
 彼女を面接で落とした社長たちが見ていたら、きっとひどく後悔するに違いないくらいの・・・・・・。


「虹子―! 今すぐそいつから離れろ!」
「双葉学園の有名なオニババがそんなキレイな笑顔を作れるわけがない!」
「騙されるな! その微笑みはワナだ!」
 男子たちは口々にそんなことを言う。ビキッと、幸子のこめかみに青筋が走った。
「・・・・・・おーうおう、助けてもらったくせにその言い方はなんだこのクソガキャーーーーーーー!」
 しばらくの間、幸子は男の子たちを追いかけ回す怪獣となった。


「幸子さん、何だか機嫌よさそうですね」
「そう見えんのかい?」
「はい、素敵ですよ? 前々から感じてたんですが、幸子さんはお洒落とかしないんですか?」
「わたしゃ地味なのがいーんだよ。ヤロウに媚売るのは嫌だし、そういうことはしたくない」
「もったいないです」
「ほっといてくれや。さ、今日の業務はおしまい。本日も滞りなく異常なし!」
 幸子は身支度を終えると一目散に双葉学園大学部・本館を後にした。いつまでも仕事場にいたくないたちなのだ。
 薄暗くなった構内にて、一人の女子が幸子を待ち構えていた。彼女は高等部のブレザーを着ていた。
「幸子姉」
「彩子かい。夏休みなのにこんな時間まで何してやがる」
「色々よ。クラスで話し合いやってた」
「お疲れなこった。そーいやお前んとこは、問題児だらけのクラスだったな」
「問題児というか、王女様とド変態の幕の内弁当よ」
 六谷彩子。彼女は二年C組に所属している、幸子の実妹だ。姉妹の中では真面目なほうなので、幸子にとって一番性格が合う。彩子もまた、幸子と似たような炎系統の異能を使うことができる。
 六谷家はその伝承をたどっていくと、「火の神」に到達するらしい。
「六」という漢字はどことなく「火」に見えるし、「谷」も「火口」に見えないこともない。さらに言えば「六谷」は「炎口」が変形したという言い伝えまであるほどだ。笑いを取るレベルだが、六谷家のご先祖様はそういうことを真剣に後世へと伝えていったのである。
 事実、六谷の五姉妹は、優秀な「火の異能」を受け継いでいる。特に1999年以降に誕生した妹たちは、姉よりも強い力を持っているのだ。
 活火山で有名な九州から双葉島へと移築した六谷邸を目指し、二人は夜道を歩く。
「これがあと、数ヶ月も経ったら文化祭か。暇つぶしがてら見にきてやんよ」
「結構よ。教室の戸をくぐってきたらぶっとばすわよ」
「ちったぁ可愛げのあるところを見せろや。お前は昔っから怒りんぼな子だ」
「幸子姉に似たのよ」
 フンと、彩子は頬を膨らませてしまった。


 しばらく無言が続いたのち、彩子は幸子にこう話しかけた。
「ねえ、幸子姉?」
「何だよ」
「どうしてさっきからずっとニコニコしてんの? 怖いから一刻も早く止めてくれない?」
「今日は色々あったのさ」
 幸子は思い出していた。男子たちを追いかけ回して、捕まえて、一人ひとりシメて遊んでやった、あのあとのことだ。
(名前を教えて下さい!)
(はん? 幸子だよ。大学の・・・・・・)
(どうもありがとう! 幸子お姉さん!)
 あの女の子の自分に向けられた、心からの感謝の眼差し。
 双葉学園で働いてきて、本当に良かったと彼女は嬉しく思っていたのであった。


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最終更新:2009年10月26日 13:37
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