【眠り姫の見る夢 -Hinaki-】




 ◇??


 数え切れないほどの不思議な黒い塊が店内をふよふよと漂っている。ショーウインドウもベーカリー棚もそこらじゅう黒いもやもやだらけ。
 私は「スイーツ&ベーカリー『Tanaka』」の刺繍が入った真っ赤なエプロン姿で、突如目の前に現れた、その見知った異能者と対峙していた。
「ムカつく。じゃあ何? 普段あんなにグースカ寝てて、みんなに黙って、ずっと人の夢を覗いて見て回ってたのかよ!?」
 いつもと同じ雰囲気の、しかしいつもとちょっと様子の違う眠り姫を相手に、私は大声で怒鳴り散らした。
 あの羨ましい程に綺麗な長いストレートの黒髪が、妙に赤茶けたウェーブヘアとなっているのが印象的だ。他にも何処かしらに違和感がある。
 私は眠り姫をきつく睨む。しかし眠り姫は「さもありなん」といった表情で私を見つめ、
「ふふっ」
 小さく微笑んだ。
 ムカつく。マジでムカつくこいつ。
「……何が可笑しいんだよ」
「これで三回目。ヒナキさんいつも同じこと言うんだよ。……まぁ、私が毎回消しちゃうから覚えてないだけなんだけど」
「消す? 何を?」
「んー、なんでもない。それにしても、ヒナキさんも悪夢《ナイトメア》に取りつかれやすいタイプなのかな」
 ……なんだそりゃ、悪夢《ナイトメア》だって?
 眠り姫は私を無視するかのように、そのたくさんの黒い変なのが浮かぶ店内をキョロキョロと見まわし、それをつまむと……食べた。って、食べた!?
「ちょっ!? 何だそれ!?」
「確かに私はみんなの夢を渡り歩いてる。こうやって悪夢《ナイトメア》を消して回るために」
 言いながら、周りを漂う黒いやつ――これが悪夢《ナイトメア》?――を続けざまにヒョイヒョイパクパクと口へ運んで行く。
「……ねぇ、いったい何なの? これ」
 私は恐る恐るその悪夢《ナイトメア》を突《つつ》こうとした。しかし眠り姫のように触れることができないまま、その黒いもやへと指を突っ込んでしまう。
「あんまり触らないほうがいいよ、取り込まれちゃうよ」
 眠り姫の言葉に私は慌てて指を引っ込める。
「悪夢《ナイトメア》。人に嫌な夢を見させるラルヴァ。これだけ数がいるとちょっと厄介《やっかい》だけど、まぁそんなに実害はないと思うよ」
 ラルヴァ……この黒いのがラルヴァだって? それじゃあ、眠り姫はラルヴァから私を救うためにやって来たっていうの?
「ちょっと……もしかしてさっきの三回目って、あんたにこうやってラルヴァから助けられたのが三回目だっての?」
「うん、そうなるね」
 悪びれるそぶりもなくあっさりと即答されてしまった。
「……なんか恩着せがましいな。でもその過去二回分なんて覚えてないぞ」
「まぁ、悪夢《ナイトメア》と一緒にこの夢そのものも消しちゃうから。ヒナキさんも目が覚めた時きっと『今夜は何も夢を見なかったな』ってなるよ。もしくは……夢を見たかどうかっていう概念すら思い浮かばないかもしれない」
 あぁもう、こいつは何を言ってるんだ。これが夢で、こいつが私を助けに来てくれて、でもそれを覚えていられないだって? 私はもうわけがわからず錯乱してしまっていた。
「じゃあ何? アンタこんなに一生懸命になってこの悪夢《ナイトメア》っての倒して回ってるのに、誰にも覚えていてもらえないってのかよ!? 必死に頑張ってもその結果を誰にも認めてもらえないなんて……そんなの無駄な努力じゃん!!」
 眠り姫の手が止まり、まっすぐ私を見つめてくる。こいつ、この黒いの全部食べ切りやがった……。
「そうだね。そう考えると無駄なことなのかもしれない」
 そして、お腹をさすりながら眠り姫が続ける。
「でも、私にはこれしか出来ないから、例え無駄だとしても……いつかその無駄が無駄じゃなくなるまで頑張るしかないんじゃないかな」
「無駄が無駄じゃなくなるまで……?」
 私の言葉に眠り姫が小さく頷き答えた。
「うん。……それにしても、やっぱり美味しくないね、どうせならもっと美味しければいいのに」
「……美味しくないんだ、それ」
 私はふっと小さく笑った。それにつられたのか眠り姫もふふっと笑みをこぼす。そして、
「あ、そうだ。ヒナキさんちのパンプキンパイはすごく美味しかったよ」
 唐突に、眠り姫がうちの店で買って帰った「パンプキンパイ」の話題をきり出してきた。

 ……そしてそれに連鎖するかのように、さっきこの店でやり取りされた話を思い起こし、そしてパパの言葉が私の脳裏を過《よ》ぎった。

『うちの商品を『美味しい』って言ってもらうために今できる精一杯で頑張るんだよ』

 あぁ、そうか、そうだったんだ。
『無駄が無駄じゃなくなるまで』
 間違ってたのは私だったんだ。あの時パパが私に伝えたかったことってきっと……。


 気付くと、私は大泣きしていた。
「……ヒナキさん泣かないで。またいつか夢じゃなくて現実のほうで、今度はコトも一緒にお店へ遊びに……じゃなくて買い物に来てもいいかな」
 涙が止まらず嗚咽《おえつ》を漏らす私の頭を、眠り姫が微笑みながらいつまでもやさしく撫で続けていてくれた。





 ◇一


 今日の授業が全て終わったポカポカ陽気の|小春日和《こはるびより》。窓側の席は温かかっただろうなぁと、帰りの|HR《ホームルーム》のためせんせーさんが教室へ訪れるのを待ちながら、私は寒い廊下側の席でため息をつく。
 昼過ぎに、パパから「学校終わったらすぐに店番手伝ってくれ」と連絡があり、私はかなり気が滅入っていた。
 相方の|鈴木《すずき》|彩七《アヤナ》は昨日「ナンパされたから遊んでくる」とメール送ってきたきり、今日は登校してこなかったし……あんにゃろう、しけこみやがったな。

 私は右手で頬杖をつきながらぼーっとしていると、窓から二列目の前から三番目の席で机に突っ伏したままの眠り姫と、その周りに集まってわいわい雑談している数人のクラスメイトの姿を、何気なく視界の端で捉えていた。
 ……眠り姫は相変わらずだな。
 周りにいるのはいつも通りの相羽の他に、背のちっこい御堂、ちょっと取っつきにくて私は苦手な小夜川、今学期から復学したっていうまだ話したことない立浪、あととらどらコンビの頭と顔のいいほう……えーとトラのほう、中島か。
 そういえばあいつら中間試験前後から妙に仲良くなってんじゃないか? まぁ私の知ったことではないけど。
 例によって、相羽が眠り姫の肩を揺すって起こそうとしている。「そろそろせんせーさん来るよー、帰りのHR始まるよー」ってところか。
 私はそのままの姿勢で彼女たちのやり取りを眺めていると、中島が相羽に何かぼそっと伝え、相羽が眠り姫に…………あ、起きた。
 普段、相羽でさえてこずるあの眠り姫を一発で起こしやがった。すごいな中島、何だあいつ。
 なんか冗談半分っぽく怒ってる眠り姫と、ちょっと挙動不審気味にその場を取《と》り繕《つくろ》うとしている中島、そしてそんな中島を慰める御堂と、それらを見てほほえましく笑う女子三人。ほんと仲良さそうだよな……。

 ……ん、あれ? あれってもしかして……?


 ……と、教室の後ろ、窓側の隅《すみ》で何やらぼそぼそとやり取りをしている二人に気付き、私はばれないように目線だけそちらへ向ける。
 神楽《げどうみこ》と、あととらどらコンビの体力バカのほう、えーとドラのほう……名前なんだっけ。まあいいや。
 この二人、最近コソコソ話してる姿を見かけるんだよな……っと、神楽と目が合ってしまった気がして、私は慌てて視線を逸らしてしまった。ヤバイ、ヤバイ。
 ……そういえば、アヤナがこのあいだ「中間試験のちょっと前に、夜の繁華街を二人きりで歩いているのを見かけた」って言ってたな。
 そんな話を聞いてしまった以上、気になるのは人の常《つね》ってもんで、何かと二人でいるのを見かけるたびにその動向を意識してしまっているのだが……この組み合わせはキャラ的にありえないだろう。特にドラのほうはナイスバディの中学生に懐かれてるみたいだしな。
 それに「こんなウワサ広めたなんてバレたら、あの『外道巫女』に何されるかわかったもんじゃないから、私は知らなかったふりするけど」とアヤナも付け加えていたし、私もそれに賛同するけど。
 だってあの|神楽《げどうみこ》を敵に回したりなんかしたらどんな目にあうかわかんないもん。

 今日の帰りのHRは、一週間後に迫ったハロウィンの醒徒会《せいとかい》主催イベントについて、中間試験明けで気持ちが浮ついてる人もいるかもしれないがあまり羽目を外しすぎないように、というお達しだけ。
 その他には特に連絡事項もなく、学級委員のやる気のない挨拶とともに、私はそそくさと教室を出る。なんか誰かに声掛けられたような気がしたが、気付かぬ振りすることにした。さっさと帰って店番だ。あーもーめんどくさい。




 ◇二


 東西に伸びるアーケード商店街、西側入口北面の一等地。
 私の両親はそこに七年前にからオープンテラスカフェ「スイーツ&ベーカリー『Tanaka』」を営んでいる。
 ショーケースには各種ケーキや様々なスィーツ類が色とりどりに納められ、レジ脇の壁沿いにはクロワッサンやシナモンロール、デニッシュ類などを並べたベーカリー棚が設けられている。その他にも注文に応じて食パンやフランスパン、マフィン、ベーグルを用いたサンドイッチ類やホットドッグなども扱っている。
 また店内の半分は喫茶店として営業しており、簡単ではあるがコーヒーや紅茶、ドリンク類とともに、購入していただいたケーキやパンを召し上がっていただけるための席を、店内に四人掛けテーブルで三台、そして店の表、アーケードから外れた西側のスペースにオープンテラスとしてパラソル一体型の四人掛けテーブルで五台設けている。
 夕番のバイトに入っている大学部生から急にシフトを休みにさせて欲しいと連絡があったらしく、今日は急きょ私が代わりに店番するはめになってしまった。
 私が急いで店に戻ると、昼番のパートのおばちゃ……お姉さんが私の帰宅まで残って待っていてくれたようだ。
 私は挨拶もそこそこに、制服姿のまま店名入りの真っ赤なエプロンに袖を通し、同色のバンダナキャップを被る。
 うーん、Tanakaの刺繍が痛々しいな。もっとカッコイイ店名にすればよかったのに。

「ありがとうございましたー」
 カランカランとドアに取り付けられたベルを鳴らしながら、現在来店中の最後の客が店から出ていった。これで何組目だろうか、気がつけば一時間と経過していないのにそこそこの来客数をママと二人で捌いていた。ちなみにパパは厨房で明日の仕込みをしている。
 時刻は五時を回った程度。既に陽は沈み、あたりは夕焼けから薄闇へと移行していた。
 アーケード街はすでに照明が灯されており、一週間後に迫ったハロウィンに向けて所かしこに吊るされたジャックオーランタンの目や口の穴からも怪しく光が零れていた。
 閉店まであと三時間弱。六時を回ったら外のオープンテラスを片付けなきゃあなー。

 ……とか言ってるうちに、来客もないまま六時を回ってしまい、私達はさっさとオープンテラスを片してしまうことに。ママはそのまま家事があるからと家へ帰ってしまった。
 パパは厨房に籠ったまま出て来ず、私はひとりレジ裏の椅子に座りぼーっと店内を眺めていた。

 何もしないまま十分ほど経過しただろうか。突如、カランカランと音を立てドアが開く。私が営業スマイルで「いらっしゃいませー」と声をかけるよりも先に、
「とりーっく、おーぁ、とりーとー」
 間抜けな声をあげて、見知った長身の少女が半開きのドアから上半身だけ店内に覗かせていた。

 ……眠り姫だった。

「……ハロウィンにはまだ早いぞ?」
「ひどいよヒナキさん、HRのあと、今日お店に買い物に行ってもいい? って聞きたくて呼び止めたのに無視して帰っちゃうんだもん」
 あ。あれはこいつだったか。
 不満を漏らしながら店内へと足を踏み入れる私服姿の眠り姫を見て、私は思わず息をのんだ。
 足元はライトブラウンのスエードフリンジブーツと、モスグリーンのレギンス、上は淡いオレンジ色のチュニックワンピースに、お揃いのスカーフを首へ巻き、そして頭には純白のキャスケット帽を目深に被っている。
 ……あー、可愛いなこいつ。なんかムカつく。素材がいいとやっぱり映えるなぁ、うん。
「んー、失敗した。寮からここまでそんなに遠くないし、昼間温かかったからこんな格好できたけど、陽が沈むと急に寒くなるね」
 服の上から両腕をさすりながら、眠り姫がへへへっと小さく笑う。あれ? そういえば……。
「一人? 相羽さんは?」
「ん、今日は私一人だよ? コトには内緒で出てきちゃった」
「へぇ。ってあんた一人でうろうろして大丈夫なの? 道端で寝ちゃったりとか……ふっ、それはそれでお笑いだけど」
 想像して吹き出してしまった。それに気付いたのか眠り姫が唇を尖らせていた。
「で、何? 私を呼び止めようとしたって、うちの店のこと話したことあったっけ?」
「え? えーと、ううん。ちょっと人伝《ひとづて》に聞いたんだ。ヒナキさんちのお店は今、双葉区の中でも特に美味しいスイーツ屋さんなんだよ、って」
「ふぅん。今の、ねぇ……」
 確かに、口《くち》コミで広まったり、何度か区内ローカル情報誌にも何度か紹介されたりしたこともあるので、自惚れ分を差し引いてもそれなりの知名度と顧客は得てきている、と思う。
 しかし……。
 私は目線だけレジ裏の厨房へと抜けるドアをしばらく見つめると、
「まぁいいか。じゃあ注文は、どうする?」
 店内へと向き直り、ちょいちょいと商品棚を指差す。
 眠り姫は人差し指を唇にあて、ショーウインドウを眺めながら、
「うーん。このカットのパンプキンパイを二個と……あ! これ、マロングラッセを四個!」
「あいよ、テイクアウトでいいよな」
 私はトングを手にショーウインドウ裏へ屈み、それぞれのトレーを覗き込む。マロングラッセは在庫多数、八分の一カットのパンプキンパイが残り三切れか……。
「ちょうどいいや。これ一切れサービス」
「ホント!? ありがとー」
 テイクアウトのパッケージへマロングラッセ四個とパンプキンパイ三切れを並べる。私の作業を覗き込みながら、それはもう心底嬉しそうに、眠り姫がにこにこと満面の笑みを浮かべていた。ちくしょう、やっぱり可愛いなこいつ。
「あんた甘党か? まぁもうすぐ閉店だし、売れ残らせてもしょうがないしな」
 何を照れているんだ私は。
 保冷剤を放り込みパッケージを閉じ、賞味期限のスタンプを押されたシールを貼る。
「あまり日持ちしないからな、早めに食べちゃいなよ」
「うん、帰ったらコト呼んで一緒に食べるんだよ」
「へーへー、仲のよろしいことで」
 商品を差し出し、さっさと会計を済ませる。
 それじゃまた明日ね、と手を振る眠り姫を見て、私は先ほど寒そうにしていた彼女の姿をふと思い返した。
「あ、ちょっと待って」
 眠り姫を呼び止め、私はコーヒーメーカーにかけてあった淹れ置きのホットコーヒーをテイクアウト用の紙コップに注ぎ、スティックシュガーとコーヒーフレッシュと共に彼女へ手渡す。
「熱っ。ほら、温まるから持ってきな」
「んー……、コーヒーはこの前コトと中島君に変なの飲まされたし……紅茶のほうが嬉しかったなぁ」
 あ、こいつ露骨に嫌な顔をしやがった。
「やるってんだから文句言うな。ふん、どうせならそれ飲んで眠れなくなっちゃえば?」
「うーん、それは困るなぁ」
 しぶしぶといった表情で私からコーヒーを受け取る。

 ふと眠り姫が何かに気付いたのか、彼女の目線が私の背後に向けられ、私はその視線の先を追って振り向く。
「いらっしゃい。なんだ、お友達か?」
 そこには厨房からひょっこり顔を覗かせたパパが居た。





 ◇三


 ……私たち一家は、私が小学三年までは本土で暮らしていた。
 パパは、もう名前を忘れてしまったが何とかっていう一流ホテルのレストランでパティシエとして勤めており、デザートのコンクールで何度か賞をとったこともあると、小さい頃にトロフィーや表彰盾を見せてもらった記憶がある。その頃ママは近所の喫茶店へパートに出ており、いつかそんな店を持ちたいと日ごろ口にしていた。
 どこにでもあるような、普通の、きっと幸せな家族だった。
 私たちの住んでいた住宅地数棟が突如、謎の全壊を起こした七年前のあの日まで。
 パパは私に覆いかぶさり、自身の左腕の自由を犠牲にしてまで、倒壊した家屋から守ってくれていた。
 今でこそ双葉学園都市の最先端医療とリハビリによって通常生活に支障がないほどにまで回復しているが、それでもパティシエのパパにとって、微細な装飾が必要とする作業において片手を思うように動かすことができないというのは、相当苦痛のようだった。
 その直後、私は詳しくは知らないのだが、何らかの通達があったらしく私たち一家は双葉区へ移り住み、このように母の念願だった店を構えさせてもらっている。
 先述のとおり今はそれなりに繁盛させてもらってはいるのだが……。


「んー、苦いー。ヒナキさん、スティックシュガーもう一本ちょうだい」
 眠り姫の言葉に、はっと我に返る。コーヒーを口にした眠り姫が眉間にしわを寄せ、いかにも「苦い顔」をしていた。
「おー、悪いな嬢ちゃん。でもうちのコーヒーそんなに苦いほうじゃないはずなんだがなぁ」
 パパがスティックシュガーをスタンドごと差し出す。眠り姫は「おじさんありがとー」と3、4本掴むと、それら全ての封を切りドボドボとコーヒーへ流し込む。
「……まだ苦い」
 文句をこぼしながらも、ちびちびとコーヒーをすすっていた。

「いやー、可愛いらしいお友達じゃないか」
「……鼻の下伸ばしてんな、かっこ悪い」
 ふん、と鼻先で笑ってやる。
「なぁに、もちろん自分の娘が一番可愛いさ」
「ちっ、変態親父が。自分の人生捨ててまで守るくらいだもんな」
 先ほど思い返した記憶が再び過《よ》ぎり、不意に厭味を口にしてしまう。それでもパパは、
「我が子を最優先に考えるのは当然だろう。……お前もいつか子供を授かったら、きっと同じことを思うだろうよ」
「ふぅん、そんなもんなのか。まだよくわからん」
 一瞬の間。穏やかだったパパの表情が突然険しくなり、大きく首を振りながら叫び散らす。
「……いやいやいやいや、待て。お前の子供とか、お父さんそんなことまだ認めないぞ!」
「いきなり大声で変なこと言うな、人もいるのに恥ずかしいだろ……と、あれ?」
 絶叫してるパパは無視するとして、私は店内にいるはずの来客者がやけに静かにしていることに気がついた。……あ、あいつまさか……。

「…………すぅ……」

 ……やっぱり。
 眠り姫は、いつの間にか店内のテーブル席に腰掛け突っ伏して眠っていた。
「ほんとどこでも寝るなこいつは。ほら、起きろ」
 ほんの数分目を離しただけでこれか。肩を強く揺すってみるが目を覚ます気配はない。
 相羽のやつ、よくこいつを世話し続けられるよな……。

 すると突如、店内に学生証のメール着信音が鳴り響く。眠り姫が慌てて飛び起き、レギンスのポケットから学生証を取り出すと、その表示画面を覗く。
「あー、黙って出てきたこと、コトにばれちゃった」
 苦笑を浮かべ、てへっと舌を出す。私はそんな眠り姫を見ながら、
「なんていうか、お前らほんと夫婦だな」
「それは、えっと、私がコトのお嫁さん?」
「いや、どっちかって言うなら、あんたが旦那だな」
「そっかぁ」
 なぜか嬉しそうにニコニコと笑顔で、学生証のコンソールを操作し、おそらく相羽へとだろう、メールを返信すると、
「それじゃあヒナキさん、コトが心配するしそろそろ帰るね。いろいろありがとう。ばいばい。……えーと、おじさんにも、よろしく」
 小さく手を振り微妙な表情で眠り姫は店を出て行った。
「ふぅ、やっと帰ったか」
 私は小さくため息をつくと、眠り姫が散らかしていった紙コップとスティックシュガーのゴミをまとめる。
 窓の外をやっぱり少し寒そうに去って行く眠り姫の姿に、もう一杯、今度は紅茶でも淹れてやればよかったかななどと考える。
 まぁ、帰ってしまったんだし仕方がないと私はレジ側へと振り返り……
「うわっ」
 ……そこにはパパが「お父さんそんなこと認めないぞ!」の表情のまま固まっていた。
「ちょっ、何やってんだよ」
「……恋人とか彼氏とか認めません!!」
「落ちつけ!!」
 ムカつくなぁ、確かにまだいたことないけどさ……。
 ふと、男をとっかえひっかえ遊びまわってるアヤナを思い出す。あいつもあいつで何か間違った人生の楽しみ方してるよなぁ。
 私は再びため息をついた。
「……あれ? あの娘《こ》もう帰っちゃったのか」
「うん。あぁ、あいつうちのこと誉めてたよ。双葉区内でも特に美味いスイーツ屋だとさ」
「へぇ。嬉しいじゃないか」
「まぁ、これで美味いってのなら、本土にいたころのパパのケーキなんて食べたら卒倒もんだね」
 けらけらと笑って見せる。
「そんなことはないさ」
 パパは少し悲しそうな表情で微笑むと、左腕を擦りながら、
「例え劣っていたとしても、頑張って出来ないことはないんじゃないかな。たった一つでも目標を掲げて頑張れば、いつか結果として表れる。きっとね」
「ん……その目標って何さ?」
「お父さんの目標か。みんなに、大切な人たちに『美味しい』って言ってもらうこと。そのために今できる精一杯で頑張ってるんだよ」
 長い長い、一瞬の間が二人の間に流れる。
「はっ。何言ってるんだか。私なんかかばって……怪我で一線を退かなきゃならなくなったくせに。……昔のパパのほうがずっとずっと美味しいもの作ってたくせに……」
 心の中に黒い感情が渦巻き、言いたくもない言葉を止められず、私は叫びらしていた。
「今どんなに頑張ったって、あの頃の味に劣るってんならただの妥協じゃん! それじゃどんなに頑張ったって無駄じゃん!」
 ……私の罵倒にパパは何も言い返してこなかった。
「ふん、もういい」
 私はそんなパパを見向きもせず、勢いよくドアを閉め階段を駆け上がり、自室へと閉じこもる。

 そのまま、その晩は家族の誰とも会うこともなかった。




 ◇四 


 鳴り響く目覚まし時計を叩き止め、私は上半身をベッドから起こすと、んーっと大きく両腕を伸ばした。
 ……その晩、私は夢を見なかった。いや、むしろ「夢を見たかどうか」ということ自体を考えすらしなかったかもしれない。
 ぼんやりとした思考の中、私はしばらくのあいだ寝起きの余韻に浸っていた。





 ◇五


 相変わらずいつもの通り、我が家の朝食はママの作ったコンソメスープと共に、先日売れ残った惣菜パンやサンドイッチ類が食卓に並べられている。
 ママはこの時間は店のドリンク類を準備している。一通り朝の仕込みを終えたパパは、新聞を広げたまま黙々とパンをかじっていた。
 食卓の自分の席へ座り、私もまた黙々とパンを頬張る。いつもと同じ、パパの作るいつものパンの味。しかし今日は、毎日繰り返される当たり前の連続の中に忘れてきた何かを、私は思い出していた。……でもそのきっかけが何だったのかが思い出せないんだけど。
 昨晩のこともありお互い無言のまま、ゆっくりと時間が過ぎていく。私は皿に盛られたパンとスープをたいらげると、
「ごちそうさま……おいしかった」
 自然と、言葉に出していた。
「……そうか」
 新聞をめくる手を止め、パパが振り向く。その表情は嬉しそうにも困ったようにも見て取れた。そして、はにかみながら私から視線を外すと、時計を指さして、
「ほら、雛希《ヒナキ》。そろそろ出かけないと遅刻するぞ」
「うっわ、もうこんな時間じゃん」
 急がないとそろそろヤバい時間。私は急いで……それでも鏡の前で今一度髪型や顔、服の乱れなどをチェックしていく。
「それじゃ、いってきまーす」
 早歩きで行けばギリギリ間に合うだろう。
 私は、玄関を出てアーケード商店街へと向かう。ハロウィンの当日まであと一週間。夜の商店街を妖しく彩《いろど》るカボチャやオバケの装飾品も、眩しい朝日の中では滑稽に映る。
「あ、ヒナキ、おっはー」
 声をかけられ振り返る。後ろからアヤナが小走りに駆け寄った。
「おはよう、アヤナ。あんた昨日また……」
「あーら、何のことかしらぁ?」
 へらへらと表情を崩し、私の言葉をさえぎってアヤナが答える。まったくこの子は……。
「ヒナキ、急ごう。私が出てきた時間でもうギリギリだったのに、こんなにノンビリじゃ遅刻しちゃう」
「ふん、サボり魔のあんたに言われたくないわ」
 言い合いながら、私たちは歩調を速め学園へ向かった。





 ◇終


 今日の授業が全て終わったポカポカ陽気の|小春日和《こはるびより》。窓側の席は温かかっただろうなぁと、帰りの|HR《ホームルーム》のためせんせーさんが教室へ訪れるのを待ちながら、私は寒い廊下側の席でアヤナと二人、くだらない噂話をネタに談笑していると、
「あ、ヒナキ。ちょっと……」
 急にアヤナが小さく囁き、周りから見えないよう体で隠しながら窓際の席を指差す。
 その先、窓から二列目の前から三番目の席には、相変わらず机に突っ伏したままの眠り姫と、周りに集まってわいわい雑談している数人のクラスメイトの姿。
 いつも一緒にいる相羽の他、御堂、小夜川、立浪と昨日と同じメンツに、今日はとらどらコンビがセットでいるな。
「もしかすると、面白いものが見れるかもしれないよ」
 アヤナが言い、ちらちらとその光景をうかがっていた。
 例によって例のごとく、相羽が眠り姫の肩を揺すって起こそうとしているところへ、今日もまた中島が相羽に何かぼそっと伝え、相羽が眠り姫に……、
「あ、起きた。やっぱり」
 さも嬉しそうにアヤナが呟き、何事かと辺りをキョロキョロ見回している眠り姫の様子を見てクスクス笑っている。すると……
「はーい、お二人さん。ちょっといいっすかー?」
 突如、背後から小声で話しかけられ、私たちは慌てて振り向くと、外道巫女……神楽が後ろから私たちの頭を両腕で左右それぞれから抱きかかえるようにのしかかってきた。……あ、まさかドラとのツーショットを私たちが知ってしまったことがバレたのか!?
「神楽さん、ちょっと、苦しい……」
 アヤナが呻く。神楽は「あぁすまないっす」と私たちの首から腕を解くと、
「もしかしてさっきの眠り姫が気になるんじゃないっすか?」
 口角を釣りあげながら言った。よかった、さっきのは私の思いすごしのようだ。
「もうすぐせんせーさん来るし、ここじゃあまり大きな声で話せないっすけど、もしよければ一口かまないっすか?」
「神楽さん、一口って何に……?」
 私は事情がわからず首を捻った。
「ありゃ? さっきの見てたから気付いたと思ったんすけど……」
 ちょっと先走りすぎたっすかね、と苦笑いしながらちらりとアヤナを見る。アヤナは頷き返し、
「私はわかったかもぉ」
 神楽へヒソヒソと何かを耳打ちした。
「……うん、そうそう、その通りっす」
「ヒナキ、ほら」
 アヤナが私へ促すように、再び眠り姫の席を指差す。
 私たち三人の目線の先、二日連続同じ手口で無理やり起こされ拗《す》ね顔でそっぽを向いている眠り姫と、なんか硬い表情したままその眠り姫をちらちらと見ている中島、女子三人と御堂は眠り姫を慰めてるっぽいし、……なんでドラのほうが困ったような顔してるんだ?

 あぁ、しかし……なるほど。昨日の私の直感通りなら、あいつがあいつに……ってことね。

「よし、それじゃ詳しいことは後でメール送って説明するっす。……このことは他言無用でお願いするっすよ」
 私が理解できたことを表情の変化で察したのか、ひらひらと手を振り神楽が私たちから離れていく。
 そして、せんせーさんが教室へと訪れたのはそれとほぼ同時だった。


 相変わらずいつもの通り、まるで変化のなかった日々へと突如訪れた「面白そうな話」に、私とアヤナは顔を見合わせ互いにニヤリとしたのだった。




 【眠り姫の見る夢 -Hinaki-】 終







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最終更新:2009年10月30日 23:13
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