【禁域の姉弟、瑠璃色の針 第二話前編】


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 Scene 0
  数週間前、某所


「ひっく……ひっく……」
 一人の少女が、座り込んで泣いていた。
 黒髪のおかっぱに、白粉《おしろい》を塗ったかのような白い、血の気が無い顔。背丈を見る限り、十六、七ほどの年齢に見える。少女から女性へ変わりかけの体躯を包むのは、まるで中世欧州の貴族令嬢が着るような、スカートに針金が入っていそうなドレス。和風美人と言える容姿にはやや似合っていないが、綺麗なことは綺麗だ。しかし彼女が居る場所は、そんな容姿、服装からはまったく連想できない所だった。
 明かり取りの窓も、他の部屋に通じるドアすらない四方の壁、真っ暗な部屋を照らす安物らしき電灯、部屋を抜け出す唯一の方法らしい、天井から伸びる階段。ただしそれは途中で天井に遮られ、下から開けることは不可能そうだ。その様子と、普段はかび臭い匂いから、そこは地下室だということが分かる、壁際には、鞭であったり、三角木馬であったり、とにかく『そういう目的』で使うだろう物が、所狭しと並んでいる。収納が見えるが、その中には小物類が並んでいるのだろう。そして、その部屋の状況は、これまた異常と言ってよかった。
 地下室の床は、濁った赤い色の、鉄の匂いがする水……血で染まっていた。何リットル流れているか分からないが、それは床の全体に広がり、足の踏み場が無いほどだ。そして部屋のあちこちには、元々人間だったものが転がっていた。
 それらは、既に人の形をしていない。そこには二本で一対となる足と、腹部から上の、頭が無い胴体との二種類しか転がっていなかった。あちこちに、赤かったり白かったり灰色だったりする物体が転がっており、それらは皆、骨ごと身体を挽き肉にしたかのように、グチャグチャになっている。挽肉状態なのは、転がっている足と胴体の付け根部分……腰があったはずの場所と、首も同様だった。
 その中で、少女が一人だけで泣いていた。白いドレスを赤く染め、その所々に肉片を飾り付けて。
「ひぐ……えっく……ごめんなさい、ごめんなさい……」
 泣いている少女の頭上で、がたがたと音がする。少し時間がかかって、ガコンという音と共に部屋の中へ別の光が差し込んだ。
 階段の真上にあった天井が外され、そこから強烈な光が差し込む。上の階で使っていた照明は、地下室のそれよりもはるかに強力な光を放っていた。その逆光を浴びて、階段を一人の男が下りてくる。
 四十ほどに見える壮年の顔が、地下を見下ろしていた。ホコリ一つ無い漆黒のスーツを身に纏い、その表情から読み取れるモノは何一つ無い。わざとらしい足音を立てながら、その惨劇がまるで『当たり前のこと』であるかのように降りてきた。
 ぴちゃり、と水音が響く。男の革靴が血に塗れるが、それを気にしている様子は全くない。泣いている少女へ『全てを救おう』と言葉が聞こえるように、手をさしのべた。
「ああっ……済まない、こんなことを君に押しつけてしまって。さあ、早く上がってきなさい」
「ひっぐ、えぐ……あ、マスター……!!」
「その言い方には慣れないな……帰ろう、皆が待っている」
「はいっ!!」
 男の手を掴んだ少女は、そのまま立ち上がって階段を上っていく。先ほどまでの涙に暮れた顔とはまったく別物だ。
「……やれやれ。少し派手にやりすぎだろう、これは」
 足下の状況を見て呆れかえっている男に、上から声がかかる。先ほどまで居た少女ではない、ハスキーボイスの女性の声だ。
「ボス、これ、いいんですかー? 想像以上に……」
「構わないさ。むしろここまで徹底的にやってくれた方が、覚えている人間が誰も居なくていい。あと私はボスじゃない、あくまで一幹部に過ぎない」
「今は、でしょ?……それにしても、あの子を『五人囃子』にするなんて。手が付けられなくなったら……」
「ああいうポジションの者が一人は必要だ。今、彼女と私は、『組織的には』繋がりがない。分かるな?」
「ああ、なるほど……フフ、なら安心ね、色んな意味で。あの子も可哀そうね、そんなこととも知らずに」
 何かを理解した女が含み笑いをしている所へ、男が上がってくる。階段や、上の階に敷き詰められている高級そうな絨毯が血で汚れるのを気にするそぶりは、やはりない。
「『それ』絡みで、彼女には一つ任務を与えようと思う。君には、いざという時のフォローを頼みたい。出来るな?」
「ええ、ボスのお望みとあらば……それで、あの子が狙う、標的は?」
「遺産だよ。九年前に自分達で作っておきながら、その処置に困って放置した、ね」
 女からの返答は待たず、何かに向かって演説をするように、男は喋り続ける。その口調は、どこまで行っても平坦なままだ。
「まずは失敗作から順に片付けていくつもりだ。遺産が現実の恐怖になった時のことを理解しているものは、今のオメガサークルには少なすぎる……彼らはいつか『本来の役目』を果たしてくれるものと期待しているのだろうが、彼らは知らないのだ。『知らないほうが幸せ』なことがこの世界にはあまりにも多いことを」
「ボス……その言葉は」
「ああ、我等の理念からはあまりにも遠い。だが、真実なのだから仕方あるまい?」





 禁域の姉弟、瑠璃色の針 第二話
 『知らない』過去からの刺客



 Scene Ⅰ
 朝、双葉区住宅街



「……遅すぎる」
 柔和そうな顔をした少年、この家の最年少、末弟である安達久《あだち ひさ》が、椅子の上で不服そうに頬杖をついていた。彼がここに座ってから、既に三十分は過ぎている。『早く起きるように』とたたき起こされてから数えると、ゆうに二時間は経っていた。
「女性の準備は、色々と時間がかかるものです。久さんは、もう準備は終わっているんですか?」
 台所でかちゃかちゃという音を立てながら、女性の声が聞こえた。声質自体は若いが、その口調は落ち着いた、大人の女性をイメージさせる。この家族の長女的存在、ロスヴァイセは、朝食の後片付けをしながら器用に会話に参加していた。
「いや、そんなに時間かからないし。というか僕、荷物持ちだよね?」
「あら、早い男の子は嫌われるわよ? 事前にすぐいかないよう、準備しておかないと」
「母さんの言ってること、たまに理解できない……」
 新聞を読みながら、のどかにお茶を飲んでいる女性、安達遊衣《あだち ゆい》は、二人……否、三人姉弟の母親である。既に三十代の終わりに差し掛かっている筈だが、聞いてみなければ年齢が分からないほど、若々しい容姿を保っている。
 男一人女二人でそんな会話を繰り広げている最中、階段を降りる小さな足音が聞こえてきた。話していては普通気づかないような小さい音だが、聞き慣れている三人にとっては『慌てて降りてきている』ということまで把握できた。
「久《きゅー》くん、おっまたせー。もう準備、できてるよね?」
「出来てるって。何時間待たせるつもりだったの……」
「これぐらい待ったうちに入らないでしょ。行ってきまーす」
 階段から降りてきた、栗色の髪を黒いリボンで束ねている少女、安達凛《あだち りん》。今日は紺のデニムスカートにチェックのベスト、ワイシャツに黒いネクタイを軽く締めている。久の姉であり、ロスヴァイセが現れたことで立場としては次女的なところに居るが、一家の中ではもっとも発言力が強い。見かけこそ幼いが、一番の存在感と頼れそうな雰囲気を持っている。
「待つ方の身にもなってよ……じゃあ、行ってきます」
「行ってらっしゃい、おゆはんは?」
「食べるー」
 遊衣とロスヴァイセを置いて、姉弟二人で玄関に向かう。ロスヴァイセは形式上『契約者』であるが、彼らにとって実際のところ『一番上に姉が増えた』程度の扱いなのだ。




 Scene Ⅱ
 昼、双葉区商業区域


 この日曜日、久は姉の買い物に付き合う約束をしていた。主に役目は、彼女の荷物持ち、おまけで凛の試着をチェックする役。
「久《きゅー》くん、リアクション薄いからつまんなーい」
「よく分からないのはよく分からない。それならおかあさんかロスヴァイセ連れて行けばいいのに」
 メインストリートを二人連れ立って歩いている様は、二人の容姿があまり似ていないこともあり、控えめに見れば恋人同士に見えるかもしれない。それでも、中学生にしては少し小さい久と、高校生にしては明らかに小さい凛の二人だと、お似合いというよりは微笑ましい光景に映るだろう。
「……あの二人のファッションセンス知ってて言ってる?」
「ごめん」
 一家の女性陣三人が、通販のカタログを開いて雑談をしていた時のことを久は思い出す。あの年にも関わらずフリルの沢山ついたドレスをひたすら買いたがる遊衣、不吉なモチーフばかりを選びたがるロスヴァイセの二人を諌めて、無難な物を選ばせようとしていたのは凛であった。
 後で聞いた話によると、遊衣はかつて永劫機開発の職務に携わっていた時、ロスヴァイセのような制御人格の人間形態(全ての永劫機が人型になるのかは話さなかった)が身につける服のデザインを担当しており、そのデザインには彼女の趣味が全開に反映されているという。ロスヴァイセはまだおとなしい方らしく、『対応時刻十二時』は会心の出来だと自画自賛していた。実際にどのような服なのかは、久も凛も見ていないため知らない。
 一方のロスヴァイセも、限りなく人に近いとは言え、人造生命体……ヒトとは違う存在である。そのせいか、感性が常人とはだいぶズレている所がある。そのセンスには名前の元ネタが多分に関係しているらしいが、久は詳しく知らない。クラスに知ってそうな誰かがいただろうか……?
「さーて、次は……」
「まだ買うの!?」
「次は久《きゅー》くんの服だよ、興味が無いなら無いで、わたしがバッチリ選んであげるから安心していーよ」
「ちょ……!!」


 それから一時間後、久の両手は自分の顔ほどまである程の荷物で溢れかえっていた。
「僕の分はともかく、おかあさん達のまで買って、大丈夫だったの? とと……」
「寸法はバッチリ頭に入ってるからだいじょーぶ」
「いや、店員さんの目……」
「……言わないで、ママのスタイルの良さを考えると泣きたくなるから」
 久の一言でテンションがガクッと落ちた凛だが、次の瞬間にはいつもの調子に復帰していた。切替の早さは、彼女の一番の武器と言っても良い。
「まあいっか、久《きゅー》くん、お腹すいた?」
「そこそこ。どこか寄ってくの?」
「まーね。けどその前に、お花屋さん寄ってっていい?」


 ガラス戸を押して、手狭とも言える店内に入る。白を基調に一部派手な赤を使っている店内デザインも、BGMとして流れている昔(だいたい五十年ほど前、母ですら『曲は知ってるけどリアルタイムじゃなかった』)の歌謡曲も、店長の趣味らしい。それらも、外に泊めてあった何台ものバイクも、新世紀生まれの彼らにはむしろ斬新なものに感じられた。外には、『アミーガ』という店名が掲げられている。名前の由来はもちろん知らない。
「いらっしゃいませー……安達さん、今日は彼氏連れですか?」
「やっほー春ちゃん、そう見えるー?」
「弟の久っていいます」
「あー久《きゅー》くん、すぐバラしちゃダメだよー」
「弟さんだったの、いらっしゃーい」
 アルバイトの少女と凛の様子を見るに、きっと顔なじみなのだろう。カウンターの奥でカップを磨いていた店長らしき男性も、こちらを向いている。
「おやっさん、少しぶりー」
「いらっしゃい。この前、ユリカちゃんが来てたぞ。綺麗になっていたじゃないか」
「ウソ!? おやっさん、なんで連絡くれないのー? 最近わたしも会ってないのにー」
 凛と店長……何故かおやっさんと呼ばれているが……が雑談をしている間に、久はメニューを見ている。コーヒーの銘柄が並んでいるが、久にはサッパリ分からない。
「弟さん、注文は決まりましたか?」
 横から、先ほどのバイトの少女……その背丈と、スタイルを見る限りとても高校生とは思えないが、エプロンの下に着ているのは双葉学園の高等部制服だし、多分高校生なのだろう……が、久の横から顔を出す。
「えっと、ナポリタンと……あとコーヒーをお願いしたいんですけど、銘柄とか全然分からなくて」
 奥でおやっさんが頷く、困惑した久の声を理解してくれたようだ。そして凛が横からさらに割り込む。
「久《きゅー》くん、コーヒー飲むんだっけ? まあいいや。わたしはハヤシライスと、あとケーキまだ終わってないよね?」
「メニューにハヤシは載せてないぞ」
「でもあるんだよね? 喫茶店といえばハヤシライスだし」
 バイトの人が空笑いをし、おやっさんも表情を変えないまま頷いた。
「……姉さん、いつもこんな感じ?」
「まあ、大体は」
「……そだ。先に行きたい所あったんだ。おやっさん、久《きゅー》くんのオーダー先に作っちゃって」
 思い出したかのように、凛が立ち上がった。手には、ここに来る前に寄った花屋で買った花束が握られている。


 アミーガから少し行った所には、双葉区に唯一ある大きな山……無論、天然ではなく人工のものだが……である、双葉山が聳え立っている。表道には天文台があったり、ホタルが出るため池があったりと賑やかだが、裏へ回ると禿山状態で、双葉島が整地される前の情景をそのまま残している。そこを辿り、不思議な形に切り立った崖を迂回した上に、小さな丘があった。
 そこは、墓だった。墓標も無く、他に眠る者も無い。ただ一本、もはや帰ることが無い持ち主を待つ、剣が刺さっているだけの。
 剣が突き刺さるそこに、花束が捧げられた。墓には似つかわしくなく、派手さが前面に押し出されている。
「春兄ぃ、久しぶりだね。元気だった?……って、元気に決まってるか。どーせそっちでも、女の子追っかけまわしてるんだろうね」
 凛が剣の前に立ち、まるで懐かしい相手に、近況報告をするように語りかける。


『お姉さん、重そうですね。持ちましょうか?』
『まあまあ、お願いしても良いんですか?』
『ちょ、そこの軽そうなアンタ!! なにママに色目使ってんのよ! ママも、うわきしてるってパパに言っちゃうよ!?』
『え、お母さん!? ビックリだなぁ、大学生だって言っても余裕で通じますよ』
『まあ、お世辞を言っても何も出ませんよ? 凛、大丈夫よ、この人はからかっているだけだから』
『お姉さん、それはどっちの意味で』
『ママはアンタみたいなけーはくなヤツは相手にしないってさ』
『うっさいなこのガキ、寂しいんなら、十年もしたら相手してやるよ』


「こっちは十年経ってもあまり変わらないけど、ユリカちゃんはびっくりするぐらい綺麗になったって。見たいでしょー?」
 真崎春人《まさき はると》。十年前、この街に引っ越してきた際に出会った青年であり、少女を守るため『超刃ブレイダー』となって戦った男の名前である。
 凛は彼を通じて、彼が守る少女、天道《てんどう》ユリカと出会い、彼と彼女の戦いを少しだけだが見てきた。そして、彼はこの地に散った……その場面を凛は見ていないが、彼が居なくなってしまったことは、ユリカやアミーガのおやっさん、それに、彼の戦いに少しだが関わっていた母親、遊衣の様子を見れば一目瞭然だ。
 母が、春人の葬儀でぽつりと呟いた『私が、もっと頭を働かせていれば……』という後悔が詰まった言葉の響きを、凛はそれ以前にもそれ以後にも、一回も聞いたことがなかった。
 兄のように慕っていた春人を亡くしたユリカを励まし、彼女が立ち直って以降、凛とユリカはやや疎遠になっている。同じ学年ながらあまり顔を合わす機会もなく、アミーガにもたまに顔を出す程度だ。

「うん……それじゃ、戻るね。また来るから」
 凛がそう言い残し、墓標代わりの剣へ背を向けたその時
「その人は、自分のやるべきことをやれたんだね、羨ましいよ」
 正面から、少年の声が聞こえた。
「あ……もしかして、聞こえて、た?」
 思わず赤面する。思いっきり独り言を聞かれてしまった。
「ごめん、少しだけね。十年経っても、身内以外の人がお参りに来てくれるんだから、少し羨ましいよ」
「……えっと、Y組の藤森君、だっけ?」

 同学年でも二十六クラスある学級の、全生徒の顔と名前を一致させるのは不可能だ。ただ、目の前の少年には少しだけ見覚えがあった。
 高等部三年Y組、藤森飛鳥《ふじもり あすか》。一学期の頭に、同じクラスの女生徒と心中し損ねたということで少しだけ話題になった男子生徒だ。ただ、少し格好がおかしかった。

「えっと……その服装、何かのバイト? それとも趣味?」
 彼は黒いマントを羽織り、白塗りの化粧をしていた。その様はまるで、サーカスのピエロか何かのようだ。
「バイト……というか、ボランティアかな。基本的に無給だし」
 情け無さそうに笑う飛鳥を見て、凛の警戒心も少しばかり緩む。
「それで、何か用かな? 春兄ぃ……真崎春人さんにか、それともわたしにか」
「安達さん、だね。この場合……安達さんの所は、弟くんと仲がいいみたいで羨ましいよ。うちも妹が居るけど、ぜんぜんうまく行かない」
「女の子だと、そういう時期があるから。あんまり気にしないほうがいいよ」
「そうだね……って、本題はそうじゃないんだ」
 話が脱線しそうなところで、飛鳥が居住まいを直す。そして、彼の声色が少しだけ変わった。どこか遠いところから、心配するように語り掛けてくる。
「君たち二人は、これから『見に覚えの無い』ことで、色んな目に遭うと思う。どちらかと言うと、君よりも弟くんの方が、大変な目に遭うだろうね。だから、頑張ってくれ」
「……えーと、『頑張れ』って、それだけ?」
 話を振っておいてそれはない、的に説明を欲する凛を、飛鳥はスルーする。
「何かアドバイスできればいいんだけど、何をすれば回避できるかとか、それは僕にも分からない。だから、頑張ってとしか、言えない」
「……それは、何か知ってるから? それとも、藤森君の異能?」
「異能、ってことにしてくれるかな。説明すると、ちょっとややこしいんだ」
「うん、分かった……けど、あんまり役に立たないよね、それ」
「『何かが起こる』ことさえ分かっていれば、心構えだけで事態を変えられるかもしれないからね。僕に言えるのは、それだけだ」


「……そう、僕に言えるのは、それだけだ」
 凛が立ち去り、剣が刺さっているだけの丘に飛鳥が一人たたずむ。その横顔には僅かずつ、寂しそう、悔しそうという感情が見て取れた。
「これが『歪み』なら、僕が直接相手をすることもできる。でも、彼らに襲い掛かるのも、一つの『正しい世界の有り方』だ。それと彼女達がぶつかり合った結果『歪んで』しまうのなら、また係わり合いにもなれるけれど……自分のしたいことができた貴方が羨ましいよ。超刃ブレイダー、真崎春人さん」
 飛鳥は、目の前の剣をちらりと見やる。主の居ない刃は、太陽の光を反射するだけだ。
「雨宮さんの件もあるから、出来るだけ良い結果になって欲しい……けど、自分から手を出せないのは辛いね、明日人《あすと》」


「うわ、これ美味しい……」
 アミーガに残った久は、おやっさんの出したコーヒーを一口啜っただけで、そんな声を洩らした。普段はあまりコーヒーを飲まない彼にも、一口でその違いが分かった。
「インスタントのとは比べられない……」
「『初めて』に出会った感動、ってやつね。」
 したり顔で頷くバイトの少女を横目に、もう一口。そのコーヒーの味は、やはりこれまで味わったことが無いものだった。
(……それとも、三年より前に飲んだこと、あるのかな……)
 そのコーヒーの味が、普段は考えないような事を思い浮かばせてしまう。自分に、三年より前の記憶が無いこと、それは、それより前にあったことを懐かしむことすらできない、ということだ。
「姉さんは、昔お世話になった人のお墓参り、でしたっけ?」
「多分、な」
 姉には、そういった『昔の思い出』があって、それを懐かしんだり、教訓にしたり、糧にして努力したり、と言ったことができる。それは大抵の人がやっていることで、そこには良い思い出も悪い思い出も、あまり関係ない。だが、それが久には無い。そのことで、彼は負い目を感じていた。
 三年前から今までのものだけでは、少し寂しい。他の記憶喪失者達は『今が楽しいなら、いいじゃないか』といったことをよく言う。高等部一年の醒徒会書記も、二学期になってから編入してきた高等部二年の男の人もそう言っていた。それには同意する。同意はするけれど……
「これで、次からは『この味』と比較ができるな」
「え?」
「たまには飲みに来い」
 おやっさんが、ぶっきらぼうな口調で久にそう話しかける。
 見抜かれていたのだろうか。だから、遠まわしに……今から思い出を作っていけばいい……というようなことを、言ったのだろうか。それに対して、久は
「……はい。お言葉に甘えて」
 そう、控えめに答えただけだった。

 それは、久がコーヒーを飲み終え、テーブルの上に静かに置いたときだった。
「……!?」
 久が、ゆっくりと椅子から立ち上がる。目は、ある一点……彼らの家がある方向へ向いている。
「どうしたの?」
 バイトの少女が声を掛け、それに答えるように久が振り向いた。
「すみません、用事ができちゃいました。お代はここに置いておきます、あと、ここの荷物を預かっててもらっていいですか? 姉が戻ってきたら……」
 久が少女に話しかけた絶好のタイミングで、凛がドアを開けて戻ってくる。
「ただいまー……どうしたの、久《きゅー》くん?」
「姉さん、急いで戻るよ。おかあさん達が危ない!!」




 Scene Ⅲ
 昼、双葉区住宅街



「……やっぱり、駄目みたいね。開発設備が残ってれば良かったんだけど……」
 子供たちが出て行った安達家では、残った遊衣とロスヴァイセが、ロスヴァイセのシステムチェックを行っていた。目的は、契約の解除と破損状況のチェック。前者は、結局徒労に終わってしまった。
「お二人を、責めないでくださいね。あの状況では、ああするしか無かったですから」
「責められるわけ、無いじゃない。あの二人に助けられたんだから……子どもって、気づかないうちに大きくなるのよね」
 遊衣がつくため息の意味を、ロスヴァイセは今ひとつ理解できなかった。そのまま、会話は別の方向へと流れる。
「……ですけれど、これで永劫機は……」
「ええ。所在が分かっているものが一人、十年前は分かっていたけれど今は分からない、というものが一人、詳しくは分からないけれど、双葉学園の近郊に三人……貴女を加えても、ようやく半分。やっぱり、独力だと限界があるわね……」
 こちらのため息には、ロスヴァイセも覚えがある。自らの力が足りず、嘆いている時のものだ。
「……あ、もうそろそろお昼ですね。何にしましょう?」
 慌ててロスヴァイセが話題を変える。いちおう時計だけあって、時間には正確だ。
「あら、もうそんな時間?……何か、軽いものがいいかな」


 二人が台所に立ったところで、玄関の呼び鈴が鳴った。単にお隣の人が雑談に来たのか、セールスか、それとも……玄関のカメラが写す映像を見ると、少女が玄関の前に立っているのが分かった。おかっぱ頭で、少し俯いているため顔などは分からない。
「どなたですか?」
 台所の中に居る遊衣のかわりに、ロスヴァイセがインターホンを使って応答する。
『あ、あの、道を教えてほしいんですが……』
 ロスヴァイセと遊衣が視線を合わせる。明らかに怪しい。
「……お母様、あの人、後ろ手に……」
「ロスヴァイセ、他のカメラも確認してもらって良いかしら?」
 台所から立ち上がった遊衣が、ロスヴァイセの言葉を遮って『そんな事はわかっている』とでも言いたげな口調で答えた。


 少女の目の前で、ドアノブが回ったように見え、そのまま内側へと開かれた。
 その動きを見た少女は、手元のスイッチを操作して『回転』を開始させる。その回転は、あたりにチェーンソーのような騒音を撒き散らし、近くに居るものの耳に残響音を残す。
 少女の手には、金属製の物体が握られていた。巨大な金属バットに幾多のトゲが生え、さながら地獄の悪鬼が持つ金棒のような凶器が、手元部分を残して高速回転している。『|挽肉製造《ミンチ》ドリル』とでも形容すればいいだろう、騒音を撒き散らすそれが、マホガニー製のドアを粉々に打ち砕いた。
 ドアを開けた人間を粉々に砕くことを目的としたその一撃だが、少女の手に伝わったのは、木材を粉々にした感触のみだった。
「しまっ……!!」
 高揚状態にある彼女がゆっくり動く光景で次に見たのは、砕けたドアの向こうで、拳銃にしては大きい、しかし機関銃《マシンガン》にしては小さい銃を、こちらに向けている女性の姿だった。


 遊衣は、扉が砕け散った次の瞬間には引き金を引いていた。監視カメラに映った少女が、後ろ手に凶器らしき物を持っているのを確認してから決めていた行動である。ドアノブに縄を引っ掛け、それを引っ張ってドアを開けたところ、案の定だ。
 シンクの一番奥に、防水用の密閉ビニールに閉まっていたそれは、イングラムM10という米国製の短機関銃。十年前に出会った武器商人から『いざという時』用に買い受けたものだ。
 簡単な構造のスチール製銃身を持ち、そのお陰で安価ながら誤作動も少ない。装填されている拳銃弾、計四十発を二秒足らずで撃ちつくす、ただ単に人を殺すことだけを考えれば、十分すぎる性能を持つ悪魔の兵器だ。映画でテロリストが持っている銃、と想像してもらうと非常に分かりやすい。あの『これから皆さんに、殺し合いをしてもらいます』な小説で、一番人を殺した超天才に支給された武器でもある。
 無論良いことづくめではなく、あっという間に弾を撃ちつくしてしまう為、きちんと照準を向けていないと全弾無駄撃ちになってしまったり、正確な射撃が不可能で誤射を招いてしまったりといった問題もあるが、この場面ではそんな事は問題にならない。
 相手が『ただの人間で、襲撃者』ならば、これで終わっていただろう。だが、相手は人でありながら人とは違う力を使う異能者であり、それは遊衣にもよく分かっていた。
「ロスヴァイセ、囲まれてないわよね!?」
『はいっ!!』
「逃げましょう!!」


「どうして、こんな事するんですか……?」
 銃口を向けられ撃たれた筈の少女は、まったくの無傷だった。両手で振りかぶった後のミンチドリルを持ち、肩を震わせている。
 少女の目の前には、銃撃を受ける一瞬前に『降ってきた』厚さ二十ミリほどもある鉄板が突き刺さっている。遊衣が使っていた銃では、これを貫くことは不可能だ。
 次の瞬間、鉄板は『落ちていって』その場から消えた。俯いていた少女が顔を上げ、光の無い瞳で家の奥を見据えた。
「どうして、酷いことしようとするんですか……?」



 弾を撃ちつくした銃を捨て、遊衣は慌てて階段を駆け上っていった。その最中でも、思考は絶やさない。
(狙いは誰? 私、凛、久、ロスヴァイセ、みんな『狙われる理由』はある。けど、ここまで後先考えないなんて……!!)
 ロスヴァイセの報告が正しければ、襲撃者は今の少女一人。素早く動ける異能者でなければ、外の車まで駆け込めれば逃げ切れるだろう。二階の空き部屋……かつて、彼女の夫が使用していた部屋からは、外の木を伝って安全に下まで降りられる。襲撃者の少女がこちらを追いかけてくれれば、さらに確実だ。
 階段を一気に駆け上り、ロスヴァイセが先に待っている部屋へ駆け込む……その時遊衣は、自分の浅慮さを呪った。


「あ、あの、あの……!!」
 ロスヴァイセが、何も無い部屋の真ん中で立ちすくんでいる。その向こうには、もう一つの人影があった。奥の窓が開いているところを見ると、ロスヴァイセが逃げるために開けたところに入り込まれたのだろう。
 人影は、少年のようだった。双葉学園の高等部男子制服を着て、首にはヘッドホンをかけている。そこから流れるのは、丁度十年前に亡くなった伝説的ミュージシャンの曲だ。
(時間差での挟み撃ち……やられました)
 遊衣は慌ててあたりを見回すが、文字通り何も無い。夫が亡くなったときに仕事に関する全てのものを処分しただけでなく、部屋の遺品も全て処分してしまったのだ。物置は別の所を使っているので、余計なものも無い。無論、武器も無い。
「……二つだけ聞かせて。あなた達は『どこの人』で、『誰が』目的ですか?」
 自身が落ち着くためにした遊衣の質問に、少年は顔をしかめる。
「いや、俺は『ここで起こることを見届けろ』って言われただけで、こっそり入っただけだ。表のやつに見つかるとヤバいし」
 この台詞に、遊衣とロスヴァイセは揃って呆気にとられた。表の少女は、明らかにこちらを殺しにかかっている。しかし、彼は『見届ける』だけ。何が目的なのだろうか。
 そんな事を考えた次の瞬間、先ほどから聞こえている騒音が、一気に大きくなった。殺しにかかっている方の襲撃者が、階段を登りきったのだろう。
「ロスヴァイセ!!」
「へ、きゃっ!!」
 後ろからの足音と機械音が迫ってくる前に、ドアの真正面から逃れるように彼女を突き飛ばす。ロスヴァイセを逃した勢いをそのまま、遊衣も倒れこんで襲撃者の視界から外れる。
 容姿に見合わない凶器を振りかざした少女が部屋に飛び込んでくるのと、ヘッドホンを首にかけた少年が前に踏み込むのとは、ほぼ同時だった。

 次の瞬間、キン、という硬い音が部屋中に響き渡った。

 少女が振り下ろした凶器が、空中でピッタリと静止している。高速回転を続ける金棒が、ギャリギャリと何かを擦るような火花を立てるが、それは少年に届かない。その少年は、手を上に掲げているだけだ。それだけで、何か硬いものに叩きつけているかのように動かない。

「なんで邪魔をするんですか、オフビート!!」
「手出し無用、とは言われて無いんでな」







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