【蜻蛉】


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  蜻蛉 -セイレイ-  ラノで読む


 表向きは国立の教育機関でありながら、ひとつの小国のような繁栄を治める双葉学園。端から見てもその規模・人口は、この学園の知名度を大きくしている要因の一つだった。学園がとある事情により設立されたという由来を知らなければ、「珍しく、特別な施設」という意味以外にも「異常なまでに統括された施設」と穿った意見を持つ者も現れるのも当然の成り行きだろう。それは国の特殊工作機関だとか、日本のエリア51、最終戦争に備えた究極機動ロボットを隠しているなど、住民たちからすれば苦笑いするような、当たらずとも遠からずといった様々な噂や曲解された伝説が巷には囁かれている。
 唐橋《からはし》悠斗《ゆうと》の叔母もその噂の信奉者の一人だった。
 信奉者というと狂信的な響きがするが、休日の朝から突然かかってきた電話では、御守りを買って送って欲しいと頼まれただけだ。双葉学園はその様相と秘匿性ゆえに「ミステリアス且つエリート学園」という妙なイメージだけが伝播してしまい、結果その敷地内にある学園島の人間しか訪ねることができない神社の存在が、都合よくメディアに担がれてしまった格好だ。なんでも叔母の観たワイドショーでは、風水術や占星術、果ては黒魔術の儀式を執り行って、学園創立の裏からその発展に寄与してきたとか何とか。
(今どきそんなオカルト要素ふんだんに扱った番組ってあるかよ……)
 ひとかたまりの乗客を吐き出し、身軽になった郊外バスが再び走りはじめた。窓の向こうに立ち並んだ学舎の風景が通りすぎると、紅や黄色に染め広げた樹木の一群が入れ替わりにぽつぽつと増えていく。
「次は~双葉神宮前。双葉神宮前ぇ~」
 手馴れた感じの朗々とした声で車内放送が流れる。それが終わると、倉持《くらもち》祈《いのり》が小さな体を伸ばし、早押しクイズの要領ですぐさま停車ボタンを押した。
「危ないからちゃんと座ってろ」
 通路を隔てて反対側の座席から、窓枠に肘掛ながら悠斗《ゆうと》が横目で見やって言った。祈は気分を害されたらしく、怒ったように口を尖らせる。
「子どもじゃないんだから。唐橋、いちいちうるさい」
「悪うございましたね、お嬢様」
 悠斗は肩をすくませた。言葉のあとに「そういうのが子供なんだよ」と口に出さないぶんには大人だった。一回り歳の違う小学生を相手に、同じ調子で返すのは大人げない。
 双葉神宮への道のりは、喫茶店〝ディマンシュ〟でウェイトレスとして働いているクラスメイトの森村マキナに教えてもらった。今日は珍しく客入りが多かったため店を手伝うということも考えたが、マキナにも仕事に対する意地があるらしくやんわりと断られた。ならばということで彼女が仕事に専念できるよう、祈を一緒に連れて行くことにしたのだった。

     一

 バスを降りてすぐに、前方に朱塗りの大鳥居が目に映った。その奥には、はじめの大鳥居を縮小した感じの鳥居が、本殿のある境内まで等直線に建ち並んでいた。正面から見るとどこにでもある神社の外観だったが、少し体を傾けると、数え切れないほどの緋色の柱が顔をのぞかせ、まるで自分が合わせ鏡の間に立っているような錯覚に陥りそうになる。
 入口には白い石柱に彫り字で〝双葉神宮〟と書かれていた。悠斗はそこでふと立ち止まると、示し合わせたわけでもないのに傍らで祈も足を止めた。祈はちょこんと鼻先をあげて、小犬のように匂いを嗅ぎ始める。引きつけられるような甘い香りに気がついて辺りを見渡すと、ずらりと並んでいる鳥居の列から外れて金木犀《きんもくせい》がオレンジの小花を咲かせていた。
「金木犀か。久しぶりに見た気がする」
「キンモクセイ?」
「俺のいた街じゃ、そこらじゅうの家の庭に咲いてて綺麗だったんだ。知らないのか?」
 祈はゆるゆると首を振る。「でも、甘くていい匂い」
「二、三日で花は枯れる。こんなところで見られるなんて俺たち案外ツイてるかもな」
 いくつもの朱い鳥居をくぐり、石畳の参道を踏み越えていく。
 閑散とした境内は思っていた以上に広く開かれ、それでありながら隅に自生しているもみじの樹の周りは落ち葉一枚なく掃き清められている。正面には大きな注連縄《しめなわ》が吊るされて賽銭箱を設けた本殿があり、隣接したところに目当ての御守りを売っている授与所があった。その授与所を右手に抜けた先に、悠斗がテレビでしか見たことのないような能舞台がひっそりと建っている。入口にあった金木犀の花の香りが風に乗って、周囲にもその残り香がわずかに感じられた。
 授与所には薄い白髪頭の老人が詰めていた。おそらく宮司なのだろう。白衣に水色の袴を履き、二人に気づくと、テレビの音の漏れる奥座敷から現れて、笑い皺《しわ》をにじませながらにこにこと応対してくれた。
「この時期に参拝たあ、兄ちゃんたち信心深いね」
 と、快活そうに話しかけてくれる。
「親戚に頼まれて、ここの御守りを買いに来たんです。なんでも護符を包《くる》んだここ謹製の御守りがすごいって聞いて。俺もここに来るの初めてだし、探検がてらですよ」
「ありゃ、そうかい。それでもせっかく来てくれたんだから本殿もお参りしていきなさい。夏を過ぎると参拝客もぱったりで、私らもどうしても暇になってね。何か願い事でもすれば、競争率も低くて神様も叶えてくれるかもしれないよ」
 抽選でもあるまいし、悠斗は笑った。宮司はぺろりと頭を撫でると、悠斗の後ろに隠れていた祈に気づいた。
「そこのお嬢ちゃんは妹かい? 兄ちゃんと一緒にお使いで偉いね」
「いのりは唐橋が迷子にならないようについて来ただけ。妹なんかじゃ、ない」
 ぼそっとそれだけ言って、また悠斗の後ろに下がる。笑っていた悠斗の顔が一瞬だけ固まった。
「あは、ははは……こいつ人見知りする子で。あの、それで、御守りあります?」
 宮司はおみくじの棚の近くにあった引き出しに手をかけた。悠斗もつられて覗くが、中身は空だ。
「ありゃ、ここに仕舞ってたはずなんだけどなあ」宮司は首をひねり、申し訳なさそうに悠斗たちを見た。「すまんね、参拝する人も少なけりゃ御守りなんて買ってく学生も珍しいから、家に置いてきたみたいだ」
 学生も滅多に買わない御守りにご利益はあるのだろうか。今さらながら、叔母の期待が徒労に終わりそうな予感がした。 
「時間かかりそうです?」
「いいよいいよ。家はすぐ裏だから、待っていてくれればすぐ取ってこれるよ」
「それじゃ、俺たちはそのあいだ境内をゆっくり見て回ってますんで」
 さきに授与所から出ようと背中を向けた宮司が、頭のなかで手を叩いたように急に振り返った。その老体にそぐわないきびきびとしたキレのある動きに、祈が悠斗の背後でひどく驚いていた。「そうだ、さきに本殿に参ってくるといい」宮司は誰もいない本殿のほうへ両手をメガホンのようにして声を張りあげた。「おーいミコト! お客さんだー!」
 すぐ戻るよ、と言い置いて宮司はさっさと行ってしまった。取り残された悠斗と祈は、勧められたとおり本殿へ足を向けることにした。
 二人はまず手水舎《ちょうずや》に入り、柄杓で手を洗い、看板の作法にならって口をすすぐ。こんこんと湧いてくる清水は水道水の比にならないほど冷えており、確かに雑念を払うには十分だった。
 本殿へ進んでいくと、前を歩いていた祈がはじめにそれに気がついた。
「誰かいる」
 言われて目を凝らすと、注連縄と賽銭箱の置かれた風景の奥に隠れて、幅の狭い赤い幕のようなものがのぞいた。近づくにつれて、それが誰かの足で、赤い袴であることが悠斗にも分かった。
 雪のように光沢のある白い長髪が肩をなびく。それと対照的な漆黒の二つの瞳が、板間の上でふたりを見下ろして立っている。悠斗と同じかそれより下に見える外見と、白衣と緋袴を着こなす威容な様とが同居して、混成された神秘さが目の前の少女にはあった。
「拝礼と祈念を」
 やはり少々幼さを残した声色だ。しかし、それでも相手の心を緊張させるだけの厳格さがある。
 二拝二拍手一拝《にはいにはくしゅいっぱい》。手水舎で掲げられていた作法を思い出し、ぎこちない動きでぺこぺこと頭をさげる。祈はといえばさっさと賽銭を投げ入れると、声に出さないで呟きながら、小さな両手を合わせている。紙札を取り付けた御幣《ごへい》が擦れる音が聞こえ、祈へ、そして悠斗の頭へと軽く被せられた。

     二

 参拝を終えて再び境内を歩き授与所のほうへ顔を向けるが、宮司はまだ帰ってきていないようだった。
「しまった」
 悠斗が突然ぽかんとした表情になり、それらを押し流すように大きくため息を吐いた。
「拝む作法のことばっかりに気がいって、肝心の願い事するの忘れてた……」
「唐橋、バカじゃないの」
 祈が真顔で言う。
「うるせー。手順踏まずにお願いする不心得者に言われたかねえよ。俺はマニュアル人間なの、お前家電の取扱書とか読まないタイプだろ」
「でも、いのりはちゃんとお願いしたもん。唐橋みたいに忘れてないもん」
 もっとも意見だ。わざわざ縁起を担いで「|二重のご縁《二十五円》」と、小銭を合わせて入れたのに。神様にケチをつけるつもりはなかったが、これじゃ投げ損だ。口にするつもりもないのに、ぼやきが漏れた。
「今のうちにもう一度行ってくるかな……」
「誠に残念ですが、本日の営業は終了致しました」
 振り返ると、さっきの巫女少女が立っていた。本殿にいたときのような、近寄り難い雰囲気はまるで感じない。その理由はすぐにわかった。あのときは髪をストレートに流していたが、これが普段の髪型なのだろう――長髪をアップぎみに二つに分けたツーテールでまとめていて、それが彼女の印象を親近感のあるものにがらりと変えている。
「たまの休日に本業の仕事を勤めあげたと思ったら、とんだ祓い損ですよ」
「こっちは賽銭の投げ損だ」
「25円で?」
 ばっちり見られていたらしい。少女が見透かすように見つめ、祈に「25円」と小声で復唱されて悠斗は耐えられず顔をそむけた。
「お、俺がいくら出そうがあんたに関係ないだろ」
「あんたじゃなくて、神那岐《かんなぎ》観古都《みこと》」それから、と付け足して言う。「礼儀深いのは結構ですけど、欲深いと元も子もないですよ。唐橋さん」 
 たしなめつつ、悠斗と祈を交互に見やって、神那岐は続けた。
「でもまぁ、あなたも日頃の行いが良いと見えます。隣の女の子もね。二人とも運がいいですよ。……少し歩きましょうか、ついてきて」
 神那岐は境内のちょうど全景が見渡すことができる真ん中あたりまでやってくると、悠斗たちへ振り向いた。褪せない常緑樹と時節とともに移り変わった濃淡な赤や黄の枝葉が、お互いに過度の領分を覆わずひしめき合っている。声をかけようと悠斗が口を開きかけ、それを神那岐が人差し指を唇の前に置くことで制す。
「8、7、6……」漂うなにかを探るように神那岐は眼を閉じる。
「振り返って、空を見上げて、2、1」
 瞬間、周囲の木立が音もなく揺らいだ。風の絶えた境内に、無数の木の葉が吹き上がっていくように見えた。だが、それらは足元に落ちることはなく不規則な軌道で宙を漂っている。
「トンボ?」
 透けた模様の入った銀の翅《はね》に、赤長い胴と茶けた複眼。縦に長い十字のシルエットが、頭上を群れをなして飛んでいる。
「フタバアカネ」
 悠斗の疑問に祈が答えた。
「なんだそりゃ。アカトンボと同じじゃないのか?」
「小さな昆虫を捕食する従来の蜻蛉《トンボ》種と違って、フタバアカネは私たちから溢れている魂源力《アツイルト》を糧にして生きているんです」
 神那岐が注釈するが、そう言われても悠斗にはやはりただのアカトンボにしか見えない。いったいどこが違うのだろうか。
 神那岐は自身の髪の色にも劣らない白い手を、悠斗の前にゆっくりと差し伸ばした。悠斗はそれが握手の意味なのかちょっとだけ考えたが、やがて少しして三人の周囲を間近に飛んでいたフタバアカネの一匹が、蜜を求める蝶のように、その雪のような神那岐の手のひらにとまった。それまでばたつかせていた四枚の翅がハの字に沈み、静かに頭《こうべ》を垂れた。
 隣へ視線を下げると、祈の頭の上にも一匹フタバアカネが翅を休めている。祈は気がついていないのか、悠斗の顔を不思議そうに見返している。
「こうして魂源力のある者の近くへ寄ったり、周囲を飛び回ることで少しずつ吸い取っていくラルヴァなんです」
「ラルヴァって――」
 その言葉にはっとして、祈の頭上にとまっていたフタバアカネを払いのけようとすると、神那岐が微笑した。
「言葉足らずでしたね」
 静止しているフタバアカネを驚かさないように、ほころばせた口もとを袖で隠しながら言う。
「『吸い取る』といっても、生物から漏れ出す少量のごくごく僅かな魂源力を摂取するだけで人体になんら影響はありませんよ。鬼神蜻蛉《キシンヤンマ》って知ってます? あっちは敵性のある危険種ですけど、フタバアカネは等級も無害なC-0エレメント体。肉体を持たない彼らは払うこともできなければ、触れることも叶いません」
 そう言って神那岐は手のひらに乗ったままのフタバアカネを、眉一つ動かさずまるで紙でも丸めるように握りしめた。悠斗は乾いた音か悲鳴が頭のなかをよぎって身構えたが、神那岐は顔色も変えずに、力をこめていた右手をふっと緩めた。ゆっくり開かれた手のなかには、変わらない姿のフタバアカネがいた。
「エレメントラルヴァは初めて?」
 その反応がおかしかったのだろう。手首をしならせてフタバアカネを宙に追いやると、神那岐は訊いた。
「夏の講習で資料は見たが、実物――というか実際に目にするのは初めてだ」
 さっきの神那岐を真似て空に指を揚げてみる。しかし、いつまで経ってもフタバアカネは降りてくる気配はない。祈には何匹ものフタバアカネが髪飾りみたく張り付き、はじめは楽しげだった彼女の表情は少し困ったように眉を寄せている。振り払ったりしないのは、フタバアカネがエレメントでそうすることが無駄だと知っているからだろう。
「唐橋、フタバアカネに嫌われてる」
「たぶん俺の異能力のせいだ」
 諦めて手を下ろすと、悠斗はそう結論づけた。
「へえ、ちなみにどんな能力なんです?」
「唐橋が臭いの」
「お前はまた……そういう言い方したら勘違いされるだろ。って何ちょっと後ずさりしてんだよ、鼻つまむなよ!」
「あははは、これは軽い冗談ですって。巫女ジョーク」
「鼻声でそう言われてもまるで説得力がないんだけどな。あと顔が笑ってないのは明らかに素だろ」
 それでも、この状況には慣れた感じがする。「|匂いつき《ステインカー》」と言うと、相手のリアクションはほとんどが顔をしかめたり首を傾げたりするのだ。変身能力のように役割が明確なものや、物質操作のように派手で力の用途がはっきりしたものと違い、一言でそれを表すことができない。一見複雑に見えて、それでいて蓋を開ければつまらないガラクタ。興味を示す学者もいたが、能力の在り方を知れば三日と経たずに飽きられた。戦闘にも支援にも使えないため、対ラルヴァ科目の模擬演習には人数の数合わせの時くらいにしか召集されず、たとえ参加してもほとんどが雑用だ。体力は人並みか少し上くらいには持ってはいるが、最大のアドバンテージといえる異能力の伸び白が皆無であれば、それは一般人とちっとも変わらない。
「ラルヴァに嫌われる異能力って、ホントにつまらない能力だよな」
 自分の異能力について簡単な説明を済ませ、最後は自嘲気味に付け加えて言った。そのあいだ神那岐はふんふんと真面目なのか適当なのか判らない相槌を打ちながらも、口を挟まず聞いてくれた。
 神那岐は祈の前に立って、彼女の頭上を低空して旋回するフタバアカネを右手でひらひらと扇いだ。時おりその手をすり抜けながらも、変わらずフタバアカネは悠々と宙を泳ぎ続ける。
「エレメント種というのは、そのほとんどが実体を持っていないんですよね。そのことは彼らも自覚していて、だからこうして私たちが干渉しようとしても、そ知らぬ顔でいられるんでしょう」
 唐突に語り始めた神那岐はそこでいったん区切ると、悠斗の右手を掴んだ。呆気にとられた悠斗が振りほどこうとする間もなく、その手がぽんと祈の頭に置かれた。それだけで、祈にまとわりついていたフタバアカネが散り散りになっていく。ほらね、と神那岐が納得させるように言うころには、すでに彼女の手は悠斗から離れている。
「異能、役に立つじゃないですか」
「こんなんでか?」
 苦笑いを堪えつつ、悠斗が二の句を告げるより先に神那岐は答えた。
「成果の規模が問題じゃないですよ。私にできないことがあなたにはできる。それは唐橋さんにしかできない力でしょう? それで十分じゃないですか」
 悠斗は吐き出すべき言葉を見失って、目の前の巫女を見据えた。赤点で居残りして帰れないでいる生徒を諭す教師のようで、冗談みたいに幼い少女の言葉は慈愛を含んでいる。
「求める答えの視野が狭いんですよ。その力が役に立たない、なんて客観的な評価はいいんです。『何かの為に力を使うことができた』その事実は、それが有用か不用かなんて問答を小競り合いさせる理由にはならないはずです」 
 ふっと笑い、やがて歌うように言った。「あなた自身がそれを認めないと、認識を改める人は誰もいませんよ」
 フタバアカネたちが飛び交う。銀と茜の精霊が軌跡を曳《ひ》きずって、神那岐を中心として天体のように回っている。
 どのくらいそのままだったのだろう。目下でうんうんと唸る声が聞こえた。
「手、早くどけて」
「ああ、すまん」
 祈からぱっと手をどけると、ようやく帰ってきた宮司が声を張って悠斗たちを呼んでいた。

     三

 悠斗は〝ディマンシュ〟の隅っこのボックス席にどかっと腰を下ろし、今日の戦利品である御守りと茶菓子の代わりに買った双葉饅頭を取り出す。軽く店内を見渡すと、夕日が悠斗の近くまで差し込みオレンジの斜線が店内を照らし、悠斗以外の客はいない。午後の賑やかさはすでに過ぎ去り、いつもの贅沢な静寂が祈のピアノの音とともに流れている。
「あいつは元気だな」
「子供は遊ぶのが仕事ですからね」
 テーブルに自分と悠斗の湯のみを運び、マキナはごく自然な感じで向かい側の椅子に腰を降ろした。
「ん、日本茶?」
「お茶うけにはコーヒーよりこっちのほうが美味しくいただけますよ。これは売り物じゃなくて、休憩室にある既製品のお茶ですけど」
「お茶うけって、これのことか?」
 悠斗は双葉饅頭を指差すと、マキナは小さく肩をすくめて笑った。
「バレちゃいましたか」
 もともとここで開けようと思っていたから別に構わないのだが、アテにされるほど味の保証はできなかった。御守りを購入したときに、神那岐と宮司に言い寄られて抱き合わせで買わされたのだ。曰《いわ》くまだ在庫が多いらしく、近く学園のほうでも販売するつもりだと言っていた。
「でもこれ、賞味期限年末までみたいですよ」
 きれいに剥がした包装紙の裏面を見てマキナが言う。目をしばたかせているが、それがどういう理屈で見えているのかは未だに分からない。
 彼女の異能力は有用なものだろうか。いや、視覚の補助を担うくらいだから相当なものだろう。少なくとも、彼女自身の為には役に立っているのだから。
「わたしの顔に何かついてます?」
 視線に気づいたのか、見られていると分かったのか、小首をかしげてマキナが訊いてくる。
「な、なんでもない! そんな短期間に学園で土産物を売りさばくにしても、学生に需要なんかあるかなと思ってさ……あ」
 そうか、文化祭か。
「今月は文化祭でしたね。唐橋さんが聞いた在庫の数が結構なものなら、どこかの催し物で使うのかも」
 ほとんど同じタイミングでマキナもその結論に達し、なぜか悠斗は少しだけ嬉しくなった。
「だろうな。そういえば、俺たちのクラスって文化祭で何するつもりなんだ」
「実行委員の子と話したんですけど、うちのクラスは感応能力者《トランサー》や分析能力者《アナライザー》が数人いますから、大学部に機材を借りて異能と科学を使った『占い屋』をやるんだとか」
 悠斗とマキナのいる2年F組はいわゆる「文化祭は遊びたいから、抜け出しやすい催し物なら何でも良い」という生徒の弁が大半で、とりあえずどこかのクラスの没案を拾ってしまおうと、各々で八方に手を尽くし自堕落この上ない活動に精を出していた。なので、明日にでもその決定案がクラス全員に伝えられる予定になっており、悠斗はまだ知らなかった。
「占いかぁ、出し物としては無難なところだろうな」
 C組は早々にメイド喫茶と決まったのは聞いていたので、執事喫茶の一抹の可能性を憂いていたがどうやら取り越し苦労だったようだ。
「占いと一口に言っても、未来予知のできる人もいますからね。『占い屋』は表向きの看板で、人相学を口実に細胞測定器を使った肌《スキン》チェックみたいなものをするらしいですよ」
「俺はラクなやつなら何でもいいし、ただ美容が絡むと女が怖いな……」
 双葉饅頭をつまみ、しみじみとした顔で渋い日本茶を啜《すす》る。饅頭は一口サイズで中身も普通のこし餡だ。これも無難だ。その姿を見て、マキナは表情を和らげて言った。
「ふふっ、唐橋さんまるでお爺さんみたいですね」
「老人《ロートル》はただ幸せに生きたいだけよ、ホント――っと忘れるところだった。森村、ちょっと手を出してみてくれ」
 悠斗はポケットから懐紙《かいし》に包まれた御守り袋一つを取り、おずおずとした感じで差し出してきたマキナの手のひらに落とした。
「これは? もしかして御守りですか」
「おまけで貰ったんだ。駄菓子屋じゃないってのに、好きなの選んでいいって言われてさ。祈のぶんもある」
「ありがとうございます」
「元がタダだからあんまり気にしないでいいからな。それじゃ、もう帰るわ」
 明るい声で感謝を述べられ、悠斗は胸が躍った。出口から吹き抜けの二階を見上げたが、まだ祈の演奏は続いている。 
(俺も叔父さんになるのかぁ)
 細い道を抜けて、アーケードに辿り着く。
 叔母のお腹の子は来春には生まれるらしい。叔母、といってもまだ20代半ばの会社員で、出産を終えたらすぐにでも職場復帰すると電話越しに意気込んでいた。
 ポケットからマキナに渡したものと同じ懐紙に包まれた御守りを手に取る。
「一生わかんねえけど、生まれてくる子を待つ親ってのはなんにでもすがりたくなるもんなのかな」
 人通りの絶えた夕暮れの街並みに気が緩み、自然と呟きが漏れる。御守りを顔の前にかざしてみる。夕日の混ざったその白い御守り袋は健康祈願。
「え」
     ◆

 赤い御守り袋。自身の目で見てみたかったが、色がぼんやりと判別できるだけで文字は読むことができない。
 マキナは向かいに座っていた少年を瞼の裏に浮かべ、深々と呼吸した。
 おおよそ健康祈願か学業成就のどちらかだと予想はついていたが、そうだとしても彼はわたしのことを思って選んでくれたのだ。その御守りに込められた気持ちを指でなぞり、今度こそ力を使って眺める。
「……あ、安産祈願?」
 ガタン!! とその瞬間マキナの声を遮るように、喫茶ディマンシュの扉が少年の叫びとともに盛大な音を立てて開け放たれた。


  -了-


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