【イグニス・ハート-前編-】


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        • 人の暮らす町の明かりに削がれ逃れた小さな暗がりでその営みは続いている。遥か古より変わることなく、連綿と、粛々と―――。

 薄い星明りだけに照らされて肌を重ねる一組の男女、その睦みに合わせてぴちゃぴちゃと滴る水音が路地裏に響く。
男が行うのは口付けと呼ぶには余りにも無遠慮な獣が肉を貪る様を思わせる接吻。唇を食んで力なく細く空いた隙間から蛇の如く舌を滑り込ませ、女もそれを忌避するどころか応えるように己のそれを絡ませる。内頬を撫ぜ歯裏を舐り互いに互いの口中を蹂躙しあえば啜り損ねた唾液が零れ落ち二人の顔を濡らしていく。

(今日の俺はついている……)

 彼はそう思った。何故ならば今夜はこんなにも素晴らしい獲物とこんなにも刺激的な夜を過ごせるのだから。
これだから夜はいい。退屈な昼間の世界など願い下げだ。今ここには人の面を見る度に小言を吐き出すくそったれな両親も馬鹿ばかりでムカつく教師もいない。そうだ。夜の世界こそ我が世界。
 女の太ももを撫ぜる指先から伝わる感触に感嘆の息を零す。白磁を思わせる肌は皺もシミも一つとしてなく上物の絹織物のように何処までもなめらか。
それでいて指先で押せば返ってくる弾力は薄皮一枚下に十分な肉感が秘められていることを雄弁に語っており、否が応でも身が滾る。
蛞蝓の歩みの如くゆっくりと満遍なく掌を這わせながら、次第に這い回る手の位置をその付け根へと上げていく。やがて軽く達したのか女は力の抜けた様子でこちらにしな垂れかかってきた。

 「どうする? ホテルに行くか? それとも……」

 その続きを遮るように女はその背中に手を這わせ腕の中の人間を逃さぬように抱きついてくる。自分の硬い胸板に密着して女の豊かな双胸が押し潰れて柔らかに形を変える。鼻に香る甘やかな女の体臭と服越しに伝わる熱い体温が入り混じって実に心地良い感触だ。
欲に溺れ体を昂ぶらせて赤く染まったその表情はとても淫秘なもので、そんな人間とは思えないほど美しい女の痴態を見下ろしながら内心でほくそえむ。

 (このインランめ……)

 ややもして女がくず折れていた体勢を起こし再びこちらに顔を近づける。顔の横で鼻を犬のようにひくひくと嗅ぎまわす度に零れ落ちる鼻息が少しだけくすぐったい。
やがて彼女は獲物の首筋に舌を這わせながら静かに囁いたのだった。

 「たベテいイ?」

 それは言葉と呼ぶにはあまりにも稚拙で声と呼ぶにはあまりにも不快な音の塊。

 「ヒィッ―――――!?」

 欲情に煮え滾り曇っていた思考が冷や水を浴びせられたように一瞬で冴え渡った。目の前の自分に絡みついているモノが人間と呼べるような存在でない事を遅まきながら理解する。この場において真に獲物と呼ばれる存在が自分であったという事にも。
振りほどこうと必死に手足を振り回すがびくともしない。それどころか暴れる自分をあざ笑うかのように化物染みた怪力で締め上げてくる。
時既に遅く、蜘蛛の網にかかった蝶は羽を捥がれて食われるが運命。

 「た、助け――――――」

 悲鳴は出なかった。ぶぢりと音を立てて目の前の怪物が自分の喉笛の肉を噛み千切ったからだ。代わりに出たのはひゅーひゅーと頼りなく漏れる出来損ないの笛の楽とおびただしく零れ落ちて自身を濡らす金錆びた赤色。
命の支えを失いゆっくりと血黙りに倒れ伏す。曇りガラスのように濁っていく視界が最後に捕らえたのは、先刻噛み千切ったばかりの自分の肉を美味そうに頬張る鮮血の口紅を引いた美しき怪物の姿だった。

 人の暮らす町の明かりに削がれ逃れた小さな暗がりでその営みは続いていた。遥か古より変わることなく、連綿と、粛々と――――。
 蟠る闇の奥底で、怪物たちは蠢いているのだ。



 その日もいつもどおり教室の中は騒がしかった。HRが始まるまでのわずかな暇、生徒達は気の会う仲間とグループを組んでと雑談にふけっている。
その話題も様々で昨夜見た野球の試合の勝敗や芸能ニュースはたまたアニメや最近買った漫画と事欠かない。そんな中、今最も生徒たちが関心を寄せている話題があった。
それは――神隠し。近頃頻発している主に10代の少年少女の連続失踪事件である。まぁお蔭で、

 「おはよう。かなちゃん早速だけど神隠しを探しに行こう!」

 朝一番から挨拶もそこそこに繰り出されたエキセントリックな誘いを普通の人間ならどう断るべきだろうかと頭を悩ませる事になっているのだが。
そもそも何をどう探せというのやら。神隠しとは人がある日突然何の前触れもなく一切の証拠も残すことなく消え去る不可思議現象のことであり、探して何かしらの証拠が見つかるのならそれは神隠しではなくただの誘拐である。

 (まぁあれだ。とりあえず一発頭を叩いとこう。壊れたテレビを直す感じで)

 そう結論付けて、目の前の親友の頭に景気よくスパン!とツッコミをば一発。叩かれた頭からはペコンとあまり実の詰ってない西瓜のような残念な音が聞こえた。

 「あだっ!? 無駄にスナップが効いてて痛いよ! ツッコミにボクへの愛が感じられないよ! ところでツッコミってそこはかとなくエロスな響きだよね」 
 「チッ直らなかったか。いや元がこれならバグった方がマトモになるのか? 全く寝言を言うのは寝てるときだけで十分だよ」

 憮然とした表情で愚痴を零す少年に対して、涙目で頭を擦りながらも少女は楽しそうに顔をほころばせる。
だが油断するな。彼女にとってのこの顔はネコが獲物をいたぶる時に見せる嗜虐のそれである。彼限定のと言う枕言葉がつくのは決して口外できぬ乙女の秘密であるのだが。

 「乙女もチョウチョも夢を見るのに何を言ってるのかねーこの人は。そんなだからクラスの女の子達に緋村くんって普通だよね。勿論良い人なんだけれどって言われるんだよ」

 それの何が悪い。素晴らしい事ではないか普通万歳である。いや普通この年頃の男児なら彼女が出来ない事に頭を悩ませたりするべきなのか? 待て待て。そもそもこんな自分に人並みに彼女が出来るなんていう普通のイベントが存在するはずないではないか。
 朝から青春真っ只中の悩みは尽きず、しかして己の口から出たのは皮肉染みた軽口であった。

 「別に花を追う趣味は無いんでね。おまけに俺の知ってる唯一の花は残念ながら食虫花ときてる。恐れ多くてチキンなチョウチョじゃ近寄る気にもなれません」
 「ふーん……逆境に負けないたくましい女の子はお嫌いで?」 
 「あぁ男を食い物にする女なら嫌いだね」
 「うん。ボクは今日も君を愛してるんだ」
 「まぁ嬉しい。私もトモを愛してるわよ」

 まるで予め事前に打ち合わせをしていたとしか思えない軽口の押収はしかし彼らにとってこれは極当たり前のことである。そして最後に互いに顔を見合わせ、

 「「イェ――――――――――――――――イ!!!」」

 彼――かなちゃんこと緋村(ひむら)かなめと彼女――トモこと永遠朋(ながえ とも)は勢いよく元気なハイタッチを決めた。OK親友。今日も絶好調だ。
やがて遠巻きに見物していたギャラリーからパチパチと拍手が巻き起こり、二人で両手を振ってそれに応える。
ただ一人、何時の間にやら教室に入ってきた担任の女教師だけが99%カカオのチョコレートを食わされたようなとびきり苦々しい表情を浮かべていたが。

 「あーそこのバカップル、夫婦漫才はそこまでにしろ。HRを始めるぞ。つーかそれはいまだ独身の私に対する嫌がらせか畜生!」
 「いやいや先生、ボクとかなちゃんはただの大親友で別に付き合ってるわけじゃないですから。てゆーかまたお見合い失敗したんですね。今度こそ寿退職だー! って息巻いてたのに」
 「不景気でどの業界も冷え込んでますしねー。大型リサイクルショップだって潰れるご時世だし」
 「ま、まだこちとら未使用新品じゃー! ッ!? 何だお前ら! そんな雨にうたれて震えてる子犬を連れて帰りたいけどゴメンうちペット厳禁なんだって優しくも悲しい目で私を見るなよぅ!」

 火に油どころか火気厳禁の花火工場で煙草を吸った末を思わせる壮絶な爆死だった。今この教室にいる誰もがこの朝の記憶を消し去ってもう一度ベッドの上からやり直せる奇跡を切に願った。そして奇跡は簡単に起きないからこそ奇跡と呼ばれるのである。

 「つーか緋村は放課後! 職員室!」   
 「ちょっ!? 先生が勝手に自分で地雷原にオウンゴールしたんでしょ!?」
 「うっせー! ここじゃ私が法律だ! 私の言葉が絶対の真理だ! 私こそが新世界の神だ! 崇め奉り記憶を失え!」
 「理不尽過だー!?」

 乾いた笑いに満ちた痛々しい空間を切り裂く哀れな少年の悲鳴。それに応えるかのように天井近くの壁に備え付けられたスピーカーからチャイムが鳴り響き、始業の合図を告げるのだった。



 時は流れて夕刻。見上げれば日は地平線の彼方へとその身を沈めかけ昼の蒼が夕暮れの赤とせめぎ合い混じり合い生まれる紫色の黄昏た空。
見下ろせば足元に伸びる影法師。家路を急ぐ人々は揃って四辻の信号に捕まってみんな仲良く立ち往生している。
その中にはようやく長い長いお説教から開放されてふらふらの体で帰宅の途につく緋村かなめの姿も混じっていた。

 (あぁトモよ。普通親友と呼ばれる関係は艱難辛苦を共に分かち合い幸運を共有する間柄の事じゃないのかー…?)

 ちゃっかりお咎めを免れた本人曰く大親友の友人を心中恨めしく思う。思ってそして溜息を付きかけて慌てて口を塞いだ。溜息を付くたびに一つ幸せが逃げるというなら本日最低である自分の幸運が更に底値を割る事になりそうで怖かったからだ。
 やがて信号は赤から青へと変わり安っぽいとおりゃんせをBGMに人々が歩き出す。それに習いかなめも思考を中断し雑踏の中を家路へと歩を進める。と、

 (何だあれナンパ? いやあの様子は……)  

 行きかう人の群れの中に思わず見惚れるほど美しい女性の姿が見えた。そして、その美女の腕を強引に掴んで路地裏へと連れ込むいやらしい笑みを浮かべた男三人組の姿も。
男達はみな年の頃こそ自分と対して違わないが、カラフルに染め付けられた髪と言い着崩した風体と言い品行方正にはとても見えない。
奇妙な事にそんな風変わりな少女と不良たちのやり取りにを周りの人々はまるで『彼らの姿など最初から無い』かのように目もくれず足早に行きかっている。
 そんな彼等が表通りから姿を消してから、かなめは肺の中の空気を残らず搾り出すような重い溜息をついた。これで本日の幸運最安値更新である。
しかしあの状況は普通に考えるなら見逃して良いものではない。だから走った。
 その選択が普通に生きたかった自分の運命を大きく変えることになるとも知らないで。



 路地裏に広がっていたのは想像したものとは別の意味で凄惨な光景だった。
 無残に切り裂かれた男達、そして生まれた血の海の中で神に祈るように膝を折りその肉を貪り食う女。地にうち捨てれた顔の一つは空ろに感情も篭らぬ瞳で自分を見つめている。
 足元を濡らす鮮血と赤く染まる視界は眼球を穢し、生臭い血と腸と路地裏独特の饐えた臭いが交じり合って脳髄を痺れさせる。
鼓動は胸を張り裂かんばかりに激しいくせにしかし自分の耳には風の音さえ聞こえない。
思考は自ら働くことを放棄し命令を失った四肢は動く事を忘れた体が糸の切れたマリオネットのように地面にへたり込む。
 やがて食事を終えた女はゆっくりとした動作でこちらへとその視線を向けた。
その顔が形作るのは己の巣に新たな獲物がかかったこととその愚か者の命を奪うことへの暗い悦びで歪んだ捕食者の微笑。
 パキリと音を立てて女の右肩から異形の器官が生えその姿を顕にする。それは一見天使の翼と見まごうほどに神々しくも禍々しい巨大な死神の大鎌だった。
それを振りかざして風のように女がかなめへと向かって走り寄る。地を蹴る音は近づく死へのカウントダウン。

 「うわぁっぁッぐぅ!?」

 その中で、対峙する異形への恐怖が己を忘我から引き戻したのは不幸中の幸いだった。持っていたカバンを盾に自らも横に飛ぶことで致死の一撃をすんでの所で防ぐ。
安々と切り裂かれ血の海へとカバンの中身をぶちまけながら木っ端のように吹き飛べば、囲むビルの壁に叩きつけられた衝撃で全身が悲鳴を上げた。引き換えに得たのは動けぬ体と僅かな余命。そして再び近づく死の瞬間、されど運命は少年を見捨てなかった。
 なぜならばそれを打ち破る者がまるで御伽噺の英雄のように颯爽と現れのだから。

 「目を閉じなさい!」

 鋭く響く声。硬く閉じたまぶたの下からでも感じられる圧倒的光量。固い金属同士がぶつかり合う響き。そして耳を劈く怪物のものと思しき悲鳴。
 ゆっくりとまぶたを開けば閃光の余韻で薄くぼやける視界の中に、それでもはっきりとその姿は映った。
 風に靡く黒曜石を梳って作ったような腰まで届かんばかりの艶やかな黒髪。細くも力強さを感じさせる体を包むのは青と白の学生服。その手には恐ろしい切れ味を感じさせる鋭く光る一振りの刀。彫りの深い整った顔立ちに闘志を宿して髪と同じ黒曜の瞳が油断なく敵を睥睨する。
 それは自分を護るように屹立する美しい少女の姿。
 しかし次の瞬間、愛らしいその唇が奏でたのは可憐な少女に似合わぬ戦士の雄たけび。それは絶叫。それは咆哮。それは歓喜。

 「ブゥゥゥゥレェェェイドッ! ハァッピィィィィイ―――!!!」

 そう、救いの女神は狂人だった。

 「初めましてフロイラン! 私は切断マニアの抉り屋で貫通癖の切り裂き魔! 一局私と踊りませんこと?」

 お世辞にも自己紹介とはとても言えない殺伐とした文句を並べながら少女は刀を構える。体は極力面積を減らし相手の攻撃から急所を守る半身に構えて刀身を隠す相手に己のリーチを悟らせぬ左の脇構え。
それに対する怪物は何の構えらしい構えもなく、ただゆらゆらと己が獲物の切っ先を虚空に遊ばせたままである。

「わたしオなかすイテルノ。あなたモたベテいイ?」

 先刻の少女の問いに対する怪物の応えは至極単純明快。そして生命を支える原始的な渇望に突き動かされて怪物の足元が爆発した。地を蹴る所か踏み砕いての反動による人と比べ物にならぬ異形の身体能力を存分に活かした突進。
 それに先ずること刹那、少女は姿勢を低く膝をかすかに折り曲げた。それにより擬似的に重力のくびきを断ち切った体が地を滑る。これぞ古来より伝わる縮地と呼ばれる歩方、その一つ。
 上方からのギロチンの如き袈裟切りを飛燕を思わせる切り上げで迎撃する。激突する二つの刃。噛み合わさった鋼が互いに弾かれながら火花を咲かす。

「花より団子? だったらダイエットに贅肉切断をお一つどうぞ!」

 弾かれて宙を踊る刃が銀の軌跡を残して翻る。右足を軸に一歩強く踏み込み腰を回転させての胴を狙った薙ぎ払い。しかし、致命となるはずの一閃は僅かに敵の腹を削ぐだけで終わった。
それを予期していたのか相手はすんでの所で後方に飛び退り致命傷を回避したのだ。そのままお返しとばかりに今度は無防備にさらけ出された少女の胴を狙って大きく鎌を薙ぎ振るう。
対する少女は今度は左足を前に、瞬時に体位を入れ換え己が刀の刃を地面に突き立てる。怪物の一撃は突き立つ刃に阻まれて少女に届くことなく役目を終えた。
 全てが一瞬。どれもが必殺。一度でも下手をうてば己の命は無残に散る決死の攻防。だのに、

 「あーっははははははははは――――――――ッハッハァ!」

 凶刃を振るい狂人が哂う。

 「く、くくく、くくくくくくくくくく――――ゥ!!!」

 怪物も凶器を振るい狂気に酔う。それは饗宴であり狂宴。決してあり得て欲しくなかった己の普通の日常が剣戟の音に呑まれるように侵されていく。
だから緋村かなめは逃げ出した。
恐怖からか混乱からか凍りついたように地面に張り付く足裏を無理矢理引き剥がすようにして走った。
いまだ全身をさいなむ痛みに歯を食いしばって耐えながら走った。
人ごみを駆けわけぶつかっては転びそうになりながらも自分の中で膨れ上がる最悪の予感を振り払うためにただ必死でアスファルトを蹴り続けた。そして……、

 「あらかなちゃんお帰りなさい。……っ如何したの!? 顔色が真っ青よ!?」

 自分の普通の日常が詰った我が家の扉を開けて、母の温かい言葉を聞きながら、やっと意識を手放す事が出来たのだった。



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