【時計仕掛けのメフィストフェレス 劇場版第最終回「天国編」1】


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 A.D.2019.7.11 13:10 東京都 双葉学園 第八封鎖地区 特別矯正施設「地獄門」

 束司文乃は走っていた。
 否、逃げていた。
 風紀委員たるもの、学園の風紀を乱す敵を前にして逃げるなど言語道断である。
 だがそれも――時と場合による。
 だから今は走らねばならない。
 逃げて、そして伝えなければ全てが手遅れになる。
 誰でもいい。とにかく伝えなければならない。
 掴んだ秘密。
 知ってしまった真実。
 時逆零次の目的――
 現在も過去も未来も、全て纏めて――
 この二十年間を抹消する。
 この事実を、なんとしてでも伝えなければならない。
「……っ」
 走りながら後ろを振り返る。
 追っ手の数は……数えるのをやめた。何十人規模だ。 
 どいつもこいつも画一的な個性のない姿で追ってきている。
 まるで、玩具の兵隊だ、と文乃は思う。双葉学園の風紀委員会はもっと個性に溢れている。それゆえに色々と大変ではあるが。
「……?」
 ふと、文乃は違和感を感じる。
 敵は統制がとれている。とれすぎている。いやこれはこの際どうでもいい。
 先ほどからの攻撃が、鎮圧用のゴム弾丸なのも理解できる。風紀委員は警察でも軍隊でもない、殺傷を目的としていないからだ。
 だが、異能の攻撃が一度たりとも飛んでこない。
 異能者ではない? ……それも確かにありうる。双葉学園ですら、風紀委員は異能者のみで構成された組織ではない。
 風紀を守る、というのは単純な力のみで行われるものではない。逆をいえば、異能の力がなくとも風紀委員に相応しいものは沢山いる。それを考えれば、彼らに普通の人間がいてもおかしくない。
 だが、それでも……文乃は思い出す。あれは正しくは風紀委員ではない。時逆零次の息のかかった、私設組織だ。
 現に見たのだ。三人の部隊長。
 アリギエーリ。
 抑制能力者。相手の能力を縛り、限定する。
 その力で永劫機メフィストフェレスの時間停止以外の全てを封じ込めた。
 ベアトリーチェ。
 観測能力者。
 その力で別次元のメフィストフェレスの座標すら特定した。
 ウェルギリウス。
 転移能力者。
 その力でメフィストフェレスを強制転移させ無力化した。
 その力、その連携は恐ろしいものだった。まるで機械のように無駄がなく淀みなく、時坂祥吾を……永劫機メフィストフェレスを打倒した。
 そんな彼らが、異能者の部隊を擁していないはずがない。
 あるいは、たった一人の邪魔者程度に異能者を出す必要がないと思われている?
 もしそうならばそれは好機である。その油断、いや傲慢に付け込んで逃走を完遂すればいいだけの事だ。
 そして文乃は走る。
「!」
 道を曲がったその時、眼前に白い制服、D.A.N.T.E.のメンバー達が四人待ち構えていた。
 先回りされていた!
 彼らは銃を構えている。それはいい。だが、その銃を見て、文乃は凍りつく。
 あれは、鎮圧用のゴム銃などではない――ただの、ただのガトリングガンだ。
 殺傷のみを目的とした、銃器としてどうしょうもなく正しい姿!
「っ――!」
 身の危険を感じ、メモ帳を取り出す。
 文章具現化の異能を発現させ、身を守る。
 だが一瞬遅い。
 銃口から弾丸が解き放たれる。
 間に合わない。
 それを悟り、身体が硬直する。
 だが、次の瞬間……幾つもの光が奔る。
 否、それは光ではない。光を反射する幾つもの線――糸だ。
 飛んでくる弾丸よりもなお速い糸が、次々と弾丸を寸断する。
 その斬糸により、弾丸は文乃に届くことなく地面に、あるいは壁に叩きつけられた。
「この糸……まさか」
 文乃は思い当たる。
 同じ風紀委員に、確か糸を使うものがいた。正確には糸ではなく、糸を使って人形を……
 そして糸はさらに閃き、四人のD.A.N.T.E.のメンバーを拘束する。
「どうやら、間に合ったようですね」 
「リーリエさん……!」
 その糸の主が姿を現す。
 長身の男性……に抱えられた人形だ。
「あと、篠崎さん」
「ついでらしいわね、総司。まあついでだけど」
 自分の人形からもついで呼ばわりされる篠崎総司だった。
「……」
 文乃には、いまだにその人形が、単なる腹話術の人形なのか、それとも意思を持って動くリビングドールなのか判別がつかないでいた。
 ただの人形愛好癖の変態なのか、それとも……
 だがまあ、今この場でそれはまさにどうでもいいことであった。
 そんな常日頃の疑問を晴らす前に
「リーリエさん、篠崎さん、状況は――」
 だが、その文乃の言葉をリーリエは止める。
「来ます」
「!」
 D.A.N.T.E.のメンバーがさらに追ってくる。
 リーリエは言う。
「ここは任せてください。貴女は貴女の仕事を。貴女が知っていることがあり、伝えなければならないことがあるなら――
 私達の仕事はそれをサポートすることです」
「……はい」
 頷き、そして文乃は走り出す。
 振り返りはしない。使命に殉ずる覚悟を文乃はとっくに決めている、それと同じく……彼女達もまたそうなのだ。
 風紀委員の腕章を腕に通した、その時から、

「さて――」
 リーリエが笑う。
「どれだけ、持ちこたえられるでしょうね、私達」
 リーリエの前に、何十人ものD.A.N.T.E.メンバーが、まるで波のように現れる。
 そして――





「く……っ、こちらにも……!」
 リーリエは実によくやってくれているだろう。
 文乃は、彼女達の働きを、実力を正しく理解している。
 だからこれは、仕方のないことだった。
 別の方向から現れたD.A.N.T.E.のメンバー達、かれらの出現はリーリエとは関係ない。
 だから、彼女が行ったように、自分が自分の力で、自分の責務でここを潜り抜けねばならない。
 あと一歩だ。
 あと一歩で……!
 文乃は単語帳を開く。そしてそのページを、そこの文章を具現化する。
「“落とし穴が開く”!」
 落ちる。だが――
「!?」
 落ちていくメンバーを踏み台にして飛んでくる。
 その一糸乱れぬ、機械の様な動きに、文乃は恐れを懐く。
 心が折れる。
 勝てない。アレらには勝てない。
 そして、心が折れれば体も折れる。
 駄目だ、それでも諦めるわけにはいかない、と、彼女の使命感は叫ぶ。
 風紀委員としての矜持。
 心折れ、体折れてもなお、それだけが彼女を支える。
 そう、負けるわけにはいかない。例え勝てなくても、それでも負けられないのだ。



 膝が折れる。
 だめだ、体が言うことを利かない。
 体勢を崩した今、敵の一斉攻撃が来るだろう。
 文乃は目をとじ、歯を食いしばりその攻撃に耐えようとする。
 目を閉ざすのは逃避ではない。
 耐え、そして次に繋ぐためだ。
 そして――

 衝撃はこなかった。
 体も地面に倒れない。
 抱き止められている。そんな感覚があった。

「――?」
 文乃は目を開ける。
 攻撃は来ない、苦痛も無い。では自分は死んだのだろうか?
 否。生きている。

 ――そこには、凄惨な光景があった。
 串刺しにされている。
 地面から伸びた、闇に沈んだ黄金の枝が、国際風紀委員達を串刺しにしている。
 それは、モズのはやにえ――あるいは、ワラキアの串刺し公か。
 その凄惨な光景にもかかわらず現実感が薄いのは……
 彼らから、血が一滴も出ていないことだった。
 それもそのはず。
 彼らを串刺した傷口に見えるのは、肉ではなく鋼。血ではなくオイル。
 機械のようだと評したが、あれらはまさしく――機械仕掛けの人間(チクタクマン)だった。
「大丈夫か」
 惨劇の主が、言う。
 少年だった。
「え……」
 左半身は普通の少年だ。だが、右半身は違っていた。
 金の髪に金の瞳。頬や肌に刻まれた、葉脈のように脈打つ黒い痣。
 そして、右腕を覆う装甲。一見すると木製の鎧のようにも見える。
 その右手に掴まれた長剣が、地面に突き立てられ……そこから根が伸び、D.A.N.T.E.メンバー達を貫いていた。
 全員ではない。まだ生き残って――否、その表現は正しくないのだが。彼らは最初から生きてはいないのだから――いる者たちも多い。
 それらを前にして、少年は言う。
「あの人形愛好癖野郎から一応聞いてる。助けろ、ってな。
 だから此処は俺が引き受ける。あんたは先に進め」
「……」
 人形愛好癖、とは篠崎の事か。つまりは、信用していいのだろうか?
 いや、信用するしかないのだ。

「あなたは……」
 文乃は聞く。何者だ、と。
 それに対して少年は、剣を抜き、そして構えながら言った。

「――寓話騎士。戒堂絆那」






 時計仕掛けのメフィストフェレス THE MOVIE

 LOST TWENTY ――La Divina Commedia――
                      パライソ
                  最終回【天国篇】






 A.D.2019.7.11 13:10 東京都 双葉学園 貧民街 野鳥研究会秘密基地三号

 時坂祥吾は、目を覚ます。
 ――まず想ったのは、天井が汚いということだった。
 染みとかが、ひどい。いかにもなあばら家、貧乏屋敷といった風情の板張りの天井だった。
「……」
 体が、重い。
 疲労がかなり溜まっているのがわかる。
 体を動かそうとして……断念する。
「ここ、は……」
 記憶があやふやだ。
 頭が痛い。
 自分は、確か……

「ふむ、起きたか? 病み上がりで急に動こうとするなよ」

 そう声がして、ドアが軋んだ音をたてて開く。
 そこからでてきたのは……

「あんたは……」
 祥吾は、その姿を見たことがあった。
 蛇蝎兇次郎。
 ただし……割烹着姿だった。
 ギラついた野心に満ちた瞳に長身痩躯。なのに異様に似合っていた。しっくり来ていた。
「えーと……」
 その姿に、度肝を抜かれたというか、拍子抜けしたというか。
「貴様とは、一度確か会っていたな?」
 ぐつぐつと煮えたぎる小さめの土鍋を、猫の刺繍がされた鍋つかみで掴み、足でドアをおしのけながら、蛇蝎は言う。
「確か、そう……銀行だ」
「覚えているのか」
 祥吾は正直驚いた。
 あの時は、祥吾はほとんど、というか完璧に何もしなかった。ただの脇役、書割も同然だったのだが。
「ああ、覚えているぞ。邪魔をしてしまったようだが、な。あの時は」
「……」
 それは違う。あの時、祥吾は動けなかった。
「まあ、これも奇縁という奴だ、と」
 蛇蝎は祥吾の寝ている簡素なベッドまで歩き、テーブルに土鍋を置く。
「それは」
「粥だ」
 問う祥吾に、不遜に答える蛇蝎。
「正しくは雑炊で、我輩らの昼食の余りモノだがな? 怪我人にはそっちのほうがよかろう。
 ほれ、あーんしろあーん」
「いや待てちょっと待て! 何このシチュ!」
 蛇蝎兇次郎が、雑炊をレンゲにいれて差し出してきている。
「……なんだ、まさか貴様、我輩にふーふーしろとでも言うつもりか……?」
「言いません! 断じて!」
 全力で首を横に振る祥吾。
 想像しただけでおぞましい絵ヅラだった。
「……そうか」
 心なしか残念そうに見えたのは、気のせいだと心から思いたい。
「なら食えるな? ちゃんと食っておけ。
 生憎と貴様一人にかかずらっていられるほど我輩は暇を持余してはおらんからな」
「あ、ああ……いや、それよりも」
 祥吾が食い下がろうとするが、
「今は黙ってメシを食え。それが怪我人の仕事だ」
 と、蛇蝎は有無を言わせぬ強い言葉で釘を刺す。その迫力に、祥吾は黙るしかない。
 蛇蝎はそれを満足そうに見下ろした後、ドアから出て行った。
 そして、壁の向こうで盛大にこけた音がした。
「!?」
 祥吾がその音に驚いていると、
「こらぁお子様どもが! 罠を廊下にしかけるなとあれほど言っただろうがぁ!」
「わーい引っかかった逃げろぉーぃ!」
 そう蛇蝎の叫び声と、子供たちの笑い声が聞こえた。


 後に、食器を取りに来た工克巳から聞かされたことであるが、ここは貧民街にある孤児院との事だった。
 蛇蝎とその一派が根城にしている……といえば聞こえはいいが、傍目にはむしろ蛇蝎たちが孤児院の手伝いをしている、というふうにしか見えなかった。
 そしてつくづく、蛇蝎兇次郎は割烹着姿が不自然に似合っていた。
 閑話休題。
 一時間もすれば、祥吾の身体は快復していた。元々、たいした傷を負っていたわけでなく、疲労が溜まっていただけのようだった。
 肉体的にも、そして……精神的にも。
 胃袋に食べ物を入れて落ち着けば、物事を考える余裕も出てくる。
 そして思い出す。
 あの一連の出来事を、反芻する。
 背負った罪と、喪った物を。
「なぜ、俺は……」
 生きている。何故だ……そう祥吾は自問する。
「なんだ、あのまま野垂れ死にしたほうがよかったのか?」
「蛇蝎……先輩」
 いつの間にか、蛇蝎が立っていた。
 にやにやと、倣岸な物言いで見下ろしてくる。だが、その態度も何故か不愉快にならない。
 似合っているのだ、割烹着姿と同じく。
 彼には自信がある。確固たる自我がある。
 自らを信じ、揺ぎ無い強い意志で押し通す。我を通して後など振り向かない、そんな強さが滲み出ている。だから、どんな態度も、見るものに不快感を与えることは無い……しいて言えば、王者の貫禄、というべきか。
 まあ、それだけではなく、普段――先ほどの割烹着姿であたふたする三枚目姿など――があるから、そのギャップで傲慢な印象が薄れる、というのも多分にあるのだうが。
「……どうでしょうね。正直、どっちかわからない」
「ふむ?」
「……俺は、」
「どうでもいい」
 祥吾の台詞を、蛇蝎は止める。
「どうでもいいわ、貴様の事情など。それとも何か、同情が欲しかったのか?」
「そうじゃ……ないけど」
 同情してもらった所で、確かに意味は無い。 
「なら結構。結構だ。ふん、そこまで落ちぶれたという訳ではないようだな?
 ああ、貴様の事情など我輩は知ったことではない。貴様が何と戦い、何に挫折したかなど何の興味も無い。
 我輩が興味があるのは、そうだな……それでもまだ貴様が戦うつもりかどうか、だ」
「戦う……?」
 それは、
 何とだろうか。
 何と戦えというのか。
 何のために戦えというのか。
 時坂祥吾は世界を滅ぼす。
 未来の時坂祥吾(じぶん)を名乗るあの男、時逆零次はそれを防ぐ為に動いている。
 そして零次の言葉は正しい。全くもって正しすぎる。
 滅びる世界の運命を覆す、これ以上の正義が何処にある。
 世界の全てを滅ぼす、これ以上の悪が何処にある。
 そう、時坂祥吾は悪だ。そしてそれは――改めて言われなくても気づいていたのではないか。
 やむをえない理由、事故、正当防衛――そう繕ったところで、どうしょうもなく事実は変えられない。
 人を、殺したという事実。
 他にやりようはなかったのか、吾妻を殺さず、妹達も救う、誰もが幸せになれるたったひとつの冴えたやり方があったのではないか?
 それに目をつぶり、のうのうと生きてきた。
 時坂祥吾は――悪だ。
 そして、世界の敵だ。
 その事実を前に、何と戦えというのだろうか。
「――ふん、まあ昨日の今日だ。整理はつかんか」
 そんな祥吾を見下ろして、蛇蝎はため息をひとつつき、苦笑する。
「なあ貴様。ここをどう思う?」
「ここ? ここって――」
「この貧民街(まち)だよ。双葉学園の外れ、スラム街。異能学園都市の栄光と繁栄からはじき出された除け者の街だ」
 蛇蝎は顎をしゃくり、街を指す。
 都市計画から外れた街。途中で放棄された建設途中のビル。トタンで作られたあばら屋。貧乏人、孤児たちの住む所。
 話には聞いていた。不良達や、外から入り込んだ柄の悪い連中が巣食っているとも。
 風紀委員と揉めに揉め、醒徒会の頭痛の種にもなっているとも。
 だけど……
「意外と、イメージと……違ったかな」
「ほう。どんなイメージを持っていたのだ?」
「……ごみため」
 その言葉に、蛇蝎は笑う。
「はっ! 貴様案外と正直だな。で、実際には違った、と」
「うん。あの子供たちとか、活気あったし」
「あれはありすぎだ」
 蛇蝎が露骨に顔をゆがめる。
「だが、ちゃんと生きている。ああ、別にここ以外が死んでいる、と言いたいわけではないがな?
 だが……何処も同じだ。みんな一生懸命生きている」
「……」
「今の貴様に足りぬのは、我輩の見立てでは、それだ。
 何があったか知らぬし興味も無いが、貴様は生きる事を諦めている。だがさりとて死を選ぶというわけでもない。
 中途半端で、何でもない。我輩はそんな者に興味はもてん。人は、一生懸命に生きるからこそ素晴らしいのだ。
 ああ、だが今我輩が何を言ったところで、貴様に届かぬということも承知している。それはそうだ、持てるものが持たざるものに無責任に投げかける説教ほど心を打たぬ言葉もないわ。
 だがそれでもあえて貴様に言うならば、そうだな、散歩でもしてじっくりと考えることだ、自分の足で、自分の頭でな」
「……」
 そして、蛇蝎は踵を返す。
「時間はたっぷりと……あるかどうかは知らん。だが答えを出す暇ぐらいはあろう。
 ああそうだ、受け取れ」
 そして蛇蝎は小さな袋を投げよこした。
「これは?」
「三時のおやつだ。ああ、我輩が作ったんじゃないぞ、ここのお子様どもだ。
 つらいときはあまいものをたべるといいよ、とな?
 ふん、馬鹿を言うな。この我輩のより美味いものはまだあのお子様どもには作れんわ」
 笑いながら、蛇蝎は去る。祥吾がみた限り、その笑い顔には、いつもの倣岸さは見えなかった。
「……」
 祥吾は包みを開く。
 そこには、クッキーが入っていた。
「……ああ、それで」
 蛇蝎が、嬉しさを噛み殺せないようなキモいニヤニヤ顔を隠せていなかった理由がわかった。
 クッキーは、蛇蝎の顔だった。
「……なんか、思い出すな」
 昔、妹と二人で両親にクッキーを作ったことがあった。
 どうみても似てない両親をかたどったクッキー。
 なぜかマントと剣をつけて、父親の困った顔が印象的だった。
 きっとここの孤児院の子供たちにとって、蛇蝎は親か兄みたいな位置づけなのだろう。
「……行くか」
 このままここでウジウジとしててもあまり意味は無い。
 祥吾は、重い腰をあげ、孤児院から出た。




 A.D.2019.7.11 14:30 東京都 双葉学園 貧民街 

 貧民街……と言うほどそこは酷くはなかった。
 寂れた町ではある。いかにもな不良もいる。
 だが、それでもどこにでもあるような街だった。
 貧乏そうな子供たちが、汚いサッカーボールで遊んでいる。
 無職の青年が、辛気臭い顔で川を眺めている。
 そんなどこにでもある風景。
 祥吾は、そこをただ歩く。
 だが、ただ歩くだけだ。特に目的地も無い。蛇蝎に散歩しろと言われたからするだけだ。
 確かに、ただ蹲っているよりはよほど健康的だろう。
 だが、だからといって何になるというのか、という思いもある。
「答え、か……」
 そんなもの、決まっている。
 自分は悪で、世界の敵で。
 だから……だからどうなる。
 何も出来ない。してはいけない。自分が世界を滅ぼすなら、どうすればいい。
 答えなんてない。最初から。
 ならば……
「逃げる、のもいい……か?」
 そうだ。
 逃げてしまえばいいんじゃないか?
 どうせ自分には何も変えられない。
 このままでは世界を滅ぼす。
 だが、それを回避しようと動く未来の自分がいる。
 なら……今の自分にやるべきことなど何も無い。
 仲間たちにも、もう会えない。自分がなにをやってきたか知られてしまった。彼らはもう、仲間と呼んではくれないだろう。
 意味も理由も何も無い。なら、逃げてしまえばいいのではないか。
 誰も知らない所へ。
 誰もいない所へ。
 そうしたところで――問題なんて、ない。
 殺人者が逃亡者に落ち果てるだけ、どこにでもある、ただそれだけの話だ。
 逃げてしまえばいい。



「いや、キミは――逃げられない」



 祥吾の思考に、笑うような声が滑り込んできた。

「……!?」
 祥吾は顔をあげる。
 だが、誰もいない。
 そう――誰もいない。
 歩き続けているうちに、人気の無い場所に入り込んだのか、あるいは……人々が排除されたのか。
 廃墟の町に、誰もいない。
 だが、何かはいた。
「藤森……先輩?」
 眼前に、陽炎のように、蜃気楼のように立つ、現実感の欠けた存在があった。
 それは、一言で言えば道化師だった。
 道化の衣装。
 道化のマント。
 道化の化粧。
 道化の笑い。
 どうしょうもなく滑稽で――そしてそれゆえに恐怖すら覚える、ピエロの姿。
 その道化の顔は、知っていた。つい先日会った、上級生の顔。
 だが、イメージがひどく違う。それはメイクや服のせいだけではない。
 存在が、何かズレている――そんなイメージがある。

「やあ――」

 道化が、澄んだ声で笑う。
 仰々しくお辞儀をする。慇懃に、そして滑稽に。

「ボクはジョーカー。怪人ジョーカーと呼ばれている……」
「ジョー……カー?」
 聞いたことがある。
 それは双葉学園の一部で囁かれている都市伝説だ。
 妹が話していたのを、祥吾は聞いていた。
 現れて、人を殺す怪人の噂を。
 悩み、葛藤、恋、憎悪、夢、友情、嘆き、悲しみ、欲求、不満。
 それらを抱える双葉学園の少年少女たち。彼らが世界の終わりを望む時、怪人ジョーカーは現れる――
 そんな、荒唐無稽な噂話を。

 道化(ジョーカー)が、口を開く。

「ボクは、ボクの“敵”を倒しに来た」

「敵……?」
「そうだ。キミはこの世界を滅ぼす存在だ。ボクは世界の破壊者を倒すためにここにいる」
「――」
 それは、つい先日、言われたばかりの言葉。
 また、だ。
 また言われた。お前は世界の敵だ、と。
 その事実を。
「世界の……破壊者、だと……」
「そうだ。キミの力は、キミの運命は世界を滅ぼす。
 たとえキミにその意思が無いとしても――運命が、因果律が、それを決定付けてしまっている。
 それを回避するには――キミを、キミのその忌むべき“力”を殺すしかない」
 そう言って、ジョーカーはナイフを取り出す。
 禍々しくも美しい輝き。
 太陽の光を照らし返す、銀色のナイフ。
 ジョーカーの姿がかき消える。
 一瞬で懐に。祥吾の懐に入る。
「っ――!」
 一閃。
 白刃が煌き、銀の軌跡を走らせる。
 祥吾は上体を反らして、それを避ける。
 体勢を崩し、倒れる祥吾。だが体を転がして、距離をとって起き上がる。
 地面に転がっていた鉄パイプを拾い上げながら。
「っ、なにをいきなり――!」
「いきなりじゃないさ。キミも知っている、判っているはずだ」
「だからって!」
「だから、キミを排除する――それだけだ!」
 駆けるジョーカー。
 祥吾は鉄パイプでそれを受け止めようとする。
 だが――
「!?」
 鉄パイプを、そのナイフはすり抜けた。
 そして祥吾の胸に、刃が迫る。
「っ!」
 だがその瞬間、祥吾は足を滑らせ、倒れる。
 その上を白刃が通り過ぎ、祥吾の髪の毛が数本、宙に舞う。
「っ、とっ……!」
 再び転がりながら、祥吾は距離をとる。危なかった。
(実体じゃ……ない)
 ナイフを凝視する。
 あれはただの刃物ではない。
 魂源力によって作られた、実体のない刃物だろう。
 だから、鉄パイプをすり抜けた。
 なら――武器での打ち合いはだめだ。
 打つなら、相手の腕。それであのナイフを落とす事などはないだろうが、それでも防御にはなる。
 そう考えて、祥吾は気づく。
 自分は何をしようとしている。何故戦おうとしている?
 必死にもがく。だが何故だ。
 何故生きようとする?
 醜い。見苦しい。
 そうだ、この怪人の言うとおりだ。
 ソレに何より、自分は昨日知ってしまったはずではないのか。
 自分の罪深さを。
 存在そのものが、罪であるということを。
 そして――ついさっきまで自分は。

 罪から逃げようとしていた。

 ジョーカーが再び走る。
 ナイフを振るう。
 祥吾はただ反射的に。それを避け、あるいは受け止める。
 だが、そのたびに自問する。
 もう一度問う。
 自分は何をしようとしている。何故戦おうとしている?
 必死にもがく。だが何故だ。
 何故生きようとする?

 なぜ、自分はこんなにも生き汚いのか。

 それとも、まだやらなければならない何かがあるとでもいうつもりか。

 そんなものはない。あるはずがない!
 咎人(じぶん)にそのようなものは、あってはならない!

 ナイフが閃く。
 祥吾の頬を掠める。
 殺意が煌く。
 祥吾の脇腹を掠める。

 このままでは――確実に、その凶器はいずれ、祥吾の心臓を抉るだろう。

 ああ、それもいいかもしれない。
 だって、時坂祥吾は罪人であり――
 その罪からも逃げ出そうとした、最も唾棄すべき罪悪ではないのか。
 そして眼前のジョーカーは、断罪の刃である。
 世界の破壊者に対し、排除すると宣言した。
 つまり、殺すと。
 その罪を、命で購えと。

 それは絶対の正義で。
 断罪者で。
 懲罰者で。
 執行者で。
 世界を代弁する、復讐者だった。

 そうか。
 ならば、それもいい。


 そして――

 祥吾の胸を、銀のナイフが、
 貫いた。

 血は出ない。
 痛みも無い。
 そのはずだ。

 貫いたのは――胸ポケットにいれていた、クッキーの袋。
 小麦色の欠片が飛び散る。
 小さな音を立てて、地面に落ちる。
「――、」
 それを見て。
 祥吾は再び思い出す。
 妹と一緒に、親のために作ったクッキー。
 そう、妹だ。
 ……祥吾の、生きる目的。
 ずっと傍にいてくれた存在。
 そして、連鎖するかのように浮かんでいく面影。
 傍に。
 傍にいた……誰か。
 それは……

“貴方が望むなら、伴侶のように、召使のように、奴隷のように仕えましょう――”

 その言葉を、思い出す。
 ああ、なぜ忘れていたのだろうか。何故今まで思い出さなかった?
 ――答えは簡単だ。
 思い出せばつらいから、思い出せば苦しいから、だから逃げていた、ただそれだけだ。
 そんな醜い我侭だ。
 だけど。
 思い出してしまった。
 思い出させられて、しまった。

「――っ」
 ジョーカーは、一歩後ろに下がり、憎憎しげに吐く。
「生き汚いね、流石だよ」
 その言葉に、祥吾は地面に落ちた、砂にまみれたクッキーを拾い上げ、口に入れながら……言った。
「不味い……ああ、砂だらけだからな。本当は美味かったんだろうに……」
「……?」
「そうだな、まさに今の俺だ。一敗地にまみれ、泥だらけの砂だらけで、無様でどうしょうもない……
 でも、このクッキー、食べられる。食べられるんだ、意味は失われてない。
 ああ……だったら、俺だって……駄目だよな、自分の意味を、忘れちゃあ」
 そして、立ち上がる。
 立ち上がって、ジョーカーを見据える。
「ここで……やられるわけにはいかない。
 そうなんだ……ああ、そうなんだろう。
 それに……」
 忘れていた事が、もうひとつある。
 そうだ。
 俺自身がどうであろうと、そんなことはどうでもいい。
 託された思いがある。
 そして――置き去りにしてきた、約束がある。
 それは、もう自分には遠い約束。でも……
 だからといって。
 彼女まで、そうである必要は無い。

 稲蔵神無。
 山奥で出会った少女。村の巫女。狙われる娘。
 ――永劫機アバドンロード。
 だから何だ?
 彼女は打ち上げと歓迎会を楽しみにしていた。
 みんなと此処で過ごすことを楽しんでいた。
 だったら……こっちに引き戻さないといけない。
 人間だとか永劫機(ラルヴァ)とか、そんなのはどうだっていいことだ。
 たとえ、世界を滅びから救うためだとしても。
 あんなふうに――まるで道具のように操っていいはずが無い!

「やるべき事がある、という顔だね。
 ならあれかい? それが終われば喜んでこの刃に身を捧げる?」
「誰が」
 まっぴらごめんだ。
「本当かどうか、確証はない、だけど……」
「だけど?」
「俺がやられたら、妹が俺の代わりになる。それだけは……絶対に駄目だ」
 この生き地獄を。
 妹が、一観が味わう?
 冗談じゃない。冗談ですらない。そんな事は絶対にあってはいけない。

「なら簡単だ。その妹クンも排除すればいいだけの話だ。
 ああ、殺そう。その世界の敵の力を抹殺しよう。
 殺して、殺して、殺し続けていけば……」

「なん、だと……」

 その言葉に、祥吾の総身が粟立つ。
 そして祥吾は手を振り、叫ぶ。

「ふざけるな! 殺すなんて簡単に口にするんじゃない!!
 つらいんだよ、苦しんだよ、殺してしまうってのは、本当に……!」
 忘れたことなど無かった。
 悔やまない日など無かった。
 重くて、重すぎて。
 それでも……
 それでも、忘れてはいけなくて、前に進まなくてはいけなくて。
 だから。
「そんな簡単に……!」
 鉄パイプを投げ捨てる。
 拳を握る。
 走る。
 目の前の、笑う道化に向って、走る。
「殺すとか! 口にするんじゃねぇっ!!」
 ジョーカーもまた、ナイフを振るう。
 腕と腕、拳と刃が交差する。
 クロスカウンター。
「――」
「――」
 ナイフは祥吾の脇をかすめ、そして祥吾の拳は――
 ジョーカーの顔に届いていた。
 だが、届いただけ。
 撃ち貫くことは出来なかった。体が動かない。まだ疲労は回復していないのに、無茶に動きすぎた。
 膝が笑う。
 ジョーカーが、ほんの少し。腕を動かせば――それで決着が付く。
 だがそれでも、祥吾は不屈をその瞳で訴える。
 殺されようとも、殺されたりしない、と。
 絶対の意志を、叩きつけていた。

「――わかった、ボクの負けだ」

 ジョーカーが腕を引く。
 その手からは、ナイフは消えていた。
「……」
 ジョーカーは、マントをばさりと翻す。
「だがボクは諦めない。キミを殺すのが無理なら――キミの未来の姿を殺す、それだけだ。世界を救うために」
「お前、何を、何処まで知っているんだ」
 祥吾は問い掛ける。
「何も知らないよ、ボクはね。ただ事実を把握しているだけさ。
 ボクはそういうふうに出来ている、そういうモノなんだ。
 時坂祥吾が世界を殺す――それを知っている。だがキミはそれに抗おうとしている、それも知った。
 ただそれだけさ」
「意味がわからないんだけど……」
「わからなくてもいい。それでもキミが何を成すべきか……それはキミ自身がもう、答えを出しているだろう?
 なら、それで終わりだ。もうボクとキミの物語は交わらない。ボクもキミも、ただ己の成すべきことを成すだけさ。
 ああ。あと……さっきからどうも誤解を受けているようだから訂正しておこう。
 ボクが殺すのは命じゃない、力さ。世界の敵としての異能を殺す。
 ……まあ、キミが言うように物騒なことには変わりは無いんだけど」
「お前……何なんだ? 藤森先輩じゃないのか?」
「ボクはジョーカー。世界の敵を滅ぼすものさ」

 そして、怪人ジョーカーは時坂祥吾の前から、永遠に姿を消した。




 その光景を。
 廃ビルの上から見下ろしていた者達がいる。
「やれやれ、機を見てたらとうとう出番なかったですね」
「下手に出てピエロにならぬだけよかったではないか」
「そりゃそうですが……」
 道化と道化が入り混じれるなど、三文芝居にもほどがある。
「情勢は大体把握した。我らには我らの戦いがある、ということだ」
 そして、蛇蝎と克己は、ビルの上から姿を消す。





 A.D.2019.7.11 14:45 東京都 双葉学園 貧民街 野鳥研究会秘密基地三号

 時坂祥吾は、孤児院へと戻ってきた。
 それを、蛇蝎は出迎える。
「答えは出たようだな」
「……はい。おかげさまで」
「フン、我輩たちは何もしておらん。貴様が勝手に立ち直り、答えを見つけただけだ。違うか?」
 その言葉に、祥吾はまっすぐに答える。
「違う。違いますよ、蛇蝎先輩。俺だけじゃ何も出来ない。そう、何も出来ないんだ。簡単なことだったけど……やっと気づいた」
 答えは最初からあったのだ。
 ただ、見えなかっただけ。忘れていただけなのだ。
「一人じゃ何も出来ない。だけど、ずっと一緒にいてくれた妹がいた。傍にいてくれた、悪魔がいた。
 それだけじゃない。他にも……みんな、たくさん」
 なかなか家に帰ってこないが、それでも愛情を注いでくれている両親。
 同級生。友達。バカやって笑いあう連中。
 教師。先輩。後輩。学校のみんな、学園都市のみんな。
 みんながいて、俺がいる。
 だから……消しちゃいけない、否定してはいけないんだ。
 今までを。
 この……自分が生まれる前から続いてきた、繋がってきた、そして紡いでいかなければいけない、この歴史を。
 この――時間を。
「で? その何も出来ない貴様は、これからどうする?」
「戦う」
「力も無いのに?」
「ああ」
「たった一人なのに?」
「ああ」
「何のために?」
「決まってます」
 祥吾は言う。
「正義を語るつもりは無い。悪を背負う覚悟もない。
 そんなのは、どこかの英雄にでも任せておけばいい。
 俺は――どこにでもいる、ごくありふれた理由でしか戦えない」
「それはなんだ?」
「友達を、助ける」
 そのために、時逆零次を止める。
 そのために、世界の崩壊も食い止めてみせる。
「――はっ。なんだ貴様は。覚悟を決めてきたようなツラをしておきながら、正義の味方だとか、世界のためだとか大言壮語は吐けんのか?」
 蛇蝎が呆れ顔で言う。祥吾は苦笑して言った。
「俺、そんな器じゃないですから。自分が世界をどうこうする器だ、なんて夢想……寝る前の布団の中で充分だ」
「一応しているわけか」
「だから、俺は行きます」
 突っ込みをスルーして続ける。下手に突付くと薮蛇になりそうなので。
「力が無くたって、それは……戦うことを諦める理由にはならないから」
「ふん、なるほどな。愚かだ。だが悪くない。
 正義という大義名分の威を借る狐よりはよほど信頼できる。悪を背負う覚悟がない、というのは少々いただけんが……まあ貴様にそこまで期待するのも酷というものか?
 英雄になりたがる奴ほど手に負えん奸物はないからな。己が矮小さを自覚し、自らを弁えてなお、困難に挑む不屈の愚物こそを我輩は好む。
 ……克己」
「はい」
 克己は、自分の腕につけていた腕時計を取り外し、祥吾に投げてよこす。
 それを受け取る。
 プラスチック製の、よくあるデジタル式腕時計に見えた。
「これは?」
「永劫機の紛い物……かな?プロトタイプのテストタイプ。そしておまけに欠陥品」
 克己が自嘲するようにため息をつく。
「君の永劫機を目の当たりにして、超科学系の異能者(なかま)何人かと一緒に頑張って造ってはみたもののどうにも、ね。自分の才の無さを恥じ入る」
「……」
 才の無さ、っておい。と祥吾は突っ込みたくなった。
 永劫機はかつての双葉学園の科学者や錬金術師がその知識と超科学、遺失技術の粋を凝らして作り上げたものではなかったのか。
 量産型の素体をインチキまがいに持ち込めるような零次と違い、見ただけで一から造り上げたというのか……?
 うわー、ありえねー。何人かでやったとは言え、いるんだなあこういう連中って。
「生憎と我らには無用の長物よ。だがお前ならそれを扱える。お前になら託せると我輩は踏んだ」
「それは、お得意の未来予測で?」
 あの銀行で見せた能力、超演算での未来予測。
 それならば、祥吾がそれを使えるという未来を予測できてもなんら不思議は無い。蛇蝎のその自信に満ちた言葉は、それに裏付けられたものか。
 だが……
「いいや」
 蛇蝎はその考えを否定し、ニヤリと笑う。そして当然のように、言い放った。

「ただの勘だ」











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