【時計仕掛けのメフィストフェレス 劇場版第最終回「天国編」2】




 A.D.2019.7.11 15:20 東京都 双葉学園 商店街 中華料理屋「大車輪」

「がーうぜぇっ! なんか辛気臭いんだよ溜まるなら別のところへ行けっ!」
 拍手敬の働く中華料理屋は、なぜか通夜のような沈痛な雰囲気だった。
「お前らなー、あれだぞあれ。引きずるんなら家でやってくれっつーの。おかげで客がこねぇよ、どんよりオーラで」
 全くもって正論だった。
「いやー、そうっすよねー。これじゃメシが美味しくないっすよー……」
「そうよね」
 言いながら、二礼と春奈はチャーハンを食べる。
 美味しく感じられなくても、一応喉は通るようだ。
「俺としては美味しく食べてもらいたいんだがなー……」
 そう言って敬は店内を見回す。
 二人だけではない。
 菅誠司に市原和美。
 敷神楽鶴祁、米良綾乃。星崎真琴、三浦孝和、そして遠野彼方。
 明るく振舞ってはいるものの、あの件は未だに彼らの心中に影を落としている。
 はあ、と敬がため息を大きくついたその時――
 ドアが大きな音を立てて開かれる。
「いらっしゃ――い?」
 倒れるように店内に駆け込んできたのは、風紀委員の腕章をつけた、眼鏡の少女――
 忘れもしない、先日に対峙し、そして敬たちに衝撃の事実突きつけた女だ。
「文乃先輩っ!? ど、どうしたんすかっ!」
「み、みず……」
「ミミズっすか!?」
「はいそこ、鉄板のボケかますんじゃねぇ……っと」
 敬はコップに水を入れて持ってくる。
「あ、ありが……う」
 文乃はコップを受け取り、そして一気に飲み干す。
「文乃さん、何があったの……?」
 春奈が心配そうに覗き込む。
 文乃は空になったコップを震える手で握り締めてうつむき、ややあって口を開く。

「騙されていたの……全ては、あの男……D.A.N.T.E.局長、時逆零次に……!」

 文乃は話す。自分の知っていること、そして知った全てを。
 零次の目的。
 何故、祥吾を罠に嵌めたのか。
 全ては――最後の永劫機、アバドンロードを手中に収めるため。
 そして、全ての永劫機の力を持って、この二十年間を消去し、新しい時間をやり直すため――世界を破滅から救うため。

「世界を……救う?」

 呟きが漏れる。
 そのために。
 そんなことのために……あんなことをしたというのか。
 時坂祥吾を捕え、そしてそれをエサに……稲倉神無を捕えた。
 仲間を思う心を踏み躙り、利用した。

「ふざけ、やがって……!」
 孝和が、拳を壁に叩きつける。
「……ごめんなさい、私は……とんでもないことを」
「ううん、文乃さん。あなたは悪くないよ」
 春奈が文乃の肩に手を乗せる。
「でも……信じられないっす。未来からきた時坂先輩だなんて……」
 二礼の呟きに、誠司が言う。
「でも、じっさいにそうなんだろ。だったらそれが事実。馬鹿げた出来事なんて、私達は飽きるほど出会ってきた」
「っスね、今更っスよ」
 市原もそれに同意する。
「普通だよね、そういうの」
「いや、それはない流石に」
 彼方に真琴が突っ込みをいれた。
「時を操る永劫機、なら過去へ飛ぶものがいたとしても不思議は無い……か」
 鶴祁が呟く。
「しかし……ならD.A.N.T.E.とは何なのだ?」
 鶴祁の問いに、文乃は答える。
「私があのあと調べたところ……D.A.N.T.E.……国際風紀委員連盟。双葉学園からの出向者はいないが、様々な全国の学園から出向者がいるという……だけど」
「だが?」
「いないの。そういう人選は全て、架空だった。カラの人事異動。存在は確かにあるけど、実態は存在しない組織だった」
「そして、時逆零次の私設組織……と。ザルだな」
「ええ。そして、これを見て」
 そう言い、文乃は懐からそれを取り出す。
「っ――! 生首!?」
 綾乃が声をあげる。
「いや違うよこれ」
 彼方が言う。それは確かに人間の首だった――ただし、機械の。
「ていうかどうやって懐にソレ入れてたんスか」
「私の異能で小さくして。いや、それはどうでもいいのよ。これは……私を追ってきた、D.A.N.T.E.のメンバーの首」
「完璧に機械……だな」
 機械だった。
 人間の皮膚を模した、合成樹脂製の人工皮膚の下から覗くのは、金属の鈍い光沢。
 歯車と鋼線、滑車や発条が所狭しと、気が狂いそうな程の正確な無秩序さで組み上げられている。
 サイボーグですらない、一から十まで、金属で作られた文字通りの機械人間(チクタクマン)。
「それが……時逆零次の軍勢。文字通りの傀儡、操り人形の軍勢か」
 それが双葉学園に潜入している。
 世界を救う――否、今の時間を滅ぼすために。
 それは、捨て置けない事態だ。
「……止めましょう」
 春奈が顔をあげる。
「文乃さんが、がんばって教えに来てくれたんだもん。ありがとう、文乃さん。
 私達は、止めないといけない。この事件を」
「……」
 みなが沈黙する。だがそれは、決して否定や拒否の沈黙ではない。
 やるべきことはわかっている。
 やらないといけないと理解している。
 だが――
 それでも、彼らの中に小さな棘が残る。
 それは、祥吾の事だった。
 利用されていた。
 騙されていた。
 だがそれらが明らかになったことにより、より一層――容赦なく、彼の罪は事実だと逆に知らしめされた。
 もしかしたら、その全てが敵の罠ではないか、という――その希望も断たれてしまったのだ。

 ……だが。
 そういう事にこだわっている時ではない。
 わかっている。
 わかっているのだ。

「……確かに、この時代は間違っているのかもしれない。私も、そう思ったことはあるよ」

 春奈が口を開く。
「先生?」
「せんせーさん……?」
 春奈はずっと思っていた。
 何故、子供たちが戦わないといけないのか。
 子供たちを戦わせている大人たちは、一体何様なのか。
 何が正しいのか。何が間違っているのか。
 それで、正しいと思える答えなんて、出たことなど一度も無い。
 だが、だからといって。
「でも、全てをなかったことにしてしまえなんて……それは絶対、間違ってるよ」

「否。間違っているのは、お前達だ」

 無機質な声が、店内に響く。
「!?」
 次の瞬間、窓ガラスをぶち破り、白い制服の男たち……機械人間(チクタクマン)が侵入してくる。
「っ!? D.A.N.T.E.……!!」
「こんなところまで……!」
 文乃が歯軋りをする。痛恨だ。完全に撒いたと思ったのに。
「我らの崇高なる使命を邪魔する不穏分子よ。速やかに投稿せよ。さすれば悪いようにはしない」
「っ、けんな! いきなり押しかけて他人ン店ぶち壊しやがって!」
 敬は叫ぶ。あとで店長にひどく怒られるのが容易に予想できて色々と泣きたくなる。
「悪いようにはしない……ね」
 文乃が立ち上がる。
「世界を滅ぼすのが、悪いようにはしない? ふざけてるわ」
「滅ぼすのではない」
 文乃の言葉に、チクタクマンは答える。
「やり直すのだ」
「同じ事だろ! 今生きてる人間はどうなんだよ!」
 孝和が叫ぶ。
「そのようなもの――世界が正しく修正されるという救済の前には、どうでもよい。必要な犠牲である」
「……っ!」
 その機械的な言葉に痛感する。
 やはり眼前の敵はただの機械。説得どころか、論破もなにも通じない。ただ己のプログラムを遂行するだけの機械人形なのだ。
 ならば、どうするべきか。
 答えは――
「いくぞみんな、ここは……逃げるっ!!」
 敬は一目散に裏口に走る。そして皆もそれに続く。
「いや逃げるのっ!?」
「店を戦場にしたら店長に殺されるだろっ!」
「あははははそりゃそうっすよねーっ!」
「ああ、とにかく別の場所で迎え撃つしかないっ!」



 A.D.2019.7.11 15:40 東京都 双葉学園 商店街 路地裏

 走る。
 路地裏を駆け抜ける。
 その時――
「あ、あのごめんなさい、こっちですっ!」
 女の子の声がする。
 路地裏のさらに狭まった道の方からだ。
 その声の方向に入り込む。
 積み上げられた箱の影に隠れ、息を潜める。
 チクタクマンたちは、走って通り過ぎていった。
「……」
「……なんとかやりすごしたか」
「いや迎え撃つんじゃなかったっすか!?」
 いい笑顔で言う敬に二礼が突っ込む。
「ばか言うな俺は一般人だぞ!」
「あ」
「そういえば」
「忘れてた」
「え? 拍手先輩てっきりおっぱい感知の異能者とばかり!」
 さんざんな言われようだった。
「あ、そのごめんなさい。何か予定狂わせてしまったみたいで……」
「いや、気にしないでいい。助かったよ」
 鶴祁はその声の主に向き直る。
「ん? 君は――」
 鶴祁はその少女を知っていた。
 永劫機コーラルアークの化身、コーラル。
「何故此処に?」
「ごめんなさい。その……感じたんです、不吉なものを……とてつもなく恐ろしいもの。
 おそらく……もうひとつの、別の私……いえ、私達が、いる。そしてそれが……出てくる」
「もうひとつ……」
「あれじゃないか?」
 誠司が言う。
「彼女が言ってた、時逆零次の話の……別の時間軸で永劫機を喰らいながら繰り返していた、という……」
「ごめんなさい、よくわからないけどおそらく……それで間違いないかと思います……」
 確かに、文乃は見た。時逆零次が、幾つもの能力を使用したのを。
 永劫機の契約者(ハンドラー)としてのさらなる境地。
 永劫機を喰らい、取り込み、そしてその力を行使するという魔境の力を。
「それもまた、世界を滅ぼすという計画の……?」
「わかりません……っ、だけ、ど……っ」
 コーラルが膝を突く。
 息も荒く、全身から力が抜けている。
「おいっ?」
「……おそらく、その影響……私は……もう、実体化を保てなく……」
 元々、コーラルは今現在、契約者がいない状態である。
 前の戦いで残された僅かな時間の残滓を、セーブモードの状態で騙し騙しに使い、なんとか人の形を保っているに過ぎない。
 時間はすでに尽きかけている。その上、より強力な異時間同位体の存在が、彼女の存在を圧迫し、かき消そうとしているのだ。
 契約者がいるアールマティとは違い、ただそれだけで、もはやコーラルの存在は風前の灯なのだ。
「だから」
 コーラルの体が淡い、珊瑚色の輝きを放つ。
「!?」
 周囲がその輝きに包まれ、ここにいる者達全てが、その範囲内に入る。
 そして、不思議な感覚が体を包む。
 まるで。同化されるような、そんな違和感が。
「コーラル、君は何を――!」
「伝えてください――祥吾さんに。あの人の―――先生の、思いを」
 自分にはもう時間が無いから、と。
 コーラルは微笑む。

「あの人が――最後に、救われていたことを」




 吾妻修三の物語を、此処で語ることは無益である。
 彼の人生は、まさしく苦難の道である、ただそれだけの繰り返しでしかなかったからだ。
 異能の力を秘めながら、しかし彼は師に恵まれなかった。故に、自らの魂源力を異能の顕現として花開かせる事はなく。
 ただ彼は、武術のみを修練し、鍛え、技として身に着けた。
 そしてその力で、弱き人々を救おうと戦った、ただそれだけの人生である。
 かつて、今ほどに世界が怪異に満ちていなかった時代。だがそれでも確かに、世には怪異魔物が跳梁跋扈していた。
 夜の闇に、日常の裏に、だ。
 斬った。斬った。吾妻はひたすらに魔を斬った。
 だが彼に与えられるのは、救えなかった人々の血、己を苛む無力感、そして――自らが救えた人々の、バケモノを見るような眼差し。
 だがそれでもよかったのだ。
 ほんの少しでも救えたなら、それでいい。
 救えなかった人々がいるなら、次こそは救おうと、自らを鍛えた。
 自らに救いなどいらぬ。
 自らに安らぎなどいらぬ。
 この身は異能の刃なれば、ただただ人々の安寧のために。
 ただそうやって剣を振るってきた吾妻修三に、人の幸せなど訪れるべくもない。
 だがそれでもよかったのだ。
 自らが報われぬだけならば我慢できた。
 同じように異能の力を持った同志同胞――そして、後に続く子供たち。
 彼らもまた、報われぬ道を歩むならば。
 力を持つ、ただそれだけで――血で血を洗う戦いに身を投げる道しかないというのなら!
 自分は何のために戦ったのだ!
 守りたかったのは、力を持たぬ人々だけではなかった。ただ多くの人々を、貴賎なく区別なく、ただ助け、守りたかった。
 だが、世界は容赦なく人々を区別して、戦いに繰り出させ、殺していく。
 力を持たぬ、ただそれだけで、守られるべき特権を得て。
 力を持つ、ただそれだけで、命を賭して戦地に赴く責務を背負わされる。
 それが権利か! それが義務か!
 ならば――自分の覚悟も、何の意味もない、ただの責任でしかなかったというのか!
 そう悟ってなお、吾妻は己の道を変えることは出来なかった。
 戦いにしか生きてこなかった男だ。そう在るしかなかった。
 だが――時は残酷だ。
 彼の思いを削り、磨耗させていくと同時に、彼の肉体からも力を奪っていった。
 戦い続けた男の身体は、最高潮を過ぎ、衰えていくばかりである。
 しかし世界は戦いを彼に求める。
 戦えないのなら、育てろと。
 子供を鍛え、戦士に育て上げ、戦わせろと。
 弱き人々を守るために。
 世界を守るために。
 彼らを犠牲にせよ――と。

 ふざけるな!!

 吾妻修三は激昂する。
 弱き人々、ただ安全地帯から声高々に自分達を守れと叫ぶだけの人間たちと。
 双葉学園で、大切な者を守るために力を鍛え、学ぶ異能者の子供たち。
 どれほどの違いがある。
 違いなどないのだ。
 そう、違いなどないのなら。

 生贄は、お前達でもいいはずだ!


 ――そうして。
 吾妻修三は、一般人の生徒を襲った。
 ただそこにいただけの少女。誰でも良かったのだ。そう、違いなどないのだから。
 そしてそれを、懐中時計に秘められた、機械仕掛けの天使の少女への生贄とした。
 間違ってなどいない。
 間違ってなどいない。
 守れと言った。世界を守れと。人々を守れと。
 そのために、異能の力を持つ子らを犠牲にするというのなら。
 その異能の力のために、一般人が犠牲になろうとも仕方ない。それは必要な犠牲だ。
 そして吾妻は戦うのだ。
 衰えた力の代わりに得た、新たなる力、永劫機によって、魔を討ち、世界を守る。

 それの何処が間違っている?

“俺が、この学校で……であった異能者の連中は、みな……
 自分で選んだ戦いに誇りを持ってた。みんな、自分で選んだ道だって言ってた。
 そりゃ、俺がしらないところで、「そういうこと」だってあったんだろうさ”

 そんな吾妻に――立ち向かった生徒がいた。

“だけど、だからといって、全てがそうだなんて誰が決めた。
 それでも……みんな、それぞれに守りたいものがあるはずだ。だから戦うんだろう、先生。
 あんただって、そうだったはずじゃないのかよ!”

 彼は、ただの普通の人間だった。
 異能の力は確かに秘めていたのだろう。だが少なくとも、普通に育ってきた、普通の少年だった。
 そんな少年が、妹を助けるために立ち向かってきた。
 幼稚で愚かしい、陳腐な言葉を吐きながら。
 ただただ――真っ直ぐに。

“そんな涙の流れない世界がほしくて――戦ってたんじゃないのか!?”

 それは。
 かつて捨てた理想。かつて失った願い。もう遠く戻らない、祈りだった。
 馬鹿馬鹿しい。笑わせる。
 世界はそんなに奇麗事で出来ていない。
 そんな都合のいいハッピーエンドなど――ありはしないのだ。
 だが、それでも。
 それでもそれは、誰もが望む少年の日の夢想であり――確かに吾妻が胸に懐いたもの。
 幼い日、異能の力が自身にもあると知り。
 それを発現させる方法も知らず、それを見出してくれる師もおらぬ中。
 ただ、理不尽な魔から、人々を守りたいと――
 ただ、泣いている誰かに、笑顔になって欲しいと――
 ただそれだけを胸に懐いて、木の枝を拾い、日が暮れるまで振り回し、打ち付けた遠い追憶。
 そうだ。
 犠牲など欲しくなかった。生贄など押し付けたくなかった。
 誰も傷つかない、そんな未来を望んでいた――
 吾妻修三は、思い出す。
 かつての願い。かつての祈り。かつての――想いを。
 ただ、思い出すのが遅すぎた。
“もっと早く――お前に出会えていたなら”
 吾妻は思う。もっと違う道があったのではないか、と。
 自分が道を踏み外す事も無く。
 この少年が――自分の、教師の死という枷を背負うことも無く。
 もう少しマシな道が在ったのではないか、と。
 時間というものは残酷だ。だがそれでも――最後にこの少年と引き合わせてくれた奇跡には、少しだけ感謝したい。
 だから。
“コーラル――”
 吾妻は、自らが道具として虐げた天使に告げる。
“すまなかった”
 謝る。そして、託す。この思いを。
“私の残された時間を――命を、お前の力で、あの娘たちに”
 どれだけの時間が渡せるかはわからない。
 外に戻したところで、幾ばくも残されていないかもしれない。
 現に、時坂一観の時間は――それがそう定められていたかのように、儚く消えかけていたのだ。
 だがそれでも、戻さねばならない、返さねばならない。
 その結果、自分が死ぬとしても、それは――罪に対する罰だ。
“何時の日か――あいつに伝えてくれ”
 今すぐ伝えたところで、どうにもならないだろう。
 ただの慰めにしか聞こえない。最悪、その言葉に逃げ込み、歪む可能性とてある。
 今はただ、彼がまっすぐ育つことを信じる。
 あの瞳、あの言葉を信じる。
 自分のような過ちを犯さないことを、強く信じて。

“最後に、私は――お前に会えて、救われたと”





 それが。
 時間共感の能力で、コーラルに記憶され、託されたメッセージ。
 それを、コーラルは彼らに託して――

 乾いた音が、路地裏のアスファルトに響く。
 そこにはただ、珊瑚色の懐中時計。捻子が切れ、針の止まった、動かない時計、ひとつ。

「何が、教師殺しだよ……」

 誰が、そんな事を言ったか。
 教師殺し。殺人者。犯罪者。咎人。
 ちがう。これは、そんなものではない。
 これはただの――

「ただの、男同士のぶつかりあいじゃねぇか、くだんねぇ」

 一人の教師と一人の生徒が、男同士がぶつかりあった。
 その結果――間が悪く、片方が死んでしまっただけの、よくあるただの事故、ただの悲しい出来事じゃないか。
 むしろ――吾妻は自らその命を断ったのだ。少女達から奪い、消費した時間を還すために。
 そんなことで、そんな程度で立ち止まってくよくよするなんて、祥吾には許されない。
 そんなことで、そんな程度の事故で祥吾を責め、そして自分らも悩むなんて、全くもって滑稽すぎる。
 吾妻先生が見たら、きっと嘆いて、そして鉄拳制裁だ。

 ――棘は消えた。

「征くか」
「ああ」
 第八封鎖地区、地獄門。そこに時逆零次と神無はいる。
 そして、きっと祥吾もそこに来るだろう。
 零次をぶちのめし、神無を助けて、計画を止める。
 実にシンプルだ。

「見つけたぞっ!」
 チクタクマン達がそれを見つける。
 相手はざっとみて二十体ほど。数が多い。
 だが――

「邪魔――」
「すんじゃ――」
「ねえっ!」
 拍手敬が空中飛び膝蹴り
 市原和美がドロップキック。
 三浦孝和がラリアット。
 三人が飛び出して、前線の三体を一撃で沈黙させる。
 ついで、二礼や誠司も飛び出し、次々とチクタクマンを殴り倒し、蹴り倒していく。
 油断していたのか、それとも最初からこの程度の実力だったのか――
 あっさりと、チクタクマン達は沈黙した。
「弱っ」
 真琴がそれを見て呟く。
「いや普通に強いんじゃないかな、あの機械たち。たぶん、みんなが強いんだと思うよ、それ以上に」
 それに対して、彼方が言う。


 だがその時――
「なっ!?」
「地震……っ!?」
 双葉島が、揺れた。
 そして――
 そして――――



 A.D.2019.7.11 16:00 東京都 双葉学園 醒徒会室

「なっ、なんだこの揺れはっ!?」
 藤神門御鈴が、クリームソーダを盛大に床にこぼしてしまう。
「あああああああああっ!?」
「にゃっ!?」
 その御鈴の大声に、白虎が悲鳴をあげてソファーの下に隠れる。だがおしりと尻尾は出ていた。
「ちょっ、大変だよ、外ぉっ!」
 紫穏が大声を上げて、あわてて駆け込んでくる。
 御鈴は窓の外を見て、それを見て声を上げた。
「な……なんなのだあれは……っ!?」



 A.D.2019.7.11 16:00 東京都 双葉学園 大学部 研究室棟

「ばかな、早すぎる」
 語来灰児は、訪問していた研究室からそれを見ていた。
 巨大な物体。
 それが何なのか、一目瞭然だ。少なくとも灰児には。
「確かに再来を予測する声もあった……だが、あまりにも早すぎる」
 それは二十年前の悪夢。
 灰児は実際にそれをその目で見たことは無かったが、ラルヴァ研究でそのデータを幾度と無く目にしたことがあった。
 そして、近い将来にそれが再び現れるという可能性を示唆したデータも。
「早すぎる……」



 A.D.2019.7.11 16:00 東京都 双葉学園 住宅街 団地公園

「あっちゃぁ、ついにお出ましやなあ……今頃お偉方はどうしてはんのやろ」
 それを目の当たりにして、スピンドルは苦笑する。
「神のご降臨~、と喜んどるか、それとも……ま、どうでもええか」
 ラルヴァを心から心酔し神と崇めるもの、教団を隠れ蓑にただ己の殺人技術を使うもの、聖痕に属する者達のスタンスは様々だ。
 だが、おそらくは……
「やけど、誰も彼もが、無関心ではおられへんやろなぁ」
 圧倒的な存在感。呼び起こされる根源的恐怖。
 空を覆う、怪異の塊。
 スピンドルは予感する。
 きっと、今日こそが――審判の日。
 怒りの日(ディエス・イレ)なのだ。




 A.D.2019.7.11 16:00 永劫図書館

「――来る」
 永劫図書館の司書である夢語りのアリス。
 本を――そしてそこを通し、世界を視る。
 歪みが来る。
 恐怖が来る。
 破壊が来る。
 絶望が来る。
「ページを幾つも飛ばして……あれが、来る……!」
 アリスの足元で、グリムイーターが不安そうに身を寄せてくる。
「ああ、世界よ」
 アリスは語る。悲痛を。
「あなたは――望み、欲しているの?」
 終わりを。
 全ての終わりを。
 だからやってきたのか、それは。
 全ての終わりを――終わりの始まりをもたらすために。





 A.D.2019.7.11 16:00 東京都 双葉学園 

 その日。
 その時間。
 それを、双葉学園の全ての者が目にすることになる。
 巨大な、白く、大きな物体――としか言いようの無いもの。
 双葉学園都市の閉鎖区画を砕いて現れたそれは、ゆっくりと宙へ浮く。

「……」
 誰もが声を失う。
 誰もが身を震わせる。
 誰もが、空を見上げる。

 それは、知る者が今は多くない、過去の遺物。
 過去の、恐怖の形。
 過去の、脅威の形。
 魔を生み出す大いなる母胎。
 嘆きの前兆にして破滅の凶兆。


 その名は――


「エンブリオ……」








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最終更新:2009年11月26日 21:35
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