【時計仕掛けのメフィストフェレス 劇場版第最終回「天国編」4】


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 エンブリオが揺れる。
 三体の敵の断末魔が響く。エンブリオに。
「やったのか、あいつ……」
「誰なんだろう、さっきの」
「さあ」
 聞いた事の無い声だった。だが、大事なのは後を任されたことだ。
 だから進まなければいけない。
 走る。
 走る。
 だが、その時――

「な……っ!?」

 一同の前に、進む先に――床、壁、天井を突き破り現れる巨大な、そして異様なチクタクマン。
 彼らは知らない。
 それが、あの三体の部隊長の変じた姿と同等のものだということを。
 そして、知らない。知る由も無い。
 あの三体が倒された事により、最終プログラムのスイッチが入ってしまったという、その事実を――知るはずが無い。

「なんだ、あいつら……」
「様子が――おかしい……」
「見て!」

 三体のチクタクマン――月に吼えその身を凍らせる人(とどめるもの)、膨れ上がる視界に踊る女(みまもるもの)、跳躍する黒き獅子獣(みちびくもの)が融けあっていく。 
 それは水銀の輝き。毒性を持つ忌まわしくも神秘的な流体金属。
 歯車が蠢き、狂気を孕んだ完璧なる秩序が無秩序に構成されていく。
 荘厳にして怪奇。キリキリと音を立てて鋼線が滑車を軋ませ、蒸気を洩らし、油を滴らせ、くるくると歯車が鳴り響く。
 それは巨像。狂気と凶気と叫気に満ちた、
 貌(かお)のない、巨大な――神像だった。

『人の子らよ――』

 それは、子を奪われた母の嘆き――
 それは、妻を喪った夫の怒り――
 それは、親を亡くした幼子の悲しみ――
 それは、未来を消し去られた、人の憎しみ――
 そうして流された赤き涙の中から、それは生まれた。

 それは問い掛けであり、糾弾であった。
 人ならざる力を行使するものと、人ならざる存在の暴れる世界は、正しいのか?
 否。否。断じて――否!
 正しいはずがない。
 正しくあろうはずがない!
 弱きものは蹂躙される。力なき者は生きる事許されぬ。このような世界が正しいものであるはずがない。
 多くの人達が嘆いた。絶望した。
 そして切望した。渇望した。
 こんなはずじゃなかった。こんな血に塗れた未来など、要らない。
 本当に欲しかったのは、安らげる日々。
 その祈りから、それは発生した。
 つまりそれは、人々の願いのカタチ。
 やり直したい。救われたい。こんな狂った世界など要らない。
 だから――やり直せ。
 二十年前の過ちを正し、消去し、新しい歴史を、正しき流れをもう一度。

 世界修正プログラム、“時計仕掛けの偽神(クロックワーク・デミウルゴス)”――

『私は、多くの嘆きを見てきた』

 偽神が声を発する。
 多くの人々が同時に喋るような、反響を載せた声だ。
 その交響は、天上の音楽のように畏怖を抱かせる。

『世界を救いし英雄、時逆零次と私は出会った』

 宣言する。
 神が告げる。神託を預言する。


『世界を滅びと嘆きより救うため――我らは、この二十年を破却する』







 A.D.2019.7.11 17:20 東京都 双葉学園

 夕日が沈む。
 双葉学園に、宵闇が訪れる。
 それは――二度と陽は上らぬのではないか、と思わせるには充分な、不吉の予感だった。
 チクタクマンの軍勢は止まらない。
 各地の戦火も止まらない。
 防ぐことは出来ている、だがそこまでだ。
 次から次へと降下し、破壊された傍から再生して行くの機械軍勢に、双葉学園は劣勢である。
 春奈の作戦指揮でなんとか持ちこたえているが――それも時間の問題だろう。


 そして――夜が来る。






 A.D.2019.7.11 17:30 東京都 双葉学園第八封鎖地区上空 エンブリオ

「があっ!」
 市原が壁に叩きつけられる。
「っ、なんて……強さっスか……っ」
 さもありなん。地上での戦い、そしてエンブリオでの戦い。
 何百という、下手したら千を越えるやもしれぬ数のチクタクマンと戦い続けてきたのだ。
 疲労困憊、満身創痍。
 それに対して、デミウルゴスはエンブリオと繋がっている。
 エンブリオの強大な力、強大で膨大な魂源力を用いる事が出来るのだ。
「く……そっ」
 誠司も、敬も、二礼も、孝和も、真琴も、鶴祁も、綾乃も。
 みんなみんな、倒れている。力尽きている。
 だが、それでも。
 力尽きてなお、必死に抗う。
 顔をあげ、上半身を起こそうとする。
 それを、デミウルゴスは嘲笑う。
『神意である。人の子がこの決定を覆すことなどできぬ』
「ざ……けるな……!」
 必死に叫ぶ。だが、体が動かない。
 勝てないのか。
 ここまでなのか。
 ここまで来て……!



「たわけが。何を遊んでおるか。それでも我輩がいずれ支配するべき我が双葉学園の生徒諸君か?」



「!?」
 声が届いた。
 傲慢な声。不遜な声。強く自信を持った声がエンブリオに響く。
「根性を見せろ。貴様らはそんなに弱い輩ではあるまいよ」
 姿を現したのは、長身痩躯の男。
 蛇蝎兇次郎だ。
「どうした、立たんのか?」
 その投げかけられる言葉に、
「いま……立つ所だったんだよ……!」
 火が灯る。
 足を踏ん張り、壁を掴み、なんとか立ち上がる。
 その姿を、蛇蝎は愉しそうに眺める。
「それ見た事か」
「っ、後からしゃしゃり出てきて偉そうにしてんじゃねぇよ!」
「おう、それはすまんな」
 食って掛かる三浦に対し、蛇蝎は涼しそうに言う。
「なるほど一理ある。ああ、貴様らは正しいな。
 だから、ここは我輩が受け持ってやろうではないか。嬉しいか、ん? なら感謝して咽び泣くがよい、ほーれほれ」
「んぎぎっ、ンの野郎……ッ」
「うわー、このひと性格悪いっすねー……」
「いやお前に言われたらおしまいだろ」
 敬が二礼に突っ込みを入れる。確かにまったくもってその通りであった。
 だが……
「でもまあ、助かったね」
 誠司が言う。
 蛇蝎が来なければ、詰んでいた。
 来たところでどうかなったわけではない。圧倒的戦力差は覆っていないし、消耗も依然そのままだ。
 だがそれでも……空気が、流れが変わったと感じる。
 不思議と、安心できる。
「さて。ええと、なんだったか? やたら五月蝿くて声が響いてたが……ええと、ナニ? 狂った世界を覆したい?」
 蛇蝎は、耳をほじりながらデミウルゴスに言う。
「そうだろうな、それは悲しい事だ。かわいそうなかわいそうなボクタチを救ってくれ、か。うん、わかる、わかるぞ」
 嘲笑を投げかけながら、蛇蝎は耳をほじっていた指に、ふっ、と息を吹きかける。
「バカか貴様」
『な、に――?』
「バカか、と言ったんだ。ああ、いや前言撤回しよう。バカだ貴様は。
 貴様はよりよい未来を望む人々の意思などではない。
 都合のいい逃げ場を作りたがっている、ただの現実逃避!
 この現実を認められぬ、だがしかし抗う事すら諦め戦う事を放棄した、ただの負け犬にすぎぬ!
 認められぬなら何故戦わぬ! 何故抗わぬ!
 勝てないから? 馬鹿か貴様ら。勝敗など所詮は後からついてくる結果にすぎぬ!
 人間として最も大事なのは、抗い打ち克つ意志よ。
 それを捨て、真正面から挑まず、かような裏技で現実を書き換えようなどと、まったくもって救いがたく度し難い負け犬め。
 そんな事だから貴様らは負け続ける、誰にも勝てぬ。
 自分にすら勝てぬ弱者が!」
 蛇蝎は胸を張り、いや、のけぞりながら指を差し、デミウルゴスを笑い飛ばす。
『愚かな』
 そんな蛇蝎へと、ワイヤーアームが射出される。攻撃が迫る。
 だが、蛇蝎兇次郎は動かない。
 避わせない? 動けない?
 否――回避する必要が見当たらない。
 何故ならそれは、ただの唾棄すべき敗北主義者の破れかぶれな愚挙に過ぎない。
 そのようなものが、蛇蝎兇次郎を害する道理など無い。

『――!?』

 激しい音が響く。
 交差した腕が、デミウルゴスのワイヤーアームを受け止める。
 蛇蝎の腕ではない。
 竹中綾理だ。蛇蝎兇次郎の統べる裏醒徒会の一人。
 彼女が、機械の凶腕をその腕で受け止める。

 そして、鋼の蛇が唸る。
 刃と化したその蛇腹が音を立て、デミウルゴスのワイヤーアームを切り裂く。
 工克己だ。蛇蝎兇次郎の統べる裏醒徒会の一人。
 彼の作り出した「鋼鉄の毒蛇」が唸り、偽神の鋼を寸断していく。

 そして。
「づぉりゃああああああああああっ!!」
 裂帛の気合の咆哮が響き渡る。
 圧縮された空気が爆発的に開放され、それを背負い威力を倍加した直の拳が、鋼の巨腕を砕く。
 皆槻直が、粉塵の中、降り立つ。

『貴様ら――!』

 再生する。復元する。
 デミウルゴスが、先ほどの倍の数のアームを射出しようと狙いを定める。
 だが――
 その幾つもの腕が、閃光によって焼き切られる。
 それは、荷電粒子砲。
 マリオン・エーテの力だ。
 マリオンだけではない。
 ヘンシェル達、七人のカテゴリーFの少女達の姿もまた、此処に。

「お前ら……」
「なんで……ここに」
 その質問に、直は応える。
「愚問だな。敵と戦い、仲間の加勢に来る。それ以上の理由があるか?」
「……無い、な」
 敬が苦笑する。
 確かにそうだ。加勢に来るのに理由なんて必要ない。

「本当は下で龍河様のサポートをしたかったのですが……加勢にいけ、と言われたもので」
 ヘンシェルが残念そうに言う。

「みんな、治癒いる?」
 宮子が聞いてくる。
「……痛いんだよなあ、あんたの」
 宮子のペインブーストは、相応の傷みが治癒の代償である。
 死ぬほど痛い。


『貴様ら――何だ?』
 その光景を、デミウルゴスは訝しがる。
 おかしい。なにかがかしい。
 完全に死に体だった連中が、たかだか加勢が数匹きただけで、何故こうも活力を取り戻す。
 まるで別人だ。何故こうまで。
「判らんか」
 蛇蝎が言う。
『な、に――?』
「ならば教授してやろう、戦うとはこういう事だ。勝利の可能性など自ら掴み寄せればいい。
 勝てるから戦う、勝てないなら最初から戦いを放棄する、そのようなものは戦いですらない。
 運命に挑むということ、それこそが戦いだ!」
 そして蛇蝎は、向き直って言う。
「行くがよい貴様ら。このような木偶、我らだけで充分よ。
 貴様らは貴様らでやる事があるだろう。
 自らの役目を果たせ!」
 蛇蝎は顎で指す。
 進め、と。
「私達も行く。頼んでいいか?」
 直が蛇蝎に言う。蛇蝎は鼻息ひとつで笑う。
「構わん、いけ。ボロボロの連中にはお前達がついていたほうがよかろう」
「感謝する」
「恩にきろ」

 そして、再び走る。奥へと。

『逃がすものか――』

 砲台や腕を構えるデミウルゴス。
 だが、撃ち放つそれは、直たちには届かない。
 不可視の壁によって、阻まれる。
 結界である。
「……呪詛諸毒薬 所欲害身者 念彼観音力 還著於本人」
 陰陽道斑鳩流玄武、奇門遁甲の陣。
 九十九唯の魔術によって張られた結界は、この場を断絶させる。
『貴様ら――何処まで邪魔を』
「何処までも、よ」
 フリージアが言う。
 そして、蛇蝎の言葉が後に続く。
「貴様は自らを神だとのたまったな?
 偽神……なるほど、グノーシス派の説く、世界を創造せし偽神か。
 神が我らの前に立ち塞がる? なら話は簡単、踏み潰して圧し通るまで!」

 神に歯向かうは悪の所業。
 そして蛇蝎たちは、自ら望んで悪を背負う。
 正しき善き事を否定するつもりは無い。否、善は世に無くては許されない。
 だが、それでも。
 正義で救えぬ者がいる。
 善で守れぬ者がいる。
 ならばこそ――その者たちのために、自らの矜持のために、喜んで悪の名を受けよう。
 そして、「悪」には……悪しき意味のほかに、もうひとつ意味がある。
 それは、強き事。
 故に、戦おう。
 正義とも善ともいえぬ、くだらぬ偽善を掲げるこの唾棄すべき出来損ないの神と。
 信ずるもののために……今こそその力を振るう時。

 そしてそれは、カテゴリーFの少女たちとて同じ。
 かつては世界を憎んだ。
 かつては世界を呪った。
 怒り、憎み、恨み、妬み……覆そうと、半ば自棄とも見える無謀な戦いを行った。
 そして醒徒会に敗北した。
 だが――それは残酷なことだったか。
 悪と断じられ敗者とされた少女達にとって、世界は確かに残酷だったかもしれない。
 だがそれでも、彼女達は出会った。彼女達は理解した。
 それでも、信じられる仲間がいて、想いを寄せられる人がいて、少しずつだが、受け入れてくれる人達がいるということに。
 だから。
 確かに一度は憎み、恨み、全てを無かった事にさえしたかった。
 だが……今は違う。
 苦難もあった。絶望もあった。だがそれらを通じて得た人々がいる。
 その全てを――なかったことになんてしたくない。
 胸に懐いて、生きていきたい。

「私達は、戦う……!」
「変わっていくんだ、私達は。変えていくんだ、私達で!」
「私達は……私たちの未来が欲しいから!」

 だから、此処に立つ。
 そして、意思は変わっていない。いや、前よりも強固とさえ言える。
 大切な者を守るためなら――神とだって、戦ってみせる。

 その意思を汲み、蛇蝎は笑う。
 ああそうだ、こうでなくてはならない。
 運命に挑む者のなんと頼もしきことか。絶対的な力に抗う者のなんと美しきことか。
 敗北の予感など、これっぽっちもない。
 未来を演算する必要すら感じられない、圧倒的な勝利の確信が蛇蝎の総身を震わせ、唇を凄惨な笑みの形に歪ませる。
 たかが神。
 しょせん神。
 そのようなモノは、なべて人間に打ち倒されるのが道理である!
 蛇蝎兇次郎は、エンブリオに――否、学園全土にすら響き渡るであろう強き声で、宣言した。

「我らを畏れよ!
 悪を畏れよ!
 我ら裏醒徒会――そして双葉学園全校生徒!
 現時刻を持って――」

 手を振り上げ、突きつけ、号令を下す。

「神に叛逆仕る!!」







 A.D.2019.7.11 17:40 東京都 双葉学園 双葉大橋

 久留間戦隊と呼ばれる異能チームがある。
 それを率いるは、久留間走子だ。
 身体強化系異能者で固められた彼女達はシンプルで、それゆえに強く、迷いが無い。
「外に出すんじゃないっ!」
「おうっ!」
 本土へと渡ろうとするチクタクマン達を次から次へと迎撃し、破壊する。
「キリがないわっ!」
「諦めないでっ!」
 次々と並ぶチクタクマン。
 だが、チクタクマンは進めない。
 圧倒的物量を持ってしても、突破できない。
「ぅぉりゃああああああああああああっ!!」




 A.D.2019.7.11 17:40 東京都 双葉学園 風紀委員棟

 文乃は病院を抜け出し、風紀委員棟へと戻ってきていた。
 傷も疲労も残っている。だが、そんなことはどうだっていい。
 戦うことが出来ぬなら、サポートに回ればいい、ただそれだけだ。
 やらなくてはいけない事は沢山あるし、やれることだって山ほどある。
 醒徒会が前線で戦っている以上、彼らが普段行うサポートは全面的に風紀委員会が代行せねばならない。
 改めて、醒徒会の彼らの大変さが身にしみるが……泣き言も愚痴も全ては後回しだ。
 後方支援の指揮、物資の手配、怪我人の搬入。
 やる事は――たくさんある。





 A.D.2019.7.11 17:40 東京都 双葉学園 住宅街


 チクタクマンが、量産型永劫機が、同士討ちを始める。
 何故だ? 何故狂ったのだ?
「う~ん、古い歯車式で助かったわなぁ」

 スピンドルは笑う。
「おかげで、よう回るわ」
 そう、スピンドルの異能、回転を操る力。
 歯車は、回転する。
 故に――この敵に自らの魂源力を注げば、その体内の歯車をスピンドルは思いのままに操れる。
 それは、チクタクマンや永劫機の操作を奪えるという事だ。
「流石にな、ちょっとおイタしすぎや。だからな……」
 指を鳴らす。
 その合図に従い、自由を奪われた機械たちは次々と同胞を破壊する。
 そして、支配が伝播していく。

「逆襲のスピンドルくん、パーティーの始まりや」




 A.D.2019.7.11 17:40 東京都 双葉学園 自然公園

「……無茶しすぎだ」
 目の前の惨状を見て、灰児はため息をつく。
「えー、でもいいじゃないですかー。別にただの機械なんでしょこいつらって」
「八雲の情操教育にこの上なく悪い」
 助手のリリエラ……【ワンオフ】登録番号27、至天ノ道筋。
 彼女によって、一帯のチクタクマン達は壊滅状態であった。
 再生すら許されずに。
「センセの方がよっぽど教育に悪いですよー。働かない無職でニートだしー」
「……」
 とりあえず無視しておく。
「しかし本当に無茶というか、なに考えてんでしょーねー、こいつら」
「考える、か」
 灰児は足元に落ちている破片を拾う。
「こいつらは考えない。ただ命令に従って動くだけの人形に過ぎない」
「ふーん、そういうもんですかねー?」
「ああ。問題は、そのプログラムが、何処から来ているかだが……」
 灰児は立ち上がる。
「……所詮は機械。狂った何処かの誰かの、ただの人意に過ぎない。行こうか、リリエラ」
「どこへですか? まさか他の人たちを助けに行くんだー、とか言わないですよねー?」
「言わないさ」
 灰児は肩を竦める。釘を刺されなくてもそんな事はわかっている、と。
「そんな大それた事態じゃないし、それに――」
 そう、たかだかこの程度のこと。

「この程度の玩具に負けるほど……この学園は弱くない」







 A.D.2019.7.11 17:40 東京都 双葉学園第八封鎖地区上空 エンブリオ

「くっ!」
 逃げる。避ける。
 祥吾は走り、ウロボロスファントムもまた走る。
 そして、蝗の攻撃を、アバドンロードの攻撃をひたすら回避する、その繰り返しだ。

「はははははは、無様だな。どうしたどうした、女を抱き止める度量もなく、袖にするばかりか?」

 零次の笑い声が癪に障る。

「!」
 そしてそれに気を取られていた瞬間。
 全方位に、蝗が飛び、ウロボロスファントムを囲う。
 絶体絶命。
 これで一斉に襲われたなら――どんな物質だろうと、耐えることは出来ない。
 絶体絶命だ。

 そう――物質であるならば。


 ウロボロスファントムの本質は――幻である。
 腕時計から投影された、電磁波の塊。いわば影絵にすぎない。
 ただし、世界を騙しうる虚像だ。

 例え話をしよう。
 深い催眠状態にある被験者に、焼けてない火箸を「これは熱い火箸だ」と言い、押し付けると――
 実際にその肌は焼けどを起し、水ぶくれになめという……聞いたことがある人も多いはずの、よくある例え話だ。
 要するに、それである。
 ウロボロスファントムは幻にすぎぬ。だが、確固たる力を持って編まれた幻像だ。
 故に――その密度を極限まで薄めれば、そこにはまさしく何も無いと同じ。
 アバドンロードの蝗は、どんな物質でも喰らい、そこに存在したと言う時間ごと消失させる。
 だが。
 存在し得ないものを、どうやって喰らうと言うのか。
 触れられぬ幻を、どうやって喰らえと言うのか。

 故に――ウロボロスファントムは、アバドンロードの弾幕をいとも容易くすり抜ける。
 まさしく、夢幻のごとくに。夢幻にして無限の蛇、それこそがウロボロスファントムだ。

『GEAAAAAAAAAAAAAAAAA!』

 アバドンロードが吼える。
 ウロボロスファントムは接近し、そして密度を最大限に高める。
 全魂源力を右足に。
 アバドンロードが腕を振るう。その腕を紙一重で回避し、逆にその腕を支点に跳ぶ。
 その巨体へと迫る。目指すは頭部だ。

「いっ……けぇええええええええええええ!!」

 回転し、そして電磁波を纏った踵をアバドンロードの頭部に叩きつける。
 その一撃が引き鉄となり、アバドンロードの巨体が崩れていく。
 その中で、ウロボロスファントムはその手をアバドンロードの胴体に突き入れ、そして……時計を抉り出す。
 それは本体。永劫機の核。
 魂が宿る、懐中時計だ。

 それを手に、ウロボロスファントムは祥吾の下へと戻る。
 懐中時計が輝き、そして……そこから少女の姿が現れる。
 神無だ。祥吾は神無を受け止める。
「永劫機のボディを破壊しただけじゃ、神無は死なない」
 永劫機の完全破壊、それは中心核たる時計の破壊を以って完成する。
 ただ、そのクロームのボディを破砕せしめただけでは、本質的な破壊には至らない。それは祥吾が身をもって経験している。
「手荒で悪かったな、すまん」
「いい、え……」
 神無が力なく、それでも気丈に笑顔を向ける。

「祥吾!」
「時坂!」
「時坂先輩っ!」
 そこに仲間達が駆けつけてくる。
「んがー、ちょっと待てなに抱いてんのそれ! くそっ、巨乳をもてあそんでたのかお前!」
「いやまて、今はそーいう場合じゃねぇっ」
「巨乳はあらゆる事態において優先されるのっ!」
「その通りだっ!」
「君たち、遺言はそれでいいのか?」
「うん、墓石にちょうどいいっすよねこのエンブリオとかいう奴」
 緊張感の無い会話が始まる。

「く、ははははは、はっはっはははははははははははははははははは!!」

 狂ったような哄笑が、それを引き裂く。
 笑っていた。
 時逆零次は、さもおかしそうに笑っていた。

「あれが――」
「ああ、時逆零次。俺の――成れの果てだ」

 身を捩じらせて笑う零次に、皆は相対する。
 あれが、敵。
 あれが――元凶。

「なんで世界を消そうとするんスか、あんた」
 市原が声をかける。
 それに対する返答は――決まりきっていた。
「起きてしまった事は変えられぬ。そう、変えられぬのだ――故に消し去る。そしてやり直す」
 零次は手を握り締める。決意を新たにするかのように。
「それはお前の過去だろうが! 俺たちにとっては、今、この時間が未来へと続く、変えられる運命だ!」
「苦難と絶望、破滅しか無い未来など――要らぬよ」
 何を愚かなことを――と、零次は冷笑する。
「それを決めるのは俺たちだ! それでも俺たちは、明日が欲しい!」
「アールマティ!」
 鶴祁の号令と共に、永劫機アールマティが飛翔する。
 だが――

 零次はそれを見て、いとおしそうに目を細める。
「なるほど、相変わらず素晴らしく早い決断だ。これでは私は貴女に切り殺されてしまう。
 ああ、悲しい、悲しいな。尊敬している先輩にこうも邪険に扱われ、その命を刃で散らせと言われるか。
 悲しすぎて胸が張り裂けそうで――故に私は、こう言うしかないではないか」
 零次は両手を広げる。
 懺悔する様に。
 そして――

「"O, war’ich nie geboren!"(おお、私など生まれてこなければ良かった!)」



 零次が謳う。
 そして、多くの事が同時に起こった。

 神無の姿が、消える。
 消滅する。圧倒的な力に飲まれてかき消えるように。
「神無……!」
「時坂……さ……」

 そして、その力が、存在が、時逆零次の元に流れ込む。
 取り込む。
 最後のパーツを。
 世界を再生するための、救済するための最後の欠片がここに嵌る。

 生まれる。
 それは、確かな力を得て、産声をあげる。
 それを生み出すために――産み落とすために、
 世界が、
 エンブリオが――
 震えた。


 クロノスという神がある。
 時間の神。時を統べる神。
 それを模した、機械仕掛けの神が、ここに今、完成の刻を迎える。
 十二体の永劫機の力を持つ最強の神。時空神クロノス。
 クロノス時間とは、過去から未来へと一定速度・一定方向で機械的に流れる時間。
 全存在が逃れ得ぬ「死」という絶対運命、万物の滅びに帰結する、絶対時間。
 その力を持ちし、神なる機械。

 永劫機神――クロノスギア。

 それは巨体。
 十メートルはあろうかという威容。
 歯車と発条と捻子と鋼線と鋼とで構成されるのは、永劫機と変わらない。
 だがそれは巨大だった。
 大きさだけではなく、存在が――ただただひたすらに、巨大で強大だった。

 神。
 クロックワーク・デミウルゴスが偽神であるならば、こちらは正真正銘の神だ。
 たとえ、機械仕掛けの模造品であろうとも――
 それが神と呼ばれるに相応しい神力を宿すならば、真贋にどれほどの意味があろうか。
 いや、違う。
 どれほどの意味すらない。
 ただ、神たる力があれば、それはただ、神なのだ。
 そして、アールマティの刃は、零次には届かない。神には届かない。
 なぜならば。
 アールマティそのものが消失したのだから。

 絶対の時間は、同じ存在が同時に在る事を許さない。その矛盾を見過ごさない。
 時逆零次と時坂祥吾は同一存在でありながら、肉体年齢や魂源力の質量など、様々な要因が絡まり、もはや別固体と言っても差し支えない。
 だが――永劫機は、機械ゆえに、まさに正しく同一存在。
 別の時間軸で全ての永劫機を集め、そして創られた永劫機神。そこには全ての永劫機が存在する故に――
 その矛盾を正すために。
 絶対の法則が発動する。

 故に――十二体全ての永劫機(オリジナル)は、此処に消滅した。



「なん……だと?」

 漠然とかき消すように、ただ紅の永劫機の姿が消える。
 後に残るのは、ただただ巨大な永劫機神が唯、ひとつ。
 そして、残された時間が少ない、紛い物のみだ。

「では、教授してやろう」
 零時が笑う。神のごとき、超然とした佇まいで。
「これが、神の力だ」

 各々の力を持って駆け出し、攻める少年少女たちを前にして、零次は言う。
 悠然に、超然に。
 クロノスギアに力が集まる。
 エンブリオを支配していた法則が、ここに。

「!!」

 それに祥吾は気づく。知っている。この感覚を祥吾は知っている。
 否、知っているものよりも遙かに強力なこれは――

「みんな、退けっ! 伏せろぉおおおおおおおおおっ!!」

「遅い」
 だが、時は既に遅く、それは発動した。
 エンブリオを支配していた結界の力を――
 その堰き止めた時の流れの奔流を此処に――


     クロノスレグレシオン・ワールドエンド
「――時空爆縮回帰呪法・終焉世界」



 そして、破壊が生まれる。







「っ!」
 奇門遁甲の陣が、破られる。
 デミウルゴスは、どんな巧妙な手を使ったのか。否、そのようなことは何もしていない。
 ただ、圧倒的な破壊力の質量のみで、絶対防壁を押しきり、破壊せしめた。
「なんという……総量っ」
 ただただ巨大。
 クロックワークデミウルゴスを発生させたのは、人々の切望と絶望だ。
 集まり、混ざり合った想念の混沌より発生したプログラム。
 やりなおすという未練、それが集ったこの力は、ただただ強大であった。
 そしてそれだけで、充分に裏醒徒会とカテゴリーFの少女達を圧倒できる。


   神意なり           助けて
            嫌だ
 神罰
         滅びよ
                 覆せ
                     なぜぼくらだけ
    救え
           神よ
私達を救え               憎い



「っ、あああああああああ!」
「ぬ、なんだこれは……っ!」
 声が、響く。


 死ね。死ね。死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね
死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね
死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね
死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね
死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね
死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね
死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね!



 脳髄をかき乱し、シェイクし、ハンマーで叩き潰すかのような圧倒的質量の“声”が。
 未練怨念憎悪悲嘆絶望憤怒愛憎嫉妬劣等拒絶忌避怨讐悪意妄念妄執――――
 ありとあらゆる負の情念をカタチにした声が、

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 彼らの意思を、魂を砕きに掛かる。
 押し流し押し潰しかき消そうと。



 そして。

 そして――――――




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