【ぼくたちの戦争:後編その2】


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【ぼくたちの戦争:後編その2】


「まったく油断しましたよ。まさか俺たちが帰った後にマンイーターの被害が出るなんて思ってもみなかった」
 相変わらずちゃらちゃらした服装に、耳にドクロピアスの鬼沼は心底悔しそうに頭をぼりぼりと掻いていた。
 放課後、ぼくと火野と鬼沼は昨日と同じくデパートのフードコートでジュースを飲みながら集まっていた。マンイーターの新たな被害者が出たということで作戦会議ということらしい。勿論、その被害者とは葵のことだ。
「しかし一之瀬。貴様なんで授業をさぼったんだ。探したぞ」
 火野はふんぞり返りながらぼくにそう言った。
「別に。ちょっと体調が悪かったんだよ」
 あの後ぼくは適当に時間を潰していたのだが、授業後怒り心頭の顔で火野はぼくを追いかけてきた。まったくこいつも仕方の無いやつだ。だがまあいい。
「それで鬼沼、僕たちはあまり詳しい情報を持っていないわけだが。こうして呼び出したってことは何か掴んだのか?」
 火野はぼくから鬼沼へ視線を移してそう尋ねた。鬼沼はメロンソーダをじゅるるると飲み、一拍置いてこう言った。
「被害者は高等部二年J組の及川葵。これはまあ、先輩たちも知ってるかもしれませんが」
 葵。ぼくの恋人。
 ぼくの性処理用の玩具。イジメられていた哀れな女。
 やはりこうしていても、葵が死んだことに悲しみはなかった。もはやぼくにとって葵の死はただの情報でしかない。あんな脆弱な存在はもう心から切り捨てた。
 今のぼくにはもうそんなもの必要ないのだから。
 ぼくたちが黙って聞いていると鬼沼は話を続けた。
「その及川葵の死体が発見されたのは学園を出て少しした所にある廃墟が並んでいるエリアでした。彼女は帰りにそこに自分から行ったのか解りませんが、殺されたのは下校後らしいです。つまり俺らが先輩たちと会っていたまさにあの間にです」
 やはり葵はいつもぼくと帰る時に使っていた場所から帰ったのか。ぼくがいないんだから普通の道を使えば殺されなかっただろうに。とことん間の悪い女だ。
「なんだそれだけか?」
 火野はがっかりしたように言ったが、鬼沼の顔は険しいものだった。鬼沼は重々しい口調で話を続けた。
「それだけなら電話だけで済ませますよ、今回俺が先輩たちに伝える情報は及川葵の死体についてです」
「死体……?」
 ぼくはその言葉にぴくっと眉を上げる。死体だって? いつもどおりに喰い散らかされていたのではないのだろうか。
「ええ、及川葵の死体はいつもの被害者のように食い散らかされていたわけではありませんでした。及川葵の死体は、中身が空っぽだったそうです」
 空っぽ――
 意味がわからない。
「いや、まあそんなきょとんとした顔しないでくださいよ。俺だって驚いてるんですから」
 鬼沼はごほんと咳払いして話を続けた。
「空っぽっというのはそのままの意味です。その死体は皮しかなかったんです。及川葵の身体の皮しかね。身体の中の肉や骨や臓器はすべて綺麗になくなっていたそうです。ですが、廃墟のところどころにある爪痕をマンイーターのそれだということで、これはマンイーターの仕業だとラルヴァ研究の学者たちは断定しました」
 鬼沼の言葉を聞き、その状況を想像してぼくは少しぞっとした。一体どういうことだ。
 なぜ葵だけ死体の状況が違うのだろうか。
「なんだそりゃ。前二人の被害者と大分違うじゃないか」
 火野も同じ疑問を口にした。当然だろう、明らかにおかしい。マンイーターは骨も食べるのだろうか。いや、今までは食べかすが残されていたはずだが。
「そうです。これはかなり異常です。状況的にはマンイーターの仕業ですが、何か特別なことが起きているのは間違いないでしょう。それに今回もう一ついつもと違うのがマンイーターの捕食現場ですね」
「どういうことだ?」
「いつもはあくまで死体は喰われた残骸が放置されてただけで犯行現場は別にあると見られてました。ですが今回はどうやらその廃墟で、捕食したのは外ということ。つまりマンイーターが外に出てきてるということです」
 それはつまり最初の鬼沼の推理とは違うということか。いや、今までは確かにそうだったのかもしれない。だが今回だけは何もかもが違った。なぜだ。理由があるのか。だとするとその理由はなんだ。わからない。
「しかし貴様はよくそんな死体の情報なんて入ってくるな。どこかに内通でもしているのか?」
 火野が鬼沼にそう尋ねると、鬼沼は少し口ごもったが、照れるようにこう言った。
「及川葵の死体の第一発見者がね、俺の姉さんなんですよ」
「なんだって!?」
 そういえば四人兄妹と言っていたな。
 しかしなぜこいつの姉はあんな人気の無い廃墟になんか行ったのだろうか。それこそ怪しいではないか。
「なぜそこにいたか、姉さんは詳しく教えてくれなかったんですけどね。それで夜中事情聴取されて寝不足でめちゃくちゃ不機嫌なんですよ姉さん」
 鬼沼は深い溜息とともにテーブルの上に突っ伏した。
「それに姉さんは及川葵のクラスメイトですからね。何らかの関係性があると疑われてもしょうがないですよ」
 うんざりするように鬼沼はそう言った。
 鬼沼の姉が葵のクラスメイト、つまり二年J組の生徒ということだ。ぼくは昼の出来事を思い出す。
 ぼくを蹴り、頭を金属バットで殴りつけたイカれた女。そういえばあの女はこの鬼沼の奴に目元が非常に似ていた。まさかとは思うがあの女がこいつの姉なのか。そうだとしたらやはり兄妹そろってまともではないのだろう。あと上に二人もいると思うとぞっとする。
「ふふん。まったく奇妙なことだな。今までと死体の状況が違うわけか」
 火野は考え込むように目を閉じている。こいつはこうしているが本当に考えているのだろうか。どうにも推理してるようにも見えないし、頭がいいようには全然見えない。
「それで、どうするんだ火野くんに鬼沼くん。またマンイーターの捜索に行くのか?」
「それしかないでしょう。もしマンイーターが外に出て狩りを始めたのなら、すぐに討伐隊の包囲網に引っかかるかもしれないですからね。一刻の猶予もありません」
「ふん。成程な。ならばこうしてだべっている時間が勿体ないな」
 そう言って火野は立ち上がった。なぜこいつはこうもやる気があるのだろうか。なんだか妙だ。単純に楽しんでいるようにも見えるが、他に何か理由があるのかもしれないな。
「そうですね、それで先輩方。どうしますか。手分けして探すか、位置の先輩は非能力者だし、危険だから固まって行動するか――」
「手分けして探そう。ぼくは一人でも平気だ」
 ぼくは鬼沼の提案を断ってそう言った。
 これは強がりでは無い。
 本当にぼくは一人でいい。むしろ火野も鬼沼も足手まといだ。
 いや……ぼくはもう一人であって一人ではない。
「おいおい一之瀬。本当に大丈夫か。また不良に絡まれても助けてあげられないぞ」
「まてまて。不良に絡んだのがキミだろ! いや、もういいや。とにかく行こう。キミ達はもっと別の路地裏とかを見てきてくれよ。ぼくは事件現場に向かう。少し気になることがあるんだ。ぼくはよくあそこに行くことがあったからね、よく知っているんだ」
 鬼沼も火野も何かぼくに言いたげだったが、ぼくはそれを無視しすぐに席を離れる。
 そうしてぼくたちは一先ず散開し、マンイーターの捜索に出向いた。









 ぼくと葵がよく歩いていた廃墟区域。
 なぜここがこんなにも廃れているのかぼくは知らない。確かまだここが立ち上げられたときに作られたオフィス街のようなところらしいが、対して使い道もなくつぶれてしまったらしい。今はこうしてぼろぼろに朽ちていく建物が支配しているちょっとしたゴーストタウンのようなものだった。
 来年あたりには綺麗に取り壊されると聞いている。確かにこんなところをいつまでも放置しておくわけにはいかないだろう。ましてやここで人死にが出たというのなら。
『どうしたぼくよ。随分と暗い顔をして。感傷にでも浸っているのか、一著前に人間らしく』
  頭の中に自分と同じ声がそう話しかけてきた。
「うるさい黙れ。そんなんじゃないさ」
『おいおいそんな言い草はないだろう。ぼくは、お前だ。仲良くしようぜ』
 頭の中のそいつはなれなれしい口調でそう言った。
 そいつは自分のことを“リバーサー”と名乗っている。リバーサーはぼく自身が生み出したものだとそいつは言っていた。
 ぼくの中のもう一人のぼく。|裏返す者《リバーサー》。
 リバーサーはぼくに力をくれた。
 世界を裏返す力を。強い力を。誰にも負けない力を。
 もう誰もぼくを見くびらせない。誰にもないがしろにはさせない。
『なあぼくよ。マンイーターなんか放っておけばいいじゃないか。お前は力を手に入れた。あいつらの言うことを聞く必要もないし、葵のことなんてそれこそどうでもいいじゃないか』
 リバーサーは嘲笑うようにぼくにそう言った。
 確かにその通りだ。もうあいつらに関わる義理も、必要性も無い。ましてや葵の復讐だなんて馬鹿げたことを考えているわけではない。
 ならなぜぼくはマンイーターをこうして追いかけているのかだろうか。
 それはケジメだ。
 弱かったぼくとの決別するためにぼくはマンイーターという存在と戦う。下らない世界とお別れするための。この戦いを終えた時、ぼくはきっと本当の強さを手にすることが出来るだろう。
 そして、世界に復讐してやる。ぼくをバカにし続けたこの世界に戦争を仕掛けるのだ。ぼくならできる。
 ぼくのこの“能力《ちから》”なら――
「そこのキミ、止まりなさい」
 突然誰かにそう呼び止められ、ぼくはびくりと身体を強張らせた。こんな人気の無いところに誰がいるんだ、そう思いながらぼくは声のほうを振り返った。
「ここはマンイーター事件の現場で立ち入り禁止になっているわ。それなのにここにいるんなんて怪しいわね」
 そこにはそんな高圧的な物言いをする女生徒が立っていた。
 メガネにポニーテイルで、目つきが悪い。どうもぼくが嫌いなタイプの女のようだ。彼女の腕には“討伐隊”の腕章がついており、成程、この女は公式でマンイーターの捜査をしているのだと理解した。
 なぜかこの学園ではラルヴァが出現することが多々ある。その度にこうして討伐隊が組まれ、ラルヴァの殲滅に出ているようだ。そのほとんどが異能者である学生たちという事実は、ここが本当に日本なのか疑わしくなってくる。
「あなた学年とクラスは? ちょっと来て貰うわよ」
 その女はぼくのことを最初から不審人物と決めつけ、ずんずんと歩み寄ってくる。まったく、討伐隊の連中はこういう高慢な連中が多い。なまじ強い異能を持っているから他人に対してこうした態度に出るのだろう。
 よく校章の色を見れば年下のようだった。これは少し先輩として教育をしなければならないだろう。
「おいリバーサー。本当にぼくにはその力があるんだな」
 ぼくは確認するようにそう頭の中に問いかける。
『ああ、自分に力があることは自分が一番自覚しているはずだ。ぼくはお前のことを何でも知っている。逆を言えばぼくが知っていることはお前だって知っているはずだ』
 確かにぼくには力があることを自覚していた。
 リバーサーがぼくの心に出現した瞬間に、妙な感覚が身体を支配していた。これが“異能”。敵を倒すための力。ぼくの力。
『さあ、試してやろうぜ。ぼくたちの力を』
 リバーサーはそう言い、ぼくは湧き上がる全能感に突き動かされてその女生徒に近づいていく。
 討伐隊の人間なら何か詳しい情報を持っているだろう。それを聞き出してやる。
「ちょ、ちょっとそれ以上近づかないで下さい。気持ち悪いです」
 なんてことを初対面の人間に言うんだ。これだからこういう奴らはクソなんだ。二度とそんな口を利かせなくしてやる。
 ぼくは指をぽきぽきと鳴らし、その女生徒に手を伸ばす。だが、その瞬間その女生徒はきっとぼくを睨みつけ手を横に振り空を切った。
「なんだ?」
 ぼくが唖然とその行動を見ていると、激しい破壊音と共にぼくの後ろの瓦礫が爆ぜ、破片があたりに飛び散っていった。
「ちっ……」
「女だと思って舐めないでよ。私のこの“爆発促進《アームドボム》”を食らったら一生病院暮らしになるわ」
 女生徒は加虐的な表情でそう言った。やはり討伐隊だけあってこの女も異能者のようだ。いや、これは都合がいい。ぼくの力にとって都合がいい。
 異能者などぼくにとって敵にならない。
「さあ、早く離れなさい、今応援を呼んであなたを拘束してもらうわ」
 そう言いながらその女生徒はポケットから携帯電話を取り出そうとしていた。ぼくはその瞬間を見逃さなかった。
 ぼくを弱者と思って油断しやがって。
 ぼくはその女生徒の細い腕を掴みあげた。女生徒はそれを振りほどこうと、異能を使うために手をぼくにかざした。
 だが無駄だ。もう遅い。
『さあ、ひっくり返してやろう』
 リバーサーの声が頭に響き、ぼくはその握り締める手に力を込める。細い腕。これだけなら本当にただの女の子だ。思い切り握ったらぼくでも折ることができるだろう。しかし、この女生徒は異能という爆弾を持っている化物だ。ぼくはその腕をぎりぎりと握り締め、彼女の目を睨みつけた。
「お前はぼくの物だ。お前はぼくに従え」
 ぼくは女生徒にそう命じた。
 すると女生徒「あ、ああ……」と、言葉にならない言葉を発し、どんどん目に光が失せていく。口から涎を垂らし、完全に自我が失われたようだった。
 成功だ。
 これがぼくの力。ぼくの異能。
「おい、お前の名前はなんだ?」
「わ、私は久遠三春《くどうみはる》……」
「そうか。みはる、討伐隊の連中を数人ここに集めろ。全員ぼくの手下にしてやる」
「はい……わかりました」
 その女生徒、三春は機械的に返事をし、電話で仲間を呼び出していた。
『どうだぼくよ。相手を支配する力は』
「最高だよリバーサー。この力なら誰にも負けない。この世界に復讐できる」
 ぼくは腹の底から湧きあがってくる支配欲が満たされていくのを感じる。おかしくて笑いが止まらない。
 そう、リバーサーがぼくに与えた力は『強者を従える力』だった。いや、少し違うな、『強い相手と弱い自分の立場をひっくり返す力』と言ったほうがいいだろう。
 どうやら触れた相手を洗脳することができるようだ。
 弱さがぼくの力になる。
 強さを持つ人間は誰もぼくに逆らえなくなるのだ。このまま強者を自分の物にしていけば、誰もぼくをバカにする人間はいなくなるだろうな。
『この力があれば、あの最強と謡われる醒徒会の連中もぼくらの配下に置くことが出来るだろう。そうすれば世界はぼくたちの手中に収めることも不可能じゃない』
「ははははは! そうだなリバーサー。そうさ、この学園全てをぼくの物にするんだ!」
 ぼくはじろりとその自我を失い、ぼくの操り人情になった少女、三春の身体を見る。どうやら高等部の一年のようだが、その体躯はスレンダーだがわりと発育がいいようだ。
「そうだ、もう葵なんて必要ない。もうぼくに手に入らないものはないんだ」
 ぼくはその三春の胸に手を置く。柔らかく、大きい。葵なんかとは違う弾力。最高だ。ぼくはそのまま彼女の太ももへと手を伸ばす。
「ああ……ああ」
「黙ってろ。お前は今日からぼくの玩具だ。可愛いがってやる」
 ぼくは彼女の首下に舌を這わせ、両手で愛撫を続けていく。いい匂いがする。
 三春を廃墟ビルの一室に三春を連れ込み、ぼくはその続きに没頭する。堅いビルのコンクリートの上に寝かせ、ぼくは三春の綺麗な身体に自分の身体を重ねていく。
 引き締まったその肉体に溺れながら、ふとぼくは葵のことが頭によぎった。
 なぜ今あいつのことを考えているのだろう。
 いつもおどおどとしていて、ぼくの言うことに逆らわなかった葵。ぼくにこんな力がなくてもぼくに従った葵。
 あいつはこの辺りでマンイーターに食われたのだろうか。
 ならまだ奴はこの辺りに潜んでいる可能性もあるのか。感傷的なことを言いたくは無いが、やはりぼくは葵の復讐というものが頭にあるのかもしれない。
 マンイーター。人喰い。
 どんな姿かたちをしているのかは誰も知らない。
 マンイーターは何を考え何を思い人を食い殺すんだろうか。
 案外人間と同じように、悩みや葛藤があるのかもしれない。実際限りなく人に近い知性や外見を持つラルヴァは多い。
 マンイーターが知性を持つ生物だとしても、人間のような見た目をしていても、学園の連中は殺せるのか。ただの学生であるあいつらが、人間の形をした化物を躊躇なく殺せるのだろうか。
 ぼくはマンイーターのことで頭が一杯になり、もうそんな気分にはなれなかった。
『どうしたぼくよ。続きをしないのかい』
「ああ、今はこんなことをしている場合じゃないな。まだこの廃墟区域にマンイーターが隠れている可能性もあるわけだ。探そう」
 ぼくは糸の切れた人形のように寝転がっている三春を蹴り、
「起きろ、探索を手伝え。お前はぼくの剣となり盾となるんだ」
 そう言って彼女をぼくの前を歩かせ、廃墟区内を再び歩いていく。三春は首をかくんかくんと揺らしながら虚ろな眼で周りを見ている。ぼくの命令どおりきちんと周囲に気を配っているようだ。
『しかしぼくよ。こんなところ学園側が既に調べつくしているんじゃないのか』
「まあな。だがわからないぞ。灯台下暗し、犯人は事件現場に戻るって言うだろう」
 そろそろ日が沈み始め九本当に暗くなってきている。ぼくは用意していた懐中電灯であたりを照らす。しかし不気味なところだ。人が死んでいるのだから当たり前かもしれないが、幽霊が出てきても不思議ではない雰囲気だ。いや、幽霊も学園の定義でいえばラルヴァでしかない。むしろマンイーターよりも低俗なものだろう。
 今恐るべき存在なのはマンイーター。
 ぼくの敵。
 ぼくだけの敵!
 誰にも渡すものか。誰にも殺させるものか。
 マンイーターはぼくが必ずしとめる。他の誰にもやらせはしない。これがぼくの戦争だ。下らない世界と決別するための聖戦だ。
 ぼくは睨みつけるように廃墟を見渡す。やがて黄色と黒のテープが張り巡らされている建物を見つけた。
『おい。ここが――』
「現場みたいだな。入ってみよう」
 三春にテープを剥がさせて、ぼくはその廃墟の中に入っていく。中に入ったぼくはとてつもない異臭に鼻を歪ませた。信じられないくらいの血と肉の腐ったような臭いが充満している。既に葵の死体は処理され清掃もされているはずなのに、まるで死そのものがこの空間に染み付いてしまっているようであった。
 懐中電灯の光を向けると、チョークで囲われた葵の死体発見部分に、とてもこの世のものとは思えない巨大な爪痕が壁のあちこちに刻まれていた。マンイーターのものに間違いないだろう。ここで葵は殺され喰われた。そう思うと、ぼくは寒気を覚え、身体を震わせる。
 ぞくぞくする。
 人が死んだんだ、ここで。
 ぼくは恐怖ではなく、奇妙な高揚感を覚える。葵が死んだ。ここで、無残に、無情に。それを思うとぼくはなんだか気持ちがよくなってくる。
 死は非日常の象徴だ。
 ぼくは今、この下らない世界とぼくが望む素晴らしい世界との境界線に立っているのだ。 
 葵には感謝する。お前の死がぼくを成長させたんだ。
 ぼくは血の染み付いたその床を見つめる。もはや黒くなりつつあるその血しぶきは、痛い処理班ですら落とせないほどにこの空間にこびりついている。いや、いずれ取り壊すのだから適当に処理したのかもしれないが。
「うーあー」
 ぼくがそう物思いに耽っていると、三春がそう意味の無い言葉を呟いた。三春はぼくの代わりに建物の入り口で見張りをしているはずだ。
 なんだろうかと思い、ぼくが三春の方向を見ると、そこには不審な人物が立っていた。
 まるで闇に溶け込むような真っ黒なレインコートを着込み、頭をすっぽりっとフードで隠してしまっているため顔は見えない。だが野生動物のようなギラギラと光る目玉がこちらを睨みつけている。
 そのレインコートの人物は建物の入り口ぼんやりと立ちすくみ、ぼくら二人のことを伺っているようだった。
「なんだこいつは――」
『おいぼくよ。こいつはなんかやばい雰囲気だぞ、あいつは、あいつは――!』
 ぼくの中のリバーサーも動揺しているようだった。そうだ、よく見るんだ。あのレインコートについている赤い模様、あれは血じゃないのか。
 まさか、まさかこいつは!
「三春! そいつを押さえ込め!」
 ぼくは三春にそう命じた。すると、三春はそのレインコートの人物に飛び掛った。三春は空中で手を振りかざし、彼女の異能である爆発をその人物目掛けて放つ。
 爆音と爆風が同時に襲い掛かり、煙で三春とそいつの姿は見えなくなる。やがて煙が晴れ、三春の後姿がぼんやりと見えてきた。
 だが、その三春の姿は先ほどまでと少し変わっていた。
 首から上が無くなっていた。
 ぼくは目を疑う。なんだ、何が起きた。
 三春は、いや、もはや三春かどうか判断できないそれは、首の断面から噴水のような血しぶきを上げている。天井にまでそれは届きそうだった。
 やがて煙が完全に晴れ、そこには返り血を浴び、三春の頭を手に持ったレインコートの人物が悠然と立っていた。爆発の影響で腕の部分が破れ、肌が露出している。
『おいぼくよ。これは少し逃げたほうがいいんじゃないか、こいつは――』
「マンイーター!」
 ぼくは確信した。
 こいつがマンイーターだ。
 露出したそいつの腕部分は、まるで獣のように毛むくじゃらで、まるでナイフのような巨大な爪が五本も伸びている。どう見ても人間ではない。
 人喰いのラルヴァ。
 マンイーター。
 やはり、まだここにいたのか。
 だがそんな暢気なことを言っている場合ではない。ぼくは突然のマンイーターの襲来に、怯え、身体が硬直してしまっている。
 何をしているんだぼくは。
 マンイーターとの対峙はぼくが望んだことだ。倒すんだろう、あの化け物を! さあ動け、動け!
 だが先に動いたのはマンイーターのほうだった。
 マンイーターはその毛むくじゃらの腕を横に薙いで、首の無くなった三春の身体をぐちゃぐちゃに引き裂き、そのままこちらに向かって駆け出した。三春の身体はボロ雑巾のようにズタズタになり、血と臓物が室内に四散する。ぼくの頬にも彼女の血がかかり、リアルな血の臭いがぼくの頭を現実へと引き戻す。
 命の危険を感じ、ぼくはようやく足を床から引き剥がし、後ろを振り向いて窓に向かって跳躍した。ガラスを突き破り、廃ビルの外へ転がり出る。マンイーターはどうした。後ろを確認している暇はない。逃げろ。走れ、走れ!
『おいぼくよ。なぜ逃げる。奴と戦うんじゃなかったのか』
「冗談じゃねえ、ぼくの能力は直接的な戦いに向いてないじゃないか! 兵隊である三春が一撃でやられたんだ、逃げるしかないだろ!」
 そうだ、これは戦略的撤退だ。決して逃げじゃない。逃げじゃないんだ! 
 ぼくはそう自分に言い聞かせ、足を必死に動かしていく。
『だが奴に手を触れればお前はあのマンイーターを支配することも可能だ。チャンスを逃す気かい』
「黙れ、見ただろうあいつの力。確かにあの力がぼくのものになれば怖いものなしだ、だが奴に触れる前にぼくが粉微塵になる未来しか見えない。今はとにかく逃げるんだ!」
 後ろの方でコンクリートが切り刻まれるような音が聞こえる。まずい、追いつかれる。化物の足に敵うわけがない。嫌だ、折角力を手に入れたのにここでマンイーターに殺されるのか。
 畜生。そんなのあんまりだ。せめてもう少し準備をしてこればよかったんだ。クソ、ぼくは一体何をしているんだ。やっぱりぼくは無能なのか。弱いのか。強者にはなれないのか。どんな力を持っていてもぼくは駄目なのか。
 そんなわけない。
 そんなわけないんだ。
 ぼくは、ぼくは変るんだ!
 だが、そう願うぼくの想いも虚しく、ぼくは地面の瓦礫に足をつっかけて思い切り転んでしまう。勢いのまま顔面からコンクリートの地面に激突し、顔中に激痛が走る。目の前がちかちかする。
 クソ、死ぬのか。
 ぼくはやっぱり死ぬのか。
 こんな下らない死にざまで。まだ何も成し遂げてはいないのに。
 立ち上がろうと顔を起こし、ふと後ろの視界が眼に入る、するとやはりマンイーターがすぐ傍まで近づいてきているのが見えた。もはや走ってはおらず、転んだぼくを追い詰めるようにじりじりと距離を縮めてくる。その両手は血塗れで、鋭い爪が伸びている。あれでぼくを引き裂くのだろう。ぼくを殺すのだろう。そして食べられるのだ。葵と同じように。マンイーターの胃の中で葵と一つになるだなんてなんて皮肉だ。嫌だ。そんなのは嫌だ。
 マンイーターは数メートル離れたところから跳躍し、ぼく目掛けて飛んできた。
 駄目だ。
 終わる。
 死ぬ。
 ぼくは目を瞑り、諦めた。
 結局ぼくが頑張っても全ては無駄だったんだ。
 駄目な奴は何をしても駄目なんだ。
 ぼくは自分の無力を呪い、死を覚悟した。だが、


「見つけたぞマンイーター!!」


 突然そんな叫び声が聞こえ、ぼくが眼を開けると、何かに吹き飛ばされて地面を転がっていくマンイーターが視界に映った。
 何が起きた。
 ぼくが混乱のままうずくまるマンイーターを見つめる。すると、ぼくの目の前に一人の女の子が現れていた。
「人喰いの化物め。葵ちゃんの仇をとってやる……」
 そう葵の名前を口にするその少女は、長い黒髪に、どこかで見たような垂れ眼、そして真っ赤な金属バットを手に持っている。
「お前……」
「ああ、あなたは葵ちゃんの恋人の下種山下種男じゃないですか。なんだ、こいつが殺されてからマンイーターを攻撃すればよかったですね。生きてる価値ないですからあなた」
 その女はそう呟いた。そう、そいつはぼくを二年J組の前で殴り倒した暴力女だった。ぼくがそいつに何かを言おうとした瞬間その女はぼくの顎を蹴り飛ばした。痛い。なんて常識の無い奴なんだ。ゴリラ女め。
「今はゴミの言葉を聞いてる暇なんてないのです。私はこの人喰いの化物に用があるんですから。とっととどこへでも逃げてください」
 そう言いながら金属バットを構え、ゆっくりと立ち上がるマンイーターと対峙する。
 だがぼくは逃げずにその女の身体に手を伸ばす。
『おいぼくよ。どうする気だ』
「決まってる。こいつもぼくの下僕にするんだ。好き勝手しやがって。犯してやる。いたぶってやる」
『マンイーターを前にして命の危機だというのにお前は暢気なものだな』
「うるさい。こいつをぼくの兵にしてマンイーターを退けさせるんだ。いいか、見てろよ」
 あと数ミリで女の肩に手が届く。
 そうすればこの女はぼくの物だ。
 だが、その数ミリ手前でぼくの指が完全に動かなくなる。
 いや、指だけではない。身体全体がまるで時が止められたように静止してしまった。どうなっている。何が起きてる。
「ねえ先輩。うちの姉さんに手を出してもらっちゃ困りますよ」
 ぼくの背後からそんな声が聞こえた。その声は軽薄だが、どこか有無を言わせない迫力があった。
 そいつはぼくの隣に顔を出した。ぼくの視界に入るのはそいつの横顔と耳についているドクロのピアス。見覚えのあるドクロピアス。
「き、鬼沼……」
「正解でーす。ちなみにあれが俺の自慢の姉さんです。鬼沼家の長女。『人間鉄球《にんげんてっきゅう》』の鬼沼|雀《すずめ》姉さんだ」
 そうニヤニヤと笑う鬼沼の指先から、何かきらきらと光るものが見えていた。その光りはぼくの身体を包んでいる。
 いや違う。これは糸だ。糸がぼくを縛っているのだ。その糸はぼくの動きを完全に固定させてしまっている。夕日に照らされ煌いていないと、糸かどうか確認も出来ないほどに薄く細いものだった。
「これが俺の異能『天蜘蛛《あまぐも》』です。無理に動かないほうがいいですよ。輪切りになりたくなければね」
 ぼくは鬼沼のそのあまりに冷たい言葉に顔を青くする。こいつは何だ。こいつらは何なんだ。
「な、なんでぼくを縛るんだ。あ、姉を助けなくていいのかよ!」
「マンイーターとの決闘は姉さんが望んでいることですから。邪魔するわけにはいきません。それにですね、俺らは見てましたよ、一之瀬先輩。あなたの行動を」
 なんだと。見られていた。嘘だ。
「なんか怪しいと思ったんですよ。一人でこんな所に行くとか言い出したり、妙に自身ありげでしたからね。まさか異能に目覚めているとは思いませんでした。ですがそのおかげでどうやらマンイーターを釣ることができたようですね」
「お、お前。ぼくをどうする気だ」
「どうするもこうするも先輩次第です。見ていましたが先輩の力はどうやら強烈なもののようだ。だから俺らは先輩の力を貸してもらいたいんですよ」
 なんということだ。厄介なことになった。まさか見られているとは。
『どうするんだぼくよ』
「仕方ないだろ。今はこいつらの言うことを聞くしかない。何が目的かわからないが……」
 ぼくは視線を鬼沼の姉、雀に移す。
 雀は金属バットでどう戦おうというのか。マンイーターは体制を建て直し、再びこちらに向かって駆け出した。巨大な爪を前に突き出し、雀に向かってそれを振り下ろした。
 軽快な金属音が響く。
 雀はマンイーターの爪を、その金属バットで防いでいた。
 そして金属バットを横に薙ぎ、その衝撃のまま距離を一歩置いて、逆に今度はマンイーターの頭部に向かって金属バットを振り下ろす。だが、マンイーターもそれを直前でかわし、金属バットは空を切り、コンクリートの地面に思い切り当たってしまう。普通ならば手が痺れてしまうだろう。だがそうはならず、金属バッドが当たったコンクリートの地面が大きな音を立てて陥没し、巨大な穴を作り出していた。
「な、なんだあの女!」
 ぼくは驚き思わず声を上げてしまう。鬼沼はニタニタ笑いながらこう解説を始めた。
「あれが姉さんの能力『人間鉄球』。なんてへんてこな名前がついてますがただの身体強化能力ですよ。ただ、その強化は尋常じゃありませんけどね。あの特別な金属の固まりで出来てるバットを使えば、数分でビル一つ崩壊させられますよ。マンイーターもあれが当たれば即死でしょう」
 なんて化物姉弟だこいつらは。だが、確かにその姉ならばマンイーターを殺せるかもしれない。くそ、あれはぼくの獲物のはずなのに。
 だが、現実はそう上手くいかない。
 雀の能力を見て、マンイーターは凄まじいスピードで後退していく。そして廃ビルを上り始め、逃げ出した。それはまるでゴキブリのように素早く、あっという間に姿を消してしまった。
「あ、待て! 逃がさないぞマンイーター!!」
 雀がマンイーターを追いかけようとした瞬間、彼女の膝はがくんと崩れ落ち、そのまま倒れてしまった。
「ど、どうしたんだあいつは」
「あれが姉さんの弱点ですよ。過度の身体強化に肉体がついていけていないんですね。能力の使用はもって数分。今回は失敗のようです」
 やれやれと鬼沼は溜息をついた。すると、雀の方は顔だけをこちらに向けて「何をしているカラス丸! 早く私を助けなさい!」と、怒鳴りつけていた。
「へいへい今行きますよ」
 鬼沼はそう言って姉の方へ駆けて行った。だがぼくの拘束は解かれていない。ぼくはどうすることも出来ずに立ちすくむ。
 姉に駆け寄る途中で、鬼沼はくるっとぼくのほうを向き、
「ああ先輩。あなたは俺たちの味方になってもらいますが、先輩のあのメガネのお友達とはなるべく近寄らないほうがいいですよ」
 そう言った。
 メガネの友達。
 火野のことだろうか。なぜだ。確かにあいつは嫌な奴だが。
 ぼくが戸惑っていると、鬼沼は相変わらずのニヤニヤした軽薄そうな顔でぼくにこう言った。
「火野萌太は人殺しです。あいつは、俺らの敵ですよ」


   つづく










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