【緊縛少女と従僕たる犬 part・1】


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 ◆◇プロローグ―夜の教室にて1―◆◇

 僕は犬です。
 いや、誤解を招くようなのできちんと訂正しておきます。勿論僕は人間です。れっきとした双葉学園の男子生徒です。それでも僕は犬なのです。
 言っている意味がわからない? そうでしょう。僕も自分がなぜ犬として生きなければならないのかわかりません。
 ですが、とある女の子の前では、僕は犬になるのです。
 それが僕と女王様の間で交わされている密約。二人だけの秘め事。
「ねえポチ。私の足の指はおいしいかしら」
 女王様は僕の身体を縛り付けている細い糸を手に握り、魔女のような冷たい眼差しを僕に向けています。
 深夜の真っ暗な教室で、僕たちは禁じられた遊びを続けているのです。女王様は机に腰掛け、僕はその下でお座りをしてご褒美を待ちます。すると女王様はブーツを脱いだその生足を僕の口元まで伸ばし、僕はそれを、それこそ骨にしゃぶりつく飢えた犬のように舐めまわしていくのです。彼女足の指を丹念に嘗め回します。舌を指と指の間に入れ、そのまま踝《くるぶし》のほうへと舌を這わせます。ああ、なんて美味しいのでしょうか。どんな豪勢な食材も、彼女の御足にはかないません。
 そのまま僕はとても美しい女王様へ熱い視線を向けます。
 月明かりに照らされ、彼女の綺麗な黒髪は艶やかに輝き、その憂いを帯びたガラス球のような瞳はただ冷徹な視線を僕に与えているのです。ですがそれは辛いことではなく、僕にとってはとても心地のいいものでした。黒いボンデージ姿の女王様の身体は、そのピチピチときつい服から溢れ出るような豊満な肉体を有し、その女王様の目からはとても力強い印象を受けます。僕にとってはこの世の誰よりも恐ろしい存在です。ですがそれ以上に愛すべき存在なのです。
 僕と女王様を繋ぐものは一本の糸。そう、それはまさにこの世という地獄に垂らされた蜘蛛の糸。僕という咎人を救い出してくれます。その細く強靭な糸は彼女の手から伸び、僕の身体を縛り上げ、腕を後ろに縛り、動けないようにしています。彼女がくいっと糸を引くと、僕の身体に絡みつく糸は強く引き締まり、鋭い激痛が走ります。学生服の上からでも、皮膚がひっかかれていくのがわかります。
「ねえ、私の足の味はどうなの?」
「お、おいしいです、女王様……」
 僕は迂闊にもそう答えてしまいました。すると女王様はぴくりと眉を上げ、僕を縛る糸をさらに強くひっぱりました。
「犬が人間の言葉喋っちゃ駄目よ。そうでしょポチ」
 そうきつい目で僕を睨みつけます。駄犬を躾けるような目です。僕はぞくぞくとした快感に背筋が振るえ、
「わん、わん、わーん」
 と、犬に相応しい鳴き声で女王様に返しました。
 すると女王様は満足したようで、私の頭を撫でてくれました。
 僕にとってはその瞬間こそが何にも変えることの無い幸福なのです。彼女の細く透き通るような指に頬を撫でられ、僕は快楽の絶頂を迎えます。身体の中を耐えられない気持ちよさに支配され、僕は紅潮し、顔がとろけるような感覚を覚えました。
「ああ、私の可愛いポチ。あなただけは私を裏切らないでね」
「わんわんわん」
 僕たちはこうして二人だけの夜の世界を堪能します。彼女は夜の世界に君臨する夜の女王なのです。
 いったいなぜ僕と女王様がこんな関係になったのか。
 それはほんの少し前のこと――

    ◆◇



 緊縛少女と従僕たる犬



    ◆◇



      Part・1   



 退屈で人は死ぬ。
 一体だれがそんなことを言ったのか知らないが、まったくその通りだなと目黒《めぐろ》稔《みのる》は思っていた。
 実際稔は退屈のあまりもう死んでもいいやーっと思いながら、校舎の屋上から地面を眺めていた。そこからは大勢の生徒たちが楽しい学生生活をしているのが一望できる。誰も彼も楽しそうで、まるで自分だけがこの世界から疎外されているような、そんな被害妄想に取りつかれていた。
(今ここからみんながいるところにダイブしたら、少しはみんな僕のことを見てくれるかな)
 そんな危ないことを考える始末である。勿論そんなものはよくある思春期特有のもので、本当に死のうという気は微塵もなかった。ただ彼は誰かに構って欲しいだけなのだろう。自分を理解してくれる、あるいは愛してくれる人を欲している。そしてそれを表に出せない自分に憤っているだけだ。
 二年の自分のクラスにも馴染めず、教室にいることにうんざりとしていた彼は、昼休みにはよくこうして校舎の屋上でぼんやりと空を眺めたりしていた。
 そんな稔はそうやって屋上で時間をつぶす毎日を送っているうちに、一つの楽しみを見つけた。
「さて、と。そろそろ時間か」
 そう言いながら稔は、自分のカバンからとあるものを取り出した。それはデジタルカメラであった。
 これだけが彼にとっての唯一の友達と言ってもいいだろう。とあるバイトで稼いだお金で彼は念願のカメラを購入したようだ。
 だが、友達もいない彼が、こんなカメラを買って何を撮ろうというのだろうか。一緒に撮る相手もいないし、特に背景を撮る趣味もない。だが稔は、とある目的をもってしてカメラを買ったのである。
 彼は屋上の床に身体を伏せ、鉄柵の間からカメラのレンズを覗かせる。
 そして稔はレンズ越しに見る、そう、女子高生の生着替えを。
(この時間だけが俺の唯一の楽しみだ。早く家に帰って編集しなきゃ……)
 彼がカメラに写しているのは、ここから覗き見ることができる第四女子更衣室であった。
 稔がいる屋上は資料棟には窓がなく、その手前にある女子更衣室は覗かれる心配はないと油断し、よくカーテンが少し開いていることがある。彼はそこを狙って封鎖されている屋上でこんなことをしているのであった。
 こうでもしなければ、彼のような人間が同年代の裸を見るなどということはありえないだろう。悲しいことだが、それは稔が一番よくわかっていた。
 だがそれでも構わない。今こうして楽園を独り占めできるという優越感に比べれば、孤独なんて大したものではない。
 カーテンの隙間から見える少女たちの白い肌に白い下着。何やら楽しそうに談笑している様子だが、当然声なんて聞こえてはこない。だが、自分に見られているとも知らずに無邪気な笑顔を見せている彼女たちを見ることで、稔は興奮を覚えていた。
「ああ、あれはクラスのマドンナである岡部さんじゃないか。へえ、あんな大胆な下着はいてるんだ。彼氏の趣味かな……」
 そうぼそぼそと独り言を呟いている彼の姿は、おそらく人眼からはとてつもなく気持ちが悪いだろう。
「ねえキミ。そんなところで何してるの?」
「いや、意外にも委員長の東雲さんも結構胸大きいな。あの妹タイプの浅田さんなんかもこう」
「ねえってば、キミ」
「ああ、あと少しであれが……」
「な・に・し・て・る・の?」
「うるさいな、今いいところなんだよ――――え?」
 稔は何度も話しかけてくる声にようやく気付き、飛び起きて後ろを振り向く。
 そこには、一人の女の子が自分を見下ろすように立っていた。
「うわわわわわ!」
 必死にカメラを隠そうとして思わず鉄柵に頭を打ってしまう。その甲斐も虚しく、その少女に自分がカメラを持っているところを見られてしまった。
 稔は冷や汗を垂らしながらその少女に視線を向ける。
 その少女は眼鏡に三つ編みという、なんとも古めかしい感じの容姿で、上履きの色を見る限り三年生のようであった。
 彼女は慌てている稔を見て、ぽかんとした表情をしていた。
「いや、あの、これは……」
 稔はなんとか言い訳をしようと口をパクパクとさせるが、何も出てこない。
(もう駄目だ。僕の人生もこれで終わりか――)
 稔の頭に走馬灯のようなものが流れてくる。十七年という短い人生だったな。これからは一生性犯罪者の汚名を着て生きていくのだろうと、彼は全てを諦めた。
(うう。せめてPCのデータは全部消しておくべきだった――)
 BADEND。
 目黒稔の人生はゲームオーバーです。リセットしてください。そんな天の声が頭に聞こえてくるようであった。しかし、
「あ、もしかしてキミ、写真撮影が趣味なの? へーすごいねー!」
 と、突然その少女はそんなことを言い出し、思わず稔は「ほへ?」という間抜けな声を発してしまった。
 その少女の顔はまったく怒っても不審がってもおらず、純粋な笑顔を稔に向けていた。
(バレて……ない?)
 興味津津にビデオを見つめている少女を見て、稔は自分の行動が彼女に知られていないことを理解した。
「そ、そそそそそそうなんですよ。僕こうして空とか鳥とか撮るのが好きで……」
「そうなんだー。ちょっと写真見せてよ。私も結構好きなんだ」
 少女は稔のカメラに触れようとするが、彼はさっと背中に隠してしまう。当然だ。このカメラには何十枚という生徒の着替え写真が収められているからだ。それを見られてしまったら今度こそおしまいだろう。
「いやいやいやいや。まだまだ全然だめで、人に見せれるものじゃないですよ。恥ずかしいんで勘弁してください」
「私別に気にしないよ。でも、拘りのある人は見られたくないって人もいるからわかるけど……」
「そうです。僕もまだ不完全な腕前なので見せたくないんですよ、はははは」
 背中に汗が滝のように流れる。心臓がバクバクと脈打ち、吐き気を覚える。まずい、非常にまずい状況だ。なんとか乗り切ったとはいえ、稔は早くここから退散したくてたまらなかった。
 しかしこの女生徒は、こんな封鎖されている屋上に何をしにきたのだろうか。
「せ、先輩こそなんで屋上に?」
 まさか自分と同じく覗きなんてことはありえないだろうが。何となく話題をそらそうと、稔は彼女に疑問をぶつけてみた。すると彼女はうーんっと首を捻って言おうかどうか迷っている様子である。
「あのね、笑われるかもしれないけど。私は、幽霊を探してるのよ」
「は? 幽霊?」
 いきなりそんな非現実的な単語が飛び出てきて、稔は思わず拍子抜けしてしまった。ラルヴァという存在は知っていても、非異能者の彼にとってやはりそれは現実味の感じるものではなかった。ましてや幽霊なんて本当にいるのかどうか疑わしい。
「聞いたことないかな。最近よく学校の至る所で目撃されるんだって、女の子の姿をした幽霊が。それで今私は昼休み使って学校を隅々まで探索してる最中なのよ。でもこの学校は大きすぎるのよね、まだ四分の一くらいしか探せてないわ」
 そんな馬鹿げた噂のために学校中を回っているなんて、変な女の子だなあと稔は率直に思った。あまりそういうことを信じるタイプには見えないのだが。
「よくわかりませんが大変そうですね。なんでそんなことしてるんですか?」
「これも部長命令なのよね。まあまったくネタがない今じゃ、それくらいしか記事になるようなことないもの。仕方ないわ」
「ネタ? 記事?」
 わけのわからないことを言う少女に、稔はただ首をかしげるしかなかった。それに気付いた彼女は忘れてたとばかりにぽりぽりと頬を掻いて苦笑いをしている。
「ごめん、まだ言ってなかったっけ。私は高等部新聞部の副部長、綾鳥《あやとり》ひばりよ。うちの学園新聞をよろしくね」
 ひばりと名乗ったその少女の眩しいまでの笑顔に見惚れてしまう。
(ああ、今シャッターを押せばよかったな……)
 稔はそう心の底から悔んだ。
 ひばりのその笑顔を見た稔は頬を紅潮させ、ドキドキと心臓を高鳴らせていた。彼はこれが“恋”というものであることを、頭ではなく心で理解したのだ。









 島の都市部、その片隅に一つの店があった。看板には『アイテムショップ・メグロ13』と書かれており、黒とピンクのレンガで造られたその店は、外から見ただけでもなんだかとてもいかがわしいようなものに見えた。
 そんな大人っぽい雰囲気の店に稔は入っていく。どう見ても場違いなのだが、彼はまったく気にしてはいない。
「ただいまー」
 むしろそんなこと言って扉を開けて店の中を進んでいく。店の中には不気味な物が並んでいる。ドクロの水晶に銀の十字架、藁人形にお札といった普通の人からすれば無縁の代物ばかりだ。
「おう、おかえり稔」
 店の奥のレジに、一人の女性が座っており、入ってきた稔に手を振った。
 金髪のとてつもない美人で、年は二十代前半くらいだろう。ピアスやネックレスをじゃらじゃらとつけている。彼女の着ている服は、その大きな胸を強調させるかのように露出が高く、入ってきた客を魅了させる。
 だが、稔はそんな彼女にこう呼びかけた。
「じゃあ兄さん。僕は上にいるから。夜になったら店番変わるよ」
 兄さん。そう、稔は彼女に向って兄さんと言ったのだ。
 彼女の名前は目黒|薫《かおる》。正真正銘の稔と血の繋がっている兄であった。彼女(あえてそう表現させてもらうが)はどうも女装趣味が高じて、こうして女としての人生を歩み始めたのであった。彼ら兄弟は、島の一角にこの店を構え、中睦まじく暮らしているのであった。
「だから姉さんと呼べって言ってるでしょ稔」
 薫は煙草に火をつけながらそう言った。いつものことなので稔はその言葉を無視し、その脇の階段から、二階の自室へと向かう。部屋に入って着替えを終える。
(新聞部の綾鳥ひばりさん――か)
 稔はあの後すぐに屋上から出て行ってしまったひばりのことを思い出していた。自分のような人間に、優しく話しかけ、笑いかけてくれたあの女の子のことが、稔は気になって仕方なかった。
 三年生のようだがクラスはわからない。だが新聞部の副部長と言っていたし、少し調べればそれはわかるだろう。だが、稔はもっともっと彼女のことを深く知りたかった。
 好きな食べ物は何だろうか、血液型はなんだろうか、身長や体重やスリーサイズはいくつなんだろうか、お風呂でどこから洗うんだろうか、下着は何色なんだろうかとか、様々な思いが彼の頭にぐるぐると廻っている。
 稔はベッドに倒れこみ、悶々とした気分を落ち着かせようと、一眠りしようとするが、興奮でまったく寝ることはできない。
(これが、恋なのかな)
 ほんの少しだけ会話を交わしただけなのに、ずっとひばりの顔が頭から離れない。ずっと一緒にいたい。写真に撮りたい。そう思いながら枕を抱きしめるしかなかった。ひばりの笑顔に比べれば、自分が今まで盗撮してきた着替え写真などゴミのようなものだと思えた。
「おーい稔! ちょっと来てくれー!」
 稔が電気の消した部屋でベッドに横になっていると、下の薫の声が聞こえてきた。稔は面倒くさいなと思いつつ起き上がり階段を降りていく。
「なんだよ兄さん。そんな大きな声出して」
「いいから来なさい。ちょっとあんたに仕事頼みたいのよ」
 薫はそう言いながら店の奥からバッグを持ってきて彼に渡した。中に何かが入っているようで、少し膨らんでいる。だがあまり重さは感じない。
「な、なんだよこれ」
「これを捨てて来て欲しい。学園の焼却炉でいいから放置してきな。夜には燃やされるだろ」
「はあ? このバッグを? 中に何入ってるんだ兄さん?」
「知らなくていい。中も絶対に見るなよ。とにかく捨ててこい」
 薫が怖い顔をしているので、これは本当に厄介な物なのだと、稔も理解した。
「またなんかヤバイもん入荷したのかよ兄さん」
「いや……。しょうがないだろ、まさかこんなのが届くとは思わなかったんだよ」
 薫も頭を抱えていた。この店は基本的に無害なオカルトアイテムばかりで、魔術系の異能者も使えないただのファッションやオブジェのようなものだった。だが、たまに薫は裏ルートで、本物のマジックアイテムを入荷することがある。それは高値で売れることもあるのだが、ほとんどがまずいものばかりで、もし学園側にバレたら営業停止、あるいは永久追放される可能性もある。
 だから時折薫は、稔に頼んで処分してもらったりしていた。
「……ふう。仕方ないな。じゃあ行ってくるよ。怪しまれないようにまた学ランに着替えなきゃいけないじゃないか」
 面倒そうに頭を掻きながらも、自分のために働くたった一人の兄の頼みを断ることなんてできるわけもなく、彼は再び学園に向かっていった。







 時刻は午後五時を過ぎたところだった。
 冬は日が沈むのが早いため、ほとんど真っ暗で、紫色の空が不気味に見える。夜でも昼でもないこの時間が、一番恐怖を増大させるものではないだろうか。
 稔も薄暗い焼却炉へと続く校舎の裏側を歩いていてそう感じていた。
(まったく。何度来ても怖いなここは。本当に幽霊でも出そうだ……)
 風にさざめく木の影も幽霊に見えてしまうくらいの雰囲気がそこにはある。早いところ仕事を終えて帰ろうと、稔は少し早歩きになる。
 幽霊、という単語で、稔はひばりとの会話を思い出した。
 最近よく女生徒の幽霊のようなものが目撃されるのだという。それは校舎の至る所で目撃され、出現する場所はランダムのようだ。
 なら今この場に現れもおかしくはない。そんなことを考えて稔は震えを感じぞっとした。
(そういうことを考えるのはやめておこう)
 バッグの手提げをぎゅっと握り、彼は焼却炉へと向かう。
 だが、突然彼の肩に何かが乗せられた。どきりとしてちらりと横目で見ると、そこには青白い手が――――
「うわあああああああああ!」
 稔は叫び声を上げ、思わず全力で駆け出してしまった。
(幽霊だ。本当に幽霊が出たんだ!)
 そう確信し走るのだが、残念なことに運動に慣れていなかった稔は、ちょっとした地面の凸凹に足をひっかけ、見事にすっ転んでしまった。
 ごろごろと地面を転がった後、もうお終いだとばかりに無意識に土下座のポーズをして地面に顔を伏せていた。
「ごめんなさい、ごめんなさい! 許してください! 僕を食べてもおいしくないです。呪わないでくださいぃぃぃぃ!!」
 大声でそんなことを言いながら、稔は幽霊の方向も見ることもできずに震えるしかなかった。だが、
「な、何してるの? 大丈夫?」
 そんな柔らかい声が稔の頭上から聞こえた。
「へ?」
 またもやそんな間抜けな声を発しながら、稔はゆっくりと顔を上げる。すると、そこにはあの綾鳥ひばりの顔があった。
「あ、あ、あああああ綾鳥先輩!」
「あ、キミ昼の屋上にいた……」
「み、稔です。僕は二年の目黒稔です!」
 驚きと焦りで混乱して、思わず普通に自己紹介してしまった。なぜだ。なぜこんなところにひばりが、と、ぐるぐると頭に疑問が湧いてくる。
「……ねえ稔くん。何をそんなに驚いたのか知らないけど、バッグ落ちちゃってるよ」
 ひばりは稔が転んだときに落とした例のバッグを拾い上げていた。
「これ学校指定のと違うね。中に何が入ってるの?」
「うおおおおおお!」
 思わず稔は雄たけびを上げてそのバッグをばっと取り返した。
「ふう……ふぅ……」
(危なかった。僕も何が入ってるか知らないが、誰かに中身を見られるのはまずい)
 そんな稔をひばりはぽかんと見ていた。
「ご、ごめんんさい。別に中を見ようとしたわけじゃないのよ」
「い、いえ。ごめんなさい。折角先輩が拾ってくれたのに。僕ちょっと神経質なんですよ、ははははは」
(最悪だ。絶対変な奴だと思われてるよ。これも全部兄さんのせいだ……)
 じとりとこちらを見ているひばりを見て、稔はただ頭を抱えるしかなかった。
「ねえ稔くん。こんなところで何してるの?」
 ひばりの言葉に稔はどきりとした。
 確かにこんな時間にこんなところにいるなんて普通はありえない。不審に思われてもしょうがない。だがふと、ひばりこそこんなところで何をしているのか気になった。
「せ、先輩こそなんでこんなところに。危ないですよ暗いんですから」
「私は幽霊探しよ。やっぱり幽霊といったらこういう時間帯でしょ、ほら、逢魔時とか言うじゃない」
 呆れた。どうやら彼女はまだ幽霊を探しているようであった。確かに幽霊ならば昼間ではなくこの時間帯に探すほうが的確であろう。しかし、これは逆に稔にとってチャンスであった。
「いやあ。僕もその幽霊を探しにここ来たんですよぉ。だってこことかいかにも出そうじゃないですか」
 稔はそう言って切り抜けようとした。我ながらナイスなアイデアだとばかりに二コリと笑う。
「え、そうなの。じゃあ一緒に探索しようよ!」
「え?」
「私もちょっと怖かったんだ。べ、別に幽霊なんて信じてるわけじゃないのよ。ただ暗いし危ないじゃない。それでも火のないところに煙は立たないっていうし、噂の元になっている何かがあると思うの」
 ひばりは目を輝かせ、稔の手を握ってそう言っていた。
 女の子に手を触れられたことで舞い上がってしまった稔は、本来の目的を忘れて頭に花畑が出来てしまっていた。
「まままま、任せてください先輩。僕もついていきます。僕が守って見せます!」
 顔から湯気が出るほどに熱くなり、稔はそう叫んでしまっていた。ひばりはそんな稔に微笑み続けている。
「あはは。頼もしいね。じゃあ、ちょっとあっちの方も見てこようか。というかあそこが最後なのよ」
 彼女が指さす方向は焼却炉があるところであった。それは稔にとっても好都合である。ついでに捨てて行っても、上手くやればひばりに気づかれることもないだろう。どちらにしろ一人であそこに行くのは怖かったし、もしかしたらひばりといい感じになれるだろうと邪なことを考えていた。
 しかし、少し歩いたところで、二人の視界に妙な物が映った。
「あ、あれ!」
 十数メートル先に、ぼんやりと白く光る物体が校舎の角を横切ったのだった。それはまるで少女のような身体つきで、長い髪をなびかせていた。
 二人は確信する。あれが目撃されていた幽霊なのだと。二人は身体を恐怖で強張らせながらも、引き返すわけにはいかなかった。
「稔くん、今の……」
「は……はい」
 あの先に焼却炉があり、どちらにしろ向こうまで行かなくてはならない。稔は怯えるひばりにいいところを見せるために、率先して前を歩いて行く。
 さっと校舎の角の先を覗きこむ。
 そこには何もなかった。誰もいなかった。
 ふうっと稔は胸をなでおろす。きっと何かの見間違いに決まってる。ラルヴァがいても、幽霊なんているわけがない。そう思い後ろにいるひばりの方を振り向く。
「なんにもないね稔くん」
「はい、たぶんあれはビニール袋か何かが転がってただけですよ。僕たちがこうして怖がってるからそう見えただけに決まっています」
 稔は自分にそう思い込ませるように言った。
 そうだ、幽霊なんていない。あり得ない。
 あとはこのバッグを捨てれこれば仕事は終わる。そうすればこの後、きっとひばりと仲良くできるに違いない。
 そんな妄想を抱きながら、稔は焼却炉のとこまで歩いていく。
「僕はあの焼却炉の中も見てきますよ。先輩はそこにいてください。ゴミの臭いついちゃいますからね」
 しかし、そうカッコつけてまっすぐに歩いて行くと、

「あはははははははははははははははは」

 という声が突然響き渡った。
「な、何?」
「誰だ!」
 驚きのあまり稔は尻もちをついてその場に座り込んでしまった。その甲高い笑い声は、まるで少女のようだが、生きた人間のものとは思えないほど、不気味に木霊している。
 右や左や前や後を見ても何もいない。
 稔は気付く、その声が頭上から聞こえてくることを。
 恐る恐る彼が上に目を向けると、そこには一人の少女が|壁に足をつけて立っていた《・・・・・・・・・・・・》。
 何を言っているのかわからないだろう。稔自身もその光景はありえない、夢だと思いこもうとしたくらいであった。その少女は校舎の壁に垂直に足をつけ、直立していたのであった。黒く長い髪に、不気味に笑う口元、そして爬虫類のような瞳がこちらを見下ろしていたのであった。だが、薄く白く光っているが、幽霊というには肉体がきちんとあるように見えた。足もきちんとある。想像していたものとだいぶ違う。
「こ、これが幽霊……いや」
「も、もしかして……ラルヴァ……」
 ひばりがそう呟いたのを稔は聞いた。
(ラルヴァ。こいつはやっぱりラルヴァなのか。だけど、それはそれでまずいじゃないか。僕たちは異能を持っていない。あれに対抗する力が――ない!)
 稔たちの戸惑いを嘲笑うかのように、その幽霊はニヤニヤとただこちらを見下ろしている。
「ふふふ。お前たちのような馬鹿がたまに引っかかるからこういうことはやめられない。こんな餌に食らいつく馬鹿共め」
 幽霊の声は、段々と少女のそれから、不気味にひび割れたような声に変っていく。稔もひばりも足が恐怖で動かなかった。
 稔たちは知らなかったが、この幽霊は“魔疑似餌《まぎじえ》”と呼ばれる低俗なラルヴァである。それ自身はあまり強い力を持たないが、非異能者か、わずかな魂源力しか持たない人間にしか見えず、おびき寄せて人を食らうというものであった。強い魂源力を持つ異能者には触れただけで消滅してしまうほどに脆弱なラルヴァだが、こうして弱者だけを狙って、その命を永らえていた。
 こうして稔たちのように、好奇心の強い非異能者たちだけを食らってきたのであった。
「久しぶりの食事だ。絶対に逃がさない!」
 そう叫んで魔疑似餌は壁を蹴り、稔の元へ駆け下りてきた。
「み、稔くん危ない!」
 反射的にひばりは稔をどんと突き飛ばした。その衝撃で稔は前に転がり、その稔がいた場所に魔疑似餌は着地をした。それと同時に魔疑似餌は手を地面に突き刺しており、もしひばりが稔を突き飛ばさなければ稔は即死であっただろう。
「あ、ああ……あ」
 突然現れた脅威を前にして、稔はもはや声も出なかった。
「ち、女。邪魔をしやがって。ならそっちから喰らってやる」
 魔疑似餌は稔を突き飛ばした拍子に倒れてしまったひばりに標的を変えた。その指先からは鋭い爪が伸びている。にやりと笑うその口からは四枚ほどに分かれている舌が見え隠れしていた。
「せ、先輩! 逃げて!」
 稔はひばりを助けようと起き上がろうとするが、腰が抜けてしまったようで、また転んでしまうだけであった。
「いや……」
 ひばりも稔と同じように動けなくなってしまっている。そんなひばりを、蛇のようにじりじりと魔疑似餌はゆっくりと近づいていく。
「さて、五十年ぶりの食事だ。ゆっくり味あわせて貰おうか」
 じゃりじゃりと魔疑似餌はひばりへと歩を進めていく。助けはこない。たとえラルヴァ感知システムに引っかかったとしても間に合わないであろう。
 死ぬ。
 殺される。
 リアルな死の実感が稔の体に駆け巡る。
 どうすればいい。どうすれば。
 何を考えても無駄だった。それでも、稔はひばりだけには逃げて欲しかった。稔は、ひばりに向かっていく魔疑似餌に向って叫ぶ。
「おい化け物! こっちを向け!!」
 稔は自分の方に振り返った魔疑似餌相手に、手に持っていたあのバッグを思い切り投げつけた。魔疑似餌は少しだけ眉を上げたが、特に気にすることなく、その鋭い爪でバッグを細切れに引き裂いた。
 だが、稔の狙いは魔疑似餌の興味を引かせるためだった。
「今だ先輩! 早く逃げて!!」
「で、でも!」
「いいから早く!」
 魔疑似餌がバッグを切り裂いている間に、ひばりに逃げて貰うために稔はバッグを投げつけたのであった。
 稔の叫びと共になんとかひばりは立ち上がり駆け出した。
「小賢しい!」
 すぐにそれに気付いた魔疑似餌は、口から何か液体を噴き出して逃げるひばりを狙った。それは唾液を凝固させたもので、石のように硬く、凄まじいスピードで彼女の背中に当たった。その衝撃でひばりはそのまま倒れこみ、気絶したように起き上がらない。
「余計な真似を……」
 魔疑似餌は怒りを露わにしながら稔を睨みつけていた。まさに鬼のような形相で、もはや人間味のかけらも感じさせない。
 稔は絶望した。
 もはや手の打ちようもない。
「やはりこのガキから殺すべきか。あっちの女はしばらく目を覚まさないだろうしな」
 そう言いながらゆっくりと今度は稔へと向かっていく。
 もう駄目だ、そう思いながら突っ伏すと、稔の視界にあの切り裂かれたバッグが見えた。そこから中身が出てきてしまっているを見る。
 それは黒い、まるでゴムのような布切れなのだが、よく見るとそれはゆっくりと動いていた。その黒い物体はひばりの方へと向かっていた。
(なんだあれ……?)
「おい小僧。どこを見ている。恐怖で私の姿を見ることすらできないのか?」
 稔がその黒い物体に目を奪われている隙に、魔疑似餌はもう稔の目の前にまでやってきていた。
「安心しろ。痛みを感じる暇も感じさせずに殺して喰らってやる」
 魔疑似餌はその尖った爪の腕、振り上げ、稔の頭に狙いを定めた。
 死ぬ。
 これで死ぬんだ。
 何もいいことなかったな、と稔は自分の人生を思い出していた。両親がラルヴァに殺され、兄さんと一緒にここに引き取られたのだが、結局ここでの生活になじむことはできなかった。
 人を好きになったことが無かった自分が、守りたいと思った少女に出会えたのに、こうし結局彼女を守ることなく死んでいく。
 それだけならまだいい。自分が死んだあと、間違いなくひばりも殺されるだろう。そう思うとやり切れなかった。
 涙が溢れて止まらない。こんなに急に、理不尽に殺されるなんて。
 キッと目の前の化け物を睨みつけるが、魔疑似餌はお構いなしに最後の一撃を稔に向って振りかざした。その瞬間稔は目をつぶってしまう。
 そしてその魔疑似餌の鋭い爪は、稔の頭を粉々に砕いた――――はずであった。
「え?」
 数秒待っても何も起きず、稔は眼を開け魔疑似餌の姿を見る。自分に当たる直前で、魔疑似餌の爪は止まっている。
「な、なんだ……。身体が動かない!」
 そこにはまったく動くことができずにもがいている魔疑似餌の姿があった。稔には一体何が起きているのか理解できなかった。
 だが、自分の命が助かったことだけをただ理解していた。
 よく魔疑似餌の身体を見ると、何か黒い糸のようなものが巻きついている。それこそが魔疑似餌の動きを止めているものであった。
 その糸はさらに強く魔疑似餌を縛り付け、まるでハムのように身体を縮こまらせてく。
「うごおおおお! なんだ! 誰がこんなものを!」
 糸が魔疑似餌の肌に食い込み凄まじい激痛を与えている。その糸はラルヴァである魔疑似餌の力でも振りほどくことはできなかった。
 稔はその糸が一体どこから伸びているのか、その根元をたどっていく。その黒い糸は遠くから伸びている。
 稔はその糸が伸びているところを見て絶句する。
 それは倒れているひばりの右手からであった。
 しかし、不思議なことはそれだけではない。いつの間にかひばりの右手には真っ黒な手袋がされていた。まるでゴムのような手袋が肘よい上までつけられている。そんなものはさっきまで明らかに無かった。
 だが、間違いなくその糸はひばりのその手袋から伸びているものであった。
 魔疑似餌もなんとか首だけを動かし、ひばりの方へと視線を向ける。
「な、なんだ。何が起きている……」
 気絶していたはずのひばりは、ゆっくりと立ち上がり始めていたのであった。彼女は右手で糸を支えながら、左手で眼鏡をはずし地面に放り投げる。
 立ち上がり、ようやく見えたそのひばりの顔は、稔の知っているあの朗らかな彼女の面影はない。
 悪魔のように冷徹な視線を魔疑似餌に向けているだけである。
「ふう、この服は少し息苦しいわね」
 そして何を思ったのか、ひばりは自分の来ている制服を、左手で脱ぎ始めたのであった。最終的にはスカートまでも脱ぎ棄て、稔は思わず彼女のその姿に見入ってしまう。
 だが、制服を脱いだひばりは下着姿ではなかった。
 彼女は実に奇妙な格好である。まるでSM嬢のような真っ黒なボンデージファッションを身に着けていたのであった。とてつもなく露出度が高く、ほとんど局部だけを隠しているようなものである。
 着やせするタイプなのか、意外にも胸が大きいのを見て稔は驚いていた。
 いや、そんなことを言っている場合ではない。ないが、それでも稔はもうこの状況が喜劇にしか見えなかった。しかし魔疑似餌にとっては笑いごとではなく、
「な、なんだお前はああああああ!」
 そう叫びながら魔疑似餌はあの唾液をひばりに向って発射した。だが、その唾液は、ひばりの左手からさらに伸ばされた糸によって切り裂かれてしまう。その切り裂かれた凝固している唾液を見て、魔疑似餌は自分もこんな風にされるのではないかと悟る。
「や、やめてくれ! 殺さないでくれ! 私はこうして細々と生きてきたんだ! 早くこの私を解放しろ――いや、離してください、もう悪いことはしないから! 私は弱いラルヴァなんだ、害なんてない!」
 動けなくなりどんどん締め付けてくるその糸に死の恐怖を感じていた。無茶苦茶な命乞いを必死にするも、ひばりの眼は相変わらず死にゆく虫ケラを見るように冷たいものであった。
「だめよ。何を言っても許さないわ。なんてったってわたくしは残酷主義者《サディスト》ですもの。さあ、天国にイカせてあげるわ化け物」
 まるで死刑宣告のようにひばりはそう告げる。
 魔疑似餌を縛り付けていた糸はひゃうんという音を発し、その音と共に稔は目の前の魔疑似餌の体が少しずつズレていくのを見た。最後にはその身体が何分割もされて、血と臓物をまき散らせながら飛び散っていく。魔疑似餌は断末魔を上げる暇もなく、バラバラに解体されてしまったのである。
 近くにいた稔にもその血は飛びかかり。リアルな血の臭いが体に染みついていく。
「ふう、久々に飲んだわ、化け物の血を」
 一体何が起きたのか稔には理解できなかった。血と臓物の臭いで吐き気がこみ上げてくる。混乱で何も考えることはできない。
 まるで別人のように豹変し、ラルヴァを八つ裂きにしてしまったひばり。返り血を浴びて微笑を浮かべる彼女の姿はまるで悪魔のようであった。
 だが、稔はその悪魔のような少女に睨まれ、言いようのない気持ちよさを感じていた。圧倒的強者に従属する快感を覚えていたのであった。
 これこそが夜の女王と、その下僕たる少年の初めての出会いである。


Part・2へつづく








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