【七の難業 五】


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 導花が案内されたのは複数クラスが同時に同じ授業を受けるための大教室だった。
 どういうわけか大学でよく見られるタイプの造り、全体として傾斜のついた扇状になっており一番底の教壇を囲むように段々に机が配置されている造りのその教室には何の仕掛けもなく、ただ教壇の上に一人の男が目を閉じて結跏趺坐しており、その後ろにまるで時代物のドラマで使われるような『幻砦』の二文字が描かれた旗指物が立っているだけである。
 導花は気分よさげに息を漏らした。他者を見下すという行為には本能的に気分を高揚させるもの。教える方が教えられる方に見下されながら授業をするなんて私には到底耐えられませんわ。
「よく来た、我が『幻砦の難業』へ。我が全身全霊をもって築いたこの迷宮城、陥とせるものなら陥としてみろ」
「迷宮城?」
 妙に大仰でかつどこか子供じみた単語に一瞬面食らう導花。
「さよう。汝が立つその場を除き、この学舎は全て我が異能による不可視の城壁で満たされている。だがしかし、我が迷宮と宣した通り、この城壁には迷路と化した通路が穿たれているのだ。それを抜け、我が前まで至って旗を奪い、見事この迷宮城を陥とすこと叶えば汝の勝利である」
 ふうん、と素っ気無く返し、導花は教室を見渡した。導花の目には何も無いように見えるが、そこには確かに一郎の異能が張り巡らされていた。
「もっとも、貴様に、いや誰であろうとこの堅城を陥とすこと叶わぬだろうがな」
 〈ミストキャッスル〉。その名を持つ一郎の異能は周囲に不可視の壁を自在に構築することのできる異能である。今その展開範囲は彼の言うとおり学舎…つまりはこの大教室全体に及んでいた。痩身と馬面が相まってのひょろ長いという威圧感とは正反対の第一印象にもかかわらず、確かにこの場には何もないように見えるが重々しい空気が漂っていた。
 もっとも、事前に駒一つを犠牲にしたことでこの位のことは導花には既に見当がついている。
(さて、どう料理してやろうかしら)
「制限時間は十五分。なお、以後この学舎から出ることは禁ず」
 割り込んできた声に導花は思わず失笑を漏らした。
「かつて醒徒会選挙に出馬をしたこともあるこの私が、たかが無名の異能者ごときにそのようなせこくて芸の無いことをするとでも思いましたの?」
「ふむ、我が名を知らぬば教えてやろう」
 す、と座禅を組んだまま一郎は背筋を伸ばし
「クロダ・アイン・エスダートルム・ニネヴェ・アークドゥルガー」
「嘘つきやがれですわ黒田一郎」
「その名は言うなぁ!」
 座禅への傾倒から自らの平凡な名前へのコンプレックスを糧に斜め上にステップアップし(駄目な方向の)オカルトにはまっていた、それがクラスメートですら知る由のない一郎の正体だった。


「ルールはそこに書いとる通りや。よう読んどきや」
 スピンドルからの説明はこれだけだった。
 彼がこの双葉学園島で活動する際の滞在拠点の一つである裏カジノ。聖痕とは関係ないそこを宿代わりとする対価としてバイトのディーラー兼バウンサーとして店に出ていたことがあるのだが、そこで偶然嵩志と知り合ったのが今回彼が番人にスカウトされたきっかけだった。
 もっとも、このスピンドルという男、元来普通に誰かの手足となって働くような立場に馴染む人間ではない。
 『円舞の難業』の番人となる条件として(基本的に)自由に動いてよいという言質を得るや、七の難業にもほとんど参加せず気ままに文化祭を堪能していた。
 嵩志も頭を抱えたもののもうどうしようもなく、この事実を修たちも伏せ、同時に『円舞の難業』を後半の六番目に回すことでどうにか余計な騒ぎが起きるのを回避した。
 そんなわけで仮にスピンドルがいたとしてきちんとルールを解説してくれるかに確信が持てなくなった嵩志が取るものもとりあえず作成したのが、今唯笑が手に取った冊子である。
 そういうわけなのでスピンドルの適当な態度とはまるで違い、その内容は簡潔かつ明快だった。
 形式としてはヨーロピアンスタイルのルーレット(1から36までと0がある)だが、ルールはかなり簡略化されている。
 ・ 各プレイヤーは数字を一つだけ指定してベットすることができる。
 ・ ベットした数字のポケットに球が入れば賭けた分の倍のチップを受け取ることができ、それ以外の場合は賭けたチップは没収となる。
 ・ 一回にベットできる上限は現在持っているチップの半分までである。
 ・ ベットの宣言はどちらからでも好きな時に行うことができる。ただし一度宣言したら変更は不可。
 ・ 後にベットを宣言するプレイヤーは先に宣言したプレイヤーが指定した数字にベットすることはできない。
 ・ 各プレイヤーは一投ごとに必ずベットしなければならない。
 ・ ゲーム終了時に挑戦者のチップが番人のチップを上回っていれば挑戦者側の勝利となる。
 要約すると概ねこんな感じのルールとなっていた。
「よく分かったわ。お互い楽しいゲームになるといいわね」
「そやな」
 一度ざっと目を通し、唯笑は冊子を置いた。
「ほならいくで。お嬢ちゃんはどないする?」
 唯笑が小さく首を振ると、スピンドルはホイール(ルーレット盤)を回しその中に球を投げ込んだ。
「そうね、19に5枚賭けるわ」
「それやったら俺はラッキーセブンの7に50や」
 二人が見守る中、球はホイールの上で幾度となく円を描き、やがて全ての運動エネルギーを使い果たしてポケットの中に落下した。
「まずはいただきやな」
「あらあら」
 スピンドルは7のポケットに落ちた球を拾い上げ、チップを手元に引き寄せる。
 それから数投ほどゲームが進んだが、スピンドルはその全てを的中させていた。
 魂源力を物質に浸透させて回転させる、これがスピンドルの異能である。回転するホイール、回転する球、このルーレットという場は正に彼の絶対領域と言っても過言ではない場であった。
「うーん、手も足も出ないわね。困ったわ」
 首を傾げる唯笑。
「こっちはそんくらいでちょうどええわ。じゃあ次いくで」
「それじゃあ、次は20に40枚賭けるから『20に入れてもらえるかしら』?」
「ああ、了解や」
 スピンドルは球を放り込み、そして球は唯笑の望みどおり20のポケットに落下した。
「…ってなんじゃこりゃあ!?」
 驚くスピンドルを見て唯笑はころころと笑う。
「どうやら私に風向きが向いてきたようね」
「成程なあ、手も足も出んなら口を出すってわけかい。思わず感心してもうたわ」


「大丈夫かい、委員長?」
 教室に戻ろうとして同じく戻ってきたばかりの修と出くわした直は、両腕がほぼ湿布で埋め尽くされた修の様を見て心配そうに問いかけた。
「それはこっちの台詞だよ!」
 右腕が包帯で固められ、更に三角巾で吊られた直の様を見て仰天した修は思わずそう叫んだ。
「委員長は心配性だね。まあ自業自得みたいなものだし、別に大したことはないよ」
 けろりと言ってのけた直だったが、その表情はすぐに曇り、申し訳なさそうに言葉を続けた。
「それより面目ない、こちらはどうにか引き分けに持ち込むのが精一杯だった」
「皆槻君が全力で戦った結果なんだから気にしないよ。僕としては怪我しないでくれるほうが助かったんだけどね…」
 そう直を慰めた修は溜息をつきながら教室の扉を開こうとし、そこで自分の両腕の状態を思い出す。それを見て取った直が後ろから静かに手をのばし扉を開いた。
「…閑散としてるね」
「お、お帰り。ついさっき百目鬼と蛇蝎先輩が出たとこだかんねえ」
 思わず修の口からこぼれた言葉に椅子に身を預けてだらけていた昭彦が答える。
(確かに…)
 修に続いて教室に足を踏み込んだ直は思わず心の中で頷いていた。今この受付/控え室にいるのは今入ってきた修と直、受付係の昭彦を除けば隅っこで丸まっている綾里と徹夜の疲労が一気に押し寄せてきたのか椅子に座りながら爆睡中の克巳だけである。
「もうそこまで進んでるのかい?」
「うんにゃ、今は『幻砦の難業』と『円舞の難業』が始まったくらいのとこ。戦況はこっちが押され気味だが、百目鬼にはこっちが勝つ未来しか見えてねえらしいや。自分の難業の準備でもする気なんだか蛇蝎先輩連れて行っちまった」
「押され気味…というと陣台君も三墨君も負けたのか…」
 自分の分を含めて二試合分の結果を知った上で「押されている」とのことならその結論しかありえない。その推論を昭彦は小さく首を振って肯定した。
「陣台もちさっちも相当ショックだったらしくてまだ自分のとこの会場から出てないってさ」
「そう、か」
 何か違和感のようなものを抱えつつもその正体に手が届かないもどかしさを感じながら手近な椅子に腰を下ろす修。すぐに横から小さな音が響き、目をやると直が隣の椅子に座っていた。
「こんなことを言うのはまだ早いかもしれないけれど、私を七の難業に誘ってくれて本当にありがとう。感謝している。こういう場で皆と一緒に何かをすることがこんなに楽しいなんて今まで知らなかったよ」
「皆槻君はもうちょっと積極的になったほうがいいよ。勿体無い」
(なんでそこで即説教モードなんかねえ?)
 横目で眺めていた昭彦は心底呆れていたが、同時にだからこそ修ちゃんらしいな、とも思っていた。少なくとも、上背と強力な異能を兼ね備え戦闘狂と揶揄されることもある変人相手に純粋に善意からこんな口をきける人間は学園広しといえどもそう多くはないだろう。
「確かに、そうかもしれないね。私も随分と人生を損していたものだなあ」
「何を言ってるんだい、まだ来年があるよ」
(…?…!)
「そうか、そうだよね」
 小さく何度も頷く直。だが、先程から引きずっていた違和感の意味を悟った修はそれに気を向けることすら忘れていた。
(ここはもう中心じゃない)
 主人公というには語弊があるし主観的な心理にも即さないが、少なくとも修は自分が七の難業という事態を動かす中枢に食い下がっていると今の今まで信じていた。
 少なくともそれは全部が全部勘違いだったというわけではないが、今の時点でいえば事態は完全に彼の元から離れていたのだ。
(どうしよう)
 と考えても打つ手はない。既に彼は事態をどうにかする力を、流れの中心に留まり続けることを奪われてしまったのだから。
 もはやこの先のことを傍観するしかない修の困惑と焦燥をよそに、事態は最終局面へと突入しつつあった。


「まあよろしいですわ」
 瞬間、導花の身体が宙を駆けていた。まるで瞬間移動を使ったかのような鮮やかな動きで金属製の定規が導花の手中に納まる。空中で数条の白光が煌めき、導花はそのまま数段下に着地した。
「…無粋な」
 眉をひそめる一郎。迷宮城の主たる彼には目を閉じていても異能で作られた壁を切り裂き押し入る狼藉がはっきりと知覚できていた。
「間抜けなパントマイムを必死で演じさせてそれをただ眺める、なんて高尚な趣味ですこと」
 馬鹿馬鹿しくて付き合っていられませんわ、とお得意の毒舌で切って捨てる導花に一郎の頬が怒りに紅潮する。
「ならば我の方が汝の野蛮なやり方に合わせてやろう」
 辛うじて怒りを押し込めたい一郎はそう言い放つと呼吸を整え〈ミストキャッスル〉の壁の配置を一変させた。
 その変化も、変化後の状況も人間の目では捉えることができない。だが、もしそれを視覚化することができるのなら、現在のこの大教室を占拠する小山のようなものと今現在穿たれつつあるトンネルを見ることができるだろう。
 勿論、小山とは直接防御形態に移行した〈ミストキャッスル〉の防御壁であり、トンネルの先には定規を振るい続ける導花がいる。導花のあらゆる鉱物を鋭利に変化させる異能で極限まで強化された金属製の定規は〈ミストキャッスル〉の防御壁などものともしない力を有していた。だが、壁から土塁へと変じた〈ミストキャッスル〉に、彼女の歩みの速度は確かに低下していた。
 まともに動くこともできないくらい深く精神集中しないと満足に異能を維持することが困難という致命的な弱点故に出撃することもほとんどなく、結果として無名の存在だった一郎。
 その解決策として与えられた座禅を始めとした様々な精神修養も異能の安定した制御には全く益をもたらさなかったが、その代わりに出力だけは大きく上昇していた。
 後のことは考えなくていい、と崇志にそう言い含められている。その言葉の通りこの一戦で魂源力を使い切るペースで異能の壁を展開していた。
 それでも導花を押し留めるには及ばない。だが、一郎の顔にはやや余裕が戻りかけている。
(紙一重、だが)
 何とか時間いっぱいまで耐え切ることはできる。そう、最後に笑うのは…
「君こそ勇者だ」
 欠陥能力者と目されていた自分に初めて与えられた正当なる評価。その慧眼を持つ賢者たる百目鬼崇志の要請に応えて自分は立った。守りの力を持つ勇者たる自分の力を学園中に知らしめるには絶好の時と場所。流石博識の賢者、全てのお膳立てをした崇志にはいくら感謝をしてもし足りない。
 頼れる仲間を得た勇者に敗北の二文字はない。完全に自信を取り戻し、一郎は意気軒昂に宣言した。
「最後に笑うのは…正義の勇者だ!」


 軽快な擦過音だけが響き渡っていた。ルーレット盤の上を球がぐるぐると回転する音、その規則正しいリズムが時折不意に揺らぐ。
 円盤の上を除いて動きが凍りついたかのようなこの部屋で密かに進行する熾烈なせめぎ合いの、それは氷山の一角と言うべき結果の切れ端に過ぎない。
 再び、リズムが一瞬崩れた。良く目をこらさなければ分からないが、この時ルーレット盤の上では球の軌道が微妙にずらされようとしていたのだ。
「悪い子ね。『球においたしちゃ駄目よ』」
 唯笑が静かに放った言葉と共に、球の軌道は元に戻り、再び規則正しいリズムが再開される。
(やっぱあかんか)
 スピンドルががくり、と頭を垂れ、少しして球は唯笑が望んだポケットに落下した。
「あら、またまた私の勝ちね」
 うきうきと告げる唯笑。その白々しい言葉に反駁するかのように、突如動きを止めたはずの球が回転を始めた。回転の速度はものすごい勢いで上昇し、やがて軽い音と共に縁に跳ねて唯笑の方に弾き飛ばされた。
「まあ、怖い」
 言葉とは裏腹には軽々と球を避ける唯笑。さっきまで彼女の頭があった場所を突き抜けた球はそのまま窓ガラスを破って消えていく。
「努力する姿勢は立派だけど、あまり駄々をこねるのは悪い子のすることよ?」
「ええ子なんて柄やないから構わへんわ」
 とすかさず減らず口で返すスピンドルだったが、客観的に見れば彼の劣勢は否めないところだった。
 既にチップの額は逆転されている。今し方試したようにで球の軌道を動かしたり間接的に攻撃しようとしたりとさまざまな手は打ってあるのだが、そのことごとくが封殺されていた。そして時間もほとんど残されてはいない。
「球が無くなっちゃったけど、これで終わりなの?」
「心配すんなや、替えはちゃんと用意しとるわ」
「良かった、せっかくだから時間いっぱい楽しみたいものね」
 唯笑の表情はこの教室に入ってきた時から変わらぬ余裕の表情だった。
(次はどんなことをしてくれるのかしら、あの子は)
 追い込まれたこの相手がどう噛み付いてくるのか、唯笑は純粋にそれを楽しみにしていた。これまでの抵抗は予想の範囲内の面白みのないものだったが、何故か何かをしでかしてくれるんじゃないかという予感がある。
 裏醒徒会チームの一員としては本末転倒な考えであったが、唯笑は気にする様子もなかった。あるいはそれは声一つで大抵のことはなんとでもなる異能を持っているが故の、予想外のことに対する渇望とも言える欲求なのかもしれない。
(何かしてくるでしょうから、こちらも備えておかないとね、一応)
「次は9に上限いっぱいね。というわけで『9に入れてくれると嬉しいわ』」
 その欲求を自覚しているのかいないのか、唯笑は手を緩めることなく命令を下す。今までのペースからみると残りは後二投。チップ差もまだ小さく、ここは差を広げるためにこの手しかない。
 スピンドルは黙って机の中から小さなケースを取り出した。だが彼の手は中にある幾つかの球の上をさまようばかりで中々取り出そうとしない。
「もう小細工は見飽きちゃったわ。『すぐに球を取り出して投げてくれない』?」
 拍子抜けとばかりのがっかりとした口調で告げる唯笑。
「…わかったわ」
 スピンドルは諦めたように手を下ろし、触れた球をそのまま手にする。無造作に投げられた球がホイールをぐるぐる回る中、唯笑が小さく眉根を寄せた。
 これまでと異なり、球の速度が一向に遅くならない。
「『元に戻して』」
「もうやっとる。けどなあ、あれこっちの操作受け付けへんわ」
「!?」
 一瞬よりもほんの僅か、唯笑の顔に驚愕が浮上する。目敏くそれを捉えたスピンドルが含み笑いを浮かべた。
 全く落ちる気配もなく球はホイールを回り続け、時間だけが消費されていく。やがてスピンドルがようやくベットを告げた。
「俺は0に…一枚賭けるわ」
 唯笑の目を覗き込むように告げるスピンドル。その意味を察した唯笑が口を開こうとしたが、
「もう遅いで」
 スピンドルがそうほくそ笑む。同時に、たった今までホイールを回転していた球がその場で高速旋回を始め、下から叩かれたかのように宙に飛び上がった。
 ホイールの上で緩やかな軌道を描き降下した球はホイールの中央に着弾、ドリルのように回転し数センチほど中に食い込んでようやくその動きを止めた。
「あかん、もうこうなったら俺の異能でも手が出せへんわ。どないしよ」
 あからさまな慌てている演技と共に棒読みで告げるスピンドル。ルールによりどちらの指定した数字のポケットにも球が入らなかったので双方共にベットは没収。チップの半額を失った唯笑と一枚のみしか失わなかったスピンドルのチップ数は再び逆転しており、そしてゲームの終了を知らせるベルが鳴り響く。
「お、ちょうど仕舞いやわ。いやー、ほんま惜しかったなあ、お嬢ちゃん」
 スピンドルはがらりと表情を変え、ニヤニヤ笑いと共に自らの勝利を宣言した。


「十五分ですか。どうにも時間が足りませんわね」
 剣速は緩めぬまま、導花の口から途方に暮れたような呟きが飛び出した。
「ようやく気付いたのか」
 意趣返しとばかりに揶揄する一郎だったが、そんな言葉など耳に入らぬ風で導花の言葉は続く。
「まあ仕方ありませんわ、少々時間がこころもとありませんがロスタイムに期待するとしましょうか」
「はぁ?」
 『幻砦の難業』にロスタイムの余地など存在しない。ただただ困惑する一郎をよそに、導花の言葉は更に続けられる。
「異常に気付くまで三分…いえここは余裕を持って二分にしましょう。飛び込んできた係員の生徒たちを沈黙させて十五秒マイナス」
 ロスタイムとやらの意味は理解できた。こいつは制限時間の後のことを考えている。…何故?
「本部が気付いて連絡して不通なのに気付くまで…三分くらいなら大丈夫でしょうか。そこから人員が急行するまで走って六分。叩き潰すのは簡単ですが、風紀委員も確実に呼ばれるでしょうから多少厄介ですわね」
 導花の口調は徐々に熱に浮かされたようなものになっていく。
(この女先程異常がどうとか抜かしておった。それに係員を沈黙させるとかどうとか…)
「無事に退却できるかどうかのリスク面を重視するかそれともこちらの楽しみというメリット面を重視するか、難しいところですわ」
「おい、貴様!さっきから一体何を言っているんだ!」
 苛立ちを隠そうともしない一郎の叫びに、ようやく彼の存在に気がついたかのように導花の言葉が止まり、
「まだ気付いていないんですの」
 と冷ややかな言葉が投げかけられた。
「勇者だとか正義だとか気持ち悪いことばかり言っている誰かさんに私を不快にさせた罪を執行する算段を考えているのですわ」
「おい待て!そんなことをしてもこの難業の勝敗には関係ない、無意味だ」
「言ったはずですが?」
 導花の言葉が鋭利な刃物となって一郎の言葉を切り裂く。
「こんなゲームなどに馬鹿馬鹿しくて付き合っていられない、と」
 予想外の不合理な反応に動揺し、一郎は導花の真意を確かめようと目を見開いた。
 見開いてしまった、と言うべきかもしれない。それはそう言うべきほどに致命的なミスだった。
「…ひっ!」
 反射的に身体が竦みあがる。人間に有害な波動を発しているかのような目力を感じる見開かれた瞳。ひきつれて強張った唇。恐るべきことにそんなパーツを集めた全体像は笑いかけていると強弁できる余地がなくもないものになっているのが更に迫力を倍化させている。そしてそんな顔の下では定規を握り締めた腕が削岩機のように不可視の壁を削り続けていた。
 目を閉じていたことで文字通り外界との間に一枚壁を設けていた一郎にとって、突如として目から流れ込んできた自らに対する敵意の情報の波は完全に手に余るものであった。
「ああ、間違えましたわ」
 そんな一郎に導花は授業のノートを他の科目のものと間違えた程度の気安い調子で追い討ちをかける。
「言っていることが気持ち悪いと思っていましたけど、気持ち悪いのはその声自体でしたわね。それでは最初に喉から潰すことにしましょうか」
 喉のあたりが生暖かい感触に包まれた。無意識のうちに喉をかばうように手が置かれていたのだ。
「無様に逃げ回られても興醒めなので次は足の腱を切らせてもらいますわ。ああ、できるだけ痛くないようにしますから安心していいですわよ。気絶されても面白みがありませんし」
(なんなんだ、なんなんだこいつ)
 実践の経験などないに等しい一郎にはこういう時精神の平静を保つ心の「芯」といえるものが存在しない。強風に晒されたように心は揺らぎ、そして強固なはずの防御壁も集中の乱れで揺らいでいく。
 導花の歩みの速度が僅かにだが増していく。にい、と導花の唇が吊りあがった。ただそれだけでその意図は十分すぎるほどに伝わり、一郎の心はまた乱れていく。
(あいつが殺す側、俺が殺される側、あいつが殺す側、俺が殺される側、あいつが…)
 今の一郎は蛇に睨まれた蛙という言葉を体現したかのような様であった。正義だとか勇者だとかそんな言葉は欠片も残さずに掻き消え、自分が貪られるだけの存在だという認識だけが何度も何度も上書きされる。
「ま、まだ死にたくない…」
 思わず出てきた言葉に痺れたように停止していた生存本能が活性化し、目だけが忙しなく動いて活路を探索する。
(あれだ!)
 教壇から最も近い出入り口が目に入った瞬間、一郎は弾かれるようにそちらに向けて飛び出していた。
「うううぅぅぅぅああぁぁぁあぁぁ!!」
 「死」から逃れようと必死に走る一郎。情けない叫び声を上げ腰を抜かしながらこけつまろびつなその姿には目もくれず、導花はぴたりと立ち止まった。
 さっきまでとはうって変わってつまらなそうな表情で定規を投げる導花。きれいな放物線の軌道を描いた定規は旗指物を断ち切るとその後ろの黒板に深く突き刺さった。
 騒々しい音と共に一郎が大教室から抜け出し、導花一人だけがその場に残される。
「案の定、ガラスのように脆い精神でしたわね」
 導花の顔に最上の笑顔――他者を陥れた時に見られるもの――が浮かび上がった。
「随分と護りの堅さを自慢していたみたいですが、守る人間の心がこうも脆くては『堅城』を名乗るなどとてもとても」
 こと城に関して辛口なのは、あるいはかつて代々軍師を務めていたという家の血の影響もあるのかもしれない。
 ともあれ、これ以上この場に用のない導花は定規を回収すると小さくのびをし、後は何も目もくれずに立ち去った。
「いいエクササイズ程度にはなりましたか。まあ、そうでもしないとこの世に存在する価値がないというのがそもそも問題ですが」


「どういうことなのかしら?」
「トリック教えてくださいーなんて聞かれてぺらぺらしゃべるマジシャンなんておるかいな」
 人を小馬鹿にしたニヤニヤ笑いで答えるスピンドルを唯笑の笑顔が迎え撃つ。
「…って思うたけどよう考えたら俺マジシャンちゃうかったわ」
 せやからそない物騒なこと思いついたみたいな顔は勘弁してや、とスピンドルは肩をすくめた。
「俺はこれでも回転に関しては一家言を持っとる。回転のゲーム、このルーレットでなら誰が相手だろうと負ける気なんてせえへんわ。まあお嬢ちゃんみたいなズルしてくる場合を除いて、やけどな」
「球の動きを操れるあなたにズルなんて言われるなんて心外だわ」
「ははは、それは痛いとこ突かれてもうたな。まあそれはこっちに置いといて、と」
 箱を横に持っていくお約束のパントマイムを見せ、スピンドルは話を続ける。
「お嬢ちゃんも見ての通り、俺は物質に魂源力を浸透させて回転させることができる。それのちょっとした応用でな、こんな時もあろうかと用に今使った球にあらかじめ簡単なプログラムを魂源力と一緒に仕込んどいたんや」
「それであの時球を外に放り出して交換したのね。…ってそんな中途半端な説明で納得できると思う?」
 笑顔の奥に「怒ってるわよ」という意思を込めた表情のメッセージを送る唯笑。
「わかっとるて。ちゃんとこれから説明するさかいそんな急かさんといてえや」
 スピンドルは「わーったわーった」とげんなりした様子で押し止め、溜息を挟んで話に戻った。
「ええと、どこまで説明したんやったかいな。…ああ、要するにお嬢ちゃんはなんで自分の催眠に逆らって仕込み入りの球を投げることができたんやって言いたいんやろ?」
「そうね、後学の為に教えてほしいわ」
「ぶっちゃけ、俺はお嬢ちゃんの催眠を打ち破ったわけやないで」
「え?」
「嘘ちゃうて。だからその声使うの止めてえな」
 かなわんわ、と小さくぼやくスピンドル。
「あん時球取り出すのに時間かかっとったやろ?あん時俺は球を捜しとったんや」
「だからそれがどうして」
「逆やで」
 流石に少々焦れてきた唯笑をスピンドルはにいと笑って制する。
「俺は仕込みがない球を探してたんやで。お嬢ちゃんの言うとおりにな」
「え…?」
「他の球にもな、同じように魂源力だけを浸透させといたんや。俺自身にもぱっと見じゃ区別つかんように気いつけてなあ」
「それを何か小細工をしていると誤解して…」
 というより、これまでの小細工の連続で気付かぬうちにそう考えるように誘導されていたのだろう。しかし。
「でもおかしいわ。自分でも分からないのにどうして仕込み入りの球を引き当てられたの?」
 いや、そもそもどれが仕込み入りの球か分かっているなら、望む場所に球を落とすという催眠を破らない限りそれを投げることなどできないはずなのだ。
「そこまで分かってるんやったら答えは一つやろ?」
 そんな唯笑の思考を見透かしたかのようにスピンドルはぐい、と彼女の方へ身を乗り出す。
「俺はただそのとき触れていた球をそのまま投げただけや」
「そんな、まさか…」
「そうや、そのまさかやでお嬢ちゃん。仕込み入りの球を引き当てたのはただの偶然や」
「ありえないわ」
 それは否定の言葉というより、むしろそんな運を天に任せるような手に敗れたことに文句を言うような感であった。
「世の中、最後にもの言うのはツキやで」
「そんなの、結果論じゃない?」
「そうやな。でもな、俺はそうやって勝ち続けてきたんや」
「……」
 陽気な顔の奥底で膨れ上がる凄味。隠されているが故によりはっきりと浮かび上がるそれが、如実にスピンドルの言葉に重みを与えていた。
「納得してへんようやなあ。それやったら言い方変えるわ」
 瞬時に凄味は消え去り(もしくは唯笑にも見て取れない領域に後退し)、スピンドルは大きく乗り出していた身を深く椅子に沈め愉快げに言葉を紡ぐ。
「俺はどうやら悪運の女神はんに愛されとるみたいでなあ、悪いことすればするほどツキが回ってくんねん。お嬢ちゃんも魅力的やけどちいとばかり女神はんには及ばんかったみたいやな、…これでええか?」
 何が可笑しいのか口に手を当てて必死に笑いをこらえながら語るスピンドル。
「ふふ」
 と唯笑もそれにつられたように微笑む。醒徒会しかり裏醒徒会しかり、彼女の力でも容易く思い通りにならない存在は彼女にとって良い興味の対象――その「興味」の内実は他ならぬ彼女自身を除いて知りようのないことではあったが――であった。
「でも、相手が女神様でもそんな言い方されたらちょっと傷ついちゃうわ」
 可愛らしくふくれてみせる唯笑の瞳がほんの一瞬す、と細くなる。
「だから、『…
 発されようとした力ある言葉が、全周からサラウンドで響く破裂音にかき消される。全ての電球が破裂し、瞬時に教室を満たしていた光が闇に転じた。唯笑は窓の方に歩み寄ると暗幕を外すが、差し込む光の中にスピンドルの姿はない。
 それはもう予期していたのであろう、ガラス片に気をつけながら暗幕をきれいに畳み始める唯笑の背中にとぼけた声がかけられる。
――綺麗な薔薇には棘があるってよう言うけど、棘があるから綺麗なんかもしれんなあ――
「面白い意見ね」
 声はすれども姿は見えず。それは見ずとも分かっているのだろう、唯笑も手を止めることもなく背中越しに聞き入っている。
――ホンマならもうちょっと棘つついてみるんも面白そうやけど、運を司る女神はんはみんな嫉妬深いもんって相場が決まっとるさかいなあ。残念やけどここらでさいならさせてもらうわ。結構愉しかったで、ほなな――
 そして僅かばかりの気配も完全に消えた。唯笑は小さく肩をすくめると教室の中央に歩み寄りテーブルに畳んだ暗幕を積み上げていく。どこまでが冗談でどこからが本気なのか計り知れない。唯笑も初めて見るタイプの人間だった。
「ええ、私も楽しかったわ」
 上手く出し抜かれたのに不思議に爽やかさのみが後味に残る、これも初めての経験である。噂どおり中々の曲者ね、と認識を新たにしながら、唯笑は教室の床に空いた丁度人一人分が通れる程度の大きさの穴――まるでその部分が回転してねじ切れたかのような――を見下ろし何もないそこに晴れやかな笑顔を向けた。
「また会えるといいわね……スピンドル君」


「結局最後は我輩が出張らなければならない、か。裏醒徒会もまだまだ力をつける必要があるようだな」
 兇次郎はそうひとりごち、崇志の対面の椅子に座りごく自然に足を組んだ。
 『幻砦の難業』と『円舞の難業』の結果はほぼ同時に兇次郎と崇志の元に届いた。
(逃亡負けだと?実戦慣れしてないのが仇となったか。まったく、どうしても四人必要だから苦労してこちら側に引き込んだってのに)
(まさか清廉が正面きっての異能戦で遅れを取るとはな。そのやり方を知ればいい手札になるかもしれんが…)
 双方共に一つづつ予想外を味わい、結果も同じく一勝一敗のイーブン。
 六つの難業を経てなお決着はつかず、全ては最後の難業、『縦横の難業』に託された。
 尊大に見下ろす兇次郎に対抗するように組んだ手の上に顎を載せ、崇志は口を開く。
「まずは『縦横の難業』について説明しよう」
「弁論勝負だな」
「ご名答。ただ、できればそんな古臭い単語じゃ無くてディベートとでも言ってほしかったねぇ」
「解らいでか。あれほどあからさまな手掛かりを示しておいて」
 兇次郎はつまらなそうに肩をすくめた。
 縦横家(しょうおうか)という言葉がある。古代中国で己の口一つで王侯を説き伏せ、反論を論破し、時には天下を動かし歴史にその名を刻むものもいた論客たちの名称である。
「そう、かつての縦横家のように存分に論戦を戦わせようじゃねぇか」
 気取った風に腕を広げて言う嵩志。
「では、改めてルールを説明しよう。論題はそちらが好きに決めていい。制限時間は十分。論題を決めるのに五分、実際の議論にまた五分って計算さな。勝敗は単純明快、俺が敗北を認めたらアンタの勝ちだ。何か質問はあるか?」
「いや、ないな。だが一つはっきりと確認できたことがある」
「なんだ?」
「確証こそなかったが既にそうであろうと見当はついていた。文字通り最後の砦であるこの場に何らかのフェイルセイフが用意してあること。そして貴様が異能者でない以上、それはシステム的なものであること」
「へえ…」
 愉快そうに目を輝かせて聞き入る崇志。
「まさにこここそが貴様の『七の難業』とやらの真髄だな。上手くオブラートに包みつつも結局のところ誰も勝たせる気などない」
 自慢げに何度か頷く崇志に兇次郎は自らの異能で導き出した結論を告げた。
「どんな論題を選ぼうとも我輩には貴様を五分で論破するのは不可能だ。つまりは世界の誰にもできはしない。実に優秀なフェイルセイフだよ」




七の難業 対裏醒徒会 途中経過

              『颶風の難業』
        皆槻 直   △ ― △   竹中 綾里

              『競愚の難業』
      陣台 一佐男   × ― ○   市原 和美

              『天秤の難業』
        金立 修   ○ ― ×   工 克巳

              『紙牌の難業』
      三墨 ちさと   × ― ○   相島 陸

              『幻砦の難業』
       黒田 一郎   × ― ○   笑乃坂 導花

              『円舞の難業』
ミステリアス・パートナー   ○ ― ×   清廉 唯笑

              『縦横の難業』
      百目鬼 崇志     ―     蛇蝎 兇次郎




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