東郷茂徳


※上記の広告は60日以上更新のないWIKIに表示されています。更新することで広告が下部へ移動します。

<東郷茂徳>(ウィキペディア)
  • 東郷 茂徳(とうごう しげのり、明治15年(1882年)12月10日 - 昭和25年(1950年)7月23日)は日本の外交官、政治家。太平洋戦争開戦時及び終戦時の日本の外務大臣。

  • 昭和21年(1946年) 「A級戦犯」として指定され、巣鴨拘置所へ入獄

  • 昭和53年(1978年)10月17日、「昭和殉難者」として靖国神社に合祀

  • 豊臣秀吉の朝鮮出兵の際に島津義弘が連れかえった朝鮮人陶工の子孫である。陶工達が集められた「苗代川」と呼ばれる地域では幕末まで朝鮮語が使われていたという。5歳のとき陶工及び陶芸品を売る実業家として財をなした父が士族株を買い朴茂徳から東郷茂徳となった。(元帥海軍大将の東郷平八郎とは血縁関係は無い)

  • 外務省事務次官を務めた東郷文彦は女婿。元ワシントンポスト記者の東郷茂彦、元オランダ大使・外務省欧亜局長の東郷和彦は双子の孫。



<東郷文彦>(ウィキペディア)
  • 東郷 文彦(とうごう ふみひこ 1915年(大正4年)8月18日 - 1985年(昭和60年)4月9日)は、日本の昭和の外交官、官僚。外務省事務次官、駐アメリカ大使を務めるなど日本の戦後外交史における親アメリカ派、右派の重鎮の一人であった。旧姓は本城。

  • 元外務大臣である東郷茂徳の娘、いせと結婚し東郷姓となる。義父が鈴木貫太郎内閣で再度外務大臣となると、その秘書官を務めた。

  • 1963年(昭和38年)10月に在ニューヨーク総領事に着任。その後、1967年(昭和42年)1月には外務省アメリカ局長となる。

  • 1974年(昭和49年)2月に外務省事務次官に就任。1975年(昭和50年)12月から 1980年(昭和55年)4月まで駐アメリカ大使を務める。



<東郷和彦>(ウィキペディア)
  • 東郷 和彦(とうごう かずひこ、1945年 - )は日本の外交官である。元外務省欧亜局長・元駐オランダ大使。

  • 祖父の東郷茂徳、父の東郷文彦とともに親子三代で外交官を務めた。元ワシントンポスト記者の東郷茂彦は双子の兄にあたる。

  • 外務省に強い影響力のあった鈴木宗男との深いパイプを持っていた。このため、田中真紀子外相時代に駐オランダ大使着任を一時保留され、さらに鈴木が失脚した2002年に駐オランダ大使から更迭の末、依願の形式での退職を拒否し免職処分を受けることとなる。

  • また「ロシアンスクール」に属していた為、一期上の次官争いのライバルであった竹内行夫(のち野上義二のあとに次官就任)ら「アメリカンスクール」との確執もいわれた。丹波實 - 東郷和彦ラインの「ロシアンスクール」が一掃された為、例えば2006年8月に起きた漁船・第31吉進丸が、北方四島海域でロシア国境警備局に拿捕され、乗組員のうち1人が銃撃を受け死亡した事件などでの日露交渉を担う実質的な人材が払底している原因となっているとも言われている。

  • 退官後はライデン大学・プリンストン大学・淡江大学(台湾)などで客員研究員となり、現在はカリフォルニア大学サンタバーバラ校客員教授。

  • 外務省在任中は北方領土返還の取り纏めが実現に漕ぎ着けそうになった段階で、田中真紀子外相の登場で頓挫を余儀なくされたことも指摘している。一方で鈴木同様、歯舞・色丹の2島先行返還論者として批判もされている。


<東郷茂彦>(ウィキペディア)
  • 東郷 茂彦(とうごう しげひこ、1945年 - )は長野県出身の新聞記者。

  • 祖父、東郷茂徳(A級戦犯)は大正、昭和前期の外交官で太平洋戦争開戦時及び終戦時の日本の外務大臣。父は外務省事務次官、アメリカ大使を務めた東郷文彦。双子の弟は、元オランダ大使・外務省欧亜局長東郷和彦(2002年、懲戒免職)。

  • 東京都立日比谷高等学校、早稲田大学政治経済学部卒業。朝日新聞社に入社、その後はワシントンポスト紙の記者として活躍し、1988年に絵本『ちびくろサンボ』の絶版のきっかけとなる日本での黒人の取り扱いの記事を書いたり、1993年には皇太子妃に小和田雅子が決定したことをいち早く報道するなどのスクープで知られる。

  • 一方で、1976年に国会内で見学に来ていた少女に対する痴漢行為、1998年と2001年にも痴漢行為で逮捕されるなどの不祥事により、朝日新聞、ワシントンポストを相次いで退社。2002年2月、東京地裁で懲役8カ月(求刑懲役1年)の実刑判決を受けた。



「小森雄介」(ソース:忘れたw)
  • 島津家家老の子。後藤新平の秘書官や大企業の重役を経験。財閥と多くの縁戚関係を持ち、政財界に隠然たる影響力を持っていた。「麹町番町のご隠居」とも呼ばれた。
  • 新興宗教「天然社」(羽田稲荷系・いわゆる「池袋の天然社」)に関わる。のちに矢野祐太郎の神聖龍神会にも関係。
  • 東郷茂徳とは同郷ゆえに(?w)親しく、娘の小森澄子は茂徳の娘(文彦の妻)いせの幼友達で、のちに重光晶(外相重光葵の甥、後のソ連大使)夫人となる。
ツールボックス

下から選んでください:

新しいページを作成する
ヘルプ / FAQ もご覧ください。