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それは、真っ白な世界。
二人は平行して佇み、世界から孤立するようにいた。
舞い降りる雪とともに、少年は涙を流した。

ドサリと崩れる華奢な身体。

鮮血は止め処なく小さな灯火を絶とうと流れ出す。



白の世界は、一瞬にして血の海と化した。



「あぁ・・・ああ・・・」



悲しい嗚咽は、静かに深深と降る雪にかき消す術はなく
ただ、その声を真っ白な世界に響く。


そうしてこの悲しみからボクの物語は、始まった











48時間前。







暗い・・・すごく暗い闇の中でボクは目が覚めた。
見覚えのない天井を微弱な視力で見渡す。
枕もとにある眼鏡を掛けて重い体を起こし、周囲を確認する。

ボクの周辺には見知ってる友人が8畳ほどの部屋に6人。
小洒落た和風らしいその部屋に17~8歳の男がいるというだけでむさ苦しさを感じた。

外はまだ真っ白な銀世界と闇が支配している。

外の様子を見る限り、まだ少し起きるのには早すぎたらしい。
自分の内にある本能がまだ睡眠時間を欲しがっていた。

携帯のアラートがチカチカと点滅しているのに気がつき、充電器ごと引き抜く。
表示にはメールが1件。
着信時刻は02:37とかなり遅い時間に受信したようだ。
内容は、一行だけ。

『野田。今日もスキーみたいだが、オレは飽きた。』

この時間によくわからないことを言う人間を、数少ない友達の中でボクは一人しか思いつかなかった。
石田隆。
ボクの親友で、入学当初から結構一緒に行動することが多い『悪友』に近い存在。
常に冷静で、笑顔を見た人はいない。
2年間一緒にいるボクでさえ見たことがないのだ。
笑顔なんて見せられた瞬間、殺されるんじゃないかと身を震わせる。

メールボックスを閉じ、伸びをする。
朝の爽やかな空気を吸い込み、少しすがすがしい気分に浸る。
しかし・・・。
石田のメールで今日と言う一日が始まるとは、かなり寝覚めが悪い。

突拍子もないメールのおかげでズレてしまった眼鏡を掛け直し、着替えた。
着慣れた普段着に袖を通し、身なりを整える。
寒い。
さすがは北国。季節的に冬といえ、室内でこの寒さは尋常ではない。


「・・ん?うぅ・・・ぐむ・・・」
同部屋している友人の一人が目を覚ましそうだ。
起こしてしまったか・・・と思いつつも、その様子を観察する。
しきりに布団を自分に巻きつけようとしているがこの寒さに対しては無力だ。
布団越しにでも伝わる寒さによるものだろうか・・・変な寝言の友人が目を覚ました。
「野田・・・?・・・おはよう」
「おはよう。さすがは北海道・・・地元とは桁外れな寒さだね」


ボクたち桜門学園の2年生一団は修学旅行のために北の地、北海道へと来ている。
地元からバスやら飛行機やらなんやらを乗り継ぐこと半日。
やっと寄宿舎についたのが午後6時。
学園の方針で無理やり組まされている班のまま部屋へ入り、
長距離旅行の疲れが一気に押し寄せてきたのか、なんの盛り上がりもなく眠りについた。
今日はいわゆる「修学旅行2日目」。3泊4日の折り返し地点に差し掛かろうか。といったところである。


その友人が起きたのをきっかけに、次々友人が目を覚ました。
ちょうど6人中5人目が起きたのが5時半ごろ。
出立前に配られたしおりには6時半起床と書かれてあるが起きてしまったものは仕方がない。
なにか温かいもの・・・ホットコーホーなんかあればうれしい。
不意にロビーの隅のほうに自販機があったのを思い出し、旅行鞄から明らかに安物の財布を取り出した。
120円を財布から取り出し、まだ夢の中の2人に気づかれないようにボクは部屋を出た。




「・・・寒い。」
愚痴をこぼしながらホテルの廊下をスリッパでパタパタ歩く。
自分たちの部屋は3階にあり、一階のロビーまでは結構な距離がある。
廊下ですれ違うのはどいつも男の子ばかり。
それも当然ながら女子たちはロビーを挟んで反対側の別錬に泊まることになってて、男の立ち入りは禁止されている。
逆に女子も男子の錬には入れないが、男達にとっては別に入ってきてもいいような心境らしい。
『んなことあるわけねーだろ』
と、昨日の晩は友人と話して、ボクも納得して就寝したことを思い出しながら。
そんなバカなことを思いながら階段を黙々と下りた。





「おはよう。よく寝れたか?」





ロビーに入るなり出迎えてくれたこの男の名は『鶴谷国重(つるたにくにしげ)』と言う。
そこそこの長身・細身で髪の色は白。眼鏡を常に掛けていて、はずした姿は誰も見たことがない。
普段は物理学をボクたちに教えている。
そしてヒマになれば物理準備室に居座って「地震探知用」のナマズの飼育をしていると言うよくわからない奇特な人物である。

すっかり忘れていたけど、一応クラス担任だ。

最初の物理の定期考査のときにとんでもない点数を出してしまい、それから目をつけられる事約1年。
今ではそれなりにまともな会話が出来るようにまで自分の地位を確立してきたつもりだが、この先生にはたぶん一生頭が上がらないだろうと感じている・・・。




頭が上がらない理由。それは他にも・・・。





「今日はスキーだな、野田は経験あるのか?」
いろいろ考えようとしているのをムリヤリ止められる形で会話を切り出された。

「中学のころに2~3度。たぶん人並みには滑れますよ」
目的である自販機を目の前にして担任につかまったことが億劫になったのか、僕は極力そっけなく答えた。
「そうかそうか。オマエが雪だるまになる絵をしっかり押さえたかったんだがな。それは残念」

まず、スキーで人が雪だるまみたいになることはありえない。
いつもなら「それは物理学上ありえない」と一番にツッコミの入る人物が目の前でその「ありえない事象」を口にしている。
正直かなり不気味だ。
こういうときは関わらないほうが一番だと思い、話を切り上げることにする。



「それでは、僕はあの自販機に用事があるので」
「おまえ・・・あんなもんに話し掛ける趣味があったのか?かなり悪趣味としかおも」



最後の言葉を聞かないまま、僕は自販機コーナーへと急いだ。


このクソ寒い中、肩をすくめてロビーを後にした。
不意に目がロビー横に隣接してある売店へ向けられる。
さすがにこの時間には開いてないようだ・・・。

「よう」
売店の横を通り過ぎようと思ったら、またしても今あまり会いたくない人物と遭遇した。
缶コーヒーを片手に立つ人物。
その人物へボクは軽く挨拶をする。
「よぉ。石田」
石田隆。
先に話したとおり、ボクの親友で大体いつも行動をしている人物。
まあ、今日も一緒にサボる予定なんだけど。

「で、何の用?」

ボクはそっけなく聞いた。
何しろ、寒いから早く部屋へ戻りたいのだ。
石田は黙ったまま手に持った缶コーヒーをすすっている。
たぶん、これで片手にタバコなんかあったら様になっているに違いない。

「・・・いや。特にはないが。今日サボるとしたらどこで時間を潰そうかと思ってな」
そういえば全然考えてなかった。
まあ、大体相場はゲーセンで決まっているが、このあたりのゲームセンターはあまり知らない。

「・・・ヒマだったら、とりあえずゲレンデに出てヒマ潰す?」

「・・・それはあのめんどくさいスキーとやらに行けとと言ってるのか?」

確かにそうなるけど、やることがないなら行くしかない。と、極力笑顔でボクは石田に言ってその場を後にした。
石田は相変わらずの無表情。
何をその眼で見ているのか、このときのボクには分からなかった。




缶コーヒーを啜りながら僕は部屋へ戻る。

「ただいま・・ズズッ」
「あ。野田どこ行ってたんだ?もうみんな起きて食堂行ったぞ」
「コーヒー買いに行っただけなんだけど、途中で鶴谷先生に捕まって・・・。ボクが雪だるまになるのが楽しみだとかなんとか」
「はぁ?・・・まあいいや。はやく着替えろよ。オレも先に行ってるから」
不可思議なものを聞いたかのような素振りで班長は出て行った。
ボクにだってあの先生のことはよくわからない、と愚痴りながら班長のあとに続いた。






外は銀世界・・・汚れの無い白一色で埋め尽くされている・・・

外へ目をやると何人かがすでにスキーウェアに着替えてホテル前に集まっている。
ボクたちの泊まってるホテルはスキー場も経営していて、裏口から出ればすぐにでも滑れる雪原が広がってるらしい。
ボクは率先して滑りたいとは思わないので、まだ日も昇りきっていない時間にスキーをしようと言う彼らの考えがよくわからない。
まあ、分かりたくもないけど。



軽く朝食を済まし、班員の多数決によってその銀世界とやらへ行くことにした。
ボクは銀世界よりホテル内の暖かい室内を選んだのだが、大多数のスキー志願者によってこの計画は踏み倒された。
恐るべし民主主義島国。
大多数の意見が国を動かすという理不尽さをなんとか出来るやつがいないものか。
「それはムリだ。そう思うならおまえが国会議員にでもなれば?」
いつの間に思ってたことを話してたんだろう、と思う時間さえ与えぬ迅速な対応。
皮肉を交え、かつ冷たい視線で無言の圧力を掛けられているのが背後からでも分かる。

なんか悔しい。

「現実見てから言って欲しいものだね。ボクがなれるとでも思うのかい?」
「オマエの学力でなれたら議員はみんなバカだよ。」
「む・・・うーん・・・確かに・・・」

石田も観念してゲレンデに出てきているようだ。
片手にはボードを抱えている。
コイツ・・・スノーボード出来るのかと少し意外な心境だった。

「ま。せいぜい雪だるまにならないようにがんばれよ」

「はいはい。それじゃまたな」
石田とウチの担任のギャグセンスは同レベルらしい。
その石田と別れて、僕は班員の友人たちと日が暮れるまでスキーを満喫した。
青空の元、一面真っ白の雪原を滑降する・・・気持ちいい。

こんな時間をゲーセンで潰すなんて、今となってはどうでもよくなった。

確認のために言っておくけど、雪だるまになるようなことは無かった。

思い存分雪原を滑りまくった僕たちの班は、他の班より少し早めに切り上げることにした。
早めに切り上げるように言ったのは何を隠そうこの僕だ。
理由は・・・まあ、『彼女』と早く会いたかったからなんだけど。
そんな浮ついたことは言えないので、「腹減った」と適当に言ったらすんなり意見が通った。
民主主義も満更悪いもんじゃない。





「・・・まさか向こうから会いたいって言ってくるとはねぇ」
僕はホテルの廊下を1人歩いていた。
スキーから帰って、メールの確認をしたら彼女から一件の受信があった。
『渡したいものがあるので、8時ごろロビーに来てください』
と。
渡したいもの?なんだろう。誕生日は過ぎてるし、なんかの記念日でもないし・・・。
付き合いだして10日記念?・・・さすがにそんなアホなことはないか。
バカな思考をめぐらせつつ、ロビーへ出た。
ロビーに並ぶ何の変哲も無い皮イスには、すでに彼女が座っている。
時間通りに来たつもりだが、いつも僕が待たせているような気がする。
「こんばんわ。ゴメンね、どうしても渡したいものがあって」
「いやいや。別にすることないし、大丈夫だよ」
彼女・・・望月 杏(もちづきあんず)はいつもの笑顔でボクを待っていた。


杏は10日ほど前までは普通の仲の良い友達『だった』。


突然夜中に携帯越しに告白され、そのままOK。ボクたちは晴れて恋人同士になった。
でもボクにはそんな実感はない。
急に仲の良い友人に告白され、「ハイ。今から恋人ね」と言われても分かるわけがない。
コレが持論だ。分からないものは仕方ないが、なってしまったのは事実だ。


「杏。渡したいものってなに?」
そういうと、彼女はイソイソとポケットから小さな袋を取り出した。
5×5の正方形状の袋。中身は外からじゃ分からないように作ってあるようだ。
「あげる」
「え?」
「だから!・・・・あげる!!」
手首を取られ、謎の子袋を手のひらに押し込めらた。
「開けていい?」
杏は無言で頷いた。目が若干潤んでいる。





「・・・首飾り?」
また杏が無言で頷く。
中に入っていたのはキレイな緑色石の首飾りだった。
ロビーの明かりを反射して薄緑色に輝いている。
「本当にいいの?僕なんかに・・・」
杏は大袈裟に首を横に振った。顔がめちゃくちゃ赤い。

「ありがとう。大切にするね」
僕もなんだか恥ずかしくなって俯いて返事をした。
重い沈黙・・・恥ずかしくて僕は死にそうだ。
ふとポケットから懐中時計を出して、時間を確認するともう22時になろうとしていた。
「じゃ、じゃあそろそろ戻るね。見回りに見つかるとややこしいし。首飾りありがとう・・・なんて言うか、嬉しかった」
「い、いえいえ!それじゃぁ。お、おやすみっ」
杏はやや早足で女子棟へと戻っていった。
僕はその場で呆然と杏の背中を見送った。
ふと、彼女の首にぶら下がるその青色の宝石に眼が行った。
なんとも不思議な光を放つ、青空の透き通るような色をした宝石。
その宝石から、ボクは眼が離せなかった。




なぜ・・・?




少し立ちくらみがした。
それをムリヤリ振り切り、ボクは自分の部屋へと戻っていった。






次の日もスキーだった。
億劫なスキーでも、前日に彼女からのプレゼントを貰っておいて浮かれない男はいない。
終始ボクはご機嫌のようだった。
石田からは「気持ち悪い」と言われ、昨日あったことを話すと嬉々と食いついてきた。
今まで僕に浮いた話が無かったからだろうか、石田のリアクションは大袈裟のように見えた。
最後に「男なら押し倒せ」なんて物騒なことを言い出したので話題を変えてゴマかした。
どうやらボクの話術もまだまだ現役らしい。

修学旅行最後のスキーが終わり、ホテルへ帰った。
流石に二日連続のスキーは疲れたのか班員のみんなの顔が死んでいるように思えた。





ヴー・・・ヴー・・・ヴー・・・

9時半ごろ、部屋で談話していると突然携帯が鳴り始めた。
液晶ディスプレイには「石田隆」の名前。


「野田だけど。石田・・・見回りの先生に携帯ばれたらややこしいから極力メールでコッソリ連絡をしろって言っただろう」
「野田、突然で混乱するかもしれないが、今はオレを信じろ。外を見ろ」

「え?なんで?」

「見ろ、今すぐ」

ボクはしぶしぶ立ち上がり、窓際へ歩いていった。
石田があんなに取り乱すなんて、いったい何事だろうと思いつつメガネをかけなおす。
そしてカーテンを少しだけ開けて、満月の光りを反射した雪原・・・文字通り「銀世界」を目の当たりにした。

「キレイな満月しかないけど・・・。意外と風流な人間だね」
皮肉をこめて言った。日ごろのお返しなんてこう言うときぐらいにしかできない。
「・・・誰がこんなときに冗談言うか。よく見ろ!!ゲレンデの中央あたり」
ちょっとカチンと来たが、再びメガネを掛けなおして雪原を凝視した。


「・・・・」



「・・・・は・・・・?」



そこには・・・小さな人影。



「あそこにいるのは、オレの見間違いじゃなければ・・・オマエの・・・」


そこには、見慣れた人の姿。


「石田!!ありがとう!!」
ボクは乱暴に携帯を放り出して部屋を飛び出した。
班員が不思議そうな顔をしていたが、今はそんなことどうだっていい。
とにかく一秒でも早く外へ行かないと。
アレが見間違いでなければ、あんなところで何をしてるというのだろう。
いろんな思考が飛び交う中、ボクは雪原へと向かう。
ロビーで担任の鶴谷に呼び止められたがムシした。
ロッカールームを全速で横切り、裏口から外へと出る。
外は真っ白に輝く月光を雪が反射して幻想的な世界を作っている。
それは見とれるほど真っ白で、汚れのない世界のようだった。

雪上を走る。アイスバーンのように堅くなっているところを選んで走った。
そして・・・
白い息を吐き捨て、ついにボクは辿り着いた。


「杏・・・?」


雪原に溶け込むような真っ白のコートを着た杏が、ソコに立っていた。
自分の眼に映る・・・信じたくない波動を感じながら。





杏は俯いたまま、何も答えない。
ボクは杏がなんでここにいるかがまったく分からない。
それでも連れて帰らないといけないことは確かだと思った。
「・・・ホテルへ帰ろう」
僕は杏に一歩踏み込んだ。
「・・・いや」
か細い声でそう聞こえた気がする。
僕は内心驚きながらその場に踏みとどまった。

「なぜ?」

ボクは聞き返す。
それでも彼女はただうつむいてコチラを見ようとしない。


「私の・・・お母さんが・・・」






「ついさっき、死んじゃったんだって」




思いもよらない言葉にノドを詰まらせた。

親が死んだ。
突然のことで頭の中がよくわからない状態になった。これを人は混乱と呼ぶべきなのだろう。

「私は・・・私は・・・」


『私にはお父さんがいないの』

『私が産まれる前の戦争で、死んじゃった。だから、私にはお母さんしかいない』



その言葉がフト頭をよぎった。
まだいい友達だったころに聞いたことのある話。
片親で育った、その経緯。

彼女には、母しかいない。
そして、その母がたった今死んだと連絡があった。


まだ16の少女には、重い現実がそこに存在していた。


杏はどこから取り出したのか、何かの柄を、その右手を中空へ差し出した。
銀色の刃がどこからともなく形成され、月光に照らされる。
刃渡り数センチ、なんの変哲も無いナイフが杏の右手に握られている。
その光景を見てボクは自分の血の気が一気に引くのを体全体で感じ取っていた。




これは、何かの間違いではないだろうか?




「止めてよ!!杏!!」

「いやよ!!私も・・・私も!!!!!!」




銀の刃がゆっくりと自分の胸を突き刺そうと動き出す。
まずい。
今、そんなことをすれば。
間違いなく、彼女はコチラ側の世界へきてしまう。

『狂気に犯されるのは、弱い心』

死の間際の人間の心なんて、格好の餌食。
止めないと。
まだ間にあう。
ボクは混乱する頭を振りきり、その状況の把握を急いだ。


彼女と僕との距離は3メートルほど。
後先考えずに踏み込めば一足。
いや、二足で彼女の目の前まで飛べる。
止めることは可能。



考えが止まった瞬間、自然と冷たい風を体が切っていた。
目の前の『』を止めるために。
再び銀色の刃が月光に照らされた瞬間、ボクの身体は前へ、前へと出ていた。

一足。

杏が近くなる。それでも届かない。

二足。

踏み込もうとしたらしい左足は一足踏み込みの時に雪に埋まってしまっている。
大事なときに限って・・・空回りするのはボクの悪い癖だ。
前傾姿勢のままバランスを崩した人間はどうなるか?
答えは至極、簡単。



ボクは勢いに任せて彼女を押し倒していた。




冷たい雪が顔面を直撃する。
覆いかぶさった状態の僕は、どうやら彼女の行動を止めることが出来た。
ナイフはぶつかったときの衝撃で、少し離れた位置に落ち、刃もそれと同時に消えた。


「邪魔・・・しないで」


「邪魔・・・しないでよ・・・!!」
声を震わせながら、何かに縋り付くかのように彼女はただ叫ぶ。
その叫びに何を願ったのか?


「邪魔すルなら」
何かのノイズが混じり、うまく彼女の声が聞き取れない錯覚に陥る。


そう思うや否や、突如声のトーンは急変を開始した。



「私は・・・ワタ・・シ・・ハ」



そんなノイズ交じりの音が耳に入ってきた。
気のせいだと思いたい、それでもその声はさっきまでの可愛い声ではなく明らかな憎しみを交えた一言だった。

「ワタシハ」
ボクはとっさに横へ転がり込んだ。
しかし遅かった。
彼女は側転したボクの動作よりも早く地に落ちているナイフを拾い、コチラへ振り向こうとしていた。


「アナタハ、ジャマ」


その言葉と同時に、ナイフを手にした彼女はボクに向かって突進を始めた。
一瞬にして目の前まで接近した銀の刃が、中空を斬る。
ボクはとっさに飛び引き、彼女に背を向けて走り出した。

駄目だ。
何も用意していない状況で、狂気と化した人間だったモノを相手にするなんて、出来るわけがない。

ボクの足の感覚は極寒の地の影響ですでに失われていたのにも関わらず、無我夢中で白い粉の舞う地を蹴っていた。
それだけでも自分がどれだけ必死に逃げているのかは分かる。


大切な人なのに、ボクは今まさにその人に殺されようとしている。
『狂気』と呼ばれるウイルスに感染した、人ならざる人の姿。

殺される恐怖を感じ、
彼女の絶望を感じ、
すべての存在を憎む彼女の悲しみを感じながらも、

今のボクに彼女を救うことは、限りなくゼロに近かった。



「・・・がっ・・!!!」


背を向けつつ極力後ろへ気を配って逃げていた。
されど、人知を超えたナイフの軌跡は思いも寄らない軌道を描いてボクのわき腹をえぐっていた。


目線が下へ落ちる。
首がそのまま落とされて、ずり下がる感覚。
実際は、自分で立てなくなっていた。

両足の腱を切断され、動けるだけの力を失ったから。


前のめりにドサリと落ちた華奢な身体に、再び痛みが走る。


グリグリと背中に突き刺さる銀色の凶器。
何度も、何度も、何度も。

真っ白な世界は、一瞬にして赤い色で染色され、白いコートもすぐさま返り血で真っ赤に染まった。
もちろん、赤に染めているのはボクの体から流れ出す血液にほかならない。


「があ・・・はぁ・・・・はぁ・・・」


うまく呼吸が出来ない。
背中が灼熱を帯びたみたいに熱い。
ボクは必死に起き上がろうとして身体を捻った。

血で視力の低下した眼が、雲ひとつ無い満月の夜空へと向けられる。

雪は止んでいる。

今夜は完璧に近い流麗な夜空。
視界がぼやけていても、それだけはハッキリわかる。
空にぽっかりと浮かぶ紅い満月。
紅い星が、瞬いている。
光を反射した紅い雪が、眩しい。





そして、






白いコートに返り血を浴びた紅い少女の姿。
悪魔の笑みを浮かべ、ぽつんとこの地に佇む狂信者の姿。


「あ・・・あぁ・・・」






Dianoia plesents


The device operations


The First Destiny


Mirage-The Device Operation-





『アアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!』


この日、無垢な少女の心は失われた。
新たに埋め込まれた起源は世界を、すべての存在を拒絶する【憎悪】の二文字。

この日、力在る少年の物語は始まった。
新たに埋め込まれた起源は世界を、すべてを護ると決めた【覚悟】の二文字。


二対の起源はこの日以降交わることはなく、ただそれぞれの目的を遂げるために歩き出した。


第1話『雪 の 少女』END