「以上が、今回の事件の全容となります」

そう言って、ボクは踵を返した。
重く、ホコリ臭い扉を閉め廊下に出る。
あの日のことは、石田から聞いた。
執行者としての責任を、ボクの代わりに背負ってくれた友達。
ただ、ボクは逃げていた。
弱くて、人を傷つけることが嫌いで。

そんなボクに石田は言った。

「オレは躊躇いなんてもの、元からない。ただあのバケモノを殺し、自分が生きる。それだけだ」

違う。
彼は、そんな人間じゃない。
ただの殺人マシンなんかじゃ・・・。
そう言いたかったけど、石田はすぐにその場から立ち去った。
手にはナイフの柄。
武器の常時所有を認められていた。
また、彼は認められたんだ。
通常、Bランク以下の執行者に武器は常時与えられない。
だからこそ、ボクは先生に事件の度に銃を渡されていた。
だけど、石田は違った。
彼の意思で、刃を執る事を許されたんだ。

それが不思議と悲しくて。

ただ、ただボクは、その背中を見送ることしか出来なかった。

「ボクに・・・出来ること・・・か・・・」





すべての始まり。



それは、ある夏の日のことだった。








夏。
うるさいセミの声と、無邪気にはしゃぐ子供たちの声に混じって・・・異音がした。



夏の暑い日ざしの中、道場でただ一人袴着の女性が弓を引いている。





「ふぅ・・・・」
命中。
これで3本目。

深呼吸をして、矢をつがえる。
狙うは28m離れたところに見える円形の的。


限界まで撓った弓、その裏から的が薄れて見える。
狙いはたぶん・・・大丈夫。



時速200kmの矢が中空を掻き分ける。
実際のところ200kmを維持できるのは30mほどまでで、20mを超えると矢は急激に減速、放物線を描くように落下する。
空気抵抗と自重による重力作用、いろんな要因が重なり合って矢は的へ吸い込まれる。



矢が的脇に当たる。
弓道では的脇に当たることほど悔しいものはない。
あと2cm内側なら・・・あと少しの威力があれば的中しているはずの矢が事実論として「はずれ」の判定を下される。
少し顔を歪める。
弓を引いているときは極力ポーカーフェイスを心がけているが、コレばかりは人間である以上仕方がない。
残心をとりつつ射の反省をする。
会でもう少し的を絞っていれば当たっていたかもしれない。
もしくは弓を引く以前にこの結果は分かりきっていたのだろうか。
いろんな反省を行いつつ、私は退場した。



誰もいないはずの道場のドアから拍手の音がする。
少し驚いて振り返った。
「葵先輩、おはようございます。」
「野田君。居るなら居るって言ってくれたらいいのに・・・」
私、黒崎葵(クロサキアオイ)は少しふてくされた風を見せながら言った。
「2射目からずっと居ましたよ?ボクに気づかないぐらい集中してたんでしょう」
「いえ・・・今日はあんまり調子出てないのよ、私。さっきのだって矢外したし・・・」

今私が話している男の子は『野田康治君』
身長160cm、髪はショートのクセっ毛、黒ぶちの眼鏡をかけていて、いかにもおとなしそうな『かわいい』容姿だ。
こんな彼でも、すこし着飾って町を歩けば何人かの女性の目には止まるのではないかというレベルの美男子っぽいのが不思議。
彼の、弓の腕は『そこそこ』。
突拍子もない『意外性』を持ち合わせてもいないし、私みたいに『天性的な才能』の持ち主でもない。
よく言えば『汎用性のある弓使い』、悪く言えば『特徴のない極普通の弓使い』だ。
そんな男の子と私が出会ったのが半年前。

入部説明会直後に入部届けを持ってきた男の子の相手をしたのが私で、
その男の子が『野田康治』、その人だ。
なんだかんだ言って私は彼を弟みたいにかわいがってるし、彼自身も姉みたいに慕ってくれている。
部での野田君教育担当もなぜか私だ。
私の弓の師匠が直々に任命してきたのだ。
私としては後輩育成よりも自分に磨きを掛けたいんだけど、師はそれを許してはくれそうにない。
なんでも『後輩育成も修練のひとつだ』とかなんとか・・・。
堅物の師の考えに付いて行くとこができず退部するものが出る始末。
3年は私含め女子7人男子3人とかなり雲行きが悪い状況。


男子にいたってはスタメンに2年生も含めないと試合に出れない状況だから上位入賞は難しいし。


そんな危機的な状況の中入ってきたのが野田君だったりするもんだから、結構みんなかわいがっている。
師はなぜか野田君を嫌いらしいけど。


「先輩?道場の掃除・・・もうやりましたか?」
唐突に話題を切り出してきた。
そういえばしてない。
早朝にこっそり練習しようと思って、早く来たはいいものの掃除とかめんどくさかったのでしてないと思う。

「してない・・・」

野田君は怒った目でこっちを非難してくる。
野田君の目は不思議だ。
なんか・・・まっすぐ過ぎて、直視出来ない不思議な目の色。
赤茶色の光は、何もかも吸い込んでしまいそうで。
私は、いつもすぐ目をそらしている。

「だめじゃないですか先輩。そんなことばれたら師匠に怒られますよ」

怒っている風に見えて、それでも優しい声が道場に響く。
肩をすくめ、私は観念したように首を縦に振った。

「分かった。でも、もちろん野田君も手伝ってくれるよね?」
仕方ないなぁ。
と、また目で訴えてくる。
そんな彼の行動に私は少しおかしくなって笑いをこぼした。

「さっきの笑うところじゃないでしょう。ちなみにボクはこれから安土を整えてこないといけないので、道場は手伝えません」
安土とは的の背後にある土のクッションみたいなもので、ほとんどの矢は『安土』に刺さるので毎回土壌を整えないといけない。
まあ、熊手で落ちた土を上へ上げるだけの作業なんだけど・・・。
これも袴姿ではすこしやりにくい。
袴というものは正直かなり動きにくい。
走るにしたって、何かを持ち上げるにしたって、結構じゃまになる道着だ。


でも、そんな道着を私は結構気に入っている。
気持ちを切り替えるということも含め、私はこの道着で切り替える。
理由として、多少なりとも冷静になれる気がするから。

「じゃあ、安土行ってきなよ。私は道場やっとくから」
「はい。じゃあお願いします」

そういってその男の子は一礼して走っていった。
まだ小さくて、少年のように笑う彼の後姿を見てから私は掃除を始めた。









「ふぅ。これでいいかな・・・」
ボクは綺麗に整えられた安土を見てそうつぶやいた。

その仕上がりは、実に慣れたものだった。
キレイに整えられた安土は撒いた水を瞬時に吸収した。

「・・・まあ、ここ半年雑用ばっかやってたらウマクもなるかな」
愚痴をこぼしつつ熊手を安土裏のロッカーへしまう。
ボクはこの弓道部に入ってからというものの練習時間の半分は雑用で潰れる。
損な役回りをみんなに押し付けられて、『いやだ』とは言えない性格からボクはこうなってしまった。


雑用することが大嫌いというわけでもない。


弓の練習自体も大好きだ。


ただ。みんなに嫌われたくないからボクはみんなの期待に答える。
ただそれだけ。
『人にうまく使われていること』でも、ボクには関係のない話だ。
今自分が生活している世界の歯車になって、歯車を大きく動かす人間に使われてゆく。
それはうまく使う人間の問題であって、使われる人間に考える余地はない。
無言で、まるでくるみ割り人形のように任を遂行する。
人形に徹して反論しなければケンカになることもなく無事に終わる。


そう。

僕さえ我慢すれば何事もうまく円滑に進む。


家族だってそう。学校でだってそう。塾でだってそう。
ボクは本当の自分を肉親にも見せない臆病者なんだ。
それはただ、嫌われたくない、一人にしないで、という願望から。

そしてその願望がボクの存在する意義だと思う。







午後12時。8月14日。
本来お盆休みである弓道部に、人影がある。
人数は2人。
ボクは、成績不振ということで個人的に呼び出しを受けているので、そのついでに弓道場で練習でもしようかと思いここに来た。
彼女・・・葵先輩はもちろん練習のためにこの弓道場へ来ている。
まさか先客がいようとは思わなかったので少し驚いたけど。



休憩に入った葵先輩の横に僕は座った。
原則道場では常に正座なんだけど、先輩が『硬くるしいから、あぐらでいいよ』と言ってくれたのでお言葉に甘えることにした。

「先輩はなんでお盆休みにまで弓の練習してるんですか?」

ボクはここに来てフト思っていたことを口にした。
すると、先輩は少し困った風を装いながらボクの目を見てこういった。

「弓が好きだから。それじゃダメ・・・かな?」

ボクは『ダメなんてことないですよ』と笑みを浮かべた。
なぜか嬉しかった。
先輩と同じ道を志している。
そんな気がして。




少し休憩した後、男子部室に戻ってロッカーから袴装束を取り出す。
結構馴染んできたけど、まだこれで動作するのは億劫。
袴の裾は常に足に引っかかり、腰は帯でキツク締め付けられ、すぐに崩れる。

「難しい・・・。」

ボクは着替え終わったら、すぐに道場へ戻り自分の弓に弦を掛けた。
『錬心』と刻印されたその弓の階級は11kgと呼ばれ、弓士初級の者には打ってつけの弓とされている。
葵先輩の昔使っていた弓を貸してもらっているんだけど、これが結構厄介な弓だったりする。
正直なところボクには手に余るほどの業物だ。
そんな弓を渡されて、すぐに使いこなせたらそれはまさに天才と呼ぶべき人物だろう。


ボクはたぶん・・・その類の人間じゃないから。


『弓道は難しい。だけどね。難しいからこそ、やりがいがあるんだ。』
これは葵先輩に教わったこと。
学校では学べない何かを・・・ボクはいつもこの人に与えてもらった。



その日、ボクたちは案の上日が暮れるまで弓を引いていた。
ボクは常に巻き藁を。
先輩は常に射場に立っていた。


「ふぅ・・・疲れた」
フト本音がボクの口から漏れる。
それを聞かれたのか、女子部室から顔を覗かせた先輩の声がした。

「野田くん。今日はもう遅いから早く帰りなさい!ご両親が心配するから」

先輩は着替えている途中で、ボクにとっては刺激が強すぎた。
すぐに後ろを向き、反論しようかと思ったけど声が出なかった。
その様子を見て、先輩はクスクスと笑う。
「は、はやく着替えてください!!何やってるんですか・・・まったく」
「可愛いねー。野田君は」

からかわれる。
けど、その声に悪意はなくて。
ただ、ボクをからかって遊んでいるだけ。

顔を赤くしたボクはそのままの足で部室に戻り、着替えを早急に済ました。

「・・・ん?」

少しだけ。
少しだけいつもの部室の風景がゆがんで見えた。

「疲れたのかな・・・」

目を閉じる。
暗闇に吸い込まれそうになって、ハッと目を覚ます。
ダメだ。こんなところで寝たら風邪を引きかねないし・・・。
そんなことを想って、気合を入れて立ち上がろうとした。

だけど、眩暈は一層強くなって。

「・・・」

立ち上がるどころか、ボクはそのまま部室で深い、深い眠りについた。







―夢を見た。
―それは真っ白い雪。
―それは真っ黒な空。
―その中に溶け込むように立つ『眼』とボクの目が会う。
―なぜか目が離せない。
―じっと視つめてしまう。
―「キミは誰?」
―「キミは・・・誰・・・?こんなに近くにいるのにわからない?」
―「分からないよ・・・だってボクとキミは会ったことないもの」

―「キミは、誰?」



―「私?私の名前はね・・・」




―「       」









「・・・」
いつの間にか眠ってた。
部室はもうすでに、夕日に染まった赤色をしてなくて。
暗く、漆黒の闇に解けていた。

時間は午後11時。
5時間も眠ってたせいか、身体全体が重い。

なんか妙な夢を見た気がしたけど。
そのほとんどを思い出せない。

とりあえず起きて、帰ろう。
ボクは立ち上がり、制服の上着に袖を通した。
夏なのに、なぜか冷たい感触がする。
不思議な感覚に戸惑いつつも、ボクは部室を後にした。




夏の夜風は火照った体を冷ましてくれる。
風を切って歩くだけでも、ひんやりとした風が頬を撫でるたびに意識が覚醒してゆく。
校門を横切る頃には、完全に目が覚めていた。


フト、風の流れが変わったのが気になった。
その風の方向に目を向ける。
何も変わり映えしない校舎。
夏なのに、こんなに冷たい風が吹くこの場所を、誰もが日常と思い、生活している。
でも。
ボクには。



なぜか、そんな些細なことが不思議で仕方なかった。



―オオン


校門を出て、すぐ何か・・・不慣れな音を耳にした。
金属同士をぶつけ合うような・・・そんな『鋭い』ものを聞いた。

「・・・?」
なんだろう。この音は。
学園中に響いているように、ボクの耳にはさっきからこの音が鳴りっぱなしだった。
サイレンのように鳴り続ける音に、ボクは耳を塞いでその場にしゃがみこんだ。


何か不安になる。
幽霊とかそういうものへの不安じゃなく、自分自身の体が『この音は不快だ』と警報を鳴らしている。

―オオオオオオオオオ

突然、眼が痛くなって必死に抑える。
ドクン。ドクンと脈打つ度に激痛の波がボクを襲い、意識を朦朧とさせる。
手に生暖かい感触がしたのを感じ、そのヌメリとした手を見た。
血の涙。
その血を見て、ボクは叫んだ。
言葉にならない言葉で。
ただ、校舎に響き渡る音を消すためだけに。


「う、あああああああああああああああああああ・・・!!」


それでも収まらない。
だから、ボクはその音を消すために歩を進める。
歩く。
歩く。
その度に音は大きく、頭に響く。
頭痛がするけれども、それでもボクは必死に歩いた。




辿り着く場所。
それは、時計塔と理科棟を繋ぐ渡り廊下。


血で視力を失いかけていた自分の眼に、薄っすらとその状況が映る。
ボンヤリと。
ただそこは血煙が充満した、まさに惨劇と呼べる地獄絵図だった。
「うぷ・・・うぇ・・」
胃の中のものをブチまける。
気持ちが悪い。
このむせ返るような匂い。
そして、まだ鳴り止まない鋭い音。

血煙の中を進み、ボクは時計塔の内部へとゆっくり歩を進める。
ヌチャリと足に血がつく感覚に慣れたころ、ボクの眼はやっと光を取り戻した。

―オオオオオオオオオオオオオオオオオオオ

転がる人だったモノ。
煙は晴れ、ハッキリとそのモノが姿をあらわす。

拳を天へ突き上げ、ただ叫んでいるそのモノ。

死体の山の中央で、


時計塔の薄暗い光を受けて、


ボクは、初めて『この世のモノではないモノ』を眼にした。






目と目が合う。
不気味な服と、光を失ったような瞳。
手には血まみれの槍状の何かを持っている。
その先端は、血で濡れている。

―オ、オマエハ、執行者カ?

唐突に聞かれた。
執行者?
それは何?
ボクにはその言葉の意味を理解する術を持ち合わせていなかった。

聞かれることは、ただ一つ。
『オマエは執行者なのか?』と。




―違う。


―ボクは知らない。


―でも。


―なんでだろう?




―聞かれた瞬間、



―再び眼が熱くなったのは・・・。




「そう、私は執行者」
突如、ボクの後ろから声がした。
凛とした涼しげな声に、振りむかざるを得なかった。
熱くなった眼を押さえたまま、ボクはその人の姿に唖然とした。
今までボクと一緒にいたその人は、間違いなくその人なんだけれど。
青空のように蒼く澄みきった制服に身を包み、
手には見慣れた弓、
その傍らにぶら下がっている西洋風の十字剣、

風に靡くショートボブの黒髪、


これで背中に翼が生えていたのなら、誰でも彼女が神の使者であると勘違いするほど神々しく、


ボクはきっと、見とれていた。


憧れの人が、別人のように思えて・・・。



―オマエハ、ダレだ?



どこかで聞いた言葉。
その問いに対し、その蒼き人は剣を抜き払い静かに答えた。


「私・・・私はね」


「執行者、黒崎葵」


これがボクのすべての始まりを告げる言葉で。
すべての日常が、非日常へと変わった瞬間だった。



第5話『弓の煎』END
最終更新:2007年09月07日 10:19