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風が吹き抜けた。
夏とは思えないその冷たさに、背筋がゾッとする感覚にボクは陥っていた。
目の前には人じゃない何か。
そして、ボクを間に挟んでその対角線の延長線上にその人は佇んでいた。


「執行者、黒崎葵」


なぜ先輩がここに?
その答えを知る由もなく、ただ、ただ呆然とその光景を見ているしかなかった。
足は凍りついたように微動だにしない。
今ボクは、何を目の当たりにしている?
そんな単純な答えすら分からないまま、その『時』は訪れた。

影が動いたと、そう感じた瞬間。
先輩の身体は宙を舞っていた。
ひらりとその外装を翻し、男へ一閃。
全体重をかけた一撃を物ともせずに片手で受ける男。
白い吐息と共に、笑みがこぼれるその表情を人は『恐怖』と呼んだ。

そんな『日常世界』ではありえない光景を目の前にしても、剣は速度を緩めることなく、さらに連撃を加えていった。
1撃。
相手の腕を弾き返した反動をそのまま半回転させ、一閃。
2撃。
振り下ろした剣を切り返し、男の身体を上空へ吹き飛ばす。
3撃。
着地と同時に先輩の身体も跳ぶ。
蒼い軌跡を描く刃が暗闇に照らされ、男の姿を捉える。
4撃。
男よりも上空に舞った先輩は、その華奢な身体を捻り斬り下ろす。
そして、屋上の硬いコンクリートに叩きつけられた男目掛けて急降下を開始する。
5撃。
地面と垂直に立てられた剣を、男の胸へ一気に突き刺す。
鮮血とうめき声がその場を支配し、鼓膜が超振動する。
耳鳴りに近い感覚と、暗闇に慣れ始めた瞳孔が一気に開く。

地面との衝突の際に発生した爆風が晴れていなくとも、その結果は誰が見ても知れたものだった。
一瞬だった。
5回の連撃、そのすべてはものの数秒で決められ、あの『人じゃないモノ』を一瞬で『消した』

開いた口が閉まらない。

ただ見ているしかなかったボクの身体は、糸が切れた人形のように、その場へ崩れた。
見れたものじゃなかった。
飛び散る赤い血と、弾け跳ぶ脳漿、内臓の断片がそこら中に散りばめられ、むせ返る臭いで充満しているこの空間にボクは耐えられなかった。

胃の中のものを吐き出すと同時に、涙がこぼれた。
ショックが大きすぎた。
いろんなことに対して。
そのショックの中でも一番、ボクの中で、頭の中で騒ぐもの。

それは。



―なぜ、あの優しい先輩が、こんなことを平然とした顔で、出来るのか。



「・・・うっ」


また眼が熱くなる。
今度は前のものとは比べ物にならない灼熱がボクを襲う。
炎の中に放り出された感覚がボクの視野を奪い、先輩の姿さえ陽炎のようにしか確認できない。
―ドクン
頭が割れる。
激しい動悸に襲われる。
この感情は、何だろう。
ボクは、これからどうなってしまうのだろう。
―ドクン、ドクン
鐘の音が、一層激しくなった。
ボクは頭を抱え、その場にうずくまった。
収まれ、収まれ、収まれ。
そう願っても、収まりが効かない。
いつものように、治らない突然の発症。


「う、うああああああああああああああああああ!!!」


―ドクン、ドクン、ドクン


もう何も見えない。
今自分がどこに立っていて、どこを向いていて、どこを・・・。
これを『混乱』と言うのか?
いや、違う。
これは、もっと別の、何か。
闇雲にその暗闇の中をもがく。
ひたすら。
その場でボクは暴れた。
怖い。
怖いよ。
誰か、助けて。

そう懇願する声も、ただ聞き入れてくれないこの世界に憎しみが生まれた。


「・・・田・・・く・・しっかり・・」


影が動く。
たくさんの影が、ボクに迫ってくる。
大きな津波が、ボクを飲み込もうと、その恐怖をもってして、ただ力と言う暴力が、飲み込もうとする。
やめろ。
やめてくれ。
ボクは、ボクは、ボク・・・は!!!!!

闇に、光が差した。
小さな光は周囲の小さな光を吸収し、弾けた。


その瞬間、今までのことが嘘のようにすべてがクリアになった。



目の前には、あの蒼いヒト。
つるぎをもって、ぼくのことのもとへかけよってくる。
こわい。
こないで。
ぼくをそんなめでみないで。

こわい。
こわいこわいこわいこわい。


「ク・・・ククク・・・ハハハハ・・・」

笑いが止まらない。
その様子を見た蒼い人は、ただ悲しそうにボクを見ていた。
そして、その剣を握り締め、言葉を紡いだ。


「負けないで」

一筋の涙が、そのひとの頬を伝う。

「アナタはまだ弱い、だけど、こんなことには絶対に負けない」

涙を流しながら、そのひとは笑顔を見せた。

「たとえ病魔にその心が蝕まれようとも」

笑顔であってもその気持ちは悲しさでいっぱいで。

「たとえ狂気と化しても」

何が、悲しいのか分からないけど。


それでも・・・。

「アナタのその強い想いで、必ず、アナタは自分に打ち勝てる」


その言葉を信じて、ボクは・・・。

「思い出して」


「アナタの、名前を」




自分に臨むことを決意した。
犯された、この弱い心と戦うために。










ぼくのなまえ?
なんだっけ。
もう、いまはそんなの、どうだっていいのに。
なんだろう。
そのなまえは言っちゃいけないような気がした。

ボクがボクで無くなるような気がして。

脳裏に浮かぶ、誰かの影。
黒髪に赤い瞳。
手には刀を携え、その黒い影からはただならなぬ存在感が発せられていた。

「オレの名前を言え」

そう聞こえた。


『オレ』の名前?


ボクは・・・キミのことを知らない。



「否、知っているはずだ」
そう即答される。

でも、知らない。
知っちゃいけない。
そう感じたのは・・・知れば・・・。


今までの自分の、『すべて』が終わってしまうような気がしたから。


「なんだ、ワスレタ、のか?」

「仕方ないヤツだ・・・じゃあ、オレの名前を教えてやろうか」

そして、その影は薄ら笑いを浮かべ、刀の鞘を抜き払い、
ボクへ突如突進してきた。

寸前のところでかわす。
「う・・・ぐっ」

それでも完全に回避することは出来ず、右腕に傷を負う。
痛みはほとんどない。
されど、人の動きを鈍らせるには十分なほどの負傷であったのは、確かだった。





「オレはオマエ、野田宗司(ノダソウジ)だ」


「覚えておけ、狂気の面を被った、オレの名を」



「ハハハ・・・ハハハハハハハハ」


嫌だ。
なんだか、そんな気分だった。
コイツは狂っている。
腕を押さえ、ただ膝を付くボクをあざ笑うかのようにただその咆哮をあげる。

否定する。
コイツの存在を。
ボクじゃないそのものに。
眼を押さ、ボクはその場でゆっくりと立ち上がる。

突如として脳裏に映るのは、綺麗な刀。
赤色に染まるその刀身には、見覚えがあった。
アイツの持つ刀は、ボクが知っている。

「返して」

「ん?」

「返せ」

「・・・」

記憶の奔流を頼りに、ボクは走り出した。
そして、アイツの持つ刀を手にし、叫んだ。
想いっきり、その空間に響き渡る、魂の声で。
瞳を抑えていた手をゆっくりと離し。
その刀身を、両手で掴み。
流れる血をモノともせず。
痛み耐えて。

叫んだ。

「返せよ!!!それは、オマエが持っていていいものじゃない!!」






その名を言った瞬間、世界が割れた。
暗闇の空間は裂け、音を立てて崩れゆく。
アイツはそんな中でもただ笑うだけだった。
気持ちが悪い。
消える意識の中、アイツの最後の言葉が脳裏に残った。
そう、アイツは言ったんだ。



これからの、ボクの行く先を。



「ようこそ、非日常の世界へ。・・・楽しくなりそうだ・・もう一人のオレよ・・・クククハハハ」












薄っすらと意識が覚醒する。
頼りない視力で見えるのは、キラキラと輝く小さな星達。
ボクはいつの間に倒れていたんだろう?
身体に痛みが走る。
手を動かそうにも、何かで固定されていてうまく動けない。
足もその例外ではなく、ボクはここに貼り付け状態にされていることが瞬時に理解出来た。

「起きたか?」

視線の先には、白髪の誰かがいた。
服の胸には、この学園の教師であると証明するプレート。
たしか、この人は・・・そう、うちの学園の物理教師『鶴谷国重(ツルタニクニシゲ)』先生。
この人が誰か?それは分かった。
でも、この状況が理解出来なかった。
なんで、ボクはこんなところで拘束されているのか。
どれだけ力を入れても、まったく動かない。

「力を入れても無理だ。その捕縛結界は容易く破れるようなもので出来ていない」

そう、目の前の教師はボクに言った。
諦めてぐったりと項垂れるボクを見下ろし、先生は話し始めた。

「キミにはいろいろ伝えなければならないことがある」

「ボクも聞きたいことが山ほどあります」

ガラにもなく睨みつけた。
そんな様子にうろたえることもなく、先生は淡々とその口を開いた。

「この世界には、狂気と呼ばれる病原体が存在する。
 現代の医療技術をもってしても治すことが出来ない病。
 症状は・・・まあ、キミは体験したようだから言わなくても分かるか。
 病を治す方法はただ一つ。
 そのモノの存在を世界から消す。
 キミもその例外ではない。」

ただ・・・。
とそこで何かを躊躇っていた。
でも、その躊躇いは余計なものと思ったんだろうか。
先生は、ボクにこう告げた。

「キミは、この世界で唯一、その病を自力で治した」

―なぜかは分からない。
―しかし、事実キミはここに居て、その意思を確立させた。
―ありえない奇跡を、キミは起こした。

そんなことを言われても分からない。
ボクは今なんでこんなことになっているかすら、曖昧だと言うのに。
そのときだった。

脳裏に浮かぶ、恐怖で支配された光景。
その恐怖を断罪するかのように颯爽と現れた一人の少女の影。
剣は宙を舞い、そしてボクは・・・ボ・・ク・・・は?

「葵先輩は!?先輩はどうなったんですか!?」

手と足の拘束具を引きちぎる勢いで先生へ問いただした。
その顔はあまり浮かばれない様子で、一振りの十字剣をボクに見せ付けた。
それは。
あのときの。
先輩が。


持って・・・いた?


「そんな・・・そんなこと・・・」
やっぱり夢じゃなかった。
ボクは狂気と化し、執行者である先輩はボクと戦って。
そして、その果てに、先輩を・・・?

「いや。葵君は死んでいない。」

「ただ、この世界からその存在を消した。」

「残留する高次元粒子反応、それを最後に彼女の波動はこの世界のどこにも、なくなった」


その言葉を理解するには、ボクはいろんなことを知らな過ぎた。
この世界で起こっている様々なこと。
執行者と言う存在。
狂気と言う存在。
そして、ボク自身のことも・・・。

何も分からない。


「キミは自力で狂気を解き放った」

「されど、生身の人間であるキミが再発しないという保障はどこにもない」

「今ここで私がキミを殺す、それが世界のルールだ」


世界のルール。
ボクはここで殺されるために、拘束具で縛られているのか。
迫り来る殺気と、手にしている十字剣を抜き放つ瞬間、
ボクはここで本当に死ぬと、そう実感した。

振り上げられた銀色の刃に、眼をそむける。
もうすでに死んだ命。
助かるはずもない病に打ち勝ち、少しだけの時間、生きることを許されたけれども。

これで、元通り。


振り下ろされた刃。
それを先生は何を思ったのか、胸元数センチのところで寸止めした。

「・・・・」

静寂が世界を支配し、ボクと先生だけの空間はそのままの状態で時が止まったかのように、
文字通り『静止』した。
開かれる口。

―■■■■■■■
何を言っているのか、少ししか聞き取れない。

―■■■■■■■■■■か?
ありえない言葉を耳にして、ボクは目を丸くした。
ルールは守らないといけない。
もう死んだボクを、このまま生かしたらどうなるか。
そんなこと、ボク自身は分からなくても先生なら分かっているはず。
何が起こるか。を。

胸元に突きつけられた剣を先生は鞘に戻し、再びボクに問いただす。

「その命、無駄にしたくなければ・・・契約を結べ」

「黒崎葵と同じにして、魔を断罪せし者」

「執行者として、剣を執る覚悟があるのなら」

ボクに・・・
出来るのかな。

「想いの強き者、それこそが執行者の力の根源」

「さぁ、選べ」

「日常の終わりか、世界の始まりか」


そうして。
運命の歯車はゆっくりと周り始めた。

第6話『賢 者』END