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ハーマン・メルヴィル - (2009/11/09 (月) 18:00:23) のソース

*ハ-マン・メルヴィル&br()&size(12){&italic(){(Herman Melville)}}&br()&size(12){(1819~1891)}
**略歴
 ニューヨークの裕福な商人の家に生まれた。しかし父が事業に失敗したために、十分な教育が受けられなかった。教員の資格を得て小学校に勤務したりしたが、債権者から逃れるために夜逃げし、その後1839年に兄の紹介でリヴァプール航路の商戦の平水夫となった。この船員としての経験が、後々彼の作品に活かされることになった。ガラパゴス諸島やポリネシア諸島を航行するも、捕鯨船での過酷な生活に耐えかね、22歳の時仲間と脱走し、マルケサス諸島のヌクヒヴァ島の食人種タイピー族に囚われた。その後、通りかかった捕鯨船によって救われるが、今度はタヒチで暴動に巻き込まれた挙句、英国領事館に逮捕されてしまう。またもやそこも脱走し、エイメオ島に逃れ、アメリカの捕鯨船によって拾われ、ようやくハワイにたどり着いた。これまでの波乱に富んだ海洋冒険は、彼の作品に大いに活かされた。その後水兵となって帰郷した。その頃には家計も持ち直しており、彼は作家として生計を立てようともくろんだ。処女作を発表後、[[ホーソーン>ナサニエル・ホーソーン]]と出会う。しかしメルヴィルの書く小説はどれも芳しい評価を得られなかった。1866年、ニューヨークの税関の職を得、生活が安定するかと思われた矢先、長男が拳銃で自殺し、その上自宅は火事で焼失、また次男の出奔と、まるで呪われたかのように不幸が連続する。メルヴィル自信は長命であったが、生前に評価されることなく没した。
**作品
 『&bold(){タイピー}』&italic(){(Typee,1846)}は作者の実体験を基にした処女作。捕鯨船から脱走して南洋の島に上陸した主人公は、食人種であるタイピー族に捕らわれの身となる。現地の娘と恋をしたり原始的な生活にある種の満足感を得るものの、次第に食人の風習に対する怯えが強まり逃げ出す。
 『&bold(){オムー}』&italic(){(Omoo,1847)}もまた作者自身の体験を基に書かれている。ここで彼は文明こそが人間を奴隷化するのではないか、と文明への懐疑を投げかける。そして物語の中で、無垢な原住民に不必要な知恵を与えて改宗を迫るキリスト教伝道者を否定的に描いた。
 『&bold(){マーディ}』&italic(){(Mardi,1849)}もまた前半は海洋冒険物であるが、後半は一転して調子が変化する。前半で主人公で捕鯨船を脱走した船員のタジはイラーという美しい娘と結ばれるが彼女は失踪してしまう。そして後半では哲学者や詩人たちと、寓意的な風習を持った島々を渡り歩き、激論を交わす。その中でも哲学者ババランジャにキリスト教世界の不条理を告発させている。
『&bold(){レッドバーン}』&italic(){(Redburn,1849)}もまた航海の経験を基に書かれた。その中で貧民街の様子や船員の残酷さ、船客の悲惨な様子など産業革命下で圧殺されていく弱者を描いた。
『&bold(){ホワイト・ジャケット}』&italic(){(White-Jacket,1850)}は作者が米国の軍艦に乗り組んだ経験から書かれた。下級水兵が絶対的な階級制の下で次第に人間性が破壊されていく様を描いた。彼の作品にはこういった文明への懐疑が、その底辺に見られる。
 彼の代表作である『&bold(){白鯨}』&italic(){(Moby-Dick,1851)}は、その難解さと長大さで知られている。この中で彼は、白鯨を追い求めるエイハブ船長の「正気ある狂気」を通して、この世の中のあらゆるものに潜んでいる、条理の働きをしていながら不条理の仮面を被った、混沌とした存在を直視した。それは本来自由であるべき人間を奴隷化してしまう、「神意」と「人意」の混沌とした姿である。彼は鯨に関する該博な知識と共に、宇宙観とも言うべき真理を追い求めた。しかしながら、同時代の人々に理解されることはなかった。
 『&bold(){ピエール}』&italic(){(Pierre,1852)}もまた発表するや悪罵を持って迎えられた。ニューヨークを舞台とした心理小説で極めて難解。主人公は死んだ父に隠し子の娘がいることを知り衝撃を受ける。彼は母にはそのことを秘匿し、許婚をも捨てて、その隠し子を結婚するという名目で引き取る。それは義務感からくる行動であったが、その結果母は衝撃のうちに死に、許婚もまた倒れてしまう。苦悩と貧困の中で、主人公と引き取った娘もまた破滅へと突き進んでいく。
 その後は短編集『&bold(){ピアザ物語}』&italic(){(The Piazza Tales,1856)}を発表し、その中の「バートルビー」&italic(){(Bartleby)}や「ベニト・セレノ」&italic(){(Benito Cereno)}などのように秀作を生み出すが、そこではすでにかつてのような能動的な真理探究の姿勢は見られず、一歩退いた場所から傍観するような形になっている。生前最後の小説は『&bold(){詐欺師}』&italic(){(The Confidenxe-Man,1857)}で、キリスト教社会の未来を厭世的に嘲笑っている。
 晩年は詩作に没頭し、南北戦争を題材とした『&bold(){戦争詩集}』&italic(){(Battle-Pieces,1866)}や、キリストを聖地に追い求める『&bold(){クラレル}』&italic(){(Clarel,1876)}がある。
 『&bold(){ビリー・バッド}』&italic(){(Billy Budd,1924)}は遺稿となった中編小説。無垢な若者の不条理な死が描かれている。
 生前は評価されなかった彼だが、死後30年も経ってから再評価され、現在では米文学を代表する大作家とされるまでになった。




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