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W・B・イェイツ - (2010/12/25 (土) 17:48:58) のソース

*W・B・イェイツ&br()&size(12){&italic(){(William Butler Yeats)}}&br()&size(12){(1865~1939)}
**略歴
 アイルランド、ダブリン出身の詩人。父は画家で幼少期から少年期はロンドンで育った。ダブリンに帰ってからは、父に習って絵の勉強をするも文学での才能が目覚しかった。ケルトの古い伝承や伝説に興味を持ち収集し、また故国アイルランドの文芸復興運動に尽力し、文芸協会の設立などを行い、日本の能の影響も受けたとされる。後に神秘主義的傾向を強め、秘密結社「黄金の暁教団」&italic(){(The Golden Done)}にも参加したことでも知られている。1923年にはノーベル文学賞を受賞した。
**作品
 イェイツをして「20世紀最大の詩人」と呼ぶ批評家は少なくない。しかし一般的によく知られている「&bold(){イニスフリーの湖島}」&italic(){(The Lake Isle of Innisfree)}などは美しい詩ではあっても、後期ロマン派的な詩であり、20世紀の詩とは思えない。彼の才能が本当の意味で開花したのは、[[パウンド>エズラ・パウンド]]と出会ったことによる。怪人物とも言うべき奇矯な振る舞いの多かったパウンドであるが、彼の影響を受けイェイツの詩は新しい詩へと進化することになる。アイルランドの神話、歴史、伝承を骨格としつつも、新しい現代の詩へと生まれ変わったのである。出世作の『&bold(){アシーンの放浪}』&italic(){(The Wanderings of Oisin,1889)}はアイルランドの伝説の人物アシーンが「常若の島」「恐怖の島」「忘却の島」を放浪し、帰還するまでを描いた物語詩である。『&bold(){カスリーン伯爵夫人}』&italic(){(The Countess Kathleen,1892)}は大飢饉の際に悪魔に魂を売り、それによって民衆を救おうとする伯爵夫人を描いた詩劇。前述した「イニスフリーの湖島」はこの詩劇と一緒に出版された。『&bold(){ケルトの薄明}』&italic(){The Celtic Twilight,1893}は彼が収集したアイルランドの妖精と伝説の物語集。また表題はアイルランド文芸復興の別名としても用いられた。『&bold(){心願の国}』&italic(){(The Land of Heart's Desire,1894)}は不老不死の国への憧れを描いた象徴的な詩劇。『&bold(){葦間の風}』&italic(){(The Wind among the Reeds,1899)}は初期を代表する神秘的な詩集。『&bold(){影深き海}』&italic(){(The Shadowy Waters,1900)}は理想郷を捜し求める海賊フォオゲイルの妖夢と幻想に満ちた象徴的対話詩劇。『&bold(){カスリン・ニ・フウリハン}』&italic(){(Cathleen ni Houlihan,1902)}はアイルランドのキララ近郊の農家を舞台に、結婚式を翌日に控えた青年の愛国心を呼び覚ました謎の老婆カスリン・ニ・フウリハンを描いた散文劇。『&bold(){砂時計}』&italic(){(The Hour-Glass,1903)}は理性を象徴する賢人に対して、直覚を象徴する阿呆の優越を説いた散文劇。後に散文と韻文の混合劇に改訂。『&bold(){クールの白鳥}』&italic(){(The Wild Swans of Coole,1919)}は後期への新しい詩風への発展が見られる詩集。『&bold(){塔}』&italic(){(The Tower,1928)}は後期の代表作。神秘思想と象徴的主題に満ちている。後年は薔薇十時思想などのオカルティズムにのめりこみ、独自の神話体系を詩とした。
 イェイツの詩は常にアイルランドという地方に根ざし、個人的で、時に独り合点であり、その点で普遍性を志向した[[エリオット>T・S・エリオット]]とは非常に対照的である。しかしながらその詩には力があり、普遍的な輝きを放っている。



&bgcolor(lime){[[主な翻訳書>>http://spreadsheets.google.com/pub?key=rVLAUFGjwM2H0Qacjkr3lKQ&output=html]]}



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