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サミュエル・ジョンソン - (2008/02/09 (土) 19:03:26) のソース

*サミュエル・ジョンソン&br()&size(12){&italic(){(Samuel Johnson)}}&br()&size(12){(1709~1784)}
**略歴
 リッチフィールドの本屋に生まれた。19歳でオックスフォードに入学するも経済的な事情からやむなく中退した。故郷に帰り教師をしていたが20歳も年上の未亡人と結婚、その持参金で塾を開いたが結果は散々であっさり潰れてしまった。1737年に弟子を連れてロンドンに出た。匿名で詩を発表すると[[ポープ>アレキサンダー]]に認められ、文筆家としての第一歩となった。雑誌の発行、英語辞典の編纂などを手がけるも生活は一向に楽にならず、その間に最愛の妻を亡くした。1764年に功績が認められ、国王から年金が支給されるようになり、ようやく生活が安定した。翌年に有名な文学クラブが設立されると、そこの大御所としてその温和で常識的、かつ機知に富んだ会話で人々を楽しませた。1784年没。ウェストミンスター寺院に葬られる。文壇の中心人物として活躍し、その優れた人格から多くの文人に親しまれた。その姿は[[ボズウェル>ジェイムズ・ボズウェル]]の伝記に描かれている。なお、一般にジョンソン博士と呼ばれるが、それは英語辞典編纂の功績によって名誉博士の学位を得たためである。
**作品
 多彩な分野で活躍したジョンソン博士であるが、その高名のわりに作品自体はあまり知られていない。
 『&bold(){ロンドン}』&italic(){(London,1738)}は上京して初めて匿名で発表した長詩である。内容は当時のロンドンの頽廃ぶりを過激に風刺したものである。
 『&bold(){人間欲求の空しさ}』&italic(){(The Vanity of Human Wishes,1749)}は人間の権力、学問、武功、長寿、美貌などの諸欲求の空しさを批判し、諦観こそ尊ぶべきだと主張する長詩である。なお、上記に2作品は共にローマの詩人ユウェナリスの模倣ではないか、との指摘がある。
 『&bold(){アイリーン}』&italic(){(Irene,1749)}は上京前から書き始めていた悲劇。後に弟子の好意で上演されるが、全くの不評だった。
 『&bold(){英語辞典}』&italic(){(A Dictionary of the English Language,1755)}はほぼ独力で苦心して編纂した力作。様々な名作家の文章を引用している他、独特の解説が特徴。これによって辞典編集の原則が確立された。
 『&bold(){ラセラス}』&italic(){(The History of Rasselas, Prince of Abyssinia,1759)}は生活のために書かれた彼唯一の小説。アビシニアの王子ラセラスが歓楽と平安に飽き、老哲学者の案内によって諸国を遍歴するが、結局は故郷に帰るという物語。
 『&bold(){シェイクスピア全集}』&italic(){(The Plays of William Shakespeare,1765)}は[[シェイクスピア]]の作品に独自の校訂と注釈を施し、批評を加えたもの。序文はシェイクスピア論の嚆矢として名高い。
 『&bold(){英国詩人列伝}』&italic(){(The Lives of the English Poets,1779-81)}はジョンソンを代表する大作。全10巻からなり、各詩人の伝記、人物評、作品批評がまとめられている。


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