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*ヘンリー・ウォズワス・ロングフェロウ&br()&size(12){&italic(){(Henry Wadsworth Longfellow)}}&br()&size(12){(1807~1882)} **略歴  アメリカの最初の国民詩人と呼ばれるロングフェロウは、メイン州ポートランドに生まれる。ボードン大学で学び、同級生には[[ホーソーン>ナサニエル・ホーソーン]]がいた。生来語学の才に秀でており、同大学の教授職についてからも、欧州へ研究のために旅行し、研鑽に励んだ。後1836年に招かれて、ハーヴァード大学の教授となる。それからはケンブリッジに住んだ。それまでも詩作は行っていたが、1854年に教授職を退職し、著述に専念する。彼は詩作で生計を立てられた、アメリカの最初の詩人でもあった。1861年、二番目の妻が不慮の事故で亡くなると、強い衝撃を受け、生涯その思いを引きずることとなった。1882年、腹膜炎で没する。 **作品  ロングフェロウは古典に造詣が深く、また語学も堪能であったため、様々な詩形・韻律を自由自在に用いることができた。また生前から現在に至るまで、高い評価を得ている。アメリカに題材を取った物語詩も人気があった。『&bold(){エヴェンジェリン}』&italic(){(Evangeline,1847)}は同名の女主人公の悲恋の物語で、フレンチ・インディアン戦争(1754-63)を背景としている。『&bold(){ハイアワサの歌}』&italic(){(The Song of Hiawatha,1855)}はインディアンを主人公に、『&bold(){マイルズ・スタンディッシュの求婚}』&italic(){(The Courtship of Miles Standish,1858)}は植民地時代の三角関係の物語、『&bold(){路傍の宿の物語}』&italic(){(Tales of a Wayside Inn,1863-74)}は小さな物語詩を集めたものである。またダンテの『神曲』をアメリカで初めて翻訳したことでも有名である。 ----
*ヘンリー・ウォズワス・ロングフェロウ&br()&size(12){&italic(){(Henry Wadsworth Longfellow)}}&br()&size(12){(1807~1882)} **略歴  アメリカの最初の国民詩人と呼ばれるロングフェロウは、メイン州ポートランドに生まれる。ボードン大学で学び、同級生には[[ホーソーン>ナサニエル・ホーソーン]]がいた。生来語学の才に秀でており、同大学の教授職についてからも、欧州へ研究のために旅行し、研鑽に励んだ。後1836年に招かれて、ハーヴァード大学の教授となる。それからはケンブリッジに住んだ。それまでも詩作は行っていたが、1854年に教授職を退職し、著述に専念する。彼は詩作で生計を立てられた、アメリカの最初の詩人でもあった。1861年、二番目の妻が不慮の事故で亡くなると、強い衝撃を受け、生涯その思いを引きずることとなった。1882年、腹膜炎で没する。 **作品  ロングフェロウは古典に造詣が深く、また語学も堪能であったため、様々な詩形・韻律を自由自在に用いることができた。また同時代の[[ホイットマン>ウォルト・ホイットマン]]らとは違い、生前から現在に至るまで、高い評価を得ている。詩の傾向としては、誰にでも理解し易い、穏健な人生観・人生訓を歌った。そのために現在でも広く親しまれている。アメリカに題材を取った物語詩も人気があった。『&bold(){エヴェンジェリン}』&italic(){(Evangeline,1847)}は同名の女主人公の悲恋の物語で、フレンチ・インディアン戦争(1754-63)を背景としている。『&bold(){ハイアワサの歌}』&italic(){(The Song of Hiawatha,1855)}はインディアンを主人公に、『&bold(){マイルズ・スタンディッシュの求婚}』&italic(){(The Courtship of Miles Standish,1858)}は植民地時代の三角関係の物語、『&bold(){路傍の宿の物語}』&italic(){(Tales of a Wayside Inn,1863-74)}は小さな物語詩を集めたものである。またダンテの『神曲』をアメリカで初めて翻訳したことでも有名である。 ----

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