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*ウィリアム・シェイクスピア&br()&italic(){&size(12){(William Shakespeare)}}&br()&size(12){(1564~1616)} **略歴  エリザベス朝演劇を代表する劇作家、詩人。その生涯については不明な点が多い。1580年代の半ば頃にロンドンに出たとされるが確証はない。当初は劇団の俳優をしていたらしいが、その後芝居を書き直す仕事も兼ねるようになる。その才覚が認められ、1590年頃にはオリジナル作品を手がけるようになった。とはいえ彼の(というよりも劇作家はすべからく)作品には、いわゆる種本というものがあり、その骨格に彼の優れた想像力からなる血肉を加付けえ、独自の生きた演劇に仕上げてしまう天才であった。しかしながら歴史や地理の知識にはそれほど詳しくはなかったようで、特に海外を舞台とした作品では、多くの事実誤認が認められる。彼の作品は概ね4つの段階に分けることができる。 **第1期―新進気鋭作家(1990~1995)  シェイクスピアの劇作家としての経歴は、史劇から始まった。当時はちょうどイギリスがスペインの無敵艦隊を撃破した頃であり、人々の自国の歴史に関する関心が高まっていた。そうした風潮を敏感に察したのだろう。なまものである劇作家には、時代の流れを的確に判断する感覚が必要である。こうして最初に書かれたのがバラ戦争を題材とした『ヘンリー6世』3部作(&italic(){Henry VI,1590-1592})である。何故なら当時はテューダー朝であり、バラ戦争こそがその起源であるからだ。(ただし、この3部作全てが彼単独の作品であるかどうかについては、疑問視されている)  続いて書かれたのが『リチャード3世』(&italic(){Richard III,1592-1593})である。リチャード3世はヘンリー6世を殺害し、テューダー朝の開いたヘンリー7世に殺された人物だ。野心に徹する悪魔的な人物を描いたこの作品は、マーロゥの影響を最も顕著に受けた作品とされ、劇作家として発展途上の段階といえる。  またこの頃には喜劇にも手を染めた。『間違い続きの喜劇』&italic(){(The Comedy of Errors,1592-1593)}は、一卵性双生児の兄弟に一卵性双生児の下僕を配して、彼らが船の難破でバラバラになった後に起こる混乱を面白おかしく描いた。  悲劇としては初期の最大のヒット作ともいえる『ロミオとジュリエット』&italic(){Romeo and Juliet,1594-1595}が書かれた。これ以後、彼が「the Bard」と大文字定冠詞つきで呼ばれるようになったことからも、その評価のほどが窺える。  そして『夏の夜の夢』&italic(){Midsummer Night's Dream,1595-1596}において、その筆は成熟してくる。未だに「真夏の~」と誤訳されることが多いが、この「Midsummer」というのは普通名詞ではなく固有名詞の「Midsummer Day」であり、日付で言えば6月24日、「聖ヨハネ祭」(&italic(){St.John's Day})のことである。それ故に正確に訳すならば『聖ヨハネ祭の夜の夢』となる。劇中人々が浮かれ騒いでいるのも、そういった祝祭日であるから、という理由があるのだ。 &bgcolor(yellowgreen){[[次へ>シェイクスピア(2)]]} ----
*ウィリアム・シェイクスピア&br()&italic(){&size(12){(William Shakespeare)}}&br()&size(12){(1564~1616)} **略歴  エリザベス朝演劇を代表する劇作家、詩人。その生涯については不明な点が多い。1580年代の半ば頃にロンドンに出たとされるが確証はない。当初は劇団の俳優をしていたらしいが、その後芝居を書き直す仕事も兼ねるようになる。その才覚が認められ、1590年頃にはオリジナル作品を手がけるようになった。とはいえ彼の(というよりも劇作家はすべからく)作品には、いわゆる種本というものがあり、その骨格に彼の優れた想像力からなる血肉を加付けえ、独自の生きた演劇に仕上げてしまう天才であった。しかしながら歴史や地理の知識にはそれほど詳しくはなかったようで、特に海外を舞台とした作品では、多くの事実誤認が認められる。彼の作品は概ね4つの段階に分けることができる。 **第1期―新進気鋭作家(1990~1995)  シェイクスピアの劇作家としての経歴は、史劇から始まった。当時はちょうどイギリスがスペインの無敵艦隊を撃破した頃であり、人々の自国の歴史に関する関心が高まっていた。そうした風潮を敏感に察したのだろう。なまものである劇作家には、時代の流れを的確に判断する感覚が必要である。こうして最初に書かれたのがバラ戦争を題材とした『&bold(){ヘンリー6世}』3部作(&italic(){Henry VI,1590-1592})である。何故なら当時はテューダー朝であり、バラ戦争こそがその起源であるからだ。(ただし、この3部作全てが彼単独の作品であるかどうかについては、疑問視されている)  続いて書かれたのが『&bold(){リチャード3世}』(&italic(){Richard III,1592-1593})である。リチャード3世はヘンリー6世を殺害し、テューダー朝の開いたヘンリー7世に殺された人物だ。野心に徹する悪魔的な人物を描いたこの作品は、マーロゥの影響を最も顕著に受けた作品とされ、劇作家として発展途上の段階といえる。  またこの頃には喜劇にも手を染めた。『&bold(){間違い続きの喜劇}』&italic(){(The Comedy of Errors,1592-1593)}は、一卵性双生児の兄弟に一卵性双生児の下僕を配して、彼らが船の難破でバラバラになった後に起こる混乱を面白おかしく描いた。  悲劇としては初期の最大のヒット作ともいえる『&bold(){ロミオとジュリエット}』&italic(){Romeo and Juliet,1594-1595}が書かれた。これ以後、彼が「the Bard」と大文字定冠詞つきで呼ばれるようになったことからも、その評価のほどが窺える。  そして『&bold(){夏の夜の夢}』&italic(){A Midsummer Night's Dream,1595-1596}において、その筆は成熟してくる。未だに「真夏の~」と誤訳されることが多いが、この「Midsummer」というのは普通名詞ではなく固有名詞の「Midsummer Day」であり、日付で言えば6月24日、「聖ヨハネ祭」(&italic(){St.John's Day})のことである。それ故に正確に訳すならば『聖ヨハネ祭の夜の夢』となる。劇中人々が浮かれ騒いでいるのも、そういった祝祭日であるから、という理由があるのだ。 &bgcolor(yellowgreen){[[次へ>シェイクスピア(2)]]} ----

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