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*サミュエル・T・コールリッジ&br()&size(12){&italic(){(Samuel Taylor Coleridge)}}&br()&size(12){(1772年~1834年)} **略歴  英国ロマン派詩人の代表格の一人。優れた批評家でもあり、哲学者でもあった。[[ワーズワース>ウィリアム・ワーズワース]]とは盟友であった。優れた頭脳を持った人物ではあったが、反面意志力の弱いところがあり、理想化肌で夢想家だった。若い頃にはロマン派の詩人[[サジー>ロバート・サジー]]と理想郷建設を夢見たが挫折している。職業を転々とし、また病苦を紛らわすためにアヘン吸引を始めたが、結局は中毒になって一生苦しむことになった。 **作品  共著した『&bold(){抒情歌謡集}』&italic(){(Lyrical Ballads,1798)}では、[[ワーズワース>ウィリアム・ワーズワース]]が日常的な題材を基に創作したのに対し、コールリッジはより神秘的で物語的な題材を担当した。これは互いの性質を考えた場合、極めて適切な選択であった。名高い「&bold(){老水夫行}」&italic(){(“The Rime of the Ancient Mariner”)}などがそうである。abcdと順に踏んでいく古いバラッドの詩形が、内容と合致してより神秘的な雰囲気をかもし出している。老水夫が語る、後悔、罪悪、呪い、死、蘇生の奇妙な物語は、人を呪縛するかのような魅力を持っている。  また『&bold(){忽必烈汗}』&italic(){(Kubla Khan,1816)}は27歳の時の作品であるが、これは彼がアヘンを吸引して『東方旅行記』読みながら眠り込んでしまった時、夢の中で幻を見て詩を書いたが、覚めてからもそれを記憶していたので、それを書きとめたという。しかし、途中まで書いたところで訪問者があり、それに対応している間に残りが思い出せなくなってしまったという。全編を通して非常に幻想的な光景が広がる詩である。  しかし彼が詩作に励んだのは30歳頃までで、後年は哲学や宗教へと移行していった。『&bold(){文学的自伝}』&italic(){(Biographia Literaria,1817)}は、詩人を諦めた彼が、文芸学の本質について、個々の作品の価値の発生について、理論的に考察したものであり、評価されている。 ---- **翻訳 |&size(10){タイトル}|&size(10){原題}|&size(10){発表年}|&size(10){出版社}| |&size(10){対訳 コールリッジ詩集}|&size(10){&italic(){―}}|&size(10){―}|&size(10){岩波文庫}| ----
*サミュエル・T・コールリッジ&br()&size(12){&italic(){(Samuel Taylor Coleridge)}}&br()&size(12){(1772年~1834年)} **略歴  英国ロマン派詩人の代表格の一人。優れた批評家でもあり、哲学者でもあった。[[ワーズワース>ウィリアム・ワーズワース]]とは盟友であった。優れた頭脳を持った人物ではあったが、反面意志力の弱いところがあり、理想化肌で夢想家だった。若い頃にはロマン派の詩人[[サジー>ロバート・サジー]]と理想郷建設を夢見たが挫折している。職業を転々とし、また病苦を紛らわすためにアヘン吸引を始めたが、結局は中毒になって一生苦しむことになった。 **作品  共著した『&bold(){抒情歌謡集}』&italic(){(Lyrical Ballads,1798)}では、[[ワーズワース>ウィリアム・ワーズワース]]が日常的な題材を基に創作したのに対し、コールリッジはより神秘的で物語的な題材を担当した。これは互いの性質を考えた場合、極めて適切な選択であった。名高い「&bold(){老水夫行}」&italic(){(“The Rime of the Ancient Mariner”)}などがそうである。abcdと順に踏んでいく古いバラッドの詩形が、内容と合致してより神秘的な雰囲気をかもし出している。老水夫が語る、後悔、罪悪、呪い、死、蘇生の奇妙な物語は、人を呪縛するかのような魅力を持っている。  また『&bold(){忽必烈汗}』&italic(){(Kubla Khan,1816)}は27歳の時の作品であるが、これは彼がアヘンを吸引して『東方旅行記』読みながら眠り込んでしまった時、夢の中で幻を見て詩を書いたが、覚めてからもそれを記憶していたので、それを書きとめたという。しかし、途中まで書いたところで訪問者があり、それに対応している間に残りが思い出せなくなってしまったという。全編を通して非常に幻想的な光景が広がる詩である。  しかし彼が詩作に励んだのは30歳頃までで、後年は哲学や宗教へと移行していった。『&bold(){文学的自伝}』&italic(){(Biographia Literaria,1817)}は、詩人を諦めた彼が、文芸学の本質について、個々の作品の価値の発生について、理論的に考察したものであり、評価されている。 ----

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