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*ジョージ・ゴードン・バイロン&br()&size(12){(George Gordon Byron,6th Baron)}&br()&size(12){(1788~1824)} **略歴  ロマン派の第二世代を代表する詩人。幼くして第6代バイロン卿となる。ケンブリッジに入学するも放蕩に明け暮れた。ケンブリッジを去ると西欧諸国を旅した。この旅行の経験を基に『チャイルド・ハロルドの遍歴』を発表、評判となり一躍社交界の寵児となった。その後結婚するものの乱れた生活は改まらずに別居、彼は再び旅に出、スイスで[[シェリー>パーシー・シェリー]]と出会う。その後も退廃に満ちた生活を送るが、1824年にギリシア独立戦争に参加するも、熱病のために没する。その生涯も作品もロマン派的性格を分かりやすく体現していたため、世間からの非難は凄まじかった。その一方で崇拝者も多く、ゲーテやプーシキンも彼の熱烈な信奉者であったという。 **作品  ロマン派の第二世代は第一世代([[ワーズワース>ウィリアム・ワーズワース]]、[[コールリッジ>サミュエル・コールリッジ]]ら)とはかなり性質が異なっている。第一世代が自然を通じて道徳性を追求し、神秘性に耽溺する傾向にあったが、それに対してバイロンには激しい行動性、情熱的な恋愛、そして詩を通しての反俗的パフォーマンスであった。  分かりやすいロマン派性の詩に『&bold(){海賊}』&italic(){(Corsair,1814)}や『&bold(){コリントの包囲}』&italic(){(The Siege of Corinth,1816)}がある。じっくりとした思索を拒否し、思想性よりも音楽性を重視したあたりは、技巧的なバイロンならではであろう。  バイロンの名を一躍有名にしたのは『&bold(){チャイルド・ハロルドの遍歴}』&italic(){(Childe Harold's Pilgrimage,1812,'16,'18)}であろう。これは自らの西欧旅行を基に書かれた長詩である。主人公である亡命者の青年詩人はそのままバイロン自身である。難解なスペンサー連をらくらくと使いこなした。  『&bold(){マンフレッド}』&italic(){(Manfred,1817)}は、バイロンが体現して見せた反社会性・反道徳性、いわゆるバイロニズムを盛り込んだ劇詩である。ゲーテの『ファウスト』の影響が見られるとされ、あらゆるものをてにしたかに見えた主人公のマンフレッドは愛する人を失い、その悲しみから逃れるためにその記憶を消そうと精霊などを呼び出す。しかしそれが不可能だと知ると、彼は完全なる喪失の形である、「死」に思い至る。  バイロニズムを最も注ぎ込んで作り上げられたのが『&bold(){ドン・ジュアン}』&italic(){(Don Juan,1819-1824)}という長編叙事詩である。これは伝説的な放蕩児ドン・ファンに、彼の心情や思想を重ね合わせたものである。 ----
*ジョージ・ゴードン・バイロン&br()&size(12){(George Gordon Byron,6th Baron)}&br()&size(12){(1788~1824)} **略歴  ロマン派の第二世代を代表する詩人。幼くして第6代バイロン卿となる。ケンブリッジに入学するも放蕩に明け暮れた。ケンブリッジを去ると西欧諸国を旅した。この旅行の経験を基に『チャイルド・ハロルドの遍歴』を発表、評判となり一躍社交界の寵児となった。その後結婚するものの乱れた生活は改まらずに別居、彼は再び旅に出、スイスで[[シェリー>パーシー・シェリー]]と出会う。その後も退廃に満ちた生活を送るが、1824年にギリシア独立戦争に参加するも、熱病のために没する。その生涯も作品もロマン派的性格を分かりやすく体現していたため、世間からの非難は凄まじかった。その一方で崇拝者も多く、ゲーテやプーシキンも彼の熱烈な信奉者であったという。 **作品  ロマン派の第二世代は第一世代([[ワーズワース>ウィリアム・ワーズワース]]、[[コールリッジ>サミュエル・コールリッジ]]ら)とはかなり性質が異なっている。第一世代が自然を通じて道徳性を追求し、神秘性に耽溺する傾向にあったが、それに対してバイロンには激しい行動性、情熱的な恋愛、そして詩を通しての反俗的パフォーマンスであった。  処女詩集は『&bold(){無為の時}』&italic(){(Hours of Idleness,1807)}であるが、これは在学中に友人に頼んで印刷してもらい、友人たちに配ったものを増補改訂したものであった。しかしこれは散々に酷評されてしまい、それに対して彼は風刺詩でもって応戦した。  バイロンの名を一躍有名にしたのは『&bold(){チャイルド・ハロルドの遍歴}』&italic(){(Childe Harold's Pilgrimage,1812,'16,'18)}であろう。これは自らの西欧旅行を基に書かれた長詩である。主人公である亡命者の青年詩人はそのままバイロン自身である。難解なスペンサー連をらくらくと使いこなした。  『&bold(){海賊}』&italic(){(Corsair,1814)}は海賊である主人公のコンラッドにメドラとグルナーレというタイプの異なる二人の女性を配し、作者の恋愛観、女性観、人間観などを表した。  『&bold(){ヘブライ調}』&italic(){(Hebrew Melodies,1815)}は抒情詩を集めた短詩集。  『&bold(){マンフレッド}』&italic(){(Manfred,1817)}は、バイロンが体現して見せた反社会性・反道徳性、いわゆるバイロニズムを盛り込んだ劇詩である。ゲーテの『ファウスト』の影響が見られるとされ、あらゆるものを手にしたかに見えた主人公のマンフレッドは愛する人を失い、その悲しみから逃れるためにその記憶を消そうと精霊などを呼び出す。しかしそれが不可能だと知ると、彼は完全なる喪失の形である、「死」に思い至る。  バイロニズムを最も注ぎ込んで作り上げられたのが『&bold(){ドン・ジュアン}』&italic(){(Don Juan,1819-1824)}という長編叙事詩である。これは伝説的な放蕩児ドン・ファンを題材としているものの、実際にはそれはバイロン自身の姿に他ならない。全16巻(死後17巻の断片が発見される)という非常に長大で壮大な作品。 ----

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