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チャールズ・ディケンズ」(2008/04/12 (土) 10:50:50) の最新版変更点

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*チャールズ・ディケンズ&br()&size(12){&italic(){(Charles John Huffam Dickens)}}&br()&size(12){(1812~1870)} **略歴  ヴィクトリア朝を代表する作家。ポーツマスの郊外に生まれた。父がお人好しな上に経済観念が欠如しており、しかも債務者監獄に入れられることすらあった。そのために家計は常に苦しく、教育らしい教育は受けることがかなわなかった。彼は幼い頃から働きに出ざるを得ず、12歳で靴墨工場に働きに出されたが、この時の屈辱的な体験が後に作品に活かされた。その後、事務員として働きつつ速記術を習得すると、記者として新聞や雑誌に記事を投稿するようになった。その的確な描写に、彼独特のユーモアと哀愁で味付けした文章は次第に人気が出てくる。その後は読書を新たな娯楽とするようになった市民階級を満足させる、数多くの作品を世に送り、英国を代表する国民作家の地位を築いた。 **作品  ディケンズの出世作となったのは『&bold(){ピクウィック・ペーパーズ}』&italic(){(The Pickwick Papers,1836-7)}である。これはピクウィック氏が小さなクラブを組織し、そろって旅に出るという趣向で、その道中を面白おかしく描き、月刊で刊行した。よく言われることだが、ディケンズが優れたストーリー・テラーだということは誰もが認めつつも、そのプロットについてはさほど評価されていない。それよりも個々の魅力的な登場人物であったり、その場面場面の面白さにある。これは彼が新聞記者をしていたことからくるものであろう。定期的に刊行するものは、全体として見ていかに素晴らしいものであっても、途中で飽きられてしまえばそれでおしまいである。ディケンズが読者に迎合しているようにすら見えることがあるが、それは彼に染み付いた習性だったのかもしれない。しかし、逆に言えば読者が何を求めているかを敏感に察知する嗅覚、そして自由自在に軌道修正できる臨機応変さが彼にはあった。  『&bold(){オリヴァー・ツイスト}』&italic(){(Oliver Twist,1838)}は、最も有名な作品の一つであろう。孤児であるオリヴァーが様々な困難に直面しながらも、たくましく生きていく姿を描いた。救貧院でもう一杯の粥を所望する場面などが有名である。この作品の背景には新救貧法への批判がある。  3作目の長編『&bold(){ニコラス・ニクルビー}』&italic(){(Nicholas Nickleby,1839)}は、ヨークシャーの寄宿学校の過酷な状況を基に書かれた。  『&bold(){骨董店}』&italic(){(The Old Curiosity Shop,1840-1)}は、良くも悪くもディケンズ作品の特徴が顕著に表れている作品である。可憐な少女ネルは骨董品店の経営に失敗した祖父を助けて健気に生きるが、それは苦労の連続である。当時の読者に大いに涙を流させたとされ、結末が近づくにつれディケンズのもとには嘆願の手紙が殺到したという。またこの作品はアメリカでも話題になり、その最後の分冊が船で運ばれてくるのを、ニューヨーク港の埠頭に6000人もの愛読者が集まり、船に向かって「&italic(){Did Little Nell Die?}」と叫んだとも言われている。ここまでされれば作家冥利に尽きるというものだろう。一方で[[ワイルド>オスカー・ワイルド]]はこの作品の最後の場面について、「これで笑わずにいるためには石の心臓が必要だ」と毒づいたという。(しかしながら大衆を小馬鹿にした彼は、その大衆によって大きなしっぺ返しを受けることになる。)  『&bold(){マーティン・チャズルウィット}』&italic(){((Martin Chuzzlewit,1843-4)}は人間の利己心をテーマとした作品である。しかしこの作品の内、主人公のアメリカ旅行のシーンが著しく不評だったため、すぐさま予定を切り上げ、主人公を本国へ引き返させた。この種の方針転換はディケンズにはしばしば見られる。  『&bold(){クリスマス・キャロル}』&italic(){(A Christmas Carol,1843)}は日本でも非常に人気のある中編である。「もうちょっと優しくなろう、もう少し思いやりをもとう」という提案が込められている。まさしくクリスマスの精神である。  『&bold(){デイヴィッド・カパフィールド}』&italic(){(David Copperfield,1849-50)}は、自らの体験を基に書かれた半自伝的作品である。ディケンズ自身にとって特別な作品であったされ、この作品は[[モーム>サマセット・モーム]]の『世界の十大小説』の一つに選ばれている。ディケンズ作品の中では最も構成がまとまっていると評価されている。この頃から社会的な意識、すなわち産業社会の物質・功利主義を批判するような傾向が見られ、作風に影が見られるようになる。  『&bold(){荒涼館}』&italic(){(Bleak House,1852-3)}は、当時の訴訟制度に対する批判したものである。探偵小説のような雰囲気もあり、また当時話題だった人体自然発火現象を作品に盛り込んでいる。  『&bold(){冷酷時代}』&italic(){(Hard Times,1854)}では、ハートを軽蔑し、ハードを唯一の美徳と考える主人公が、その方針に従って自分の子らを教育した結果、非情な人間ができあがってしまい、悲劇に陥る。これは当時の産業界を批判した。  『&bold(){リトル・ドリット}』&italic(){(Little Dorrit,1855-7)}は、債務者監獄で産まれた少女エイミー・ドリットを主人公とした物語である。この作品には当時の債務者監獄制度への批判が込められている。  『&bold(){二都物語}』&italic(){(A Tale of Two Cties,1859)}はフランス革命を背景にした作品で、日本でも親しまれているものの一つである。ロンドンとパリの状況を比較するように描写している。楽観的イメージがあるディケンズであるが、この物語は悲劇的である。  『&bold(){大いなる遺産}』&italic(){(Great Expectataions,1860-1)}はディケンズの後期を代表する作品であり、主人公の回想などは作者本人の経験を踏まえており、半自伝的小説であるともいえる。主人公は謎の人物から「莫大な遺産が相続される」という約束を支えに、紳士として成長していく。ここでもやはり「財産を手にしたからといって、必ずしも幸福にはなれない」というテーマがある。またこの作品には、読者の好みに合わせて結末が二種類用意されていたという。  ディケンズ最後の作品は『&bold(){エドウィン・ドルードの謎}』&italic(){(The Mystery of Edwin Drood,1870)}である。この作品は[[コリンズ>ウィルキー・コリンズ]]の影響からか、ミステリー色の強い作品で、彼の作品の中でも最も陰鬱な雰囲気をもっている。しかしながら、全体の半ばを終えた辺りでディケンズが死んでしまったために、結局「謎」は解明されることなく今日に至っており、その解明に挑んだ様々な論文や小説が書かれている。  ディケンズの作品は、構成に無理なところがあり、かなり偶発的なできごとによって物語が急展開するところや、無理矢理ハッピーエンドに導くところなどが批判されているが、その作品に登場する人物たちの活き活きとした描写や、当時の中・下流階級の生活を巧みに描いた点などが高く評価されている。 ---- **翻訳 |&size(10){タイトル}|&size(10){原題}|&size(10){発表年}|&size(10){出版社}| |&size(10){ボズのスケッチ(上)}|&size(10){&italic(){Sketches by Boz}}|&size(10){1836}|&size(10){岩波文庫}| |&size(10){ボズのスケッチ(下)}|&size(10){&italic(){Sketches by Boz}}|&size(10){1836}|&size(10){岩波文庫}| |&size(10){ピクウィック・クラブ(上)}|&size(10){&italic(){The Pickwick Papers}}|&size(10){1837}|&size(10){ちくま文庫}| |&size(10){ピクウィック・クラブ(中)}|&size(10){&italic(){The Pickwick Papers}}|&size(10){1837}|&size(10){ちくま文庫}| |&size(10){ピクウィック・クラブ(下)}|&size(10){&italic(){The Pickwick Papers}}|&size(10){1837}|&size(10){ちくま文庫}| |&size(10){オリバー・ツイスト(上)}|&size(10){&italic(){Oliver Twist}}|&size(10){1839}|&size(10){新潮文庫}| |&size(10){オリヴァー・ツイスト(下)}|&size(10){&italic(){Oliver Twist}}|&size(10){1839}|&size(10){新潮文庫}| |&size(10){善神と悪神と}&br()&size(9){(ニコラス・ニクルビー)}|&size(10){&italic(){Nicholas Nickleby}}|&size(10){1839}|&size(10){角川文庫}| |&size(10){骨董屋(上)}|&size(10){&italic(){The Old Curiosity Shop}}|&size(10){1841}|&size(10){ちくま文庫}| |&size(10){骨董屋(下)}|&size(10){&italic(){The Old Curiosity Shop}}|&size(10){1841}|&size(10){ちくま文庫}| |&size(9){世界文学全集(15)}&br()&size(10){バーナビー・ラッジ}|&size(10){&italic(){Barnaby Rudge}}|&size(10){1841}|&size(10){集英社}| |&size(10){クリスマス・ブックス}|&size(10){&italic(){Christmas Books}}|&size(10){1843}|&size(10){ちくま文庫}| ----
*チャールズ・ディケンズ&br()&size(12){&italic(){(Charles John Huffam Dickens)}}&br()&size(12){(1812~1870)} **略歴  ヴィクトリア朝を代表する作家。ポーツマスの郊外に生まれた。父がお人好しな上に経済観念が欠如しており、しかも債務者監獄に入れられることすらあった。そのために家計は常に苦しく、教育らしい教育は受けることがかなわなかった。彼は幼い頃から働きに出ざるを得ず、12歳で靴墨工場に働きに出されたが、この時の屈辱的な体験が後に作品に活かされた。その後、事務員として働きつつ速記術を習得すると、記者として新聞や雑誌に記事を投稿するようになった。その的確な描写に、彼独特のユーモアと哀愁で味付けした文章は次第に人気が出てくる。その後は読書を新たな娯楽とするようになった市民階級を満足させる、数多くの作品を世に送り、英国を代表する国民作家の地位を築いた。 **作品  ディケンズの出世作となったのは『&bold(){ピクウィック・ペーパーズ}』&italic(){(The Pickwick Papers,1836-7)}である。これはピクウィック氏が小さなクラブを組織し、そろって旅に出るという趣向で、その道中を面白おかしく描き、月刊で刊行した。よく言われることだが、ディケンズが優れたストーリー・テラーだということは誰もが認めつつも、そのプロットについてはさほど評価されていない。それよりも個々の魅力的な登場人物であったり、その場面場面の面白さにある。これは彼が新聞記者をしていたことからくるものであろう。定期的に刊行するものは、全体として見ていかに素晴らしいものであっても、途中で飽きられてしまえばそれでおしまいである。ディケンズが読者に迎合しているようにすら見えることがあるが、それは彼に染み付いた習性だったのかもしれない。しかし、逆に言えば読者が何を求めているかを敏感に察知する嗅覚、そして自由自在に軌道修正できる臨機応変さが彼にはあった。  『&bold(){オリヴァー・ツイスト}』&italic(){(Oliver Twist,1838)}は、最も有名な作品の一つであろう。孤児であるオリヴァーが様々な困難に直面しながらも、たくましく生きていく姿を描いた。救貧院でもう一杯の粥を所望する場面などが有名である。この作品の背景には新救貧法への批判がある。  3作目の長編『&bold(){ニコラス・ニクルビー}』&italic(){(Nicholas Nickleby,1839)}は、ヨークシャーの寄宿学校の過酷な状況を基に書かれた。  『&bold(){骨董店}』&italic(){(The Old Curiosity Shop,1840-1)}は、良くも悪くもディケンズ作品の特徴が顕著に表れている作品である。可憐な少女ネルは骨董品店の経営に失敗した祖父を助けて健気に生きるが、それは苦労の連続である。当時の読者に大いに涙を流させたとされ、結末が近づくにつれディケンズのもとには嘆願の手紙が殺到したという。またこの作品はアメリカでも話題になり、その最後の分冊が船で運ばれてくるのを、ニューヨーク港の埠頭に6000人もの愛読者が集まり、船に向かって「&italic(){Did Little Nell Die?}」と叫んだとも言われている。ここまでされれば作家冥利に尽きるというものだろう。一方で[[ワイルド>オスカー・ワイルド]]はこの作品の最後の場面について、「これで笑わずにいるためには石の心臓が必要だ」と毒づいたという。(しかしながら大衆を小馬鹿にした彼は、その大衆によって大きなしっぺ返しを受けることになる。)  『&bold(){バーナビー・ラッジ}』&italic(){(Barnaby Rudge,1841)}は1780年にロンドンで実際に起こった反カトリック暴動事件「ゴードン事件」を基にした作品。  『&bold(){マーティン・チャズルウィット}』&italic(){((Martin Chuzzlewit,1843-4)}は人間の利己心をテーマとした作品である。しかしこの作品の内、主人公のアメリカ旅行のシーンが著しく不評だったため、すぐさま予定を切り上げ、主人公を本国へ引き返させた。この種の方針転換はディケンズにはしばしば見られる。  『&bold(){クリスマス・キャロル}』&italic(){(A Christmas Carol,1843)}は日本でも非常に人気のある中編である。「もうちょっと優しくなろう、もう少し思いやりをもとう」という提案が込められている。まさしくクリスマスの精神である。  『&bold(){デイヴィッド・コパフィールド}』&italic(){(David Copperfield,1849-50)}は、自らの体験を基に書かれた半自伝的作品である。ディケンズ自身にとって特別な作品であったされ、この作品は[[モーム>サマセット・モーム]]の『世界の十大小説』の一つに選ばれている。ディケンズ作品の中では最も構成がまとまっていると評価されている。この頃から社会的な意識、すなわち産業社会の物質・功利主義を批判するような傾向が見られ、作風に影が見られるようになる。  『&bold(){荒涼館}』&italic(){(Bleak House,1852-3)}は、当時の訴訟制度に対する批判したものである。探偵小説のような雰囲気もあり、また当時話題だった人体自然発火現象を作品に盛り込んでいる。  『&bold(){冷酷時代}』&italic(){(Hard Times,1854)}では、ハートを軽蔑し、ハードを唯一の美徳と考える主人公が、その方針に従って自分の子らを教育した結果、非情な人間ができあがってしまい、悲劇に陥る。これは当時の産業界を批判した。  『&bold(){リトル・ドリット}』&italic(){(Little Dorrit,1855-7)}は、債務者監獄で産まれた少女エイミー・ドリットを主人公とした物語である。この作品には当時の債務者監獄制度への批判が込められている。  『&bold(){二都物語}』&italic(){(A Tale of Two Cties,1859)}はフランス革命を背景にした作品で、日本でも親しまれているものの一つである。ロンドンとパリの状況を比較するように描写している。楽観的イメージがあるディケンズであるが、この物語は悲劇的である。  『&bold(){大いなる遺産}』&italic(){(Great Expectataions,1860-1)}はディケンズの後期を代表する作品であり、主人公の回想などは作者本人の経験を踏まえており、半自伝的小説であるともいえる。主人公は謎の人物から「莫大な遺産が相続される」という約束を支えに、紳士として成長していく。ここでもやはり「財産を手にしたからといって、必ずしも幸福にはなれない」というテーマがある。またこの作品には、読者の好みに合わせて結末が二種類用意されていたという。  ディケンズ最後の作品は『&bold(){エドウィン・ドルードの謎}』&italic(){(The Mystery of Edwin Drood,1870)}である。この作品は[[コリンズ>ウィルキー・コリンズ]]の影響からか、ミステリー色の強い作品で、彼の作品の中でも最も陰鬱な雰囲気をもっている。しかしながら、全体の半ばを終えた辺りでディケンズが死んでしまったために、結局「謎」は解明されることなく今日に至っており、その解明に挑んだ様々な論文や小説が書かれている。  ディケンズの作品は、構成に無理なところがあり、かなり偶発的なできごとによって物語が急展開するところや、無理矢理ハッピーエンドに導くところなどが批判されているが、その作品に登場する人物たちの活き活きとした描写や、当時の中・下流階級の生活を巧みに描いた点などが高く評価されている。 ----

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