ウィリアム・シェイクスピア
(William Shakespeare)
(1564~1616)

第2期―独壇場(1595~1600)

 この頃はシェイクスピアの絶頂期とも言える時期で、演劇界は彼の一人舞台であった。この時期の作品としては、喜劇と史劇が多い。喜劇では『ヴェニスの商人(The Merchant of Venice,1596-1597)という名作が生まれた。これはマーロゥの『マルタ島のユダヤ人』を種本の一つとしており、ユダヤ人が最終的に酷い目に合うという大筋は同じである。しかしこの『ヴェニスの商人』は「シャイロックの悲劇」と言われるほど、シャイロックに同情的とも見える内容を含み、当時客席に思わず涙する人がいたと言われるほど、登場人物の個性や複雑な感情が見事に描かれている。しかしだからといってシェイクスピアがユダヤ人に特別寛容であったり、人種差別に反対していたというわけではない。逆にそれにも関わらず、こういったものを書けた彼の才能が素晴らしい、と言えよう。
 史劇では『ヘンリー4世(Henry IV,1597-1598、『ヘンリー5世(Henry V,1598-1599)の連作が生まれた。この連作でシェイクスピアは14世紀から15世紀初めの、英国が戦火と混沌を潜り抜けて新しい秩序を確立する過程を、舞台上で表現して見せた。当時の劇場の構造では、戦争の場面を演出することが非常に困難であったために、前口上で「この木造のO型の空間(this woodenO)の中で、観客の皆様の想像力をお借りして、この目的を達成したい」と要請していたという。このように当時は、舞台と客席の間で盛んにやり取りが行われていたようだ。また、この史劇にはフォールスタフという愉快な人物を登場させている。混沌が秩序を生み出すためのトリックスターの役割であり、そして秩序の確立後には彼は見捨てられなければならないのである。それまでの単純な演劇に、彼のような道化的な、魅力ある人物を登場させ、演劇を生きたものに変えたシェイクスピアは、やはり天才の名に恥じぬ人物である。
 『ジュリアス・シーザー(Julius Caesar,1599-1600)もこの頃書かれた悲劇である。政治劇として、また権力と自由の対立というテーマを盛り込み、明確な筋立てと人物造形もあって教材として使われることも多い。これ自体を知らなくても「ブルータス、お前もか」くらいは聞いたことがあるだろう。原文ではここはラテン語で「Et tu,Brute.」となっている。シェイクスピアはこれをプルタルコス(Plutarchus,47頃-127頃)の『英雄伝』に基づいて書いたらしいが、現存していない。またこの言葉はシェイクスピアの独創ではなく、他の芝居にもしばしば散見される。なお、余談だがスウェトニウスは「息子よ、お前もか」だったとしている。『ジュリアス・シーザー』はシェイクスピア劇中、最も早く邦訳された作品である。当時は自由民権運動の真っ只中で、言説と弁論で政治を動かす筋立てが好まれたかららしい。訳者は坪内逍遥、邦題は『自由太刀余波鋭鋒(じゆうのたちなごりのきれあじ)』と何だか歌舞伎のようである。
 また『十二夜(Twelfth Night,1599-1600)、『お気に召すままAs You Like It,1599-1600などのお馴染みの名作が生まれている。共に「男装の美少女」が登場する話で、前者は『間違い続きの喜劇』のように双子の取り違えを扱っているが、その中で当時台頭してきた清教徒を風刺したが、彼が劇中でその堅物の人物に捨て台詞を吐かせたとおりに、後の世で清教徒は劇場を凍結してしまった。シェイクスピアの時代を読む目は確かである。後者は「男装の美少女」ロザリンドの機転と実行力によって筋が進み、最後も見事に解決するというシェイクスピアの全期劇の中でも最も明るいとの評判だが、そこにも森の暗さが暗い影を落としている。

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最終更新:2008年02月06日 19:03