ウィリアム・カーロス・ウィリアムズ
(William Carlos Williams)
(1883年~1963年)

略歴

 ニュージャージー州ラザフォード出身。小児・産婦人科医として当地で生涯を過ごした。1902年にペンシルヴェニア大学に入学し、エズラ・パウンドH.D.と出会った。この交友は生涯続くこととなった。1909年に処女詩集を発表し、その後はパウンドスタインらや、ダダイズムやキュビズムなどの前衛芸術の影響を受け現代的な詩へと発展を遂げた。パウンドと対照的に終生アメリカの大地に根ざした土着的な詩を目指した。次第にイマジズムから日常の事物を日常の言葉を使って、無韻詩で綴る詩風を確立したが、モダニズム全盛期には一般には無名だったが、以降のアメリカ詩に大きな影響を与えた。

作品

 『詩集(Poems,1909)は処女詩集でキーツの模倣の域を出ていない。しかしその後『関係者各位へ(Al Que Quiere!,1917)で初期の詩風との決別を宣言した。そして『春その他(Spring and All,1922)において、押韻、伝統的韻律、象徴文学的連想などをできる限り排除した独自のスタイルを確立した。『アメリカ気質(In the American Grain,1925)は散文で、アメリカ人の気質に内包される相反する二つの側面、未知の大陸にヨーロッパ的価値基準を押し付けようとする態度と、ヨーロッパ的精神を捨てて新大陸の独自の風土に合わせて自己を変革しようとする態度の系譜を、アメリカ史に沿って著わした。代表作とされるのは『パタソン(Paterson,1946-58)である。これは全5巻からなりそれぞれ1946、48、49、51、58に出版された。この大作は彼の住むラザフォード近郊の工業都市パタソンの歴史や地理に関する資料や詩人宛の書簡などの散文と、さまざまなな形式の詩をコラージュのように交互にちりばめた。『砂漠の音楽とその他の詩(The Desert Music and Other Poems,1954)では晩年の詩風への試行と移行を記した。その中で彼は理想の韻律だと確信していた「可変詩脚」(variable foot)、すなわち一行を様々な音節数からなる三つの部分に分割する手法、を本格的に用いた。翌年、詩集『愛への旅(Journey to Love,1955)を出版し、その中で妻への新たなる愛を告白した。最後の詩集は『ブリューゲルの絵とその他の詩(Pictures from Brueghel and Other Poems,1962)では死後にピューリッツァー賞を受賞した。



最終更新:2010年10月03日 21:05