ベン・ジョンソン
(Ben Jonson)
(1572~1637)

略歴

 シェイクスピアのライバルとみなされ、そして次の時代を担ったのがこのベン・ジョンソンである。彼は大学才人らとは違い、シェイクスピアを敬愛し、また互いに満足に教育を受けていないことから、共感めいたものもあったのかもしれない。彼は独学で劇作を学んだが、その知識の質と量においては、シェイクスピアを凌駕した。後にシェイクスピアのことを「ラテン語はあまり知らず、ギリシア語はもっとお粗末(small Latin and less Greek)」だったと言えるほどである。しかし、演劇自体が斜陽の時代を迎えており、次第に衰退していく運命にあった。その風刺的な内容から頻繁に同業者と騒動を起こし、俳優と決闘の末に相手を殺してしまい、危ういところで死刑を逃れたこともあった。また作品上でもしばしば舞台喧嘩(stage quarrel)を繰り広げた。仮面劇の成功でジェイムズ一世の寵愛を受けるが、その後チャールズ一世が即位すると宮廷を離れ、貧困と病に苦しみながら世を去った。

作品

 特にローマ喜劇から受けた影響が大きく、後に彼の作品にもそれが表れている。そういった古典からの伝統の継承と構成の完璧さという点では、ライバルにはない特徴であったが、後世の評価ではシェイクスピアの圧勝となっている。それはジョンソンの喜劇が気質喜劇だったことにある。彼の劇の登場人物たちはすべてある気質の典型であり、例えば憂鬱気質、あるいはほら吹きといったように、個人というよりも気質を代表した役割であって、確かに分かりやすいのだがどうしても血肉のある人間としての魅力に欠けるのである。またもう一つ両者の大きな違いはシェイクスピアが歴史上の人物や異国を舞台とした劇を書いたのに対し、ジョンソンは当時のロンドンの市民や社会現象を舞台の上に上げた点である。ここでもジョンソンんは分かりやすいが、逆にシャイクスピアは観客が知らないことを扱ったことで、その奔放な創造力を遺憾なく発揮できた。
 ジョンソンの作品で最も有名なのは『十人十色(Every Man in his Humour,1598)で、これが処女作に当たるが、これのヒットが彼を喜劇作家の道へと導くことになった。典型的な気質喜劇で、それぞれの登場人物は各々の気質を代表している。
 『みんな気質なし(Every Man out of His Humour,1599)は人間の感情や精神や能力が、極端になると愚考を演じさせることがあるが、これこそが真のユーモアであり、劇中で登場人物たちに様々な愚考を演じさせ風刺した。しかしながら実在の人物を風刺の対象としたことによって物議をかもすことになった。
 『セジェイナス(Sejanus,1603)は典型的なマキアヴェリストのセジェイナスが、ローマ皇帝を巧みに操り反対派を次々に抹殺していくが、一人の忠臣のために破滅する。
 仮面劇も多く手がけジェイムズ一世に気に入られ、『黒の仮面劇(The Masque of Blackness,1604)以後宮廷仮面劇の第一人者として重んじられた。
 『ヴォルポーニ(Volpone,1605)はヴォルポーニ(イタリア語で狐)とモスカ(蝿)が協力して悪巧みをするが、実は他方は独り占めしようと画策しており、結局両者が破滅する、という物語。この欲に目がくらんだ者を舞台上で笑いものにし、それによって悪を裁くという理念は、ローマ喜劇からの伝統である。
 『エピシーン(Epicoene,1609)は財産相続を巡る人間模様を描いた喜劇。
 『錬金術師(The Alchemist,1610)は当時流行していた錬金術を扱ったもの。後にコールリッジが「世界文学の中で完全なプロットを持つ三作品」の一つに選んだ(残りの二つは『オイディプース王』(ソポクレース)と『トム・ジョーンス』(フィールディング))。黒死病が流行するロンドンを舞台に人々の欲深さを風刺する。
 『バーソロミューの市(Bartholomew Fair,1614)8月24日の聖バーソロミューの定期市を背景に、商魂たくましい商人や山師たちと、そこに集まる人々を賑やかに描いた喜劇。






最終更新:2008年02月06日 19:06