ジョナサン・スウィフト
(Jonathan Swift)
(1667~1745)

略歴

 アイルランド、ダブリン出身。政界、宗教界での栄達を夢見るものの上手くいかず、最後はダブリンの聖パトリック教会の司祭長を務めた。風刺作家、随筆か、パンフレット作家、詩人として非常に多作であったが、生涯を通じて私憤と公憤が激しく入り混じっていた。またその内容の過激さから、多くの筆名を使い分けたり、匿名で発表されたりした。その出版には友人であったポープらの尽力したという。晩年は死の影に怯えるようになり、自らの死を悼む詩を書いたり、あるいは自らの死亡記事を出すなど奇行が目立った。また自分の墓碑銘を生前に自ら書いていたことでも有名。

作品

 多作な人であったが、彼の特徴が最も出ているのは風刺文学においてだろう。初期に書かれた『桶物語(A Tale of a Tub,1704)は、カトリック、プロテスタント、英国国教会の無益な確執を痛烈に風刺した。また合本で出された『書物戦争(The Battle of the Books,1704)は、当時盛んだった文芸や思想は古代と近代でどちらが優れているか、という論争を扱った。
 しかし何といっても最も有名なのは『ガリヴァー旅行記(Gulliver's Travels,1726)であろう。当時英国政府に批判的なパンフレットを書いていたこともあって、仮名でしかもかなり改変されたものがまず出版され、後に(1735)完全版が出た。デフォーの『ロビンソン・クルーソー』を踏襲しつつも、明らかに荒唐無稽で本当の話というふりはしていない。そのために近代文学の原点には『ロビンソン・クルーソー』の方が近い。むしろ『ガリヴァー旅行記』はユートピア文学の系譜と言える。全編を通して描かれるのは英国の現状に対する痛烈な風刺であり、最終的には人間告発にまで至る。しかしその根底にあるのはトマス・モアの『ユートピア』と同じく人間の本質的価値を信じようとするヒューマニズム精神である。
 『奴婢訓(Directions to Servants in General,1745)は死後出版された。世のあらゆる召使いの悪習と、それを使う主人側の心理を辛辣に暴露している。





最終更新:2008年02月06日 19:54