アレキサンダー・ポープ
(Alexander Pope)
(1688~1744)

略歴

 18世紀前半、いわゆるオーガスタン時代(Augustan Age)と呼ばれる時代を代表する詩人。裕福な商人の家に生まれたが、生来病弱で体も小さかったことから、政敵にはそのことでしつこくからかわれた。学校教育は受けなかったが、独学で古典文学や英文学を学んだ。特にドライデン英雄対韻句を自家薬籠中のものとした。

作品

 ポープが活躍したのは新古典主義が主流であった時代であり、彼もまたそうである。少年時代に牧歌詩を書くことで修行したのも、古典詩の伝統にのっとっている。『牧歌詩(Pastorals,1709)は16歳の時の作品といわれる。『髪盗み(The Rape of the Lock,1714)は実際の事件に基づいて書かれた疑似英雄詩である。事件そのものは当時社交界の花形だったアラベラ・ファーマーの美しい巻き毛を、親族のある青年貴族が切り取ったというだけのことなのだが、ポープはそこに当時流行した薔薇十字団の思想を盛り込んだ(ちなみにその薔薇十字団の思想の種本となったのは、『ガバリス伯爵』というノンフィクション(という体裁の小説)だが、この作者であるモンフォコン・ド・ヴィラールは秘密を漏らしたためか、惨殺死体となって発見された。)。ポープの才能が最も輝いたのは風刺詩であった。『愚人列伝(Dunciad,1728,42)は原題の意味はdunce(愚者)+ad(賛歌)で、『イーリアス』(Iliad)のような叙事詩固有の命名法である。「ある英雄詩」という副題がついており、明らかに叙事詩を意図した作品であった。内容は同時代の文壇を「暗黒の帝国」とし、その住人たちの愚かさを風刺したものだ。
 また20歳の時に書いた『批評論(An Essay on Criticism,1711)はホラティウスからフランス新古典主義至る作詩の理念と技法を概観したものである。思想の深みや独自性こそないものの、万人受けするような格言風の真理を、的確に言い表している。その20年ほど後に書かれた『人間論(An Essay on Man)は理神論を韻文に仕立てたものである。ポープの特徴は秩序だった形式の完璧さと、行と行のバランスを対句表現や行間休止によってさらに強調している。それ故に思考も表現もくっきりと割り切れる感じで、読者はすんなりと理解できるが、しかし反面その程度の深みしかないともいえる。





最終更新:2008年02月08日 23:39