ウォルター・スコット
(Sir Walter Scott)
(1771~1832)
略歴
スコットランド、エディンバラ出身の詩人、作家。生まれつき病弱であり、幼い頃に小児マヒにかかり、足に障害が残った。エディンバラ大学で法学を学び、大学時代には辺境地方を遍歴し、民謡や伝説の収集に熱中した。しかし健康を害い大学を中退して、父の事務所で弁護士修行をし、後に弁護士となった。1804年、
ワーズワースに出会い、終生の友となった。出版業を営む友人との関係から、辺境地方の民謡などを出版することになった。詩人として活躍するものの
桂冠詩人は辞し、当時不遇だった友人の
サジーに譲った。その傍ら、スコットランド最高民事裁判所の書記にも任命された。その後、小説家に転身し歴史小説作家として名声を得、一躍流行作家となった。ところが1826年に共同経営していた印刷所が破産、さらに愛妻にも先立たれた。そんな中、彼はこの苦境に筆一本で立ち向かい、次々と大作を書きまくって負債をほぼ返却した。しかし過労が祟ったのか1830年に脳出血で倒れ、書記官の職を辞しイタリアへ転地要領に赴き、没する。その死は英国中の人々を大いに悲しませたという。
作品
『
スコットランド辺境歌謡集』
(The Minstrelsy of the Scottish Border,1802)は辺境地方の古い民謡を収集し、整理した全三巻もの。彼は民謡や伝説に関して百科全書的知識を持っていたとされる。
『
最後の吟遊詩人の歌』
(The Lay of the Last Minstrel,1805)は出世作となった物語詩の第一作。最後の老吟遊詩人が、スコットランドの辺境地方の伝説を歌い上げる。
『
マーミオン』
(Marmion,1808)物語詩第二作。ヘンリー八世の家臣マーミオン卿と、彼を恋い慕う尼僧コンスタンス、土地持ちの女性で後にマーミオンとの婚儀が持ち上がるクレアというように、複雑に絡み合った愛憎劇と変化に富んだ物語性をもった、後年の歴史小説を思わせる内容になっている。
『
湖上の麗人』
(The Lady of the Lake,1810)。こは彼の物語詩の代表格。れはロマン主義時代にありながらも、歴史的素材を扱った物語詩であった。彼の知識が大いに生かされたといえよう。彼は
桂冠詩人を辞し、代わりに後輩の
サジーを推している。当時は
バイロンが台頭し始めた頃であり、もしかしたらスコットは自らの詩の限界を感じていたのかもしれない。他の物語詩には『
ロウクビー』
(Rokeby,1813)などがある。
彼が散文に転向したことは、結果的に成功だった。彼は豊富が知識を基に、壮大なスケールと、魅力的な登場人物が活躍する物語を作り出した。彼の小説家としての第一作は、スコットランドを舞台とした青年士官ウェイヴァリーを主人公とした『
ウェイヴァリー』
(Waverley,1814)である。当初は匿名で書かれた(“The Authour of Waverley”とのみ名乗った)ことから、この後に続々と続く同じ作家の歴史小説群は「
ウェイヴァリー小説」
(Waverley Novels)と呼ばれるようになった。英国騎兵大尉エドワード・ウェイヴァリーは休暇旅行で訪れたスコットランドで、貴族の娘ローズに愛され、また一方でフローラという女性に恋をしている間に帰国が送れ、結果免職となってしまう。ところがチャールズ・エドワード王子がフランスから上陸し反乱を起こすと、ウェイヴァリーもそれに参加して活躍する。絵巻物のような見事な展開を見せる歴史物語。第二段の『
ガイ・マナリング』
(Guy Mannering,1815)も好評であった。
『
好古家』
(The Autiquary,1816)は18世紀のスコットランドが舞台。ネヴェル少佐、偶々乗合馬車で一緒になった好古家オールバックにイザベラという女性を紹介される。様々な因縁から彼はイザベラと彼女の父を窮地から救うために奮闘する。この頃にはすでにこの匿名の作家がスコットであることは、公然の秘密になっていた。
そのために次作からはジュディダイア・クリーシュボザムという学校教員が語る物語を装った「
宿家主の物語」
(Tales of My Landlord)というシリーズを発表した。最初に発表された2編は『
黒い小人』
(The Black Dwalf,1816)、『
墓守老人』
(Old Mortality,1816)で、翌年には『
ロブ・ロイ』
(Rob Roy,1817)という郷土小説を発表し、驚異的な売り上げを記録した。
その第2集として発表されたのが『
ミドロージアンの心臓』
(The Heart of Midlothian,1818)である。この題名はエディンバラにあったトルブース監獄の通称(1815年取り壊し)。1736年に民衆が当時この監獄に収監されていたポーティアス大尉を監獄から引き出し、私刑にしてしまうという事件があった。その頃私生児殺しの罪で死刑判決を受けたエフィー・ディーンズの姉ジェニーは、妹の助命嘆願のために奔走する。
第3集の『
ラマムアの花嫁』
(The Bride of Lammermoor,1819)と『
モントローズ綺譚』
(A Legend of Montrose,1819)は共に病床で口述筆記されたとされた。前者は最も悲劇的な作品とされる。エドガーは野心家のウィリアムによって所領を騙し取られ、復讐に燃える。ところがひょんなことから当のウィリアムとその娘ルーシーの窮地を救ってしまう。エドガーとルーシーは互いに愛しあい密かに婚約するが、ルーシーの母の思惑によってルーシーは別の男と結婚することになってしまう。そして運命の結婚式の日、悲劇が起こる。
『
アイヴァンホー』
(Ivanhoe,1819)は彼の作品の中で最も有名な小説。時は獅子心王リチャードの時代、当のリチャードが十字軍に参加して不在の中、弟のジョンは王位簒奪を企んでいる。そんな中行われた馬上槍試合に抜群の働きを見せる謎の覆面の騎士が二人現れる。最後の勝者の栄光を勝ち取った一方の騎士は、出奔していたアイヴァンホーの騎士ウィルフレッドであった。彼らはロビン・フッドらと協力し、囚われた愛する美姫ロウィーナとアイヴァンホーの命を救ったユダヤ人の美しい娘レベッカを救うために一致団結し、ノルマン人の騎士たちと激しい戦いを繰り広げる。
以後はイングランドの歴史小説を書き始め、『
僧院』
(The Monastery,1820)、『
僧院長』
(The Abbor,1820)、『
ケニスワース』
(Kenilworth,1821)、『
海賊』
(The Pirate,1821)、『
ナイジェルの運命』
(The Fortunes of Nigel,1822)、『
ピークのペヴァリル』
(Peveril of the Peak,1823)などを相次いで発表した。その一方でフランス史を基にした『
クエンティン・ダーワード』
(Quentin Durward,1823)はフランスで、『
聖ローナンの泉』
(St. Ronan's Well,1825)はスコットランドで好評を得た。その他、『
許婚者』
(The Betrothed,1825)、『
護符』
(The Talisman,1825)の2編からなる『
十字軍物語』
(Tales of the Crusaders)を書いた。
共同経営の出版社が破産してからは、借金返済のために精力的に執筆を行った。その中には『
ナポレオン・ボナパルト伝』
(The Life of Napoleon Buonaparte,1827)という全9巻の大著や、『
スコットランド史』
(History of Scotland,(1)1829,(2)1830)がある。
最終更新:2008年03月11日 19:36